「へ、ヘイルさん?」
腕の中でムール君の上擦った声がした。動揺してるのだろう、だが俺もそれは同じだった。
(よりによってなんちゅう部屋に踏み込んだんだ、俺は)
こんなモノ、誤解されない方が無理だろう。
(しかも「ここか」って呟いちゃってるしなぁ)
早急にムール君の誤解を解かなければならなかった。解かなければ、前言と相まってロクでもない展開になることは必須だから。
「む、ムール、落ち着いて聞いてくれ……」
どもってしまった自分へまずお前が落ち着けと声に出さずツッコミを入れつつ、俺は続ける。
「この部屋に来たのには理由がある」
時間稼ぎのための前置きだが、嘘は言っていない。あの部屋にいたままだといろんな意味で拙かったのだ。
(どうする、真実だけを伝えるか)
それとも、今壁に掛けられた凶悪な品々を見て思いついた理由も口にするか。
(あの元女戦士は……)
状況的に追いかけてきていても不思議はない、だからまず入り口を振り返り。
「あの部屋にいた場合、駆けつけてきた皆とぎゅうぎゅう詰めになってお前の秘密がバレる可能性があった」
まだその姿がないことを確認すると、ムール君の耳元で本当の理由を告げる。
「そして、お前の秘密がどの程度の人間に認識されているか不明だったからな。人気のない部屋でその辺りの事も確認しておきたかった訳だ」
「そっか。あ、あはは……だよね。ヘイルさんがそん」
「次に……っ、ここまでか」
腕の中で漏れた呟きにどうやら納得してくれた様だと心の中で胸をなで下ろしつつ、思いつきの理由の方も続けようと思ったが、世界は流石にそこまでの時間的猶予は与えてくれなかったらしい。
「ここかい、急に部屋を出たからどう」
いや、元女戦士がと言った方が正しいか。
(流石にこの人でも言葉は失うかぁ)
一人の人物をお姫様抱っこして部屋を飛び出した相手を負ってきた先が「そういうモノ」の倉庫だったとなれば、当然の反応だとは思う。
(同時に急いで誤解を解かないと行けない訳だけど)
今は腕輪の効果で性格が豪傑になっているが、外してしまえばせくしーぎゃるなのだ。まともな性格の内に誤解を解かないと曲解される可能性は跳ね上がる。
(そう、腕輪を着けてるうち……に? あっ)
そこまで考え、ふと脳内で悪魔が囁く。元女戦士の腕輪を奪って自分が装着すれば、あの厄介な紙切れの効果から逃れられるのではないか、と。
(その上、せくしーぎゃるった元女戦士が回りの鞭とか首輪を見れ……って、囁いてるの悪魔じゃなくて紙切れの残滓じゃねぇか!)
猥褻物の数ページは何処までも俺を祟ってくれる。
「あ、あー」
「っ」
元女戦士が声を発したことで、我に返ったと俺は気づく。
(拙い、今の「あー」は何かを察した様な感じの)
もう、猶予はなかった。
「実は、あの僧侶の女、今までに他人のあること無いことをいかがわしい創作物にして他者に心痛を与えたという前科があってな」
「は?」
「えっ?」
いきなり口を開いた俺に二人が声を上げたが、敢えて無視をする。
「被害者が複数居るため、何処かのタイミングで何らかの罰を与えようと思っていた所だったのだ。そして、この部屋には色々な道具がある……お誂え向きにな。くわえて、現在進行形尾でムール君が犠牲になろうとしていたと俺は見た。ここに来たのは、人の目と耳を避け、あの特殊な性癖をした一応僧侶ではあるらしい女に妙なことをされなかったかを聞くためでもある」
「じゃ、じゃあ、急に部屋を出たのは……」
「出ていったスミレが人を呼んで戻ってきたら聞き取りも出来なかろう? まぁ、当人の目があるところでは言いづらかろうというのもあったが、完全な第三者であるお前も居たからな」
「そいつは悪かったね」
俺が非難の目を向ければ、元女戦士も自分もお邪魔だったという理由には得心がいったのか、素直に落ち度を認めて頭を下げてきた。
「ふ。まぁ、黙っていたらロクでもない誤解をされかねなかったからな。その詫びというのもなんだが、お前にも手伝って貰うぞ?」
「何をだい? その僧侶の仕置きってやつかい?」
「いや」
頭を振って、俺は元居た部屋の向こう、壁を幾つか隔てた先にある通路の方へと顔を向けた。
「幾つかの気配が近寄ってくる。おそらく、スミレとここで修行してる面々だろう。その面々が、元居た部屋がハズレだと知ればどうなるかはわかるな?」
「「あ」」
「理解が早くて結構だ。この部屋にとどまっていれば余計な誤解を招くし、そもそも手狭だからな。お前には元の部屋に戻って事情説明を頼みたい。俺達は――」
このままでは事情聴取もままならないので、宿に戻ると元女戦士へ俺は告げ。
「話はわかった。けど、今からで間に合うのかい? あたいにも足音が聞こえてるんだよ?」
「問題ない、こんな事も有ろうかとと言う訳ではないが、荷物の中に姿を消すことの出来る特殊な薬草がある。ただ、な……」
若干納得がいかない様子の元女戦士へ鞄を叩いて見せると、きえさりそうの効果がお前にも及んでは意味がないと退室を促す。
「そうかい、じゃあ、あたいはお仲間に説明をしてくるとするよ」
「頼むな」
「はん、あたいがいたせいで余計な手間をとらせたんだ。どうってことないさね」
頭を下げた俺に笑みで応じて部屋を出て行く元女戦士の背を見つめつつ、俺は小声で呪文を唱え始める。
「マイ・ロードっ」
「レムオルっ」
呪文完成のタイミングは元女戦士と入れ違いにトロワがやって来た直後。
「こ、これは」
「透明化呪文だ。トロワ、予定を変更して宿に戻るぞ?」
「え? は、はい。しかし、宿に戻るのですか?」
「まぁ、成り行きと言うか、一部予定外のハプニングの結果でな」
聞くことも聞けず、何とも中途半端な感があるが、ここは戦略的転進有るのみだろう。
(「逃避行ではありません」って言いたいところだけど……逃げだよな、これって)
まぁ、最悪の事態は避けられそうなので、良しとしよう。良しと思うべきだった。
機転により何とか危機をくぐり抜けた主人公は宿屋へと向かう?
次回、第百十四話「まずはあれだ、そうあれなんだ」