聖櫃と呼ばれる小さな貨物プラットフォームの中にいてもそれは聞こえていた。
異変の際に用いられる、繰り返し伝えられる館内放送のことである。
兵士は周囲の安全を確認し、中央の司令部と連絡を取る努力を続ける。連絡後に特に指示がなければ持ち場からは決してはなれず、冷静に行動せよ。司令部は状況の把握に全力を尽くしている。
とはいえ、きっと今頃は混乱しているだろう。
「ずいぶんと騒がしくしてくれたんだな、貴様は」
「……」
「この放送を聴いただろう?騒ぎになっている。当然だ、俺たちも姿を消しているんだからな。何がしたかったんだ、一体」
「――そうする必要があった」
「ほう、そうか!俺をこんな深夜に呼び出しただけでは足りなかったのか?貴様、プラットフォームをひとつ丸ごと海に沈めたというじゃないか。あれは金がかかってる、どういうことか説明してもらおう、オセロット」
カズの声は不機嫌だった。
近づきたくはない忌まわしい過去につながる品々を”彼なりに封印”した場所に呼び出され、騒ぎをおこされ、そのためにプラットフォームをひとつ丸ごと消されてしまった。
相手がオセロットでなければ、つかみかかるだけではすまないほど怒りを感じていた。
その一方でオセロットは気だるげであった。
いつも以上に西部劇を思わせる格好だが、なぜかこの暗い海を夜泳してきたらしく頭の先からつま先まで。濡れそぼって、なんだか見れたものではなかった。
「カズヒラ、お前と会う前にあっておきたい人がいたんだ」
「ほう、誰だ?それでこの大騒ぎをはじめたのかっ」
「そうだ」
「ふざけているのか?そんなこと、ボスにどう説明を――」
「ボスは何も言わない」
「なんだと!?」
「俺が会っていたのは、彼だ。俺は彼に会って、辞表をたたきつけてきた」
「……なにをいっているんだ、オセロット」
なげやり、とは違うのだろうが。
問われた先からあっさりと答えを口にする目の前の男の異常な様子に、カズはなにやら不安を覚えてきたのだった。
そして辞表だって?
自分達はどこかの会社に勤めている社員ではない。
ここにいるビッグボスを支える、そのために必要な共犯の関係が自分達だ。これは片方がサヨナラしてもかまわない、なんてものではない。これは――。
カズの心臓がひときわ高く鼓動を刻む。冷たい汗が、背中を流れる。
オセロット。こいつ、この男は何を考えている?なにをしようとしている?
「どういうことだ、オセロット?」
「なにがだ?」
「あれはあの日、お前が俺に言ったことだ。ボスを、ビッグボスを支えるのが俺たちの仕事だと」
「ああ」
「なのにお前は先に抜けると言い出した。どういうことだ?まさか――まさかあの時の言葉は嘘」
「あれは本当のことだ。言ったとおり、嘘はない」
「じゃあ!?」
「カズヒラ・ミラー。お前も俺と同じように、今日。このダイアモンド・ドッグズから去ってもらうことになる」
「なんだと!?勝手なことを言うな!」
「ああ。まぁ、そうだな。だがそうなっている」
いい加減、カズも殴りかからない理由はどこにもなくなってしまったが。顔の筋肉をヒクつかせたのはわずかで、すぐにあのふてぶてしい顔へと変化する。
「お前がやめるのは構わんが。なぜこの俺が、お前と同じくここを去らねばならない?」
「……」
「このダイアモンド・ドッグズはそもそもこの俺が始めたPFだ。ボスに、あの男にその席を譲りはしたが、権利をすべて譲り渡したと考えられては困る!」
「ふん、どっちが会社員の言葉なんだ?カズヒラ、お前の今の言葉はまさにそれじゃないか」
「うるさい!黙れ!」
次第にカズの心の中に恐怖が広がろうとしていた。
オセロットの思惑が読めないでいた。この男が、直前にボスとどんな会話を交わしたのか。それも非常に気になっていた。
「貴様、なぜやめると言い出した?」
「もうボスには俺たちの力は必要ないからだ」
「ハッ、馬鹿な!あれはゼロが生み出したビッグボスのコピーだとお前が言ったんだぞ」
「ああ」
「それが俺たちの力は必要なくなった?どこを見たらそんな話になる!
貴様、あのボスの部屋の中を見たことはあるのか?何もない、何もだ!そのかわりに俺や、お前が彼の”おねだり”で集めてきた過去のビッグボスの言葉。音声の入ったテープだけが、山となって机の上に積まれている。
奴は、あの男は部屋に戻るとずっとあのテープを繰り返し、繰り返し。何度も何度も聞いては取替え、聞いては取替えして記憶を思い出そうとしている」
「知っている」
「奴がそんなこと、思い出すわけがないだろう!
あいつはボスじゃない。別人の記憶が、どうしてあいつの頭の中に宿ることになる。テープの音声を聞き続けても、それは変わらない事実だ。
それなのに奴はなにかを取り戻した気になって、ビッグボスになりきっている」
「そうだな」
「俺に言わせればな、オセロット。
あれはただのサイコパスだ。酒を飲みすぎて酔っ払うように、ビッグボスの言葉を繰り返して本人になりきったふりをしている病人だ。そいつに俺たちの助けはもう、必要ない?
ハッ!
そんなわけがあるか。
ゼロに、サイファーに奪われたあいつの人格、顔、記憶。それらのせいで穴だらけになった部分を埋めようと、奴はさらにビッグボスにのめり込む。俺だって少しは調べてわかっているんだぞ、オセロット」
「……」
カズの顔が、これまでにみたこともないくらいに邪悪な笑みを浮かべていた。
口元に薄い笑みを浮かべているだけのそれだったが、しかし反面。どこか器の小ささを感じさせる下卑たものがそこに混ざっている。醜悪さがにじみ出ていた。
「奴はビッグボスとしての今の自分を肯定するために、ますますビッグボスの幻にはまっていく。
そのせいで消された元の人物の心は否定され、知らず知らずに傷つけられ。トラウマとなってあいつの現実に、侵していく」
「そうなるだろうな」
「見知らぬ亡霊に囲まれる毎日、それもどうしたって限界が来る。その時、俺たちがそばにいて。奴が現実を見失わないよう力を貸す。俺たちの任務とはそういうことだろう」
「……それだけか」
「なにっ!?」
「それで全部か、と聞いたんだ。カズヒラ・ミラー」
「何が言いたい」
乱れた髪の先からまだ水滴が落ちていたオセロットは、この時ようやく片手で持って髪をかきあげた。
それと同時に、それまでのしょぼくれた表情は消えると冷たく輝く瞳を持つオセロットの顔が現れた。カズは無意識のうちに身構えている。
そこには確かにいつものオセロットが立っていた。
だが、その表情の中には”自分の知らない”危険な目を輝かせる不気味な顔が見て取れたのだ。
「続きを自分の口からいいたくないというならば。俺がそれを言ってやろう」
「……お前、本当にオセロットなのか?」
訝しげに発せられた問いは無視される。
「それはこうだ。『そしてボスが限界が来たとしても。俺たちの手で、彼がするべきことを導いてやる必要がある』」
「――そうだ」
「残念ながらそれは違う、違うぞカズヒラ・ミラー。それは”俺達の任務”じゃない。お前が勝手に作り出した、お前だけの必要のない任務だ」
「……」
「だが正しい部分もある。人が人を、他人を自由に操ることなど。他人に完全になりきることなど、できはしない。それはあのゼロであっても、不可能だ。ここにいるボスも不安定な、精神的なドッペルゲンガーにすぎない」
「それならっ」
「フッ、だからどうだというのだ?それがどうだというのだ?
お前は肝心なことを忘れている。俺たちの目の前には今もビッグボスがいる。彼はドッペルゲンガーでしかないが、そもそもそれこそが彼の果たすべき役割だった。つまり俺たちの役目は終わっている」
「そんなことっ」
「ナバホの老人も言っていた。人体に侵入しようとする毒を中和するために免疫は必要だが、毒が体内になければ免疫は逆に人体の毒と変わる。今、このビッグボスにとって俺たちの存在は害になろうとしている」
なにかが一変したかのように感じ、わずかに気後れを見せたカズであったが。オセロットがとうとうと、ダイアモンド・ドッグズにおける自分たちの役割は終わったのだと主張するのを聞いて、落ち着きを取り戻していく。
まだ警戒の色が濃く残ってはいるものの、再びその顔にはあの歪みが浮かび上がってくる。
「そうか、俺たちは不要か。だがやめるならお前は勝手にすればいい。俺は俺で、好きにさせてもらう」
「ほう」
「ああ、そうだとも。俺は――」
「やはりな、カズヒラ・ミラー。お前はお前だ。また同じ過ちを繰り返してしまう」
あの日にも感じたことをオセロットは嘲笑と侮蔑をこめて口にする。かつてあった、共犯者へのわずかなやさしさはそこには残っていなかった。
「お前が渡していた、ボスのテープ。今、あそこにはMSFが沈んだ後。ゼロが俺と貴様に連絡を取った際の記録も入っていると、お前は知っていたか?」
「……なん…だと?」
「俺が入れておいたんだ、知らなかったのか?
そうだろうな、お前はそういう男だ。カリブの海で海賊狩りが終わってボスをゼロに奪われた後、ゼロの連絡を受けてお前は怒っていたな?
ゼロにはなんと言われた?『カズヒラ・ミラー、ビッグボスはいつか必ず目覚める。その時、彼のそばにいてやってくれ』だったな。覚えているか?」
「――ああ」
「そうか、”そばにいろ”。それがゼロがあんたに求めたことだ」
カズに向けるオセロットの眼光に鋭さと力が増した。そこには、はっきりとした憎悪と殺意がこもっている。
「あんたに”ビッグボスをコントロールしろ”とは言わなかったのにな!」
「何が言いたい?」
オセロットはフンと鼻を鳴らす。
「あのゼロが、お前のようなうかつな男を再びボスの近くに置かせる。そう聞いたとき、俺もお前のことを調べさせてもらった。正直、貴様の経歴を見て良い印象はなかったよ。
強大な力を手にすることへの欲求に反して、貴様は自分の弱さをコントロールすることにはまったく興味のない男だとすぐにわかった。ゼロが最初にあんたを選んだのも、それがわかったからだ。
お前は過去のMSF壊滅の原因にずいぶんと執着していたな?本当はわかっていたのだろう?
強大な武装組織となったMSFを、一夜でカリブの海に沈めたのは貴様が原因だと。逆を言えば、あの時ボスのそばにいたのがゼロであれば。あのような騒ぎは起こらなかったともいえる。お前はゼロには遠く及ばない」
「なにを!?そんなこと、後付でわかるわけがないだろう!」
「どうかな――俺はこれまでダイアモンド・ドッグズで、貴様を身近に見てきたが。この印象は今も変わらない。
MSFではビッグボス、メタルギアZEEK、核。これを手にして貴様はゼロに。サイファーともこの先では肩を並べられると慢心した。その結果、ゼロを狙うスカルフェイスに気がつかないまま。接近を許し、足元をすくわれることになった」
「昔のことだ。いまなら何とでもいえる」
「ではここでのお前はどうだった――?
スカルフェイスを倒したお前は、またもや不安定になっていった。理由をつけてボスをダイアモンド・ドッグズから離れさせ。その間になにもかもを進めようとして、失敗した」
それは確かにそうだった。
あの時、すべてはスネークがいない間に起きたことだった。
彼がいない間に、事件のすべてが同時並行で進行し。彼が戻って混乱する事態を掌握しようとしたときは、もう手遅れなものが多かった。
「ヒューイと呼ばれていた科学者の裁判。
ここにいるボスはあれをしきりに気にしていたが、貴様は大丈夫だとのんきしていたな。
俺も思っていたよ、どうするつもりなのだろう、とな。
その結果はひどいものだった。
お前は証拠ではなく、証言で部下達を焚きつけることで、ビッグボスに処分を迫った。当然、彼は部下達の願いをかなえてヒューイをその場で処分するだろうと十分に目算を立てた上でのことだ。A.Iはあったことをそのまま記録することはできる。
当時のありのままの事件当時の本人達の言葉はあるが、ヒューイ自身の動機となるような証拠までは読めないし、見えることもない。
だが、証言があれば人はそれを信じたがる理由にすることはできる。お前は部下達にヒューイを憎む理由をみせたにすぎない。あれは裁判ではなかったし、なるはずもなかった。
だが、彼は貴様の思惑をこえた。
その理由を自らの言葉で話し、部下達の怒りを吹き飛ばしてみせた。私刑の場が、終わってみれば見事に裁判のそれとなって終わっていた。
だからなんだろう?
貴様はあの時から目の前にいるビッグボスを恐れ、敵とした。貴様は未来ではなくあの瞬間に、貴様自身がもっとも嫌ったヒューイやスカルフェイスと同じ場所を選んだ。ビッグボスの敵となった」
「馬鹿な!」
「クワイエットの逃亡、まるで待っていたようなタイミングだったな。知っていたのだろう、マザーベースから離れようとしている彼女に。
そしてお前はクレムリンに彼女の情報をリークした。
彼女を取り押さえる方法は多くはないが、弱点を突けばスカルズにも匹敵する狙撃手も脅威にはならない。
奴等は捕らえてまず、なによりも先にクワイエットに衣服の着用させた。あの国の男達の気質は荒々しいのはおれ自身が良く知っている。あんな姿の女性に気を使って服を着せる紳士はいない。まずは軽く嬲ったあと、裸で引きずり回したっておかしくない連中だ」
「……俺は、知らん」
「そうか?クレムリンも貴様の求めるものには興味を示さなかった。
捕らえたクワイエットを追って現れたビッグボスを狙って大軍を差し向けてきた」
「……」
「これひとつだけでも、貴様がボスの役に立たない理由には十分だ。
だが、認めないのだな。いいだろう。
子供はOUTERHEAVENには入れない――ボスにそういったそうだな?
だがそれはお前が勝手に言ったことだ、彼の言葉じゃない。なにより、現実の戦場を見ていない。
少年兵など、どこの戦場にもいる。なのにお前はそれを否定するように、見ないようにつまらない小細工をしていた。
そしてどうなった?
無様な話だ。部下に戦場に向かうのにわざわざゴム弾だの麻酔だの使わせ。優れた技術を持つ兵士に危険などないのだからと黙らせて出動させた。
それなのに肝心の少年兵達はそれを不満に思ってダイアモンド・ドッグズに反旗を翻す」
「イーライ。彼は、あのビッグボスの息子だと思ったからだ。実際、そうだった」
「それが貴様のあの事件への言い訳か?
あいつはここにいるボスにむかって言い放ったよ。『世界を敵にまわし、全てを焼き尽くす』と。だが実際はどうなった?
小さな島がひとつ焦土となっただけだった。
”ビッグボスの息子”とはいってもこの程度だ。
子供の口にする世界なんてものは、あれほどの少年でも島ひとつ。それで終わりなんだ、気にする話ではない」
「むぅ」
「そしてお前はまだ、ボスをコントロールできると執着している。マザーベースに蔓延させた「ビッグボスは偽者だ」というメッセージ。あんな説得力のかけらもない噂、ひとつだけでな。諦めろ、お前はまたもや失敗したんだ」
「……フン、言っている意味がわからんな。オセロット」
「なに?」
「俺には何のことを言っているのか、わからないと言っている」
「ミラー、貴様……」
居直るつもりなのだ、とすぐに理解できた。
本当に諦めの悪い男だ。
「お前はなにやら言っていたが。それは言ってみれば”お前が勝手にそう考えた”というだけの事。おれから言う事は何もない」
「やれやれ」
「だからやめるというならば好きにしたらいい。だが、俺が貴様と仲良く肩を並べてここを出て行くと考えているなら。それは大間違いだ、オセロット」
「この期に及んでまだそんな事を……観客もさすがに興ざめをおこすぞ」
「ここをやめたというならお前はもう仲間じゃない、俺のことは気にしないでくれ」
「これでも随分とやさしくしてやっているんだぞ、カズヒラ・ミラー」
「知らん。俺には貴様の口にする事に、覚えは――」
ない、と言い切ろうとしたカズであったが。
銃声がそれを遮った。オセロットがいきなり、リボルバーを抜いたのだ。
それはカズの杖を真っ二つにすると、バランスを崩してはよろよろとその場で地面に尻餅をついてしまう。撃ったオセロットは銃をホルスターには戻さず、手で回して遊びだした。
「なにをする!?」
「カズヒラ、お前がいい位置に立っていた」
「俺を――殺すのか?」
「そうなるな。お前はボスの敵になった。認めなくても、誤魔化そうとしても。お前はもうそうなっている。
ここにいるビッグボスはまだお前を許しているが、どうせこのままならお前が憎んだヒューイと同じく、裏切り者として追放されることになる。
だが、困った事にお前は確かに優秀だ。
自分の立場がなくなったと理解すれば、あせって馬鹿なことをしでかさないとは限らない。ここにいるボスを、彼を殺そうとするかもしれない。そんな危険は冒せない」
「戦えない男を、撃つのか?」
カズの言葉を聴くとオセロットは嘲笑した。しながら、答えた。
「違うなカズヒラ・ミラー。お前は戦えないんじゃない、戦わないことを選んだんだ。それだけでもボスとは違う。
ボスは腕と過去の全てを失っても戦場に立つが。貴様は失ったものはそのままで、戦場にいる。副司令官という椅子に、ここで唯一許された”政治家”となって兵士達に命令している」
「俺が、政治家だと!?」
「そうだ、何だと思っていたんだ?
ダイアモンド・ドッグズは武装組織だ。戦場で戦えないやつの居場所はここにはない。
だから兵士は、貴様からでた命令はビッグボスのものとして受け取る。お前はボスの考えを知り、そのために必要な事を考えて実行する。それだけだ、お前の考えている自分の意思なんてものは元からここにはなかった」
「政治……俺は政治で、ここに食い繋いでいたと。侮辱するのか、オセロット!」
「怖い声で言わなくていい。事実だ。
実際に現実を見てみろ、お前はまるで――」
オセロットの演説は唐突にそこで終わった。
リボルバーの回転を止め、表情は固まり、眉が跳ね上がる。あまり見たことないオセロットがいた。
彼の視線が、部屋の入り口で震えながら自分にライフルを向けている。一人のダイヤモンド・ドッグズの兵士の姿を捉えていた。
明日は私用のため更新不可、続きは明後日に。