1.
魔女の潜む部屋への扉をくぐった先は、異様なモノが立ち並ぶ空間だった。
無数に並ぶ椅子に、ひとつきりの丸いテーブル。それらは皆、数メートルはあろう足が伸びており、見上げなければそれが椅子であることすらわからない。
マミはその空間を一望して、魔女の姿を探す。すると、空中に浮かぶ小さな人形のような影を見つけた。
その人形はお菓子の瓦礫の山に降りたとうとしているようだが、空中で静止したまま動かない。ほむらの時間停止が未だ働いている証拠だ。
マミはほむらの足首に巻きつけたリボンと繋がっているからその制約を受けないのであって、手を離れたものは別だ。
試しに1発、マスケット銃を人形に向かって撃つが、銃口から放たれた弾丸は数センチも進まずに静止してしまった。
これでは攻撃にならない、とマミはため息をつく。
「はぁ……暁美さん? 時間魔法を解いてくれないかしら?」と、マミは扉の向こうのほむらにテレパシーを飛ばす。
『マミ、早まった真似はやめなさい! すぐに逃げるのよ!』
「まだ言うのかしら? 貴女こそ、ソウルジェムがカラになるのは困るでしょう? …あ、そうね」
言いながらマミはひとつ思いつき、指をひと鳴らししてマスケット銃を大量に錬成した。空中に浮かんだままの銃を一本ずつ撃ち、投げ捨てる。たちまちマミの周囲は使い捨てられ浮かぶ銃と、放たれたまま動かない弾丸だらけになった。
「暁美さん。貴女の魔法、有効利用させてもらうわよ」
『マミ…何をしたの!?』
「それは魔法が解けてからのお楽しみ、よ? リボンを切るわ。またあとでね?」
『マミ! よしなさ───』
ぷつり、とほむらと繋がったリボンを切り離した。その瞬間、静止していた弾丸は一斉に人形へと飛んで行き、圧倒的な弾幕となる。バラバラ、と空のマスケット銃は地に落ちた。
マミにとっては一瞬の出来事であるが、リボンを離してからどれだけの"空白"があったのかを知るのは、ほむら自身だけだ。
人形は弾丸を全身に受けながら、宙を舞った。マミはそこに追撃のリボンを放ち、人形を束縛する。そこに、最終射撃の用意をする。
「一気に決めるわよ───ティロ・フィナーレ!!」
轟音と共に、巨砲の魔弾が撃ち出された。ぶれることなく直撃し、爆煙が舞う。人形はボロ布のようになり打ち上げられた。
確かな手応えを感じたマミは、逆に呆気なさをも感じる。
「暁美さんがあれだけ言うから何かあるのかと思ったけれど…ただの脅かしだったようね」
だが、まだやる事はある。次はほむらを尋問しなければならない、とマミは踵を返す。
「あら…?」
しかし、ふと違和感に気付く。思えば薔薇園の魔女の時もそうだった。確かな手応えを感じたのに、結界が解けないのだ。そこに、ほむらの声が脳裏に響く。
『マミ! 奴から目を離さないで!!』
「えっ…?」
はっ、としてマミは振り向く。その瞬間、ぼろぼろの人形の口から巨大な蛇のような何かが音もなく吐き出され、猛スピードでマミに迫っていた。
「なっ……きゃあ!?」
咄嗟に、身体を捻って横に飛んで蛇の魔女の噛みつきを回避する。飛び込み前転のように手をついて回り、体制を立て直した。
マミのいたところには、がちり、と獰猛な牙が空を噛む音が響いた。
「なんなのあれ…あれが、暁美さんの言っていた?」
背筋がぞっとする。あと2秒。気付くのが遅ければマミの身体は蛇の口に飲まれていた。
どこかファンシーな柄模様をしているが、その牙だけは狡猾な肉食獣のそれであった。
「なんだかよくわからないけど…さっきのはダミーのようね。なら、これでも喰らいなさい!」
右手で空を扇ぎ、マスケット銃を無数に並べる。それぞれに魔力の弾が込められた銃身を、右手を振り下ろすと共に一斉に発射した。
弾幕の形成能力でマミの右に出るものはいない。魔女は全身に銃弾を受けて身じろぎをした。
『ゴアァァァァ…!』
しかし、魔女の口の中からさらに新たな、蛇の魔女が生え出てきた。残った身体は、抜け殻のように脱ぎ捨てられる。
蜂の巣のようになったはずの身体は、傷ひとつない真新しいものへとなっていた。
「うそ…脱皮!? きゃあっ!」
魔女の口から、金平糖のようなエネルギー弾が大量に吐き出された。的確にマミを狙ったものだ。
リボンをすぐ近くの長椅子に巻きつけて、リフトのように身体を持ち上げてエネルギー弾を躱す。
「ちっ…これならどうかしら!?」
同時に、マスケット銃を5発ほど撃つ。弾丸は魔女の目の前で炸裂し、そこから大量のリボンが生えて蛇を雁字搦めにし、身動きを封じた。
獰猛な咆哮を上げながら悶えるが、束ねられたマミのリボンはそう簡単には千切れない。
抜け出るのを諦めた魔女は、再び脱皮をする。リボンで縛られた抜け殻はくしゃりと潰され、地に落ちた。
「なっ…これじゃあキリがないじゃない!」
蛇の魔女はマミを咀嚼しようと、再度噛み付こうとする。マミはすかさず、開いた口の中に魔弾を何発も叩き込んだ。
ようやくその攻撃に魔女は怯んだ様子を見せた。外からの攻撃は脱皮でシャットアウトしてしまうが、内側への攻撃には弱いのだ。
「トドメよ! ティロ───フィナーレェ!!」
さらに、その口の中に最終射撃を撃ち込む。魔女は大きく仰け反り、ドスン、と大きな音を立てて地に伏した。
「はぁ…はぁ……なんだったの……」
しかし、まだ結界は晴れない。それは、あの一撃でさえ殺しきれなかった事を意味する。魔女はゆっくりと身体を起こし…一際大きな咆哮を上げた。
『グルルル……ゴアァァァァァァァァ!!』
その咆哮に呼応するように、2体の抜け殻がもぞり、と動き出す。それを見たマミはほんの一瞬だけ嫌な想像をする。
「ちょっと……まさか…?」
そしてその想像は、現実となる。抜け殻までもが、本体と同じように立ち上がりだしたのだ。
『『『ガアァァァァァァァ!!』』』
3体の蛇は揃って吠え叫び、マミを威圧した。唯一の差異点があるとすれば、本体と思しき蛇の魔女だけは黒く変色し、さらに血走った眼へと変わったことぐらいか。
「なんなのよこれは!? 冗談じゃないわよ!!」
倒してもキリがないどころか、いたずらに数が増えるばかり。
ほむらの言うとおり、相性が悪すぎるなんてものではない。こんな相手にどう勝てばいいのか。それでもマミは退く事はせず、射撃を繰り出す。
しかし抜け殻には多少の効果はあるようだが、変色した魔女には射撃はまるで通じない。
蛇はついに3方向からマミを取り囲み、一斉に牙を剥いた。
「ここまで………なの……!?」
蛇の凶悪な牙が目前に迫る。そして、マミの時間は止まった。
2.
駆け足でほむらの家に戻って荷物を置いたルドガーは、同行するさやかの案内に従い病院への道を小走りで駆けていた。
懐中時計を見ると、使い魔を倒してからじきに30分が過ぎようとしている。
「病院にいるといいんだけどな……」
「そうですね…でも、さっき時間止まってましたよね? ほむら、大丈夫なのかな…?」
「わからないな…ほむらなら、問題ないと思うけど…」
ほむらの家に戻る途中で、ほんの数分だけ時間が止まっていたのだ。ルドガーは咄嗟にさやかの手を取って共に時間魔法から逃れ、引き返したのだ。
使い魔でも出たのか、と予想したルドガー達は、病院への道のりをペースアップしていた。
しかし、数分駆けたあたりで歩幅が縮まる。ルドガーは体力には自信があったが、体格に差のあるさやかの方が、息を切らせ始めたのだ。
「はぁ…はぁ…ごめん、ルドガーさん…」
「! 悪い、さやか。少し休んで行くか?」
「ううん…なんとか。歩こう、ルドガーさん。もう少しだから…」
「そうか……ん、ここは…!」
街路樹の立ち並ぶ道から川原沿いへと差し掛かる。そこは、ルドガーとさやかが初めて出会った場所だった。
そして、最初に魔女に襲われた場所でもある。
「はぁ…ふぅ……あの時も、ルドガーさんに助けられたんだよね…」
膝に手をつき、深呼吸しながらさやかは言う。思えば、その日からルドガーと魔女との因縁が始まっていたのだ。
(クロノスは、魔女の存在を知ってて俺をこの世界に…?)
ビズリーに壊されたはずのルドガーの時計が再び現れたのも、クロノスが武器として与えたのだと考えると頷ける。
確かに魔女からは時歪の因子の反応がし、骸殻の力で戦う事ができるのだから。
「行こ、ルドガーさん」さやかはひと息つくと身体を起こし、先導して歩き始めた。
河原沿いから吹くそよ風が、駆け足で火照った身体に心地良く当たる。
「はぁー…涼しいですねぇ…」
「ああ、助かるな。これが夏ならたまったもんじゃない」
ルドガーはさやかの些細な呟きに
─────────
返事を返す。だが、それに対する答えは帰って来ない。
割と打てば響く娘だと思っていたルドガーは、なんとなしにさやかの顔を見る。
さやかの身体は、歩きかけた格好でぴたりと静止していた。
「え……また、時間停止か!?」
さすがのルドガーも、2度続けての時間停止の発動に違和感を覚える。少なくとも、ほむらの身に何かが迫っているのは確かだ。
ルドガーはまたもさやかの手を取り、時の流れから解き放つ。
「……えっ? ど、どうしたのルドガーさん!?」いきなり手を握られたさやかは、驚きを隠せない。
「…まただ」
「えっ、また時間が止まって…? あっ、ほんとだ…」
さやかはルドガーの言葉を受けて、少し遠くに見える風力発電機の群を眺める。普段はゆったりと回る風車の群れは、ぴたりと止まっていた。
「少し、急ごう。背中に乗ってくれ」
「え、えっ? おんぶ!?」
「ああ。飛ばすぞ…はぁっ!」
懐中時計を構えて骸殻を纏い、身体能力を強化する。時間が止まっているのをいいことに、一気に骸殻で走り抜けようというのだ。さやかはルドガーの手をうまく持ち変えて、背中におぶさった。心なしか、顔に赤みがさす。
(うぅ…恭介にだっておんぶされた事ないのに…?)
「行くぞ、舌を噛むなよ?」
「え、は、はい…いっ!?」
ドン、と地鳴り音を鳴らしてスタートダッシュを切り出す。その速さは人類最速のアスリートの2、3倍にも迫っていた。当然、未体験の速度にさやかは混乱する。
駆け出した先には十字路があり、車がちょうど横に走り抜けようとしているところで静止していた。
「わ! わ! わぁぁぁぁ! 速い! 速いってぇ!!」
「眼を閉じろ、さやか。飛ぶぞ! 舌を噛むなよ!」
「と、飛ぶぅ!?」
ダン! とアスファルトにヒビが入りそうなほどの踏み込みをして、ルドガーは十字路に差し掛かっている車を飛び越えた。
その勢いはなかなか衰えず、踏み切ったポイントから10メートルほど先にまで跳躍した。
指示通りに眼を閉じて歯を食いしばっていたさやかだが、強烈な引力を身体に感じて背筋がぞくり、として、ルドガーの背中をより強く抱きしめる。
「ちょ───なに、なに、何ぃぃぃぃ!?」
骸殻によって強化された足腰は、数メートル上からの着地にも容易に耐える。ルドガーは身体をほとんどぶれさせることなく、2本足のみで着地した。
「大丈夫か? さやか」
「は、はぃぃぃ! なんとかぁ! あ、あの大きい建物が病院ですぅ!」
さやかの言葉を受けて確認すると、先日の廃ビルなどよりも遥かに大きな建物が視界に入る。そのまま勢いを落とさず、バスターミナルへと進入していった。
「ここ! ここですぅ! ストップ! ストーップ!!」
さやかはついにルドガーの耳元で、止まるように懇願し始める。正面玄関の前に着いたあたりで、ルドガーはようやくフェードアウトしながら足を止めた。
「…ふぅ、骸殻を使っても…疲れたな…」
骸殻を解き、額と背中に汗をかきながら、さやかを降ろす。無茶な飛ばし方をしたことを謝ろうと、ルドガーはさやかの方へと向き直る。さやかはすっかり疲弊しているように見えた。
「…はぁ…はぁ…はぁ……はぁ…」
「大丈夫か? その…ごめん…」
「…まあ、親友のためですから…ふぅ…それに、ジェットコースターみたいで楽しかったですよ?」
「ジェットコースター? なんだ、それ?」
「えっ、知らないんですか!?」
当然、エレンピオスにはそんなものはなかったし、ルドガーがジェットコースターの存在を知るはずもなかった。
しかし、純日本人であるさやかにはそれを察する余地などない。
さやかは変なものを見るような目でルドガーを見て、言葉を発しようとするが、
『さやかちゃん、聞こえる!?』
「ルド───のわぁっ!?」
頭の中に響いた声によって遮られた。ルドガーは辺りをさっと見回し、バスが走る光景を見て時が動き始めた事に気付く。
「な、な、何!? なんかいきなりまどかの声が!?」
『いた! 落ち着いてさやかちゃん、キュゥべえがテレパシーを送ってくれてるの!』
「て、テレパシー!?」
さやかにとってはテレパシーは初めてのものだ。ルドガーは以前にキュゥべえがまどかをおびき寄せる声を聞いていたから、戸惑う事はやかったが、やはりさやかは驚きを隠せない。
『そうだよ。魔法少女の素質がある娘なら、僕がテレパシーを中継してあげられるんだ』と、間にキュゥべえの声が入る。
『さやかちゃん、ルドガーさんといるんだよね!?』
「う、うん。もうあたしら病院の前にいるよ?」
『ほんと!? すぐに中に来て! ほむらちゃんが危ないの!!』
「え、ええっ!? わかった、すぐ行く! ルドガーさん!」
「ああ、行こう!」
ほむらが危険だと知らされ、やはり先程の時間停止はそれに関係していたのだと感じる。
ルドガーはさやかと共に、正面玄関の自動ドアをくぐる。ロビーまで入ると、まどかとキュウべえが2人を待ち構えていた。
「まどか、ほむらがどうしたんだ?」
「その…病院のどこかに、魔女が出たらしいんです! 病院が危ないって言って、ほむらちゃん1人で…」
「魔女だって…!?」
『魔女の反応は屋上からするね。行くなら早い方がいいよ。マミも向かっているけどね』と、キュウべえが魔女の居場所を報せてきた。ルドガーはまどかとさやか、2人をじっと見つめ、
「…俺が行く。君たちはここで待ってるんだ」と告げた。
「ルドガーさん、あたしも行くよ! ほむらの事、放って───」
「だめだよ、さやかちゃん」
さやかの声をまどかが遮った。どうして、といった風にさやかはまどかの顔を見る。
「前に話したでしょ? ほむらちゃん、私を庇って大怪我したんだよ。…私達が行っても、足手まといになるだけだよ」
「う…そ、そうかもしれないけど…」
「…私だって、ほんとはほむらちゃんの力になりたいんだ。ほむらちゃんの事、守ってあげたいよ。でも…だめなの。私は、なにもしちゃいけないの……」
「まどか……」
まどかの目元は少し赤みを帯びていた。心優しいこの娘は、きっと泣いていたのだろう、とさやかは察した。
「…わかったよ、ルドガーさん。でも、せめて屋上まで案内させて。場所、知らないでしょ?」
「さやか……ああ、頼む」
さやかは先陣を切りすぐ近くのエレベーターへと向かい、ボタンを押す。ドアはすぐに開き、3人とも乗り込む。
屋上へと続く最上階のボタンを押すとゆっくりとエレベーターは閉じ、ゆるやかに昇り始めた。
最上階が近付くにつれ、ルドガーも時歪の因子の反応を感じ取る。この先に魔女が巣を張っているのは確かだ。
わずかに重力に身体を引かれる感覚と共に、エレベーターは最上階へと着いた。エレベーターを出て右を向けば、屋上へと続く扉がある。
さやかはその扉を指し、「あの先が屋上です」とルドガーに教えた。
「ありがとう、さやか。…行ってくる」
「気をつけてね、ルドガーさん」
「ほむらちゃんを…お願いします」
ああ、と柔らかく微笑みながら答えて、ルドガーは扉へと向かい、少し長い廊下を歩き始めた。
時歪の因子の反応は、すぐそこだ。
3.
扉を開くと心地よい春風が吹き込み、穏やかな陽気を感じるが、視界の先にはそれにそぐわない歪んだ気で満ちていた。
既に病院にいる人達から負の感情を吸い上げ始めたソレは、あの薔薇園の魔女結界と比較しても謙遜ないほどのエネルギーを感じられる。
ルドガーは息を呑み、一歩を踏み出す。
「ん……なっ…!?」
そこに、倒れこむ人の姿を見つける。白く長い髪をした、ピンクのワンピース姿の女の子だ。
「なぎさ!? しっかりしろ!」
ルドガーは慌てて駆け寄り、なぎさの身体を抱き起こす。だが、力のない四肢はだらり、とぶら下がる。首の据わらない頭を持ってやり、なぎさの容態を見る。
半開きの眼には生気がなく、かすかに涙の跡が見えるだけだ。
「おい……嘘だろ…!?」
手首をとり、脈拍をみる。なぎさの身体は既に血流が止まっていた。心臓に耳をあてるが、鼓動は聞こえなかった。
そうして、ようやくルドガーはなぎさの命の火は既に消えたのだという事を知った。
「なぎさ… 一体どうして!?」
魔女にやられたのか。やはりあの時、なんとしても追うべきだった、と後悔の念に襲われる。
しかしルドガーは、ここでひとつ違和感に気付く。脈をとった左手に、ソウルジェムの指輪がないのだ。
まさか、この先にあるものは。
「キュゥべえ、答えろ!! なぎさに何があった!?」
怒鳴るように、ルドガーは言う。その声を感知し、キュウべえの機械的な声が頭に響く。
『彼女なら、君の目の前にいるじゃないか。その結界の中だよ』なんの感情の起伏もなく、キュウべえは残酷な事実を告げる。
「お前…よくも!!」
『なぜ僕を怒るんだい? 彼女は願いを叶えた。"ソレ"は正当な対価さ』
「うるさい! 黙れ、黙れ!!」悔しさに、拳で地面を殴る。
「なぎさは………魔女になってしまったのか…!」
またしても、救えなかった。かつて分史世界から連れ出された、もう一人のミラのように。カナンの地に渡るために自らの手にかけられたユリウスのように。
わかっていた、止められた筈なのに。ルドガーは己の無力さを憎み、悲しんだ。
「うぅ……くそっ! くそっ! あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
地面をさらに強い拳で殴りつける。ルドガーの感情にアローサルオーブが反応し、無意識のうちに威力を増した拳は地面に大きなヒビを作った。
その体勢のまま、無言でうなだれてなぎさを見る。指輪のない手とは反対の右手には、一枚の写真が握られている。
ルドガーはそっとその写真をとり、見てみた。
その写真にはもっと幼い頃のなぎさと、なぎさによく似た大人の女性が写っていた。
「…これは、まさか?」
同じ構図の写真を、ルドガーは過去に見ていた。エルの父親、ヴィクトルの隠れ家に飾られていたものだ。
その時に目にした写真にもやはり幼いエルと、エルの母親らしき人物が写っていたのだ。ヴィクトル曰く、数年前に病で亡くなった、と聞かされた女性だ。
その写真と、なぎさの持つ写真が重なって見えた。この女性はなぎさの母親だろう、とルドガーは確信する。
「そうか…お母さんに逢いに行く、って言ってたよな……」
覚悟を決め、四肢に力を込めて立ち上がる。選択には責任が伴う。ルドガーはそれを誰よりもわかっていた。だからこそ、ルドガーのやるべき事も自ずと決まる。
「なぎさ…お前には、誰も傷つけさせない」
これ以上、なぎさの魂を貶めさせたくない。せめて、その手を血で染めさせたくはない。
強い決意と共に、懐中時計を構える。
───選択を、魂の意志を。想いを込めて、今。
「うおぉぉぉぉっ!!」
無数の歯車が舞い、鎧となってルドガーに取り付く。手足だけではない、身体全体も覆い、頬に紋様が浮かび上がり、虹彩も変化する。
呪いを刻む歯車は、継承される鋼の鎧。それは、時空を貫く槍にして鍵。
人の想いの強さによって発現する、骸殻の更なる高み、スリークォーター骸殻を身に纏った。
ルドガーの周りの瘴気が、骸殻のエネルギーの余波で掻き消される。そしてルドガーは、歪んだ空間へと足を踏み入れた。
4.
もう、彼女を救う事はできないだろう。魔女結界の中で黄色いリボンに囚われたほむらは、諦観していた。
すぐそばにある扉の先では、マミが交戦している。幸いな事に不意を喰らって絶命するには至らなかったようだが、勝ち目は薄いだろう、と思っていた。
薔薇園の魔女の規格外の強さが、このお菓子の魔女にも現れているとしたら、ますます勝てる可能性は下がる。それこそ、自分でも理解できていない"黒翼の力"を使わなければ。
だが、それができていればほむらは何度も同じ時を繰り返したりなどしない。ほむらに宿るのはあくまで時間操作の能力と、副次効果としての機械操作のみだ。
いくらもがいても、リボンは全く緩まない。発動者のマミからほぼ独立して持続している術式のようだ。これが解けるという事は、発動者の死を意味する。
このままでは、マミの死を待つまで動く事ができないのだ。
(違う…! 私はマミを見殺しにしたいわけじゃない!)
時間停止も、無限にできる訳ではない。この力がなければこの先の魔女を倒す事ができないのだ。
足首のリボンを切られてからも暫くは時間を止めていたが、これ以上の時間停止は魔力の枯渇を招く。
ほむらにはもう、打てる手がなかったのだ。
もし、もう一度だけ黒翼の力とやらを使う事ができたなら。こんなリボンなど引き裂いてマミを助けに行けたのに。
(いつもいつもそう…私は、肝心な所で今一歩が足りない。そうやって、今まで何回まどかを…みんなを死なせた、暁美ほむら…!)
悔しさを抱いて自問するが、その答えを出す事は自分にはできない。
なぜなら、ほむらは気付かなかったから。足りない一歩を埋めてくれるだろう、唯一の存在に。
「──────ヘクセンチア!!」
「えっ……?」
すっかり聞き慣れた耳当たりの良い声が結界内に響き渡る共に、紫黒の光弾が天井から何発も降る。
光弾は的確にリボンの端を撃ち抜き、最後の1発で中央の錠前を破壊した。
「きゃっ!?」
予想だにしない形で解放されたほむらの身体は、どさり、と音を立てて落ちる。
そこに、黒い鎧を纏ったルドガーが駆けつけ、手を差し伸べた。
「ルドガー…来てくれたのね…?」
「ああ、まどかに頼まれたからな。"ほむらを守ってくれ"って」
「まどかが…?」ほむらはルドガーの手をとって立ち上がり、スカートの埃を払いながら疑問符を浮かべる。
「それよりも、今は魔女だ。マミが来ているらしいな?」
「ええ…けど、もしかしたら既に…」
「既に…なんだ?」
「あの魔女は強いのよ…もう、間に合わないかも……いつも、いつもそうなのよ…! 私には、マミを助けられない……!」
ほむらは、暗い表情で俯き気味に答える。ルドガーはそんなほむらを見て、
「──────諦めるな!!」
と、初めて大声で一括した。
「いいか、生きている限り可能性はゼロじゃない! 未来を選ぶのは、今生きている俺たちなんだ!」
「な…貴方は何を…!?」
突然の叱責に、ほむらは驚く。だが、ルドガーの眼差しはどこまでも真っ直ぐに、ほむらを見据えていた。
「……必要なのは選択だ。命を…世界を、己のすべてを賭けた"選択"だ!! お前に出来るのか! "選択"が、 "破壊"が! 答えてみろ、ほむら!!」
「───っ…!」
それは、失ったことがある者にしか言えない言葉。そして、失ったことがある者にしか答えられない問いかけだった。
かつて兄がそう問うたように、ルドガーはほむらに問いかけたのだ。
その言葉に、ほむらの脳裏にとある光景が浮かぶ。それは霧がかかっているように思えるが、ほむらの知り得ないはずの光景。深い絶望の中で見えた、唯一の光だ。
『───私が…意気地無しだった…
もう一度あなたと逢いたい。その気持ちを裏切るくらいなら…私はどんな罪だって背負える。
どんな姿に成り果てたとしても、きっと……』
"──────思い出すな。"
左耳に下がるイヤリングが熱を帯びる。靄のかかった記憶は、ノイズに掻き消された。
(…っ、またこの感覚…?)
ほむらの意識が離れていたのはほんの一瞬で、直後には何を視たのかすら覚えていない。
だが、ほむらの決意が定まった事だけは確かだ。
「そうね…貴方の言うとおりだわ。私はいつも、諦めてばかりだった」ほむらは砂時計をせき止め、扉へと向き直る。マミの命が砂時計によって繋ぎとめられる事を祈って。
「行きましょう、ルドガー。…今度こそ、誰も失わせたりしない」
「ああ、ついて行くよ」
扉を開け放ち、2人は魔女の蠢く部屋へと進んでいった。
内部はやたら足の長い椅子が立ち並ぶが、既にいくつか薙ぎ倒されている。すぐに目に飛び込んで来た異様な光景に、ほむらは唖然とした。
「…なんなのよあれは。どうして奴が、3匹も!?」
それは過去にない、明らかなイレギュラーだった。3体の蛇型の魔女が、マミを取り囲んで一斉に囓りつこうとしているのだ。
「ほむら、とにかくマミを!」
「わかっているわ!」
ほむらは蛇の群れの中心に飛び込み、マミの手を取る。ルドガーは槍を構え、蛇の挙動に備えた。
「───きゃっ! あ、暁美さん!?」時の流れから抜け出たマミは、突然のほむらの出現に驚く。
「こっちへ、マミ!」
「え、ええ…! でも、どうやってあのリボンを…?」
「ルドガーのお陰よ。…この借りは、いずれ返してもらうわ」
群れの中心からマミを連れ出したほむらは、再び時を動かす。獲物を目の前で忽然と喪失した蛇の魔女たちは、拍子抜けしたように周囲を窺う。同時に、ルドガーが空に向かって槍を投擲する。
「行くぞ、シューティングレイン!!」
空中で槍は炸裂し、光の雨となって蛇に降り注いだ。一発ごとの威力はもはやマミの魔銃を軽く上回り、蛇を貫いて地面を穿つ。
『ゴアァァァァァッ!!』
3匹のうち、華やかな彩りの2体は全身を貫かれて倒れる。しかし残った黒い個体は、口の中から新たに生まれ出て、抜け殻を残しながら光の雨をかい潜った。
「ルドガーさん! やつには外からの攻撃は効果がないわ!」
マミは魔女を内部から攻撃できる唯一のポイント、口を狙って魔弾を放つ。ほむらもロケットランチャーで牽制しながら隙を窺う。
光の雨から逃げた蛇は次々と抜け殻から這い出て、またもマミを狙って牙を剥いた。
「させない!」
口を開いた瞬間、ほむらは時間を止めて接近し、時限爆弾を放り込む。以前からこの魔女を討伐する時に用いていた戦法だ。
マミの手をとり離脱し、時を戻す。傍らで、ルドガーは槍を掲げて叩きつけんと飛びかかる。
「臥龍裂渦!!」
槍が振り下ろされた点を中心に、強大な水の波紋が巻き上がる。口内で爆ぜた爆弾と共にそれを受け、魔女は大きく吹き飛ばされた。
『グアァァァァァ!!』
魔女はもがくように叫び、抜け殻を生んで体勢を立て直す。その声を受けた抜け殻たちは、ゆったりと起き上がり牙を剥き始めた。その数は、5体。本体の黒い蛇も、まだ余力を残しているようだった。
それらは、一斉に口からエネルギー弾を吐いた。金平糖のような見た目とは裏腹に、一発一発が凶悪な威力を持つ。
すぐさま、ほむらは時間を止めて対応する。マミを連れ出そうとするが、ほむらが触れる前にマミは自力でエネルギーの弾道から逃れ始めていた。
「マミ、動けるの!?」
「悪いけど、またリボンを巻かさせてもらったのよ!」
「いつの間に…!」
目を凝らすと、周囲の色と同化したリボンがほむらの右足首に巻かれていた。長さも相当あるようで、動きを制限するようなものではない。
ルドガーは魔女のエネルギー弾に対して、矛先から黒いエネルギー弾をいくつも打ち出してぶつける。時が止まったまま魔女のエネルギー弾は一部相殺され、マミ達が逃れる余裕を作り出した。
時間停止を解き、エネルギー弾がいくつか着弾し、椅子を破壊し砂埃を立てる。弾を回避した3人は、距離を離して魔女の動向に気を配る。
「キリがないわね…」
ほむらは焦りを覚え始めた。口内に放り込んだ爆弾も、さしたる効果はなかった。明らかに、過去の個体と比べても強靭さに磨きがかかっている。
ルドガーもそれは同様で、いたずらな攻撃では倒し切ることなどできないと感じる。
それはまるで、過去に遭遇したメロラベンダーというギガントモンスターの特性に似ていた。
メロラベンダーはあらゆる攻撃に対して強い耐性を持ち、自身の分身を何体も生み出す。
そして、本体を殺しきらない限りは何度でも分身を生み出すのだ。
半端な火力では話にならない。魔女の群れ全てを巻き込み、かつ強力な一撃でなければ。
「なぎさ………」
ルドガーは、すっかり醜く変わり果てた少女の名を呟く。何より、ここで倒してやらなければ、彼女はこれからも誰かを襲い続けるのだ。
それだけはさせない。ルドガーは槍をより強く握り締めて、魔女の群れを見据えた。
「2人とも…こいつは、俺にやらせてくれ」
ルドガーの問いかけに、マミとほむらが振り向く。
「こいつは…こいつだけは、俺がやらなきゃいけないんだ」
「どういうことなの…ルドガーさん? 勝つ手段があるというの…?」手も足も出ない、といった様子のマミは、ルドガーの提案に疑問を抱いた。
「一か八か、だけどな。俺の持てる全力をあいつにぶつける」
「…自信があるようね。わかったわ、ルドガー。私たちは後ろから援護するわ」
ほむらはロケットランチャーから大口径のライフルへと持ち替える。マミもほむらに倣い大量のマスケット銃を造り、援護射撃の用意をした。
「ああ。行くぞ……リンク・オン!!」
掛け声と共に、アローサルオーブが一際大きな熱を帯びる。既に限界まで育ちきったオーブには、遥か彼方に存在するかつての仲間たちとの絆の残滓が、微かに刻まれているのだ。
その想いをたぐり寄せるように、アローサルオーブの出力を上げる。繋がるはずのない絆の証は、時間も、距離をも超えて輝き出し、
目にも止まらぬ速さでルドガーは駆け出し、魔女の群れへと飛び込んで行く。後方の2人はすかさず魔女の身体を狙い撃つ。
抜け殻の魔女にはそこそこ効果的なのだが、やはり銃器のような衝撃性の低い攻撃は黒色の本体には効き目が薄い。
「ファンガ・プレセ!!」
槍を真横に振り抜き、狼の咆哮を思わせる光の闘気を放つ。黒色の魔女は派手に仰け反り、嗚咽を漏らした。
『グゥゥゥ…ガァァァァ!』
口から這い出ようとしたその瞬間を狙って、ルドガーはさらに追撃を叩き込む。
「──────獅儘、封吼ッ!!」
地面を強く穿ち、闘気を拡散させるように放たれた一撃は、どんな敵の意識もほんの一瞬だけ眩ませるほどに強大なものだ。
その闘気をもろに受けた魔女の群れは、本体を残して崩れ落ちる。這い出ようとした魔女は、不意を突かれた形で眩暈を起こした。
「ほむら!! 頼む!!」
「ええ、決めなさい!」
合図と共に、ほむらはもう一度時間を停止させる。ルドガーは槍を大きく振り回し、風のエネルギーを掻き集め始めた。
「風、織り紡ぎ……大地を断つ!」
膨大な風の奔流がルドガーの周囲に巻き起こり、脚長の椅子がいくつか根元からへし折れる。魔女を巻き込むように、その奔流をぶつける。その奔流を駆け抜けるように交差し、槍の一閃で魔女の身体を打ち上げていく。
『───グ、ゴァ、ガ、ガァ!?』
すれ違いざまに槍が触れるたびに、ほんの一瞬だけ魔女がもがくが、ミキサーのように練られた風の奔流と時の流れからは逃れられない。抜け殻を生み落とすこともできずに、上へ上へと押し上げられていく。
「なぎさぁ───っ!!」
魔女を空中に取り残し、風の奔流を少し大きくさせた槍に収束させ、大口を開けたまま静止した魔女にその狙いを定める。
「お前の絶望は…俺が背負う! 選択を! 魂の意志を!!」
風を宿した槍を、全力で口内に向けて投擲した。その槍の軌跡に、さらなる暴風が生まれる。
槍は魔女の身体を貫き、爆ぜる。蛇の躯体は大きく膨らみ、体内は暴風でズタズタにされる。
「想い込めて…今!! 十臥・封縛刹ッ!!」
暴風を宿したルドガーの飛び蹴りが、魔女に突き刺さる。一瞬で地面に押し潰され、ゴム毬のように弾性のある躯体はその一撃によって大きくひしゃげ、地面に大きなクレーターを空けた。
『ガァ!? ゴアァァァァァ!!』
時間停止が解ける。内側から破裂するように、蛇型の魔女はその身体を爆散させ、グリーフシードを残して霧散した。
砂の城が崩れ落ちるように、お菓子まみれの結界が晴れていく。瘴気に塗れ、混沌とした空間は、緩やかにもとの青空へと戻っていく。
1人の少女の願いは、儚く空へと消えていった。
5.
病院の屋上へと戻った3人のもとに、魔女の消滅を感知したキュゥべえと、それに追随してまどかとさやかが駆けつける。
すでに3人は変身を解き、立ち尽くす。しかしその後ろ姿は、魔女を倒したというのにどこか暗い雰囲気をしていた。
「ほむらちゃん……終わったの?」まどかが、3人の顔色を窺いながら尋ねる。
「ええ、魔女は倒したわ」
「そっかぁ………えっ? その、女の子は…?」
「…"なぎさ"よ」
まどかの視線の先にいる白髪の少女は、既に体温が冷め始めている。駆け寄って起こそうとするが、ほむらがそれを制止した。
「やめなさい、まどか…もう手遅れよ」
「そんな、どうして…? 魔法少女だったんだよね…?」
「…魔法少女だから、よ」
「そんな…こんなのって…!」
まどかは少女を労わり、涙を流す。その姿を見たさやかも、なぎさの死にショックを隠せない。
「ねぇ、嘘でしょほむら!? だってあたし、ついさっきなぎさちゃんに助けられたばかりで…それが、こんな……」
「仕方が無い事なのよ、さやか…私は、この光景を今まで何度も見てきたわ」
「でも暁美さん…この娘は、魔女にやられたのかしら…?」マミが口を開き、倒れ伏すなぎさの身体を指す。
マミが遭遇した時点では、まだ魔女は化けの皮を被っていた。お世辞にも、あの姿で魔法少女を襲うようには見えない。
「いいや…違う」その問いに答えるように、ルドガーが呟いた。
「ルドガー、よしなさい! マミには……」
ルドガーが言おうとした言葉を察し、ほむらが止めに入る。なぎさの最期は、魔法少女の辿り着く結末そのもの。マミにはその結末は重すぎるのだ。
「俺の…せいなんだ」
「えっ……?」
「…俺がすぐに追いかけていれば、こんな事にはならなかった。なぎさは死ななくて済んだんだ。なぎさを殺したのは、俺だよ」
「ちょっと、どういう意味なの……ルドガーさん…?」マミは言いかけて、ルドガーの顔を見て言葉が止まる。
ルドガーは静かに、その双眸から涙を流していた。
「ほむら、いずれは言わなきゃいけない事だ。下手な形で知るよりはマシじゃないのか?」
「…そうね、貴方の言うとおりだわ」
「ルドガーさん、あなた何か知っているの?」
「…ああ、知っている。どうか、心して聞いて欲しい」
ルドガーはマミに正対し、涙を拭う事もせずに真剣な表情で向き合った。
「………ソウルジェムが濁りきり、絶望に染まり切ったとき…魔法少女は魔女へと生まれ変わる」
「ちょ、ちょっとルドガーさん…こんな時になんの冗談…」
「冗談なんかじゃない。俺たちがさっき倒した魔女…あれが、なぎさだったモノだ」
「えっ…ちょっと、意味がわからないんだけど…?」
マミは本気で困った顔をして答える。ルドガーの言う事が、理解の範疇を超えていたのだ。
その様子を、3人の少女たちは黙って見守る。
「ソウルジェムがどうして濁るのか、その意味を考えた事はないのか?」
「だ、だってあれは…濁ると魔法少女としては致命的だってキュウべえが…」
「…あいつの言う事を真に受けるな、マミ。あいつはいつも肝心な事を言わない。
ここに駆けつけた時、俺はキュゥべえに"なぎさになにがあった?"って聞いたんだ。
奴はこう答えたよ。"なぎさなら、そこにいるじゃないか"ってな…」
「嘘…嘘よね? そんなわけないわよね、キュゥべえ!?」
『彼のいうとおりさ。大まかには間違っていないよ、マミ』
キュゥべえはまるで他人事のように語る。それを聞いたマミの顔から血の気が引き、青くなっていく。
「…ごめんなさい、マミさん」先に答えたのは、さやかだ。
「あたしらも、ショッピングモールで使い魔に襲われたあと、ほむらに聞かされたんです。
ほむらは、あたしらを魔女にさせたくないから契約を止めようとしてたんですよ」
「あなた達まで…!」
「私も、そうです」さやかに続き、まどかも口を開く。
「私は、魔法少女としての才能も強いけど…逆に、世界が滅びちゃうくらい強い魔女になるって言われました」
「嘘よ…嘘に決まってるわそんなの!!」
「きゃっ!?」
マミはついに感情を爆発させ、再び魔法少女へと変身した。マスケット銃をひとつ造り、ほむらへと向ける。
「あなただって魔女のくせに! 魔法少女が増えたら困るからそんな嘘を言いふらしてるんだわ!!」
「落ち着きなさい、マミ! まだそんな事を言っているの!?」
「黙りなさい! 魔女は殺す…それが私の生き方なのよ! 私は魔法少女を殺したりなんかしてない!! 殺したのは魔女よ!!」
マミは、ルドガー達の言う事実を頑なに拒む。
自分の手が、魔法少女の血で汚れているという現実を認められないのだ。
「そうよ…あなたを殺せばいいんだわ…黒い翼だなんて強い力を使う魔女なんて……」焦点の定まらない、震えた手で引き鉄を引こうとする。
「やめて、マミさん!!」そこに、ほむらを守るようにまどかが立ちはだかった。
「まどか、何を!?」
「どきなさい鹿目さん!! 撃つわよ!?」
「どかないよ! ほむらちゃんは命がけで私を守ってくれたんだ…私も、ほむらちゃんを守るんだ!」
「なっ……くぅ、うぅぅぅぁぁぁぁ!!」
まどかは恐怖に足を震わせながらも、強い意志を込めた視線をマミに飛ばす。その姿に心打たれたマミの手から、マスケット銃が落ちる。
マミは嗚咽を漏らしながら、地に手をついた。
「私は…どうしたらいいのよ…! 正義の味方だなんて格好つけて…私のしてきた事は、ただの人殺しじゃない…! もう駄目よ……もう、戦えないわ……」
「マミ! 気をしっかり持て!」
マミの髪飾りにあるソウルジェムは、みるみるうちに濁ってゆく。ルドガーは採ったばかりのグリーフシードをとっさにあてた。
ソウルジェムから濁りが吸い出されるが、濁りはあとから次々と湧いて出てくる。
「お前がやれないのなら俺がやる!! 思い出せマミ! お前はどうして魔法少女になった!? 魔女になって絶望を撒き散らす為じゃないだろ!? なぎさだって、そんな事は望んでなかったんだ!!」
「無理よ…もう無理なの…!」
「くっ…マミ! しっかりしろ!」
ぱしん、と乾いた音が響く。ルドガーが、マミの頬を叩いたのだ。
「きゃっ!?」と声を上げてマミはルドガーを見る。
「…俺は、なぎさの手を、魂を血で汚させたくなかったんだ。だから戦えたんだ。ただのエゴかもしれないけどな…俺の知ってる限り、呪われたとしてもそんな事を望んだ奴は1人もいなかった!」
ルドガーの言葉の中に含まれるのは、魔女だけじゃない。今まで破壊してきた時歪の因子たち…骸殻能力者の成れの果ても含まれる。
それこそ、手にかけた人数ではマミなどルドガーに遠く及ばない。それが、"世界を壊す"という事なのだ。
「マミ、お前だってそうだろう!? せめて、魔女になった魔法少女たちがより多くの人を傷つける前に止めないと…それが、俺たちにできる唯一のことじゃないのか…?」
「ルドガー…さん……わたし、わたしはぁ……!」
マミのソウルジェムが、穢れを産むのを止める。かろうじてお菓子のグリーフシードはその穢れを吸い切り、マミの魂を守ったのだ。
「ルドガーさん…わたし、どうしたらいいの…?」
「…ゆっくり考えていけばいいよ、マミ。俺たちがついてる。お前は独りじゃないんだから」
マミは変身を解き、涙でぐしゃぐしゃの顔でルドガーに縋りつく。子供をあやすように、ルドガーは優しく頭を撫でてやった。
「全く、ルドガーには頭が上がらないわね…」その様子を見たほむらがそっと呟いた。
「彼女はずっと独りで戦ってきた。支えになれる人がいなかったのよ…」
「なんだか兄妹みたいだね、2人とも」
「そうね」
ほむらはようやく一安心し、視線をなぎさの身体へと向ける。さやかも、今にも泣きそうな顔でなぎさを見ていた。
(百江なぎさ……私の知らない、魔法少女。もし、もっと早く知っていたら…彼女も助けられたのかしら…?)
マミを救う事はできたものの、なぎさの運命は変えられなかった。
かつて、大切なものを守る為に全てを捨てたほむら。そして、大切なものを守る為に数多の世界を壊してきたルドガー。
それでも、誰かを喪う悲しさに慣れるなどという事はあり得ない。喪われた命を想い、ほむらは静かに祈った。