インフィニット・ストラトス~A new hero, A new legend~ 作:Neverleave
いつの間にか日間21位にランキングされていたでござるの巻き。評価も8点を上回るなど想以上に高くてものすんごい驚いてます。
今年も頑張ろう。数年単位で作品終わらせる気で(オイ
――ポレポレ――
7:27 p.m.
「本官はこれにて失礼いたします。では、くれぐれもお気を付けください」
「本当に、ありがとうございました」
日が沈み、空がどっぷりと黒く染まったころ。ポレポレの前にはパトカーが一台止まり、玄関でみのりと警官が何やら会話をしていた。二人のそばには一夏が立っており、どうやら警視庁からポレポレまで送ってもらったところであるようだ。
一区切りついたところで、警官は敬礼をし、みのりは深々と頭を下げる。忠告を残して、警官はパトカーに乗って去っていった。
あとに残されたみのりと一夏。みのりは一夏と向き合うと、一夏は視線を落とす。そんな彼を見て苦笑するみのりは、彼に語り掛けた。
「中に入ろう。外は、寒いから」
「……はい」
季節はもう冬真っ只中。日も暮れた今の時間、外は冷気が漂い、受験を控えた一夏にとってあまりよろしくない環境だ。中に入るよう促すと、簡潔な返答だけをして一夏は歩いていく。
中に客はおらず、閑散とした空気が店の中を支配していた。近所で未確認生命体事件が発生したのだ、ここにいる人々は早々に退散してしまってもおかしくはない。綺麗にセットし直されたテーブルやカウンターされており、コーヒーと料理の残り香だけが漂っている。
手持ちの荷物をそこらに置いて、テーブル席に座る一夏。何も喋らず、何もせずにただ茫然としている彼の目の前に、コーヒーの入ったカップが差し出された。
「はい、コーヒー。あったまるよ」
「あ……ありがとうございます、みのりさん」
どういたしまして、と笑顔で返答するみのり。一夏はコーヒーカップの取っ手に指をかけ、口元にまで運ぶ。炒りたて独特のふわりとした香りが、優しく鼻を撫でる。少し口に含んでみると、コーヒー特有の苦みと深い味わいが舌に広がり、充足感を与えた。いつもマスターやみのりさんに炒れてもらっているコーヒーの味。それを味わってようやく、一夏は家に帰ってきたんだという実感を抱く。
「よかった。いつもの一夏君の笑顔だ」
みのりがふと、そんなことを呟いた。ふと気が付いてみれば、いつの間にか自分の表情が綻んでいたらしい。彼女の兄と出会ったときのような、少し恥ずかしい気持ちと……自分に気を遣ってくれたみのりへの感謝の気持ちで、一夏の心が満たされていく。
一時の安らぎを得た一夏は、みのりへ喋りかけた。
「すいません、お気を遣わせてしまって」
「ううん、いいの。落ち込んでる一夏君の顔見るの久しぶりだったから、ちょっと驚いたけどね……一年くらい前と同じ、すっごい暗い顔だったよ」
「……そうすか」
「落ち込んでる一夏君じゃなくて、私はやっぱり笑顔で明るい一夏君がいいな。そうなれるまで、私も頑張るから!」
みのりはそういうと、いつものようにサムスアップする。
――やっぱり、この人たちには敵わないな。そんなことを思い、苦笑する一夏だった。
みのりは何が起こったのか、正確には知らない。警官が説明したのは、付近で発生した未確認生命体事件に彼が巻き込まれたこと、事件の重要参考人として彼が今まで事情聴取を受けていたこと、夜間に一人で家に帰るのは危険であると考えた警察が、自宅まで送ることにしたということだけ。
彼が、第4号らしい何かに変身したという事実は、一切彼女の耳に入っていないのである。
家族同然であるみのりに真実を話せないことへの後ろめたさ。そして彼女に心配をかけてしまったこと恥じる気持ちで、再び一夏は俯いてしまう。
下校途中では、元気に振る舞おうとしていたというのに、この情けない体たらく。未確認生命体事件に巻き込まれれば、誰も彼が情けないなどとは思わないだろう。しかしどんな時にでも、誰かの笑顔のために頑張り、そして自分も笑顔であることを忘れないでいようと誓った彼にとって、今の状況は仕方ないという言葉ではなかなか割り切れない。
あれから家に帰るまで。一夏は、終わりのない自問自答を繰り返していた。
彼にとって最良の選択とは何か。他の誰かにとっての最良の選択とはどれか。どちらを選べば後悔がないのか。どちらが不正解なのか。
『逃げてもいい』という桜井の言葉がちらつく。その度、三村という名の警官が50号に刺殺される光景が脳裏をよぎる。
『戦う』ことの、恐怖を思い起こすと、無残に殺された女性の顔が浮かぶ。怒りで滾れば、暴力という手段を取らざるを得ない現状を嘆きたくなる。しかし、亡くなった人々のことを思うと、『力』を持つ己には使命があるのではと思えてならない。
出口のない迷路に入り込んでしまったような感覚。忘れたくても忘れることができず、それはしつこく彼の心にまとわりついてきた。
気づけば、彼に余裕はなくなっていた。こうして帰ってきて、みのりに心配をかけてしまうくらいに……彼は、追い詰められていた。
いや……追い詰められていたという表現は、少し違うかもしれない。
彼は……自分で自分を、『追い詰めていた』のだ。
そうしなければいけない気がするから。そうしなければ、後悔することになりそうだから。
「――みのりさん。少し、お話ししていいですか」
「ん? なあに?」
片づけの作業に入っていたみのりへと、一夏は語り掛ける。
振り向いたみのりを見て、少し迷いながらも、一夏は言葉を紡いだ。
「――雄介さんのことで。少し」
「お兄ちゃんの?」
唐突に自分の兄が話題に出たことに、みのりは首をかしげながらも彼の言葉を待つ。
一方で一夏は、なかなかに次の言葉を切り出すことができずにいた。自分が話そうとしていることは、ひょっとしたら軽々に口にしてはいけないことなのでは。彼女は何も知らないのでは……そんな疑惑と不安が胸中で浮上する。
しかし、ここで留まってしまえば、自分は本当に『中途半端』のままになってしまう。そう考え、思い切って彼は口を開いた。
「――25年前のとき。あの人がしていたことについて……聞きたいんです」
一夏が投げかけた疑問。それを聞いた途端、みのりの動きが止まる。
見開かれた目には困惑と驚愕の色が入り混じっていた。やはり触れてはいけない話題だったのかと、一瞬前の自分の行動を悔いる一夏だったが……やがてみのりは元の穏やかな表情に戻って、口を動かす。
「……出会ったのは、一条さん? 杉田さん? 桜井さん?」
「杉田さんと、桜井さんっていう、刑事の人たちです……一条っていう人は、知りません」
警視庁にいたということ。未確認生命体事件に巻き込まれたこと。
きっとそれで、彼らと出会ったのだろうと、みのりは推測した。そしてそれは、的中していた。
「どこまで聞いた? お兄ちゃんの……第4号のこと」
「……大雑把なことくらいですかね。あの人が戦ってたってこと……あの人がどんな思いで戦ってたか……そんなことくらいしか知りません」
一夏がそう答えると、みのりは「そっか」と相槌を打って、少し間を置いて彼に再び尋ねかける。
「――一夏君が聞きたいのは、お兄ちゃんのどんなこと?」
「え? えぇーっと……」
問いかけられたことに、まごついてしまう一夏。
至極当然な疑問ではあるのだが、返答は慎重に行わなくてはいけなかった。彼女は、一夏が第4号になったことを知らない。不用意なことを言ってしまうわけにはいかず、どう言えばいいものか、少し考え込んでしまった。
しばらく思考してみたものの、もう言ってしまったものは仕方がないという結論に達する一夏。思ったままのことを、彼は口にした。
「……どうして、あの人はそうまでして戦ったのか……それが、わからないんです」
涙を流した。痛みに堪えた。罪を犯した。
そうまでして、最後まで彼が戦い抜いた理由。どうしても、それが一夏にはわからない。
模範的解答ならわかる。人を守るため。大層ご立派な理由だ。だが自分にとっては無意味な行為でしかない。人々の命を守るために、自らが毒杯を煽る必要がどこにあるのか。
先ほど出会った杉田と桜井も、彼が己の身体と心を痛めながら戦うことを是としていなかった。そして自分たちでも未確認生命体に対抗する手段を獲得したのだ。
もうそこで、立ち止まってもいいじゃないか。逃げたって、いいじゃないか。
いつものように冒険をすればいいじゃないか。あとは、他の人に任せてしまってもいいじゃないか。
どうして……彼はそんなことができたのか。一夏にとっては、どうしようもなく度し難いことだった。
そして。だからこそ知りたかった。そこに、きっと自分の答えがあると、思ったから。
そのためにこうしてみのりに訊ねかけてみた一夏だったが……。
「……一夏君は、なんでだと思った?」
「へっ?」
不意に、質問を投げ返され、素っ頓狂な声を上げる一夏。
まさかそんなことを聞かれるとは思っておらず、彼は戸惑いながらも口を動かした。
「人を……守るため」
ありきたりな目的。ありきたりな理由。
これが正解だったなら、彼は絶望するしかない。理解できぬ理由ほど、己を苦しめるものはないのだから。
不正解だというのならば、それはそれでいい。むしろ、納得のできるものがあるのかもしれない。半ば不正解であってほしいという気持ちで、彼はみのりの問いに答える。
しかし。みのりが出した答えはそのどちらでもあって、どちらでもなかった。
「惜しい、けど違うんだ。正解は……みんなの笑顔を守るため、だよ」
一夏は、呆然とした。するしかなかった。
――なんだそれは。
そんな理由だけで。こんなにも苦しいことを、続けたのか。
そんな目的だけで。彼は、痛みを乗り越えることができたのか。
そんなことのために。彼は、罪を犯したというのか。
無論それは、彼自身も望んでいることで、そうであってほしいと常日頃、切に願っていることでもあった。
でも。それを差し置いても彼にとって――いや、だからこそ――それは、納得など到底できない答えだった。
そのために彼は暴力を徹底して避けたのだから。誰かが傷つくことを、誰かを傷つけることを、忌諱してきたのだから。
それは五代にとっても同じだったはず。そこに矛盾があることを、彼が理解していないはずがない。していなければ、彼の心が痛むはずなどなかったはずなのだから。
みのりは一夏の顔を見て難しそうな表情を浮かべた。どうやらまた、自分の気持ちが顔に出てしまっていたらしい。しまったと失念する一夏だったが、そんな彼にみのりは声をかけた。
「……納得できない?」
「そりゃ……そうですよ。俺、あの人がどれだけ人を殴ることが嫌いか……知ってますもん……それに、どう違うんです? 人を守ることと、みんなの笑顔を守ること」
「うーん、質問返してばっかりでなんだか悪いけど……もう一個質問させて。一夏君、人を守るってどういうこと?」
「……それは……命を助ける、とか……ですか?」
またも問い返されて、一夏は返答することができなかった。
言われてみれば、『人を守る』とはどういうことなのだろう?
月並みな言葉であるから、深く意味を考えたことはなかった……だが、一度思考してみると、これほど曖昧で漠然とした言葉もない。
『人を守る』とは? いったい誰の、何を守るのか?
はっきりとした意味がそこには込められておらず、モヤモヤとしていてイメージができない。
守るものは……命? 誇り? 大切なもの?
考えて、一夏がわかったことは一つ……『わからない』ということだけだった。
漠然とした思考のまま、一夏はまたも答えてしまう。
そんな彼の回答を肯定も、否定もすることなく。みのりは、言葉を紡ぐ。
「……一夏君。みんなの笑顔を守るってね。命を助けることよりすごく難しいんだよ。命が助かっても、ものすごく怖い思いをした人は、笑えなくなっちゃうんだ。自分が救われても、もし大切な人がいなくなっちゃったら……その人は、泣いちゃうんだよ」
「…………」
「みんなみんな、25年前は怖かったんだ。自分のすぐ近くに、得体の知れないものがいるんじゃないかって。そう思ったら、怖くて、恐ろしくて、誰も笑えなくなっちゃう……でも、その時は4号もいた。だから、なんとかなってたんだと思う……そうじゃなきゃ、おかしくなっちゃってたかもしれない」
みんなの笑顔を守る。
かつて、兄がしたことをすぐそばで見てきたみのりから語られる言葉には、重みがあった。
それがどれほど難しいことだったか。自身の兄がしようとしていたことで、どれほどの人が救われてきたか。
それを伝える彼女の言葉には。信念があった。兄への信頼があった。
みのりの言葉を聞いた一夏は、重く口を閉ざす。
片時の静寂。天井で回っているファンの回転音だけが空しく響く空間の中で、みのりは彼をじっと見守っていた。
「――やっぱすごいですね。雄介さん」
「自慢の兄ですから」
ようやく一夏の口から出てきたのは、そんな言葉しかなかった。みのりはまるで自分のことのように、誇らしげにしている。
一夏は、未だ自分の中の迷いを晴らすことができないままだった。
理解できる理由を聞くことができた。ただ、言ってしまえばそれだけだ。
尋ねかけた疑問から、返ってきたのは途方もないようなこと。同じような境遇に立ったとして、自分も同じようなことができるとは到底思えなかった。
いや、自分だけじゃない。きっと、他のだれにもできることじゃない。五代だからこそ、彼だったからこそできたことなのだ。
自分には、できそうにない。
結局また、振りだしに戻るという結果しか残らなかったことが、一夏は残念でならなかった。
「納得できない?」
「できるの、あの人くらいですって……俺には……できそうにないっす」
ふと、みのりからかけられた言葉。一夏は自嘲気味に笑って、言葉を返す。
そう。こんなこと、あの人にしかやっぱりできないことなんだ。
ある種の諦観が自分の中で構築され、一夏は考えることを放棄しようとする。
「――じゃあ、納得しなくていいんじゃない?」
「…………え?」
あまりに予想外な言葉をふっかけられたため、一夏は目を点にしてしまう。
そんな顔をする彼が少しおかしかったのか、フフッと笑いながらみのりは言葉をつづけた。
「だって、一夏君は一夏君でしょ。お兄ちゃんはお兄ちゃん。違う人なんだから、同じことで納得できるわけないって。無理にしようとしたら苦しいだけだよ」
「…………」
「お兄ちゃんは、これが正しいって自分で考えて、自分のできることをした。私が言うのもなんだけど、お兄ちゃん、やろうと思ったらなんでもできて、約束したことは絶対守る人だから。でもお兄ちゃんは絶対に正しいってわけじゃない。だって神様じゃない、『人』だから」
それは、『五代雄介の妹』ではなく。『一人の人生の先輩』としての言葉。
自分の倍以上の年月を生きてきた、挫折と苦痛を乗り越えてきた人からのメッセージ。
それは彼の心に衝撃を与えるとともに……どこか、安心感をくれるものだった。
「一夏君も、違う『人』。ならできることも、考えることも違って当たり前。だから……一夏君も自分で納得できる理由を探せばいいんだよ」
無理に納得しなくていい。その言葉が、自分に深く突き刺さったような気がした。
胸の奥にまで入り込んだそれは、荒んだ彼の心に爽やかな風を吹き込む。
これからまた悩まなければならない。答えを、また一から考えなければならない。そのことに変わりはなかったが……ほんの少しの安堵が、確かに彼の中で生まれていた。
さっきまでとは違う、穏やかな気持ちになれた一夏。その時、ポレポレの電話機が着信音を鳴らす。
みのりは受話器を取ると、この店お馴染みの謳い文句を口にする。
「はい、オリエンタルな味と香りの店……あ、千冬ちゃん? うんうん、どうしたの……え? ホント!?」
どうやら電話相手は千冬らしい。いったい何の知らせがあったのかはわからないが、みのりは驚きと喜びの色をその顔に出していた。
「うんうん、そうなんだ! わかった、一夏君と一緒に迎えに行くね! ……いいよいいよ、一人で行かせるなんて怖いし、千冬ちゃんだって一人で帰ってくるのはダメだよ? これくらい任せてくれていいから。じゃあね!!」
半ば無理やりに会話を切り上げて、電話を切るみのり。喜色満面の表情で、彼女は一夏に喜びを隠しきれない声で言った。
「千冬ちゃん、仕事早めに切り上げてこっちに帰ってきてるんだって! もうすぐ駅に着くらしいよ!!」
「えっ、ホントですか!?」
一夏は驚愕した。実姉である千冬が何の仕事をしているのかは知らないが、彼女は仕事に出るとかなりの長期間家を空けるのだ。そんな彼女が、仕事に出て早々にこうして帰ってくるなど、今までなかったのだ。
呆然とする一夏だったが、みのりはそんな彼の心境をよそに口早に話しかけてくる。
「一緒に迎えにいこう! 一夏君!」
「……はい! 行きましょう!」
みのりからの誘いを、快諾する一夏。
先ほどまでの暗い気持ちはどこかへ吹き飛び、意気揚々として彼は席から立ちあがる。
まだ、迷いは残ったまま。だけれどさっきとは違う、少し明るい気持ちが彼の中に芽生え始めていた。
五代は五代。一夏は一夏。
彼に憧れ、そして同じような気持ちを抱いていたとしても……彼と一夏は違う。
だって、違う人間だから。
悩みながら。ゆっくりと、前に向かって進みます。