通風孔を登る手の指先が、限界だと告げて震えが走っている。
歯を食いしばって、それでも背中と腰にしがみつく子供たちにそれを悟られまいと、大きく息を吐いた。
「重い、ボス?」
「そうじゃないさ――爺さんだからな、一息つかないと」
「ごめんね」
「大丈夫だ。すぐに上につく」
上を見上げると、子供たちに並んでこちらを不安げに見下ろしているウォンバットがいる。
(泣くなよ、ひどい顔だ)
心の中で彼女をからかうと、もう一度大きく息を吸い、悲鳴と抗議を脳に訴える筋肉たちの声を無視してしっかりと足と腕を動かした。
地上まで十数メートルだが、今のヴェノムにはそれは遠く感じられた-―。
扉を破壊すると、女性スタッフは思ったとおりシスターがいた。
どうやら上の異変に気がついて、仕方なく降りてきたがそこで電気が止まって閉じ込められたという。
時間がないことを伝え、まだ使える地下に一直線にむかっている通風口内を一本のロープだけで登っていくしかないことを伝え、すぐに移動を開始した。
時間が砂時計のようにはっきりとなくなっていくことがわかる。
アウターへブンではない。自分の生命の残り時間のことだ。
いつもならビッグボスとなって声を発すると、心持ち興奮を感じ。頬が上気するのを感じたりするものだが、今はそれがまったくない。その逆に、悪寒がいよいよ深刻なレベルに達しようとしている。
指だけではない、足を、腰を、全てから凍らせるように活力がうまく伝わらなくなってきた。
「ボス、手を」
「ああ――助かる」
上に上りきると、いきなり腰から力が抜け。地面に尻餅をつこうという誘惑に駆られるが、それを必死に拒否する。
「フラフラしてるよ、ボス?」
「ああ、お前たち案外重かったな。成長期はまだだったろう?」
「僕、太ってないよ!」
「ははは、そうか」
表情が死相で塗りつぶされてないことを祈らないと、この笑顔も意味を成さない。
隣ではスーツを着て素早く上り下りを繰り返すワームと連携し、ウォンバットが次々と子供たちを引き上げていた。
(あとは、どうやってアウターへブンから脱出するか?)
残念ながらもはや安全な脱出ルートは存在しない。
遠い昔、鉱山から少年兵を連れ出したときのような奇跡はおこせない。
あれは逃げたからなんとかなったが、今回は崩れ落ちる要塞から脱出して、さらに相手の囲みを破ることになる。集団で移動すれば、それだけで嫌でも見つかってしまう。
(何人が生き残れる?)
子供でもアウターへブンから出てきたとわかればどんな目に合わされるのか、保証などない。
運と体力に優れた3人か5人、それ以外はいくらワームとウォンバットでも救えはしないだろう。冷静にはじき出される数字はあまりにも低い。
「ボス、全員上がりました」
「――そうか。これからのことを話す、時間がない」
やり遂げなくてはならない、これはビッグボスの決めたことだった。
「二手に分かれるぞ」
彼らの体が強張るのがわかった。
「浄水施設だ、そこからしかない。パイプを開放すれば、人ひとりが入れる程度の大きさがある。後は濁流に乗ってジェットコースターだ。そうすれば川まで一直線でいける。それでアウターへブンから脱出だ」
その後も苦難の連続だろうが、自分がやれることはなかった。
「ボスは?」
「おれは管理室へ向かう。そこで浄水施設の電力の復旧ができないか試してみる。運がよければ、水流の勢いを止めることができるはずだ。それなら――」
とりあえずここを出るまでだが、全員が安全に脱出できるという保障ができる。
「電力の面倒は俺が見る。後は頼むぞ、2人とも」
「――はい」
それ以上は必要ない。
別れはさっき済ませていた。残るのは、この不可能な任務で何人が生き残れるかというだけだ。
それじゃ、行け。
ヴェノムはそう言って、子供たちが立ち去るのをその場に立って見送った。
姿が見えなくなると、ようやく彼らとは逆方向に自分の体を向けた。
ロープと同じだった。
来たときと違い、この孤独の道は戻るときが難しい。
あれほど歩くだけは軽かった足取りが、重くなる。まっすぐ歩こうと壁に手をやると、その熱があまりにも強く感じられ。自分の体が凍えてきているのがわかってしまった。
突然、犬の遠吠えがすぐ横から聞こえた。
驚きながらゆっくりと声のするほうを見ると、そこにはいるはずのない奴が立っていた。
まだ逞しく自分と戦場を走りぬけたころのDD。
弱々しく、それでも静かにこの世から先に立ち去った友が、元気な姿でそこにいた。
その様子はどうも「やっと来た。こっちから迎えに来てやった」といっているようで、その瞬間が訪れることが待ちきれないと訴えているようだった。
ヴェノムは自分の視界だけではなく、意識までも混濁していることに、このことで気がついた。
死者は意味なく復活したりはしないものだ。
「元気そうだな、DD]
目をそらし、進むべき方向をにらみつけた。
その表情からはもはや死相は隠しようもなかった。
「だが、まだだ――俺には任務が、残っている」
それまでは。
それまではまだ、死ぬわけにはいかない!
再びそばに死の影を従え、ビッグボスは――ファントムはそれでも進むことをやめようとはしていない。
==========
NATO加盟国の首脳が集まった緊急会議ではアウターへブンの処置にはそれほど悩む様子は見られなかった。
結論は早々に出され、すぐに実行へと移される。
大空を飛ぶ爆撃機の数は尋常なものではなく、まるでそれは第三次世界大戦でも起きたかのようにアフリカの大地の上にあらわれた。
人々はそれが何をするためなのか、さっぱりわからなかったが。
自分達の上を通り過ぎるとほっと胸をなでおろした。
一方、丁度この頃。
ソリッド・スネークはビッグボスが用意したセムテックスまみれの通路から転がり出てくると、後ろを振り向くことなくひたすら走り続けている。
若者は途中で気がついたのだ。
自分が走っている周囲には何があるのかということを。
それらが着火すれば、たちまち今走っているサバンナの斜面はえぐられ。地面は土誇りを巻き上げて雪崩現象を起こし、自分を土の中に埋めてしまうかもしれない。
そこまでわかっていたから、彼は走るのだ。
背後のアウターへブンにせまる。空を飛ぶ大鳥(レイブン)の群れになど気が回らずに。
ヴェノムはついに壁に寄りかかると、静かに腰を下ろした。
希望は、潰えていた。
システム管理ルームは、完璧に破壊されていた。すでに燃え尽き、部屋の中を確認のためのぞこうとして近づくことすらできない。自分が果たさなくてはならない役目は、消えてしまったのだ。
(葉巻はなかったな―-)
映画のように、最後くらいはゆっくりと煙を吐き出しながら逝きたいかったが、生きることばかり考えていたからこういう死ぬ準備はしてなかった。
目の光が消え、ファントムは意識をなくした。
真っ暗な闇の中にいた。
だが、自分はまだビッグボスの姿をしている。
DDは腰掛けている自分の隣に座ったまま、こちらを見つめ続けている。
ファントムが――ドッペルゲンガーである自分が、なぜここにまだいられるのだろう?
体を激しく前後に揺さぶられるのを感じた。
若く、かわいらしい声が。悲鳴のようなものをあげている気がした。
闇の中でDDがほえ、突然背後から飛び出してきて視界の前を横切る。すると何かを切り裂いたのだろうか、光が生まれ。ヴェノムは自分が上昇する感覚をおぼえた。
「ボスーボスー!」
「目を開けてー!」
「死なないでー!」
音を立てて息を吸うと、視界の中にさきほど送り出したはずの子供達の不安げな顔が並んでいた。
「な、なんだ?!お前達、どうしてっ」
まさかこれは夢か?
混乱するが、困ったことに子供達はビッグボスが復活したと喜んでいて。こちらの疑問に答えてくれない。
「お、おいっ――シスター?いったい、これは」
「ビッグボス、駄目だったのです」
ただ一人、そこにいた唯一の大人のシスターは近づいてきて腰をおろすと、そう言ってヴェノムの手を涙を流しながら握ってきた。
希望が失われたのは、ヴェノムだけではなかったのだ。
浄水施設にもそれは許されなかった。
目的のパイプ管がある部屋は、高温度の蒸気に満たされていて進入が不可能となっていた。
ワームとウォンバットはかわりのものを探したが、見つかったのはただひとつのパイプ管。
汚水を流すその中はすでに濁流となっており、その出口は山をふたつ貫いた先にある滝つぼなのだという。
ここに入るとなれば、数分間を息を止め。流れに乗ってとどまることの無い様に泳ぎ、滝壺に放り出されては落下して水面にたたきつけられるのを耐えねばならない。
子供達に、シスターには不可能なことだった。
「あの2人は?」
「それでも行きました。泳ぎが得意な子供をつれて。もしかしたら――生きて出られるかもしれないと」
何かを口にしようとしたが、何も出てこなかった。
そして変わりに、諦めと一緒に大きく息を吐き出した。もう自分が彼らにしてやれることは何も残ってはいなかった。
だが彼らの任務は、脱出してそこで終わりとはならない。その後にはさらに複数の軍の包囲網の突破が残っている。
消沈するヴェノムであったが、彼への厳しい追い討ちはまだ終わりではない。
その耳に、聞き覚えのある轟音が聞こえてきた。
「?」
「ビッグボス?」
「おい、誰か?空を見てくれ、なにか見えないか?」
不安が心の中でうねると、それはすぐに絶望という芽をはやした。
「飛行機だ!空にいっぱい、こっちにとんでくるよ。ビッグボス」
「――そうか」
それでわかった。
奴等は――アメリカは本音ではビッグボスをそれでも欲したが。その他とは同調して同じ結論を出したのだろう。
世界にアウターへブンは必要ないものだ、と。
爆撃機が編隊を組んでいる、これは要塞を木っ端微塵にするつもりなのだ。
「シスター」
「はい、ビッグボス」
「子供達を集めてやってくれ、後は――」
「――わかってます」
「すまない」
「謝ることはないです。あなたは善人ではありませんが、良くやってくれました」
これが。
こんな最期を迎えるとは、なんとも神は厳しい決断をしてくれたものだ。
「さぁ、みんな集まって。手をつなぐの。ちゃんと、離れないように……」
助けられる命が自分にもあるはず、そう思ってやってきたはずなのに。
それでも救えない子供達は、ここで自分と――世界を恐怖させたテロリストと共に焼き殺されようとしている。
やりきれなかった。
だが、そんなヴェノムの耳には。
この山奥では聞けるはずのない遠い海の荒波が、おしてはかえす、あの潮騒の音が聞こえ始めていた。
シスターと子供達の声が、急激に遠いものに思えた。
長い、長い任務だった。
10年以上、これに自分のもてる力の全てを注ぎ込んできた。
そのことに何の未練も後悔も、ない。
だが、時の果てへと旅立とうとする今。
自分が犯してきた多くの罪が、共に旅立つあの子ら無垢な魂と共に焼かれ、闇に沈めてしまうのではないかと不安に思っている。
あの子らは賢い。
自分達に、世界の力が全力で殺しに来ているということは知らなくとも。その結果、自分達が死を逃れることができないことは理解している。彼らは戦場で生まれ、戦場で苦しみ、戦場から出ることができなかった迷い子だった。
その厳しい運命を与えられた子供達には、せめて神は慈悲をもって。闇に消える自分と違い、彼らを正しく美しい場所へと導いてやってほしいと思う。
そしてーー。
そしてビッグボスは、もう一人のビッグボスへ。
自分は自分が信じる正義で、悪に対峙してきた。
その運命の先に、こうして苦痛に満ちた最期であっても。納得している。
あの白鯨と共に海の底に沈んでいったエイハブ船長のように。俺は一人、そう一人でそこに落ちていきたいと願っていたのに。
運命はあまりにもひどいと、つぶやくことしかでき着なかった。
だからこそだろう。押し寄せてくる感情が、なにかを残さねばという使命感を持たせ。
うつむいていたヴェノムは自分の血に染まった顔を振り絞る力でゆっくりと上げる。
美しい光景がそこにあった。
燃え尽きようとするアウターへブンの中で、シスターの下に集まった子供達が一心に祈り。歌っていた。
自分の隣にはやはりDDが座っていて、そのときが来るのをじっと一緒に空を見上げて待っているようだった。
クワイエットは、彼女がここにドッペルゲンガーとなっても現れないことが、少し嬉しい。
自分はまだ、彼女は生きていると考えていて。そしてこの世界の中で、きっと彼女は今も。そしてこれからも生きてくれるはずだ。
それでいい。
戦士でなくてはならない、そんな理由はないはずだから。
――ボス……あの日のあんたは言ってた
――『俺達に明日はない』、『だが、未来を夢見ることはできる』
――俺も、俺達もそう思っていた
――けれど、俺達が今を必死に生きようとすればするほど。その未来は、遠くなっていく
――この歩みは止められない
――もう、生きているうちにそれをこの目にすることは無理だろう
――だからこそ、今すぐにでも始めなくちゃいけないことがある
――いつか……
――いつかこの世界に、俺達の存在がいらなくなる時
――人を傷つける道具(俺達)が、自分達の中にいる鬼を捨てて生きることを
――今日よりも、もっと良い明日を作れるようになることを証明できる未来を
――それが、俺とあんたの
――俺たちと一緒に戦う仲間達の
――きっと生きた証と、なるはずさ
爆撃機から投下される爆弾は、地上に落ちる前に炸裂し。
地上にある燃える要塞をさらに炎で満たそうとする。
建物の間を瞬時に津波のように襲うそれは、かわいい声を上げる子供達を容赦なく真っ赤な世界に飲み込んだ。
そしてそれはもはや動けない鬼にも。
――そうだろ?そう思わないか、ボス
その瞬間だった。
動きを止めたヴェノム・スネークを。
隣でじっと待っていたDDが真っ黒な闇へと転じて毒蛇の上から襲い掛かる。
そうして闇の中へ、全てが一瞬にして飲み込まれると。もう、この世界に戻ることはない――。
ついにアウターへブン陥落。
本編(ヴェノム・スネーク)の物語は今回が最後となりますが。あとちょっとだけ続きます。
最終投稿は15日、そこで一挙公開する予定。