誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第33話「やっと、やっと逢えた」

 

 

 

 

 

 

1.

 

 

 

 

 

海辺で遊び尽くしたルドガー達一行は次なる目的地、ひと晩の宿泊先へと向かっていた。

と言っても夏休み真っ只中であり周辺の宿泊施設もかなり混み合い、とくに11人という大所帯ともなれば大幅に限られる。結果、海岸から歩くことおよそ20分の場所にある旅館へと落ち着いたのだ。

夕日も間も無く沈むであろう空の下をのんびりと歩き、道中コンビニで菓子類を多めに買い込みながら、少し古風な施設へと到着した。

 

「ここは……」

「ん? ルドガー君、どうしたんだい?」と、意外な反応をしたルドガーに詢子が問いかけた。

「いえ、昔の友人の実家もこんな感じの旅館だったもんで」

 

ルドガーが思い出したのは、広大なリーゼ・マクシアの中でも有数な、気候が穏やかで雰囲気も落ち着いた下町ル・ロンドの一角にある施設だ。

そこはかつての仲間でもあるレイアという少女の両親が経営している旅館であり、ルドガー達一行も何度か利用させてもらった事がある。

今目の前にある建物は、その旅館の雰囲気を彷彿とさせるものだったのだ。もっとも、こちらの世界に飛ばされてからこういった建物を目の当たりにするのは、これが初めてだったからなのだが。

総勢11人がぞろぞろと中へ入ると、受付で待機していた仲居の女性も流石に驚いたようで、普段はこういった大所帯がここを訪れることはないのだろう、と感じ取れる。

逆に旅館を初めて訪れるのはルドガーだけではないようで、少女達も目をぱちくりとさせながらもわくわくとしているのがわかった。

仄かに木目の薫りがし、ぴかぴかに磨かれた床も相まって落ち着いた雰囲気を醸し出している。こういう純和風な造りの施設はリーゼ・マクシアにもエレンピオスにもなく、なんとなく心が安らぐような気分になっていた。

 

「じゃあ、女子はあっちで男子はそっち。晩ご飯までまだ少しあるから、早いとこ風呂入っちゃいなよ?」

 

チェックインを済ませた詢子が先導し、仲居さんの後に続いて各部屋へと案内される。

男子部屋はひとつ(ルドガー、知久、タツヤ)、対して女子部屋は2つ(詢子、さやかの母の部屋と魔法少女+まどかの部屋)取ってあり、男子部屋と女子部屋は廊下を挟んだかたちとなっている。

上手い具合に配分したものだ、と関心しながら案内された部屋の襖をあけ、男女分かれて各部屋へと入っていった。

 

 

 

 

ひと昔前ならば、旅館といえばテレビカードや硬貨などを投入しなければ観れないタイプのテレビが多かったが、部屋の中にあったのは最新型の地上デジタル対応・36インチのテレビであり、しかも硬貨の投入なしに普通に観られるようだった。

とはいえそういった仕組みを一切知らないルドガーは、とりあえず、とリモコンに手を伸ばして適当なニュースをつける。

対して、旅館など久方振りに訪れる知久はそのサービスの変化に関心しているようだ。

反対側の部屋からは、襖越しでもわかるくらい少女達の賑わう声が聞こえてくる。どうやらあちらも足を伸ばしながら盛り上がっているようだ。

 

「食事は、何時くらいからでしたっけ?」

「ええと、7時ごろだよ。今は5時半だから、まだ時間には余裕があるね」

「そうですか…じゃあ一緒に風呂に行きましょう」

 

どうも、未だ肩に力が入っているような気がする。知久とはだいぶ打ち解けたのだが、初めての旅先で緊張しているのか、遊び疲れたのか、仕事の疲労が溜まっていたのか。兎に角、風呂に入ればそれも改善されるだろう。

そう思い、ルドガーは旅行鞄の中から着替え一式を取り出して準備を進めた。

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

ルドガー達が入浴の仕度を整えている間、女子部屋ではまた別の会話が弾んでいた。

 

「…んで、今からお風呂だけど…ほむら、あんた大丈夫なの?」

「何がかしら」

 

さやかは半笑いでからかいながら尋ねるが、ほむらは少し拗ねたように突っぱねる。

 

「だぁってぇ、あんたさっきまどかの着替えで鼻血吹いてたじゃん! そんなんで一緒にお風呂入れんの? いやんもう!」

「安心しなさい、あなたの身体には微塵も興味ないから」

「ひっど!? よよよ、じゃああれは嘘だったのね? 私のことまどかの次に(・・・・・・)だーい好きで、愛人にしてあげてもいいわよ、って言ったのは」

「っ!? よ、余計な尾ひれをつけないでちょうだい!」

 

そんなほむらに対して、さやかは誤解を招くような発言を意図的に繰り出す。まるで特定の誰かのリアクションを期待しているかのように。そして、

 

「………ほむらちゃん。浮気、してたの……?」

「ま、まどか…?」

「…ううん、私が悪いんだよね。さやかちゃんは可愛いし、明るいし、ほむらちゃんが好きになるのも当然だよね…ぐすん」

「誤解よまどか! ああもう、さやかが変なことを言うからっ!」

 

ぽろぽろ、と両方の瞳から雫が流れ落ちる。それを見てほむらは冷静さを更に欠いていた、

…が、まどかの後ろ手には、先程こっそりとさやかから渡された目薬が握られている。

いかにもわざとらしい演技を杏子はニヤニヤとしながら見ており、マミは慌てふためくほむらの姿を微笑ましく見ており、残るキリカは何故か真剣な表情で食い入っている。

しかし当のほむらはそれらの冗談を完全に真に受けているのだ。

 

「私が愛してるのはまどかだけよ! 信じて!」

 

もはや隣の部屋にも聞こえてしまいそうなくらいの大声で、ほむらは訴えた。そんなほむらにまどかはひょい、と手に持っていたモノを差し出し、目元に残る目薬の雫を拭い取る。

 

「…わかってるよ、ほむらちゃん♪ はいこれ」

「……え、目薬? まさか今の涙……」

「てぃひひひひ、さっきさやかちゃんが買ってくれたんだ」

「…………さーやーかぁぁぁぁぁ!!」

 

まず「嵌められた」と気付き、それからまどかの持つ目薬を受け取る。そして怒りの矛先はやはりさやかへと向く。

恥ずかしさと怒りに顔を赤くしながら、「やばっ!?」と咄嗟に逃げようとしたさやかの左腕を思いきり掴み、ぐい、と引き寄せた。

どこまでも冷酷で、それでいて妖しげな瞳でさやかの眼を真っ直ぐに見つめ、握る手の力を強めながら右手でさやかの背中を抱え、見下ろしながら顔を近づけてゆく。

 

「あ、あのーほむらさん…? おこなの? なんか顔近いよ?」

「ねぇさやか。女同士って、とーっても気持ちいいのよ?」

「ちょ!? タンマタンマあたしは恭介ひと筋だって前にも言って───ひっ!?」

 

慄いて逃げようとするさやかだが、背中に回された腕でがっちりとホールドされて抜け出せない。そうしてもがくさやかの唇を、ほむらが人差し指でそうっとくすぐるようにひと撫ですると、びくん、とさやかの背筋が震えた。

こうして間近で見ると感じる以前とは比較にならない妖艶さと、更に磨きのかかった均整な顔立ちに釘付けになり、その気の全くないさやかでさえも心音が高鳴るのを自分で感じていた。

 

(やば………逆らえない…! なんでこいつこんなに色っぽいの!? シャレになってないって…!)

 

いつしか、さやかは自分自身の意思とは関係なしに目を瞑り、かすかに頬を紅くして抗うことをやめてしまっていた。そしてほむらは、

 

「あ…………っ」

「ふふふふ」

 

ぱしゃり、と電子的なシャッター音が鳴り、それと同時にフラッシュがさやかの顔を一瞬照らした。

閉じた瞼越しにその光を感じたさやかが「うん?」と怪訝な顔をして目を開くと、さやかを片手で抱きかかえたまま左手に携帯電話を構えるほむらの姿があった。

くるりと器用に片手で携帯電話を反転させてディスプレイを見せると、そこにはいかにも何かを期待しているかのように目を閉じて、ほんの少し唇をつん、と突き出すさやかの顔が写されていた。

俗に言う"キス顔"というやつである。

 

「ふふふふ、あなたのこの間抜けっ面を仁美に送ってあげるわ」

「それだけはやめて!? 仁美にそんなの見られたらまた変な誤解されるから!!」

「ふふふふふ、はい送信っと」

 

さやかの懇願を完全に無視して手早くパネルをタッチし、メールに適当な文と画像を添付して送信。ここまでほんの数秒である。

そして間髪入れずに仁美から返事が返ってくる。これもまた数秒のことだ。ただし鳴ったのはほむらの携帯電話ではなく、さやかのものだった。

 

「返事、来たみたいね」

「早っ!? って、あたしにかよ!」

 

恐る恐るポケットから携帯を出して画面を開くと、そこには、

 

『さやかさん、あなたもとうとう禁断の恋に目覚めてしまったのですね!?』

 

という冒頭から始まる、数秒で打ったとは思えない、読むだけで頭が痛くなりそうな長々しい文章がずらりと並んでいた。

 

「……ちっがぁーう!! あたしは別に目覚めてなんかなぁい!!」

「おいさやか、あんまり騒ぐんじゃねえよ」

 

と、あくまで他人事のように杏子がたしなめる。が、

 

「今更ほむらの同類が増えたって、アタシらは別に何とも思わねえからさ」

「だから、違うっての!?」

「ちょっと杏子、私とまどかをこの節操なしと一緒くたにしないでちょうだい」

「節操なしはあんたの方でしょこの悪魔ッ!?」

 

ぎゃあぎゃあ、と3人での言い争いが勃発する。その様子をまどかは珍しく少し意地の悪そうな顔をして眺めていた。

恐らく、あとでほむらに対して"さやかと浮気した"だの何だのとからかうつもりなのだろう。そして残る上級生2人は、微笑ましい表情を変えないまま、てきぱきと入浴の準備を進めていた。

 

「さぁ、キリカさん。私達は一足先に行きましょうか」

「そうだね、マミ。痴情のもつれに下手に首を突っ込むべきではないね。まどか、私達は先に入ってるからね」

「はい。みんなが落ち着いたらすぐに行きますね」

 

襖を開けて部屋を出て、中で起きている惨事を見られないようにすぐさま襖を閉じる。

するとちょうどタイミングが合ったのか、斜め向かいの部屋から、マミ達とほぼ同時にルドガーと知久が出てきた。

 

「あれ、マミとキリカだけか? なんか向こうが騒がしいけど…」と、珍しい組み合わせにルドガーは首を傾げる。

「ええ、ちょっとね。美樹さんのせいで女同士の醜い争いが……」

「……うん、俺は聞かない方が良さそうだな」

「ふふ、そうね」

 

まるで何年も時を共にした仲のように、マミとルドガーの2人は、ごく自然に柔らかい表情で会話を交わす。

実際はそれだけ互いを信頼し合っているからこそなのだが、マミの隣にいたキリカは不思議そうにその様子を観察する。

 

「ん? どうした、キリカ」

「ふぇ!? わ、私かい? な、何でもないよ…」

「? そうか」

 

いつの間にかキリカはルドガーの顔をじっと見ていたようで、それに気づいたルドガーに問いかけられ、思わず動揺してしまった。

 

(………どうして。今日の私は調子が変だ。みんなからあれよこれよと言われたせいなのかな。……でも、どうせこの想いを伝えたって……)

 

もし伝えれば、間違いなく何かが変わる。それは良い方向にかもしれないし、悪い方向にかもしれない。しかし人とは、悪い方の想像ばかりが膨らんでしまう生き物だ。

キリカが一歩踏み出せない理由はそこにあった。変化を恐れているのだ。

 

「さ、さぁマミ! ほむら達が来る前に早いとこ行こう!」

「え、ええ…」

 

とはいえ、マミはキリカの様子が少し妙だということに気づいていないわけではない。何となく察したマミは、キリカにだけ聞こえるように念話を飛ばす。

 

『もしかして、ルドガーさんのこと、気にしてるのかしら?』

『…君までみんなと同じことを訊くのかい。まどかやさやかにも言われたよ。「告白しないのか」ってね』

『……あくまでそれはキリカさん自身の問題だし、私からは何も言うつもりはないわよ。ただ、思いつめ過ぎないようにね?』

『心得ているよ。心的ストレスは穢れの蓄積を速める、そう言いたいんだろう?』

『そうじゃなくて…ただ心配してるのよ。あなただって女の子なんだから』

『………大丈夫、私は大丈夫だよ』

 

そう頑なに閉じこもるのは、一種の防衛本能なのだろうか。一時期、報われぬ想いを抱いたまま自分を律し戦い続けたほむらのように。

ルドガーに迷惑をかけるなどとは方便であり、本当は恐れているだけ。そんな事にも気付けないまま、キリカの心は揺らいでいた。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

やや遅れて大浴場の更衣室へとやってきたほむら達4人の表情は、傍目から見たら困惑を禁じ得ないものだった。

まどかはひとり生き生きとした顔でほむらの腕に抱きついていたが、そのほむらの表情はどこか枯れたような、諦観の込もった印象を受ける。何より1番違和感を感じるのは、何故か三つ編みになっている点だ。

ちなみに、ほむらが魔法少女になる前の姿を知っているのはこの中で1人しかいない。

対するさやかも、ほむらに散々してやられたのか衣服と髪型が僅かに乱れていたが、何故か親友である筈のまどかから一歩、いや二歩離れた所にいる。

杏子はひたすらその3人と目を合わせないように視線を逸らしながら、フエガムを咥えてぴーぴー鳴らしていた。

今のこの場を他の者が見れば、誰がこの強弱関係を制していると思うだろうか。

 

「てぃひひひひ、もう浮気しちゃだめだよほむらちゃん」

「わ、私は浮気なんて………」

「さっきさやかちゃんを誘惑してたよね? ね?」

「…もうしないから、許してまどか……」

 

実際はまどかは大して怒っていないのだが、こうして言葉だけでも責められると、色々と過去に様々な負い目があるほむらは逆らえなくなってしまう。

また、まどかは以前ほむらと記憶を共有した事がある故に、"ほむらはこう言われると弱い"というポイントを微妙に押さえていたのた。

そして何より、あの戦い以来ほむらが時折見せるようになった気弱な部分が、まどかの心をくすぐっていた。

ともあれ、宿に着いてからかれこれ30分ほど経過している。早く風呂に入ってしまいたい気持ちは全員同じであり、いそいそと着替えを始めた。

 

「……あんたさー、」不意に、さやかが懲りずにほむらの方を見て言う。

「何がとは言わないけど、ちっさいね」

 

そして言って数秒、その発言を後悔する。さやかの何気ない(しかし鋭い)言葉を耳にしたほむらは、にこにこと無言で笑いながら左手をかざし、ダークオーブの納められた痣を輝かせる。

すると、投げ輪程度のサイズの魔法陣が手の近くに展開され、その中からマシンガンの砲身がにょき、と顔を出した。

 

「ひ!? う、撃たないでぇ!! 悪かったから! 謝るからぁ!」

「わかればいいのよ」

「だ、大丈夫だから! ほむらもあと何年かもすればマミさんくらいおっきくなるから! 多分!」

「……何年も、ねぇ……」

 

左手を下ろし、展開していた魔法陣を解除する。

いちいち行動が洒落になっていないと思っていたさやかはひとまず胸を撫で下ろすが、ほむらの表情は少し浮かないようだった。

 

「残念ながら、それはないわ」

「…えっ? おっきくなんないってこと?」

「その口にミサイル撃ち込まれたいのかしら? …まあ冗談はほどほどにして……そうね。あと1〜2年分は成長するかもしれないけど、それを過ぎたら私の成長は止まる。私は、その姿のまま生き続ける事になる」

 

それは、悪魔となった代償のひとつでもある。周りの人達がどんどん成長し、あるいは老いてゆくなか、自分ひとりだけがそのままの姿で残され続ける。

人の一生は儚い。家族や友人…恋人さえも、人の身を超えたほむらと同じ時を歩み続ける事はできないのだ。

 

「……そんなの、寂しくない?」

「あら、羨ましがると思ってたけれど」と、思ってもない事をわざとらしく口にするほむら。

「だってそれって…最終的にはあんたのそばに誰もいなくなるって事でしょ。…そんなの、私だったら…ちょっときついかな」

「…そうよね、そう思うのは至極当然のことだと思うわ。でも、私はまだマシな方。今は(・・)あなた達がいるもの」

 

あの娘の感じていた孤独に比べれば、はるかに───そう言おうと思ったが、やめた。折角の楽しい旅行なのだ、下手に場の空気を重くしたくはないと思ったからだ。

 

「………………」

 

さやかはその言葉を素直に聞き入れて表情を綻ばせるが、聖職者である父を持っていた杏子は苦い顔をしたまま言葉に悩み、常日頃からこの件で悩んでいたまどかは、勇気を出して口にしてみる。

 

「…私は、ほむらちゃんとずっと一緒にいたいよ。独りになんてさせたくない。でも、どうしたらいいかわかんない……」

 

そんなまどかに、ほむらは優しく首を横に振る。

 

「だめよ、まどか。あなたにはそのままでいて欲しいの。普通の女の子として、幸せな一生を全うしてほしい。…やっとこの未来を掴めのよ。だから…」

 

それでも、不安は消えてはいない。2人はあまりにも互いを欲し過ぎている。まどかとて、土壇場になれば約束を違えてでもほむらの為に尽くそうとする事は、もはや周知の事実だ。

それに、その時に起きた契約未遂。髪が異様に伸びる程度で済んだと皆は思っているが、ほむらだけが感じられる差異がまどかに生じていた。

蓄積された膨大な因果係数が、契約未遂によって一部表面化している。今はフラットを保っているが、これが今後まどかにどんな影響を及ぼすのかは測りかねないのだ。

まどかに普通の人生を歩ませる為には、そういった面からしてもほむらが見守り続けなければならない。

 

「でもよ、ほむら」

 

と、既に大きなバスタオルを身体に巻いて、長い紅髪をほどいた杏子が尋ねてくる。

 

「確かにアンタ独りならきっついだろうけど…それこそ、まどかと一緒なら全然平気なんじゃねえの?」

「…まどかを不幸にはさせたくないわ」

「はぁ……アンタのその強情さ、悪魔になってもちっとも変わんねえな。だったらひとつ予言してやるよ。いつかアンタは独りぼっちなるんだろ。そうしたらアンタ…また同じ事を(・・・・・・)繰り返すぜ」

「……どういう意味かしら?」

「決まってんだろ? アンタはきっとまたまどかに逢いたくなって、何かをやらかす。時間遡行……いんや、今のアンタならひょっとしたら、死んだ人間も生き返らせちまうかもな?」

「………私は神様じゃないのよ。それに、神様にだってそんな事はできない…いいえ、そんな風に条理を捻じ曲げるような真似はしてはならないの」

 

『共に在りたい』というまどかの言葉そのものは、ほむらにとっては何よりも嬉しく思えるものだ。しかしそれを叶えれば、まどかにも自分と同じ孤独を与えてしまう事になる。

人の身に余る奇跡は必ずしも幸福をもたらすわけではない、逆にその身を傷つけるばかりだ。

『共に在りたい』と本当に望んでいるのは

むしろほむらの方だ。まどかと共に緩やかに人生を歩み、終えたい───そんなごく自然な望みすらも叶えられないほど、ほむらの力はちっぽけなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入浴をひとしきり終え、ルドガーは知久、タツヤと共に肩に手拭いをかけた浴衣姿で、旅館の一角にある自販機の前にやって来ていた。

外の自販機と比べて10円ほど値段設定が上っており、最上列の左端には銀色が目立つ缶ビールがあったが、特に酒を好む嗜好はないルドガーは小銭を入れて無難に緑茶のボタンを押す。

ピピピピピピ…と硬貨投入口の横に備わっている小さな黒のデジタル表示板が目まぐるしく瞬き、左端から4・4・4…と数字が並び、最後の4桁目も4で止まった。

 

「おや、当たりじゃないか! ツイてるねルドガーくん」

「は、はぁ…これ、何ですか?」

「初めて見るのかい? これはね、同じ数字が4つ並ぶとジュースが1本タダで貰えるんだよ」

 

知久が説明した直後、缶ビール以外の飲料のボタンが赤く点灯した。「30秒以内に決めるんだよ」と友久に言われ、「えっ!?」と慌てて何を押すか迷うが、緑茶を買ったばかりで特に甘いモノが欲しい気分でもなく、かと言ってまたお茶、またはコーヒー類を手に入れるのも気が引ける。

 

「知久さん! なんか欲しいのないですか!?」

「ぼ、僕が決めるのかい? ええと、何にしようかな! うーんと…」

 

2人してボタンを押す指を迷わせているうちにも時間は刻一刻と迫る。自販機の内部時計にしてあと14秒でボーナスタイムが終わるところで、4つの4の数字が並んでいたデジタル表示板にも同様のカウントダウンが映されている。

 

「………何を騒いでいるんだい?」

 

と、そこに一足先に女子風呂から抜けてきたふうな装いのキリカが通りかかり、怪訝な顔をしてルドガー達の近くにやってきた。

が、自販機のデジタル表示を見て、なぜ騒いでいるのかをすぐに察したようで、

 

「私が決めてもいいかい?」

「あ、ああいいけど、でもあと10秒しかないぞ!?」

「ふふ、私に時間の心配は無用だよ」

 

そう言うとキリカは左中指に嵌められた指輪から魔力を少し解放し、知久に気づかれないように知久ごと(・・・・)自販機の速度を著しく低下させた。体感で言えば、約1/3程の速度にまで、だ。

 

「な───なにやってるんだキリカ!?」

「だって、選ぶ時間がないじゃないか」

 

さらりと答えたキリカの表情は、まるで幼い子供のように無邪気そのものだった。

そうして3秒ごとに1カウントを刻む自販機からキリカが選んだのは、なんの事はない、やや炭酸のきつそうなサイダーだった。

ボタンを押すと同時に遅延魔法を解除すると、ガコン、と選んだ飲料が下に落ちる音がした。

知久にバレてはいないだろうか、とルドガーは軽く冷や汗をかく。

一応、鹿目夫妻にはワルプルギスの夜が訪れた日のことは事細かに説明してあり、魔法少女の存在も承知しているのだろうが、まさか自販機から飲み物を選ぶために魔法を使うなどとは露ほども思っていないだろう。

 

「はは、ずいぶんと決めるのが早かったね」

 

と、ごく普通に知久は尋ねてきた。どうやらキリカが魔法を使った事には本当に気づいていないようだった。

 

「…ねえルドガー」

「どうした、キリカ」

「少し、いいかな」

「ん? ああ」

 

またあとで、と知久に声をかけ、キリカに連れられて少し静かな縁側の方へと向かって歩いてゆく。

太陽はほとんど沈み、蝉の鳴き声とほんの少しだけ温度の下がった風が差し込むそこには、今はまだひと気がなかった。

 

「………こうして、君と2人きりで話すのは久しぶりのような気がするよ」

「お互い最近忙しかったし、今は家も離れてるからな。言われてみれば確かに久しぶりだよ」

「ねえルドガー。…私は、君にはとても感謝しているんだよ」

 

くるり、と浴衣を軽く翻しながら向き直る。ドライヤーをかけずに来たのか、まだ少し濡れた黒髪は、何となしにいつものキリカとは違った風な雰囲気を感じさせる。

 

「私のいた世界から連れ出してくれた事だけじゃない。…君は、いつも私の事を守ってくれたね。だから私も君を守りたい…そうは思っても、いつも私の力は一歩及ばない。それでも君は、私を突き放すことはなかった」

「突き放す…? そんなことするわけないだろう。大事な仲間なんだから」

「仲間……か、そうだね、その通りだ。……でも、ルドガー。ここ最近、私はどうもおかしいんだ」

「おかしい? …具合が悪いのか?」

「ううん、そうじゃない。……ここのところ、気がついたらいつも君のこと考えてばかりなんだ」

 

好きだとか嫌いだとか、そんなものではない。ただこの胸の中に残る、形の曖昧な感情を知ってほしい。そんな想いで、キリカは語り出した。

 

「 この世界に来てから、ずっと君の好意に甘えていたせいなのかな。そんな風に思うのは」

「それは……俺にはわからないよ」

「…そうだよね。ねえ、君は以前"大切な人を亡くした"って言ってたよね。……こんな事を訊くのはどうかと思うんだけれど、君はその女性(ひと)のことを、今も………いや、」

 

愛しているのか。そう問いかけようとして、やめた。その答えを知ってしまうのが怖かったから───いや、既にその答えは知っているからだ。

 

「………私は、君の支えになれないのかな。君とずっと一緒にいて、君を支えたい。また一緒にご飯を食べて、一緒に眠って……」

「………キリカ、それって……」

「…私は、その女性(ひと)の代わりにはなれないのかな」

「…!」

 

そう答えたキリカの顔つきは、ルドガーには見憶えがある。かつて「自分は所詮紛い物なのだ」と卑下して苦しんでいた"彼女"の姿と重なって見えたのだ。

 

「それは違う、キリカ」

「…やっぱり、だめ…か……」

「そうじゃない。…"代わり"なんて、誰にだってできやしないんだ。ミラの代わりはどこにもいない。けどな、お前の代わりだってどこにもいない」

「え……」

「…ずっと、考えてきたんだ。正直な話、キリカの気持ちにはなんとなく気付いてた……けれど、俺はまだ悩んでる。俺は、まだミラの事を吹っ切れたわけじゃない。…いや、きっと忘れる事はできない。そんな俺が、本当にお前と向き合うことができるのか…そういうふうに。けれど、これだけは聞いてくれ。……ミラの代わりとしてじゃない。俺は、お前のその気持ちを無駄にはしたくない、そう思ってる」

 

随分と見苦しい、言い訳じみた言葉だとルドガーは思った。けれど全て本当のことだ。ミラの事を想いながら、今目の前にいる少女をも大切にしたいと想っている自分がいる。どちらか一方だけをとる、という決断を下ろせずにいることに自己嫌悪を抱いてしまう。

だというのに。

 

「…………ありがとう。君の口からそのひとことが聞けた、それだけで充分だよ」

 

キリカは、触れれば壊れてしまうのではないか、と思えるような儚げな笑顔を向けた。

どきり、と心音が一瞬高鳴ったのをルドガーは感じた。キリカから明確な好意を向けられている、そう認めたせいだろうか。

一歩、また一歩と近づいてゆく。サイダーを持っていない、空いた方のキリカの手をとろうとしたとき、

 

 

 

「…………!」

 

 

 

─────ルドガーの分身ともいえる懐中時計が、災厄の訪れを報せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

約2ヶ月ぶりに音を鳴らした金の懐中時計は、何を指し示ているのか。

キリカと共に駆け足で玄関へと向かい、その慌ただしい様子に仲居さんが声をかけようとするのも無視して表へと出ると、すぐにソレは視界に飛び込んできた。

 

怪獣のおもちゃのような被り物をした、青い肌に水玉模様の不恰好なぬいぐるみの姿をした怪異と、それに追随しているかのような手のひらだけの右手と左手。

それらが遥か空高くを漂い不気味な声で啼きながら、不思議の国(ワンダーランド)のような世界へと書き換えているのだ。

 

「あれは………結界を拡げてるのかい!?」

「そうみたいだな。……あんな所に、魔女が?」

 

しかし、魔女とも断定できない。通常、魔女は固有結界の中から出ず、獲物を引き込んで喰らう。例外である人魚の魔女とワルプルギスの夜も、自身の魔力が圧倒的に強すぎる故に隠れ蓑を必要としていないだけなのだ。

よって答えは2つに絞られる。アレもその2体の魔女と同等の強さを持つのか、そもそも魔女ではない何かなのか。どちらにせよ、決して油断はできない。

 

「ルドガー! …………そんな、どうしてあれ(・・)が…!?」

 

魔物の気配を感じて追ってきたほむらも、空を見上げた瞬間に表情を変え、絶句する。

ただし、先にそれを見ていたルドガー達とは少しリアクションが異なる。それに気づいたルドガーが、

 

「ほむら、あれに心当たりがあるのか?」

「ええ…私達は"ナイトメア"と呼んでいたわ……」

「ナイトメア…? 魔女じゃないのか」

「そうよ。…あれは、ここに在るはずのないモノ…いえ、在ってはならないモノ…!」

 

魔力を解放し、浴衣姿から黒のドレス姿へと変身し、禍々しい羽根を広げる。"悪魔"へと進化を果たしたほむらでさえ、最初から全力でナイトメアと称された魔物を狩る気でいるのがわかった。

油断がならない相手、というのはどうやら間違ってはいないようだ。

さらに遅れて、他の少女達も表へとずらずらと出て空を見る。魔女ともおぼつかぬ化け物と、既に大半が書き換えられ異界化した光景を目にして、息を呑んだ。

 

「……これ、結界…なの…?」

 

これまで何体もの魔女との戦いを経験したマミでさえ、その異様な空間に違和感を覚える。

 

「……みんなは、まどか達を。あれは私が倒すわ!」

「暁美さん! 油断は禁物よ! いくらあなたが強いからって……」

「そうじゃないわ! …あれを倒しても、グリーフシードは手に入らない。それに、何をしてくるか本当に予想もつかないのよ…!」

 

ほむらはマミが諌めようとするのを振り切り、黒翼をはためかせて独り夜空へと飛び立っていった。

 

「きゃ……!?」

「ほむら、なんか焦ってる…!? 一体どうしたってのよ?」

 

 

地表に黒翼から放たれた突風が吹き付けて、旅館の木製ドアから軋んだ音が鳴る。

瞬く間にメルヘンチックな星々が輝く造りモノの夜空へと到達し、右手に超巨大な黒い弓を呼び出し、空の上でナイトメアと対峙する。

それを見ていたルドガーもまた、冷静さを欠いたほむらの行動に僅かな不安を感じた。

 

「……俺が行く。さやか達はここに残ってみんなを守ってくれ。 はぁっ!!」

 

懐から金と銀の懐中時計を抜き構え、そこから歯車状の波紋が展開し、ルドガーの全身を包む。ワルプルギスとの戦い以来纏っていなかった最強の能力者の証───フル骸殻の力を、今再びこの場で解放したのだ。

破壊の槍のひと振りを創り出し、影絵のような世界へと飛び込んでいった。

 

「………私も、行く!」

 

ルドガーの後ろ姿をただ見ている事などできない、とキリカもソウルジェムを輝かせ、黒衣の戦闘衣装へと変身する。

 

「キリカ!? 待ってろって言われたでしょ!?」

「おとなしくなんてしていられないよ。……ルドガーは私が守る。そう誓ったから」

「あんた………わかった。ここはあたしらが見てる。…気をつけなよ」

「勿論だ!」

 

既に遥か遠くにまで達したルドガーを追いかけ、キリカもまた全力疾走で闇の中の街へと飛び込んでゆく。

不気味な程にダークなメルヘンの世界の空の上、満月の下では激しい魔力の波紋と火花が星の瞬きのように散っていた。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

 

奪い取った女神の力と自身の力を掛け合わせた黒弓から何度となく矢を放つが、空に浮かぶナイトメアは身体を幾度貫かれようと全く動じず、気味の悪い啼き声を上げていた。

ナイトメアの左右に浮かぶ両手が小刻みに動くと、それに呼応するようにナイトメア自身も動きだし、ふわふわと舞いながら口から光弾を撃ち返してくる。

 

『ギャギャハハハハッ!!』

 

ひとつひとつが凄まじい威力を持つ光弾を、魔法陣のシールドを正面に展開して防ぎ、その隙間からまた矢を撃ち込む。

既にほむらは、並の魔法少女ならばとうに枯渇しているであろう程の量の魔力を行使している。にも関わらず、ナイトメアには傷一つ負わせられずにいた。

 

「………どうして。このナイトメア、手応えがない…!?」

 

まるで虚像を狙い撃っているかのように。ほむらの放った矢はナイトメアの胴をすり抜け、虚空へと溶けてゆく。

対してナイトメアの放つ攻撃は確かな現実であり、高度700メートル上空にて閃光と爆風を散らしていた。

 

『ほむら! 聞こえるか!?』

「……ルドガー!?」

『そっちは今、どうなってる!?』

「…なんとも言えない状況よ。こっちの攻撃が全く効いてない。なのに向こうの攻撃はかなり強いわ」

『なんだって? …せめて、下まで誘導できれば…』

「…善処するわ。このまま私が囮になって、あなたの攻撃が届く位置まで誘導してみる」

『わかった。…無理はするなよ』

「ええ。………こっちよ、ナイトメア!!」

 

わざと無理な姿勢をとり、ナイトメアを見上げるかたちになりながら高度を下げ、何発目かの矢を放ち続ける。

ほむらを敵と認識していたナイトメアはそれを追いかけるかのように、真下に光弾を放ちながら同じく高度を少しずつ下げる。

異界化しているとはいえ、地表へ攻撃を届かせるわけにはいかない。放たれた光弾を的確にシールドで受け止めながら、地表までの距離を感覚で推し量る。

 

(……あと、もう少し…っ!?)

 

 

地表が近くなってきたところで、ナイトメアに異変が生じた。

左右に浮かぶ手がナイトメアの身体を弄り出し、まるで粘土のようにぐにゃりと形を変えてゆく。捏ねくりまわされて構成される新たなディテールは、段々と線と線が繋がり、見覚えのある形へとなる。

 

「そんな、あの姿は!」

 

ナイトメアが化けた姿は、かつて撃破した筈の過去の敵───人魚の魔女の姿だった。

上半身に鎧と骸骨型の兜を備え、魚のような半身を持ち、巨大な円月刀を振りかざし、空を泳ぐようにさらに急降下して襲いかかるその姿は、影のように暗く染まっていた。

 

「く、このっ!!」

 

しかしただの魔女ならば、悪魔と化したほむらの敵ではない。やはり苦戦を強いられているのは、ほむらの攻撃を全て透過してしまうからこそだ。

そのカラクリを暴かない限りは、このままずるずると戦いが長引くだけだ。

 

 

 

 

『──────ヘクセンチア!!』

 

 

 

 

ある程度高度が下がり一部の術技の射程距離内へと入ったことで、ようやくルドガーも攻撃の一手を繰り出すことができた。

だが、空から降り注ぐ黒い光弾の雨は人魚の魔女の身体をすり抜け、逆にほむらの身体スレスレの位置を通り抜ける。

 

『……これでも、だめか!』

 

ルドガーの槍による攻撃は普通の攻撃ではない。仮にナイトメアのすり抜けが時空に干渉する類のものであれば鍵の力でそれを打ち破り、多少なりとも傷を負わせることができた筈だ。

それが叶わなかったということは、少なくともカラクリは異なるという事になる。

 

 

『ケキャハハヒハハハハッ!!』

 

 

人魚の魔女の虚像は、その容姿には似つかわしくない薄気味悪い声を放ちながら、手に持つ巨大な円月刀をほむらに振り下ろしてきた。

咄嗟に魔法陣のシールドを生み出し、その剣撃を受け止める。すると人魚の虚像は何か面白い玩具を見つけたかのように陽気な啼き声を上げながら、何度もシールドを剣で切りつける。

そのシールドの裏ではほむらが弓を思いきり引いて最大出力を込め、タイミングを待っていた。

 

「これでも…っ、喰らいなさい!!」

 

まず先に、超巨大なフラッシュを焚いたような閃光が暗闇の街を照らし、それから遅れてパァン!! と耳を(つんざ)くような破裂音が街中に木霊する。

ほむらの放った矢は自らが張ったシールドを、シャボンの膜を破るかのように内側から粉砕し、閃光に目を眩ませたナイトメアの胴体を貫いた。

 

『グォ、ゲェアアアアッ!?』

 

それは確かな手応えをもたらし、人魚の虚像は初めて呻くような叫び声を上げ、虚像を解いてもとの人形の形へと収縮してゆく。

極限までエネルギーを凝縮して、光をも超える速さで撃ち出した矢───ほむらの放ったものは、それだった。

どうやら不意を突いて素早く、しかもナイトメアが攻撃をしている最中に攻撃を当てれば効果があるようだ、と今の一撃でほむらは確心した。

 

「………まだ生きてる…!」

 

しかし空間の異界化はまだ解けておらず、ナイトメアは体勢を整えると、今度はぬいぐるみ型の口から種のようなものを真上に向かって無数に吐き出し、そこからさらに広範囲に向けて種を拡散してばら撒いた。

 

『なんだ、アレは!?』

「わからないわ! …いったい、ヤツは何を…」

 

ナイトメアが何の種をばら撒いたのかは、数秒遅れて判明することとなる。

半径にして約100メートルといったところだろうか。そこから、綺麗な円周を描くように光の柱が何十本も立ち昇り、その輝きとは真逆の禍々しいエネルギーを放出する。

その光の柱を引き裂くように現れたのは、かつて見たこともない異形の怪異だった。

 

 

『──────グオアァァァァァァァッ!!』

 

 

顔の周りにはモザイク型のノイズが漂い、白い袈裟を肩からかけて身体を包んだ、白塗りの巨大な人型。

不気味な咆哮を上げたソレは1体だけでなく、ナイトメアがばら撒いた光の柱全てから、包囲するように街中に大量に顕現した。

その数は、目測でもおよそ1000体は下らないだろう。

 

「………そんな、"魔獣"!? あり得ないわ! どうして奴らが!!」

『ほむら! あれを知ってるのか!?』

「…以前話したでしょう。あれは魔女の代用品。あれも、この世界にはあってはならない存在よ!」

 

"魔獣"と呼ばれた存在は、一斉にとある1点に向けて、かりそめの建物を薙ぎ倒しながら歩を進め始めた。

魔獣達が揃って視線を向けた先には、まどかや仲間達が陣を張っている旅館があった。

魔獣とは、かつて女神の願いによって消滅した魔女にとって代わって現れた存在。まどかが契約せず、円環の理が成立していないこの世界には現れるはずのない存在だった。

そしてそれを知るのは、その姿を記憶しているのは、やはりこの場に1人しかいない。

 

「…………まさか」

 

心当たりがひとつあった。今のほむら同様に、全ての時間軸の記憶を内包していた者がいたのだ。

それはまさに、人魚の魔女。ほむらの為した行いに対し憤りを抱き、時空を超えてこの世界に現れ、蹂躙の限りを尽くした存在。

もし、仮にだ。ほむらと人魚の魔女…それだけではなく、全ての時間軸の記憶を持っている者が他にもいたとしたら。

 

「っ、考えるのはあとよ! やつらを行かせはしない!」

 

黒弓に光の矢をつがえ、ナイトメアに対してではく、空高くに向けて撃ち出す。

雲を切り裂いた閃光の刃はそこから放射状に拡がり、雨のように降り注いだ。

無数の矢の雨が着弾したポイントからはズドン、と凄まじい轟音と煙が舞い飛ぶが、魔獣はまるで何事もなかったように煙の中からゆったりと現れ、歩き続ける。

 

「……だめね、一度に多くを狙ったのでは倒しきれない…!」

 

ほむらの方にもナイトメアが絶えず火炎弾を吐いて攻撃を仕掛けてきており、どちらを攻撃すれば良いのか絞りきれず、守りに入らざるを得ない状態だった。

しかし現在両者は高度10メートルにまで降下してきている。そのすぐ真下にいるルドガーの槍も、ナイトメアに十分届き得る距離だ。

 

『ほむら、お前は魔獣の方に行け!』

「ルドガー!? だめよ、こいつは私が!」

『お前じゃなきゃあの数には対抗できない! こいつは任せろ、俺達で相手する!』

「…わかったわ、頼むわよ!」

 

去り際に光の矢を1発撃ち込んでから、ほむらは魔獣の群れの方へと飛び去っていった。

だが、先程の様子では魔獣自体にもナイトメア同様の透過能力が備わっているようにも思える。もしくは、拡散して矢を放った為に威力が弱まっていたのか。いずれにせよ、これ以上の魔獣の接近を許すわけにはいかない。

 

『ナイトメア! お前の相手は俺だ!!』

 

ほむらを追いかけようとした魔獣に対し、ルドガーは槍の鉾先から黒のエネルギー弾を無数に放って威嚇した。

 

『ケキャハハヒハヒヒハッ!!』

 

するとナイトメアは、新しい遊び相手を見つけたかのように振り向き、さらに高度を下げてほぼ真正面から火炎弾を吐いてきた。

 

『どうするんだい、ルドガー!?』

 

両者に追いつき、反対方向に回りこんで好機を窺っているキリカが問いかける。

 

『…少し観察してわかった事がある。ヤツは俺達の攻撃をすり抜けるように躱してくる。けれどヤツ自身が攻撃する時だけは、すり抜けを使う事ができないみたいだ。そこを叩く!』

『でも、ほんの僅かな一瞬だね……わかった、一撃で仕留めよう!』

『ああ! 行くぞ!』

 

ほむらと繋いでいたリンクの糸を解き、今度はキリカと繋ぎ直す。

 

『ゼロディバイド!!』

 

先んじて動いたのはルドガーだ。円を描くように槍を振り回しながら先端から小さなエネルギー弾を放ち、ナイトメアの注意を引く。

変わらず気味の悪い、しかし先のダメージのせいかややくぐもった声を上げながら、ナイトメアはルドガーの方へと突進してきた。

着弾した黒弾はそこから細やかな霧を舞い散らし、仄暗い路地に淡く溶けて消える。

絶えずルドガーは黒弾を放ち続けるが、ナイトメアは身体を透過させて弾をすり抜け、どんどん距離を詰めてゆく。

 

『キャハヒハヒヒヒッ!!』

 

ぬいぐるみ型の口ががばり、大きく開くと、そこには齧歯(げっし)類のような鋭利な歯がずらりと並んでいた。

その牙を以ってルドガーを噛み砕かんとばかりに、いよいよ手を伸ばせば届きそうな距離にまで近づいた。しかしルドガーは一切恐怖することなく槍を二つの刃に分かち、

 

『────キリカ、今だ!!』

「了解だ! この時を待ってたよ!!」

 

ナイトメアのすぐ真後ろには、キリカが気配を殺しながらダッシュして接近していた。ルドガーの放った弾はナイトメアを攻撃するためのものではなく、キリカの接近を隠蔽する為のものだったのだ。

キリカは自身の持つ固有魔法───速度低下を最大出力でナイトメアに対して発動する。ナイトメアの牙はルドガーを噛み砕く寸前で緩慢になり、スローモーションとなった。

そこに、両者の刃を合わせた神速の一撃が炸裂した。

 

 

『「双砕牙!!」』

 

 

確かな手応えは握りしめたふた振りの刃に伝わるが、ナイトメアは未だダメージを認識できていない。それほどまでに速度が低下しているのだ。

 

『まだだ! うおぉぉぉぉっ!!』

 

骸殻に込められたエネルギーを解放し、全ての次元から隔絶された結界を紡ぐ。

錆びた色をした空に浮かぶは無数の歯車。時を刻む双針の音が木霊する空間では、一切の時間操作が無力化される。

ナイトメアはようやくキリカの遅延魔法から解放されるが既に遅い。すり抜けによって固有結界からの逃走に失敗したナイトメアには、もう逃げ場はなかった。

 

『終わりだ! はぁっ!!』

 

鍵の力を込めた破壊の槍(バドブレイカー)を撃ち込んでナイトメアを串刺しにし、畳み掛けるように懐へと跳び、(ふた)つに分かたれた刃を縦横無尽に交差させ───

 

 

 

 

 

『継牙・双針乱舞ッ!!』

 

 

 

 

 

その身を、粉々に斬り刻んだ。

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

魔獣の大量出現に伴い、旅館で防衛にあたっていた魔法少女達も迎撃体制へと切り替えていた。

前線に出過ぎず、ただ1箇所だけ異界化から取り残された旅館を中心に散開し、迫る魔獣達を打ち払ってゆく。

 

「─────っ、こいつらあとどんだけいるんだよ! まるでキリがねえぞ!」

 

杏子は悪態をつきながらも紅槍を打ち下ろして、もう何体目かにもなる魔獣の頭を叩き潰した。

魔獣1体毎の戦闘力は大したものではない。せいぜい普通の魔女よりも少し弱い程度であり、時歪の因子化した魔女達との戦闘を経験した身からすれば、倒すこと自体は容易ではある。しかしそれがあと何十、あるいは百数体と拡がっているのだ。

さらに、拡散攻撃を仕掛けても弱い攻撃は弾いてしまうようで、倒すにしても魔力を1点に集中して当てなければならない状況だった。

膨大な魔力を保有するほむらでさえ、矢一つ一つに魔力を多めに込めて放ち、同時に3体ずつ撃破するので手一杯だった。

 

「こいつら……いい加減にしなさいよ!」

 

敏捷さでは杏子と並ぶさやかは、器用に攻撃を回避しながら移動を繰り返し、凍気を込めた斬撃を放ち魔獣の首を一つずつ刎ね飛ばしてゆく。

ここには守るべき友だけではない、さやかの母もいるのだ。両の手に握り締めた剣にかけて、ここから先へは絶対に行かせない───その想いだけで魔獣の群れへと斬り込んでゆく。

 

「暁美さん! なにか奴らをいっぺんに倒せる方法はないの!?」

『…私の魔力を全て解放すれば、なんとか全部倒せると思うわ。でもそれじゃあ、ここいら一帯が焼け野原になってしまうけれど』

「……それじゃあ、その手は使えないわ、ねっ!!」

 

マスケット銃を両手に1挺ずつ握ったマミは、いつもの殲滅攻撃でも最終砲撃でもなく、1点に集中して狙撃するかのように、的確に魔獣の頭へと弾丸を撃ち込んでゆく。

魔獣からの攻撃が来ればリボンを建物に引っ掛けて立体的な動きをとり回避し、その慣性を利用して空を舞い、新たなマスケット銃を錬成して丁寧に魔獣を狙い撃つ。

その動きをフォローするようにほむらが空から弓を引き、2人合わせて360度をカバーしていた。

 

『ほむら! ナイトメアは倒したぞ!』

 

そこに、まず1体の強敵を撃破したルドガーからの念話が飛び込む。

 

「…それでも、この結界は解けていない。やはり魔獣を倒し切る他ないようね」

『俺達も魔獣の迎撃に移る! 絶対に諦めるな!』

「…ふふ知ってるでしょう? 私が、諦めが悪い女だって」

『はは、そうだった!』

 

ルドガーから新たにリンクの糸がほむらへと繋がれる。互いに絶対的な力を持つ者同士、その力を掛け合わせれば次元さえ斬り裂ける力へと昇華される程だ。

その力を練り上げ、増幅させる。

 

『虚無と永劫を交え──────』

「弾けて…潰せ!!」

 

ほむらが解放したエネルギーをルドガーがリンクを通じて調律し、そのエネルギーをほむらの持つ弓へと押し戻し、光の束へと変質させた。

 

「これで終わらせるっ!!」

 

その光の束を、全方位へと一気に射出する。

塊として解き放てば街全体を壊滅しかねないエネルギーを、調律によって矢の形に転換させたのだ。

その矢もひとつひとつが凄まじい威力を持ち、魔獣の頭へと直撃して消し炭へと化す程だった。

 

『グォォォォアァァァァ!!』

 

魔獣の断末魔があちこちから響き渡る。ほむらとルドガー、2人の力を掛け合わせた攻撃により、ようやく魔獣への有効打となり得た。

それでも上空から視認した様子だと、およそ3割程度の魔獣がまだ生き残っていた。

 

『…グフゥゥゥゥゥゥ………』

 

大幅に頭数を減らした魔獣の動きが、変わった。

ふらふらと大きな歩幅で直進していた魔獣達は足を止め、モザイク状のエネルギーの波紋が目まぐるしく明滅する。そして一斉に口を大きく開いた数十体の魔獣は─────

 

『グォギャオアォォッ!!』

 

電波障害の雑音のような咆哮を上げながら、口元から光線を吐いた。

 

「な……っ!?」

 

それは、ほむらだけが過去の時間軸で何度か目にしていた魔獣の攻撃パターンだった。

魔獣から放たれる光線は、巨大建造物を一撃で瓦礫へと化す程度の威力を持つ。その光線が、四方八方から旅館に向けて放たれたのだ。

ほむらは一瞬で旅館の真上にまで転移し、そこから全方位をカバーできるようなバリアを展開させた。

ズン!! と、ほむらのバリアに当たった光線は鈍い音を鳴らし、その衝撃で周辺を地震の如く揺らす。

 

「…あいつら、意地でもここを攻撃するつもり!?」

 

そうは言っても、絶えず放たれる光線を防ぐのに精一杯でほむらの動きは完全に封じられてしまっていた。

魔獣の突然の行動に、ルドガーを始め少女達も危機感が一気に高まる。散開して残るわずかな魔獣を叩こうと、それぞれが決死の攻撃を挑んでゆく。しかし影の街中に立ち並ぶ魔獣達は少女達など気にも止めず、1体ずつ撃破されてゆくにも拘らず、旅館への砲撃を継続する。

 

「ぐっ………何なの、こいつら!?」

『ほむら! 大丈夫か!?』

「…平気じゃないわ、ねっ…! でも、ここだけは絶対にやらせない!」

 

悪魔として覚醒したほむらでさえも、同時に数十体の魔獣からの攻撃を加えられ、少しずつ押されてゆくのを感じていた。

ほむらの張ったドーム状のバリアに、少しずつ亀裂が入ってきているのだ。

 

「……まど、かぁ…!」

 

これは、何だ。自分は今、悪い夢でも見ているのではないのだろうか。

ワルプルギスの夜を次元の狭間に幽閉して、永い輪廻の旅も終えて、ようやくまどかを守れたのに。

幸せに、なれたのに。

やっとの思いで掴んだ幸せが、魔獣などという存在に嬲られようとしている。

 

(……出力が、足りない。このままだとまどかが…!)

 

既に完成した"円環の理"という概念を崩した代償は大きかった。

本来ならば絶対に不可能である、過去の歴史へのアクセス。そして、ワルプルギスを封じ込める為に実行した次元の狭間への干渉。それを実現した代償として、今のほむらは理を司る悪魔でありながら、その力の大部分が失われている。

魔法少女とは比較にならない程の魔力を行使することはできるが、所詮はその程度。こうして魔獣からの集中砲火に晒されて身動きひとつできない。

十全ならば、防御壁を張りながら攻撃へと転じる事ができただろう。しかし今のほむらにはそれができないのだ。

仲間たちが魔獣を殲滅してくれる方が先か、防御壁を撃ち崩される方が先か───刻一刻と、均衡の崩壊が迫っていた。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

ほむらが張った防御壁の下にある旅館内では、女将や仲居達を含む、まどか達家族などの一般人が大広間に集まっていた。

強烈な地鳴りが度々旅館内へと響き渡り、恐怖心を煽り続ける。

突如として化け物の類に襲撃された事から来る困惑と慄きが、皆の動きを止めていたのだ。

ただ1人を除いては。

 

「───ほむらちゃん、逃げて!!」

 

どうした事か、まどかはほむらの置かれている状況を目で見るでもなく、感じ取っていた。

 

『……まどか…? あなた、どうして声が…きゃあっ!!』

「……う、ほむらちゃん!? 大丈夫!?」

『…契約未遂の影響、かしら…? だめよ、私が逃げたらあなた達が!』

「でも! …伝わって来るんだ。ほむらちゃんが傷付いてるのが。どうしてだかわからないけど…」

 

以前、記憶を共有したからか。それともほむらの中に、円環の理から剥ぎ取った力が在るからか。

ほむらが感じた痛みの一部が、まどかにまで伝搬していたのだ。

 

「まどか…?」

 

事情を知らぬ他人が見れば、独り言を叫んでいるようにしか見えないだろう。しかし、この場には詢子、知久…と、魔法の存在を目の当たりにした人間がいた。

 

「どうすればいいの……私、いっつも何もできない……ほむらちゃんを守りたいのに!」

 

いつしか、まどかは自分の無力さに泣き崩れ、その場に膝を折った。

魔獣は確実に個体数が減ってはいるが、それでもまだ大多数の個体が残っている。大幅な弱体化を受けたほむらの力では、防御壁を張り続けるのも次第に困難になってゆく。

少しずつ力が磨り減ってきている。その感覚さえも、まどかは感じていたのだ。

 

「………キュゥべえ…!」

 

契約さえすれば、この状況を打破できるのではないか。

 

「…出てきてよ、キュゥべえ! みんなを助けてよ!」

 

キュゥべえは、まどかから採れるエネルギーを執拗に狙っていた。まどかが呼びさえすれば、それこそ一瞬で駆けつけて応じただろう。

…しかし、キュゥべえはまどかの声に応じる事はなかった。

 

「ぐぅっ……!」

 

新たな痛みが、まどかに伝搬する。

絶対に退かない、というほむらの強い想いが伝搬する。

まどかから返せるものは、何もなかった。

 

『……泣いてるの? まどか…』

「ほむら、ちゃん…っ、わたし……!」

『…いいのよ。まどかが泣いてる事のほうが、よっぽど辛いから。今、ルドガー達が必死に戦ってくれてる。…それまでは、絶対にここを守るから』

 

もはや、言葉を紡ぐことすら難しい程にまどかは泣きじゃくっていた。

 

(…誰でもいい。誰か………誰か、助けてよ………!)

 

ワルプルギスの夜以来、一切姿を見せなかったキュゥべえは、この場においても姿を現すことはなかった。

この場には、ワルプルギスの夜を共に乗り越えた最強の魔法少女達が5人、そして骸殻を持つルドガーがいる。

では、それ以上の"何か"とは何だ。一体どうすればこの危機を乗り越える事ができるのか。

 

 

『──────力が、欲しい?』

 

ふと、まどかの脳裏にほむらのものではない声が届いた。

 

「誰…?」

『誰だっていいじゃない。力、欲しいの?』

「……うん。みんなを、守りたい……!」

 

あらゆる意味で混乱しきっていたまどかは、その声をまるで絶対的な存在であるかのように、聞き入っていた。

あるいは、その声には抗い難い力が込められていたのか。

何度目かの地鳴りがまどか達に襲いかかる。仲居達と、弟のタツヤの泣き声が耳に届く。

正体がわからないが、しかし、目の前に提示された命題に、誰よりも"守りたい"という渇望するまどかが縋りつくのは必然だった。

そうして、その声が自分そっくり(・・・・・・)であるという事にすら気付かずに、まどかは答えてしまった。

 

 

『うん、契約成立だね』

 

 

そうして、その"声"は無情にも告げる。

 

 

 

『──────ひひ、じゃあその身体ちょうだい?』

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

 

ドバン!! という破裂音が、空に舞うほむらの背後から響いた。

 

「……え?」

 

下を見下ろせば、旅館の屋根を突き破って巨大な光の柱が空に向かって伸びていた。

まるで流星のような速さで空に走る光は、ある一定の高度まで達した時点で拡散し、夜空に巨大な魔法陣を描き───そこから、無数の光の雨を降らせる。

その魔法陣は、ほむらが何度か使用した広範囲拡散型の攻撃術式と同じ紋様をしていた。違うのはそのサイズ。

魔法陣はほむらのものよりも遥かに広く膨れ上がり、降り注ぐ光弾の量も、質も、桁違いのものだった。

光の矢は空爆でも仕掛けたかのような勢いで魔獣へと突き刺さり、いとも容易く葬り去ってしまう。

 

『ほむら!?』

「さやか? ……これ、は…」

『あんたが撃ったの!? すごい…あんなにたくさんいた魔獣共が、あっという間に!』

「違う……これは…」

『えっ?』

「私じゃ、ない………!」

 

旅館の中からもうひとつ、凄まじい勢いで空へと何かが飛び出してきた。

夜空を泳ぐように舞い、残る魔獣に向けて、自分の身の丈よりも大きな弓に光を(つが)え、撃ち出す。

ただそれだけの単純な動作に込められた力は圧倒的で、ひとつの光から無数の矢へと拡散し、残る魔獣全ての頭へと的確に撃ち込まれていった。

 

「………まさか、まどか…なの……?」

 

魔獣の殲滅を確認するまでもなく、ふぅ、と軽くため息をついて弓を消し、ふわりと舞いながらゆっくりと高度を下げてきた。

ひとつひとつが絹糸のように艶やかな長い桃色の髪に、控えめな胸をやや強調するかのように谷間だけ空いたデザインのドレスと、周りに星が煌めいているかのように輝き、大きくはためくロングスカート。

その姿は、かつて何度かだけ目にした事のあるものだった。相違点は、ドレスの色が夜空に溶け込んでしまいそうな程に黒く染まり、白い肌をより扇情的に見せているところくらいか。

 

『やっと、逢えた…』

「まどか………?」

『───ひひ、てぃひひひひッ!! やっと、やっと逢えた! 私だけのほむらちゃん!!』

「……違う。あなた、誰なの!?」

『てぃひひひひっ! 違わないよぉ、私は私。ほむらちゃんが一番わかるでしょお?』

 

歓喜に満ちた表情の中には、軽い狂気のようなものも含まれているように思えた。そうして、"彼女"の狂気が逆流して伝搬してくる。

常人の神経なら焼き切れてしまいそうな程の、狂おしい程に重く、淫らで、純粋な想い───愛憎にも似た、何かか。

 

 

「……まどかに、何をしたの……ッ!!」

 

ほむらの背筋に悪寒が走る。あれは"まどか"ではない。なのに何故、こんなにも───

 

 

 

「答えなさい! 救済の魔女(鹿目まどか)ッ!!」

 

 

 

こんなにも、胸の中に締め付けられるような痛みを感じるのか。

 


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