彼女の顔に変化はなかった。
凍りつくような目、そこに暗く、陰鬱 それはあの夜の助け出してきて。飛び起きたばかりの彼女を思い出させる。
「組織を作ると、途端に俺達を狙って敵が現れた。サイファーは再びXOFを、スカルフェイスが送り込んできた。俺は、俺達はやつをついに倒し――」
「もういいよ、スネーク」
「……」
「もういい――」
「パス」
「嘘は、いらない。必要ないの。ビッグボス、あなたにそれは似合わない」
「パス!?」
「……チコは?」
「なに?」
「チコ、あの子はどうなったの?」
唐突な質問だった。
脳裏に無邪気さの残る、悪ガキの顔がはっきりと思い出せる。そうだ、彼も、生きている。
「ア、アマンダと一緒だ。コスタリカに残ったんだ。信じられないだろうが、今じゃすっかり――」
「それも、嘘」
「パス――」
「あれほどの事故だったのに。ボスもミラーさんも、死に掛けたのに。”ただの少年兵”だったチコが、なぜ生き延びれたと思えるの?」
目元にたたえる悲しさは変わらなかったが、パスの表情が少しだけ柔らかさを取り戻してきていた。
だが、それを素直に喜ぶべきなのだろうか?
彼女は――パスは”過去の記憶”をまだ受け入れようとはしていないのに。
「私は夢を、見ていた」
「?」
「ボスも、チコも、MSFにいたみんなで迎えるはずだった。あの平和の日が訪れることを」
「パス……」
「でもスネーク、あなたは本当はわかっているんでしょ?平和の日は、来なかった。私には、平和の日の朝を迎えることはできなかった。ううん、来なかったわ」
「来な、かった?」
「そうよ、私はサイファーの指令を受け、作戦を実行した。”運が悪く”一命を取り留めたけれど、サイファーに再回収され。裏切り者として、あなたを呼び出す餌として扱われた。いっそ死んでしまえば、すべては丸く収まっていたかもしれないのに」
「……」
「そんな滅茶苦茶な過去を捏造しても、自分のことは誤魔化せないよ。スネーク、思い出して」
「俺が、過去を捏造?」
視界が揺れ始めた。
これまで一度も考えたことのない指摘に、驚くほど自分はどうしようもなく動揺している。
なんだこれは!?
狂っている。すべておかしくなっている。
冷静で的確に言葉を言い切る少女の前で、俺は逆に少女のように動揺して、恐怖して、震えているというのか!?
「そうよ。だってあなたはもうあの夜の起きたこと、すべてを知ってしまっているもの。だから、そんなことも平然としようとしている」
「俺が?君じゃなくて俺のほうが、過去を改竄している?」
なぜかパスの言葉に、はっきりと否定できない自分がいる。
この衝撃は生半可なものではなかった。体の中の血管がドクドクと波打つ音を感じた。パニックを起こす前兆が見られ、気が遠くなりかけてもいる。この激しいなにかに抵抗をやめれば、声を上げて泣き叫びもするかもしれない。そんな赤子に戻ったかのような無様な己の姿が、なぜか明確に思い描くことができた。
室内には、いつの間にか自分が生み出した亡霊たちが姿を見せはじめている。
ただひとつ、違うとすれば。彼らは以前とは違い、その表情に生気はなく。まさしく死者の顔をして、こちらを見つめ続けているだけだ。
増えていく、5人、8人、14人。
”俺”の幽霊が、パスの病室に。ここに集まってきている。
「これはすべて私の夢。そしてそれを覗き見た、あなたの幻」
「そんなっ、そんな馬鹿なことを。パス!?」
「ボス。それなら彼はなぜ、ここにいるの?」
パスの視線に導かれた先に視線をやる。
踏ん張っていた心が、驚きでわずかに揺らぎを見せる。ついに腰から力が抜け、床に尻餅をついてへたり込んでしまった。
あの砂漠以来、一度として姿をあらわさなかった男がそこに立っていた。
――爆弾を用意しろ
スカルフェイス。
亡霊となってすべてを奪われてもなお、敵でい続けるための俺の心への寄生だと嘯いていたはずの男。
だが、これはあの砂漠でこちらを激しく憎んだ奴ではない。
同じキャラクターの役割を与えられたばかりの、新しい幻が。危険な情報を、そのままに再現映像としてこちらに見せ付けようとしていた。
――彼女には終わるまで。目覚められても、死なれても、困る
あの不愉快な粘着する物言い。
だが、やつは不思議と別のものを見て言葉を口にしているようだった。
そうじゃない。いや、待て。これは……。
――これ、何時間もつ?長くはないのだろう?
――タイマーは24時間に。それ以上は、女の体が耐えられないでしょう
――本当か?
――爆弾の場所を作るために、必要のない臓器はすべて取りましたので
これは、テープだ。
オセロットやカズ。彼らが集めてきたテープの、それだ。
そして俺はこれを――知っていた!?
――仕上げてしまおう
――はっ?
――爆弾だ、もう一つ。こちらを散々に待たせた彼への、ビッグボスへの。私からの、ラブコール
そういうと奴は大切そうにあの包みを一つ取り出した。
ああ、爆弾だ。パスの、彼女の中に残された、彼女のそばにいる者達を殺すための毒。
そしてしずかに、奴はゆっくりと歩き出し始めた。
あの、パスに向かって。自分で腹部の傷口を開き、ベットの脇に立っている。抵抗しないであろう彼女に向かって。
自分の現在の状態などそれを見たらすべてが吹っ飛んでしまった。思考と行動のスイッチを、強制的にオンにしてがむしゃらにスカルフェイスを阻止しようと、飛び込もうとする。
心臓が金切り声を上げ、波打つほどの力強かった熱い血は冷たく凍りつき、熱は冷たい汗となって全身の毛穴から吹き出していた。
そんな勇ましい感情とは違い、
その気持ちばかりが前に出てしまい、へっぴり腰でおぼつかない足どり。ひどい姿だ。
それでも動いたならば最後まで、そう思ってスカルフェイスの腰にタックルを――といっても勢いがないからすがりつくのがせいぜいであったが――しようとスネークは突っ込んでいった。
目玉が火花を散らした後、ぐるりと世界は回転し。
胸と背中に強い強打が入るのを感じて、うめき声を上げる。
両足はもう、へその下から力が抜け。蛸の足のごとくふにゃふにゃになってしまったように感じる。
仰向けに倒れてもがくスネークの眼前に、あのスカルフェイスの顔が視界一杯に現れ、スネークは凍りつく。
――私はゼロへ、報復する
思えばこの男とは常にこの距離で会話をしていたような気がする。
”他人との距離”という礼を無視し。自分の思うままをその場ですべて、さらけ出さねば気がすまない、そんな感じだったのだと思う。
――これは憎しみや恨み、君らが考えるような個人的な情は一切関係ない
――私は”ビッグボスが憎いのか?”と彼女は、パスはそう思っていた
――私はすぐに答える。憎い?まさか、そんなことはない。私は彼を知っているが、彼は私の存在など知らなかったはずだ
――これはなにも彼に限った話ではない。私にとってゼロは恩人だ。感情だけでいえば、私はゼロに感謝しかない。報復などと、どの口がいえただろうか。
いつものやつと違うのは、あの黒いフェイスマスクがないということか。
そのせいだろうか、皮膚の異様さと目の輝きから爬虫類を思わせる顔だな、などとスネークはぼんやりと思った。こんな状況でも、いがいなことだが自分に余裕はまだあるらしい。
――雄大な自然を思うと、誰もが共通のイメージを持つことができる。
――煮えたぎる溶岩もやがては冷える。それは山となり、つまりは大地となる
――空に漂う水蒸気は雨となって大地に落ちると、川となって、海へとつながる
――これこそが自然の理、だ
――人もそうだ。循環する物事の中のひとつ。どうあろうと私はその中にいて、そしてただただ無力なのだ
虚ろな言葉をまたもこの男は吐き出し続ける。
だがそれは、この世界の過去にあった言葉だ。亡霊の意思は、不思議と感じないからそうなのだ。
――それは誰であっても、変わることはない
――少女も、少年も、ゼロも……ビッグボスでさえも、な
――逆らうことも、避けることも出来ない
心の中の、何か触れてはいけないと感じる部分に変化が生まれた。
それはゴロリ、と石が転がるように重そうに動くと。憎悪の炎がゆっくりと水のようにそこから染み出てきた。それは液体であったが、水ではなく。ガソリンのように、よく燃えた。
これまで見たことのない、感じたことのない新鮮な怒りがそれだった。
スネークは突如、奇声とも怒声ともわからぬ声を上げると目の前のスカルフェイスの首に両手を伸ばしていた。
奴は苦しそうに喉を鳴らしながら、愉悦の表情を思わせる顔をそのままに何の抵抗もしなかった。
怒りはますます激しいものとなって、スネークは体勢を入れ替えると。スカルフェイスの上に乗って必死になってその首を締め上げ続けていた。
手のひらの中で相手の気道がつぶれ、骨が砕けた感覚もあったが。胴と首はまだつながっていると思うと、その凶行をやめようという気にはならなかった。
彼の意識は、ついに狂気の側へと零れ落ちようとしていた。
続きは明日。