誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第37話「さあ、君たちを救ってあげよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

1.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柔らかな風が吹き抜け、穏やかな日差しが差し、自然さに満ちていながらも、静寂が漂う草原のなか、ルドガーと少女達の視線は、1点に集まる。

そこでローブを頭だけ下ろした女性の姿は、魔法少女達からしたら初めて見るもの。ただしたった1人だけ、その姿をよく見知った者がいた。

或いは、よく似た姿をしている、と言うべきか。

 

 

「ミラ………いや、違う……?」

『…その問いかけは正しくもあり、違ってもいるよ。少なくとも君のいう"ミラ"は確かにこのマグナ・ゼロの中にいる。けれど、今ここにいる私は違う。……"ミラ・クルスニク"…と言えば、君ならわかるんじゃあないかな』

「………クル、スニク…………!?」

 

ルドガーは、とても言葉に表し難い程の衝撃を受けた。

彼女が口にした名はリーゼ・マクシアにおいて、遥か2000年以上前に遡り"創世の賢者"あるいは"歌声の巫女"と呼ばれ、マクスウェルを召喚し契約した者だと伝承に遺される程のもの。

そしてクルスニク一族の始祖たる存在でもあり、エレンピオスがリーゼ・マクシアと分断される頃の時代に生きた女性の名だったからだ。

もっとも、その部分の史実を知る者はごく限られるのだが。

 

 

「………それが仮に本当だとして、なぜこんな所にいる?」

 

全てを安易に信じきるのは危険だ。そう判断したルドガーは、ミラ・クルスニクと名乗る女にそう問いかけた。

 

『ここが私のセカイだから、よ。……いや、このセカイは私自身(・・・)だ、と言った方が分かりやすいかな』

「…ここを"マグナ・ゼロ"だとも言っていたな。ならここは魔女の結界の中じゃないのか」

『それは正しくもあるけれど、それだけが正解という訳でもない。…"骸殻"と"魔法少女"、その2つの呪いが融合した結果、このセカイが生まれたのよ』

 

ミラ・クルスニクは身体中から軽く精霊力…もしくは"魔力"を解放すると、また辺りの景色が大きく書き換えられた。

今度は幾らか発展をしたような街並みに変わる。エレンピオスで生まれ育ったルドガーには、その街並みの部分部分に黒匣(ジン)のようなものが組み込まれているのを何となしに感じ取った。

 

『─────かつて私は、人と精霊…その2者が手を取り合い、新たな未来が訪れる事を夢に見ていた。その時代には既に黒匣のひな型が造り出されていてね。精霊達のもたらす恵みを一方的に搾取しようと考える人間達も少なからずいたのよ。

私はそんな中、精霊王マクスウェルとの接触を試みた。…この"証の歌"でね。──────────』

 

言うとミラ・クルスニクは、清らかで、心地の良い声でゆっくりと歌を歌い始めた。

その旋律は確かに代々クルスニク一族に語り継がれ、ルドガーにも伝えられた歌…2000年もの時を経て詩自体は失われたが、旋律だけが後世に遺された歌そのものだった。

 

『─────………結果として、私はこの"歌"でマクスウェルと契約を交わす事には成功した。最初は彼も、エレンピオス人の事をなんとか救おうと尽力していたのよ。けれど彼らは…一度味わった黒匣の利便性を棄てられなかった。それによって、名も無き微精霊達の命が燃やされている事に気付いていながら。

最終的に、マクスウェルは彼らを救う事を諦め、見限る事に決めた。リーゼ・マクシアとエレンピオスを断界殻(シェル)によって物理的に分断し、精霊達を守ったのよ』

「………その伝承なら、知っている。俺も一時期、マクスウェルについて調べていた事があったからな」

『でしょうね。ここまでの話なら、伝承としてリーゼ・マクシアに遺されている筈よ。…でもね、この話には続きがあるの。………その前に、そこの娘達は私が何者なのかをまだ理解していないようね?』

 

ミラ・クルスニクは、未だ警戒心を強めたままの魔法少女達を指して、柔らかく微笑みながら言った。

対して、一番に口を開いたのはほむらだ。

 

「………私に分かるのは2つだけ。ひとつは、貴女からは魔女の反応と、時歪の因子(タイムファクター)の…さっきの"ガイアス"という男に似たエネルギーの波長を感じる事。そしてもう一つは…貴女からは一切の"穢れ"を感じないという事。

あり得ない話よ。魔女のエネルギー源は穢れ…負のエネルギーだもの」

『それは結果論に過ぎないわ。私はあなたた達魔法少女の仕組みについても、よく理解している。ソウルジェムとは、心そのものを表す鏡なのよ。誰だって、深い絶望を味わえば心が壊れてしまうでしょう? そのプロセスをカタチにしたものなのよ。

もっとも、ソウルジェムは必ずしも絶望を味わった時にのみ壊れる訳じゃあないけれどもね』

 

言いながら、ミラ・クルスニクはゆっくりとキリカの亡骸の方へと歩み寄っていった。

それを阻もうと、ルドガーが立ち塞がり手を広げる。遺体だろうと、これ以上大切な人を傷付ける事は許さない─────そう思いながら。

だがミラ・クルスニクは、ルドガーの前で立ち止まり、すぐそばにいる魔女(キリカ)に対し、

 

『…何も、取って食おうって訳じゃあないわよ。 そこの娘……"キリカ"って言ったわね。このセカイの中でなら、強く望めばヒトの姿に戻れるわよ。"人魚の魔女"のようにね』

『…本当、なのかい』

『ええ。ただし、あなたが魔女となってしまった事実はもう覆しようがないけれど。そもそも瘴気…穢れとは、ヒトの心から恒久的に溢れ出るものなのよ。それを中和しているのが"希望"。

あなた達魔法少女が魔力を行使する時は、"希望"…(プラス)のエネルギーが消費される。…つまり、相対的に心から溢れる"穢れ"…負の感情を抑える力が弱まるの。だから、魔力を使い過ぎるとソウルジェムが穢れてゆくし、それに応じて心もどんどん磨り減ってゆく』

 

なおも語り続ける彼女は、軽く手で印を刻むような真似をとり、精霊術を発動させた。

次元刀によって刺されたキリカの亡骸に対してかけられたその術は、消えない筈の傷を中和し、再生を促してゆく。

魔法少女を超えた存在であるほむらには理解できた。今の術は、次元への干渉をも可能とする術だと。

 

『…けど、キリカ。あなたは運が良いわ。ソウルジェムに穢れが流し込まれ、魂が割れるその瞬間まで、あなたは希望を抱き続けた。決して絶望を抱かなかった。故に魂のカタチがこうして変わってしまっても、絶望に囚われず自我を保っていられた。さあ、イメージなさい。魔女の身体を再構成するよりも、元のこの身体に憑依した方が楽なはずよ』

『……う、うん…やってみる』

 

ミラ・クルスニクが新たに術を行使すると、人形の魔女の身体が白と黒の織り混ざった光に包まれ出した。

光は拡散し、収束し、交互に繰り返し、魔女の身体をグリーフシードにまで還元し、そこから再び再構成されてゆく。

キリカの身体に備え付けられる装飾品(ソウルジェム)にも似た、黒い輝きを放つ宝石となり、砕けたソウルジェムがあった場所へと、綺麗に収められた。

 

『………しばらくは目を覚まさないと思うわ。けれど、彼女は無事よ。さて、話の続きをしようかしら』

 

彼女がそう言うと、辺りの景色が緩やかに書き換えられてゆく。今度は時代が進み、ルドガーのよく知るエレンピオスの都市部・トリグラフの街並みに変わった。

ただしひと気は相変わらずなく、トリグラフ中にあるだろう黒匣は稼働していないようで、陽の光がなければ真っ暗闇だったろう。

その中でも、ルドガーの住んでいたマンションのすぐ前にある公園に、全員が場所を移していた。

その青空の下の街並みを仰ぎながら、彼女は言う。

 

『マクスウェルはエレンピオス人を切り捨てる決意をしたけれど、私は諦められなかった。説得すれば、いつかわかってもらえる。黒匣なんかに頼らなくても、精霊達の恩恵を享受し、共存してゆけば暮らしていける。そう彼らを説得しようとして、私はマクスウェルのもとを離れエレンピオスに残った』

 

彼女が語るのは、リーゼ・マクシアに遺された伝承の、さらにその先。

 

『結論から言うと、私がどう訴えかけても彼らは黒匣を手放さなかった。それでも2000年以上は保ったんだから、大したものだと言うべきなのかしらね。ルドガー、君ならわかるでしょう?』

「…ああ。エレンピオスの微精霊は枯渇しかかっていて、自然も殆ど荒廃してた」

『それこそ、"異界炉計画"だなんで馬鹿げた計画を立てなきゃやってられない程に、ね』

「それはごく一部の人達だけだ! エレンピオス人全員が賛同してた訳じゃあない」

『わかるわよ。私の時もそうだった。ただ、私の味方はほんのひと握りしかいなかった。それだけの違い。…"創世の賢者"だなんて勿体ぶって言われてるようだけど、私の言葉に耳を貸してくれる人達は、少なかった。そうして疲弊が募るばかりの私のもとに………"彼ら"は現れた』

「"彼ら"………?」

『高度な知性を持った概念生命体……君たちが"インキュベーター"と呼んでいる存在よ』

 

彼女は、ほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。それに応じてか、陽が出ていた空は早送り映像のように陽が沈み、夜の帳が下りてゆく。

そしてルドガーもまた、困惑したまま立ち尽くすばかりだった。

以前まさにそのインキュベーターが言っていた言葉…ルドガーと同じ"骸殻"の力を持つ魔法少女がかつて存在していた、という言葉が、ルドガーの脳裏に思い浮かんでいたからだ。

 

「………まさか、そんな……」

『そう、その"まさか"だよ。……私は、エレンピオスの人々が再び精霊達と向き合う事を願って、悪魔と"契約"を交わした。……願いは、歪んだ形で叶えられてしまうという事にも気付かずに』

 

彼女が語るのは、リーゼ・マクシアには遺されていない"伝承"の続き。

クルスニク一族だとて、彼女が如何にして没したかを識るものは、もはや誰もいない。

 

『私の願いは、"人々が精霊達と向き合わざるを得ない状況になる"という形で叶えられた。その結果を分かりやすく見せるならば、これよ』

 

彼女は手をかざし、先程よりも強く精霊力を発揮した。

無人のエレンピオスの街並みに、騒めきが広まり始める。いない筈の人々の"幻影"が、ぼんやりと浮かび上がってくる。

トリグラフの街からは全ての明かりが消え、パニック状態になった人々が建物の中から飛び出し、暴動、略奪すらも起こり始める。

人々は、ルドガー達の存在を認識していない。あくまで幻影である彼らは、ミラ・クルスニクの身体をすり抜け、我先と逃げ惑う。

 

『……2000年前は、こんな立派な街なんてなかったけどね。私がインキュベーターと契約を交わした結果、エレンピオス中の黒匣が度々不調をきたすようになり…ある日、一斉に機能が停止した』

「黒匣が……!? でも、それって……」と、ルドガーは目下の光景を窺いながら尋ねる。

『…そう。その頃私は既にクロノスとの間でも"契約"を交わしていてね。頑なに黒匣を手放さない人々に対して、少し疲れていたんだろうね。だから、少しだけ"ズル"をしたつもりだった。それが取り返しもつかない"ズル"だった事にすら気付かずに』

 

トリグラフの街が、喧騒と略奪の炎に包まれてゆく。微精霊の恩恵が欠片しか残されていないこの街で、黒匣を失うということは、心臓に血が送られなくなるのと同意義だ。

多くの人々が傷付き、嘆きと怒りの声を上げてゆく─────その時点で、ミラ・クルスニクは時を止めるかのように、幻影をぴたりと静止させた。

 

『私は、浅はかだったんだ。黒匣によって微精霊の命が失われてゆく。けれど、黒匣でしか救えない命もあったのよ。例えば、精霊術では治せない心臓病に侵され、医療用黒匣(ペースメーカー)よって命を繋いでいる人がいたとしたら?』

「…その"黒匣"とやらが停止したら、心臓病が再発…死に至る可能性もあるわね」

 

彼女の問いかけに答えたのは、かつて魔法少女になる以前に心臓病を患っていた経験のあるほむらだった。

ミラ・クルスニクは、この問いかけにほむらが食いつく事を分かっていたかのように、軽く笑みを浮かべた。

 

『極端な話だけど、そういう事よ。黒匣が機能停止した事で、多くの命が失われた。黒匣によって燃やされる微精霊の数に比べたら少ないかもしれないけれど、命に重さや数なんて関係ない。その時ようやく、私は取り返しのつかない事をしてしまったと気付いた』

「……だから、絶望して魔女に?」

 

と、今度はさやかが尋ねた。

 

『いいや、私にはクロノスとの契約があったからね。そう簡単に折れる訳にはいかなかった。どうにか踏み止まったわ。……まあ、私以外にインキュベーターと契約した者はおらず、他の魔法少女も、魔女もいない。グリーフシードなんてものがない状況で、精霊術で無理矢理ソウルジェムを浄化しながら、しぶとく生き永らえたわ』

「魔女が、いない? でもグリーフシードがないと……」

『そう、私はエレンピオスにおいて一番最初の魔女─────"原初の魔女"となるべくして、契約を結ばされたのよ。インキュベーターは新しい星に降り立つと、まず誰かを適当に唆して、魔法少女を1人作る。穢れを癒す手段がない魔法少女はすぐにでも魔女になり、今度はその魔女を倒す…という口実で、同時に何人もの少女に契約を迫る。それを繰り返していって、鼠算のように魔法少女を大量生産してゆくのよ。それがあいつらのやり口』

「そんな………そんなのって、酷い……!」

『…でも私は、簡単には魔女にはならなかった。マクスウェルと契約した事で得た精霊術で、どうにか穢れを誤魔化し続けてきたから。そして最期に私を待っていたのは…黒匣を壊し、文明を崩壊させようとした"裏切り者"という言葉』

「………成る程ねぇ、アンタが何を言いたいのか少し見えてきたよ」

 

杏子は公園のベンチにどっかりと座り込みながら、ミラ・クルスニクの言葉の意味を考えていた。

奇しくもそれは、彼女の辿った末路は杏子が過去に経験した苦難とよく似ていたから。

 

「アタシにもそういう経験はある。信じた人の為に願ったのに、その願いは信じた人すらも変えちまった。で、刃を向けて言うのさ。…"魔女"ってね」

『…そう、確か貴女はそうだった(・・・・・)わね。まさにその通りよ。私は黒匣を壊した反逆者として、守ろうとしてきた人々達に弾圧され、刃を突き付けられた』

 

燃え盛るトリグラフの街並みは急速に書き換えられ、旧くもあるが確かに黒匣の技術が取り入れられた痕跡のある、村とも街ともつかない場所へと切り替わった。

恐らくは、これこそが2000年前の当時に彼女が過ごしたエレンピオスの風景なのだろう。

そこから更に郊外へと書き換わり、瞬きをする間にルドガー達は、小高い丘の崖淵に移されていた。

そこは現代のエレンピオスにおいて、"次元の裂けた丘"と呼ばれている特異点だった。

そしてミラ・クルスニクはばさり、とローブを脱ぎ棄てながら歯車状の波紋を展開し、身体に纏う。

その歯車は言うなれば、蝶の羽根のような4枚のオーラを携えた白の鎧。呪いに侵される前の、純白の歯車だった。

 

「それは……骸殻!?」

 

ここにいる誰よりもその能力に詳しいルドガーは、ミラ・クルスニクの纏った鎧を見て叫んだ。

その彼女は、鎧兜越しにでもわかるように微笑みながら言う。

 

『…そう、これこそが真の骸殻。月の満ち欠けに例えて言うならば、君の"フル骸殻"に対して"ゼロ骸殻"とでも呼べばいい』

「…ゼロ骸殻…?」

『"時歪の因子"の呪いが発現する前の骸殻、という事よ。…私はこの骸殻を纏い、迫り来る刃を躱しながらこの丘に逃げてきた。…でも、険しい獣道を乗り越え、奇しくもここまで追ってきたのは…私の愛弟子達だった。

…ふふ、それが私の"限界"だったわ。愛弟子達に刃を向けられ、私にはもう抵抗する気力なんて湧かなかった。

こんなに心が張り裂ける思いをするならば、いっそ殺してくれ─────そう願った時、私の中の2つの呪いが…"時歪の因子化"と、"魔女化"の呪いが同時に発現した』

 

そうして産まれたのが、この領域(セカイ)よ─────ミラ・クルスニクは、どこか遠くを仰ぎながらぽつりと零し、骸殻を解いた。

 

『…最初はここも普通の分史世界だった。けれどクロノス域を抜けて瘴気が増すにつれ、この領域の中の魔女としての力が急激に増し、魔女結界と分史世界が緩やかに融合していった。

ここは私のセカイであり、私自身。時歪の因子と魔女が融合して産まれた、両方の性質を持ちながらも、もはやそのどちらですらない、無間(ムゲン)の領域。ただ存在し続け、終焉を迎えた世界を取り込み、どこまでも膨張し続ける、もうひとつのセカイ。

……私の名はマグナ(ミラ)ゼロ(クルスニク)…"追憶"の魔女。夢破れたセカイの夢を追憶する─────それが、私という存在よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとしきり語り終えた様子のミラ・クルスニクは再度場所を変え、全員は先程までいたトリグラフの公園へと転移させられていた。

いつの間にかベンチの上に寝かされるような格好でゆっくりと目を覚ましたキリカを見て、ミラ・クルスニクは安堵したような表情を浮かべる。

 

『気分は、どう?』

「……よく、わからない。自分の身体の筈なのに、ふわふわしてるっていうか…」

『……慣れてもらうしかないわね。その身体はあなたのものであり、もうあなたのモノじゃない。あくまで憑依して操っているに過ぎないもの』

「……ふふ、つまり本当に人間じゃあなくなったって事だね」

『人間であるかどうかは、さして重要ではないわ。大切なのは心の有り様よ。あなたがあなたで居続ける事が大切なの』

 

魔女であり、時歪の因子。両方の性質が絶望の果てに融合して産まれた存在。

それは、オリジンの審判にてルドガーが願った「分史世界の消去」も、円環の理(まどか)による「全ての魔法少女の救済」という願いも、この空間にまでは及ばなかった事をも意味する。

それだけ強大な存在。円環の理、果ては無の大精霊オリジンをも上回る程の力を、彼女は保有しているのだ。

だというのに、何故彼女は何もしてこない。

ルドガー達の疑念は、その一点に帰結しつつあった。

そして、改めてほむらは問いかける。

 

「私達の目的はわかっているでしょう。まどかは、どこ?」

『逢いたいなら、すぐにでもあの娘の処へ送り届けてあげるわよ。…でも、その前にあなたには確かめなければならない事がある。あの娘をマグナ・ゼロに招き入れた責任が、私にはあるからね』

「…そもそも、それがわからないのよ。円環の理は、過去や未来を超えて、全宇宙に干渉し得る力を持っているのよ。なぜ、この空間に円環の理を…」

『…理由はいくつかあるわ。その一つはほむら、"君のせい"だと言わせてもらうよ』

「……私の、せい?」

『そう。かつて君が保持していた"時間遡行能力"……あれはただのタイムスリップ能力じゃあない事はわかっているね?』

「……ええ、わかっているわ」

 

時間遡行能力は、円環の理が成立する以前までの、ほむらの固有魔法だった。

1ヶ月の間を何度でもやり直せられ、また、その1ヶ月の間のみ使える"時間停止"という副産物をも併せ持つ強大な魔法。

…その正体は時間を戻すのではなく、"分岐点"を基準として新たな並行世界を創造し、そこへ移り込むという、並の魔法少女ではとても扱いきれるものではない魔法だ。

 

『君が創造した並行世界の数は247個。そのうち、あの娘…鹿目まどかが"救済の魔女"と化した世界は9つ。…それがどれだけ恐ろしい事か、君は本当に理解しているかしら?

彼女は最終的に全ての時間軸の己自身と繋がった。つまり、全宇宙への干渉を可能とする程の最悪の能力を持った魔女が、9体も産まれたという事よ。そしてその魔女は、私の領域に手を触れる所まで迫ってきた』

「…………それで、どうしたの」

『何も。私は壊れたセカイを取り込み、ただ存在し続けるだけのモノ。君が産み出し、見限ってきた200余りの並行世界は、全てこのマグナ・ゼロに取り込まれたわ。…まあ敢えて言うならば、そうしなければこの宇宙はとっくに滅んでいたかもしれないし、それは私の本意ではないもの。

そしてその中で、救済の魔女を中心として200余りの"鹿目まどか"の統合が成された。…君が"円環の理"の成立を妨害したせいで、本来なら円環の理として統合される筈だった"鹿目まどか"が、魔女として統合された…と言えば分かりやすいかしら?』

 

そして既に、君はその片鱗を見ている─────ミラ・クルスニクは、そう投げかけた。

ルドガー達の前に最悪の敵として現れた、全ての時間軸の記憶を保有する人魚の魔女や、蓄積した膨大な因果係数が時歪の因子化という歪んだ形で出力された他の魔女達。そして、まどかの身体を奪った救済の魔女の事だと、ほむらはすぐに察した。

 

『それを踏まえた上で、改めて聞かせてもらうわ。君が本当に救いたいのは、"誰"なのかな?』

「……そんなこと、あなたに訊かれるまでもないわ。約束(カナン)の地に橋をかけた時から、私の心は決まってる。…私は、まどかを救う。それだけよ」

『ならば、行くといいわ。君をずっと待っていた、あの娘のもとへ』

 

ミラ・クルスニクは、公園のすぐ目の前に建っているマンションの正面玄関を指して言った。

恐らくそこが、救済の魔女の待つ場所へと繋がる特異点となっているのだろう。

その時、不意にルドガーが口を開いて彼女へと尋ねかけた。

 

「……教えてくれ。"ミラ"はどこにいる?」

『会ってどうする気かしら? 彼女はもう現世の住人ではない。このマグナ・ゼロの一部となる事で存在を保っているに過ぎないのよ?』

「それでも、逢いたいんだ。……連れて行って欲しい」

『……それが君の覚悟…いや、"選択"か。いいわ、ならばその扉をくぐりなさい。強く願えば、逢いたい人のもとへ導いてくれるでしょう』

 

マミ、さやか、杏子は押し黙ったまま、ほむらの背中を追うように立ち上がった。

ただキリカだけは、未だ慣れない身体にふらつきながらもルドガーの腕にしがみつき、申し訳ないといった風にほむらに告げる。

 

「……ごめんよ、ほむら。私はルドガーについて行く」

「構わないわ。…私と同じように、あなたにも譲れないものがあるのね」

「その通りさ。「愛は無限に有限」……今なら、君が言ったその言葉の意味が、少しわかる気がするんだよ」

「私が言ったのではないわ。別の生き方をした"あなた"が言った事よ」

「そうだったね。…だとしたらその"私"は、とても幸せ者だったろうね」

「私からすれば、今のあなたの方が幸せそうに見えるわよ。…それよりあなた達は、本当に構わないのね?」

 

そうほむらが問いかけたのは、後ろにいる3人の魔法少女達に対してだ。

この扉を抜ければ救済の魔女が待っている。何が起こるかわからない。気まぐれで殺される可能性すらもあり得る。

何より、根本を辿ればほむらとまどか、この2人の問題なのだ。そこについて来る程の義理などないだろう、そういった意味を含めて。

 

「何度も言わせないでよ、ほむら」

 

先に答えたのは、さやかだった。

 

「鹿目さんは私達にとっても大切な仲間なのよ。それに、あなただって」

「ここまで来ておいて今更ついて行かねえなんて、そっちの方があり得ねえよ。だろ! ほむら」

「…あなた達を守れる保証はないわよ」

「あたしらは自分達でなんとかする。…だからほむら、あんたはただ真っ正面からまどかにぶつかればいい」

「! …ええ、そのつもりよ」

 

言葉にしなければ、伝わらない事がある。

それは宇宙に干渉できる程の力を持つ女神や魔女…悪魔でさえも同じ事なのだ。

 

「─────だからこそ、この先へは私1人で行く。……1人で向き合わなきゃいけないの。でなければ、私の言葉はまどかには届かない」

「……ほむら、あんたもしかして…」

「大丈夫よさやか。…今度こそ、まどかの全てを受け止めてみせる」

 

ルドガーは、ほむらがそう答えるだろうという事をなんとなく読んでいた。

だからこそ、敢えてほむらと違う道を選んだのだ。

そして扉の前で2人は、互いに視線を交わす。

 

「……ここまで来てくれてありがとう、ルドガー。あなたが支えてくれなければ、私はとっくに折れていた」

「…ああ。お陰で俺も、今度こそ失わずに(・・・・・)済みそうだ」

「どうかしらね。全てはあなた次第……そして、私次第でもあるわ」

「だな。……行こう、ほむら」

 

今まで積み重ねてきた絆を確かめるように、2人は同時に扉に手をかけ、一気に開いた。

これより先に待っているのは、絶望に囚われた救済の女神。そして、かつて失われてしまった手のひらの温もり。

それを取り戻す為に、2人は最後の一歩を踏み出す。

奇跡が織り重なって生まれたひとつの道から、2人は分かれてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コツン、と靴の音が綺麗に響くほどに、静寂が広まっていた。

墨を落としたように真っ暗な空間は、ルドガーとキリカが1歩ずつ前に踏み出してゆく度に色付いてゆき、踏みしめる大地の感触も柔らかくなってゆく。

そこはルドガーにとってはあまり馴染みのない雪国、リーゼ・マクシアの中の1国、カン・バルクの傍らにひっそりと建つ、"ザイラの森の教会"前へと、移り変わっていった。

 

「……ここは、君の世界と同じ……?」

「そうだ。……感じる。この中にいる」

 

雪を踏みしめながら2人は扉の前まで進み、重く閉ざされた鉄製の扉を開き、中へ入った。

冷え切った空気が満ちているが、聖堂内には蝋燭の灯りが揺らめいている。

この地は正史世界においては冥界を司る大精霊・プルートとの接触点でもあった。聖堂の一番奥にある円形のシンボルが、それだ。

そしてその場所に立ち、待っていたのは。

 

 

 

「………久しぶりだな、ミラ」

 

 

 

─────かつて救えなかった大切な存在だった。

 

 

 

「………まさか、ホントにこんな所にまで来るなんてね。ほぼあの世よ? この空間は」

「はは…なら問題ないな。俺もキリカも、2回死んでる(・・・・・・)からな」

 

美しく無造作にたなびく金色の髪は、ほぼ同じ容姿を持つミラ・クルスニクとは微かに異なり、やや色が明るい。

呆れたようにルドガーを迎える態度も、人間らしい暖かさも、間違いなくルドガーがずっと焦がれていた"ミラ"そのものだった。

 

「…少し、話さないか」

「いいわよ。…そっちの娘についてもよぉく訊きたい事もあるし」

 

ミラはルドガーに手招きされるままに、冷たく冷えた聖堂の席へと向かい、3人並んで腰掛けた。

不思議と、外は雪が降り気温も低いはずなのに寒さは感じない。零れる吐息は白いので、寒くない筈はないのに、だ。

 

「……あなたが、ミラ」

 

キリカはやや不安げな表情で、金の髪の女性に問いかける。

 

「あら、変わった格好してるけど…可愛い子じゃない。あなた、"キリカ"っていうんだって?」

「う、うん……」

「……大丈夫よ。この男(ルドガー)は欲張りだからね、大事なものは絶対に手放そうとしないのよ?」

「…それは違う。ミラ、あの時俺は………!」

私が(・・)手を離したのよ。あなたが悔やむ必要ないでしょ。…ってゆうか、まだ引きずってたの? そのコト」

 

言葉はやや軽かったが、そう語るミラの表情は少し嬉しそうだった。

…が、直後にミラの表情は陰りを見せる。

 

「……ルドガー。私はあの時次元の狭間に堕ちて…帰る世界が無い私はそのまま消滅する筈だった。その時、この世界…マグナ・ゼロに引き込まれた。

元々"ミラ=マクスウェル"は、精霊王マクスウェルがミラ・クルスニクを基にして生み出した存在(コピー)なの。特に私は"使命"を終えてただの人間になり、余計にミラ・クルスニクと近しい存在になってたのよ」

「だから、引き寄せられたのか?」

「ええ。…今じゃ、あの娘…救済の魔女と同様に、マグナ・ゼロに半ば統一されたような存在。自我が残ってるのは、あの女の気まぐれだと思うわ。…だから、私はこのマグナ・ゼロから出る事はできない」

 

だからこそ、何故ここに来たのだ、とルドガーに聞かなければ気が済まない。ミラはルドガー達を見据えて言った。

 

「どうして来たのよ。…その子は、あなたの支えになってくれるんでしょ? なら私なんて必要ないわよね…?」

「……ミラ…」

「全部見てたわ。あなた達のいた"見滝原"は、次元の特異点そのもの。このマグナ・ゼロと少し似た性質を持っている、本来存在し得ない世界なの。私はマグナ・ゼロと繋がっているから、全てを見る権限があった。……あなたがあの新しい世界で、幸せになってくれれば…それで良かったのに…」

「…ミラ、君が言ったんだろ? "待ってるからね"って」

「! ………聞いてたの…?」

「ミラの声を聞き逃したりなんかしない。2度と、絶対に」

 

それは、ワルプルギスの夜との戦いで1度死にかけ、束の間の邂逅を果たした時の記憶。

夢だと思っていた。けれど、ルドガーは確信していたのだ。確かにミラはいるのだ、と。

そして、また出逢えた。

 

「……ごめんな、キリカ。俺は君の事も大事だ。けれど、それは……」

「わかってるよ。…わかってるんだ。それでも、私は君のそばに居たいと願ったんだよ」

 

ルドガーにとってのキリカは、例えるならば、かつて長き旅を共にした大切な存在"エル"のようなものだった。

何物にも変えられない、大切な存在。失いたくない、と心の底から思わせてくれた存在。

比べられようもない。責められても構わない。

ルドガーにとってミラとキリカは、世界の何よりも大切な存在となっていたのだ。

 

「……私は寛大なのよ、ルドガー」

 

ミラはそんなルドガーを見て怒るでもなく、微笑みながら言う。

「1度死んで余裕が出たのかしらね? 昔だったら、あなたのほっぺた引っ叩いてたもわかんないわ」

「ミラ………」

「…で、あなたはどうする…いえ、どうしたいのかしら? 私もキリカも、マグナ・ゼロからは出られない。…キリカはもう魔女。地上に戻れば人間達の放つ負の感情に当てられて、我を忘れてしまうわ」

「……答えは、もう決まってる」

 

ルドガーは席から立ち上がり、2人の手を取って教会の出口の方へと向かい始めた。

 

「…ミラ、キリカ。俺は1度死んだ身だ。オリジンの審判が終わった時、俺は時歪の因子となって消滅する筈だった。…なのにどうしてか、こうして今でも生きてる。それはきっと、今この時の為だったんだと思う」

「ルドガー…? あなた……」

「俺はこの世界に残るよ。…もう2度と離したくないんだ、君たちを」

「…本当に、それでいいの? 折角生き返ったのよ? なのに…」

「いいんだ。………もう、何も失いたくないんだ」

 

たどたどしく呟いたルドガーの頰には、涙が伝っていた。

ようやく掴むことができた、大切な人の温もりを。

こんな自分を慕ってくれる、大切な相棒を。

それを手放すことなどできようもない。過去の喪失の痛みが、ルドガーにそれをさせなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほむらが扉の先へと抜けて辿り着いた場所は、最初はやはり何も見えない程に漆黒の空間だった。

一歩ずつ進む度に地面から変質してゆき、まるで瓦礫が敷き詰められたかのような感触と、埃や塵を含んだ空気、そして陽の光を感じない曇り空の下には、変わり果ててしまった見滝原の街並みが現れた。

それはまるで超弩級の魔女の襲撃を受けた後のような光景で、街の一部分は水没すらしている。

 

「………ワルプルギスの夜……いえ、これは……」

 

救済の魔女が誕生し、全てが滅んだ後の光景。

ほむらの目の前に広がる風景は、まさにそんな印象だった。

滅んだ街の中でもかろうじてわかる、見慣れた部分を選んでゆっくりと進んでゆくと、次第に強大な魔力の波長が近くなるのを感じた。

この先に、いる。とうに覚悟を決めたはずのほむらの心臓は、緊張感で張り詰めていた。

そしてその先にある積み重なった瓦礫の山の上には、

 

 

 

「………やっと、ここまで来れた。久しぶりね、まどか」

 

 

 

ほむらが探し求め続けていた姿があった。

 

救済の魔女───200余の鹿目まどかが統合された意識体は、ほむらと気持ちを交わし合ったまどかの身体を触媒とし、長い髪に純黒の翼とドレス…円環の理としての姿をとりながらも、やはり禍々しい魔力を漂わせている。

…だというのに、不思議と今までにないくらいに穏やかな気持ちでまどかと対峙できている事に、ほむらは少し戸惑ってもいた。

そしてそれはどうやら、彼女も同じだったようだ。

 

『──────あは、待ってたよほむらちゃん』

「…ええ。そうね。ここまで来るのに、相当な遠回りをしてしまったわ」

 

まどかを守れる存在になりたい──────そう願ってほむらが魔法少女になって以来、いったいどれ程の長い年月を過ごしてきただろうか。

全ての時間軸の記憶を併せ持つまどかも、1ヶ月を200回以上繰り返し、その先の世界でも気が狂う程の時を過ごしたほむらも、互いにそう思っていた。

そしてほむらの願いは未だに叶えられておらず、ほむらをも含めて全ての魔法少女を救いたい、というまどかの願いも、叶っていないのだ。

 

「……どうして、こんな風になっちゃったのかな。私達はどこで間違えちゃったのかな……ねえ、まどか」

『! …私はほむらちゃんを救いたかった。ほむらちゃんは、私を人間のまま幸せにしたかった。ただそれだけなのに、私達の願いは同時には叶わなかった。……だから、私は決めたんだよ、ほむらちゃん』

 

世界中の全ての魂を自らの領域に引き込み、永遠に幸福な夢を与え続ける。そうしなければ、全てを平等に救うことはできない──────それが、歪んでしまった彼女の願い。

 

『気付いてたよね。キリカさんが魔女になっても自我を失わなかったのは、絶望せずに魔女になったからだけじゃないんだよ』

「ええ、わかっているわ。…このマグナ・ゼロの中では、"穢れ"は全て領域に吸い取られてる。魔女であり時歪の因子……今となっては、あなたの力すらも及ばない程の力をつけてしまっている。…逆に、あなた自身もマグナ・ゼロの力が及ばない程に強力なようだけれど」

『だからこそ、この中でなら普通の魔女は穢れを知らずに…自我を保ったまま存在できる。そして、私の領域自体もマグナ・ゼロの中に形成されつつある。…その中でなら、みんなが幸せな夢を見続ける事ができるんだよ。地上にはひどい穢れが溢れてる。魔法少女なんて仕組みがなかったとしても、人間はいつか滅びちゃう』

「……今のこの私を見ても、そう思うの?」

 

ほむらもまた、強い感情…"愛"によって魂を変質させた特殊な存在。ある意味では、己の醜い感情…"穢れ"を全て受け入れた結果、生まれた存在だとも言える。

 

「穢れとは、人間の感情そのもの。人間は正と負、両方の性質を持って生まれるのよ。…確かに、希望があるからこそ絶望もある。でも絶望があるからこそ、それに抗う力として、希望という曖昧なものをはっきりと感じる事ができる。…それを"感情"というの。そのどちらも、決して欠けてはならないのよ。

…今のあなたのやろうとしている事は、永遠の停滞。絶望だけじゃなく、明日への希望を抱く感情すらも奪う事なのよ?」

『でもほむらちゃんなら、私を救う為なら同じ事をしたんじゃないのかな?』

「……いいえ。私は"全てを救おう"だなんて高尚な魂は持ち合わせてないの。あなたさえ救えれば、私自身さえもどうなったとしても構わない…そう思ってるのよ。…でも、それじゃあ私達が共に救われる事は決してない。あなたの願いが叶ったとしても、私は永遠に"後悔"という呪縛に縛られる。私があなたを人間に留めても、まどかは私を救えなかった事を悔やみ続ける。……私の願いは、"まどかを救う事"じゃない。"まどかを守れる存在になる事"なの。…だから、私は救われる事はない。あなたを守るという事は、そういう存在になってしまう事だって、とっくに気付いていたわ」

 

それでも、守りたいと思った。今の自分は、その願いの結果なのだ。ほむらはそう語った。

 

『………………私を、殺すの?』

「いいえ、そんな事しない。……もう2度と、あなたを傷つけたくない」

『私を殺さないと、世界は元には戻らないよ?』

「あなたが…いえ、私たちが望みさえすれば、戻す事くらいできるはずだわ」

『………ダメだよ。それじゃあほむらちゃんを救えない。ほむらちゃん1人だけが、歳も取らずに、死ぬ事もできずに、永遠に世界に取り残されるんだよ』

「あなたが味わった孤独に比べれば、そんなもの大した問題じゃないわ」

『………なんで、そんな事言うのさ…』

 

ふと、廃墟と化した見滝原の風景に、翳りが差し込み出した。

救済の魔女の心と連動するかのように。

そして曇り空の上から、大粒の雨が徐々に量を増しながら降り注いでくる。

 

『…こんなに大好きなのに、たった1人の大切な人を救う事すらできない。ほむらちゃんは、ずっとこんな気持ちでいたんだね』

「ええ…きっと、あなたの感じている通りだと思うわ」

『……なのにどうして! そんな風に笑っていられるの…!? 私には耐えられない!』

「……そっか。それがまどかの"絶望"なんだね」

 

どうしてだろうか。世界の命運が、そしてまどかの行く末がかかっている極限の状況だというのに、ほむらは何故か嬉しくなって微笑んだ。

 

「…魔法少女や魔女になってしまったとしても、まどかはまどかのまま。何も変わらない。ただ、プラスとマイナスが反転してるだけ。私はね、まどか。あなた以外の全てを諦めたの。だから自分を誤魔化して今日まで生き延びてこられた」

『…私にはできない事だよ。だって私の願いは"全てを救う"事だもん』

「…そうね。私も、あなたを守る事(イコール)人間のまま人生を全うさせる事…その事に固執し続けてきた。…私がそうであるように、どんな姿になったとしてもあなたがあなたである事に変わりはないのに、逃げ続けてきた。……だから、それを今ここで終わらせる。私はもう逃げない。あなたの全てを受け止めると、ここに誓うわ」

 

ほむらは瓦礫を踏み越えて、1歩ずつゆっくりと救済の魔女のいる高台へと近付いてゆく。

その表情に躊躇いは微塵もない。だが、ほむらが近づくにつれて救済の魔女の方が表情を変えた。

全身から、夥しい程の穢れ…瘴気を伴いながら、彼女らしさを感じない毒のこもった言葉を吐く。

 

『………ひひ、』

「まどか…?」

『私の全てを受け止める…ねぇ…今までずっと逃げてきた、ほむらちゃんが? ───なら、やってみなよ!』

 

救済の魔女から発した瘴気が、塊となってほむらに向かって流れていった。

だが、ほむらは言葉通りに避けたり防いだりする素振りを全く見せず、その穢れを一身に受けてみせた。

 

「ぐっ………!?」

 

その瘴気は、200あまたの時間軸全ての鹿目まどかの心から滲み出た"負の感情だった。

ほむらの身体中に火傷のような痛みと、胸に鉛の釘を打たれたような圧迫感が襲いかかる。

それだけに留まらず、背筋から下腹部にかけて電流のような疼きが走り、脚から力が抜けてその場に膝をついてしまった。

ただの魔法少女が喰らえば即死する程の濃密な"穢れ"だ。悪魔となったその身に受けたとはいえ、無事でいられるようなものではない。

 

 

「はぁ……はぁ…っ、あぁぁぁぁぁぁっ!!」

『あは、立てないんだ? ソレは私の"感情"そのもの。私はほむらちゃんの事をそれだけ憎んでるってことだよ!』

「……でも…憎しみだけじゃ、ひぃっ! ……ない……!」

『………っ!』

「感じるよ……恨み、憎しみ…悲しみ、恐怖……! 色んな感情が混ざって、る……っ! でも……!」

 

どんなに無様な姿だろうと、力の入らぬ身体に鞭打ち、必死に救済の魔女へと這いつくばってゆく。

 

「……やっと、声が聞けた…! あなたの、本当の声が!!」

 

 

穢れを祓うような真似は一切せずに、震える手に魔力を集中させ、ほむらは救済の魔女の足首を掴み、黒に染まったドレスを手繰り寄せるように縋りつき、救済の魔女をそのまま押し倒した。

 

『わぁっ!?』

「まどか……大好きだよ、まどか…!!」

『何を、ほむらちゃ……んっ…!』

 

涙でぼろぼろの顔も乱れた前髪も気にかけず、ほむらは言葉を塞ぐように、救済の魔女の唇に口付けた。

こんな事をされると思ってもなかった救済の魔女は、困惑して何もできずにいた。

 

「……はぁ、ふぅ……ねぇ、まどか……私は、あなたと一緒なら…永遠の時を生きていけるわ…」

『何……言って……!』

「帰ろうよ、まどか…また前みたいに、私と一緒に暮らそう…?」

『…っ、イヤだ! だってほむらちゃんが愛してるのは人間(まどか)しょ!? 魔女(わたし)じゃない!』

「魔女だとしても構わないわ! 私はまどかの全てを受け止める! だからまどかにも…あなた自身の全てを受け止めて欲しいの…!」

 

それは救済の魔女に対しての問いかけではなく、この時間軸でほむらが愛したまどかに対しての問いかけだった。

彼女は"魔女なんかになりたくない"と必死に抗おうとしている。その微かな叫びを、ほむらは浴びせられた瘴気の中に感じ取っていたのだ。

 

「…魔女のまま生きろ、だなんて……あなたじゃないあなたを受け入れろだなんて、あなたにとってはとてつもなく残酷よね。……酷い女、勝手な女だって、思うわよね……」

『……そんな事ないよ、ほむらちゃん』

「………まどか…まどかなのね!!」

『…今まで生きてきた"他の私達"は、確かにほむらちゃんに対して色々な事を思ってる。…私の中でぐちゃぐちゃに混ざって、酷い事言ったりした。それでも、私達は…"鹿目まどか"って存在は、みんなほむらちゃんの事が大好きなんだ。私は、怖かったの。私が私じゃなくなるみたいで、心の中でずっともがいてた。でも、ほむらちゃんが言ってくれたから。どんな私も、私なんだ…って』

 

救済の魔女……まどかの身を包む黒の衣装が、少しずつ純白に染まってゆく。

呪いにも似た穢れがまどかの中へと収束し、それと同じだけの暖かな輝きが、ほむらを包み込むように。

 

「…わかるわ、まどか。今のあなたは魔女であり、魔法少女でもあり……人間。…ふふ、ソウルジェムがない魔法少女なんて、初めて見たわ。私と逆ね。私は魔法少女でも魔女でもなくて…人間ですらない存在だもの」

『また、そんな事言って…! 怒るよ、ほむらちゃん』

「そうね、あなたが言ってくれたんだものね。…あったかくて、優しい…人間だ、って。だから、あなたも私と同じなの。…こんな単純な事に気付くのに、こんなに遠回りしちゃった」

『てぃひひ、覚悟してよねほむらちゃん。私の愛は、すっごく濃いんだから!』

「じゃあ勝負ね。私だって、まどかへの愛なら絶対負けないわ」

 

 

土埃の混じった雨は止み、空にはうっすらと虹がかかり、暖かな日差しが2人を照らし出した。

瓦礫の街並みは緩やかに、見滝原の片隅にある花畑の丘へと変異してゆく。

かつて、2人の互いの思いの丈を交わし合った地へ。

そこから見下ろす風景は、確かに2人が愛した懐かしい街並みそのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────ヒトは"希望"と絶望"を併せ持つ、極めてアンバランスな存在だ。

その2つはヒトという器の数だけ存在し、それぞれが天秤の上に乗せられた形で内包されている。

……ただし、その両者の釣り合いは均等じゃあない。

"感情"という不確定要素によって容易に増減し、簡単に傾いてしまう。

 

遥か昔に綴られたヒトの世の神話の話をしよう。

この世全ての災いが詰め込まれた"パンドラの匣"。

中身を知らされる事もなく、絶対に開けてはならないとされていたが、ある日、ヒトの過ごす世界の中で匣は開けられた。

中から噴き出したのは、病、貧困、飢餓、嫉妬、虚栄、怨恨、欺瞞、争い、裏切り、挫折、諦観、復讐………などといった、ありとあらゆる絶望。

しかし、最後に匣の中に閉じ込められ、残されたものがあった。

それこそが"希望"。

ヒトは、希望が最後に残されていた事で安堵し、絶望にまみれた世界の中でも希望を信じて生きてゆくことができた。

 

…しかし、こうも思う。

目に見えない"希望"などというものがあるからこそ、ヒトは絶望に苛まれながらも、希望を信じ、針の敷き詰められた道を進まなければならない。

或いは、"希望"があるからこそ本当の意味で"諦める"事が出来ず、手にする事ができるかも分からない希望に縋り、永遠に虚空の中を彷徨わなければならないのだ、と。

 

 

それこそがヒトの"業"なのだ。

絶望しかないのだと予め報る事ができるならば、最初から絶望しきり、無駄に無間を彷徨う事もないだろう。

ある意味では、それもまた救いであり、"希望"だ。

しかし、そうはならなかった。何故なら、辛うじて"希望"を閉じ込めた匣は、絶望にまみれた世界を救う為に再び開けられ、"希望"が解き放たれてしまったのだ。

かくしてヒトは、目に見えない"希望"に縋り、絶望に侵されて自決する事もできず、生きてゆかなければならなくなったのだ。

故に思う。匣の中には初めから"絶望"しか入れられていない。"希望"すらもまた、"絶望"の一部なのだ、と。

そういった意味では、ヒトの世から"希望"を奪い取るという行為自体は、結果的には救済でもあるのだろう。

希望に縋ることができなければ、ヒトは深い絶望に取り込まれ、永遠の停滞を引き起こし、緩やかな"死"という救いを与えられる。

逆に、"絶望"を全て奪い取ればどうなるだろうか。

悲しきかな、ヒトは絶望なしに希望を感じ取る事ができない。現状に満足していれば、ヒトはそもそも希望に縋る必要など無いのだから。

つまり、絶望がなくなれば希望もまた消え去る。やはり、"希望"とは"絶望"の一部分に過ぎないのだ。

それをカタチにしたものが、魂の結晶―――ソウルジェム。

絶望を"死"という明確なカタチで感じるからこそ、より一層、絶望から逃れる為に希望に縋らなければならない、哀れな存在。

希望を強く願えば願うほど、より一層深い絶望に苛まれる事になる。特に、世界を変えるほどの大きな願いは、転じて世界を容易に滅ぼし得る絶望を生み出す。

 

一番初めの話に戻ろう。

希望を絶望の一部と捉えるならば、天秤の上にかけられているのはどちらも"絶望"。

もっと言えば、"希望"と"破滅"。質が違うだけの"絶望"なのだ。

魔法少女という仕組みもまた、宇宙の寿命を伸ばす為のエネルギーを得る為の仕組み。"破滅"から逃れる為に"希望"に縋った結果、造られたもの。

彼らは自ら気付かぬうちに、"死"という究極の救いから遠ざかっているのだ。

そしてそれと同様の事が、この宇宙の中で無数に行われている。

 

故に、与えなければならない。

ヒト々が絶望を忘れ去る事の出来る、完璧な世界を。

深い絶望の果てにしか存在しない、真の救済を。

 

それこそが、最後に残された私の使命。

 

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

 

ルドガーの故郷であるトリグラフを模した空間へ、それぞれの目的を果たしたルドガーとほむらが帰還してきた。

片方は己のありのままを受け入れた救済の魔女(女神)を、もう片方は、かつて失ってしまった…そして、失いかけた大切な人を伴い、それぞれが顔を合わせる。

ルドガーの横に立つ女性はほむら達にとっては初めて見る顔、という訳でもなかった。先程までこの場で会話し2人を導いた結界の主と、ルドガーの連れてきた"ミラ"は、髪の色がやや異なる以外はほぼ同じ容姿だったからだ。

そして、2人は気付く。

 

 

「みんなは、どこへ行った?」

 

 

ルドガー達は確かにもとの場所へと戻ってきた筈だった。マグナ・ゼロの一部となったミラと、救済の女神…まどかに導かれて同じ場所へ戻ってきたのだから、それは間違いない。

しかし、待っているはずの3人の少女達の姿がないのだ。

一体何処へ、と再度疑問を口にする前に、5人の前に再びミラ・クルスニクが姿を現した。

 

『やあ、無事に戻ってきたようだね』

「…………みんなは?」

『ああ、心配いらないよ。彼女達は一足先に"私の領域の中に取り込んだ"』

「領域の、中…?」

『姿が見たいなら、見せてあげよう。ほら』

 

ミラ・クルスニクが手をかざすと、突然空中にマミ、杏子、さやかが現れ、力なく地面に落下した。

ぐったりとしていて、起き上がる様子もない。

 

「………!?」

 

慌ててルドガーは駆け寄り、マミの身体を起こして揺さぶってみた。

が、目はぼんやりと開いているのだが、虚ろな様子で、返事はなく、自分の意思で身体を動かそうともしない。

嫌な予感がしたルドガーはソウルジェムを確認したが、穢れが蓄積している訳ではなかった。

むしろ、無色。通常、ソウルジェムはそれぞれの魂の輝きに応じて何らかの色を持っている筈だが、それすらもないのだ。

他の2人も同様だった。

 

「みんなに何をした!!」

『言ったろう。私の領域に取り込んだ、とね。一切の絶望が存在しない。故に希望すらも存在しない災禍(パンドラ)の匣が開かれる前と同じ、真の救済を彼女達にプレゼントしただけよ』

「絶望も…希望も……!?」

『そう。暁美ほむら、君もさっき言っていたでしょう? 人間とは、絶望の中にいるからこそ希望に縋ってしまう。希望など、幻想に過ぎない。希望があるからこそ人は余計にもがき、苦しむというのに……』

「…どういう意味だ。お前は何を言ってるんだ!!」

『希望など、最初から持たない方が…"忘れ去ってしまった方が"幸せだと言っているのよ』

 

希望と絶望を取り除いた結果、残るものは"虚無"のみ。

地に倒れ伏す少女達は、心の揺れ幅を掻き消され、代わりに"無"を与えられてしまったのだ。

 

『それこそが私の性質。夢破れたセカイを追憶し、忘却の彼方へと誘う。……私が味わったものと同じ苦しみを、痛みを! この宇宙全てから消し去る為に! その為には、鹿目まどか。全宇宙に干渉できる君のチカラが必要だった』

『私の……円環の理の力を…?』

『そうさ。私は次元の狭間…クロノス域を抜けた遥か底に存在している。数々のセカイを取り込んできたけれど、やはり次元の狭間を破り表宇宙に干渉するには、君のチカラ無くしては不可能だった。だが、それももう手に入った。君から漏れ出てくる尋常でない量・質を持った"穢れ"を喰らう事によってね。そしてルドガー。表宇宙において私のチカラを阻害する可能性がある君を飲み込むのにも、一工夫させてもらったよ。…君の大切な人を使い、ここへ誘い込むのには随分と苦労させられたよ』

 

彼女はルドガーのすぐ傍にいるミラを指差し、嗤いながら言った。

 

「……何よこれ…こんなの、話が違う! このマグナ・ゼロはただ存在するだけの空間だって、私に言ったわよね!?」

『そうとも、我が写し身。私は表宇宙の全てを喰らい、ただそこに存在するだけの、新たな宇宙(コトワリ)となる。間違った事は何一つ言ってないよ』

「あんた……狂ってるわ!!」

『…ふふ、狂ってる、ねぇ…けれど私のやっている事は、そこの鹿目まどかがやろうとした事の延長線上に過ぎない』

『私はこんな事……!!』

『望んでない、とは言い切れないだろう? 何故なら、希望とは絶望ありきの存在。都合良く絶望だけを消し去り、希望を残すなんて事はできやしない。君がかつて絶望からの解放を願い、円環の理となった時、暁美ほむらただ1人だけが絶望の中に取り残されたように、絶望なくして希望は存在し得ないんだよ』

 

 

まどかは、それに対して何も言い返せなかった。

ミラ・クルスニクの言った事は確かな事であり、円環の理の世界の中で自身を追い詰めるまで心を傷めたほむらの姿を、まどかは見ていたからだ。

……その姿を、絶望と呼ばずして何と呼ぶのか。

 

 

『まあ、そこの写し身はもう用済みだ。ルドガー、君にくれてあげるよ。…そうだね、成れの果てである私がいつまでも"ミラ・クルスニク"を名乗るのも考えものだ。君達の言語方式に倣い──────

 

 

私の事は"忘却の魔女(イツトリ)"と呼ぶがいい』

 

 

 

 

 

そうして、彼女はローブを再度脱ぎ捨て、身体の奥底から白の歯車を展開し、虚無(ゼロ)の骸殻を身に纏った。

呪いを刻む歯車は、継承される鋼の鎧。それは、時空を貫く槍にして鍵。魂は無の玉座で流転し、歴史の枝に終焉を与える。

かつて救済を願った彼女が新たに手にした願いは、全ての宇宙を無に帰結する為の力。

それこそが彼女の…ミラ・クルスニクの成れの果てにして、双つの呪いによって生まれ変わった姿。

 

 

『──────さあ、君たちを救ってあげよう。』

 

 

無間の領域を持ち、絶望も、希望すらも、何もかもを飲み込む為だけに存在する。"追憶"と"復讐"、2つの性質を併せ持つソレは、忘却の魔女・イツトリ──────それこそが、彼女の成れの果てだ。

 




長らく放置しており、申し訳ありません。
pixivの方で完結させていたのですが、このたびまたこちらでもコメントをいただけたので、残りのストーリーもこちらに上げさせて頂く事にしました。

pixivとハーメルンとでは振り仮名を振る際の設定方式が異なるので、もしかしたらチェックが抜けている部分があるかも知れません。

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