真実とは神罰、毒の味がする   作:八堀 ユキ

135 / 136
山猫は眠れない

 不快な脳への刺激が終わると、視界が一転し。ワイヤーフレームで作られた世界の中に自分は存在していた。

 電脳世界、仮想現実の世界に今、自分は立っている。

 

『ミッションモード:ニンジャ テイルズ ルート2』

 

 ミットのような巨大な確認ボタンが現れるので、それをこの世界の自分の拳でたたく。

 それでゲームスタート。実にくだらない。

 

『完全なステルスでステージをクリアせよ。武器はない』

 

 ワイヤーフレームで描かれた世界に、新たに線で作られた人間達が現れ。ステージ内を忙しく動き回り始めた。

 

 VR訓練、と呼ぶ未来の兵士トレーニングシステムがある。

 それはまだ実用化されてはいないが、試してみるとなかなかに悪くないことがわかった。

 これは米軍の次世代兵士への訓練装置となる予定だが、そこで使われる知識はFOXHOUND――いや、正確には戻ってきたビッグボスが部下に教えていた技術を学ぶための学習プログラムが、すでにこうして作られている。

 

 デジタルは可能性に満ちている。

 すでにしてこの段階で、もうこの国にビッグボスは必要ないのだ。彼の教えようとした技術は、彼が携わった任務とあわせて数値化されることで解体され。これからは普遍的なものとして、”誰にでも”学べる技術となっていく。

 

 そうだ、あの男の技術はすでに手に入っている。

 もうビッグボスは、必要ない。

 

『警告』

 

 ステージ内を見回る魂のない相手の視界の外から襲い掛かり。ミドルキックで動きを止めると、そのまま突き飛ばして底が見えないフレームの谷底へと突き落とす。

 同時に機械は、プレイヤーの行動に声を上げる。

 

 だが、それがなんだ。

 

『警告』『警告』『警告』

 

 集まっている3人の頭上へと落下し。

 瞬く間に3人を気絶させるが、自分はそれだけでは足りずにお構いなく電子の世界の兵士たちに暴行を続け、死に至らしめていく。

 

 これが彼のスタイルだ。

 自身の前に存在する障害は、力でねじ伏せ。容赦なく叩き潰していく。その言葉通り、彼には敵だというだけで、そいつの命の価値などゼロであると本気で考えていた。

 学ぶべき技術すら放棄して自分の中の暴力性が満たされることだけを追求する。

 

 血が、肉が。

 沸き立つ滾りを押さえられない。

 理由はわかっている。

 

(ビッグボスが、死んだ)

 

 そう、彼の提唱するアウターへブンで。

 そこが焼け落ちるのと同じように、そこでくたばり、朽ち果てた。

 

『プレイヤーはシステムの警告を理解せよ』

 

 やりすぎている、それはわかっている。

 この訓練では、ステルス技術を高め。いかに敵に悟られず。見つからずにゴールすることが求められている。

 

 だが、それがなんだというのだ?

 

 背後から足の裏側の関節に鋭く蹴りを突きこむ。

 現実の人間が相手であれば、この一撃だけで片膝は砕け、まず相手は困惑と激痛のいりまじった悲鳴を上げる。

 もちろんダラダラと泣き声をあげさせる、なんてそんなことはさせない。そのために――続けて後頭部を片手でつかみつつ、壁に思いっきりたたきつけた。

 

(終了だ)

 

 下顎は粉砕。

 口の中の上下の歯が全滅しているはずだが。この世界ではワイヤーが砕けて、障害がひとつ消える。

 残念ながら壁に残るはずの頭蓋から漏れた液体も、崩れ落ちた死体もそこにはない。それがなにか、物足りなくさせているのか?

 

『異常の発生を検知されました』

 

 アラームがなり。ステージ内にフレームで作られた人型が次々と解放されてくる。

 

(こいつを待っていた!)

 

 彼は――ソリダス・スネークは笑った。

 大きな声で笑い続けながら、電脳世界の人型を襲い続け。破壊し続けた。

 だが、所詮は疑似体験。苦痛に引きつる肉、裂けた皮膚から流れる血。傷口からむき出しにされる骨、許しを請う声、悲鳴、断末魔。

 そうした刺激が存在しない以上、すぐに飽きが来るのはわかっている。

 

 だがそれまでは、この満足を味わいつくしたい。

 

 本来ならばここは建物内の廊下で。そこには血まみれの肉の塊となった死体が転がる。さぞや小気味のよい光景であっただろうに。どれだけ倒しても、ワイヤーとブルーの小奇麗な壁があるだけ。

 

 もう退屈してきてしまった。

 落ち着くと、あっさりとこちらを探し回る人型の間を抜けてゴールする。

 

 悪くない。ああ、悪くない”おもちゃ”だ。

 

 CIA時代の輝かしい戦績は、彼の輝ける時代の彼だけのものであった。

 だが、それはもう遠い過去となった。

 

 敵の血で汚れた迷彩服を脱ぎ捨て、高級スーツを。

 火薬とオイルのかわりには香水と腕時計を。

 振るうたびにすべてをなぎ払ったその手は、もはや天に持ち上げ。間抜けな民衆に向かって手をふるだけのものに。

 だが、浮かべる笑みだけは昔と変わらない。

 

 知りもしない、愛着も感じない州議会で働き。たいしたこともしていないのに、手元にはいつのまにか実績が並べられ。阻むものなく合衆国上院議員へと進んでいる。

 

 ただただ、今は自由がほしい。

 

 デジタルの中で自分を慰めている今の状況に、耐えられそうにないのに。

 自分の意思では、何もできない。

 経歴を傷つけてしまう、そう”誰か”が判断すれば。自分の周りからは可能性が一掃されてしまう。

 

 己の暴力性を解き放った、あの輝ける時代の日々が。

 この窮屈で、退屈で、苦痛の日々に笑顔で手を振る以外に許されないことにただでさえ怪しい、自分の正気が削られていくのを感じる。

 

 ビッグボスは――自分の父親はそれをこの世界に感じていたのだろうか?

 

 

==========

 

 

「親父が死んだ?――そうか」

 

 訓練場でのどを潤し。引き締まった体から流れる汗をそのままに、聞かされたことの意味を噛み締める。

 あの男が死んだ?信じられない。

 

 情報を伝えた女性職員は、汗を流す裸の上半身とカーゴパンツ姿で立つ男を頬を染めながら手に持ったタオルを差し出すが。相手は乱暴にその手からタオルを取り上げ、さっさと歩き出す。

 女は残念そうな顔をするが、男はそれすら見ることはない。

 

 男は――リキッドにとって、伝えられた情報の吟味が必要だった。

 

 放浪の時代、彼は英国の情報部に裏切られ。”中東でオセロットに回収される”まで、人生がひどいものだったことを知っている。

 人の姿をした化け物として産み落とされ、その原初たる遺伝子に敗北が刻まれたことが、その原因だとそれまではずっと考えていた。

 

 だがオセロットと出会って、それが違うことをようやく知った。

 

 彼はリキッドの足りない情報を”補って”くれた。

 あの武装組織でビッグボスと会い、そしてそれに逆らったこと。ついには戦争を仕掛け、敗れ去ったこと。再起を図り、英国に寄生しようとしたこと。

 

 予定は狂ってしまったが、それらは全て必要な通過儀礼のようなものだとあいつは言っていた。

 たった”2人”、この世に生を受けた兄弟の片割れだけが、”ビッグボスに選ばれた”かのように対面し、戦ったという真実。

 これは伝説とは違うのだという。

 

『このことに、あなたは運命めいたものを感じませんでしたか?私はあの時、言葉もなかった――』

 

 それを話すたびに、目頭を熱くする老いたオセロットの言葉に苦笑いしか浮かばない。

 

 

 このリキッド・スネークには過去はない。

 従って感傷めいたものなど、まったく存在しない。

 回収の際、同時に出撃したシールズの大佐とやらが放った銃弾が、この頭部に着弾。脳の記憶野に異常が生じた結果らしい。

 

 その代償は、今こうして必死に払っている。

 弱った体を必死に鍛え上げている。以前よりも強くなるために、そうなるように親父の――ビッグボスの技術を、新たにゼロから学んでいる。

 

(回り道をした。遠回りをした。時間が――無駄になった)

 

 焦るものはある。それがなぜ?とは思うが、その焦燥感はずっと自分をとらえて離そうとしない。

 だから鍛える。もっと強くなるために。あの最強の男――ビッグボスを倒すために、さらに強くならねばならない。

 

 だが、その男は死んでしまった――。

 違うのか?まさか、倒された?

 

 リキッドはふと、気になる疑問が浮かび上がり。足を止めて振り返った。

 そして反対側へと仕方なく去ろうとしていた女に声をかけた。

 

「おい、女!」

「はいっ!?」

「大切なことをひとつ、聞き忘れた」

「えっ、なっ、何でしょう?」

「オヤ――伝説のビッグボスは、誰が倒したんだ?」

「ああ……そんなことですか」

 

 女はなにげなく、新たに誕生した若き英雄の名前を口にした。

 リキッドの顔に浮かんでいた余裕が消え去る。両目を大きく開き、逞しい筋肉におおわれた体が、わずかに震えた――。

 

 

==========

 

 

 夜中の午前3時を過ぎても、あの男は兵舎には戻ってこなかった。

 オセロットは入り口に立ってじっと待っていた。

 

 情報は入っていて、奴は別に逃亡を図ったわけではないことがわかっている。これまでには見せたことのない反応だから、こうやって気にはしているが。暴発ではなさそうなので、オセロット自身も冷静にここに戻ってくるのを待つことができる。

 待ち人は――リキッドは結局5時を過ぎて、朝日が地平線からのぞく直前になってようやく姿を現した。

 

(こいつ、酔っているのか?)

 

 着る物にあまり頓着しない性格であったはずだが、その大柄な体もあってまるでモデルのような爽やかなジーパンに半そで姿で、そしてなにか変だった。

 それがわかったので、オセロットも気位の高いこの男をいきなり怒鳴りつけるようなまねはしなかった。

 

「訓練生活にもようやく飽きて、デートで息抜きですか?」

「……オセロットか」

「あまりにも自分をいじめるような鍛え方をしていたから、息抜きを進めたこともありましたが。それならちゃんと、手続きというものをしていただかないと。無断外泊なんて、つらい訓練に嫌気をさした新兵のやりそうな腑抜けた行動ですよ」

「朝はまだだ――まだ地平線には顔を出していない」

「ええ、でも」

 

 東の空は真っ赤に焼けている。

 あと数分で、全ては変わる。新しい一日が始まるのだ。

 

「わるかったな。追加のペナルティは、設定しておいてくれ」

「ええ、もちろん――それだけですか?」

「なにがだ?」

「――女の家に行きましたね?別にいいのですが。なにか、気になる事でもありましたか?」

 

 リキッドの経歴は自分とあわせてこの基地に働く者たちが知ることはない。

 だからこそ若く、そして一途に己を鍛える男に興味を持つ職員達は多くいたが。これまでのリキッドはその全てに興味を示すことはなかった。接触はなかったのに。

 

 だが、昨日は違った。

 なにかがあったのだ。これを見逃すのは、危険だ。

 だから確かめなくてはならなかった。

 

「ビッグボス――親父を倒した奴の名前を知ってるか?」

「いえ。ビッグボスが率いていたFOXHOUNDの新人とだけ」

「俺は聞いた。ソリッド・スネーク、というそうだ」

「っ!?」

 

 これはさすがに驚いた。

 オセロットはまだ知らなかった。

 イーライ――リキッドの様子からは目を放せなかったし、聞くところによるとFBIに貸し出しているサイコ・マンティスが最近不安定になっていると聞いていて、その対処から動きが取れなかった。

 

 それが、まさか――。

 

「ソリッド・スネーク。なるほど、いい名前だ。そしてわかる、これは――俺の、兄弟だ。違うかオセロット?」

「……どうでしょう」

「いや、間違うわけがない!!」

 

 突如こぶしを握ると、脇にあった木の幹にそれを叩きつけた。

 木はわずかに振動して葉を散らしたが、こぶしの周りの幹の表面は強い力に耐え切れずに”割れ”ていた。

 悪い兆候だった。感情が暴れはじめ、理性的な思考が吹き飛びかけている。

 

 今の反応ひとつだけでも。

 それが、ありありと見て取れた。

 

「いきなり、どうしました?」

「あのファイル。あれは偽の情報だった!」

「なんですって?なんのことですか、リキッド」

「ファイルだよ!親父の、あの計画のファイルだ!そこには書かれていた。ああ、間違うはずはない。兄弟は遺伝子の優性性と劣勢とに極分化させて発現させる、と」

「ええ。それが?」

「だが、嘘だった!ファイルでは――そこには俺は、優性を発現させたとあったが、逆だった」

 

 なんだかおかしな話になってきた、オセロットも困惑している。

 

「なぜそう言いきれるんです?」

「なぜ?オセロット、本気で言っているのか?俺はビッグボスに、親父と対決して敗れた」

「落ち着いてください、リキッド」

「この訓練も何もかも、再び同じ戦場に立った時のためにしていたことだ。なのにっ」

「リキッド、いけません。駄目です」

 

 このリキッドは、困ったことにソリダスほどではないが感情の高ぶりで元の悪い部分が刺激されると表にはっきりと出すことがある。それでも、これほど激しい感情をあらわにしたことは今まではなかったはずだが。

 上手いこと丸め込むように、ビッグボスへの憎悪を制御してきたというのに。思わぬ誤算であった。

 

「兄弟が、俺の兄弟が。俺よりも優れているあいつが、先に親父をっ」

「ソリッド・スネークを殺しますか、リキッド?」

 

 試しにわざと煽るようなことを耳打ちすると、爛々と怒りに輝く両目がオセロットの顔を見つめてきた。

 

(やはり。人の全てを制御することはできない、か・・・)

 

 このままこの話を強引に切り上げれば、不満からこの男は勝手にオセロットの手の中から飛び出していってしまうだろう。

 

「いつ殺れる、オセロット!?」

「まだです。今のあなたでは無理だ」

「なんだと!?」

「私は時代が変わることを知っている。

 冷戦で祖国が敗れるのも、崩壊するのもそうやって見てきました。

 

 リキッド、ビッグボスはあなたの兄弟の手で倒された。

 これで時代が変わった。その――ソリッド・スネークは、この新たな時代の英雄となった。これは、決まってしまったことで、変えられない事実なのです」

「だが俺は――」

「ですが!」

 

 わざと力をこめて、リキッドの崩れ落ちそうにも見えた相手の肩をわざと強く掴んだ。オセロットの爪が相手の皮膚を裂き、血がうっすらと見えてくるが、そんなことを構うことなく言葉を続ける。

 

「あなたの兄弟を倒す機会は作れます。戦場です。今すぐではないが。この先で必ずそこにソリッド・スネークを立たせましょう」

「戦場で、倒す……俺達の計画に、兄弟を?」

「そうです。ビッグボスもそうでした。彼はビッグボスという名を、自分の師と呼ぶ相手から奪った。あなたもそれにならうのです」

「戦場で奪う。兄弟の命を、俺の手で」

「ビッグボスの息子は2人いても、これだけは変わらない」

 

 オセロットはいきなり今度はリキッドの後頭部の髪をわしづかみすると、しっかりと顔を固定させ。自分の顔をその正面に近づける。

 

「本物の蛇は、一匹いればいい」

「……ビッグボスも、一人」

「それまでは耐えてください。こらえて下さい」

「――わかった」

 

 リキッドはそう口にすると、陽炎のように立ち上がり。「寝る」とそれだけを言い残し、兵舎へと入っていく。

 オセロットはその後姿を苦々しげな顔で見送った。

 

 リキッドとソリダスの性格の決定的な違いとして。リキッドはしばしば自分の攻撃の正当性証明するために、冷静に激高して”攻撃しない”という選択肢を排除してかかる。

 ビッグボスへのぬぐえぬ憎悪は、さらに歪めることでかろうじて制御を可能としていたが。同じビッグボスの息子があらわれて、その対象にこれまでの反応がそのままうつってしまうとは誤算だった。

 

 いや、そうではないだろう。

 ここが限界だったのだ。

 

 ビッグボスの息子は、ビッグボスではない。

 もうそこに疑いを持つことができない。ゼロが彼の代わりにと口にして始めた『恐るべき子供たち』計画は、あの男のいうとおりに失敗だったのだ。

 

 リキッドは、イーライの時と同じく。再び同じ間違いをおかそうとしている。

 リキッドではビッグボスにはなれない。

 

 オセロットはその場を去ろうとする。

 見切れてしまった以上、計画はそのつど変更せねばならなかった。

 もちろん――それはリキッドとのことではないし。そこに彼は、必要ない。

 

 

==========

 

 

 ビッグボスが、ファントムが死んだ。

 

 オセロットはそれを心の中で繰り返す。

 別に、なにも、感情はわきあがらなかった。

 

 別れた道を歩き始めたとき、この先でいつかどこかの戦場で対面することもあるだろうと覚悟はしていた。

 その時は、今度こそどちらかが生き、どちらかが死ぬかもしれないと思ったこともあった。だが結局はそんな機会はなく、彼は彼の戦場で倒れてしまった。

 

 それだけだ。

 そう、それだけ――。

 

 モニターの中では、上院議員が。ソリダスがルールをまるで無視して、出鱈目に全てを破壊しようとバトルフィールドの中を暴れまわっている。

 なにかが破壊されるたびに、機械は悲鳴を上げるように警告音をピーピー立てるが、彼の行動はまったく変わる気配がなかった。

 

(そのつもりはないんだ)

 

 ソリダス・スネークのコードネームは伊達ではないのだ。

 求められれば、あのファントムやボスほどではないにしても。それなりの動きは出来るし、出来て当然ではあるのだが。最近の彼は以前にもまして力に取りつかれている。

 

 なぜ、そうなったのか?

 原因もわかっている。

 

 彼は――ソリダスは、怯えている。

 本人はそれを完全に隠していると思っているようだが、わかっている。

 ソリダスは、体が動かなくなっている。信じられないが、体がはっきりと老いの兆候を示してきている。

 

 髪の一部は明らかに染めた跡があるし。

 そして匂いだ、生物的な人の匂いが変わった。

 彼についているコーディネーターも、最近ではなんとか本人にもその自覚を持たせたいようで。イメージチェンジを口にしているが、まだその試みは成功していない。容貌が、皮膚が老いてきたことで若作りしているという印象を誰もが感じ始めているようだ。

 

 本人はまだ口にしないが、それがストレスとなって暴力性を露にしてきている。

 たぶん、近く正式に医師の検査も必要になるかもしれない。

 

(誰もが、迫る死を恐れ。その前に想いを果たそうとする)

 

 オセロットは苦い思いを噛み締める。

 

 ゼロの提示した卑劣な罠を、オセロットはそう言って目覚めたばかりのビッグボスに了承させた。

 最初は拒否の姿勢を見せていた彼だったが、なにか思うことがあったようで。納得してからは全てが思うとおりに進んだ。

 

 もう確かめることは出来ないが、もしかしたらビッグボスは――ジャックはオセロットとその後ろにいるゼロの思惑全てを飲み込んで、あの提案を受け入れたのではないだろうか?

 

 パニッシュド・ヴェノム・スネーク。

 

 彼の働きを見ると、どうしてもそう思えて仕方がない。

 オセロットをはじめ。ダイアモンド・ドッグズでは誰もが彼を助けようとしたが。結局のところ彼の最後は本物と同じように孤独な道を歩き。

 ビッグボスのままアウターへブンを誕生させようとした。ファントムが、オリジナルの前を歩いてみせたのだ。

 

 その姿にオセロットは、自らの中に漂う嫉妬心のようなものに苦しまずにはいられなかった。

 ヴェノムがビッグボスとなって成そうとしたことに比べると、オセロットの今はあのときよりもさらに後退しているといっていい。

 戦場はますます遠くなり、過ぎていく時間は自分から若さを奪っている。

 

 だが仕方がないのだ。

 彼は未来を見ている。

 次の戦場ではない、その次の戦場でもない、その次の、次の、さらにまた――。

 

 

==========

 

 

 モニターが訓練の終了を告げる。

 表示されるリザルトは、酷いものだ。兵士がこんな結果を出したら、上官にその日のうちに兵舎から蹴りだされたとしても文句は言えないだろう。

 

「オセロットか。来ていたか」

「ええ」

「テスト中のVR訓練という奴だよ。データをやるといってな、こうして協力してやっている。暇つぶしにはちょうどいい」

「そのようですね」

 

 やはり、憂さ晴らしであったか。そうではないかという心当たりはあった。

 少し前に事件があった。彼のフィジカル・トレーナーが数人だが入れ替わった。

 

 理由は簡単で、トレーニング中の事故といわれているが。それは真実ではない。

 一人はミットを構える相手の顔面を打ち抜き。もう一人はスパーリング中にミドルキックで肋骨をへし折り、あやうく臓器を傷つけて大事件になるところだった。

 

 ソリダスは彼らに謝罪と、たっぷりの見舞金をよこしたが。自分のトレーナーからはずした。

 オセロットにはその理由はわかっている。

 もし、同じような状況が訪れれば。倒しきれなかったのかと不安を覚え、今度こそ相手を殺してしまうかもしれない。彼はそう考えたから、自分のそばから彼らを開放したのである。

 肉体の衰えと、息の詰まるような人生に。彼は狂気に追い掛け回され、頭がどうにかなりそうになっているのだ。

 

「どうした?」

「実は、問題が――」

「なんだ?」

「……ビッグボスが死にました。ご存知ですよね?」

「ああ。老人は死んだ、部隊に加入したばかりの新兵にな」

「それだけですか?」

「どうせ老いていたのだろう。戦場は老人のいるべき場所ではない」

 

 やはり、知らないのだ。

 いや、あえて聞かなかったのかもしれない。やはりこの男も、精神のどこかにビッグボスという鎖に縛られているとわかる行動であった。

 

「その新人に興味はありませんか?」

「ないな。どこの馬の骨とも――」

「ソリッド・スネーク。これが新人のコードネームだそうです」

「ソリッド?――なんだと!?」

「間違いはないと思います」

 

 そこからは言わなくても相手にわかるはずだ。

 リキッドと同じ存在。もう一人のビッグボスの息子。

 陸軍に在籍していたことは知っていたが、まさかいつの間にあのFOXHOUNDへ加入していたのか。

 

 いや、これはむしろ”あえて”そうなるようにしむけられたことかもしれない。

 

「ビッグボスは、自分の息子に殺されたということか」

「そのようですが、問題はほかにあります」

「なんだ?」

「リキッドが、これに気がつきました」

「チッ」

「これまではなんとかバランスがとれてましたが。どうにも様子がおかしい。自分の兄弟に興味が移ったようです。また暴走を始めるかもしれません」

「なんてことだ!?」

「……」

「それでっ、オセロット。どうする?」

 

 焦っている。そして身もだえしている。

 

「大丈夫。ひとつ、考えがあります」

 

 これは嘘だった。

 つい先ほどまで、実は何の考えもなく。指示を仰ごうと思ってここにきていた。

 だが、この”目の前の男”を見て、思いついたことがある。

 

「なんだ?」

「議員、議員はCIA時代。リベリアなどで活躍されてましたよね?」

「ああ――それが?」

「そこで『面白いこと』を試されていたと、聞いています」

「……シアーズ・プログラムのことか?」

 

 オセロットはうなづき、囁くように煽っていく。

 

「今のアレを廃棄しても、次に出るのが今より優れているという保証はない。大統領選が本格的にはじまれば、しばらくはこうして接触もできません。

 ゼロからのやりなおしは、リスクが高い。

 それよりも、ビッグボスへの報復心を制御できた今のリキッドならば。

 ソリッド・スネーク――同じ”ビッグボスの息子”への憎悪はむしろ育ててやるべき要素かと考えます」

「――確かにな」

「そして今、アウターへブンが陥落し、世界の戦場にこれに参戦したビッグボスの兵士達がちらばっています。それを彼に、狩らせるのはどうでしょうか……」

 

 それはただの憂さ晴らし。

 そして時間稼ぎにしかならない。

 だが、それよりなによりも。このシステムはあのファントムが、ミラーの意を受けて始めたDDRの理念に背を向け、戦場に戻っていくことを決めた忌まわしい子供らに向けた、あのアイデアに酷似していた。

 

 時代が再び変わる。

 その中を、老いてもなお戦い続ける(サバイヴ)するためなら、喜んで化け物にでもなんにでもなるしかない。

 

 ビッグボスが、死んだ。

 そしてこの影響を、ビッグボスの息子達は避けることはできないことがはっきりした。

 彼らは遺伝子に、血に縛られ。どうせビッグボスにとらわれた己の宿業と向き合う過程で互いを憎みあうのだ。

 

 いや、そうなってもらわねば困る。

 

 

==========

 

 

 ワシントンで別れたオセロットは、今度はカリフォルニアの大地をバイクにまたがって走っていた。

 バイクは好きではない。バラスが悪く、どこか不安定だ。それが居心地悪くする原因といえる。

 目指す目的地は、最近シリコンバレーなどと呼ばれるようなったあの場所の近く……。

 

 

 うわさに聞く、あのファントムを倒したという若者。

 オセロットは個人的に彼に対して興味があった。

 本当のことはわかっている。自分が、自分自身があの駄目な息子達よりもさきに、そいつを味わいたいと感じているのだ。

 

 オセロットは戦場に飢えを感じている。

 

 ここ数年は、リキッド等のそばでわざと老け込んだように振舞わねばならなかった。

 知識だけではなく実力にもまだ、己よりも優れたものが残っているとわかれば。あの男達は簡単に味方であるはずの自分に対して牙をむこうとするだろう。

 

 これでも堕ちた悪党なりに、優しく気を使ってやっているのである。

 

 先ほどはソリダスに「散らばったビッグボス(ファントム)の元部下を使う」と進言したが、これは半分だけ本気だった。

 あのボスが――ファントムの伝えたものを理解していれば、この時代に拡散された奴の意思を受け継ぐ者たちが。戦場に戻ってわざわざ「自分はあのアウターへブンで、ビッグボスとともに戦った」などという武勇伝を吹聴するはずがない。

 

 人の持つ獣としての意識か、虚勢を張りたくてそんなことを口にするようになる。

 もしくは野心がそうさせる?それもあるかもしれない。

 

(だが無理だ。誰も彼を、誰もがあの人を真似ることは――)

 

 出来ない。

 かつてのオリジナルをまねようとしたPFと同じだと口にしようとして、そこでオセロットはそれができない理由を思い出してしまった。

 

 口元に己を笑う――自嘲めいたものが浮かぶ。

 

 ビッグボスは1人で十分だ。

 これはほかでもない、自分の言葉ではなかったか?

 その自分が、あのファントムとビッグボスを。ひとつとして混同して今は口にしていた。

 

 本当に忌々しい男だった。

 まさに幻影(ファントム)、その輝きはあまりにも美しくて。本物と同じく、失った今ではどちらも愛おしく感じずにはいられないのだ。

 

 そしてその男が、偽りの古い友人はその一生で明らかにしてくれたことがある。

 

 

 バイクを止める。

 人の姿が見られないATGC社の子会社の中へ、平然とオセロットは入っていく。

 

 知られていないが、この場所はクラーク博士――パラメディックの名で知られる人物が使っている研究室の一つがここである。

 彼女がここに用があって立ち寄らない日は、この通り。

 厳重な警備の行き届いた自動施設となっている。そこに、彼女ではないオセロットが入っていくが。異常を知らせるものはなにも起こらなかった。

 

 パラメディック本人も、ここに彼が出入りしていることは知らないはずだ。

 すでに世俗への興味を消失させ。毎日をデジタルによって数値化され、はじき出されていく生命の解体作業に彼女はとりつかれてしまっている。

 そしてその数字を手がかりに遺伝子のスープをかき回す魔女になってしまった。知的好奇心を前にして、もはやいかなるモラルも彼女をとどめることはないだろう。

 

 

 

 ファントムは、あの男は教えてくれた。

 血も、肉も、遺伝子さえも関係ない。姿だって、どうでもいいのだ。

 

 本物でなくてもいい。

 その本質さえ押さえておけるなら、同種でなくていい。

 山猫であっても、蛇でもある。純正ではない、亜種として蛇となる。

 

「……蛇は、一匹でいい」

 

 モニタールームに入り、足を組んで座りながら口にしていた。

 

「ビッグボスも、一人で十分だ」

 

 無人ゆえに暗い建物内の中を静かに監視するカメラの中に、ひとつだけ他と違うものを映しているものがあった。

 それは冷凍装置、専用の冷蔵庫だ。

 中には人が入っている。そうだ、あの時のまま。

 

 砂漠で捉えられ、叩きのめされ、わめき散らした負け犬。

 こちらを挑発しておきながら、しかし訪れた最後の瞬間。その男の顔は、死を目前にして驚いた表情を浮かべていた。きっと自分が撃たれて死ぬとは考えもしなかったのだろう。

 

 それはリキッド・スネーク――いや、イーライと呼ばれた元少年兵の遺体。

 ビッグボスの裏切り者として追放されたオセロットは今、あの楽園へと戻るために一匹の蛇をその手にしている。

 

 これはやっとの思いで手に入れた、オセロットのカードの一枚。

 それもとびっきりのワイルドカードでもある。

 

 これはソリダスも知らないこと。

 正直に言えば、オセロットはすぐにもこの少年の全てを知りたいところではあるが。それを押し殺し、今はこの場所に封印している。

 

 まだこの封印を解くことはできない。

 時間だ。時間が必要だった。

 戦場にビッグボスの息子たちが、たがいを敵としてにらみあう瞬間は必ずある。そこで自分は”あのビッグボスの遺志を継ぐ者”として名乗りを上げる。

 そのための準備は、リキッドにすでに施し始めている。遠からず、自分の兄弟への憎悪から。彼は『イーライであれば決して口にしなかったであろう』ビッグボスへの思いを改竄するようになるだろう。

 

 ありもしないビッグボスからの愛情を信じ、それに縋って戦おうとするようになる。

 これは遺伝子の問題ではない。イーライと呼ばれた少年の人生が、負け犬のそれであり。その弱さをそのままに同じ選択を選んだリキッドの限界なのだ。

 そんな嘘を許すつもりはない。あの人の遺志を継ぐのは誰か、若造どもに教えてやらねばならないときが待ち遠しい。

 

 

 つまりはこういうことなのだ。

 例え目標が未来にあったとしても、この山猫は狙った獲物をはずしはしない。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。