誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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CHAPTER:2 受け継がれる想い
第7話「そんな馬鹿な話、信じられるか」


1.

 

 

 

 

 

透明な螺旋状の階段が何本も走る回廊を、ルドガーは2丁銃を携えて駆け抜けていた。

上をみれば白から黒へ、黒から白へと緩やかに移り変わる虚空。下を覗けば、どこまでも底の見えない亜空の世界。不規則に並ぶ回廊の構造はこの結界の不安定さを表しているようだ。

 

「ルドガーさん! そっちに行ったわよ!」

「了解だ! バブルストーカー!」

 

双銃を連射して大きな水泡を何発も撃ち出しながら一回転する。回廊の空から、ルドガーを取り囲むように使い魔が飛んできたのだ。

その姿は不恰好なマネキンに小さな羽根をつけ、テレビのような箱を抱えた異様なものだ。

それを迎撃するように配列された水泡は、ゆっくりと進みながら使い魔に命中する。

泡が弾けると共に使い魔は大きく仰け反り、動きを止めた。

 

「オール・ザ・ウェイ!」

 

銃口からさらに強力な氷のエネルギーを周囲に放つ。弾けた水泡の雫を導火線代わりに、ルドガーを囲む使い魔たちを同時に氷漬けにした。

空中で凍らされた使い魔は、そのまま亜空の底へと落下していく。もう這い上がってくることはない。

 

「さすがね、ルドガーさん!」

 

マミはリボンを回廊の縁に這わせ、空中ブランコのようにして空を舞いながらマスケット銃を狙い撃つ。飛んだ先には、既に黒色に変化した、一回り大きな個体が佇んでいた。

あれが親玉ね、と言うとマミはリボンから飛び降りて、広げた両手から無数の新たなリボンを作り出す。

 

「レガーレ・ヴァスタアリア!」

 

リボンは宙を舞う使い魔達を全て縛り上げ、親玉と称した個体も雁字搦めになる。そこにルドガーの追撃の槍が高速で飛んで行った。

バドブレイカー。無の力を宿した破壊の槍は、その心臓を見事に貫いた。

 

「キャハ──────ァァァァァ!!」

 

まるで悲鳴のような断末魔を最後に使い魔は散り、結界は消滅を始める。

遺されたものは、何もなかった。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

結界が消えた先は、夕暮れ空のひと気がない公園だった。そこに立つのはルドガーとマミ、その傍らにキュウべえがいるだけだ。黒髪の少女の姿は、なかった。

 

「ここ最近は使い魔ばかりだな…」

「ええ。本体の魔女はどこかに潜んでいるはずだけれど…」

『ソウルジェムにはまだ余裕がある。焦ることはないさ。ほむらの回復もまだのようだからね』

 

既に薔薇園の魔女の討伐から2日が経っていた。黒翼の力を暴走させたほむらは、まどかのお陰で事なきを得たものの、気を失ったきり目を覚まさないのだ。

今も家の寝室で眠っている。無意識に魔力を使っているのか、飲まず食わずの状態でもやつれる様子がないのが幸いか。

ルドガーとしても粥ぐらいは食べさせてやりたいのだが、口を開かないのではやりようがなかったのだ。

目を覚ました時のために、いつでも食事を作れるよう備えておくことしかできなかった。

 

「でも…本当にいいのか、マミ? グリーフシードを俺が貰っても…」

 

ポケットの中から薔薇園の魔女のグリーフシードを出してみせ、ルドガーはマミに改めて訊く。

 

「いいのよ。…悔しいけど、あの魔女は暁美さんがいなかったら倒せなかったわ。貴方自身は必要ないかもしれないけれど…もしもの時は暁美さんに使ってあげて欲しいの」

「わかったよ…ありがとう、マミ」

「ええ。それにしても、あの羽根は一体なんだったのかしら…あれが、暁美さんの固有魔法なのかしら?」

『彼女の力は興味深いよ。あれはとても普通の魔法少女に扱える程の力ではないからね』

「あら、あなたなら暁美さんの事をよくわかるんじゃないの?」

『そうとも限らないよ。僕はほむらとは契約した憶えがないんだ。彼女の持つ力が何なのか、断定もできない。

彼女の家に行って調べようとしたけれど、なぜか僕はあそこには入れなくてね。結界か何かの類いを張っているのかもしれない。

そもそも、彼女は魔法少女なのかどうかさえ不明だからね』

「キュゥべえ…今、なんて?」

 

キュゥべえの、さらっと放った言葉にマミが疑問を抱く。腕を組み、首をわずかに傾げて指先で顎に触れる。マミがよく見せる仕草だ。

 

『ソウルジェムだよ。マミは見てわかるように髪飾りになってるし、普段は指輪に変形させているよね。でも彼女は、常にあの左手の黒い痣の中に収納しているようだね。

確かに、あれなら少し攻撃が掠ってもひび割れたりする心配もないし合理的だ。

それに、魔法を使うとソウルジェムに穢れが溜まる。でもほむらは、あれだけの威力の魔法を使っておきながら穢れが蓄積した様子がまるでなかった。となると、魔法少女ではない他の何か、だという可能性も考えられるのさ』

 

ルドガーもまた、キュウべえの意見に全く心当たりがないわけではなかった。

あの力はあまりに異質すぎる。たとえこのマミが全力を込めて魔力を撃とうとも、あの羽根のひと振りから生み出された一撃には遠く及ばないだろう。

 

「魔法少女じゃないとしたら、なんだというの?」

『それはまだわからないし、僕はあくまで可能性の話をしているだけだよ。それを踏まえていてほしい。今まで数多くの魔法少女を送り出してきたけれど、あんなのは初めてなんだ』

「……………」

 

ルドガーは何も言わない。魔法少女となった果てには、魔女に堕ちる運命が待っている。それは、死と同意義。形は違えど既にルドガー自身も体験しているのだ。

けれどマミは違う。正義の魔法少女としての矜恃を持つ彼女には、その事実は重すぎる。いつかは告げなくてはならないが、真実を話すタイミングがわからないのだ。

 

『何にせよ、しばらくは様子見が続きそうだ。僕としては、またいつあの薔薇園の魔女のような個体が現れるかわかったものではないからね。

正体もわからないほむらの力に、頼りきる訳にもいかないだろう? だから、より優れた素質を持つ魔法少女の力が必要なんだ。

例えばそう…鹿目まどかのような、ね』

「鹿目さんを…? 彼女はそんなに凄い力を持っているの?」

『素晴らしい素質だよ。恐らくは、あのほむらの力と同等…いや、それ以上かもしれない』

 

ひょい、とジャングルジムを軽く中段まで登っていくキュゥべえ。無機質な顔に浮かぶ赤い双眸からは、なんの感情も伝わってこなかった。

 

「こら、キュゥべえ? だからといって鹿目さんはまだ立ち直っていないでしょう?」

『きゅっぷい』

「とりあえず、今日はお開きにしましょう。これ以上魔女の気配を辿れないし、また明日もパトロールね。

ごめんなさい、ルドガーさん。買い物の途中なのに、付き合わせてしまって」

「構わないよ。ほむらとの約束もあるし、俺自身もこの街を守りたいからな」と、頬を掻く仕草をしながらルドガーは言う。

「それじゃあ、ここで。気をつけてな」

「ええ、ありがとう」

 

別れの挨拶をし、マミとルドガーはそれぞれ反対の方向へ歩き出す。ルドガーは公園を出ると、その足でショッピングモールの方角へと向かって行った。

夕日は、まもなく沈んでゆく。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

切れかけていた洗剤類をショッピングモールで確保したルドガーが家に戻る頃には、すっかり夜になっていた。

お世辞にも近いとは言えない距離だが、トリグラフからヘリオボーグへの往復に比べれば全然楽だと感じられる。

 

源霊匣(オリジン)の研究…うまくいってるといいな」

 

今はもう帰ることも叶わない、かつての故郷の友人、ジュードを思い出す。

エレンピオスは黒匣(ジン)という、自然界の元素をエネルギーへと昇華する技術に頼りきりになり、環境をどんどん悪化させていった。

自然界の元素とは微精霊である。ジュードは微精霊を燃やし、殺すのではなく、対話をしてエネルギーを"分けてもらう"新たなシステム、源霊匣の研究者だった。

精霊の主、ミラ=マクスウェルと交わした約束を守るために、ジュードもまたルドガーのように戦っていたのだ。

ルドガーの持つアローサルオーブも、自然界のエレメントを吸収して育つオーブだ。この世界にも精霊に値する存在があるのだろうか。ルドガーは独りごちて考える。

 

「ん、あれは…」

 

アパートの、ほむらの部屋の前に立つひとつの人影。二つ結びにした髪が特徴的な鹿目 まどかの姿だった。

ルドガーは小走りで、まどかの元へ近づき、

「こんな時間に来て、大丈夫なのか?」と声をかけた。

「あ、こんばんはルドガーさん。部屋、鳴らしても誰も出ないからどうしようか、って…」

「…待たせちゃったみたいだな。マミと一緒に使い魔を退治してたんだ。良かったら、少し上がってくか?」

「はい。ほむらちゃんの顔、見ていきたいです」

 

純粋なことこの上ない笑顔で、まどかは言う。

ほむらも随分と好かれているじゃないか、と思いながらルドガーは部屋の鍵を開けた。

中に入ると、相変わらず静かな部屋。ルドガーがいる分、最初のように生活感がないという事はなかったが、それでも女子中学生が過ごすにはあまりに静かすぎた。

ほむらの寝室は、よほどの事がなければルドガーも立ち入らない。「見られても困るものはない」とは本人の弁だが、今回の件でも数時間おきに様子を見に行く程度で、基本的には気を遣って入らない。

しかし、まどかなら構わないだろう、とルドガーは寝室へと案内をした。

ガラス戸を開けると、質素なベッドの上で静かに寝息を立てて横たわるほむらがいた。

 

「……ほむらちゃん」

 

まどかは少し涙目気味になり、ほむらの側へと近寄っていく。布団をちょっとだけめくり、命の宿る左手を包むように握る。

 

「まだ…目を覚まさないんですね」

「ああ。傷はもう治っているみたいなんだけど…悪いな、昨日も来てもらったのに」

「いいんです。私、何の役にも立てないから、せめてこれくらいは…」

「そんな言い方しないでくれ。来てくれるだけでも、ほむらもきっと喜ぶよ」

 

ルドガーはせめてもの慰めの言葉をかける。まどかが自分を恨む道理などないのだ。

ほむらは自分でこの道を選んだ。かつてのルドガーのように、自分を犠牲にしてでも大切な何かを守りたい、と。

選択には責任が伴う。それを、ルドガーは多くの犠牲のもとに身を以て学んでいた。

 

「ねえ、ルドガーさん」まどかは俯いたまま、震えた声で語り出す。

「私、キュウべえに聞いたんです…私が魔女になったら世界が滅ぶ、って」

「…! そ、それは……」

「ほむらちゃんが私を守るのは、それを防ぐためだ、って言うんです。私、訳がわからなくて……ほむらちゃんの事、信じたいのに信じられなくなって……それで、魔女の結界までついていったんです。ぐすっ……ほむらちゃんがあんな目に遭ったのも全部…私のせいなんです……」

 

まどかはほむらの手を強く握りしめたまま、その手に縋るように泣いていた。ルドガーはその姿に、胸を締め付けられるような気持ちになる。

どうして、こんなにいい娘達がこんな目に遭うのだ、と。なまじエルと共にいただけに、より強い同情を抱いてしまうのだ。

 

「…私ね、前にもほむらちゃんにいっぱい逢ってるんですよ…?」

「えっ…?」突然の、まどかの言葉にルドガーは戸惑う。

「夢の中で、ですけどね…夢の中でもほむらちゃんはとっても綺麗で、かっこよくて、素敵なんです。でも、ぼろぼろに傷ついて……私は何もできなくて見てるだけ。

うぅ……今と全く同じですよね。私は、ほむらちゃんの為になんにもしてあげられない……」

 

ほむらの左手を、自身の頬に触れさせるまどか。指先は血が通っていないかのように冷たかった。

…だが、ソウルジェムを宿す黒い痣が熱を帯び始めた。イヤリングも薄ぼんやりと、紫色に輝き出す。

ぴくり、と人指し指が動いてまどかの頬を押した。

「ほむらちゃん…?」その様子に、まどかはかすかな期待を抱いた。そしてそれは、確信へと変わる。

 

「……………まどか、なの………?」

 

ゆっくりと薄目を開けて、噛みしめるようにほむらの唇が動いた。

 

「ほむらちゃんっ!」たまらず、まどかはほむらの身体に抱きつく。

「え、えっ…?」と、ほむらは状況が掴めないのか、狼狽え出した。

「ほむらちゃん、ほむらちゃぁん……! うあぁぁぁぁん……」

「…どうして、泣いているの?」

 

泣きじゃくるまどかに胸を痛め、ほむらは優しく頭を撫でてやる。しかし、その瞳は困惑で満ちていた。

 

「……私は、魔女にやられて…助かったのかしら。魔女は、どうなったの?」

「憶えて、ないの…?」

 

訳がわからない。まさにほむらはそう言いたげだった。まどかは助けを求めるようにルドガーをちら、と見る。

ルドガーはそっと首を横に振った。今は、言わない方がいい、と。

 

「ぐす……ほむらちゃん、疲れてるんだよ…私のために、あんなに頑張ってくれたもん。ありがとう、ほむらちゃん」

 

ほむらを抱きしめる力を、さらに強める。黒い翼の話は今ここですべきではない。まどかもルドガーも、互いにそれを理解したのだ。

今はとにかく、ほむらの生還を喜ぶだけだ。

 

「良かったよ、ほむら。これもまどかのお陰かな?」

「そう…かもしれないわね。私には何が何だかわからないのだけれど」

「落ち着いたら話すよ。それよりどうだ、腹が減らないか? 何せ丸2日も眠っていたんだからな」

「2日…!? そんなに経っていたのね…」

 

むくり、とほむらはベッドから半身を起こし、目をこすって時計を見る。抱きついた状態でいきなり起きられるとは思わなかったまどかは「わ、わっ!?」と間抜けな声を上げて、ぱっと手を離してしまう。

 

「もうこんな時間…まどか、家に帰らないと」

「だ、大丈夫だよぉ。パパにも言ってあるし」

「駄目よ。私のせいで余計な気苦労を負わせてしまったもの。お父様も心配するわ」

「ほむらちゃんこそ、まだ寝てなきゃ駄目だよ」

「まどかだって…!」

「ほむらちゃん…!」

 

2人は互いに譲る事なく言い合う。その姿は、傍目からみればごく普通の女の子たちだ。ルドガーはふっ、と柔らかく笑い、

 

「ほむらの言う通りだ、まどか。今日はもう暗いし、俺が送っていくよ。それなら構わないだろ、ほむら?」

「はぁ…頼めるかしら」

「任せとけって」

 

まさか、エルと過ごした時間がこんな風に役に立つとは思わなかった。やはり持つべきものは可愛い(むすめ)だな、とルドガーは思う。

もっとも、エルはもう一人のルドガー…ヴィクトルの娘なのだが。

惜しむべくは、もっとあの娘と一緒に居てやりたかった。成長を見守りたかった。

今はもう叶わない願いを、ルドガーは目の前の少女たちのなかに見たのだった。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

翌日、ルドガーはすっかり慣れた様子でショッピングモール内の生鮮コーナーへと買い出しに来ていた。今朝から新たに追加された日課、ほむらの弁当作りの為の食材の確保だ。

かつての同級生、ノヴァの持参していたような弁当を見る限り、女子の弁当は彩りに気を遣いつつ栄養を摂れるような具材にする必要があり、また少食であるほむらに合わせたサイズにすることも忘れてはならない。

難しいように聞こえるが、主夫とは難題に当たれば当たるほど燃え上がるものだ。どこぞの家庭の主夫も、家庭菜園を作るまでに難儀したものだという。

今では対応表なしでも平仮名と片仮名を読めるようになったルドガーは、そういった要素も含めて買い物という行為が楽しくもあるのだ。

そして、乳製品売り場でいつか見た姿を再び見つける。

白く長い髪の、ピンク色のワンピースを着た小柄な少女の姿だ。

 

「あっ…お兄さん、こんにちは」

「やあ。なぎさ…ちゃん、だったっけ」

「はい。百江なぎさ、なのです」

 

えへへ、と子供らしい無邪気な笑みでなぎさはルドガーのもとへ歩み寄った。

 

「無事、だったのですね」なぎさは、3日前の事件について触れる。

「ああ。悪いやつは俺と、俺の仲間たちでやっつけたからな」

「そう、なのですか…」

「なぎさこそ、どうしてこんな時間にここに? 学校じゃないのか?」

 

この世界とて、学校教育のシステムは変わりないはずだ。今頃はほむらも授業を受けている時間。なぎさがここにいるのは少々不自然に思える。

何故なら、周りの人だかりを見てもなぎさくらいの年の子供は1人もいないからだ。

 

「なぎさは優等生だからいいのです。学校なんか行ったって面白くないのです。お兄さんは、買い物なのですか?」

「ああ。ここは何でもあるからな」

「はい。なぎさも、前はお母さんとよく来たのです」

 

なぎさはおもむろに、商品棚から"アーモンドチーズ"と書かれた、小さなチーズが4つ連なったものを手に取った。

 

「そういえば、この前もチーズを探してたんだっけ?」

「はい、お母さんの好物なのです。なぎさもよく分けてもらったのです」

「そうか…うん、このサイズなら弁当におやつとしてつけられそうだな」と、ルドガーまでもが同じチーズをカゴに入れた。

よほど、同居人のカルシウム事情が心配でならないのだ。変な意味でなく、魔法少女だからと言ってももう少し豊かに育って欲しいものだ。

 

「お弁当、ですか?」なぎさは可愛らしく首を傾げて訊く。

「ああ。放っておくとカロリーメイトしか食べない困ったやつなんだ」

「困ったむすめさんなのですね」

「娘…か…いや、年齢的にはどちらかというと、妹…?」

「お兄さん、面白い人なのですね?」

 

あはは、と明るく笑うなぎさ。今こうしている時間は、まるでエルと共にいた時間のように感じられる。

懐かしい気持ちになったルドガーの顔にも、自然と優しい笑みが浮かんだ。

 

結局、会計を済ませてショッピングモールを出た後も、なぎさがひっついてくる始末になるのだった。

 

 

 

5.

 

 

 

 

ショッピングモールを抜けて帰り道に住宅街に入ると、今度は意外な人物と顔を合わせる事となった。

青髪の少女、美樹さやかである。

「あれっ、ルドガーさんじゃん! 久しぶりです!」さやかは手を振りながらルドガー達の方へ近づく。

「さやかか。学校、終わったのか?」

「はい、買い物しようと思ってこれからショッピングモールに…そっちの女の子は?」

 

ふと、さやかの視線が傍らのなぎさに移る。ルドガーと似た白い髪、少し緑がかった色素の薄い瞳、透き通るような白い肌。幼いながらに整って見える顔立ち。それらを踏まえてさやかが導き出した結論は……

 

「まさか、隠し子…!?」

「なんでそうなる!?」

「相手は…まさか、ほむら!?」

「そんなわけあるか!」

 

そんな事を本人の前で言ってみろ。まず間違いなく眉間に風穴が空けられる。ああ、このさやかという娘はアホの子なのか、とルドガーは今更ながら感じた。

尚更契約させてはダメだ。絶対に猪突猛進型の危なっかしい魔法少女になってしまう。…ルドガーの推測は当たらずも遠からず、といったところか。

そこに、新たな爆弾が投下されるとは予想していなかったのだが。

 

「てへ、ばれてしまったのです」

 

なぎさはてへぺろ、と擬音が聞こえてきそうな仕草でさらりと問題発言をした。

「やっぱりそうなんですか!?」

「あのなぁ………」

 

嗚呼、頭が痛い。今すぐ骸殻を纏って使い魔の結界にでも飛び込みたい。ルドガーは混乱のあまり、そんな不謹慎な事を思ってしまった。

もちろん、本気ではないのだが。こと不運さにかけては右に出るものはいないのが。このルドガーという男だった。

何故なら、"本当に懐中時計がうなりを上げた"のだから。

 

「! …………さやか、なぎさ。逃げるんだ」

「えっ?」さやかはルドガーの意外なリアクションに戸惑いを覚える。対してなぎさは、ルドガー同様に表情を急に硬くした。

 

「結界が来る! 早く、逃げ───」

 

言葉を紡ぐ前に、世界が反転した。

広がる青空は乳白色に、映画のフィルムのようなものがめまぐるしく周り続ける。

地面は消え、足は空を切る。水の中を漕ぐように、無重力の波が襲う。回廊が浮かぶだけの底の見えない亜空の世界へと、3人は一瞬で引き込まれた。

 

「き、きゃあぁぁぁぁぁ!?」

「さやか! くっ!」

 

さやかは、突然の事態に思わず叫び出す。ルドガーは空を漂いながら骸殻を纏い、さやかの手をしっかりと握りしめて適当な回廊へと着地をした。

見たところ、先日マミと討伐した使い魔と同じ結界のようだった。カラクリがわかれば、対処のしようはある。

だが、なぎさの姿がない。慌ててルドガーは周囲を見渡す。

 

「なぎさ! なぎさぁ───!」

「なぎさなら、大丈夫なのです」

 

真上からなぎさの声がした。

ルドガーが咄嗟に声のした方を見るとそこには、さっきまでのワンピース姿ではなく、赤い頭巾に丈の短いポンチョを纏った姿のなぎさがいた。

 

「………まさか、君は」

 

魔法少女なのか。その言葉は喉まで出かかって、止まる。

よく考えれば、最初からわかってたはずだ。何故なら、この娘はあの時キュゥべえの声が"聞こえていた"のだ。

あの声は魔法少女の素質があるものにしか聞こえない。唯一の例外は、骸殻装者・ルドガーのみ。

そして、「行ってはだめだ」と告げてくれた。なぎさはキュウべえの正体を知っていたのだ。

 

「…はい、そうなのです」

 

なぎさはゆっくりと、宙を滑るようにルドガーのいる回廊に乗る。

ほぼ同時に、羽根付きのマネキンの使い魔が無数に現れる。獲物の気配を感じ取ったのだ。

 

「お兄さんは、なぎさが守るのです!」

 

なぎさは懐からラッパを取り出して、使い魔めがけて吹く。その音色と共に大きなシャボン玉が大量に噴き出し、撒き散らされる。

キャハハハハ、と不気味な笑い声を上げて迫る使い魔たちにシャボンが触れた途端、けたたましい爆発音を立てて使い魔が霧散した。

 

「きゃっ!? な、なんか爆発したぁ!?」

「落ち着けさやか、なぎさの攻撃だ」

「えっ!? ほ、ほむらかと思ったよぉ!」

 

確かに、重火器に爆発物はほむらの得意分野ではあるが…なぎさも、なかなか強力な魔法を使うものだ。

くす、と笑みを浮かべてルドガーも攻撃に参加した。槍を地に穿ち、解き放つ一撃。

 

「行くぞ───ヘクセンチア!!」

 

骸殻の力を解放したルドガーの十八番。虚空の彼方から紫黒の光弾が流星のように降り注ぎ、使い魔共を確実に貫いていく。

 

「先へ進もう、なぎさ。さやか、離れるなよ」

「は、はい!」

「了解、なのです!」

 

さやかとのこの応酬も、もう何度目になるだろうか。どうもさやかは使い魔に狙われ易い気がする。

使い魔は人の心の闇につけ込み、呪縛をかけようとする、と以前聞かされたが…さやかには何か悩みでもあるのだろうか? と、ルドガーは思う。

さやかのペースに合わせつつ螺旋階段を上がって行き、槍となぎさのシャボン玉で迎撃する。

親玉…時歪の因子の気配は、螺旋階段の頂上から感じられた。

 

「はぁ、はぁ…ひぃ…あれが、魔女…?」さやかは肩で息をしながら一回り大きい、マネキンの頭にテレビのような箱がすげられた使い魔を指差す。

「いや、あれは…使い魔だな。本命はいないみたいだ」

 

使い魔の親玉の、頭のテレビの画面はノイズがかかったように荒れているが、何かを映そうと点滅しているようにも見える。

 

「使い魔なら大したことないのです!」

 

なぎさは親玉に向かって、さらに無数のシャボン玉を吹き付けた。

 

『キャハハハ、キャハハハハハ───ハハ!?』

 

薄気味悪い声は爆音に掻き消され、大型の使い魔は大きく吹き飛ぶ。

仲間の使い魔たちが親玉を庇おうと、一斉に集まり出す。ルドガーが槍の一閃で薙ぎ払おうとしたその時、バチン、と何かが切れる音がして突然空が暗転した。

 

「っ!?」

「ひゃあっ! 真っ暗!?」

 

しかし、それはつかの間。暗闇の空に映画のフィルムが何本も投影され、一コマ一コマにノイズつきの映像が映る。

その全てが同じくして、ルドガーのよく見知った顔を映し出していた。

 

『───守ってやりたい娘が、いるんだろ?』

「っ、兄…さん…!?」

 

その声は耳だけにだはなく、心の中にすら響き渡るような感覚がした。槍を持つ手が緩む。動悸が、激しくなる。

かつて大切なものを守る為に、この手で殺したもう一つの大切なもの。ずっと自分を守ってくれた、大切な家族。

ユリウスの幻影が、フィルムの中に映されていたのだ。

 

「あ…恭介、なの…?」

 

はっ、としてルドガーはさやかに視線を向ける。さやかも、青ざめた顔でフィルムの空を仰いでいた。その声に、なんとか自分を律する。

 

「見るなさやか! 使い魔の攻撃だ!!」

 

少々乱暴だがぐい、と肩を掴んで身体ごとルドガーの方を向かせて、目を逸らさせる。

「きゃっ!?」と驚いた声を出すが、それによりどうにか我に返ったようだ。

 

「うぅ……あぁぁぁ……おかあ…さ…」

「なぎさもか!?」

 

次いで、なぎさを見ると虚ろな瞳で膝から崩れ落ち、魔法少女姿から変身が解けていた。なぎさも、幻影を見たのだろうか。

 

「さやか、なぎさを頼む! あれを見させないでくれ!」

「わ、わかりました!」

 

さやかはすぐになぎさの下へ駆け寄り、視界を塞ぐように胸に抱きしめる。

なぎさは、さやかの身体に力なくしがみついてきた。

 

「…すぐに、カタをつけないと」

 

次は何を"見せられるか"わかったものではない。耳を澄ませ、暗闇に潜む使い魔の気配を辿る。槍を持ち直し、いつでも投擲できるように構えた。

 

『…………ハハ…』

「──────そこだぁ!」

 

微かに聞こえた声の方向に、全力を込めた槍の一撃、バドブレイカーを叩き込む。

音速で槍は飛んで行き虚空に消えるが、確実に何かを貫いた。

さらに、それに続くように立て続けに槍を錬成し、射出する。今度は使い魔の悶える声がはっきりと聞こえた。大きめな槍をひとつ携え、その声の方向へと跳躍する。

 

「マター・デストラクトォォォ!!」

 

激しい音を立てて、槍は大型の使い魔の身体を貫いた。

暗転した空からフィルムが消えていく。かつての兄の幻影は結界そのものと共に消滅し、ルドガーたち3人は、もとの住宅街の脇道へと帰ってきた。

 

「…なんとか、倒したか…」

 

ルドガーは苦い顔をして現状を振り返る。前回の薔薇園の魔女のような再生能力はないようだが、さっきのあれは明らかに精神攻撃の類いだった。

現に後ろを向けば、何かに怯えるように震えるなぎさの姿があるのだから。

 

「あ……あっ、うぁぁ…ひっ……」

「ねえ、大丈夫!? なぎさちゃん!?」

 

さやかも必死に呼びかけている。やはり魔法少女とはいえ、幼い子供にとっては精神攻撃は辛すぎたのか。…と、ここでルドガーは、以前ほむらから聞かされた言葉を思い出す。

 

 

"『───ソウルジェムは、魔法を使うたびに黒く濁る。それだけじゃなく、心に負の感情を溜め込んでも濁るわ。そうして完全に濁り切ったとき…ソウルジェムは"グリーフシード"へと変化する』"

 

 

一気に、血の気が引いていくのが自分でもわかった。同時に、全く同じことをさやかも考えたようだ。

 

「「ソウルジェムが!!」」

 

あんな様子では、まず確実にジェムが濁り始めているだろう。ルドガーは咄嗟に、マミから託された薔薇園のグリーフシードを出した。

 

「ルドガーさん! ソウルジェムってどこにあるの!?」と、パニックに陥っているなぎさに代わってさやかがジェムを探す。

「多分、左手の指輪だ!」

「は、はい!」

 

なぎさの手を取ると、やはり左中指には謎の刻印が記された銀の指輪があった。

その指輪にグリーフシードをあてると、怪しげな音を立てて黒い穢れが滲み出てくる。その穢れは、あっという間にグリーフシードへと吸い込まれていった。

浄化が済むと、なぎさの震えが少しずつ収まってくる。さやかはなぎさを抱きしめ、優しく宥めるように頭を撫でてやる。

 

「大丈夫だからね…なぎさちゃん。あたしたちがついてるから…」

 

巻き込んでしまった事は悔やまれるが、今はさやかがいてくれて本当に良かった、とルドガーは思う。

自分だけではなぎさを守り切れなかった。あまつさえ、なぎさを魔女にさせてしまうかも知れなかったのだから。

 

「……ひっく、もうだいじょうぶ…なのです…」

「なぎさ…よかった」

 

ふう、と一息ついてルドガーもなぎさの頭をわしゃわしゃと撫でる。なぎさは少しくすぐったそうにしたが、

「てへへ…心配かけて、ごめんなさいなのです」と答えた。さやかの手を離れて立ち上がり、少し赤くなった瞳をこする。その唐突な反応に、さやかは僅かに戸惑う。

 

「なぎさは、行かなきゃいけないところがあるのです」

「えっ…ど、どこに?」

「お母さんが待っているのです。遅くなると心配するのですよ」

「あっ、お母さんね…じゃあ、早く帰らないと。あたしが送ったげようか?」

「大丈夫なのです。お姉さんは、お兄さんとデートを楽しむのです」

「で、でぇっ!?」

 

違う、違うのよとあたふたしてさやかは弁解をする。そんなさやかを尻目に、最後にルドガーに手を振って、なぎさは何処かへ走り去っていった。

 

「………? 少し、様子が変だったな…」

 

やはり違和感は拭えない。遅れてルドガーはなぎさを追いかけるが、突き当たりに差し掛かり左右を見ても、既になぎさの姿はなかった。

代わりに、後方から声が聞こえる。何度聞いても違和感しかない、可愛げがあるのに感情の一切こもらない声。

キュゥべえの姿が、家の塀の上にあった。

 

『やあ、ルドガー。使い魔を倒したようだね』

「…キュゥべえか、何の用だ?」

『グリーフシードを回収しに来たのさ。君の持つそれは、それ以上穢れを吸わせるとまた孵化してしまうよ。

マミはほむらに使わせるつもりだったけれど、あの子に使ってあげたのは懸命な判断だったね』

 

相変わらず、人の生き死にをさも平然と語ってくれる。ルドガーはもはやキュゥべえの事を信用する訳がなく、キュゥべえもまたルドガーには猫を被る必要はないと思っていたのだ。

ルドガーはやや乱雑にグリーフシードをキュゥべえに投げる。キュゥべえはそれを背中にある紋様から吸収し『きゅっぷい』とあざとい声を出した。

 

「当たり前だ! ほむらには悪かったが、あんな小さい女の子を死なせられる訳がないだろう!」

『なぜそう思うんだい?』

「お前…! 人間をなんだと───」

『違うよルドガー、そこじゃない。どうして"ほむらに悪い"なんて思うんだい? 第一ルドガー、君は前提を間違えているんだよ』

「…は?」

『あの黒翼の力だけど、あんな力を使えばキャパシティを超えて、ソウルジェムなんて一瞬で穢れきって砕けるよ。

彼女はね、ルドガー。そもそもソウルジェムの浄化なんて必要としていない存在なのさ』

「それは、どういう意味だ!?」

『ああ、怒らないでくれよルドガー。そんな存在、ひとつしかないじゃないか。

僕たちも断定はし切れないけれど、9割がた結論は一致しているよ。

───暁美ほむらは、おそらく魔女だ』

 

どくん、と。今度こそルドガーは戦慄を覚えた。そんな訳があるわけがない。

まどかをあんなにも必死に守ろうとして、傷付いて、なのに。

 

「そんな馬鹿な話、信じられるか! ほむらが魔女なわけないだろう!?」

『だから、おそらくと言っているじゃないか。断言はしていないよ。君のような"イレギュラー"も存在するからね。

君の持つ骸殻の力はまだ解析しきれていないけれど……過去に同じ力を持つ"魔法少女"は存在したんだよ。まあ、ほむらは違うだろうけどね』

「なんだと……おい、キュゥべえ! それはどういう意味だ!」

 

次から次へと、キュゥべえは煽るように能弁を振りかざす。ルドガーはすっかり冷静さを欠いていた。

骸殻を持つ魔法少女。つまりそれは、ルドガーのいた世界にも、かつて魔法少女が存在していたということなのか。

 

『さすがにもう何千年も経っているからね、当然魔女になっているだろうさ。ただ、その存在はもう僕らにすら感知できないよ。

さて、僕はそろそろ行くよ。あまり出歩くと、マミがうるさいからね』

 

ひょい、と塀から飛び降りてキュゥべえは姿を消した。…追っても無駄なことは、ルドガーにもわかっていた。

 

「…いったい、何が起こっているんだ」

 

湧いて出てくるのは疑問ばかり。少なくともひとつだけ確信したのは、自分がこの世界にやって来たのはただの偶然ではない、という事だけだった。

 


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