待たせたなっ。
――驚いたな、スネーク
――いや、ビッグボス。本物か……
俺を知ってるのか?
――不正規戦の世界では、あんたは有名人だからな
(1970年 サンヒエロニモ半島の片隅で)
ヘリを降りると、カズもそれに続く。
ついにスカルフェイスと直接、対面する。
サヘラントロプスの攻撃を受けたスカルフェイスは、倒れた鉄骨に挟まれ。もはや虫の息だった。
普通の人間ならばそれで十分に死ねたのだろうが。彼がコードト―カーより取りあげた虫の力を己の皮膚としたせいで、並の人間にとって”重傷”程度の怪我では苦痛はそのままに生きてしまう。なかなか死ねないのだ。
この瞬間、スカルフェイスの全ての野心と資産は炎の中に崩れ落ちようとしている。
XOFは殲滅、サヘラントロプスも彼の腕を離れ、残るは奴自身の命とコードト―カーから奪った虫のみ。
そのどちらも今はスネークの手の中。さきほどヘリの中で自分に見せつけてきた声帯虫のケースを奪うと、スネークは中身を確認する。
「ひとつ足りない。もう使っていたのか」
英語に反応する声帯虫。アンプルがひとつだけ欠けていた。
スカルフェイスは答えなかったが、返事はいらないとばかりにスネークは残っていたアンプルを火の中へ順に放り込んでいく。それがたまらなかったのだろう、スカルフェイスはうめき声を上げる。
「どこで使った?」
「お前の……近くだ」
素直に教えたことが支払いだ、とでも言うようにスカルフェイスは続けて言う。
「撃て……俺を、撃て。殺して……くれ」
傍らにはあの”悪魔の住処”でみせた切り詰めた銃(ライフル)が転がっている。
スネークはそれを拾い、銃口をスカルフェイスへと向けた。
(撃て、殺せ!お前はこれを夢見てきたんだろう)
誰かの声がした。
ドッペルゲンガーの声?
誰なのかわからず、わからないまま仇の体を吹き飛ばす自分の姿を幻視した。
あの日の自分が、キプロスで目覚めた自分がいる。幻視の中で、スカルフェイスを何度も殺す。
何度も、何度でも殺す。
そこでは現実とは違い。引き金に添えた指は躊躇しない、死を乞うスカルフェイスが出現するたびに、幻視の中のスネークは躊躇をみせずに引き金を引いてスカルフェイスにトドメをさそうとする。
いきなりスカルフェイスの腹に大穴をあける。今度は首と胴を順に切り離すまで撃ち続ける。次のスカルフェイスの両方の目をつぶしながら最後に頭蓋を破壊して。また巻き戻って開放を請う奴の口腔に銃口をねじ込むと、悲鳴を上げさせずに殺す。
幻視の中であの日、あの時の自分はそうやって仇敵を殺し続けられた。
だが、現実ではそれはできないと言っている。自分は、自分の抱いてきた殺意を解放したいはずなのに、”それをするのは今の自分ではなくなる”と伝えてくるものがあって、それが恐ろしく、怖くて指が動かなかった。
信じられないことがおきていた。
ビッグボスは、伝説の傭兵はこの土壇場でビビっていた。
自分の中の恐怖心をはっきりと理解すると余裕が生まれたか、いつの間にか背後にたっていたイシュメールの視線を感じた。姿は見てないのに、なぜかそれが彼だとわかっていた。
彼は立っているだけで何も話しかけようとはせず、ただこちらのこれからの行動を見逃すまいとしているようだった。
この銃を撃つのか?撃たないのか?
それは本当に自分の意思なのか?
なにもしようとしないビックボスに、カズが体を寄せてきた。
その手が、銃を握るスネークの上にかぶさる。鬼の隣に、立ち昇る紫の憎悪の炎が激しく燃え上がる。
最高の軍隊を一夜にして奪われ、9年にわたる泥をすすって生き延びた屈辱の日々。
この男には十分な理由があった。
その影響を受けたせいだろうか、空っぽだったスネークの中の炎がその色を変えていく。ビッグボス(俺)の殺意は霧散していく。
そのかわりにカズの怒りが、殺意が、憎悪が、報復しろと叫んでこの体を支配しようとしてくる。
スネークの腕は狙いを変える。
スカルフェイスの脚を――カズが失ったそれを吹き飛ばし、腕も続けて発射されたライフル弾で引きちぎられた。
さらなる激しい苦痛の波に襲われ、スカルフェイスは白目をむいて痙攣するが、これでもまだ死ねない。
いや、カズもまた。自分の手にかけるつもりはないのだ。この燃え尽きる世界で、同じように朽ち果てることをスカルフェイスに望んでいる。
同じく空になった銃を放り出すと、そこに込める弾をわざとかたわらに転がしてスカルフェイスに見せつけてやる。
「自分で――髑髏になれ」
冷酷な宣告を下すと、カズはスネークを見て言った。「ミッション完了だ、ボス」、それだけ聞くと、スネークもまたスカルフェイスに背を向けた。
イシュメールの視線はいつのまにか消えていた。
背後で呪いのように「殺してくれ」と嘆願する男は、もう過去となる。俺達は――。
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はっとして、目を覚ました。
息が白い、自分が雪のあなぐらの中で眠っていたことを知った。
多分、数時間ぶりに隣においておいたシャベルを手に取ると壁の雪に突き続ける。数回ほど繰り返すと崩れ、出口となった。そこから雪の中へ、文字通り蛇のように這いだしていく。
ソ連、ツェリノヤルスク。
1964年はジャングルを足元のワニに怯えるように歩いた記憶しかなかったが、今のここは真っ白な銀世界となっている。
ライフルを穴の奥から引っ張り出すと、スネークは森の中を見回す。あの猛吹雪が嘘だったのではないかと思えるほど、空は真っ青な快晴。
あの時は空中から放り出されてずいぶんひどい目にあったと思ったが、徒歩で侵入というのも、それほどかわらない印象だ。
今回のスネークは冬山仕様。
白の山高帽、白の野戦服は内側に凍えないように保温機能を備えている。雪の中で蛇が動けなくならないよう、開発班は老兵に気を使ってくれたということらしい。
武器はライフルを一丁、これは別にスコープを付ける事で狙撃銃へと変わる。ハンドガンはバースト仕様となっており、弾が拳銃弾とあって破壊力に乏しいが。サブマシンガンくらいの活躍は期待できる。
目的地はあの懐かしきグロズニィグラード。
まだ若く、戦場での栄光と祖国への献身に焦がれた忌々しい過去の地。
ここへスネークが向かう原因となったのは2週間前。
スカルフェイスを倒した直後、ヒューイのバトルギア完成、コードト―カーによるスカルスーツ計画が提案された頃の話になる。
コードト―カーの証言が進むにつれ、カズがいきなりツェリノヤルスクに行く必要性を口にし始めた。
曰く、噂のモスクワ近郊の研究所にも調べは出すが。1964年のスネークイーター作戦以降、核汚染地域に引き続き指定されたあの場所をもう一度調べなおす必要があるのではないか、というのである。
例の炎の男の正体はまだ不明だし、コードト―カーが調べた虫の元ではないかと考えられたコブラ部隊もあそこにいた。何を馬鹿な、とその場では笑って終わった話だったはずなのだが。
だがこうして来てみると、スネークはこれはカズによる策略ではなかったのかと思えてきた。
なにせスネークのこの目立つ外見(傷だらけの顔のこと)のまま、大都市をよけて移動させられ。この雪を予測していたかのように、冬山に入る直前にはスネークのスケジュールは2週間近くこの任務で塗りつぶされて埋められていた。
どうせ暇をもてあますとまた余計なことをはじめるだろうと考え。あの男は先手を打って、こんなどうでもいい任務をまわしてきたのかもしれない。まぁ、その考えは間違ってはいない。
日中、野ウサギを捕えたので夜は皮をはいでそれを食べた。
こんな事を繰り返しているので、申し訳程度にレーションも持ってきてはあったが、ほとんど減っていない。
ここ一帯は元々、生態系が狂っているといわれていたが。どうやら落ち着いて来ているのだろうか。シカや野犬、狼の姿を確認している。これで熊がいれば完璧だが、下手に追われると面倒なので会いたくはなかった。
一方で、あの時はそこかしこで見られたワニや蛇、野鳥の姿は見ることが出来ない。
20年という時の流れと。
この地を狂わせていた人の手がなくなったが故の影響なのだろう。
だがスネークの心がそれで動かされることはなかった。まったく、なにも、感じることが出来なかったのだ。
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2日おきに設定された交信ポイントで待機していたスネークは、時間が来たことを知って情報端末機のIdroidを取り出した。さっそく連絡が来る。
『こちらマザーベース。ビッグボス、調子はどうです?』
「ああ、なんとかな。しかし気候差が激しい、とは聞いていたが。これほどひどいとは知らなかった」
最初はそこそこ夏の終わりを感じさせる涼しさが心地よかったのに。ここ数日でいきなり雪が積もる氷点下まで下がってしまった。これにはさすがにスネークの年齢だと骨にくるものがあった。
『あー、そうでしょうね。例のレニンスクで数日前にいきなりロケットが打ち上げられたと聞いてましたから。こっちでも心配していたんです』
「レニンスク?ああ、そうか――」
レニンスクにあるロケット発射場。
それはソ連の栄光の宇宙開発史には必ず登場する人類史上はじめての有人ロケットを、ユーリィ・ガガーリンを宇宙へと打ち上げた場所でもある。
そしてそこは今も多くのソ連人を宇宙へと送り出していた。
『今年は先日でしたか。史上2番目の女性パイロット、スベトラーナ・サビツカヤが女性で初めて3時間以上も宇宙飛行をおこなったとあって。また盛り上がってますからね』
「そ、そうなのか」
『ええ、そうなんですよー』
なにやら言い方に妙な熱が入っているのを感じて、スネークの腰が引けてしまう。
こういうタイプは好きな事を話させると、わけのわからない言葉を吐き出し続けるので会話には注意が必要だと学んでいる。
『物資の投下、確認願います』の声で、情報が更新されて補充リストが表示される。数日分の食料と水、そして必要とされるもの。あの時のほとんど裸で潜入した経験があると、欲しい物がすぐに用意されて現地に届けられ今は楽になったものだと苦笑いするしかない。
「――あのな」
『?』
「正直、気候の話がロケットとどう関係あるのか、わからないんだが……」
やってはいけない、それはわかっていたはずだが。スネークは湧き上がる好奇心に負けてやっぱり聞いてしまった。
すると向こうは待ってました、とばかりに嬉しそうな声で説明を始める。
『ああ、これ。地元の都市伝説みたいなものがありましてね。ロケットを飛ばすと大気に大きな穴をブチあけていくんで天気が荒れるっていうのがありまして』
「本当なのか?」
『え?』
「だから、ロケットが打ち上げられると大気がどうとかいうの」
『さぁ?伝説ですよ。でも、実際にそっちは大荒れの天気になっているのでしょう?』
「それだけか?」
『ええ――だいたい、調べようなんて気を起こす奴はいませんから。うっかりおかしな結論を出して、ソ連の宇宙開発局に睨まれたら命がいくつあっても足りません』
そう言って何が面白いのかわからないが、むこうはゲラゲラ笑うと急にマジメな声に戻って「以上、連絡終わり」と告げ、無線は切れてしまった。
降りてきた荷物を回収、そしていらないもの。必要なくなったものをそれに納めると、今度はこちらから空にうち上げる。これを上空にまだ待機している機体が回収してくれることになっている。
まわりはすっかり雪に埋もれてしまっているが、気温は徐々に上がり始めている。進む速度は落ちているが、順調そのもの。
次回の交信を終えれば、いよいよグロズニ―グラードへスネークは到着する予定だ。
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雪の中に沈んだ森の中は、恐ろしく静かだった。
任務で孤独でいることには訓練を受けていたから、いまさらそれを心細く思うはずはなかったが。この地に戻っても何も感じない、そのことに逆にスネークの心はショックを受けていたのかもしれない。
足を止め、遠い山々に目を向け。わずかの間、脳裏にマザーベースの自室に積み上げたテープを――スネークイーター作戦中の司令部との会話を思い返していたその瞬間だった。
――今日はずいぶんとご機嫌のようだ、ビッグボス
ぶしつけな挨拶。
亡霊、いや新しいドッペルゲンガーの出現。
肺の中の真っ白な息を吐きだし。再び息を吸って歩き出す。
だが、実は心臓が飛び上がるほどに驚いていた。以前からこうなるかもしれないと恐れていたことだったが、やはり現実のものとなってしまった。
――ふむ。驚かないか、そうだろうな。なにせすでに”挨拶”はすませた。そうだろう、ボス?
聞かれたことが不快で、ムカついて「なんのことだ!」といつもと違い、スネークは声を出して”亡霊”に返事をしてしまった。
そしてこの相手は、そうした不快感を露骨にする相手を見て喜ぶよううな輩であった。
――そんなに感情的にならないでくれ。君が私を、見事に潰したあの日。誇らしげに皆で”私のサヘラントロプス”を見上げていたではないか。
「違う、降りてきたところを――」
――皆で満足して見上げていた、だろう?報復心を満足させ、力で相手を蹂躙した君達の顔。素晴らしかった。それが私の全てを奪ったとわかっていても。あの時は私も、感動して自分もそこに混ぜてもらえないかと……。
「亡霊が、黙っていろ。お前は死者だ」
――これからの世界に、サヘラントロプスは未来に報復心を打ち放つ!それは貴様が最初に実現した。私が、この姿が、これがその証だ。ビッグボス、まずは貴様の心に”私が寄生”した。これからも仲良くやろうじゃないか。
横切っていく木にもたれかかった雪山には場違いなスーツ姿の男は、最後に失った筈の右手をヒラヒラとこちらに振っていたようだが。スネークは最後までそいつの顔を見ることなく、前を素通りすると雪道を進んでいく……。
スネークが立ち去れば亡霊もそこから消えていた。
この作品を書くにあたり。「どうしてもやらねば!」と思っていたシーンがありまして、今回はそのひとつ。
「かつてのツェリノヤルスクを、空しい思いに困惑しながら歩くスネーク」までようやくこれました。よくやった、俺。がんばった、俺。
でもこのリストはまだ残っているのが多いのですよ。
おかしいな、物語はもう終盤に入るころだというのにー。
ではまた明日。