真実とは神罰、毒の味がする   作:八堀 ユキ

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グラウンド・ゼロズ (1)

 雨が、その勢いを強めていた。

 岩肌に水滴を叩きつけ、はねた水滴がスニーキングスーツにあたってまた跳ね返る。

 

(崩れて、ここから落ちるわけには…いかない)

 

 慎重に崖の壁面に這わせた指が濡れた土くれの表面を探っていく。

 ここはキューバのはじにある公称、難民キャンプ。時間はもう夜もいい時分だ。

 天気は最悪の雨、それも風と共に時期外れの嵐のように次第に激しくなっていこうとしていた。だから間違っても、ただでさえ危険な夜のロッククライミングに相応しい状況なんてことは決してない。

 それでも蛇はゆっくりと、そして結局は一度もバランスを崩すことなく切り立つ崖を登りきって見せた。

 

「収容キャンプ前に到着」

 

 その瞬間、それまで静かにゆっくりと動くことを止めなかった身体が、ピタリとその動きを止めた。

 

『予定通りだな、スネーク』

 

 無線の向こうから驚きを隠せないという声が返ってくる。

 膝を立て、顔を上げていく。サーマル越しだが、彼の前に世界が見えてきた。

 この円熟、卓越した技術と経験を備えた男は30代後半にあって、その動きに迫っているはずの老いの影は微塵もなく。むしろ未だに成長をしているのではないかというほどに、若々しい動きが出来ていた。

 

『ブランクがあるとは思えん』

「……待たせたな」

 

 自然と蛇の口元に笑みが浮かぶ。

 また帰ってきたのだ、あの場所へ。戦場へ。

 そこは蛇がもっとも生きていると実感できる場所。心が不思議に安らぐ奇妙で唯一の世界。

 

 

 話は少しばかり、時間をまき戻さなければならない。

「10日前パスの生存が確認された」と葉巻を楽しんでいたところにあらわれるなり。いきなり口火を切って告げてきた副官のカズの言葉に、蛇は正直なところ驚きを隠せなかった。

 

 パス・オルテガ・アンドラーデ、ピースウォーカー事件の始まりと終わりの少女。

 平和を願う学生だった彼女の本性は、CIAやKGB。そしてMSFを手玉に取ろうとした情報工作員であり、その最重要とされた任務は、サイファーと呼ばれる米国特殊機関の意志をこのMSFのビッグボス。蛇に届けるメッセンジャーでもあった。

 

 祖国に戻れ、誰かの意志をかわりに口にするパスに蛇は悩むことなく即答で拒否した。

 

 決裂からの対決は凄まじいものだった。

 海面上に設置された水上プラント、MSFの基地の敷地内で巨大な2足歩行兵器を相手に伝説の男は1人で戦ってみせたのだ。

 その恐ろしく現実感のない戦いの一部始終は彼の部下達、全てが見ていた。そう、伝説は真実だと理解し、さらに新しい伝説が生まれてそこに加わる瞬間を、彼等は直接目にすることができた。

 

 人は奇跡を実際に見るだけで言葉がいらなくなる。そういうことがあるが。これこそがまさにそれだった。

 

 小人であるはずの伝説の英雄が勝ち、巨人の中から少女はこぼれおちて海の中へと消えていく。

 行方不明となった彼女に、蛇はわずかにだがまだ生きているかもしれないと、そうなかば願うように思ってはいたのだが……。

 

 そのパスが味方のはずの米国にとらえられ。共産国であるキューバにある収容所で今更のように2重スパイの嫌疑をかけられて尋問を受けているのだというのだ。それを聞くと蛇はさすがに顔を曇らせる。

 

「パスは、あの娘はサイファーを、ゼロを知っている」

「そうだ」

 

 過去に決裂した蛇の古い友人、ゼロ少佐。

 米国を捨てた蛇と違い、ゼロはそこに留まって今では国を裏から支配する存在の中心人物となっているはずだ。当然だがそんな彼にも敵は多い。

 パスは彼のメッセンジャーとなったことで、彼の情報を持っていると味方側の中にいる野心家から目をつけられたに違いなかった。

 

 とはいえ、パスはMSFにとっても最後は敵となった女でもある。

 捕えられたと聞いて、おおっぴらにそれを救出することにした、などと部下にいうことは出来なかった。それがまた、面倒を作ることになったわけだが……。

 

 

 頭上を越えて飛び去っていくヘリ群を見守る蛇にカズが言う。

 

『ターゲット達は基地の北東に位置する旧施設だ。基地内に入り、まずは北東にむかってくれ』

「……」

 

 あのヘリが気になった。

 ここに蛇が来ることはわかっていたはず。そもそも、こちらもここが罠だと半ばわかっていたからこそ自分がここに来ているのだ。警備の人員を増やして当然なのに、あのヘリはこの時間に、ここからどこへ行くつもりだ?

 

『これは潜入任務だ。敵に見つかるな』

「……」

『ボス?』

「――カズ、わかっている。しばらく通信を切るぞ」

 

 激しい雨の中、夜の警備が煌々と明かりでそこかしこを照らしてはいる。

 それを見る限り、一応の警戒はしているようだが……侵入者を待ち構えているとは思えない。そんな違和感をぬぐえなかった。

 

 北東の方角を見るが、ここからは何も見えない。それよりも鼻がひくついて、別の方角を見ろと伝えてきていた。そこは基地の中心、巨大な壁で仕切られた建物のある方角。間違いない、この場所の本部とよぶべき城のような場所だ。

 このような感覚をこの蛇は、これまでの戦場では感じたことはなかった。そしてこんな漠然とした空気に心を動かし、事前の情報を無視して行動するなんていうのはFOX時代からの経験でも無謀としかいえない考えのはずであったのに。

 

(なにがあるか、探ってみるか)

 

 根拠はないのに、確信だけがあってそれになぜか蛇は従おうとしている。

 岩場の影にいた彼の姿はすぐに消え、気がつくと基地の外に繋がるフェンスにつくられた入口の扉が風にあおられてキィキィと開閉を続けていた。

 15分後、この収容キャンプ基地は原因不明の停電に襲われ。辺りはこの夜はじめて本当の闇に包まれる。

 

 

 暗闇の中で懐中電灯が動く。

 

「CP、こちらズールー。電源をこれから確認する」

『了解』

 

 無線から体を動かそうとすると、まるでその瞬間を狙ったかのように後ろからぬらりと力強い男の手が兵士の首元を絞め、気がつけば自分が何者かに後ろから拘束されていることに気がついた。

 

「動くな、吐け」

「え?えっ」

「吐け」

 

 柔道の技なのだろうか、動かない腕の付け根に訳の分らぬ激痛を感じて小さく悲鳴を上げ。首はわずかに緩められていたが、息苦しさから魚のようにパクパクと口を動かして必死に呼吸をしようとする。

 

 「吐け」と、繰り返されて警備兵はすぐに”あらかじめ用意されていた”情報を口にした。北東だ、北東の旧施設に捕虜がいるのだ、と。

 ところが聞いてきた奴はその答えが気にいらなかったらしい。闇の中に刃の冷たい光が輝くのが見え、それが喉元につきつけられた。

 

「吐け」

「し、知らない。俺は……」

「吐け、どこにいる?」

 

 警備兵はこの問いで悟った。誰かがすでに白状していたのだ、と。

 侵入者は、予定では旧施設に行くはずだった。それがまるで違う場所であるここにいて、今更ながらに捕虜の場所を知りたがっているのは、本当の情報を耳にしたからに違いない。そう悟ってしまった。

 そうなれば、自分の答えも用意されたものと知って不満に思う相手が不機嫌になるのもわかる。刃がゆっくりと皮膚の表面から押し込まれていく気がして、警備兵は慌てて今度こそ正しい情報を漏らしてしまった。

 

 ここの地下施設、やつらの特別房にいる。

 

 刃物が引っ込まれるとすぐに締め上げられていた腕に力がさらに加わり、警備兵の意識は闇の中へと落ちていった。

 

 

 蛇は警備兵から聞きだした情報をもとに人気の少ない建造物の地下の施設へ侵入した。あのまったく不明瞭だった確信は、今はしっかりとしたものとなって自分に間違いはなかったと考えている。

 どうやら久しぶりの潜入任務に勘もひときわ冴えていたらしい。

 

「カズ、見えるか?」

『あれは、パス?』

「……」

『近づけるか?』

 

 あの警備兵の言葉は正しかった。

 ボイラー室の奥まった場所、そこにフェンスで仕切られた特別な部屋がつくられていた。

 警備兵はそこを特別な場所、といったか?つまり拷問を兼ねた尋問を行っていたらしい、床に血でなにかが引きずられた跡がみられる。

 そしてそこに柔らかなオレンジの光に照らされ、パスと呼ばれたあの少女がいた。最後に見た時よりもさらに細く、弱々しい姿が痛ましい。あれほど輝いていた肩まであった金色の髪も、今は短く切られて少年のようだ。

 蛇は拘束をとき、彼女を優しく地面に横たえるが彼女の意識は戻らない。救出に来たこちらに気がついてないようだ。奴等に何かされたのだろうか?

 

『パスを回収してくれ、スネーク。ヘリを用意――』

「いや、カズ。合流地点を決めよう」

『それは構わないが――いいのか?』

「ここにはパスしかいない。どうやらもう一人は旧施設とやらにいるようだ」

『チコのことか』

「そうだ。パスを連れだす以上、向こうに動きがさとられるかもしれない。ヘリを何度も近づけるなんてのは――」

『ヘリは予備を用意していたのだが……わかった。どうする?』

「今からパスを北東の海岸側に一旦隠す。そこを合流地点に、ランデブーポイントにしよう。合図をしたらすぐに寄こしてくれ」

『わかった。チコを救出後、一気に脱出するわけだな』

 

 通信を終えると蛇はパスを担ぎあげる。

 これからしばらくは雨の中をいくことになる。だが、意識が混濁しているのかパスはうなされるようで何かをずっと彼の耳にささやき続けていた……。

 

 海岸線までの移動は思った以上に難しいものがあった。

 ひとつは、途中でついに何者かの手によって電源が入れられたことにある。

 ありがたいことにあの尋問して部屋の隅に転がした警備兵ではなかったようで、周囲の兵士達が騒ぐ気配はなかった。それでもパスや気絶した警備兵の存在に気がつくまでの話だ、残り時間はなくなりだしている。

 

 そしてもう一つ、なにも視線を遮るような物のないヘリポートを横切らねばならなかったというのもある。電源が普及しても、やる気なく見回る警備兵達の視線を巧みにかわしてそれを成し遂げたのは自画自賛したいところであったが。その先の橋げたに立っていた勘の良い見張りは仕方なくサイレンサー付きのハンドガンで撃たねばならなかった。

 

 橋の上に動かなくなった兵士を横目に、蛇はそこから下の道路に飛び降りる。強引だったが、そこからはすぐに海岸線に降りていくとあってここはどうしても急ぎたかったのだ。

 だが背中のパスにはそれがきつかったのだろう。うっ、うっとその後も何度も息を止めて痛みを堪えようとしているようで、蛇は少し心が痛んだ。




(設定)
・2足歩行戦車
 メタルギアと名付けられた兵器。
 1960年代のソ連の科学者がその基礎となるものを生み出した。詳しく知りたい人はMGS3をプレイしよう。

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