そしてBIGBOSSの、ファントムたちの幻肢痛が……。
地獄絵図が続く病室に、ついにあのイシュメールも召喚されてきた。
不快な血の匂いと汚れに加え、信じられない数の亡霊達がこの中に存在している。だが、彼らは以前のように口を開こうとはしていない。物言わぬ死者の目は、たった一人の人物に向けているだけだ。
(エイハブ!?)
こと切れてはいるようだが、道化師のようにはっきりと笑みを浮かべたスカルフェイスと。死んだ亡霊を演じているそれにまだ殺そうと首を絞め続けているスネークがいる。
このときの彼は、これまで一度としてみたことのない憤怒の表情のまま。言葉にならぬ言葉で、スカルフェイスをののしり続けているようであった。
だが――。
「エイハブ、エイハブ!」
イシュメールの声も、すでに彼には聞こえてはいなかった。
封印された情報が漏れ出ると、そこから最初に出てきたのが失ったMSFの仲間たち。そしてビッグボスを狙った敵への尽きることのない、報復心が鬼火となってこの男の存在自体を焼却しようとしている。
あと少し、もうわずかでそれが始まってしまうだろう。
――彼はこれで、いいのかもしれない
振り返ると、ベットの脇に立ったまま動かないパスがまだそこにいた。
――彼には”本当の終わり”はきっと訪れない。信じて、孤独に苦しむだけ
「死が、救いだと?」
――幸せは来ない。かりそめの平和も、ない
「このままなら、確かに奴は死ぬだろう。だが、それは生命としてのそれじゃない。精神が破壊される」
――それでも……
「奴を見てみろ。ビッグボスを――スネークを見てみろ」
イシュメールはパスに厳しい声を上げる。
口の端から泡を吹き、意味を成さぬ言葉で憎悪を吐き出そうとした結果。口の中を自分の歯で裂き、切り、それと合わさってだらしなく赤いあぶくが唾液と一緒に飛び散って出ている。
哀れな姿であった。
ビッグボスの姿をしていても、そこに浮かべている表情は他人のものだった。封じられ、奪われることで表に出すことはなかった過去の悲劇から変わることが出来ない無様な男の姿が、そこに見え隠れしていた。
「奴は、エイハブはここまで来るためにすべてを任務に捧げていた。そのために、時には自分の感情とは間逆のこともしなければならなかった。そのすべてを飲み込んで、やっとここまでやってこれた。
お前はそれを、すべてを灰にしてしまえという。
見ろ、今の奴の姿を。
任務を奪われた結果。奪われた自分に残されたのは後悔だけ。
その姿のどこに、救われたとお前は言うつもりだ?」
――それでも……
「怒り、憎しみ、悲しみ。それらはもうすでにあふれ出てしまっている。
このままだと奴は自分を破壊しつくしてしまうぞ。パス、お前はエイハブを自殺させたかったというのか」
――違う!
イシュメールの言葉にパスは、はじめて強い反発を見せた。
――私は、私が望むのは……もう、私のことで苦しんでほしくはない。世界にはビッグボスが、いてほしい。
幻(ファントム)であっても、パスは彼女のまま。
囚われたとき、虚ろに嬲り、弄んでくるスカルフェイスに対しても必死に請うていた一つのこと。「ビッグボスを殺さないで」という言葉は嘘ではなかった。
だが――。
(エイハブにはもっと別のものが。”救い”が必要だ。それがなくては、このままでは……)
亡霊の無力さに歯噛みしつつ、イシュメールも見ていることができずに唇をかんだ。
崩壊が始まっている。
だが、これは当然のことであり、自浄作用であるのだから止めることはできない。嘘で真実は、消すことはできない。
とはいえこのままでは世界はビッグボスを失い、一人の狂人を手に入れることになる。
(それなら、俺が力になろう)
「なんだと!?」
イシュメールはこの意外な申し出を耳にして、驚いて声のほうに体を向けた。
それは部屋の隅の闇の中から、なんの予兆もなくいきなりにして誕生した。新しいドッペルゲンガーの言葉だった。
「俺が、どうにかしてみよう」
「お前、お前は――」
「ん?本当に包帯で顔を隠しているんだな、あんたは」
「オセロット!?」
血色はさらに悪く、青白い顔であったが。
それは確かに先日、ビッグボスに銃を向け。このマザーベースから立ち去ったばかりのオセロットが。ついにビッグボスの精神世界でドッペルゲンガーとして求められたのだ。
この、生まれたばかりのドッペルゲンガー・オセロットには、なにか考えがあるらしい…さて、どうする?
==========
狂気の中で翻弄されるがままだったスネークに、後ろから伸びる一本の手があった。
それは遠慮なくむんずと彼の髪を鷲づかみすると、そこから乱暴にスネークの体を引きずり起こし。死体を演じ続けている新しいスカルフェイスから離そうとする。
スネークはいまだに正気を取り戻してはいなかったが。それでも自身の中にあるただひとつ欲求を満たそうとして。その手を振りほどこうと身をくねらせた。
瞬間、凄まじい勢いでもって後方に反り返るようにして投げ飛ばされる。
病室にあった移動式の机ごと、そこにあったアルミトレーや注射針などの医療器具を床にばら撒きながら。スネークはさらに一回転して壁に背中を激しく打ちつけた。
目は白黒し、肺が潰れて中の空気が追い出され。
気が遠くなりかけるも、必死に(それではいけない)という、本能の命令から。意識をわずかに繋ぎとめた。
これがいい方に結果が転がったようだった。
目に、ようやくのこと光が。理性が戻ってきた。自分が強烈な頭痛と吐き気でもって、おかしくなりかけているとわかるようになる。
そして誰か――何者かの攻撃を受けたのだと察し、周囲を見回した。
病室の中には誰もいなかった。
スネークはその事実が信じられず、驚きで目を丸くする。
最後の記憶では、ここにはいたはずだ。そう、大勢の――自分の心が生み出した亡霊達が。
なのに、なにもない。パスがいない。そしてこの手でようやくの事、殺したはずのスカルフェイスも、消えていた。
「なんだ、これは?どうなっている!?」
「あんた。寝起きが悪いのは、かわらないな」
「何!?」
誰もいないはずの部屋の中から、誰かがスネークに語りかけていた。
自分はついに狂ってしまったのだろうか?スネークの背中を、冷たい汗が流れる。
その声の主はここに――マザーベースにいてはいけない人物のものだとすぐにわかったのだ。
「あんたの精神は今、壊れかけている。神経への異常な負荷が原因だが。実際はドッペルゲンガーが生まれ続け、増加したせいだろう。あんたはもう、自分の心を制御できていない」
「どういうことだ?」
「わかっていたはずだ。あんたは再び、ここで。死を体験しなければならない」
白い蛍光灯のつく、病室の中に影が生み出されると。
それは次第に一人の人間の姿へと、形作られていった。
「今のあんたは、危険な場所にいる。気をつけろよ、手遅れになるぞ」
「お前はっ!?」
オセロット!
その名を口にしようとしたが、スネークはそれができなかった。なにかに強制されているかのように、その名前を今の自分が口にすることに、心がなぜか強い反発心をもっていた。
どうしてそうなった?これはどういうことだ?
「余計なことは考えるな。すぐに狂気が、あんたを捕らえようと戻ってくるぞ。
言っただろ?
あんたの精神はもう、耐えられない。それがすべての嘘の一切を駆逐し、本来のあんた自身の意識を復活させようとしている。だが、それは”本当のあんたの意思”には沿わない命令だ。
この命令が神経に正反対の指令を繰り出し続け、あらゆる神経が破綻へと突き進んでいる。それがあんたを狂気に導いていく。そこは通れば戻れない道だぞ」
「お前――俺の、ドッペルゲンガーなのか?」
「そうだ。気がつくのが遅いな」
こちらの問いに間髪いれずに答えると、あいつは口の端に冷笑を浮かべた。
「幽霊を増やしてはいけないというのに。この期に及んでもあんたはまた、俺というドッペルゲンガーを生み出してしまった」
「……俺が、お前を」
「なに、別にいいさ。それに、実を言えば光栄なことだと思っているよ。俺はきっと、あんたにとっての最後の亡霊であるはずだからな。でなければ、俺はここにはきっといない」
「最後だって?」
「ああ。わからないか?そろそろ、あんたも独り立ちの時だと思って……」
「っ!?」
脳裏にDDをはさんで話していたときのことを思い出された。
あれは、DDとの最初の任務を終えて帰った日のことだったのでは?あの時は自分も彼に――育ての親のオセロットにDDを押し付けられた、などと口にして――。
だめだ!
集中を切らしてはいけない。過去に、引きずられてはまずい。
「そうだ、集中しろ。いいぞ、よくわかっているじゃないか」
「このっ――」
「真面目だ。真面目にほめている」
壁に義手を手にかける。
頭痛と吐き気は、幾分かは治まってきている気がする。
「茶番と思うかもしれないが、これから少しだけ話す。それで私の役目は終わる」
「……」
「時間はあるが、お互い長く話す必要はあるまい。だから、さっさと済ませよう」
「わかった。話は、なんだ?」
顔の表情が、数秒ごとに引きつるのを感じる。
痛みは変わらないが、意識を耳におくれば。わずかにだが耐える時間は稼げるはず。
ドッペルゲンガー・オセロットは、そんなスネークを気にするでもなく。自由に口を開いた。
「あの言葉だ。『世界に、ビッグボスは必要だ』、これはもはや俺達だけの話じゃない。それは思い込みや、勝手な理由で口にする言葉でもない。
ビッグボスが戦場へと帰還し、あんたがそこで任務を成功したからこそようやくに勝ち得た事実なんだ」
このファントムは、今のダイアモンド・ドッグズとビッグボスは、ついに任務の目標の一つを果たしたのだと言っているのだ。その言葉に心がざわつく、これは喜び?歓喜なのだろうか。
「だが、ここが終わりではない。ここはまだ、いいところ道の半ばといった辺りに過ぎん。
昨日までの戦場はもう存在しない。明日からの戦場でも、あんたには戦い続けてもらわなくてはならない。
そこでもあんたは最高の称号であるBIGBOSSであると、証明し続ける。こいつは簡単なことじゃないぞ。時代は変わる、状況も変化する。昨日までのあんたじゃあ、明日の戦場では立つこともままならない」
「新しい?自分?」
「これは以前もやったことだ。やり方はあんた自身の体が覚えている。そう、キプロスで出会ったあの日を俺たちで再びやり直して、あんたは出発するんだ」
「俺、一人で――」
「そうだ。わかるよな?『そこから先は、あんた次第』さ。ん?」
背筋を電流が走った、気がする。
腰に力が戻り始め、まだ壁に寄りかかる必要はあるが。ゆっくりと立ち上がっていく。
「俺次第、わかった」
「だが簡単なことじゃない。こいつはただ、答えをあんたに伝えればいいというわけじゃない。例えるならば推理(ミステリー)小説の謎解きに近い。
あんたの精神になにがおこったのか?ドッペルゲンガーに何が起きたのか?どうすれば、この危機から脱出できるのか?
確信だけをはっきりと言えば30秒もかからないが、あいにくと人はそれほど簡単に答えをきちんと受け止められないものだ。
時間と、段階を踏む必要がある。同時にあんたは苦痛と、恐怖とも向き合わなくてはならない。
だが、これは拷問ではない。スポーツ、ゲームなんだ。
あんたがどれほどの男か、これから試してみようじゃないか。苦痛に我慢できなくなったら、それに服従すればいい。そこで止めてやる。だがその時は――任務と正気は諦めてもらう。
あんたには重大な決断にも思えるだろうが。なに、命に別状はない。それだけは安心してくれていい」
「うなり声を上げ、涎をたらす狂人になる、か。あまり楽しい未来には思えないな、ぜひお断りしたい」
「まだ余裕があるな。いいぞ、その調子だ」
これが最後の軽口のたたきあいになるかもしれない。
スネークは静かに壁から離れると、ドッペルゲンガー・オセロットはさっそく口火を切る。
「俺たちの最初の任務、そうだ。カズヒラ・ミラー救出作戦のことだ。
キプロスからカシム港まで7日、陸路で3日。
長い昏睡から目覚めたばかりのあんたが、それで戦う準備ができるなどと。信じきれたやつがどれだけいたのか。
ミラーは違う。
奴はそれにすべてをかけていただけだ。
9年の苦しい生活に、奴は愛想を尽かしていた。ビッグボスを失って自分に力がないことを思い知らされ続けた。
それでもMSFの実績は随分と助けにはなっていたはずだ。居場所すら確保できずに流されていた、そんな惨めな思いはしなかったが。それ以上にはなれない、その事実は変わらない。
繰り返すその状況に、あの男は半ば絶望していたんだ」
「……」
「オセロットも、この俺もそれは同じだ。
あんたを直接、戦場に送り込んだが。入ってからは距離をとった。ソ連軍にとってあのときのミラーは価値のない捕虜に過ぎない。かつてはMSFでナンバー2も、今は弱小PFで燻っているだけ。時間が過ぎれば、奴は殺されて終わる。
ミラーが死ねば作戦も失敗。あんたはアフガンに投げ出されたまま、オセロットは――俺は無線に出ることはなかった」
納得できる話だ。
あのときのオセロットが、ミラーの無茶な振る舞いを許したのも。ビッグボスの帰還というイベントに、付加価値になると考えたからだろう。実際、ダイアモンド・ドッグズの栄光の第一ページ、一段目にはそう記されて伝わっている。
『とらわれたかつての仲間を救うため、復活したビッグボスは弱った体のまま戦場へと帰還した』と。
「あんたはそんな任務を前に、理解していた。『今の自分のままでは、これはできない』と。
そこであんたは最初のドッペルゲンガーを生み出した。あのときのあんたに、確たる記憶はなかったから。キプロスで一緒だったイシュメールと名乗る男を、姿に選んだ」
「そうだ。ほかにはいなかった」
「だが、あんたはイシュメールの情報があまりにも不足している。外見だけでは、まったく足りない。
ドッペルゲンガーとするには、それに相応しい人格を持たせ。タレント(才能ある人、技能)を与えなければ、役には立たない。
病院での出来事で、彼に自分よりも優れた技能の持ち主だと理解していたあんたは、皮肉にもいきなり真実にたどり着いた」
「……イシュメール、その正体」
「言葉には出さないな?それでいい。
それは口にしてはいけない、あんただけの禁止ワードだ。
ここでわざわざそんな危険な思い出話をしたのは、あんたに気がついてほしい。重要な出来事が、あんたの目の前で起こっていたことをわかりやすく伝えるためだ」
「?」
「いいか?ドッペルゲンガーとは影だ。
よくできた幻で、本物では絶対にない。わかるか?
つまり”あんたが物言わぬ影にタレントを与える”ことで、ドッペルゲンガーは始めて機能するんだ。
そうでなければあんたの中に亡霊達はあらわれない。ドッペルゲンガーは生まれない」
「ああ、だからなんだ?」
「そうかちゃんと理解しているわけか。なら、納得してくれるだろうな。
あんたは、あんたのイシュメールを3度。あんたの手で殺している、ということを」
「なんだとっ!?」
ドッペルゲンガー・オセロットの言葉は、さすがに平然とは聞き流せないものだった。
動悸が激しくなり、フラッシュバックが襲ってきて、叫ぶさまざまな戦場での人々のイメージが押し寄せてきた。
だが、彼は苦しむスネークにお構いなしに言葉を続ける。
「そうだ。あんたのイシュメールは一人じゃない。一人ではなかったんだ。
最初のイシュメール。彼にあんたが与えたのは自分を鍛え、教える者だ。教官、師匠、そしてリーダー。
あんたがなるべき存在、そのものだった」
「だった?」
「言っただろ。イシュメールは一人じゃない、と。
あんたのイシュメールは、生徒のあんたを導く存在だった。だが、その役目はあまりにも短く終わってしまった」
「終わった?いつ?」
「思い出せ、すぐにわかるさ。
あの日、マザーベースから出撃しようとしたあんたに。最初のイシュメールは別れを告げに、あんたの前にあらわれただろう?」
――お前はもう、俺と比べる必要はない
――失ったものをあるように振舞うな、焦がれるな。俺たちは互いに探すしかない……
出撃前なのに、妙に感傷的なことを口にするのだと、思っただけだった。
だが、言われてみれば。確かにそれは、別れる前に伝えようとしている贈る言葉とも。受け取ることができる表現だった。
「あれは……別れの言葉だったのか」
「力を取り戻したのではない。新たに力をつけ、自信を深めた弟子のあんたに自分は必要ないと判断したんだ。
だからあの時、本当はあんたの中のドッペルゲンガーはその役目を終えた。それでめでたしめでたし、となるはずだった」
「違うんだな?俺は、どうしたんだ?」
「最初のイシュメールは、そこで役目を終えて影に戻ったが。すでにあんたは別の役目をおこなう同じ姿の新しいドッペルゲンガーを用意してしまっていたんだ。
これが、第2のイシュメールとなる」
「2人目、同じ姿の別人か」
「このドッペルゲンガーの役目は2つ。状況があまりにも劣勢へと陥った時、それをサイレンのように出現して知らせること。そしてもうひとつは、その状況を打破するための精神的な増幅をはじめる合図となること」
息を吸う、息を吐く。
自分の体の状態が、ようやく再び制御できるような気がしてきた。冷たい汗は変わらずに噴出し続けているが、頭の中はいがいにすっきりとしてきた。
「言われればそうかもしれないと思うが。だが、俺はそれに気がつかなかった。それに、イシュメールは自分が2人目だとは言わなかったし、それを感じさせなかったぞ」
「先走らなくていい。それはまた、別の話だ。今は、イシュメールが一人ではなかったことを理解するんだ」
「ああ、だが――」
「疑問にはこれから答える。気持ちで、感情だけで口を開くな。集中できなくなれば、また狂気があんたの前に戻ってくる」
「わかった」
やはりどうしても納得できなかった。
あのイシュメールが、自分と顔を合わせていたドッペルゲンガーが。それを生み出した俺を、あざむくなんて!
「驚いたか?だが、本番はここからなんだがな。
あんたはこうしてドッペルゲンガーのさらなる制御方法を理解したことで新しいステージに到達してしまった。それがあんたの失われたとされている、過去の再構築だ。
ビッグボスの伝説、その経歴だけでは足りなくて、当時の音声をかき集めていく。だが、これはやりすぎだった。
文書と音声から伝わるイメージで、あんたは次々とドッペルゲンガーを作り出してしまった。
だが彼らは、あんたが作り出したイシュメールに比べれば、そのタレント力ともいうべきものが欠けていた。ドッペルゲンガーとはなりきれない幻では、できることは限られてしまう。
あんたはいつしか、彼らに当時の背景という舞台を用意し。音声の言葉を台詞代わりに、彼らに演技をさせることにした」
それには覚えがあった。
脳裏に次々と”復活してきた記憶”による情景が次々に映し出されていく。
若きオセロットとの勝負、FOXで戦友だったバイソンとの冷たい死闘、繰り返し奇妙な脱獄を繰り返す、ザドルノフの最後。
それらはすべて、そうやって手に入れた過去の記憶だった。
「これには多くの副次的な特典がついていた。
いくつかの亡霊は、そこで勝手にタレントを手に入れドッペルゲンガーへと変化したこともそうだ。ジーン、パス、スカルフェイス。ほかにもいるが、あの辺はみんなそうだ。
さらにあんたは、押し殺している自分の感情をドッペルゲンガーに分けて発露させるようにする方法を見つけた。あんたの中でスカルフェイスだけがあれほど力強く生き生きとしていたのは、奴には任務へのマイナスの感情をすべて奴に引き受けさせていたからだ。
奴が抱いていたつきることを知らない憎悪は、あんた自身のものだ。
だが、それでも奴はドッペルゲンガーというルールにしばられているせいで、完全な敵にはなりえない。
そうやってあんたはついに、亡霊たちを支配することを覚えた」
「支配?ファントムを?」
「そうだ。奇妙だと思うか?そうでもないだろう?
あんたはより完璧なビッグボスになろうと執着した結果。ついには現実の歴史をも書き換えようとした。もちろん、あんたの中でのことだがな」
過去の改竄。それは確かに行われていたことだった。
「それはまるで寄生虫のように、あっというまに始められた。
まず、MSFの壊滅がなかったことにされた。つづいて、チコやパスは死なないことになった。あんた自身の昏睡もなかったことにされた。
あんたが少女に語った、あのひどくご都合的すぎる過去はそうやって完成した」
「――なんてことだ。なら、俺は」
「昔話をする友人たちがいなくて助かったな。もし、あんたがそいつらと話したら、聞かされたほうは困惑し、恐怖しただろうな」
「うーん」
頭を抱え、うなり声を上げるスネークだったが。
ドッペルゲンガー・オセロットは気にもしないで話を進めようとした。
「さて、もうわかったんじゃないか?」
「ああ――わかった」
「舞台の上で亡霊に過去を演じさせていたあんたは、演目を変更した。実話を基にしたフィクションを、ハッピーエンドのファンタジーに。
当然、話は全部変わってくる。あんたの経歴、ビッグボスの過去まで変えた。
そして危険なラインを、ついに踏み越えようとする。
そう、パスの出現だ。だが死んだ人間は生きているものの記憶のなかで年をとることはない。それでも無理につじつまを合わせようとするから、破綻へと突き進んでしまった」
「俺の弱さが、この事態を招いたんだな……」
スネークの呟きを聞くと、ドッペルゲンガー・オセロットのほほがピクリと動いた。
不快なものを感じたという合図だ。
「勘違いするなよ?ビッグボスは決して冷血漢ではない。感情のある男だ。
笑うこともあれば、悲しんで。部屋の隅で背中を丸めてめそめそと泣いた時だってあっただろうさ」
「しかし――」
「面倒な男だな!はっきりと言ってやる。
ビッグボスのファントムであろうとするなら、いい加減に見たままを受け入れろ。パスのことだけじゃないんだ。
言いたくはなかったが、ミラーをあんたは甘やかせ過ぎたんだ。ヒューイの裁判のような真似を再びやりたくはなかったとはいえ、あんたがしっかりと決断をしていれば。
俺も――あのオセロットも、わざわざあんな騒ぎを起こしはしなかったはずだ。これからはあんたがすべてを決めないといけない」
「ああ、そうだな」
「ならば言ってみろ、どうすればいいのか!」
息を長く吐き出した。
目の周りにくまがあらわれ、疲労の色も濃くなっていたが。力強い目の輝きが戻ってきていた。
「俺は、俺の生み出したドッペルゲンガーを。すべてのファントムたちを闇へと返す」
「そうだ――それしか方法はない。もはや今のあんたに過去は必要なくなった。あんたが与えた役割は終わり、彼らはあんたから解放される。すべてを失えば、もうあんたも再びそれを手に入れようとはしなくなる。
そして一人で、未来を求めていくしかない」
「……」
「どうした?」
「――丁寧な説明で、理解はしたし、覚悟もできた。だがな」
「なんだ?」
「おかしな話だが、それでもイシュメールとは最後に会いたいと思ってしまう自分がいる。馬鹿だよな」
「ああ、そうだな。だがーーそれはできない相談だ」
「え?」
「あんた、我に返った時に誰かに投げ飛ばされていただろう?気がついたら、あの病室には誰もいなくなっていただろう?」
忘れたわけではなかったが、それほど重要なこととも考えていなかった。
だがどうも目の前のドッペルゲンガー・オセロットの口ぶりからすると凄いことらしい。
「あ、ああ。おかしい、とは思っていた」
「あれは彼が、イシュメールが最後にあんたのためにやったことだ。あんたを再び正気に戻すため、あんたを迷わせるものすべてを取り払った。その代償を払えば、ドッペルゲンガーで居続けることはできない。実際、そうだったろう?
あの砂漠、前のスカルフェイスはお前を救った。
奴はあんたの怒りと憎悪を体現していたが、最後の最後ではお前が生き残る世界を選んだ」
「もう、いない?」
「奴の役割も終わった。そしてこのオセロットも、もうすぐ役割を終える。
伝えるべきことはすべて伝えた。あとはあんたが勝手にやってくれ。私を解放しろ」
「――わかった。感謝する」
言葉が伝わったのかどうかはわからないが、ドッペルゲンガー・オセロットは本人の言葉通り。その場からいきなりかききえてしまう。それこそ、奴の願いどおりなのだろう。
”幻(ファントム)の最後はこういうもの”という、実演。
気がつくと、熱いものがほほを伝って流れ落ちるのを感じた。
それを手のひらでぬぐう。
真っ赤な血だ。
頭に飛び出す鉄片の付け根からあふれ出たそれが、目じりに落ちてきて。涙のようにそこからも零れていった。
俺が流せるのは血の涙ということか。
すると本当に熱いものがこみ上げてきて、スネークは本当に泣き出してしまった。悲しいことはたくさんあった。だが、それでもここまで泣いた事は一度もなかった。
今日まで、自分ひとりで戦ってきたなどと考えたことはない。
多くの仲間が自分を助け、行く手を強大な敵が立ちふさがってきた。皆で勝ち続けてきた。
だが、明日からはもう違うのだ。
スネークは長い時間ではないが、心の底から声をあげて泣いた。
悲しんでいた。喜んでいた。感謝していた。
自らすべてを突き放し、孤独となる前にすませなくてはならない。それは儀式でもあったのだろう。最強最悪の悪鬼と呼ばれる男の目には、透き通る涙が輝いている。
自分はまだ、ビッグボスでいられる。
自分はまだ、任務を続けられる。
涙をぬぐうと、そこには新しい仮面(ペルソナ)が置かれていた。
まだ色はついていない。当然だが表情もなく、完全なデスマスクのそれだ。これに今からタレントを与える。
そうして出現するのが、新しいビッグボス。
新しい戦場を、一人で向かう孤独な伝説の兵士。
彼は世界をひとつにする、その未来のために戦い続ける。
さぁ、その作業を始めよう――。
2回分、ということで次回は明後日。