誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

30 / 39
第30話「ごめんなさい、ママ」

1.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────深い、闇の中に堕ちてしまったかのように。

 

 

 

夥しい程の憎悪、身を引き千切られそうな程の悲嘆………この世のありとあらゆる負の感情に、絶望に蝕まれてゆく。侵されてゆく。

 

 

 

 

思い出せない。私には果たすべき約束があったはずなのに───

 

 

 

思い出せ。私はワタシ。では、"私"って─────"何"?

 

 

 

声が、聞きたい。

温もりを感じたい。

ここには"全て"が集まっている。けれど、"私"はどこまでも"独り"だ。

 

 

 

 

怖い。自分が何なのかすらわからない。ひとりは、怖い。助けて。

 

 

 

 

そう叫んでも、きっと音にすらなっていない。ここには全てがあるけれど、同時に何も"ない"のだろうから。

 

 

 

 

けれど、その名を呼び続ける。それはきっと、私がワタシである為に必要なもののはずだから。

 

 

 

 

 

 

だから、どうか──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

避難所として開放された体育館のホールからひとり抜け出たまどかを待っていたのは、やはりまどかが来ると判っていたキュゥべえだった。

窓から外を見れば横殴りの雨と落雷、さらに遥か遠方から響き渡る、嵐にあるまじき爆音。こんな状態で表に出ようなどと考えるものは、他に誰1人していない。

 

『やあ、君なら来るだろうと思ったよ』

「………キュゥべえ」

『さあ、ほむらの処へ案内するよ。でもあまり時間はないようだけどね。ワルプルギスの夜はどうやらこっちへ向かっているようだし』

 

既に、まどかの頭の中では、どのようにすればほむらを"本当の意味で救うことができる"のかという考えしかなかった。

確かに、この命と引き換えにすればほむらを蘇らせる事自体は可能なのだろう、と。

 

(………でも、それだけじゃダメだよ。だって…)

 

まどかはほむらの言葉を忘れた訳ではない。"もし契約をしたら心中する"とまで言っていたのだ。ただ助けるだけでは、救った事にはならない。

ならば、どのように願えば救えるのか。その方法はもう一歩でカタチになるところまで来ていた。

たとえ、それがどれだけほむらにとって残酷な方法だとしても。

 

「お願い、連れてって……!」

『わかったよ。さあ、行こうか』

 

白い獣の形をした悪魔の背中を追うように、まどかは階段を早足で降りて嵐の真っ只中の外へと向かおうとする。

その瞬間、突然まどかの腕を背後から何者かが掴んで、階段を降りるのを止めた。

 

「きゃっ!?」

「こんな嵐だってのに…どこに行こうってんだ? おい」

 

詢子の表情は不思議と怒っている風ではなく、どちらかと言うと呆れた顔をしている。

だが、掴まれた腕に伝わる力の強さが今の詢子の心情を表していた。

しかしそれでも、立ち止まる訳にはいかない、とまどかは詢子に面と向かい、言う。

 

 

「……離して、ママ。私、行かなきゃいけないの!」

「"ほむらちゃんのところ"にかい?」

「…うん。私じゃなきゃ、ダメなの。ほむらちゃんを助けられるのは私だけなの…!」

「く、あっははははは───参ったね、こりゃあ」

「…え?」

 

突如として笑い出した詢子の意図をいよいよ汲み取れず、決意で固まっていたはずのまどかの表情も不安に緩む。

 

「いや、何から何までほむらちゃんの言う通りだなってことだよ。朝イチで電話してきて何かと思えば、『まどかから目を離すな』だの、『私のところに来ようとするはず』だのまくしたててさぁ?

『だから絶対に行かせるな』そういう伝言を預かってんだよ。……『行かせたら、2度と帰ってこないから』ってな」

「…!?」

 

全て、見透かされていた。そのことにまどかは動揺を隠し切れず、冷や汗が頬を伝って落ちた。

ほむらは、過去に何十回もこういう場面に遭遇してきた。わかっていて当然なのだ。もしもの事があれば、約束を交わしていたとしてもまどかはきっと自らを犠牲にしようとする、と。

それを痛いほど識っていたから、ほむらは詢子に伝言を残したのだ。

 

「私が何も知らないと思ってたか、まどか」

 

心揺らぎ、涙目になるまどかに詢子は真剣な眼差しで揺さぶりをかける。

 

「あんたがほむらちゃんの事を大好きだってのは、とっくに知ってんだ。それも"友達として"じゃなくて"特別な娘"として、な。そのほむらちゃんが言ったんだぞ? 『来るな』って。それでも行くのか。大好きだから、愛してるから?」

「……そうだよ。私は、ほむらちゃんの事が好きなの! 私が行かなきゃほむらちゃんが死んじゃう…そんなの、イヤだよぉ………!」

「……ったく」

 

ぴしゃり、と乾いた音が響いた。泣きじゃくり訴えかけるまどかの頬を、詢子が(はた)いたのだ。

一瞬、何をされたのかわからなかったまどかが怯えた風に見返すと、詢子はまどかに対しては殆ど向けたことのない感情───怒りを露わにしていた。

 

「……あんた、ほむらちゃんの為なら命まで捨てようって顔してんな。好きな娘の為に命張る。そりゃあいい、実に立派だよ。…けどなぁ、それで残される奴らの事を考えたことがあるのか!?」

「ひっ、ま…ママ…?」

「あんただって私らにとって大切な家族の一員なんだ! それを、帰ってこないとわかってて、1人ぼっちで行かせる奴があるかよ!?

テメェ1人の命じゃねえんだ! あんたがそうやって勝手に命張って、それで本当に帰って来なかったら、私らが悲しむなんてこれっぽっちも思いもしなかったのかよ!?」

「わかってるよ! でも、こうするしかないの! ほむらちゃんを助けるだけじゃない。あの魔女を倒せるのも私しかいないの! だから行かせてよ……!」

「いいや解ってないね! だったら! もし私が…いいや、ほむらちゃんが死ねばあんたが生き返るって言われて、本当にそうなったら───あんた、どんな気持ちになるよ…?」

「…………あ、っ……」

 

まどかは、考える。詢子の言ったソレは、まさにこれから自分が行おうとしていることだ。もしも自分なら──────

 

「私だったらさ、まどか」

 

詢子はぼろぼろと涙するまどかに対し、優しく告げた。

 

「…そんな風にされて助かったって、罪悪感で胸がいっぱいになっちまうよ。なんで私なんかが生きてんだろう、ってね。大事な人の命を使ってまで助かろうだなんて思えるわけがない。ましてやそれが好きな娘の命だったら尚更だ。ほむらちゃんだって同じ事を言ったんじゃあないのかい?」

「………そう、だよ…」

「私が、どうしてあんた達の関係について何も言わなかったのか、わかるか?」

「………ううん…」

「私が、ほむらちゃんの事を信じたからだよ。性別なんざ関係ない。あの娘ならあんたを任せられる、そう思ったからだ。

ほむらちゃんは、私にとっても大事な娘のひとりなんだよ。あんただけじゃない。ほむらちゃんの事だって放っておけるわけないだろ?」

「…………ママ…?」

 

いまいち、詢子の言わんとしている意図が汲めずにまどかの表情に不安さが浮かぶ。

詢子はそんなまどかに対してではなく───まどかが駆け下りようとした階段の下にいる"何か"に対して叫んだ。

 

「───おい、そこの白いウサギみたいなの!」

『!? これは驚いた。君は僕が視えるのかい?』表情のない筈のキュゥべえの顔が、一瞬だけ驚愕したように見えた。

『…いや、君からは"素質"は感じられない。すると、ワルプルギスの夜の影響がここまで?』

「その言い草だと、まるで視えちゃあいけないみたいじゃないの。成る程、オマエがうちの娘を騙くらかそうとしてたわけだ」

『人聞きが悪いなぁ、僕は別に騙したわけじゃあないよ。ただ、君たちが化け物と呼んでいる"ワルプルギスの夜"を倒せるのは、まどかしかいない…という事実を伝えただけだよ』

「涼しい顔してガキを最前線に立たせようだなんて───とんだクズだな、あん?」

 

詢子は掴んでいたまどかの腕を解放したかと思えば、階段を下りてキュゥべえの目の前にまで近づき、さらに言った。

 

「さて、私の大事な義娘(むすめ)のとこまで案内してもらおうかい」

『……? 君の娘なら、後ろにいるじゃないかい』

「バカ、ほむらちゃんの事に決まってんだろ。ほむらちゃんは将来我が家に嫁入りするんだから。それに、私の娘達をあの化け物と戦わせようってんだ。つまり、あそこまでは私らが安全に近づける道をあんたは知ってる。違うかい?」

『…まどか1人ならば、ね。君もついて来るとなると100%の安全は保障できないよ?』

「わかってるじゃないの。そうと決まったらほら、歩け」

『きゅっぷい』

 

もとより、ほむらから言伝を頼まれた時点で詢子には只ならぬ予感があった。

ほむらは"後から必ず行く"と詢子に言い残したが、そのほむら自身が帰ってこなさそうな気がしていたのだ。

そもそも、2人は出逢ってまだひと月も経っていないと訊く。にも関わらず、遥か昔からまどかの事を知っていたような口ぶり。そして、まるであの化け物が現れるのを知っていたかのような電話先での会話。

ニュースページで化け物の出現を知った時に、詢子の中であやふやな形をしていた予感がようやく固まったのだ。

 

「待って、ママ。…ママが行くなら、私も行く。止めてもついてくから」

「……まったく。あんたのその頑固なとこ、誰に似たんだろうねぇ? いいかいまどか、くれぐれも馬鹿なことは考えるんじゃないよ。家族みんなで一緒に帰って来るんだ」

 

涙を服の袖口で拭いながらこくり、と頷き、まどかも階段を駆け下りてゆく。

それを確認したのちに、キュゥべえはいよいよ暴風吹き荒れる戦場までの道程を先導して歩き出した。

 

 

 

(………ごめんなさい、ママ)

 

まどかは内心で、やや俯きながら赦しを乞うように考える。

 

(もう、どうすれば誰も悲しまないか思いついたの。ほむらちゃんやみんなが無事ならそれでいい。けれど、もしもの事があったら………)

 

それは、かつてほむらから聞かされた"円環の理の世界"───"鹿目まどか"が存在しない世界の話が大きなヒントとなっていた。

魔女を消し去り、なおかつほむらを傷つけない為にはどうすれば良いのかを、まどかは既に考えついていたのだった。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

100%、或いはそれ以上の力を解放した証でもあるフル骸殻に身を包んだルドガーの心は、怒りや闘志を抱きながらも不思議と落ち着いていた。

暴風によって荒らされその4割ほどが原型を留めていないビル街を見渡し、それから、今もなお猛威を振るいながら市内へと向けて進行してゆくワルプルギスの夜を見る。

距離にして1キロメートル以上先に移動していたワルプルギスの夜目掛けて空間跳躍を行い、負傷した魔法少女達の眼前から消えたかと思えば、瞬時にワルプルギスのすぐ手前まで跳んでいだ。

 

『─────ヘクセンチア!!』

 

隙間から白い光を放つ黒い槍を勢いよく大地に穿つと、ワルプルギスの頭上から黒い光弾が稲妻のような波紋を帯びながら降り注いだ。

 

『ギ、ァハハハッ!!』

 

光弾をその身に浴びたワルプルギスは、ようやく自らの歩みを止めるだけの相手を見つけたと言わんばかりに進行を停め、巨大な擬眼で舐めるように地表のルドガーを見た。

ワルプルギスがひと度吼えると、その周囲には先程までとは形状の異なる、蝶のような羽根を生やした白い妖精のような使い魔が一瞬にして視界を塞ぐほどに湧き出た。

妖精の使い魔はルドガー目掛けて四方八方から、目まぐるしく瞬く光を鱗粉のように放ちながら近づいてくる。その内のごく何体かは、不恰好ながらも小さな弓矢を携えているようにも見えた。

 

『あの姿は…!?』

 

その姿に一瞬、ルドガーの注意が惹きつけられる。

あの禍々しい見た目にまで変質したワルプルギスから生まれた妖精の使い魔の姿はそれに似つかわしくなく、感じる魔力の残滓は以前にも感じたことがあったものだからだ。

 

 

『─────ジ・エンド!!』

 

空いた方の手で拳を作り、地面に叩きつけて衝撃波を放ち、地表を抉り取りながら妖精の使い魔を薙ぎ祓ってゆく。

しかしいくら倒しても次々と湧き出る使い魔を見て埒があかないと判断したルドガーは、再度衝撃波を前方に放ち、使い魔の群れから少しだけ下がり距離を置いた。

 

『………あの使い魔、何かが違う……何だ? ん…』

 

ふと後ろを振り返って見ると、瓦礫の山を乗り越え、ぼろぼろの姿のままルドガーのすぐ後ろまで少女達が駆けつけていた。

霧雨に打たれ、攻撃の余波で怪我を負いながらも、ルドガーが戦う姿を見て浮かびかけた絶望感を追い払ったのだ。

 

『みんな……怪我は、平気なのか?』

「……ふふ、君独りでなんて行かせられないよ」

 

と真っ先に返事をしたキリカも、額から血を流しながらも笑顔を繕っていた。

マミ、さやか、杏子もそれぞれ怪我を最小限の自己治癒で留め、1度は消えかけた戦意を取り戻して武器を構えている。

 

「使い魔は私達に任せて。ルドガーさんには指一本触れさせないわ」

『…そのことなんだけど、マミ。少しだけ待ってくれ』

「……?」

『キュゥべえ! いるんだろう、出てこい!』

『呼んだかい?』

 

ルドガーが虚空に向かってぞんざいに叫ぶと、やはり間髪置かずにキュゥべえの声が脳内に響き、それから数秒遅れて、もはや見慣れた小動物の姿でルドガー達のすぐ近くに現れた。

 

『あの使い魔の魔力のパターンを調べられるか?』

『少し時間がかかるけれど可能だよ。でも、一体なぜそんな事を?』

『……俺の感覚が当たってれば、あの使い魔はどこかで会った事があるかもしれない』

『なるほど、それを調べて欲しいんだね。わかったよ』

『頼んだぞ。みんなは使い魔を! 俺はもう一度奴を叩く!』

「今度は私も行くよ、ルドガー。君は私が守る」

 

闘志を燃やし魔力を増幅させ、キリカの白銀の鉤爪は血を吸ったかのような紅色へと変化して、熱を帯びた。

リンクの糸を結び直すと、ルドガーはキリカの腰回りを抱えてキリカごと空間跳躍を行い、使い魔の群れの奥、ワルプルギスの足元へと一気に飛び込んだ。

 

「ふふっ」

『どうした、キリカ?」

「いやなに、君が私を頼ってくれるのが嬉しくてね」

『…あまり喜んでる余裕はないと思うぞ。はぁぁぁっ!!』

 

槍の鉾先に炎を纏わせながら、骸殻によって強化された脚力で空高く飛び上がり、それに続いてキリカも魔力で補助しながら共に飛び上がる。

 

「「スカーレット・ファング!!」」

 

深紅の爪刃と炎の槍が交差し、灼熱の波紋を放ちながらワルプルギスの胴体を斬りつけ、焦がしてゆく。

素早く懐に潜り込まれて不意を突かれたワルプルギスの夜は軽く怯み、身じろぎをして2人を追い払おうとするが、いち早く動きを察したルドガーは再びキリカを抱え、空を蹴って更に1段高く飛び上がる。

抱えられながらもキリカは減速魔法を発動させてワルプルギスの足止めを試みるが、さして効果があるようには感じられず、せいぜい舞い飛ぶ火の粉の勢いが緩慢になった程度だった。

 

「…だめだね、やっぱり奴には私の魔法は効かないよ」

『予想はしてたけどな…なら、直接叩く!』

 

飛び上がった先は、擬眼を開いたワルプルギスの顔の真正面だ。

擬眼の動きはやや遅く、姿を捉えた頃には既にルドガーは槍を構え、眼球目掛けて投げ込む直前だった。

 

『喰らえ!』

 

擬眼がルドガーと正対すると同時に、その生々しい瞳孔の中央に光の槍が撃ち込まれる。

 

『ギ、ァァァァァァッ!?』

 

パン! と派手な音を立てて擬眼が破裂し、そこからどろりとした赤黒い血のような液体が、蒸気を巻き上げながら勢い良く吹き溢れた。

何百度かはありそうなその液体を避けながら即座に急降下し、上を見上げるとワルプルギスの夜はバランスを失いかけたように大きくよろめく。

それと同時にワルプルギスの背中へと移動していた歯車型の装置が小刻みに回転を始め、周囲の空間が僅かに歪む。

 

『やらせるものか! うぉぉぉぉぉっ!!』

 

時の巻き戻し(タイム・エセンティア)に唯一対抗することができるもの───オリジンの力の一端、"鍵の力"を内包した骸殻のエネルギーを解放し、ゆうに数十メートルはあろうワルプルギスの巨体ごと周囲の空間を飲み込むように固有結界を発動させた。

一切の時の流れから遮断されたその空間の中では、キリカも、そしてワルプルギスさえも、時を操ることを赦されない。

 

『─────────ァァァァァァァァァ!!』

 

 

発動させようとしていた術式が中断させられ、血の涙を単眼から吹き溢しながらワルプルギスの夜は金属を雑に引っ掻いたような甲高い悲鳴を上げた。

ルドガーは顔すら覆う骸殻に耳を守られているのか、全く動じることはない。

 

「ひっ!?」

 

だが隣に立つキリカは、鉤爪を持った両手で咄嗟に耳を塞ぐ事は叶わず、直にその不快音を聴いてしまい、背筋が震え足の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。

 

『キリカ、大丈夫か!?』

「も、問題ないよ! それより早く、あいつを!!」

『…わかった。今度こそ終わらせる!』

 

悲鳴を上げながら僅かに高度を落としたワルプルギスのすぐ近くにまで跳び、無数の槍を投擲して追い打ちをかける。

それらが着弾するのを待たずに、ルドガーはさらに顔の真正面へと転移し、今度は刺突ではなく槍を分かち、時を刻む双針の連撃を浴びせる。

 

 

『うぉぉぉぉぁぁぁぁっ!! 継牙・双針乱舞ッ!!』

 

 

双針をひとつに戻すと共に持てる力を全て込め、時を打ち砕く最後の一撃を振り下ろした。

ワルプルギスの夜はもはや声を上げる事すら叶わず、変化が著しかった顔面は破裂音と共に粉々に吹き飛ばされ、ついに落下を始める。

同時にフル骸殻も一旦の限界を迎え、固有結界と共に解除されていった。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

固有結界が解けると同時に、揚力を欠いたワルプルギスの巨体が荒れた地表に落下し、地響きを鳴らした。

暴風はゆっくりと勢いを落としてゆき、代わりに暗雲から大粒の雨が降り注ぎ、帰還したルドガーの肩を打つ。

硝煙と、生々しい血の匂いと、湿気を含んだ土の匂いが風に乗って鼻孔をくすぐる。

それでもなお、ワルプルギスの背中の歯車は未だ緩やかに廻っており、ソレの息がまだあることを指していた。

 

「………あれでも、倒せなかったのか…!」

 

吹き飛んだワルプルギスの首元から肉の塊のような醜い"何か"が盛り上がり、ぐちゅぐちゅと不快な音を立てながら顔のような形へと変化してゆく。

原型は留めてこそいないが、半溶けの頭にぎょろりと覗く歪な瞳が再び現れ、半月型の口元も新たに鮫のような鋭い牙がびっしりと並び、獰猛さを増したようにも見えた。

 

『グォアァァァァァァッ!!』

 

獣のような咆哮を上げると、ドレスの袖口から覗く長い両腕を前脚のように使い、下半身を引き摺りながらゆっくりと立ち上がった。

おぞましくも何度でも蘇るその姿を見ながら、ルドガーはほむらとの作戦会議で聞いた情報を思い返す。

 

「…ワルプルギスの夜は、魔女の集合体。あの程度の傷なら、時間を操らなくても再生できるってことか」

 

顔面を潰したことで深手を負わせることはできたようだが、やはり"核"となる部分を完全に破壊しない限り意味がない。

ならば次こそ、と剣を構えるルドガーのすぐ横にキュゥべえが近寄り、語りかけてきた。

 

『君達がほむらの家でどんな会話をしていたのか、その詳細を知ることはできなかったけれど、大体の察しはつくよ』

「キュゥべえ…! 使い魔の調査は済んだのか」

『ああ、そのことなんだけれどねルドガー。…ほむらは恐らく、"ワルプルギスの夜は他の魔女を取り込む性質がある"という仮説を立てたんじゃあないかな』

「…そうだ。その結果が、アレなんだろ?」

『そうだね、その仮説は大体合っているよ。訂正する部分がない程度にはね。そして先程の使い魔の波長なんだけれど、これには僕達も驚いたよ』

「…なんだ。早く言ってくれ」

『いいだろう。結論から言うとだね……』

 

キュゥべえはその先を言う前に、念話の範囲をルドガーだけでなく、周囲の魔法少女達全員にまで拡げ、ひと呼吸置いてから、

 

 

 

『…………あの使い魔は、暁美ほむらの魔力と全く同じ波長だったんだよ』

 

 

 

と、珍しく息を呑みながら答えた。

 

「………どういう事だ、キュゥべえ!?」

『思い出してごらんよ。そもそもほむらのソウル…いや、ダークオーブは、限りなく魔女に近い性質を持った魂の結晶だ。その強固さも、今まで観察した結果から言うと、ソウルジェムとはまるで比べ物にならない。

無限の魔力と、異常な程の硬質性。エネルギーが全く抽出できないことが残念だけど、それを除けば間違いなく理想的な代物だよ。

そして仮に、魔女を取り込む性質を持つワルプルギスの夜が、ほむらのダークオーブを取り込んでしまったとしたら?』

「そんな…そんな馬鹿な話があるか!!」

『残念ながら事実だよ。今、ワルプルギスの夜が顔を再生する時、ダークオーブと同じエネルギーの波長を感知した。あの再生力も、ダークオーブの性質によるものかもしれない。

そうだね。部位にして、ちょうど人間でいう"心臓"の位置から特に強く感じるよ』

「…………そんな、ことって…」

 

ルドガーは今度こそ、剣を持つ手の力が抜け落ちそうになった。運命に抗う為に戦い続けた相手に取り込まれるなど、これならソウルジェムを砕かれた方が余程マシではないのか。

キュゥべえの会話を聞き、固有結界から帰還した2人のもとへようやく少女達が駆けつけ、開口一番杏子がキュゥべえに怒鳴り散らした。

 

「おいキュゥべえ!! デタラメ言ってんじゃねえぞ!?」

『僕は嘘はつかないよ。それに、この身体の替えは幾らでも効くけれど僕に八つ当たりしたところで事態は変わらない。違うかい?』

「テメェ………!」

『安心しなよ。ここにもうすぐ強力な助っ人が着く頃だ。きっと、彼女ならこの最悪の事態も、ごく簡単に片付けられるよ』

「助っ人だぁ……? まさか、テメェ!」

 

杏子はいち早くキュゥべえの意図を察したのか、キュゥべえの首元を乱暴に掴んで締め上げながら怒鳴った。

しかしキュゥべえはそんな杏子の行動すらも意に介さない様子で、表情を見せずにさらに続ける。

 

 

 

『─────その通りさ。もうすぐ、ここへ鹿目まどかがやってくる』

 

 

 

瞬間、キュゥべえの首がぼきり、と嫌な音を立てて捻り上げられ、だらりと力なく首をもたげた。

 

「まどかを呼びやがったのか…ふざけやがって! おいマミ!」

「わかってるわ! ワルプルギスはここで食い止める。鹿目さんに契約なんかさせないわ!」

「…あたしは、まどかを探してきます! ほむらと約束したんだ、"まどかを守る"って!」

 

3人の少女は咄嗟に各々の役割を理解し、その中からさやかが後ろに戻ってまどかを探しに向かい、残る4人で獰猛な獣のように変質したワルプルギスの夜と対峙する。

 

『俺は、諦めない。まどかにも契約なんて絶対にさせない。……約束したから、な。"何があっても守る"って』

 

ルドガーは再び2つの懐中時計を空に掲げ、眩い光を放ちながら、歯車の鎧に身を包んだ。

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

『さあ急いで、ほむらはこの先にいるよ!』

 

 

 

ルドガー達が未だワルプルギスの夜と交戦していた頃、まどかと詢子はキュゥべえに誘導されて、比較的安全な道を選びながら戦地へと向かい駆けていた。

少し弱く、土埃の匂いを含んだ雨にじっとりと打たれながらも、ようやく滅茶苦茶に破壊されたビル街へと差し掛かった。遠目からもはっきりと単眼を開いたワルプルギスの異形を見てとれる。

 

「…なんだ、ありゃあ……マジの化けモンじゃないかい」

「あれ…ワルプルギスの夜、なの……?」

 

インターネットの写真で見た姿よりも更に変貌した、空に舞う醜悪なその姿に詢子は不快感を抱き、対するまどかは、ごく単純に"恐ろしい"と感じてしまう。

皆は、"アレ"に対して命を賭けて戦っているのだ。

 

『─────────!!』

 

遠くから、甲高い叫び声が響いた。ワルプルギスの夜の顔から紅い血のようなものが吹き出し、悲鳴を上げたのだ。

よく眼を凝らすと、長い光の槍を携え、黒い鎧に全身を包む何者かがワルプルギスへと攻撃を仕掛けているのがわかった。

そして、その鎧の形にはまどかも見憶えがあった。

 

「ルドガーさん……!?」

『彼は本当に大したものだよ。1度は心停止にまで追い込まれたというのに、あのワルプルギスと互角に渡り合っているんだから。

それより急いでまどか! 早くしないと手遅れになるかもしれない!』

「…うん!」

 

次第に酷くなる瓦礫の中を突き抜けてゆくと、突如ぽっかりとクレーターのように少し陥没した場所にまで辿り着いた。

そこから数十メートル程先には宙でバランスを崩しかけるワルプルギスの夜と、使い魔を撃退している少女達の姿が見える。

 

『…まどか、ほむらはここだよ』

「!」

 

キュゥべえの声が、少し弱々しく聴こえた。

その声を辿ると、瓦礫の山の端の方に寝かされたほむらの姿があった。

 

「ほむらちゃん! やっぱり怪我して…!?」

 

駆け寄りながらも、まどかは違和感を感じた。力なく横たわるほむらの姿からは、なんとなく生気が感じられないように見えたからだ。

詢子と共に駆けつけ、スカートが泥に汚れるのも構わずにほむらの手を取ろうとして、

 

「……………えっ、?」

 

そうして初めて、まどかは胸に浮かんだ違和感の正体に気付いた。

 

「……………ほむら、ちゃん?」

 

ソウルジェムを宿した左腕が、肘から先が無くなっていることに。

握り締めた右手が、熱を失い始めていることに。

そして、本当に悲しい時には、声を上げる事すら出来ないのだという事に。

 

「………おい、答えろ白いの。これはどういう事だよ?」

 

詢子も、目の前の痛々しい有り様から目を背けたくなる気持ちを抑えながら、キュゥべえに詰め寄る。

 

『非常に残念だよ。彼女はとても勇敢に戦った。けれど、"ワルプルギスの夜"の前には力及ばなかったんだ』

「私が訊いてんのはそういう事じゃない! "これ"は! どういう事だって言ってんだ!」

『そうだね。今、彼女の身体は機能していない。"ソウルジェム"という、彼女の魂を宿した結晶が失われてしまっているからね』

 

成る程、と詢子はようやく気付いた。目の前にいる生き物の姿をした"何か"には、生き物らしい感情が欠落している(・・・・・・・・・・・・・・・)のだ。

だからこそ、涼しい顔をして少女達をあのような化け物の所に送り出せる。目の前で少女1人が事切れていても、顔色ひとつ変えずにいられるのだ、と。

まどかはなおも無言で、大粒の涙を流しながらほむらの身体を揺さぶり、縋りついているというのに。

 

『─────でも、まだ間に合うかもしれない。そう、まどか。君がいればね』

 

キュゥべえの声に、まどかはゆっくりと顔を上げてその先を聴こうとした。

 

「わたしは……どうすればいいの…?」

『いいかいまどか、落ち着いて聞くんだ。さっき、ルドガーに頼まれて今のワルプルギスの夜の魔力のパターンを調査したんだ。そうしたら大変な事がわかったんだよ』

「………なにが、わかったの」

『ワルプルギスの夜が今さっき呼び出した"あの使い魔は、暁美ほむらの魔力と全く同じ波長だったんだよ"』

「……どういうこと…?」

『ほむらのソウルジェムは、限りなく魔女に近い性質を持ったものだ。恐らく、魔女を取り込む性質を持つワルプルギスの夜に取り込まれているのかもしれない。でもまだ同化は不完全なようなんだ。魂さえ取り戻せばまだ可能性はある。つまり、君の力なら、ほむらを助けられるかもしれないんだよ!』

「わたしの…力で…」

『そうだ。君じゃなきゃダメなんだよ。だからまどか───僕と契約して、魔法少女になってよ!』

 

ついに放たれた、悪魔の囁き───"契約"という、常套句。

普段のまどかならば、当然きっぱりと断ることができただろう。しかしまどかは、自分の全てを投げ打ってでもほむらを救う為に、ここまで来たのだ。

 

「………わかった。契約、するよ」

 

揺らいでいた決意は、眼前にある想い人の亡骸を見た瞬間に、既に固まっていた。

 

「待て、まどか! "契約"ってなんなんだい! …まさか、あんたの言ってた事ってこれのことなのか!?」

 

詢子は今からまどかがしようとしている事を直感的に感じたようで、慌てて止めに入る。

しかし答えたのはまどかではなく、

 

『そうさ。僕と契約すれば、魔法少女となってひとつだけ願いを叶えることが出来る。叶えられる範囲は個人差があるけれど、まどかの素質ならば、もはや何だって叶える事ができるんだ!』

「ふざけんな! そんな都合の良すぎる話があるわけないだろう! 言え、代わりにウチの娘から何を奪うつもりだ!?」

『一言でいえば、"魂"かな』

「…………は?」

『思春期の少女の感情の揺らぎは、途轍もないエネルギーを生み出すんだ。その希望から絶望へと転移する瞬間の感情エネルギー、それを集めるのが僕の仕事なのさ。

そして魔法少女の性質が絶望へと完全に転移すれば───ああいう"魔女"と呼ばれる存在へと変わる。

君も承知の筈だよ、まどか。本当にいいんだね?』

 

突飛な話であるが大雑把に理解した詢子は、自らの命を投げ打ってまで願いを叶えようとするまどかの肩を掴み、やめさせようとする。

 

「……やめろ。こんな事、ほむらちゃんだって望むわけがないだろ!?」

「…ごめんね、ママ。初めて好きになった人なの。ほむらちゃんと出逢って、私は変われたと思う。……だから、今度は私が、ほむらちゃんを助けるんだ。

それに、私だってただキュゥべえに魂をあげちゃうわけじゃない。…ちゃんと、みんなに迷惑かけないようにするから」

「………まどか…!」

 

どうしてこんな最悪の状況で、自分自身の命すらかかっているのに、そんな風に優しく微笑む事が出来るのか。ほむらを亡くして、本当に心が壊れてしまったのではないか? と、詢子はまどかの笑顔を見てぞくり、と背筋を震わせた。

そんな詢子の手を振りほどき、まどかはキュゥべえと正対するように立つ。

一字一句間違えないように、ずっと考えてきた"願い"を交わす為に、ほむらの願いだけではない、自分の心すらもズタズタにしてしまうだろうその言葉を、口にした。

 

 

 

「私の願い、は……ほむらちゃんを"鹿目まどか"と出逢う前まで戻して、生き返らせる事。…私の事を憶えてる限り、きっとほむらちゃんは悲しむと思う。だから………私の事を忘れて、幸せになってほしい」

『それが、君の願いなんだね?』

「…………うん!」

『君の願いはエントロピーを凌駕した! さあ、契約成立だ!』

 

 

 

キュゥべえの長い両耳に備わっているリング状の物質が光輝き出すと、それに呼応してまどかの身体も暖かな桃色の光に包まれ出した。

契約の成立。次に待つのは、魂の抽出、再構成。

元来、莫大な因果を備えたまどかから放たれる光は、優しい光の筈なのに目も眩む程に強く輝いていた。

そして、その輝きの中央にいるまどかの表情は苦悶に歪む。

 

『………すごいよ。これだけの素質を持った少女は他にいない!』

「う…っ、あぁぁぁぁぁぁっ!!」

『力の反発に苦しんでいるようだね。魂の再構成に少し時間がかかるけれど、安心するといい。それさえ済めばその痛みは綺麗になくなる──────きゅぶ!?』

 

突然、まどかの目の前にいたキュゥべえの身体が綺麗な横一文字に分かたれ、血飛沫を上げながら倒れた。

 

「………させない! あんたの好き勝手になんて!」

 

ワルプルギスの元から駆けつけたさやかが、咄嗟に距離を無視した斬撃を放ち、9メートル程後方からキュゥべえを斬り裂いたのだ。

そのまま加速術式を使って距離を一気に詰め、光を突っ切ってまどかの身体を掴む。

 

「……さやか、ちゃん…?」

「そんな、どうして!? キュゥべえは潰したのに、なんで契約が止まらないのよ!?」

『──────言っただろう? この身体は幾らでも替えが効く、ってね』

「キュゥべえ、あんたまた!」

 

焦るさやかを小馬鹿にするように、キュゥべえはさやかのすぐ後ろに立ち、旧い個体の亡骸を食していた。

すぐさまその個体に対しても斬撃を飛ばし両断するが、2秒もすれば新たな個体が現れ、増えた亡骸の回収を続行する。

 

『どうやっても契約は止められないよ。こんなに時間がかかる例も過去になかったけれど、間も無く魂の抽出が完了する。そうすればあっという間さ』

「うるさい、うるさい! 今ここでまどかが契約したらほむらのやってきた事が全部無駄になるんだ!

何のためにほむらは命懸けで戦ったと思ってんだ! あんたを守る為でしょーが! まどか!!」

「……ごめんね。でも、もう大丈夫だから。もうほむらちゃんは、苦しまなくて済む筈だから…」

 

まどかの胸元に、一際強い桃色の光が集約し、カタチを作ろうとしていた。

実際に契約を交わしてまだ日が浅いものの、さやかには痛いほどよくわかる。間も無くまどかの魂は、ソウルジェムとして再構成されようとしているのだ。

圧倒的な魔力の奔流が魂の輝きから放たれ、まどかの身体にもいち早く変化をもたらす。瞳の色は全てを見通す金色へと変わり、リボンの解けた髪は毛先が地に付きそうなくらい一気に長さを増した。

 

「…やめろ、止まれ、止まれ! 止まってよぉ! どうして! あと少しであいつを倒せそうなのに!」

 

涙を流し、怒りと悲しみに叫びながらまどかの身体を揺さぶるが、どう足掻いても光は収まらなかった。

 

「…お願い、誰か助けてよ…! まどかを止めてよ! こんなの…あんまりだよ…!!」

 

親友との約束を守れず、今また親友をひとり失おうとしている。

さやかにはわかっているのだ。まどかが契約し、魔女になれば世界が滅ぶ。しかしまどかがそれを望む筈が無い。ならば契約した後に何をしようとするのかを。

自害。願いでほむらを救い、すぐにワルプルギスを撃破する。そしてソウルジェムが反動で転移してしまう前に、まどかはきっと自らの魂を破壊するのだろう。

冗談ではない。それで助けられた所で、何も救った事にはならない。ほむらの願いを裏切った事には変わりない。永遠に拭えない後味の悪さが遺るだけだ。

 

『さあ、間も無く完了だ!』

 

白い悪魔が嘲笑うかのように高らかに告げる。極論、インキュベーターからしたらまどか1人からエネルギーさえ取れればそれで事足りてしまうのだろう。

感情のない生物の筈なのに、心なしか歓喜に満ちているようにも見える。どちらにせよ、不快極まりない事には変わりないが。

長い両耳をまどかの方へと伸ばし、朧げに浮かぶ魂の輝きを加工しようと一歩、また一歩近づいた時──────

 

 

 

 

『─────調子に乗るな、インキュベーター!!』

 

 

 

その声は、凛として力強く木霊した。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

地に深々と穿たれたのは、空高くから降り注いできた1本の光の槍だった。

その槍はインキュベーターの身体を綺麗に貫き、地に繋ぎ止め動きを封じていた。

 

『きゅ、こ…この槍は、ルドガー…かい。無駄だよ、こんな事をしたって─────』

 

無意味だ。そう言おうとしたが、それは叶わなかった。

突き刺さった槍から歯車状の光の波紋が拡がり、分体を呼び出そうとしたキュゥべえを更に苦しめる。

 

『ぐ、あぁぁっ!? なんだ、これは!? 力が出ない! この個体だけじゃ、ない…!? 僕達の"概念"そのものが、この槍で! ルドガー! 僕に何をした!?』

『………それが、お前の知りたがっていた"クルスニクの鍵"の力だ』

 

フル骸殻を纏い駆けつけたルドガーが、ゆっくりとキュゥべえに歩み寄り、言う。

今キュゥべえに突き刺さっている槍は特殊なもので、かつてビズリーがエルを騙し、エルの中の鍵の力を具現化させて、クロノスに対して放ったものと同一だった。

鍵の槍はクロノスの時間操作を阻害し、完璧に無力化していた。ならば、概念であるインキュベーターにも有効なのではないか、と一か八か槍を放ったのだ。

そしてその結果は、すぐに現れた。

 

「まどか!!」

 

まどかを包んでいた桃色の光は綺麗に霧散し、浮かびかけていた魂の輝きもなくなった。髪は長いままで戻っていないが、金色へと変化した瞳の色はもとの色へと戻っていた。

インキュベーターという概念そのものが鍵の力で束縛された事で、契約が強制的に中断させられたのだ。

脱力し膝から崩れ落ちるまどかを詢子が抱きとめ、その命の輝きが失われていない事を確かめ、一先ずの安堵をした。

 

「…この、バカ! みんなに心配かけて!!」

「………ママ…」

「こうやって、あんたを守ろうとしてくれてる人がいっぱいいるんじゃないか! あんたのやろうとした事はそれを裏切る事だって、どうして解らない!?」

「お母さんの言う通りだよ、まどか」

「さやかちゃんも……」

 

普段はまどかに対しては怒ることなど絶対にないさやかさえも、今の行動には憤りを感じていた。

もはやこれは、まどかとほむらの2人だけの問題では無くなっているのだ。

 

「………次は、ないよ。ほむらにやらせるまでもない。これでもまだ契約しようとするなら、あたしが……!」

 

それだけ言うと、さやかは詢子を手伝いまどかを抱えて、より安全な場所へと移ろうとした。そこに全身を黒の鎧で覆われたルドガーが歩み寄り、初めて見る詢子はその異様な格好に「うぉ!?」と、少しばかり驚いた。

 

『………まどか。ほむらはまだ死んでない』

「………ルドガー、さん…?」

『キュゥべえも言ってただろう。ほむらは今、ワルプルギスの夜に取り込まれてる。けれどまだ完全にじゃない。

………俺は、今からほむらの魂を取り戻しに行ってくる。だからここで待っててくれるな?』

「…………はい…」

 

弱さや不安など微塵も感じさせないルドガーの言葉に、保証など何処にもないというのにまどかはようやく安心することができた。

 

『さやか、君はここでまどかとお母さんを見ててくれ』

「はい! …ルドガーさん。ほむらを、頼みます」

『ああ!』

 

さやかの願いに力強い返事を返すと、敵を見据えて駆け出し、まばたきする一瞬で空間跳躍を行い戦地へと戻ってゆく。

ほむらの身体の近くに腰を落ち着けると、まどかはふらつきながらも縋るように物言わぬほむらの手を取り、抱き締めた。

 

「………まどか、信じよう。ルドガーさんは絶対にやってくれる!」

「……うん…!」

 

 

 

残された3人に出来る事は、その後ろ姿を信じて祈ることだけだった。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──────グルルルルルアァァァァァ!!』

 

 

 

ワルプルギスの夜は元の姿の時の嗤い声とは程遠い粗暴な咆哮を上げながら、背中の歯車を高速回転させ、三たび空へ浮かび上がった。

自身を軸に瓦礫を巻き上げる程の突風を起こし、地に立つ少女達を灼き祓わんとして裂けた口元から無数の火球を吐き出す。

 

「凝りもせずに同じような攻撃を!」

「佐倉さん、キリカさん! ルドガーさんが戻るまで無理は禁物よ!」

 

自身の使い魔ごと周囲の大気を飲み込みながら突き進む火球を、3人各自散開して避けながら散らばる使い魔を蹴散らしてゆく。

しかし飛びながら火球を吐いてくる一方で近づこうとはせず、接近戦は困難を極めていた。

火球の隙間からマミが適時マスケット銃による高速連射を撃ち込んでゆくが、既に時歪の因子(タイムファクター)化したワルプルギスには有効な手とは言い切れなかった。

 

「──────おいキリカ! 上を見ろ!」

 

杏子が先に気付いて叫ぶ。キリカは両手の鉤爪を振り回しながら迫る使い魔を斬り裂いていたが、突如接近してきた火球、それも同時に3発に対しての反応が数秒遅れてしまった。

 

「ちっ………魔法は使えない、か……」

 

ワルプルギスだけでなく、妖精の使い魔が振り撒く光の鱗粉自体にも時間操作を阻害する作用があるようで、キリカの減速魔法は今もまだ封じられていた。

ならば、と後方に逃げるのをやめて逆に前へと突っ走り、火球が着弾する前のその隙間をすり抜けようとした。

もとより減速魔法を使わずともかなり速く動けるキリカは、熱波を感じながらも1発目、2発目の火球を辛くも通過する。

 

「間に合わない、か……!?」

 

しかし3発目だけはやや下側に撃たれていたようで、僅かに誘導を変えてキリカのほぼ真上から襲いかかった。

 

 

 

 

『───キリカ、大丈夫か!?』

「う、わっ!?」

 

 

そこに、まどかの契約を()めさせて空間跳躍で帰還したルドガーが咄嗟にキリカを助けに入った。

華奢な身体を抱きかかえ、更なる空間跳躍で火球の着弾点よりも少し前へと飛び込む。

着弾した熱波が拡がり追いかけてくる前に、ワルプルギスの死角となっている右側の方へと全力で逃げ込んだ。

 

「ルドガー…! すまない、君にはいつも助けてもらってばかりだね…」

『気にするな。俺が還ってこれたのも、キリカのお陰だからな』

「…………うん、まあ…そうなんだけどね?」

『?』

「いや、いいんだ! 君は私にとって必要な存在だからね、うん」

 

さやかと共に蘇生措置を行ってくれた事に対して感謝の言葉を送ると、キリカは何故か口元を押さえて気恥ずかしそうに視線を逸らした。

わけがわからない、といった風にルドガーは首を傾げるが、ひとまず火球から逃れることができたのでキリカを一旦降ろし、戦闘態勢を取り直した。

 

『………みんな、聞いてくれ』と、言葉だけでなく念話でも全員に聴こえるようにルドガーは言う。

 

『ほむらのソウルジェムの反応は、ワルプルギスの心臓のあたりからするらしい。…俺は今からそこを狙う』

『………ほむらごと、ワルプルギスを潰すのか?』と、杏子が尋ねた。

『そうじゃない。まだ、ほむらの魂は完全にワルプルギスと同化していないんだ。いや、きっと抵抗してるんだと思う……だから、奴の胸を引き裂いてほむらの魂を奪い返す!』

『へっ、そうこなくちゃあな!』

 

ルドガーの指示を確認したマミと杏子は、火球から逃れた後に吼え猛るワルプルギスを今1度見据えた。

 

「私達は陽動ね。準備はいいかしら?」

「へへ、アンタとコンビを組むのも随分と久しぶりだな。…頼りにしてるぜ、師匠(・・)

「ええ……行くわよ、杏子(・・)!!」

 

合図と共にマスケット銃を無数に展開し、その銃口を全てワルプルギスの上半身へと差し向ける。

その傍らで杏子は深呼吸をし、それから槍を突き立てて集中し、魔力を練り始めた。

自身の魔法が原因で家族を失って以来、ずっと戒め続けてきた術式を、今ここで解き放とうとしているのだ。

 

「アタシにこの魔法を使わせた事───死ぬほど後悔させてやるよ! ロッソ・ファンタズマ!!」

 

かつん、と力強く槍で大地を打つと、杏子の姿をした幻影が大量に───マミの作ったマスケット銃と同等の数だけ現出した。

幻影は散開すると周囲の使い魔をこぞって狩り出し、一部はその先へと突き進み、ワルプルギス本体へと強襲してゆく。

それを支えるようにマスケット銃が火を噴き始め、戦場さながらの爆音と硝煙を吐き出しながら眼前の道をこじ開ける。

 

『グォォォォォォォ!!』

 

当然、ワルプルギスは目の前で抵抗を始めたマミと杏子の方へと視線を向け、使い魔を増産しながら近づいてゆき、長く鋭い爪の生えた腕を振りかぶって周囲に暴風を巻き起こし始めた。

 

「なっ…くそ、これじゃあ近づけねえじゃねえか!」

「弱い弾じゃあ届かないわね、なら………!」

 

マミは魔力の残量を確認し、それから可能な限り最大限のエネルギーを込めて、今1度巨大な砲塔を目の前に錬成し始めた。

恐らく撃ててこの1発が限界。暴風を纏いながらにじり寄るワルプルギスの胸元に照準を合わせ、

 

「─────喰らいなさい!!」

 

18番の最終射撃を放った。

先に打った超巨大砲弾に比べれば威力は劣るが、過去に数々の魔女達を葬り去ってきた一撃は、暴風をものともせずに吸い込まれるように胸元に着弾した。

 

『グォォ、アァァァァァァァッ!!』

 

何度も致命傷たる攻撃を受けては再生してきたワルプルギスだが、今度の一撃は深く堪えたようで、纏っていた暴風が勢いを落とす。

 

『今だ!』

 

そのタイミングを待っていたルドガーが地表から槍を投げ込み、追い打ちをかける。

槍はワルプルギスの胸元に突き刺さり、傷口から高熱の血のような液体がほんの僅かに吹きこぼれる。

しかし傷は浅く、攻撃の手を休めればその間に回復されてしまうと判断したルドガーは、槍の刺さった部分の真正面にまで跳び、新たに巨大な槍を造り出して勢いのままに突撃した。

 

『マター・デストラクトォォ!!』

 

激しい衝突音を鳴らしながら槍は深々と突き立てられ、肉片を散らし、体表を抉りながら沈む。

悲鳴のような咆哮を上げながら仰け反ったワルプルギスの夜は、長い両腕を使ってルドガーを引き剥がそうとし、同時にルドガーの周囲に、不気味に嗤う大量の妖精の使い魔を生み出した。

 

『キャハ、アハハッ、アハハハハッ!』

『…ちっ!』

 

逃げざるを得ないルドガーは刺さった槍を蹴飛ばして後方に飛び、迫り来るワルプルギスの腕を越えて地表へと飛び降りようとする。

そこに待ち構えていた使い魔が、光の鱗粉を撒き散らしながら手に持った不恰好な弓矢を揃って引き、ルドガー目掛けて一斉に放った。

すぐさま新たな槍を造って使い魔の矢を薙ぎ払いながら急降下するが、ちょうどワルプルギスに背を向ける形となり、次のワルプルギスの行動を識るのがわずかに遅れた。

 

『─────ガァァァァァッ!!』

 

ワルプルギスは口元に小規模の魔法陣を紡ぎ、そこから背を向けたルドガーに向かって小さな光弾を射出した。

光弾の速度は火球とは比較にならない程に速く、着地して振り向いたばかりのルドガーの目の前にまで迫る。

 

『しまった─────間に合わない…!』

槍を造るのも間に合わず、今この瞬間に固有結界に逃げ込んだとしても光弾が近すぎて躱すことはできない。万事休すとばかりにルドガーは息を呑んだが、

 

「ルドガー! 危ないっ!!」

 

キリカが減速魔法をフルに発動させ、可能な限り光弾の速度を落とそうとしながら飛び込み、ルドガーを突き飛ばして弾道から押し出した。

しかし、ルドガーの骸殻には先程の応酬で使い魔の光の鱗粉が多く付着している。それに手で触れた事でキリカの減速魔法は急速に解けてしまう。

元の速度を取り戻した光弾は、ルドガーの代わりにキリカに直撃し、声を上げる事すらさせずにその細い身体を後ろに吹き飛ばした。

 

『キリカ!?』

『ゴァ、グァァァァァァァッ!!』

『………あれは……くそっ!』

 

リンクの糸は微弱ながらまだキリカと繋がっており、辛うじて生きている事だけは伝わってきた。

すぐにでも駆け付けてやりたいが、目の前の敵はそれを許さず、先にほむら達に対して放ったものと同じく巨大な魔法陣を口元に再び展開し始めた。

あれを躱す余裕などない。防ぐ余地もない。自分だけならまだしも、ワルプルギスの口元の射線上には倒れたキリカと、魔力が枯渇しかけているマミ、杏子がおり、更にその遥か奥にはまどか達もいる。

撃たせてはならない。そう腹を決めたルドガーは、苦虫を噛み潰すような思いで視線を前に向け、槍を造り出して突撃した。

 

『グルルァァァァァァァ!!』

 

魔法陣の中央に、歯車に吸い寄せられたエネルギーの奔流が集まり出す。

それを守るかのように、使い魔達がルドガーの道を塞ぐように湧き出た。

 

『邪魔だ! どけ!!』

 

槍を滅多に振り回し、使い魔を打ち砕き、斬り裂きながら前へと走り、空間跳躍を重ねて一気に使い魔の群れを跳び超え、もう何度も攻撃を浴びせ続けたワルプルギスの胸元の真正面にまで飛んだ。

魔法陣に光が収束する前に、既に槍が刺さっている胸元にまた1本槍を撃ち込むと、そこから黒い霧が飛沫のようにかすかに吹き出て身じろぎした。

しかしそれでも魔法陣は消えず、収束したエネルギーは大きな光の塊となって今にも解き放たれようとしていた。

 

『──────ほむらぁぁぁっ!!』

 

光が解き放たれる寸前、ルドガーは全力を振り絞って拳を握り締め、叫んだ。

 

『もっと力を! みんなを守る為の力を、今ここに!!』

 

"骸殻の強さは欲望の強さに、ひいては意志の強さに比例する"と、かつてユリウスは言っていた。ならば、これ以上のものなどある筈がない。この思いだけは決して打ち砕けない。

この拳で証明してみせる。この世には決して壊せぬものがあるのだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)と。

 

 

 

 

(ぜっ)(けん)ッ!!』

 

 

 

 

祈りにも似た思いは、形となって現れる。握り締めた拳に黒い炎のような波動を纏い、全てを壊し、全てを守る為の一撃を、己の全てを以って打ち放った。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。