月明かりが良く映える夜空の下を、俺、比企谷八幡は走っていた。
星々が所々に散りばめられた黒いキャンパスは、月の光をものともせず地面や建物、木々を暗色に染め上げている。
だから、その中を走る俺も良い具合に暗がりに隠れて、一見して姿を認識できる者はいないだろう。
加えて俺は、その身に黒々とした和服・死覇装を纏っているのだ。元来備わっているステルス機能と相まって、闇に紛れるのなんてお手の物。
べ、別に俺の影が薄すぎて認識されてないってわけじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!
と、そんな事を考えていた時だ。俺が標的の霊圧の移動が止まった事を感知したのは。建物の影からそっと覗き込む。
十番隊管理区の建物群の一角。そこに佇む一人の男を視界に捉えると、俺は顔をひっこめた。
男は俺と同じく死神だ。
名前は忘れたが、確か、十番隊の第十三席に座する男だった筈。
まあ別に、十番隊の隊員が十番隊の管理区に訪れる事はおかしくない。ないのだが、この男に関しては少々勝手が違った。
この十番隊第十三席には、ここ最近問題になっている『十番隊隊士連続変死事件』の容疑者の疑いがかかっているのだ。
これは他隊の者でさえ知っている有名な事件で、平の隊士が夜な夜ないなくなり、翌日無残な姿となって発見されるらしい。
被害者が全員十番隊隊士だという事と、遺体発見現場が十番隊にゆかりのある地に集中している事から、身内の犯行ではないかと推測されていた。
実際、嫌疑を掛けられている十三席も証拠がないだけで、ほぼ黒で間違いないらしい。
故に、こうやって俺に暗殺任務の手伝いが回って来たのだ。現場を押さえ、速やかに始末しろとの上からのお達しである。
まあ、死人とか出ちゃってるわけだし、百歩譲って手伝うのはいいんですがね・・・。
「なんで十番隊の案件が俺に回って来るわけ?」
つい俺の口から零れ出たその言葉はどう聞いても愚痴にしか聞こえなかった。
奴に聞こえない様にそっと深いため息を吐く。
だって、仕方ないじゃん。
俺、八番隊よ? 八番隊第八席、比企谷八幡。見事に八八八だね!
これ、ちょっと仲良いと思ってた同僚に言ったら「え? あ、名前八幡って言うんだ」って真顔で返されたけど。
・・・まあ、それは良いとして、本来、これは俺に回ってくるべきジャンルの仕事じゃないのだ。
だってそうだろう? 単純なヘルプならいざ知らず、裏切り者の討伐をよその隊に手伝わせるか? 普通は裏切り者が出たと言う事実を隠そうと自隊だけで片を付けようとするはずだろ。
確かに俺は『敵に認識されない事なら十三隊一!』とその隠密性を見込まれ、よく隊の垣根を超えて偵察任務とかに駆り出されるが、これは完全にその範囲を超えている。
まあ、敵どころか味方にも認識されず、「あれ? お前いたの? てか誰だ?」とかよく言われるけどね!
なのに、こうして俺に尾行の手伝いを打診して来た。
全く、奴は何を考えているんだ?
そんな事を思いながら、地獄蝶で、俺を手伝いに来させた張本人に連絡する。
「葉山、標的が動きを止めたぞ。西52番地区だ」
『わかった。俺もすぐ向かうよ』
地獄蝶から聞こえて来た言葉通り、葉山は直ぐに姿を見せた。
葉山隼人。俺と同期で女性死神人気上位に君臨する、リア充オーラ―を纏ったイケメンである。奴の死魄装はリア充オーラで出来ている! ・・・違うか。
リア充。ボッチとは正反対の存在。
つまり俺の敵だ。
しかし、本来敵である筈のコイツは割と俺に絡んでくる。今回、自分の隊の内輪揉めに俺を巻き込んだ事からもソレは伺えるだろう。
もはや葉山から敵と認識されてすらねぇわ俺。
「ずいぶん、早いご到着ですね、葉山六席」
「はは、怒んないでくれよ。今度なにか奢るから」
せっかくの皮肉にも葉山はさわやかに返してくる。
ダメ! 八幡リア充オーラに焼かれで浄化されちゃう! 俺は邪な存在なのかよ・・・。
「じゃあ、マッカンで」
「・・・? マッカン?」
「・・・なんでもねえよ」
くそ、マックスコーヒー知らねえとか雑魚かよ。チョコラテ・イングレス知らねえ並に罪深いじゃねぇか。まあ、現世の飲み物なんだけどね、マッカンって。
等と内心毒づいていると、横から葉山の潜めた声が上がった。
「来た!」
その言葉に目を向ける。
一般隊士が一人、裏切り疑惑を掛けられている男のそばに近づいている所だった。
十番隊第十三席は、斬術の才能には恵まれなかったが、鬼道の才は中々らしい。
ああやって隊士に自ら出向かせるよう、時間差で発動する縛道を仕掛けているのだ。
その為、次の被害者を予測する事が出来ず、こうやって容疑者本人を尾行するしかなかった。
十三席は霊圧探査能力と警戒心が強いらしく、霊圧を知られていない俺が尾行をし、犯行場所を突き止めたら葉山に連絡する。それが今回俺達が立てた作戦である。
霊圧を感知される可能性も考慮して、葉山に出来るだけ遠くに待機して貰うという徹底ぶりも、全て現行犯で片をつける為だ。
流石に証拠押さえないで粛清するわけにはいかないからな。あの一般隊士には悪いが、状況証拠を作る為の餌となって貰おう。
「奴が刀を振り上げたら動いてくれ。後は俺がなんとかするから」
葉山が小声で耳打ちして来る。アレ?
「意外だな。お前は状況証拠なんて気にせずアイツ倒して隊員救うと思ってたが」
周りから良い人と評価されている葉山に、もう一度皮肉を言う。すると葉山は困った様に笑い。
「意地悪言わないでくれよ。それじゃあ、君に尾行して貰った意味がないじゃないか。それに、君ならこの程度の距離を詰めるぐらい余裕だろ?」
確かに余裕ではある。俺は隊内でも結構足早い方だしな、それこそ、よく二番隊に配属されなかったなって思うレベル。まあ、敵から逃げるために足腰鍛えただけなんだけどね。
「過大評価すんなよ。褒められ慣れてないんだから照れちゃうだろ」
「はは」
なんてやり取りをしていると、斬魄刀が鞘を走る音が聞こえて来た。遂に男が鞘から斬魄刀を引き抜いたのだ。
ろくに使っていない綺麗な刀身に月光が反射し、美しく輝く。
刀で天を指し示すその姿は、一見すると、大技でも繰り出してきそうである。
が、俺は構わず駆け出した。
どんどん男と平隊士の姿が大きくなってゆく。一瞬、二人の姿が視界からフェードアウトした、と思ったその時には、俺は既に二人のすぐそこまで迫っていて―――。
十三席は俺の存在に気付いた様だが、もうそこから刀を振り下ろす以外の行動はとれないだろう。
カキイイイン!
金属がぶつかり合う心臓に悪い音が夜の瀞霊廷に響き渡る。
斬撃を俺に下から防がれて、男は驚愕と苛立ちの入り混じった様な貌をした。
「ちぃ! 邪魔をするなぁぁッ!」
激昂し、刀に力を入れて来るが、正直この程度かよと思う。まあ、仮にも俺は八席だ。十三席程度の斬撃を防ぐなんてわけない。
俺は、容易に奴の斬魄刀を弾くと、叫んだ。
「葉山ァ!」
次の瞬間、大きく見開かれた奴の瞳に、葉山の、つまり男直属の上官の姿が映る。
「はッ!」
という短い掛け声と共に、葉山は斬魄刀を振り下ろした。
銀色の剣閃が罪人を引き裂き、黒いキャンパスを赤色に染め上げる。
男は葉山の凶刃に屈し、地面に倒れ伏した。
斬られた直後、あれだけ血を噴き出したのに未だとめどなく溢れ出す紅い液体。
誰がどう見ても、一目で致命傷と分かる傷だった。恐らく、このまま放っておいても十分と持たないだろう。
俺と葉山は瀕死の男の側に立つ。
見下される形となった裏切り者は、俺達を見上げて唸った。
「け・・・っ、くそが・・・はや・・・まあああ」
その声に最早勢いはなく、目に光は灯っていなかった。本当に事切れる寸前なのだろう。
「ま・・さか、ヒキ・・タニ・・なんかに・・・剣をとめられる・・・とはよ・・・」
え? 寧ろ、刀止められないと思ってたの? どんだけ自己評価高いの? あ、俺への評価が低いだけか・・・。
「どうでも良いけど、比企谷八席な」
隊違うとは言え上官呼び捨てはいかんよ、護廷隊士として。まあ、呼び捨て以前に名前間違ってるんだけどね。
俺がそう言ったからかどうか知らないが、男は自嘲気味に笑った。
「はっ・・・、インチキ野郎の・・ヒキタニの・・・手なんか・・借りるたぁ・・・」
ここで、一度言葉を切り、葉山を精一杯睨みつけ、
「落ちたな・・・テメエも・・よ・・・」
そこまで言うと、もう男が口を開く事はなかった。
ビューっと風が吹き、静寂が辺りを包む。
葉山は何とも言えない瞳で裏切り者の亡骸を見つめ、宣言した。
「罪人、林剛良の霊圧消失を確認。これにて任務完了とする」
そう言って、葉山は、縛道が解け、困惑している平隊士を保護すると、俺に声をかけて歩き出した。
「帰ろうか、比企谷八席」
「おう・・・」
平隊士に肩を貸した葉山の背中にそう声を掛けて歩き出す。
不意に、先程男に言われた言葉を思い出し、夜空を見上げて呟いた。
「インチキ野郎・・・か」