「ムール」
俺はポーズをとらされている方へと声をかけ、視線で説明を求める。流石に腐った僧侶少女には聞きたくない。不可避の二択の結果だった。
「ふぇ? あっ」
ただ、ムール君はこの時ようやく俺達に気づいたようであり、答えてくれるどころかそのまま固まってしまい。
「あたしちゃんも、ちょっぴりこれは想定外」
「言いたいことはそれだけか? トロワ」
どうすれば良いんだよと言わんがばかりの状況の中、ポツリと漏らしたスミレさんに俺はツッコむと、従者の名を呼んだ。
「とりあえず、元凶のソレを拘束しておけ。手に余るようなら俺も助勢する」
これ以上ムール君をおかしな方向へ歪められてはたまらない。
「承知致しました」
「な、何を、何をするつもりですかぁ、止めてく」
「……トロワだけであっさり捕縛出来るって事は、修行の方はサボっていたということか」
まぁ、あの僧侶少女のことだから、修行以外の想像もしたくないような創作活動をしていたのだろう、きっと。
「終わりました、マイ・ロード」
「ああ、ご苦労。ついでに猿ぐつわもかませておいて貰えるか?」
ムール君が復活すれば事情は聞けると思うが、妄言をまき散らされてはたまらない。
(というか、どうして こうなった?)
差し入れを置いて去るだけのつもりだったというのに。
(ん? 差し入れ?)
そうだ、荷物をいつまでも背負っている必要はない。
「失念していた。これは修行中の皆にと持ってきた差し入れなんだが……この部屋に置いておいて構わないか、スミレ?」
カナメさんは不在、ムール君は固まったまま、縛られた腐少女と元女戦士を除けば、この場に居るのはトロワとスミレさんのみ、スミレさんに許可を求めたのは、俺としてはやまれぬ選択だった。
「んー、多分大丈夫だと思うけど……なら、あたしちゃんは他のみんなにスー様が来たってことと差し入れのこと伝えてくるね」
「な」
そして俺は選択がミスだったことを知った。立ち去るスミレさん、おそらくは事情を知った他の修行者はきっとこの部屋に押し寄せてくる事だろう。
(修行って事は汗かいてるだろうし……あせのにおい を させたおねえさんたち が このへや に おしかけ、ぎゅうぎゅうづめ に されるんですね、わかります)
いろんな意味でやばすぎる。
(まだ固まってるムール君とか、直に触ればあっちのほうがついてる事だってわかるって言うのに)
ぎゅうぎゅう詰めになれば誰かと接触する可能性があると言うことであり。
「ムール君の秘密が、漏れかねない」
性格上、お姉さん達との押しくらまんじゅうだけでも俺にとっては洒落にならないピンチだというのに、ここに来てムール君も何とかしないと行けないとは。
「どうしたんだい、アンタ?」
しかも、よりによってこの部屋にはついてきた元女戦士が居る。秘密を知ってるトロワだけだったら、ムール君の事を相談出来たというのに、今話を持ち出しては、ムール君の秘密が未だせくしーぎゃるなこの元女戦士にも知られてしまうのだ。
(腐僧侶少女とムール君の組み合わせだけでも充分あれだって言うのに、ここにせくしーぎゃるがくわわるとか――)
状況が悪化する以外の展開が見えてこない。
「やむを得ん、トロワ。ムールを担いで他の部屋に移るぞ?」
「そ、そうですね」
「はぁ? なんでそんな必要があるってのさ?」
一人、元女戦士だけが状況を理解出来ず訝しげな顔をしていたが、説明のしようも無ければ、余裕もない。
(胸だ、胸を意識したり触れたりしない体勢で担ぐなり負ぶるなりすれば)
女性的にはスレンダーなムール君であれば、ギリギリ俺の理性も耐えられると思う。
「すまん、運ぶぞ?」
「へ?」
俺の一言にムール君が反応を見せたような気もするが、伝えに行ったスミレさんが向かった先はおそらく同じ施設内、戻ってくるのに時間はさしてかかるまい。
「わぁっ」
「トロワ、悪いがドアを頼む。締めて、簡易な言伝でも貼り付けておいてくれればいい」
このままどさくさに紛れて返ってしまいたくもあるが、流石にそれは拙い。声を上げたムール君を所謂お姫様抱っこで担ぎ上げたまま、指示を出すと、俺は開け放たれたままの部屋の入り口へと向かう。
(間に合え、間に合ってくれよ)
ムール君を移すだけなら、部屋は隣で充分だ。鍵がかかっていようとも俺には解錠呪文がある。
(中に先客とか居なければ‥…って、駄目だ、これフラグになりかねない)
だが、俺には盗賊としての優れた気配察知能力がある。
(人が居る部屋なら、気づけるはず)
迷うことはない。今優先すべきは、ムール君の秘密を保護することだ。
「ん゛んんぅーっ」
だから、縛られた腐僧侶少女が猿ぐつわされたまま何かを主張しようとしている様も無視する。
(この程度の窮地、凌ぎきってやる)
俺の実力なら、きっとやれる筈なのだから。
(さてと、人気の無い部屋は……あった)
通路に出るなり、並んだ扉を視線で撫でつつ、気配のない部屋を探せば、それは意外と先程の部屋の側に見つかり。
「……ここか。アバカム」
小声の解錠呪文をかければ駆け寄った先の扉はあっさり開く、ただ。
「え゛」
開きはしたのだが、薄暗い部屋の中にあったのは、拘束具とか首輪とか鞭とか。
(なに これ)
どうやら俺がムール君を連れ込もうとしたのは、魔物用の調教具倉庫だったらしかった。
そりゃ、人は居ない訳ですよね、うん。
次回、第百十三話「逃避行ではありません」