誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第6話「私は、ここにいるよ」

1.

 

 

ルドガーが今回ほむらに指定された場所は、住宅街から少し外れたところにある、廃ビルだった。

周りには何もなく、その建造物だけが孤立している。隠れ家にするにはうってつけなのかもしれない。

 

「ほむらはまだ来てないのか…」

 

懐中時計をチェックすると、時刻は午後5時を回ろうとしているところだ。

ルドガーは知らないが、昔から"逢魔が時"という言葉があるように、夕暮れ時は怪異が動き出すものだ。故郷のエレンピオスでもやはり夜の方が魔物の活動が盛んであるが、今回の敵は魔物とは訳が違う。

魔女のくちづけ。ほむらが言うには、首筋あたりに刻印がされた人を見つけたら、極力保護しろという。

魔女によって絶望を植え付けられ、無意識のうちに事故や自殺などの死へと向かわせる、呪いの類だという。

この世界での原因不明の死亡事件は、何割かが魔女のくちづけのせいだとも言われた。

 

「とはいっても、この辺りに人気なんて………えっ…!?」

 

いた。

廃ビルの上方を見上げると、屋上のふちに女性らしき人影が見えた。こんな時間に、あんなところにいる時点で怪しい。

それに、ふらふらとしていて今にも落ちて来そうだった。

ここから間に合うか…そんな事は無理だ。建物を駆け上がる間に、地表に命を散らしてしまうだろう。ならば、取れる行動はひとつしかない。

 

「はあぁぁぁぁっ!」

 

ルドガーは懐中時計を構え、変身を始める。

キィィン、と独特の金属音が鳴り響き、身体の周りに歯車が展開され、それらは手足のほんの一部に鎧装として変化し装着される。瞳の色がわずかに変わり、顔に刻印が浮かび上がった。

魔女との戦いに備えて力を抑えた、クォーター骸殻だ。

変身を終えるとほぼ同時に、女性が落下してきた。ルドガーはそれに合わせて、骸殻で強化された身体能力を活かし、高く跳躍をして壁に取り付く。

 

「うおぉぉぉ!」

 

壁を垂直に駆け上がり、落下してくる女性を見事受け止めた。

そのまま、着地に移る。壁から足は離れ自由落下の状態だが、ルドガーは女性を片腕に抱え、空いた左手で槍を造る。

 

「───舞斑雪っ!」

 

地表まであと5メートルの地点で、壁に向かって牙突を放ち、槍を穿つ。

コンクリートが砕ける音と共に黒槍は深々と突き刺さり、重力がかかり、ガリガリと壁を削りながらブレーキをかけ、転落を防いだ。

 

「……ふぅ、なんとかうまくいったな」

 

一か八か、だったが無事に女性を助ける事に成功した事に安堵し、一息つく。首筋を見ると、やはり何かの刻印がなされていた。

槍から手を離して残り2メートルを着地し、ルドガーは変身を解いた。

 

「随分と派手な救出劇ね?」

「! その声は…マミか」

 

後ろを振り返ると、ようやくマミとほむらが到着していた。既に魔法少女の姿へと変身している。準備は万端、といったところか。

 

「でも、助かったわ? あなたがいなければその人、死んでたろうから」

「たまたま、だよ。…この人は、どうすれば?」

「魔女のくちづけは魔女を倒せば消えるわ。私がリボンで縛っておくけど、気を失ってるみたいだし、寝かせておけばいいわよ?」

 

言うとマミは、目にも止まらぬ速さでリボンを呼び出し、女性の手足を拘束した。

ちゃんと、締め跡がつきにくいような結び方だ。どうやら、こういった事は慣れているようだった。

 

「さて、行きましょうか。暁美さん、ルドガーさん?」

「ええ」

「ああ、行こう」

 

いつの間にほむらはマミと仲良くなったのだろうか。昨日の様子だと決して仲が良さそうには見えなかったのだが、とルドガーは思う。

とにかく、今は魔女が先決だ。ルドガーは2人のあとに続いて、廃ビルの中へと進んで行った。

 

薄暗い構内を、マミのソウルジェムの暖かな光が照らす。ソウルジェムには魔女の反応を辿る探知機の役割もあり、基本的にはそれを頼りに探す事になるのだ。

階段を登った先の階層の、一室のドアの前で3人は立ち止まった。

 

「ここね。準備はいいかしら?」とマミは聞くが、ほむらは特に返事をしない。代わって、ルドガーが「問題ない」と返す。

 

「結界を開くわ」

 

マミがドアの前に手を翳すと、先ほど女性の首筋に刻まれていた刻印と同じ文様が浮かび上がる。それが、魔女の結界の入り口だった。

さらにその文様をこじ開けようとした時…ルドガーは既視感に襲われる。

 

「!? この、感覚は?」

 

以前に何度も味わった。そしてこの世界に来てすぐに体験した。ほむらが芸術家の魔女と称する、門の化け物の結界に"飲まれた"時の感覚だ。

 

「きゃあっ!?」マミが急に悲鳴を上げる。文様から、おぞましいほどの黒いオーラが大量に漏れ出たのだ。

そのオーラに3人とも飲み込まれる。人々の絶望から成り立つその波動の正体を、かつてはこう呼んだ。

 

「………やっぱり、時歪の因子か」

 

周囲の景色がねじ曲がる。抗う事は叶わず、この世界の主を槍で貫くまで、出る事を許されない。

魔女の結界。そして時歪の因子、あるいは分史世界。これらがどう関わっているのか、今のルドガーにわかるはずもなかった。

 

「…っ、どうやら結界の中に入ったみたいね」

 

マミはあくまで平静を装いながら腕を組むが、その声色は少しトーンが上がっていた。緊張している証拠だ。

 

「先に進むわ。あまり、時間はかけたくない」ほむらはどうして、こういう時にも冷静に先の一手を考える。

「ここの使い魔も昨日の奴と同様に再生するなら…相手にするだけ無駄よ。本体を叩けば、再生のエネルギーもなくなるはず。使い魔は後回しよ。最低限だけ倒せばいい」

「外に使い魔が逃げたらどうする気かしら?」

「問題ないわ。私が1匹残らず殺す」ほむらは、盾から機関銃を取り出して言った。

 

確かに、時間を止めてほむらと自分でやれば、それは可能だろう。ここはほむらに従い先に進もう、とルドガーは決めた。

マミは少し不服そうな顔を見せたが、ほむらの"瞬間移動"の能力を思い出したのか、同意した。

 

「早速お出ましね、暁美さん?」

 

マミの指差す方角には、次々と使い魔が涌いて出ていた。昨日の数の、およそ倍だろうか。

不気味な笑い声のような鳴き声を出しながら、わらわらと距離を詰めてくる。

 

「後回しにするには、ちょっと多すぎるわね…飛ばしていくわよ!」

 

リボンを横にひと薙ぎすると、その射線上にマスケット銃がずらりと並ぶ。単発式の銃であるため1発ごとにリロードが必要だが、マミは銃身ごと交換することでリロードの手間を省く戦術を得意とする。

魔法の扱いに慣れた、熟練の魔法少女ならではの技法だった。

 

「ティロ・ドッピエッタ!!」

 

ズドドドドド! と機関銃のような轟音を立ててマスケット銃の一斉掃射が放たれる。使い魔たちを舐めるように一掃していくその様は、まさに圧巻だ。

 

「さ、行きましょ?」

 

マミは何事もなかったかのように、涼しい顔でマスケット銃をくるくると振り回して言った。

 

 

 

2.

 

 

 

 

迷路のように入り組んだ結界を、使い魔を薙ぎ倒しながら進んで行く。昨日の使い魔の結界とはやはり似ているが、こちらの方がより複雑、難解だと言える。

幸いなのは、使い魔は今のところ再生する兆しを見せないことだ。恐らく、親玉にエネルギーが集中しているのだろう。

芸術家の魔女のようにはいかない、という事だけは覚悟しなければならない。

 

「そういえば」と、ルドガーは双銃で応戦しながらほむらに尋ねる。

「昨日のあれは魔女じゃなくて使い魔だったけど…使い魔にも結界を作る力があるのか?」

「ええ、あの使い魔はかなり力をつけていたわ。使い魔は最終的には元となった魔女と同じ姿にまで成長して、グリーフシードを孕むらしいけれど…

私は、そこまで使い魔を放っておいた事はないからわからないわ。

ただ、そうやって使い魔を放置して、グリーフシードを稼ぐ魔法少女も過去にいたらしいわ」

「…それって、危ないんじゃないのか。一般の人が巻き込まれたら…」

「生きる為なら、人はどこまでも残酷になれるものよ。魔法少女も例外ではないわ」

 

言いながらほむらは盾から手榴弾を取り出し、口でピンを引き抜いて使い魔に投げる。

左手に持った機関銃を小刻みに放ち、的確に使い魔を撃ち抜いていく。

ルドガーのように、魔力で弾丸と筋力を強化しているのだろう。マシンガンを反動を意に介さず連射するなど、本来ならばほむらの体格では不可能だ。

マミのような派手さ、華やかさはないが、ほむらの戦う姿はどこか安心できるものがあった。

 

「負けてられないな…ロクスウィング!」

 

ルドガーも負けじと、双銃から風のエネルギーを纏わせた弾丸を連射する。着弾点の気圧が急激に下がり、周囲の使い魔を1箇所に引き寄せる。そこにルドガーは追撃の炎弾を撃ち込み、使い魔を四方に爆散させた。

 

「ふぅ…随分と、銃の扱いに慣れてるんだな」

「それだけ、長い間戦ってきたのよ。最初なんてひどいものだったわ。

この盾以外に何も持ってなかったんだもの。間に合わせで、ゴルフクラブを持参してたくらいよ」

「ゴルフクラブ? 何だ、それは」

「スポーツに使う金属の棒のようなものよ。魔力を込めて振り回せば、使い魔程度なら殴り倒せるけど…結局、銃の方が早いわ」

「……それ、今持ってるか?」

 

ルドガーはひとつ閃いた。そのゴルフクラブとやら、オーブで強化すればハンマーの代わりとして使えるのではないか。

 

「何本かあるわ。武器としては勧めにくいけれど…好きに使って」と、ほむらは盾の中からゴルフクラブを1本取り出した。ルドガーはそれを受け取り、軽く振ってみると中々の好感触。

以前使っていたハンマーに比べると丈が大分短いが、その分取り回しが楽そうだった。

 

「いけそうだ。ありがとう、ほむら」

「本気かしら?」

「ああ。見せてやる」

 

ルドガーは早速、アローサルオーブでゴルフクラブに強化をかける。得意とする属性は水、地。目の前に涌く使い魔に狙いを定めて、

 

「───ファンドル・グランデ!」

 

ゴルフクラブを豪快に振り上げ、そこから巨大な氷のエネルギー波を放った。

黒匣がないため威力は下がるものの、使い魔は広範囲に広がるエネルギー波を受けてたちまち氷漬けにされる。数秒置いて氷塊が砕けると共に、使い魔も砕け散った。

 

「…大したものね」

 

さすがのほむらも、その光景に銃を撃つ手が止まった。踊るようにマスケット銃を連射して、使い魔を撃破していたマミも釘付けになる。

…が、当のゴルフクラブは技の反動で使い物にならなくなっていた。

 

「ルドガーさん…あなた、何者なの?」

「あ、うーん…話すと長くなるんだけどなぁ…」

「まあ、いいわ。それだけの術が使えるなら、味方としては心強いもの。"この子"を倒してから、教えてもらうわよ?」

 

いつの間にかマミは、ひとつだけぽつり、と立つドアの前にいた。外観からして少し不自然な所にあるそれは、その先に魔女が隠れていることを示唆していた。

扉が開かれる。ほむらは機関銃をロケットランチャーに持ち替え、ルドガーは新しい武器を握り締めて、今一度感触を確かめた。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

同刻。

 

キュウべえに案内されたまどかは、魔女の隠れ家たる廃ビルまでやって来ていた。日はさらに落ち、まもなく夜空へと移り変わろうとしている。

外壁の一部が破壊され、ビルのすぐ近くには、手足をリボンで縛られた女性が気を失っていた。

 

「キュゥべえ! この人は!?」まどかは咄嗟に駆け寄り、女性の容態を見ようとする。しかしキュウべえは首を横に振った。

 

『これは…魔女のくちづけを受けているね』

「くちづけ…? それって、これの事?」女性の首筋にある刻印を指して、まどかは訊く。

『そうだよ、呪いの一種さ。どうやら、魔女が活発化しているようだね』

 

キュウべえの言うように、廃ビルからは禍々しいオーラが漂っている。比喩ではなく、目で見た通りの光景だ。

 

『既に中では魔女と戦っているようだね。まあマミがいるから心配はないと思うけれど…ほむらの正体を見極めないといけないからね。…怖いのかい?』

「………正直、ちょっと怖いかな。でもね、キュゥべえ」

 

まどかの足はかすかに震えている。

当たり前の話だ。この先は化け物の巣。昨日のような化け物がうじゃうじゃと涌いてくるかもしれないのだ。

もしもあの時ほむらがいなければ、殺されていたかもしれない。…或いは契約をして、いつ魔女になるかわからない、死と隣り合わせの生活を余儀無くされるかもしれなかった。

だからこそ、逆に思う。

ほむらの事をもっと知りたい。支えになってあげたい。何より、一番は。

 

「私は、ほむらちゃんの願いが何なのか知りたい。ほむらちゃんを一人ぼっちにさせたくないんだ。

それに、どうして私を守ってくれるのかな、って。本当に、世界の為なのか。それとも、もっと別の何かの為なのか…私のため、だったら1番嬉しいんだけどね?」

『君がそう願えば知る事は容易だけれど?』

「もう、そういう意味じゃないよ。これは私が、自分で知らないといけないんだ」

 

まどかは真っ直ぐに廃ビルを見据える。負のオーラの立ち込める構内へと、ゆっくりと足を踏み入れた。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

───醜い。それが、"彼女"を見て第一に浮かんだ感想だった。

顔と思しき部分は熟れすぎた柘榴のようにどろどろで、薔薇の花がいくつも散りばめられている。揚羽蝶のような大きな羽根を要し、6本の脚を蠢かせ、巨大な椅子にかけている。

生物の法則を無視したような奇形の化け物。それこそが、この"薔薇園の魔女"だった。

3人は円く形どられた、芝生の箱庭のような場所で、魔女と対峙している。

 

「なんだ、あれは……」

 

ルドガーはその異形の姿に息を呑む。リーゼ・マクシアの僻地でさえ、あんな化け物はいなかった。

これが、魔女。魔法少女が最後に辿り着く姿だというのか、と。

そしてやはり、時歪の因子の反応はこの魔女からする。或いはそれに酷似した反応だろうか。

 

「ひどいものね………」

 

さすがのマミも、これには溜め息しか出ないようだ。ただし、ルドガーのそれとは大きく意味が違うだろう。

『彼女の心は、その事実に耐えられないわ』というほむらの言葉を思い出す。

全くその通りだ。こんな風に成り果てると聞かされて、ショックを受けない筈がない。それどころか、認めようとしないだろう。

 

「すぐに楽にしてあげるわ!」

 

言うとマミは足元にマスケット銃を何本も錬成し、地面に立てる。それを取っ替え引っ替えして魔女に連射し始めた。

着弾と同時に、肉の弾ける音がする。ほむらもマミに合わせてロケットランチャーを撃ち始める。

 

「仕方ない…トライスパロー!」

 

ルドガーも銃に持ち替え、エネルギーを込めた大きめの弾丸を何発も放つ。それらは燕のように上方に曲がり、弱点と思われる顔面部へと刺さった。

 

『オオオオオオオオオ…!』

 

効果はあるようだ。魔女は少し苦しそうによろめき、抵抗を見せる。

身体から茨の鞭のような触手を伸ばし、こちらへ叩きつけてくる。しかしその動きは緩慢で、回避するのは容易だった。

ほむらは盾を使うまでもなく、マミも華麗なステップで避ける。

…だが、ルドガーは油断できなかった。芸術家の魔女と同じならば、この後に時歪の因子化が待っているはずだからだ。

いつでも骸殻を纏う準備はできている。魔法少女の手だけで倒せるならばそれに越した事はないが、果たして。

 

「一気に決めるわよ!」

 

畳み掛けるようにマミはリボンを大きく回す。その軌跡からは、先程とは比べ物にならない量のマスケット銃が生み出された。

 

「受けなさい───無限の魔弾を!!」

 

それら全てが、同時に火を吹いた。まるで兵団の一斉射撃のような轟咆は、魔女を蜂の巣にせんとばかりだ。

 

『オォォォォォアァァァァァァ!!』

 

銃撃を受けて、魔女の身体から鮮血が吹き出る。その血は赤とも緑ともとれる、あり得ない色をしていた。

そのままドスン、と大きな音を立てて魔女は地に伏した。

 

「ふぅ…呆気なかったわね、暁美さん?」

「まだわからないわ。再生するかもしれない」

 

ほむらはまだ構えを解かず、魔女を見据える。

ルドガーもほむらと同じ意見だった。何故なら、時歪の因子の反応は、この局面において"さらに強まっている"のだから。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

がちゃり、と扉の開かれる音が後方から聞こえる。倒れた魔女に向いていた視線が、同時にその方向へ集まった。

 

『おや、どうやら既に魔女を討伐したみたいだね?』キュゥべえの無機質な声は、さほど声量は大きくない筈なのに空間中に響く。

 

「まどか……どうしてここに!?」ほむらは慌てた様子を見せて、まどかの方へ駆け寄った。

「えへへ…来ちゃった」

「来ちゃった、って…ここがどんなに危険な場所かわからないの!? 使い魔に殺されたかもしれないのよ!?」

「大丈夫だよ。キュゥべえが使い魔に遭わないように案内してくれたから」

「そういう問題じゃないわ!」

 

珍しく、ほむらの声が大きく響く。ここまでほむらが取り乱すのは、やはりまどかを特別視しているからなのか。ルドガーはその様子を見て、とある男の姿を思い出した。

 

『───エルはわたしのものだ!!』

 

仮面をつけて黒斑を隠し、ひっそりと待ち続けた。時歪の因子の呪縛から逃れ、娘と共に新しい世界で生まれ変わるために、過去の自分を消そうとした男…ヴィクトルの姿を。

やはりほむらにとってのまどかは、ルドガーにとってのエル、というよりはそちらの方が近いのかもしれない。

 

「ごめんねほむらちゃん。でも私、知りたかったんだ、ほむらちゃんの願いを。ほむらちゃんがどうして、私を守ってくれるのかを」

『そうだよ。厳密に言えば君の正体を───』

「キュゥべえは黙っててくれるかな?」

『きゅっぷい』

 

てぃひひ、と半笑いで気まずさを誤魔化すまどかを前に、ほむらは口をつぐんでしまう。

手に持っていたランチャーを盾にしまい、改めてまどかと正対した。

 

「貴女はどうしていつも、私の事なんかを…」呆れたように肩を落として、ほむらは溢す。

「でもだめよ、私の願いは教えられないわ。きっと…軽蔑するわよ」

「そんな事ないよ! 私、ほむらちゃんのこと……その、何ていうか……うぅ」

 

何かを言いたげにするが、赤面してそれ以上の言葉が出てこない。マミはそんな2人の様子を微笑ましく見ている。

しかし1人、ルドガーだけは視線を魔女の方に戻していた。

時歪の因子の反応が、ついに最大まで強まったのだ。

 

「みんな! まだ終わってないぞ!」

 

ルドガーがそう叫ぶや否や、魔女は再び動き始める。

もぞもぞ、とグロテスクな音を立てながら傷付いた箇所を肉で埋めていく。柘榴のような頭部を始めとして、瞬く間に全身がどす黒く変色していく。

まるでそれに呼応するように、箱庭の芝生も一気に爛れた色へと変わった。

 

『──────ァァァァァァ!』

 

絹を裂くような甲高い叫び声は、黒く染まりきった魔女のものだった。

それを見た少女達も、目の色を変える。マミは即座にマスケット銃を錬成し、構えをとる。

ほむらもまどかを庇うように立ち、盾から重火器を取り出した。

 

「まどか、下がって! …大丈夫、貴女は私が守るから!」

「う、うん…!」

 

もはやルドガーも躊躇わない。銃を仕舞い、懐中時計を構える。先程よりも多くの歯車を展開し、鎧装へと変化させていく。さらに出力を上げた、ハーフ骸殻だ。

 

「今はこれが限界か……」

 

全力を込めて念じた筈だが、やはりスリークォーター以上の骸殻を纏えない。万全を期したかったが、今はこれで戦うしかない。魔女が動き出す前に、先手を打つ。

 

「行くぞ、蒼破追連!」

 

槍をひと振りし、蒼い光弾を無数に撃ち出す。そのひとつひとつには風のエネルギーが込められており、着弾と同時に肉を抉る。

合わせて、マミとほむらも銃撃を再開する。ぶちゅり、と生々しい音はするのだが、どうにも手応えを感じられない。

ならば、とルドガーは槍を双剣に変形させて、厚い弾幕を掻い潜って懐に飛び込んでいく。

それを阻むように足元から蔦が何本も生えてくる。魔女の触手が、ルドガーを捉えようと蠢く。

 

「ルドガー、気をつけなさい!」と、ほむらが注意を呼びかける。

「ああ、この程度なら!」

 

触手が捉える前に、ルドガーは瞬時に空高く飛び上がる。そのまま魔女の頭上を取り、逆刃に持った剣を十字に重ねて、急降下して切り伏せる。肉を削る感触が、手に伝わった。

 

「絶影!」

 

剣戟は、確かに魔女の頭を直撃して2つに裂いた。2人の銃撃も確実に当たっており、魔女はさらに甲高い悲鳴を上げて悶える。

それでも、決定打とはならなかった。

 

『──────オォォォァァァァァァ!』

 

魔女が、攻撃の体勢に移る。腰掛けていた椅子を触手で器用に操り………

 

「まずい、みんな避けて!」

 

ほむらが叫ぶとほぼ同時に、凄まじい勢いで椅子を撃ち飛ばしてきた。

ルドガーは咄嗟に側転をして回避に成功する。マミは椅子の飛んでくる方向とは逸れたところで、銃撃を続ける。

ルドガーは再度振り返り、

 

 

─────────

 

 

椅子の飛んで行った方を見る。魔女が狙ったのは、ほむら達だった。

間一髪というところか。巨大な椅子はほむら達の少し手前で静止していた。咄嗟に、ほむらが時間停止を発動させたのだ。

 

「…くっ、以前より圧倒的に強い…どうなってるのよ」

 

まどかの手を取り、ほむらは左に約10メートルほどずれる。まどかの身体は、恐怖で震えていた。

 

「ほ…ほむら、ちゃん…私、わたし…」

「…大丈夫よ、まどか」

 

時計の針が動き出す。椅子は箱庭の壁に激突し、凄まじい衝撃音を立てた。あんなものが当たれば即死だ。改めて戦慄を覚える。

だが、魔女の攻撃はそれだけではなかった。突然、魔女の触手があらゆる地点から生えてきたのだ。

マミはリボンを壁に這わせてブランコのように使って躱すが、不意打ちのように現れた触手に、ほむらが足を取られる。

 

「きゃあっ!!」

 

釣り上げられ、上体も捕縛される。触手はほむらを掴んだまま上昇していく。触れられている状態では、時間を止めても意味がない。

このままでは、ほむらが危険に晒される。

 

「ほむら!! 今助ける!」

「ル…ルドガー! まどかを…ぐう、あぁぁぁぁぁっ!! 」

 

ばきばき、と骨格が破砕する嫌な音がする。触手に締め付けられ、ほむらは吐血した。

さらに触手は、ほむらを壁に叩きつける。何度も、何度も、何度も。

 

「い…イヤぁぁぁぁ! ほむらちゃん! ほむらちゃぁぁん!」

 

まどかの悲痛な叫びが木霊する。

壁はみるみるうちにボコボコにヘコんでいき、その度に血が飛び散る。ほむらは既にぐったりとしていて動かない。魔法少女でも、あのままでは耐えられないだろう。

そして、まどかの足元にも触手が迫る。

 

「ひっ! あ、あっ……」

 

恐怖のあまり、腰を抜かすまどか。

ルドガーはその光景に焦りを覚える。普通の人間に、あんなものが耐えられるものか。双剣を槍に変え、無我夢中で地面を穿つ。

 

「ヘクセンチアァァァ───!!」

 

空から降り注ぐ黒い光弾が、間一髪のところでまどかを襲う触手を撃ち抜く。

 

「暁美さんっ!!」

 

マミはついに最終射撃を行う、巨大な砲身を錬成した。本体を叩き、怯ませる気なのだ。

 

「喰らいなさい! ティロ・フィナーレ!!」

 

爆音と共に膨大な魔力の塊が撃ち出され、魔女の身体に直撃する。大きな風穴が空き、そこから夥しい血飛沫が跳ねる。

 

『ア……キヒャァァァァァァァァァァァァ!!』

 

耳をつんざくような悲鳴を上げ、魔女はようやくたじろぎを見せる。ほむらを掴んでいた触手も緩み、遥か頭上からほむらの身体が落ちてくる。

 

「ほむらぁぁぁぁ!」

 

すかさずルドガーが飛び込み、力のないほむらの身体を受け止める。

その身体を、爛れた芝生の上に寝かせた。

 

「ほむら、ほむら! しっかりしろ!!」

 

身体を揺さぶって、意識を確かめる。乱暴な方法かもしれないが、ルドガーも冷静さを欠きつつあったのだ。

 

「ほむ、ら…ちゃん……?」

 

そしてそれを、まどかも見てしまった。左腕はあり得ない方向に曲がり、盾の重みで力なくぶら下がる。

魔法少女の衣装も、顔中も血塗れで、首をもたげる。

かろうじて息をしているが、最早生きているのかを疑いたくなるレベルだ。

 

「うそ……うそ、だよね……?」

 

どさり、と膝から崩れ落ちるまどか。こんな姿を見ては無理もないだろう。

ハイライトの消えた瞳から涙を流し、うわ言のように呟く。

 

「………わたしの、せいだ……わたしのせいで……ほむらちゃんは……ほむらちゃん………ほむらちゃん……」

「───くっ!」

 

とても、見ていられるものではない。14歳の少女が受け止めるには、あまりに残酷すぎる光景だ。

2人から目を背け、ルドガーはもう一度魔女と正対する。マミが空けた風穴はさすがに堪えたらしく、再生の兆しを見せない。

代わりに、魔女はもう一度巨大な椅子を、地面の中から掘り出す。狙いは…もう考えるまでもなかった。

 

「ルドガーさん! 2人を!」

『マミ! 君の魔力はもう限界だ!』

「わかってるわよ! でも、やるしかないでしょう!!」

 

キュウべえの注意を差し置き、マミはもう1発、最終射撃の用意を始める。しかし、どうにも砲身の錬成がうまくいかないようだ。

ほむらは目を覚まさず、まどかはもう立ち上がる事すらしない。2人を運んで逃げる暇など、とうになかった。

 

「やるしかない……インヴァイタブルっ!!」

 

アローサルオーブによって紡がれる術式に、骸殻のパワーを掛け合わせる。芸術家の魔女に対して使った時よりも効果は期待できるはずだが、タダでは済まないのは確かだ。

 

 

『オォォォ……──────アァァァァァァァァァァァァ!!』

 

金切り声と共に、椅子が飛んで来る。ルドガーは目を閉じて祈る。

…どうか、この2人だけでも、と。

 

 

 

 

 

「……………………ま、ど…………………か……………」

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

全身が砕かれ、指先にすら力が込められない。呼吸ひとつ、ままならない。

誰かが何かを叫んでいるようだが、それすらも聞き取る事ができない。

 

(もう……駄目なのかしら………)

 

たった一人を守る為だけに、何度も何度も同じ時を繰り返し、その度に血を吐き、涙を流し、それでも立ち上がり続けた。

それもここまでなのか、とほむらは消えかけた意識で思う。

今回の敵は、今までとは訳が違っていた。まるで、ワルプルギスの夜に立ち向かっているかのような錯覚すら覚える。

きっと、彼女は今も近くにいるのだろう。このまま2人とも魔女に殺されるのか。

それとも、インキュベーターと契約して魔女を倒し、世界を絶望で包むのか。

 

(どちらにせよ…もうまどかを救えないのね…もう二度と、"繰り返す事はできないのに"…)

 

時計の針はもう戻せない。盾は、もう回らない。

ほむらは知っていたのだ。

我欲によって生み出され続けてきたパラレルワールド。時間軸、と呼ぶべきか。ほむらの盾は世界を生み出し、時を超える力を持つ。

しかしその機能は失われている。今はもう、時を止める事しかできないのだ。

何故か。それはあの男の願いによるものだろうか。

ルドガー・ウィル・クルスニク。彼は、自らの存在と引き換えに分史世界の消滅を願った。

つまりそれは、新しい分史世界が作られる事はなく…盾によって次の時間軸を作ることが出来なくなるのではないか。

初めて出会った時から、その可能性を考えていた。そして今この瞬間に、確信へと変わったのだ。

 

───この世界はもう、やり直しが効かない。

 

(……いいえ、諦めない。だって私は、まどかを救う為にやり直したのだから。

……どんな姿に成り果てたとしても、もう二度と躊躇ったりしないと…決めたのだから…!)

 

少女は、羽化を始める。

絶望を終わらせる為に。全ての罪を背負い、未来を創る為に。

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

死を覚悟した刹那、凄まじいエネルギー波が箱庭中に広がる。

ルドガーの張った防御術式を"内側から"破壊して、何かが放たれたのだ。

その波動は迫り来る魔女の椅子を吹き飛ばし、粉々に砕いた。

 

「な……っ!?」

 

訳がわからず、ルドガーは周囲をきょろきょろと見回す。魔女は今の波動でよろめき、マミは"ソレ"を畏怖の表情で見ていた。

 

「ほむら……ちゃん……?」

 

か細いまどかの声に、後ろを振り返る。

そこには、満身創痍だった筈のほむらが立ち上がっていた。おかしな方向に曲がっていた腕も真っ直ぐに戻っている。この一瞬で傷が治っているように見えた。

 

「ほむら…何だ、それは…?」

 

その背中からは、ほむら自身の何倍もの大きさの、黒い両翼が広がっていた。翼の中には、まるで宇宙空間のような幾何学模様が浮かび上がっている。

何かをぶつぶつと呟きながら、ほむらは再び翼をはためかせた。

 

「…………か、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか……………」

 

名前を、呼んでいるのか。そのどこか傷ましい姿に、ルドガーの背筋が凍りつく。

 

「正気を…失ってるのか……?」

 

ほむらの前方に、途方もない魔力の塊が練り固められていく。ミュゼのグラビティ…いや、そんなものでは足りない。

あれは、秘奥義に匹敵するエネルギー…まるで、クロノスの"タイム・クレーメル"を思わせる程の膨大なエネルギーだ。

 

「まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか……………」

 

そして、音もなく魔力が解き放たれた。

 

 

 

『──────アァァァァァァァァァァァァ!!』

 

 

 

ドン、と空気が破裂する音と共に、あれだけ苦戦した魔女の身体が押し潰され、血みどろの肉の塊にされる。この世のものとは思えない断末魔を上げ、今度こそ魔女は跡形もなく消えた。

…正確には、グリーフシードを遺して。

 

「結界が、晴れていく……今度こそ倒したのね…?」

 

マミは困惑の表情を浮かべて、その様を見守る。箱庭は崩れ去り、もとの廃ビルの一角へと帰ってきたのだ。

得体の知れない黒いオーラも残っていない。しかし、ほむらはその事を理解していないかのように、ふらふらと歩き始めた。

 

「まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか、まどか…………」

「ほむらちゃん…? わたしは、ここだよ…?」

 

まどかはその後をついて行く。だが、ほむらの羽根はまだ広げられたままだ。

廃ビルの壁に翼がぶつかり、ガリガリと壁を削っていく。衝撃でビルは激しく揺れ、足元がふらつく。

 

「きゃあ! あ、暁美さん!?」

『まずいね、ほむらは完全に我を忘れている。まさかあんな規格外な力を秘めているとは思わなかったよ』と、こんな非常事態にも、キュゥべえは顔色ひとつ変えずにすらすらと喋る。

 

「言ってる場合じゃないわよ!!」

 

マミはほむらに対してリボンを数本放った。身体を括り、翼に絡まり動きを抑えようとする。

…だが、それらのリボンは瞬時に消し炭になった。

 

「そんな! 抑えられないなんて…!」

「…どうすれば、止められるんだ…?」

 

"クルスニクの槍"の力は、クロノスを抑え付ける事なら出来た。だが、あれを繋ぎとめられるか。迷っている暇はなかった。

たとえまどか達を連れ出しても、このままほむらの暴走が止まらなければ街が危険だ。ルドガーは槍を構え、ほむらの背中に狙いを定める。

 

「ほむらちゃん!! 待ってよ!!」

 

そこにまどかが飛び込んできた。羽根の生えたほむらの背中にしがみ付いて、止めようとする。

 

「ばっ……危険だ! まどか、下がれ!」

 

魔女を蒸発させ、コンクリートをバターのように砕く羽根に触れようものなら、タダでは済まない。

…はずなのに羽根の力は、まどかを傷付けることは一切なかった。まるで、ほむらの意思が宿っているかのように。

 

「まど……か………?」ほむらの呟きが、ようやく止まる。

「うん…私は、ここにいるよ。どこにも行ったりなんかしないよ…?」

 

その姿は、幼子に語りかける母のように見えた。

背中から、羽根が散るように消える。ほむらは無邪気な顔で振り向き、まどかに優しく声をかける。

 

「まどかぁ……どこにも、行かないでね…?」

 

涙を流しながら、ほむらはまどかを抱き返す。まるで、無くしたものをやっとの思いで見つけた子供のような笑顔だ。

その笑顔を最後にほむらは意識を失い、まどかに身を預けた。

 

「ほむらちゃん……ごめんね。私のせいで、こんなに血だらけに……」

 

まどかは人形のように力の抜けたほむらを抱いたまま、へたん、とその場に座り込んだ。ルドガーも骸殻を解き、ひと息つく。

壊れた壁から外を見ると、夜空に輝く半円の月と無数の星々が浮かぶ。かなりの間、結界の中にいたようだ。

眠るように規則的な呼吸をたてるほむらと、その細い背中を大事そうに抱くまどかの姿を見て、ようやくルドガーは生還を喜ぶことができたのだった。

 

 


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