誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第8話「それが私の正義なのよ」

1.

 

 

 

 

 

見滝原中学校の図書室は、新しいながらに小規模な図書館ばりの広さを誇っており、納められている図書の数も他の中学とは比べ物にならない程に多い。

ほむらは普段はまず図書室になど訪れないのだが、今日に限ってはその通りではない。委員の招集に行っているまどかを待っており、今も本を見繕って片隅で読みふけっていた。

内容はとある映画のノベライズであり、恋人を失った科学者が過去を変える為に、4年の歳月をかけてタイムマシンを開発。

過去に戻って亡くした恋人を救おうとするが、何度やっても恋人はその都度異なった悲劇を迎え、命を落としてしまうのだ。

ついには、過去を変える方法を探す為に科学者は未来へと旅立つ決意をし………

 

(…私と、似ているかもね)

 

ほむらは少し自虐気味にため息をつく。何度繰り返しても、できうる限りの事を試しても、結局大切な人を救えない。

けれど、小説の科学者とほむらには決定的な違いがあった。科学者は可能性をたどる為に未来を切り拓こうとするが、ほむらはこの1か月に囚われたまま先に進むことができない。

そうして、繰り返す度に過ごした時間も、言葉も、想いもずれていく。そのうちに、繰り返すこともできなくなってしまった。

 

(時間遡行の力が欠落しているのは、"クルスニクの鍵"の力のせいだとしたら……)

 

ほむらは考える。自分にとって何よりも大切で、無二の存在である鹿目 まどか。彼女を救う為なら、何だってしてみせる覚悟はある。

そして、もう1度時間を繰り返す為なら"楔"を壊す事も躊躇わないだろう。

 

(…いえ、その考えに至るのはまだ早いわ。それに、わからないのは…)

 

後日になってルドガーから告げられた、薔薇園の魔女戦で発現したという黒翼の力。あの時ほむらは完全に我を忘れており、自身にそんな力があったことなど知らなかったのだ。

そしてその力は、あれだけ苦しめられた薔薇園の魔女を一瞬で蒸発させた、とも聞く。

 

(…あり得ないわ。私に備わっているのはこの砂時計の盾だけのはず。それにそんな力があるのなら…とうの昔にワルプルギスに使っているわ)

 

まして、自分で制御できないのなら。理性の伴わない力はただの暴力だ。誰彼構わずに傷付ける事しかしない。ほむらはそれを望んでいるわけではないのだ。

どちらにせよ、今の自分自身には、予測のつかない変化が起きている。その原因を突き止めない事には………

 

ふぅ、とひと息ついて小説を閉じる。いつの間にか考え事に躍起になってしまい、まるで文章を読んでいなかったのだ。

そして視線を前に向き直すと、

 

「うぇひひひ」

 

まどかが頬杖をついてほむらの真正面の席に座って、にこやかな顔をしていた。

 

「…えっ!? い、いつから…!?」

「ついさっきだよ? ほむらちゃん、すごい真剣な表情で本読んでたから眺めてたの」

 

…己の勘の鈍さをここまで呪った事はない。ほむらはため息をつき「それなら声をかけて欲しかったわ」と答える。

 

「うん…でも、本読んでるほむらちゃんの顔がすごく綺麗だったから…って、わ、私なに言ってんだろ」まどかは顔を紅潮させ、照れ臭そうに頭を掻く仕草をする。

「本当になにを言っているの貴女は……」少し呆れたようにほむらは言うが、その口角は緩んでいた。

 

思えば、ここまでまどかと親密になれたのはもういつぶりだろうか? "もう誰にも頼らない"と決めてからほむらはどんどん孤独になっていった。

巴マミ、美樹さやか、そして未だ見ぬ佐倉杏子。彼女たちを信じる事すらできなくなり、いつしかまどかさえも言葉を受け入れてくれなくなった。

それが、今回は何故か上手くいっている。まどか、さやかとも打ち解けられ連絡先を交換する仲にまでなれた。マミとも今のところ敵対していない。まだ始まったばかりであり楽観視はできないが、この状況が嬉しくないわけがなかった。

 

(これも、ルドガーのお陰なのかしらね…)

 

ほむらは柔らかく笑みを浮かべて席を立ち、まどかを促した。

 

「そろそろ行きましょう。さやかはもう向かっているんでしょう?」

「う、うん。CD屋さんに寄ってから病院に行くって言ってたから、もう今頃着いてるんじゃないかな」

「そう。少し、急ぎましょうか」

 

こうして2人でともに過ごす事ができる時間は、ほむらにとって何よりも尊いものだ。

ほむらは本を棚に戻し、まどかの手を引いて静かに図書室をあとにした。

 

 

(…繰り返す度に過ごした時間も、言葉も、想いもずれていく。私の想いは、もう決して貴女には届くことはない。

とっくの昔に、この想いは歪んだものになってしまったのだから)

 

それでも、期待せずにはいられない。彼女ならこの想いを受け入れてくれるかもしれない、と。けれど、失うくらいなら。自分を殺し、胸の想いを押し留める事に躊躇いはない。

まどかの人としての幸せを守る。それこそが、ほむらの最大の望みだからだ。

 

「………!」

 

不意に、鞄の中から振動音が聞こえた。放課後で人が少ないからこそすぐに気づけたのである。

久方ぶりに振動音を示したのは、ほむらの携帯電話だった。液晶画面には"美樹さやか"と表示されている。

 

「ごめんなさい、まどか。さやかから電話だわ」

「ううん、平気だけど…先生に怒られない?」

「私は平気よ。1人暮らしだし、多少なら、放課後だけ校内での使用を認められているわ」

 

携帯電話の使用に関しては、担任の和子による配慮が働いている。もっとも、今までは連絡をとるような相手はいなかったのだが。

受話ボタンを押し、久しぶりに携帯電話を耳に当てる。そういえば、さやかから電話がかかってきたのはこれが初めてだ、とほむらは思った。

 

「はい、暁美です」

『あっ、ほむら? 今空いてる?』

「どうしたのかしら。病院に行ったのではないの?」

『途中で使い魔に遭っちゃってさぁ。たまたまルドガーさんがいたから助かったけど…』

「なんですって!?」

 

さやかの言葉に、一気に背筋が凍りつく。隣にいたまどかも、ほむらの声にわずかにびくついた。

使い魔や魔女に囚われればまず助からない。本当に、ルドガーがそこにいなければさやかは死んでいた、或いは助かる為に契約してしまうところだったかもしれないのだ。

 

「…大丈夫なの?」

『平気だってば。ルドガーさんと、なぎさって女の子が助けてくれたからさ。それで、ルドガーさんがほむらに聞きたい事があるっていうんだけど…ちょっと代わるね』

「ルドガーが? …わかったわ」

『……もしもし。悪いな、急に』

 

受話口から男性の声が聞こえる、なんて経験は父親以外になかったほむらは少し耳をぴくん、とさせた。

しかしルドガーの声は、電話越しでも意外と耳当たりは良い。

 

『百江なぎさ、って娘に聞き覚えないか? 白くて長い髪の女の子で、魔法少女なんだけど…』

 

ルドガーがわざわざこうして自分に聞いてくるという事は、時間遡行による過去の記憶について尋ねているのだろう、とほむらは察する。

しかし、その名前はほむらの初めて聞くものだった。

 

「…いいえ、記憶にはないわ。その娘がどうしたのかしら」

『使い魔の攻撃を受けて、危なかったんだ。すぐにグリーフシードで浄化したから大丈夫だと思うんだけど、すぐに姿を消しちゃって心配でさ。ほむらなら何か知ってるかと思ったんだけど…悪いな』

「浄化が必要なほど危ない攻撃だったの…?」

『たぶん、精神攻撃だ。俺とさやかは平気だったけど、なぎさには堪えたみたいなんだ。グリーフシードも目一杯まで穢れを吸ったみたいだし…』

「…一杯まで、ですって?」

 

すぐに、ほむらは事の大きさに気付いた。魔女の落とすグリーフシードは、そんな簡単に目盛り一杯になるものではない。

十分に穢れ…絶望を溜め込んだ上で、孵化しようとする。また、その方がインキュベーターにとってもエネルギーとして効果的なのだ。

よほど馬鹿みたいに魔力を浪費しない限りは、一度や二度の浄化で一杯になどならない。

その言葉が意味するものとは。

 

「…ねえ、ほむらちゃん」と、隣にいたまどかが唐突に声をかけてきた。会話はまどかにも聞こえてきたようで、思い出したように言ってくる。

「白い髪の女の子だよね? もしかしたら、前に見た事あるかも」

「知っているの?」

「たまにだけど、登校する時に見かけるんだ。あとは…病院にさやかちゃんと一緒に行った時にも見かけたかな。

誰かのお見舞いに来てたみたいだけど……」

「そう…なら、まずは病院をあたりましょう。ルドガー、買い物の帰りなんでしょう? 荷物を置いたら病院まで来てくれるかしら。場所はさやかに聞いてちょうだい」

『わかった。すぐに向かうよ』

「よろしく頼むわね」

 

通話を切り、ほむらは視線をまどかに戻す。

ほむらはこの後どこかしらで一悶着起こると予想していた。このまままどかをついて来させてもいいものか…と考え、尋ねてみる。しかしまどかは、

「私も行くよ。その娘のこと、心配だし…それにほむらちゃん、その娘の姿わからないでしょ?」と言う。

そう言われてしまうとまさにその通りだ。ほむらはさらに一考したのちに、

 

「…わかったわ。でも、決して私から離れないで」と答えた。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

見滝原市内に属する総合病院は、県内屈指の規模と最新の医療設備を誇る。院内にはさやかの幼馴染である上条恭介も入院しており、数日前までは心臓に疾患を持つほむらも入院していた。

なぎさは病室のある階を彷徨い、ひとつの名前を探し続けていた。途中で何人かの看護師とすれ違い、なぎさも感じ良く明るい顔で会釈をしていく。

やがて次の階を探し始めたあたりで、1人の看護師がなぎさに声をかけた。

 

「あら、なぎさちゃん。今日はどうしたの?」

 

看護師が思うには、もうなぎさはこの病院には用はないはずだった。だからこそ、なぎさの姿を気にかける。

 

「お母さんに会いに来たのです。でも、病室が変わったみたいで…」

「…え、お母さん…?」

「どこなのですか? 早くお母さんに会いたいのです」

 

なぎさの問いかけに看護師は困惑を覚える。なぜ、この娘はそんな事を聞いてくるのだろう、と。

現実を受け入れることができなかったのか、と。

 

「なぎさ、お母さんと約束したのです。元気になったらチーズケーキを一緒に食べよう、って約束したのです。どこなのですか」

「なぎさちゃん……あなたは…」

 

真実を、辛い現実を受け入れられないということは人間なら誰にでもあり得る話だ。まして看護師という仕事柄、そういった場面に遭遇した事は何度かある。

現に看護師の知るひとりの少年の患者は、夢を断たれたことを受け入れられずにいるのだから。

しかし、人は前に進まなくてはならない。看護師はそう思い、なぎさに告げた。

 

「あなたのお母さんはね、もういないのよ」

「…えっ」

「もうひと月も前なのよ…ごめんね、なぎさちゃん。お母さんを助けられなくて…」

 

看護師は軽くしゃがんでなぎさの肩に手を置き、諭すように告げる。

可哀想に、と思い慰めようとしてやると、急になぎさの様子がおかしくなり始めた。

 

「なにを、言っているのですか」

 

輝きを纏い、服が一瞬で変化する。つい今の今まで着ていたピンク色のワンピースは、全く別のものへとなっていたのだ。

そして、腰のベルトには宝石のようなものが位置している。その色はほとんどが黒に染まり、僅かに薄い紫色が覗くだけだ。

 

「お母さんは生きてるのです。なぎさを置いて、いなくなるわけがないのです!」

 

ドン、と看護師を突き飛ばして離れる。その力は、小学生相当の女児にあるまじきものだ。看護師はなぎさの豹変ぶりに混乱する。

 

「きゃあっ! な、なぎさちゃん!?」

「嘘つき…嘘つき、嘘つき! お母さんは、どこにいるのですか!?」

「なぎさちゃん! 待ちなさい! 待って!」

 

なぎさは怒りに任せて叫びながら、看護師の前から走り去る。看護師は慌てて後を追おうとするが、魔法少女に変身したなぎさに追いつけるはずもなかった。

 

「なぎさちゃ…! あれは……何……?」

 

最後に看護師が見た後ろ姿は、なぎさの身体の周りから黒いオーラのようなものがかすかに見え隠れしているものだった。

何かはわからない。しかしその姿は、看護師を戦慄させるには十分なほどの負を抱えていた。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

看護師の前から消えたなぎさは、早足で階をどんどん登っていき、母の姿を探し続ける。

しかしいくら探しても見つからないまま、ついに屋上まで辿り着いた。

 

「はぁ…はぁ…おかあ、さん…」

 

見滝原の街並みを一望できる屋上は広く、春の暖かな風が吹き付けるが、なぎさの周囲だけが異質な空気を纏う。

そこに、相も変わらず飄々と猫を被った白い悪魔がやって来る。

 

『やあ、なぎさ。どうしたんだい、そんなに騒いで』

「キュゥべえ…? お前が、お前がお母さんを隠したのですか!?」

『はぁ…そんな事をして何になるというんだい。第一、君の母親はもう他界しているじゃないか』

「うるさいっ! うるさいっ! お前の仕業なのです! お前がお母さんを攫ったのです!」

『…そうか、さっきの使い魔の影響だね。幻覚でも見せるタイプだったのかな。でも、どうやら限界が近いみたいだね。なぎさ、自分のソウルジェムを見てごらんよ』

「なっ…何を言うのです! ごまかそうとしたって……っ!?」

 

なぎさはキュウべえに促され、バックルにあてたソウルジェムを元の形に変形させ、手に取って見る。既に全体が真っ黒に染まり、ひびが入り始めていた。

 

「な、なんですかこれは!? なぎさに、何をしたのです!?」

『何を、だって? 僕はちゃんとお願いした筈だけどね。"魔法少女になってくれ"って。ちゃんと対価として、チーズケーキも用意したじゃないか』

「な…なぎさは、どうなるのです…!?」

 

自分の今置かれている状況が、なぎさはまるで理解できていなかった。そのなぎさに対しキュゥべえは無機質に、冷酷に、淡々と事実を述べる。

 

『君は魔女に生まれ変わるのさ。うまくすれば、母親とももう1度会えるんじゃないかな?』

 

その言葉に、なぎさはついに限界を迎えた。

 

「うっ…あ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

飲み込まれる。ソウルジェムが生み出した闇に。自らが積み上げた絶望に。

心を引き裂かれるような激痛が、なぎさを襲った。

 

「こ…これ、グリーフ…シード…!?」

 

なぎさが手に持っていたソウルジェムは天辺から崩れるように割れ、溢れた負のエネルギーはグリーフシードへと形を変えた。

 

「うぅぅぅ…! うあぁぁぁぁ!!」

 

否、認めたくない。自分がこんなモノに変わり果てるだなんて、認めたくない。なぎさはその一心で、グリーフシードを遥か遠くに思い切り投げる。

かつん、と軽い音を立てて落ちたグリーフシードは、廻る駒のように自立した。そこから、おぞましい程の負のオーラが撒き散らされる。

 

「いや、いやなのです! たすけて…たすけて、お兄さぁぁぁぁん……!」

 

間も無くしてなぎさの意識は途絶え、崩れ落ちる。最期になぎさの脳裏に浮かんだのは、あの優しい暖かな笑顔だった。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

見滝原中学から総合病院までは、徒歩でおよそ30分ほどの距離がある。先を急いだほむら達はバスを使って病院へと向かっていた。

魔法少女の力を使えばバスなど使わずに急行できるのだが、まどかが同行する以上はその選択肢は取れない。

 

「ねえ、ほむらちゃん」

 

2人掛けの席でほむらが窓の外を眺めていると、内側に座るまどかが尋ねてきた。

 

「そのなぎさちゃんって娘、魔法少女なんだよね?」

「多分。でも、私は会った事はないわ」

「…ほむらちゃんにも、わからないことあるんだね?」

「何でも知っている、という訳ではないわ。知っているのは今まで見てきた事だけよ」

 

度重なる時間遡行によって、ほむらは魔法少女の秘密を次々と目の当たりにしてきた。

けれど、それを話したところで理解してくれる人間は、今まで誰ひとりとしていなかった。自分の目で見るまでは、誰も信じなかったのだ。

 

「そう…なんだ。じゃあさ、ほむらちゃんは…どうして私の事を守ってくれるの…?」

「! そ、それは……」

 

確信を突いたような問いかけに、ほむらは狼狽える。

 

「…私ね、聞いたんだ。私が契約したら、すごい力の魔法少女になれるって。でも…もし魔女になっちゃったら、世界が滅びる、って」

「な…どうして、それを!?」

「…あは、やっぱり本当なんだね? キュウべえも言ってたもん。"僕は嘘は言わない"って」

「…確かに奴らは、嘘はつかないわ。人間と違って、奴らには感情がないのだから」

「うん…だからなの? 私が契約したら世界が滅びるから、契約させないようにしてるの…?」

 

まどかの言う事は、決して間違いではなかった。時間遡行を繰り返す度にまどかの資質は強力なものへと変わっていく。ほむらの時計の針は、まどかを起点にして廻っているからだ。

もはやその力はワルプルギスの夜さえも一撃で消し去れる程だが、その1発でキャパシティを超えてしまう。

そうして生まれるのが、救済の魔女。世界中を覆いつくし、全ての生命に死という名の救済をもたらす存在となるのだ。

そんな事を、なぜインキュベーターはわざわざまどかに話したのか。世界を滅ぼすくらいなら、契約なんてするわけがないのに。

しかしそれは結果論だ。ほむらにとって大事なのは、そんなものではない。

第一、ほむらはたった1人を救うために時を繰り返し、残された世界を見限ってきたのだから。

時間遡行とは、単なるタイムループではない。同じセーブポイントを持つ平行世界へと跳躍する力だ。ほむらが繰り返した分の中には、救済の魔女によって滅びた世界がいくつもあるだろう。

 

『"まもなく見滝原総合病院前、お降りの際は足元にお気をつけ……"』

 

アナウンスと共に、バスが病院の前に乗りつける。病院の前はちょっとしたターミナルのように整備されていた。

 

「降りましょう、まどか」

「あ……うん」伏し目がちに答えながら、まどかは席を立ち出口に向かう。

「………私にとっては、世界なんかよりも貴女の方が大切よ」

 

独り言のように、ほむらはそう言った。それを聞いたまどかの表情は、瞬く間に明るくなる。

 

「…私、悪い子だね。ほむらちゃんにこんな事聞いて、そう言う風に言ってもらえて…嬉しいの。

私なんてちっぽけな存在を大切に想ってくれるのが、すごく嬉しい」

「それは私の台詞よ…貴女がいなければ、今の私はなかったのだから」

「えっ? どういう意味…?」

「今は、わからなくていいわ」

 

ぱさり、と髪を掻き上げながらほむらは席を立ち、まどかに続くようにバスから降りた。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

「…………やっぱり、ね」

 

バスを降りてすぐに、ほむらは異変を察する。ソウルジェムを左手の痣から取り出して反応を見ると、魔女の反応が近い事を示していた。

 

「まどか、なぎさという娘を探す前にやることができたわ」

「もしかして、魔女…?」

「ええ。恐らく、病院のどこかに潜んでいるわ。なんとか騒ぎになる前に叩かないと」

 

ほむらは紫のソウルジェムを輝かせ、瞬時に魔法少女の衣装を纏った。盾を構え、いつでも魔法を使えるように準備を整える。

 

「いい? 今度は絶対に来てはダメよ。ロビーで待っていなさい」

「待ってほむらちゃん! …ひとりで、行くの? ルドガーさんとか、マミさんを呼んだ方がいいんじゃないの?」

「巴マミは呼べないわ。…彼女じゃ、あの魔女には勝てない。ルドガーが来たら"先に行ってる"って伝えてくれるかしら」

「そんな…待てないの? そんなに、危ないの?」

 

薔薇園の魔女との戦いで瀕死になったほむらの姿を思い出すまどか。1人で行かせてしまったら、取り返しのつかない事になるのではないか。

大丈夫だと思いたくても、恐れの方が先行してしまう。

 

「…病院はね、人間の負のエネルギーが溜まりやすいのよ。魔女にとっては恰好の餌場なの。それに…さやかの幼馴染もここにいるんでしょう?」

「あ…上条くん…!」

「少しでも時間が惜しいわ。まどか、待っていてちょうだい」

「待って! だめだよほむらちゃ───」

 

かちり、と音を立てて砂時計がせき止められる。だが、その音をまどかが聞く事は叶わず、ほむらはまどかの前から忽然と消えた。

 

「あっ……行っちゃったの…?」

 

どうして、いつもこうなのか。いくら大切に想われていても、自分には何もできない。

同じ場所に肩を並べたくても、それをすれば世界が滅びる。第一、彼女はそんな事を望んでなどいない。

だからこそ、あんなに傷付いても自分を守ろうとしてくれるのだ。

 

「ほむらちゃんの……ばかぁ……ぐすっ…」

 

まどかは自分の無力さを恨み、目元を潤わせる。今のまどかには、ほむらの無事を祈る事しかできなかった。

 

「あら、鹿目さんじゃない?」

 

そこに現れたのは、同じ見滝原中学の制服を纏うマミだった。彼女もまた、ソウルジェムを探知機代わりに手に持っていた。

 

「マミ、さん…?」

「キュウべえから魔女の気配がするっていうテレパシーが来て、飛んで来たんだけど…暁美さんは、一緒じゃあないの?」

「ほむらちゃんは、時間が惜しいって言って……」

「そう…あなたは、待っているように言われたのね?」

 

マミの言葉に、まどかは黙って頷く。はぁ、とため息をついて、

 

「次から次へと厄介事ばかりね…キュウべえの言ってる事も意味がよくわからなかったけれど、どちらにせよ放っては置けないわ」

 

まどかから視線を外し、病院の中へと入って行く。その背中を追うように、まどかもついて行った。

 

「待ってマミさん! ほむらちゃんが言ってたんです! マミさんはあの魔女には勝てない…って」

「…なんですって?」まどかの言葉に、マミの眉間がぴくり、と動いた。

「だから、マミさんは呼べないって…」

「………やっぱり、キュウべえの予想は当たりのようね」

「えっ…?」

「鹿目さん、貴女には少し酷かもしれないけれど……」

 

エントランスの中で、マミはまどかの方へ再び向き直り、告げる。

 

「暁美さんは魔女かもしれないのよ。それも、時間を操れる程に強力な、ね。

そうでなくとも、ここは病院よ? もしまた暴走でもされたら今度は大惨事になるわ」

「そんな…そんなことないよ! ひどいよ…マミさんまでキュウべえの言うことを信じるの!?」

「…知ってたのね、鹿目さん。でも、ごめんなさいね」

 

表面では謝りつつも、既にマミの中では取るべき行動は決まっている。

それを念押しするように、力強い声でマミはまどかに言った。

 

「魔女は、一匹残らずこの手で倒す。それが私の正義なのよ」

 

まどかの言葉は、二度はマミには届かなかった。

己の正義を信じ、魔女を裁き平和を守る。それこそがマミの矜恃であり、唯一の生きる理由。マミにとって、絶対に譲れないものだからだ。

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

魔女の反応を追って、ほむらは階段を登って病院の屋上へと向かっていた。

 

(こんな所に魔女が現れるだなんて…何かイレギュラーな事でもあったのかしら?)

 

今までのほむらの経験上では、魔女は病院の駐輪場付近で孵化している事が殆どだった。ごく稀に場所が違えど、こうも大きく離れた場所に根を張ることはなかったのだ。

最後の階に差し掛かり、時間停止を解く。少し歩いた先には屋上へと続くドアがあり、その1枚を隔てた先へと向かって、マイナスのエネルギーが収束していくのがわかった。

盾の中からいつでも小銃を取り出せるように構え、ドアを開ける。本来なら晴天が見渡せる屋上も、一点から溢れ出る負のオーラで暗く霞むように見えた。あの先に、魔女の結界がある。

 

(巴マミが来る前に決着をつけないと…え?)

 

後ろ手でドアを閉めて正面を見据えると、幼い女の子が倒れているのを見つけた。ほむらは早足で駆け寄り、その身体を抱きかかえる。

白く長い髪をした少女は既に事切れており、その手には何か写真のようなものが握られている。

 

「…そう、あなたが"なぎさ"ね」

 

ほむらが初めて出会うその少女こそが、この先にある結界を産み出したのだと悟った。

ほむらはそれ以上何も言わずに亡骸を横たえ、瘴気に塗れる結界の中へと足を踏み入れた。

 

周囲の景色が一変する。どことなく人口的な造りの洞穴のような結界の中には、無数のお菓子と薬品らしきビンが散らばり、注射器のようなものがあちらこちらに突き立てられていた。

ただし、それらのいずれも人間のサイズではない。恐らくは魔女の体格に合ったサイズなのだろう。

 

「アハハ…アハハハ……」

 

侵入者を感知して、ナースの姿を模した使い魔が笑いながらいっぺんに湧き出る。

ほむらはまず手榴弾を適当に2〜3個ほどばら撒き、使い魔の陣形を崩す。

 

『キャハ…ハ、アァァァァ!』

 

轟音と共に砂煙が舞い上がり、使い魔が取り乱す。そこに的確に自動小銃を1発ずつ撃ち込んで行く。

かつて自衛隊の基地から拝借した銃のひとつであり、命中精度の高さ、取り回しの良さから愛用することが多いものだ。

魔力で強化した弾丸はコンクリートに風穴を空けることができる程の威力を誇り、マミの魔銃にも劣らない。

 

(使い魔は大したことはないのだけれど…問題は、魔女の強さね)

 

ほむらは今までの魔女との戦いを思い出す。芸術家の魔女、薔薇園の魔女…ともに、過去に戦った個体よりも遥かに強力になっていた。

そのイレギュラーの原因は、ほむらにははっきりとはわからないが、ルドガーの"時歪の因子"という言葉が引っかかっていた。

 

(もし、時歪の因子が魔女そのものと同じ反応なのではなく…魔女が時歪の因子という"力"を取り込む事で強力な個体に変化したとしたら…)

 

次に思い出すのは、まどかの素質。ほむらが周回を重ねるごとに、まどかの素質は強力なものになる。それが、今回の時間軸の魔女にも現れているとしたら。

 

(厄介ね…もしかしたら、巴マミだけではなく私の手にも負えないかもしれない)

 

それでも、勝算はあった。今度の魔女はマミだけでなく、ほとんどの魔法少女と相性が悪い。しかし、ほむらの時間停止を使えば有効な攻撃を加えることができるのだ。

 

(とにかく…今は魔女の所に急ぎましょう)

 

使い魔の死骸の山を築きながら順調に進んでいく。魔女結界は自動生成マップのように、周回ごとに構造が異なっているが、すでに数十回は同じ相手に挑んでいる。必然的に魔女結界の"癖"もわかってくるのだ。

小銃のカートリッジを2本使い切ったあたりで、一段と広い階層に出る。その奥には魔女の潜むであろう扉がぽつり、と立っていた。

使い魔もあらかた撃破し、この先の魔女相手に銃は有効ではないと判断し、小銃を盾に仕舞う。代わりに時限爆弾をいつでも出せるようにセットした。

扉に向かって一歩を踏み出し、

 

「待ちなさい、暁美さん」

 

不意に、背後から気配を感じる。

振り返るとそこには、魔法少女の姿に変身したマミが立っていた。

 

「鹿目さんから聞いたわ。貴女、独りでそこの魔女を狩ろうとしてたみたいね?」

「それが、どうかしたのかしら」

「おまけに私には勝てない、ですって? 私も甘く見られたものね」

「…今回だけは相手が悪いのよ、巴マミ。あの魔女は貴女とは相性が悪すぎる」

「ふぅん…どうして、それがわかるのかしら? まだこの結界は"生まれて間もない"のに」

 

マミは一歩ずつほむらとの距離を詰める。マスケット銃は持たずいつものように腕を組み、余裕を見せたままだ。

しかし、ゆったりとしているがその立ち居振る舞いに隙はない。

 

「やっぱりキュゥべえのいう通りなのかしら。貴女が魔女だ、って」

「えっ……?」何を言っているの、とほむらはマミの言葉の意味を理解できなかった。

「あの黒い翼の力の事よ。あれは魔法少女の魔力じゃないわ。それに貴女の魔法…時間を操れるらしいわね?

だとしたら、この先の魔女も"視てきた" のかしら?」

「……固有魔法については否定はしないわ。けれど、黒い翼なんて知らない。まして、私が魔女だなんてデタラメ…」

「この期に及んでとぼける気かしら? それっ!」

 

 

マミのひと声と同時に周囲から一斉にリボンが広がり、ほむらを襲った。

しかし、この展開は経験した事がある。ほむらは舌打ちしながら即座に砂時計を止め、リボンから逃れようとする。だが、リボンの動きは止まらない。

 

「なっ、どうして…きゃあっ!?」

 

ほどなくしてほむらは無数のリボンによって簑巻きにされ、リボンの中央に巨大な錠前をかけられる。マミの得意とする束縛魔法のひとつだった。

訳もわからずにほむらは砂時計の挙動を測る。しかし砂時計の盾は、ちゃんと作用していたのだ。

 

「キュゥべえの読み通りね。一か八かの賭けだったけれど…ほんの一部分でも貴女に触れていれば時間魔法から逃れる事ができるみたいね?」

「巴マミ、一体何をしたの…!?」

「貴女に声をかける前に、足元にリボンを這わせておいたのよ。貴女の魔法、確かに使い方次第では脅威になるけれど…いつまでも自分が優位に立っていると思わない事ね?」

「くっ…離しなさいマミ! 今はこんな事をしている場合じゃないのよ!?」

「場合なのよ、それが」

 

マミはようやくマスケット銃を一本錬成し、ほむらへと向けて言う。

 

「貴女が魔女だろうと、そうでなかろうと…あの黒い羽根の力をここで暴走させる訳にはいかないのよ。憶えてないのかしら? あの廃ビル、危うく倒壊しかけたのよ? ここは病院…たくさんの人がいるのよ。貴女はここで大人しくしていなさい」

 

くるり、と気障ったらしくマスケット銃を回す。マミはそれだけ言い残し、ほむらに代わって扉を開こうとする。

 

「待ちなさいマミ! 行ってはダメよ! お願い、待って!!」

「待つのは貴女の方よ暁美さん。魔女を倒したら、ちゃんと解放してあげるわ」

 

キィ、と軋んだ音を立てて扉が開く。マミはついにほむらの声に耳を傾けることなく、扉の先へと消えた。

 

「マミ! 待って! ………待ってよ…!!」

 

そうして、誰もいなくなった空間にほむらの声だけが虚しく響いた。

 


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