月と薔薇   作:夕音

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 ようやく少女たちの質問攻めから解放された私は、まだ時間がそう遅くないので部活の見学でもしようと教室を出て廊下を歩いていた。

 女子校であるリリアン女学園は、お嬢様学校ということもあってかどちらかというと運動部よりも文化部の方が盛んであり、男性がすることの多い野球部やサッカー部といった運動部は存在しない。

 球技で盛んなのは、バスケットやバレーボール、テニス辺りである。

 前者二つは室内競技であり、テニスは専用のコートで練習をしているので、つまりグラウンドを使用する部はあまり多くないのだ。

 パンフレットを家でひとしきり眺めた限りでは、使うのはラクロス部と陸上部、ソフトボール部くらいだろうか。

 その反面、体育館を使用する部は多い。

 先述の二つに加えて、卓球部、ハンドボール部、バトミントン部、体操部、新体操部、ダンス部、応援部など。

 また、剣道部や弓道部やフェンシング部や薙刀部、柔道部や合気道部や空手部などの武道系の部活は、それぞれ専用の武道場を使って練習をしている。

 他にも居合道部や杖術部、変わり種では柳生心眼流体術部など、名家の令嬢も多いリリアンではいざという時に護身に使える武道が奨励されていた時代が過去にあったらしく、今でも武道系の部活がやたらと多い。

 例えば剣道部と弓道部で同じ武道場を共用することは不可能なので、部活ごとに専用のものを用意しなければならず、学園の敷地内には武道場がいくつも存在していた。

 決して金銭的に軽くない負担だろうに、敷地内にそれぞれの武道場をきっちり建てている辺りはさすがリリアンである。

 基本的に、各武道場は近くに集めるように建てられている。

 今日は武道系の部を見学しようと思っている私は、そちらの方へと足を伸ばしていた。

 建物の並ぶ中を歩いていると、一つ明らかに他のところと比べてひときわ新入生で賑わっている部を見つける。

 どうやら、そこは剣道部らしい。

 由乃さんによれば、黄薔薇のつぼみである令さまが所属しているそうなので、彼女を目当てに新入生が集まっているのだろう。

 その近くを通り過ぎながら、私はフェンシング部の練習場へと入る。

 

「ごきげんよう。見学させていただいてもいいでしょうか?」

「ごきげんよう。もちろんよ。歓迎するわ、綾さん」

 

 剣道部の方に人を取られているためか、こちらの見学者は少ない。

 声を掛けると、一人の少女が微笑みながら私の言葉に頷いた。

 つい今朝スピーチをしたばかりだからだろう、彼女は私の名前を覚えていたらしい。

 

「綾さんは、フェンシングの経験はおあり?」

「リリアンに入学する少し前まではしていました。こちらに来てからは、入学準備などで忙しく剣を持てていませんでしたが」

 

 向こうでは、日本と比べてずっとフェンシングが盛んである。

 ずっとイギリス育ちだった私も、小さな頃からフェンシングを習っていた。

 

「本当? それなら、腕前を見せてもらおうかしら。フルーレでいい?」

「ええ。もちろんです」

「美優ちゃん、彼女と手合わせしてあげて」

「はい、明日香さま」

 

 日本ではフェンシングはメジャーとは言えないので、経験者はかなり少ない。

 貴重な経験者だということで、こちらの実力を見ようとしているのだろう。

 こちらに来てからは多忙や環境の不足などで一度も試合をできていなかったので、久々にフェンシングができることに胸を昂らせつつ、私はどうやら部長らしい彼女の言葉に頷く。

 すると、私の相手役として指名された美優と呼ばれた少女が、部長からの言葉に返事をすると手にしていたマスクを被った。

 

「審判は私がするわ。五点先取で勝ち。防具と剣はあちらにあるものを使って」

「ありがとうございます」

 

 さすがに家から使用する道具を持ってきてはいなかったので、部で用意されているものを使わせてもらう。

 壁際に近付くと、そこに収納されていた防具を手早く身につけていく。

 フェンシングの防具は構造がそれなりに複雑なので、いささか着るのが難しい。

 これをすんなりと身につける動きで、本当に経験者だということは分かってもらえただろう。

 

「よろしくね、綾さん」

「こちらこそ。よろしくお願いします、美優さま」

 

 剣を手にした私がピストの上に進み出ると、既に準備を終えていた彼女と言葉を交わす。

 そして、互いに剣を構えた。

 ふと周囲に目を向けると、いつの間にか見学の生徒の数がかなり増えている。

 どうやら剣道部の見学をしていた少女たちがこちらに集まってきているようだ。

 令さまの見せ場が終わったからなのか、あるいはフェンシングの試合が珍しいのだろうか。

 とはいえ、それはさして重要ではない。

 今重要なのは、美優さまとの手合わせだろう。

 明日香さまが、準備ができているかを私と美優さまに尋ねる。

 もちろん、準備は万端だ。

 私たちの返事を耳にして、彼女は試合の始まりを告げた。

 同時に動き出す私と美優さま。

 いくらこれが単なる手合わせであり、相手が先輩であるとはいえ、こうして実戦形式で向かい合った以上は手を抜くのは相手に失礼だろう。

 先に攻撃をしてきた彼女の剣を払うと、すかさず反撃に転じて脇腹のあたりを突く。

 こちらの得点だ。

 簡易的な手合わせということで先に五点を取った方の勝ちなので、あと四点。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました、美優さま」

「ありがとう、綾さん。本当に強いのね」

 

 試合を終えた私は、彼女と握手と言葉を交わす。

 久々のフェンシングは、かなり楽しかった。

 マスクを脱いで、汗で肌に貼りついた髪を後ろに払う。

 すると、見学の少女たちがこちらに歓声を送ってくれた。

 どうやら、始める前に見た時より更に数が増えているようだ。

 中には、眼鏡をかけ、首から下げたカメラを構えている少女などもいる。

 

「まさか、美優ちゃんが一点も取れないなんて……。この子はうちのエースなのよ」

「手を抜くのは失礼だと思いましたので、全力で挑ませていただきました」

 

 彼女がかなりの実力者であることは、実際に向かい合ったことでよく分かった。

 けれども、私とて十年以上本気で取り組んできたのだ。

 そう簡単に負けるつもりはなかった。

 

「あの、もしかして、綾さんは去年の全イギリス選手権のフルーレとエペでベスト4に入っていた岸本綾さん?」

「ええ、そうですよ」

 

 周りで手合わせを見ていた部員の少女の一人が、一歩進み出ると私に尋ねる。

 私はそれに肯定の言葉を返す。

 それと同時に、向こうにいた頃の私がただ一人どうしても勝てなかった相手の姿が思い浮かべていた。

 ベスト4という戦績で終わったのも、その相手に準決勝で敗れたからなのだ。

 

「ああ! そうよ、どこかで聞き覚えがあるって入学式の時から思っていたの。ごめんなさい、腕前を確かめるだなんて言ってしまって……」

「いえ。こちらに来てからは一度も剣を手にしていなかったので、久々に試合ができてとても楽しかったです」

「ありがとう。ぜひ入部してもらいたいのだけど、どうかしら」

「しばらく考えさせてください。一通りの部を見学させていただいてから決めたいので」

 

 部長から入部の誘いをいただくが、ひとまずそれを保留にする。

 リリアンには多彩な部活がある。

 このまま部活でフェンシングを続けるか、あるいは高校デビューということで全く違うことに挑戦するか、それはまだ決めていなかった。

 

「そう……。あなたが入部してくれるのを待っているわ。これから他の部も見に行くの?」

「はい。リリアンにはいろいろな部がありますからね」

「もし入部する気になったらいつでもいらしてね。歓迎するわ」

 

 微笑みながら言うと、明日香さまはかなり多くなった見学者の応対に回る。

 この中で、何人がフェンシングの魅力に触れて新しく始めてくれるのだろうか……と思いつつ、私は防具を脱いでいく。

 もしかするとフェンシング以外のことを始めるかもしれない私が言うことではないが、一人でも愛好家が増えてくれれば嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「綾さん、少しよろしいかしら」

「何でしょうか」

 

 それからしばらくして、いくつかの部を見学して回った私が薙刀部の武道場から出て少し歩いていた。

 既に経験のあったフェンシングとは違い、したことのない武道の部活ではまず一通りの基礎を教わるところから体験が始まる。

 なので、三つ四つほどの部活を見学して回っただけでもうかなり遅い時間になってしまっていた。

 ――由乃さんの姉、黄薔薇のつぼみがいるという剣道部にも興味があったのだが、見学するのは明日になるだろう。

 そんなことを考えながら歩いていると、ふと横合いから声をかけられる。

 そちらを振り向くと、そこには眼鏡をかけ、首から黒いカメラを提げた少女の姿があった。

 彼女を見て、先ほどフェンシング部で見学者たちに混じってカメラを構えていた少女であることを思い出す。

 

「私は写真部の武嶋蔦子というの。と言っても、少し早く入部した一年生だけどね」

「よろしくお願いします、蔦子さん」

「こちらこそ。それで、さっきフェンシングをなさっていた綾さんの写真を撮らせてもらったのだけど、いい写真になったから急いで現像させてもらったの」

 

 そう言って、彼女は何枚かの写真をこちらに差し出す。

 受け取ったそれを覗き込むと、そこには試合を終えてマスクを取った後の私の姿が写っていた。

 

「これからも撮らせていただくことが多くなるでしょうから、手土産に差し上げようと思うのだけど、どうかしら。もしお嫌ならネガごと処分するわ」

「いい写真ですね。ありがとうございます」

「気に入ってもらえて何よりだわ」

 

 蔦子さんはカメラマンとしてかなり腕がいいのだろう。

 渡された写真の中の私は、これが本当に自分なのかと一瞬戸惑ってしまうくらいだった。

 例えば私が何かを撮ったとして、蔦子さんの撮る写真のような出来栄えにはならないだろうと確信できる。

 

「では、ごきげんよう。まだ他の方の写真も撮らなければいけないから。綾さんとは、これからも何度もご一緒することになると思うわ」

「ごきげんよう。その時は、綺麗に撮ってくださいね」

 

 写真部の活動で忙しいようで、私に写真を手渡すと足早に立ち去っていく蔦子さん。

 三薔薇さまやつぼみの方々もそうだが、お嬢様学校のリリアンにも彼女のようなただ箱入りのお嬢様であるだけではない癖のある生徒はいるようだった。


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