月と薔薇   作:夕音

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 入学式は、特筆に値するような変わったこともなく終了した。

 先生がたのお話を伺ったあとに私が新入生代表としてスピーチをし、蓉子さまが在校生代表として同じようにスピーチをすると、式は終わりを告げて生徒たちは皆教室へと向かっていく。

 座っていた席を立ち、私のクラスである一年菊組の列へと入る私。

 式が始まる直前まで打ち合わせやリハーサルをしていたこともあって、私は他の新入生とは違いまだ教室に行っていない。

 これから一年間級友となる少女たちと顔を合わせるのも、これが初めてだった。

 ごきげんよう、とこの学校の流儀に合わせて挨拶をし、共に教室へと歩いていく。

 私は外部からの転入という形でリリアンの一員となったが、家で読んだパンフレットによれば毎年外部入学の生徒は学年に数名程度しかいないらしい。

 つまりほとんどの生徒は中等部からのエスカレーターでここにいるのだが、その頃から仲がよかった関係の子たちも多いようで、既に騒がしくならない程度に歩きながら小声で話している少女たちの一部は、何人かで顔を寄せ合ったりしていた。

 もちろん外部入学であるどころか、そもそも最近まで日本にさえいなかった私にはこの国に同年代の顔見知りなど親戚などを除けばほぼ皆無であり、当然ながら級友にも知己の少女はいない。

 単に初対面であるというだけでなく、外部入学で入ってきたリリアンにとっての一種の異物である私が珍しいのだろう、列の中を歩いている私に彼女たちからの視線が集まってくるのを感じた。

 

 やはりこういったところもお嬢様学校らしく、公立の学校に慣れていると驚いてしまうくらいに広い教室につくと、皆が席に着いてすぐに担任の先生が教壇に立ち、自己紹介を促す。

 聡美という名前らしい先生が初めに名前と担当の教科を口にすると、教室の左前方の席の子から順番に自己紹介が始まった。

 内部進学であるほとんどの生徒は高等部でもこれまでと同じ部活を続けるようで、もちろん部活をしていない生徒もいるが、既に高等部の部活に参加しているという子も多いらしい。

 部活は何に入ろうか、などと思いながら彼女たちの声を聞いていると、すぐ前の席の生徒の名乗りが終わり、私の番になる。

 

「岸本綾です。趣味は料理とフェンシングです。まだ部活動は決めていません。右も左も分からない新参者ですが、よろしくお願いします」

 

 適当に自己紹介を済ませる私。

 前世ではとっくに成人していたし、当時の私はリリアンとは程遠い外の世界で育ったので、本当は他にも趣味をいくつか持っている。

 その中から、この学園で育ってきたお嬢様たちにも比較的理解されやすいだろうものを選び、趣味として宣言した。

 そして、教室中からの視線が集まるのを感じつつ、再び腰を下ろす。

 すると後ろの席の生徒が立ち上がって自己紹介を始め、私に向いていた視線が今度は彼女へと集められる。

 その後も、順番は続いていった。

 

 簡単なものであったために、すぐに最後の生徒まで終わりを告げる。

 入学式ということで今日は授業などは特になく、プリントを配られたり、学園に関しての説明などがされた程度で放課となった。

 先生がいなくなると、途端に騒がしくなる教室。

 ほとんどが幼稚舎から一貫してリリアンで育ってきた箱入りのお嬢様であるので公立の学校と比べればずっと淑やかで落ち着いた雰囲気であるが、だとしても十代の少女ばかりが集まっていたらある程度かしましくなるのは必然だった。

 この後はどうしようかと考えながらカバンにプリントを仕舞っていると、自己紹介の時と同じように視線が多くこちらに向けられているのを感じる。

 異物である私に興味はあるが、きっかけも無しに話しかけられるほどの積極性はないということなのだろう。

 逆に言えば、何かきっかけさえあれば打ち解けることも出来そうなのだが。

 

「ごきげんよう、綾さん」

 

 どうきっかけを作ろうかと考えていると、私の右隣の席の少女が声を掛けてきた。

 黒い髪を長い三つ編みに纏めた、儚げな印象を受ける美少女である。

 

「ごきげんよう、由乃さん」

 

 先ほどまでの自己紹介で島津由乃と名乗っていた彼女は、微笑みを浮かべてこちらを見ている。

 その表情は儚げな顔立ちによく似合っていて、まさに深窓のお嬢様といった風情だった。

 タイプこそ違うが、彼女もまた三薔薇さま方と同じくらいの美少女だと言えるだろう。

 山奥のサナトリウムで療養していそうな病弱な美少女、というと我ながらあまりに安直な表現だが、その姿からは守りたいと思うような庇護欲をかき立てられる。

 とはいえ、他の少女と違って自分から話しかけてくれたのだから、決して外見通りただおとなしい令嬢というだけではないのだろうけど。

 

「皆さんあなたに注目しているわよ」

「私は外部入学生ですからね。きっと珍しいんじゃないかな」

 

 教室を軽く見回して、そう口にする彼女。

 けれども、リリアンという特殊で隔絶された箱庭で幼少より育ってきた彼女らにとっては、突如外からやってきた私は完全な異物である。

 警戒と好奇心が混じった目線を向けられるのは、ある意味当然のことだった。

 

「それだけじゃないと思うけど……。綾さん、新入生代表で目立っていたじゃない。お姉さまに聞いたけど、編入試験で満点を取ったのでしょう?」

「ええ、満点だったと伺いました。それよりも、お姉さまというのは、スール制度の?」

 

 この学校には、スール制度という独特の制度が存在していると噂で聞いたことがある。

 学園側が公的に定めた制度ではないためにパンフレットには特に記されておらず、そのため詳しいことは分からなかったが、何でも母によれば上級生と下級生が互いを姉妹として呼び合う制度なのだとか。

 

「そうよ。リリアンでは、上級生が下級生にロザリオをかけて、妹として教え導く習慣があるの。綾さんには、きっと妹にしたいという上級生の方からの申し込みが殺到すると思うわ」

「そうでしょうか?」

 

 私に注目が集まっていることは分かるが、それは単に異物として浮いて目立っているせいであり、別に私に魅力があるからではない。

 時間と共に落ち着いていくだろうし、そのような申し込みが集まるとは思えなかった。

 

「誰の申し出を受けるかはちゃんと考えてから選んだ方がいいわよ。早い者勝ちじゃないんだから」

「まだスール制度がどんなものなのかよく分からないので……。由乃さんの姉はどんな方なのですか?」

 

 由乃さんの真剣な口調からするに、姉妹選びはその後の学校生活を左右するような重大事なのだろう。

 リリアンの生徒にとってスール制度がそれだけ大きな意味を持っていることは理解できたが、とはいえ無関係の世界で育ってきた私には、未だそれがどのようなものなのかがはっきりとは実感できていない。

 なので、そのことを由乃さんに尋ねてみる。

 

「私は従姉妹の黄薔薇の妹がお姉さまよ。支倉令さまって言って、剣道が凄く強いの。だけど、私のところは特殊だからあまり参考にならないんじゃないかしら。初日から誰かと姉妹になっているのは私くらいだと思うわ」

「そうなのですね。でも、少し姉妹とは何なのかが分かった気がします」

 

 従姉妹ということだから、恐らく由乃さんは入学前から姉妹になる約束を令さまという方と交わしていたのだろう。

 ほとんどの生徒はそうした相手がいないので、これから学園生活の中で姉となる少女、妹となる少女と巡り合うことになる。

 そう考えれば由乃さんの例は確かに姉選びの参考にはならないだろうが、だが姉妹というのが何か特別な絆で繋がった関係であることは姉のことを語る彼女の表情を見ていればよく分かった。

 

「ふふ、それならよかった。では、私はお姉さまとの約束があるからそろそろ失礼するわ。ごきげんよう」

「ええ、ごきげんよう、由乃さん」

 

 一緒に帰る約束でもしているのだろうか、ちらりと時計を見た彼女は、そう言って席を立つ。

 その拍子に、長いお下げがひょこひょこと揺れた。

 朝の挨拶であり、出会いの言葉であり、別れの言葉でもあるごきげんようという言葉。

 その言葉を交わすと、由乃さんは教室を後にする。

 

「あ、あの」

 

 今日は初日なのでまだ掃除は無い。

 残された私は、もう教室を後にする準備は整っていたので、適当に部活を見て回ろうかと思い立ち上がりかけるが、意を決したような表情の少女に話しかけられ途中で動きを止めることになる。

 きっと、由乃さんと話しているのを目にしたことで、異物である私に話しかける勇気が出たのだろう。

 まだ卒業後の進路までは決めていないが、少なくともこれから三年間はリリアンという世界で過ごすことになるのだから、もちろん彼女たちとは仲良くしたい。

 誰か一人が先陣を切れば、他の子たちも同じように続き、それからはあっという間である。

 少女たちに囲まれた私は、それからしばらくの間質問攻めに遭うことになったのだった。


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