誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第3話「もしそうだったら…嬉しいな」

1.

 

 

 

 

 

『Ahahahahaha───ha、khahahahahahahaha!』

 

 

 

吹きすさぶ嵐に、飛び交う瓦礫。空は暗雲に満ち、絶望の色を思わせる。そこには破壊と絶望を撒き散らし、"救済"を求めてさまよう舞台装置が佇む。

その歯車の性質は"無力"。何度立ち向かおうと、何度繰り返そうと、何の意味もないのだと、むざむざと知らしめる。

焔の名を冠する少女の心は、まもなく漆黒に堕ちようとしていた。

 

(そんな彼女を、"私"は放っておけなかった。)

 

何の取り柄もない自分だけれど、あの悪魔と契約すれば、どんな願いも叶えられる。悪魔は、世界を変える力が、その手にあると囁くのだ。

確かに彼女にはその資質があった。そういう風に、彼女は"育てられた"のだ。

 

(この願いが叶うなら、彼女はもう戦わなくてすむ。…繰り返さなくてすむんだ。私だけが、彼女を救えるんだ。)

 

だから"彼女"は願った。全ての絶望を、その手で消し去ることを。

代償として、"彼女"という存在は、世界中…いや、宇宙中から喪失する。誰からも忘れ去られ、絶望を滅ぼす概念として、死ぬこともできずに永遠の孤独を彷徨い続けるのだ。

 

 

だがその願いを、救済を、あの少女は拒んだ。時を操る盾から拳銃を抜き、紫の宝石が埋め込まれた自身の左手にあてる。

その宝石には、少女の"魂"が宿っていた。

 

『貴女がその願いを叶えるというのなら…私には、もう生きている意味はないわ。

…貴女のいない世界でなんて、生きていたくなんかない』

 

どうして、そんなことを言うのか。私の為に、なぜそこまで言えるのか。

私は、こうすることでしかあなたを救えないのに、と彼女は問う。

 

『ええ、教えてあげるわ。…あなたを、愛しているからよ』

 

これ以上ないくらいに優しい笑顔を見せ、ぐい、と彼女の身体を抱き寄せて少女は答える。

何度も繰り返すうちに生まれた…あるいは、初めて出会った時から生まれていた、歪んだ感情を。

希望よりも熱く、絶望よりも深い感情を、彼女の唇に落とした。

 

『んっ……………大好きよ、◆◆◆。貴女に出逢えて、私は本当に幸せだった』

 

 

───さようなら、と。

 

撃鉄の音が響く。命を宿した宝石は、粉々に砕け散る。少女の願いは叶わないまま、その輝きを散らした。

 

(いやだ。こんなのは、いや。いやだよ。助けて。彼女を助けて。神様でも悪魔でもいい。彼女を、助けてください───)

 

そうして、世界は"救済"される。

 

───少女は、朝の夢を見る。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

ジリリリリリ、と目覚まし時計が忙しなく鳴り響く。愛用の抱き枕を抱え、桃色の髪をした少女…鹿目 まどかは夢から目覚めた。

 

「また…あの夢…」

 

ここ数日の間、まどかは同じような内容の夢ばかりを見ていた。名前も知らない、美しい少女が傷つき、嵐に吹かれながら、孤独に、逆さ吊りの化け物と戦う夢。

その少女はテレビのヒーローさながらに、数々の武器を持って化け物に立ち向かう。時折、瞬間移動を交え、機関銃やロケットランチャーを片手に、何度も攻撃を加える。

けれど、何度撃っても化け物は身じろぎひとつしない。そうしているうちに化け物は突風を起こし、少女を吹き飛ばし……いつも夢はそこで覚める。

しかし、今回だけは少し違った。泣きそうな笑顔で少女はまどかに愛の言葉を囁き……そこで、夢は途切れる。

 

「…うう、なんか胸がどきどきするよ…あの娘、誰なんだろう…?」

 

まだ微熱が残る(ような気がする)唇を押さえて、布団にくるまる。

 

「そ、それに私のこと愛してるって……うぅぅぅ…私、女の子なのに…?」

 

考えれば考えるほど、わけがわからなくなる。

まどかはそのうち、どうせ夢なのだからと考えるのをやめ、ベッドから出た。

 

「……でもあの娘、すごく寂しそうだった。なんでだろ…」もし本当に出逢えたのならば、その時は仲良くしてあげよう、とまどかは思う。

本当に出逢えるかどうかなんて、わかりもしないのに。

 

 

まどかの一日は、家庭菜園に水をやる父、知久にあいさつをし、低血圧で朝の弱い母、詢子を起こすことから始まる。ここ最近は、3歳になる弟のタツヤが詢子のベッドに先行している事が多いが、それで素直に起きることは少ない。今朝もまた、例外ではなかった。

 

「まぁまー、あさー、あぁさー!」

「うぅ〜…あと5分…5分だけぇ…」

 

バンッ! と力強く寝室のドアが開く。まどかはまずカーテンをめいっぱい開け、朝日を部屋の中にいれる。そして、

 

「おっきろ───!!」

 

と叫びながら詢子のかけている布団を、思い切りよく剥ぎ取った。

 

「うひゃあぁっ!? ま、眩しいぃぃぃ!?」詢子はベッドの上で朝の光をふんだんに受けて、のたまう。

「ほぉら、着替えて、顔洗って! パパが待ってるよ!」

 

これでは、どっちが子供かわかったものではない。しかし、そんな厭味なことなど微塵も考えもしないのが、まどかの美点のひとつでもあった。

 

寝起きでぼうっとした頭のまま詢子はスーツに着替え、ふらふらと洗面所に向かう。まどかは先に見滝原中学の制服に着替えて、歯を磨いていた。

詢子は冷水で顔を洗い、頭のスイッチを切り替えると、同じく歯ブラシを手にとる。

 

「まどか、最近どんな感じよ?」

「えっとね…仁美ちゃんが、また下駄箱にラブレター入ってたって。もう今月だけで2通目だっけ?」

「はっ、手渡しする根性もねえようじゃあ駄目だねぇ。和子は?」

「先生、今回はまだ続いてるみたいだよ。3か月くらいかな? もう毎朝ホームルームでものろけっぱなしだよ」

 

歯磨きを終え、詢子は愛用のメイクセットを順番にあてていく。すっかり慣れた手つきは、流れるように見える。

遅れてうがいを終えたまどかは、やや癖のある髪にヘアブラシを通し始めた。

 

「どうだかね、それくらいの時期が一番危ういのさ。まあ、乗り切ればあと1年くらいは保つだろうけどね」

「そうなの?」

「そんなもんさ。あんたも、恋人ができればわかるよ」

「恋人、かあ……できるのかな、私にも?」

 

まどかは、その朗らかな見た目とは裏腹に、自分に自信をあまり持っていない娘だった。

温和な雰囲気のお嬢様で、男子にモテる志筑仁美と、自分とは対照的に、気さくで明るさが取り柄の美樹さやかという幼馴染を持っているが、時たま自分が浮いているように見えてしまう事もある。まして、恋人なんて想像もできない。

 

(だって、私には何の取り柄もないもの)

 

言葉にせずとも、まどかがそう思ったのは1度や2度じゃない。

自然と、いつか誰かの役に立ちたい、必要とされたい、と漠然とした深層心理を抱くようになっていた。

…多感な年頃の娘にはありがちと言えば、それまでだが。

 

「できるさ。いつか、あんたを一生守ってくれるような、素敵なやつが現れるよ。私の娘なんだ、もっと自信持て」

「一生…かぁ…」

 

まどかは詢子の言葉を受け、なぜか今朝の夢の少女を思い出す。真っ直ぐで、それでいて壊れそうな、熱のこもった感情をぶつけられたことを。

その感情は、いささか純情なまどかには刺激が強すぎたようだが。

 

(はわ、わわわわわ! なんで、どうしてそこであの娘が出てくるの!)

 

顔が熱くなるのがわかる。詢子に気取られないように、そっぽを向くように顔を背ける。

しかし、そこは母親。そんなまどかの様子を詢子は見抜いていた。

 

「ほほーう…? その様子だと、アタリがあるみたいだねぇ? あんたも知久に似てオクテな感じがしてたけど、スミに置けないねえ?」

「ち、違うってばぁ! 第一、私告白したこともされたこともないもん!」と言いながら、夢はノーカウントだもん、とまどかは考える。

 

「えっ? 好きな男子とか、いないのか?」

「そういうの、まだよくわからないよ…」

「はっはっは、そりゃあいい! 焦んな焦んな、そのうちあんたにも好きな男のひとりやふたりくらいできるさ」

 

詢子はけらけらと笑いながら、メイクセットの蓋を閉じ、パン! と自分の顔を軽くはたく。ものの数分で、詢子はあの朝の弱さが嘘のように、キャリアウーマンの風貌に変わっていた。

まどかも髪の手入れを終えて、真っ赤なリボンで髪をふたつ結いにまとめ始める。

 

「んー? 珍しく派手な色じゃないか。どうしたんだい、それ」

「これ? 友達にもらったんだ。私によく似合うから、って」

「へぇー、その"トモダチ"、見る目あるじゃないかい?」詢子が、意地の悪い笑みを向ける。"トモダチ"の言い方に、何か含みがあるのを、まどかは感じていた。

 

「……ち、違うよ!? ほんとに、ただの友達なんだからね!?」と、まどかは言い訳をするように、詢子に抗議する。

「いいじゃないか。いいかいまどか、女は外見でナメられたら終わりだよ」

「そうなの? でも、私まだ子供だもん。そういうのは、早い気がするんだけど…」

「そんな事はないさ。その"オトモダチ"だって、そう思ってるんじゃないのか?」

「し、知らないもん!」

 

まどかはリボンを結び終えると、逃げるように食卓へと向かって行った。クスクス、と詢子の笑い声が聞こえる。もう! とまどかは頬を膨らませた。

 

(そういえば…)

 

ふと、まどかは記憶を辿る。

 

(このリボンをくれた娘、誰だったっけ…?)

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

広がる鮮やかな木々の間に囲まれたような、一本の道を小走りで駆けてゆくまどか。

朝のやりとりで予想よりも時間を食ったため、トーストをかじりながら走るという、少々行儀の悪い真似をせざるを得なくなってしまったのだ。

そのトーストもまもなく食べ終わる頃、前方に美樹さやかと志筑仁美の姿が見えた。

 

「さやかちゃーん、仁美ちゃーん! おはよー!」

「おっすまどか。遅いぞー?」

「おはようございます。…あら、そのリボン?」

 

新緑に似た色をし、すこし癖のある髪の娘、仁美がまどかのリボンの変化に気づく。

それに倣うように青髪の少女、さやかも

「おっ、可愛いリボンじゃーん。どしたのそれ?」と訊く。

「これ? 前に友達にもらったやつなんだ。似合うから、っていうんだけど…やっぱり派手かなぁ…?」

「そんなことありませんわまどかさん、とっても素敵ですわ」

「ふーん、でもあたしそんなの知らなかったしなぁ…誰からもらったのさ? まさか……?」

 

さやかちゃんまでママみたいなことを……と、まどかは内心でため息をつく。しかし、それに答えることはできなかった。

 

(うーん、思い出せないなぁ……)

 

幼馴染であるさやかや、仁美が知らない友達って、誰だろう。まずはそこから考えていた。頭を悩ませ始めたまどかに対して、さやかはいきなり抱きつき…くすぐりを仕掛けた。

 

「うぇひぃっ!? さ、さやかちゃん!?」

「くぅ〜急に色気づきおってぇー! ひとりだけ抜け駆けしようだなんて許さんぞー! まどかはあたしの嫁になるのだぁー!」

「あひゃははは、ひゃめ、ひゃめてえええ!」

 

仁美はそんな2人のやりとりを、生温かい目で見守る。この組み合わせならではの、見慣れた光景だ。

ほどなくして、周囲の奇異の視線が集まり始める。それを気取った仁美が、軽く咳払いをして2人に注意を促した。

 

「…こほん、こほんっ。学校、遅れますわよ?」

「「あ、あはははは……」」視線に気付いた2人は(まどかに非はないのだが)、気まずそうに半笑いを浮かべる。

 

「お姉ちゃんたち、仲いいんだねー!」と、傍から少女の冷やかしの声がかけられる。フードを被っているが、珍しい白髪のロングヘアーをした、小学生くらいの女の子だった。

 

(………んー?)

 

その髪色に、さやかはつい数日前に出会った、同じく白髪の若い男を思い出す。化け物と戦い、さやかの命を救ってくれたヒーローのような男を。

だが、さやかはその話をここでする気はなかった。あんな得体の知れない体験、話したところで信じてくれるわけない。それを承知していたからだった。

対してまどかは「もぉ、さやかちゃんのせいだよ!」と、周囲の注目を浴びてしまったことにまた頬を膨らませる。

そんな、日常の1ページだった。

 

 

 

4.

 

 

 

 

市立見滝原中学校。モデルケースとしてG県に設立された近代都市、見滝原市内において、最初に建てられた中学校である。

その規模はまだ新しい公立校ながら、1学年だけで7クラス204人、1クラス平均30人を収められるスケールである。

全面強化ガラス張りの教室が良くも悪くも特に目立ち、ノートPCが学習机ひとつひとつに設けられる、極めて異色の学び舎だった。

そんな学校も、1年ほど通えば感覚が麻痺するのか、当たり前の光景になる。そう、例えばこんな光景も。

 

「───ですからッ! 女子のみなさんはくれぐれも醤油味の卵焼きなんか邪道だ、などと抜かす男とは交際しないように!

それと男子のみなさん、絶対に! 出された料理の味付けにケチをつけるような大人にならないコト!」

 

全員が着席し、チャイムの音とともにホームルームが開始されると、決まって担任の早乙女 和子の談話が始まる。

機嫌がいいとだいたい惚気話を繰り返し、何かしかの悶着があった時は必ずこうして、プラスとマイナスのベクトルが入れ替わったように、わけのわからない話をするのがお決まりだった。

さながら、これがティーンエイジャーだったならどこぞの宇宙人が歓びそうな光景だ。

 

ひとしきり話し終え、最後にビシィ! と教鞭をホワイトボードに打ち付ける和子。数秒押し黙ると和子は、

 

「おほん、それとですね。今日はうちのクラスに転校生がやってきまーす」と、何事もなかったかのように"スッキリ!"とした顔で告げた。

 

(普通そっちが先だろ───!?)

 

こいつはあれか、どこぞの炎の古代人のように激昂しかけると泣き叫んで心を落ち着かせるタイプなのか!? さやかは内心でそう叫んだ。

 

「じゃあ暁美さーん、入ってらっしゃーい!!」

 

和子がかなりの大声で言うと、どこからともなく少女が廊下を歩いてくる姿が壁越しに見えた。

全面ガラス張りの教室でサプライズを演出するために和子が、転校生を教室から見えない位置でわざわざ待機させていたのだ。

…その上であんな与太話をされ、余分に待たされたとあっては、転校生に軽く同情を覚える。

その姿を、まどかはガラス越しに見据える。艶めく黒髪に、黒いタイツを履き、黒いイヤリングをつけた、ミステリアスな雰囲気の美少女の姿にクラス中がざわめく。

しかし、まどかに限ってはその姿は、初めて見るものではなかった。

 

「うそ……!?」

 

ガラッ、と教室のドアが開き、その少女は教卓の傍に立った。

 

「───暁美、ほむらです。よろしくお願いします」

 

その姿は多少の差異こそあれど、まどかの夢にみた少女のものと同じだった。

ほむら、と名乗った少女は回れ右、をしてすらすら、とホワイトボードに名前を書いてゆく。

 

(あけみ…ほむら……ほむら、ちゃん…きれい…かっこいいなぁ………って、何を考えてるの私は!?)

(───ほぉーう?)

 

その様子を見ていたまどかは、さやかの目から見ても些か挙動不審であった。

 

「えっとですね、暁美さんは以前は東京のミッション系の学校に通ってらしたんですけど、ご両親のお仕事の関係で……」何も語らないほむらに代わって、和子が説明をする。

その説明を遮るかのように、ほむらはかつん、と音を立ててマーカーを置いて振り返る。

 

「………よろしくお願いします…っ」

「あ、暁美さん………?」

「………すみません、体調が優れないもので」

 

ほむらは頭を押さえ、教卓にもう一方の手をかける。"唇ばかり見ていた"まどかは、その色が青白く変化していることにいち早く気付いた。

血色が、悪いのだ。

「………席は、そこですか」ほむらは頭を押さえていた左手を離し、最前列の空席を指差す。

「え、ええ! 確か中沢くんの隣が空いてましたね! 暁美さんはそこに……きゃあっ!」

 

がたん、と突然ほむらの膝が折れかける。もはや立っているのも辛そうだ。

その顔色は、もとが白い肌であることを差し引いても危ない、と誰もが思うくらいに蒼白だった。

 

「ほむらちゃんっ!!」

 

無意識のうちに名前で呼び、まどかは駆け寄ってほむらの身体を支えてやる。呼吸が、若干荒い。

 

「だい…じょうぶ…だから…」ほむらは声を絞り出す。

「全然大丈夫だって思えないよ!!」まどかはほむらの肩を持ち、「保健室!」とひとこと叫ぶといそいそと廊下に向かった。しかし、まどかと比べると少し背の高いほむらを担いで歩くのは、簡単ではない。

「あたしも手伝うよ!」さやかもその様子を見て、駆け寄って反対の肩を持ってやる。

そうして、ほむら達は教室をあとにした。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

保健室の前にやって来るも、まだ保険医が出勤する時間には早く、鍵は閉じられていた。職員室に声を掛ける旨を記された札がドアにつけられている。

 

「私、鍵もらってくるよ!」

「頼んだ!」

 

保健委員であるまどかなら顔が利く。ほむらをさやかに託し、まどかは小走りで職員室へと向かった。

さやかは床をさっさっ、と手ではたき、そこにほむらの腰をおろす。

 

「しっかりしなよ転校生! 何か悪いものでも食べたの!?」

 

その言葉に、ほむらは思い出す。今朝の食事は同居人となったルドガーの作ったトーストとコーヒーだけだ。

というか、食あたりではない。そもそも魔法少女にそんなもの無縁だ。ほむらは原因こそわからないが、それだけは断言できた。むしろ原因は、他にある。

 

(…どうして。まどかの顔を見た途端、いきなり胸が苦しくなった。頭も痛いし、寒気もした。

………ああ、そうか。これは多分……)

 

罪悪感。まどかを救えなかったことだけではなく…まどかの"願い"を踏みにじってしまった事に対する、罪の重さだ。

ほむらは心のどこかで、まどかと向き合う事を恐れていたのだ。

それによって引き起こされた、パニック障害のようなものだろう、とほむらはアタリをつける。

 

(こんなことでは…グリーフシードがいくつあっても足りないわ…)

 

とりあえず後で、宿賃としてルドガーが自主的に差し出してきた、芸術家の魔女のシードを使おう、とほむらは考えた。

こんなところで"堕ちる"わけにはいかない。

ちゃんと、この"まどか"と向き合わなければ。今度こそ、守らなくては。

 

「世話を…かけるわね…美樹、さやか……」

「へっ?」

 

ふと、さやかは疑問に思った。

まださやかは、ほむらに対して名乗っていない。それにまどかもここに来るまでの間、さやかの名前は呼んでいない。

 

(あたしの事…知ってたのかな…? まあ、いいや。とりあえずはまどかを待たないと)

 

さやかは、なおも顔色の悪いほむらの顔を伺う。

美人だ、と素直に感じた。閉じられた二重まぶたに、長い睫毛。人形のように整った顔のパーツ。上質な絹を思わせる黒髪。

こぼれ出る甘い吐息。脂肪は少ないがすらっとしていて、頭身のバランスさえ無駄がない。

 

(………おいおい! 病人の女の子相手になにドキリとしてんのよあたしは。第一、あたしは恭介ひと筋だっての!)

 

同性すら惹きつける魅力が、彼女には備わっていた。

 

「さやかちゃーん! 今開けるよ!」鍵を受け取ってきたまどかが、保健室まで戻ってきた。

「転校生、立てる!?」さやかはほむらの肩に手を置き、確認する。

 

「…手を……貸してくれる…かしら…?」

「「うん!」」

 

再びほむらは2人に担がれ、保健室内まで運ばれた。

皺ひとつない真っ白なベッドの上にほむらは寝かされる。さやかはしわにならないようにほむらのブレザーを脱がしてやり、まどかは体温計をデスクから持ち出して、ケースから抜く。

 

「ほむらちゃん、とりあえず体温測るよ」

「ええ……ごめんなさい…」

 

ほむらは力のこもらない手で、シャツのボタンを3つ目まであける。まどかは体温計を差してやろうと、そのシャツをはだけさせた。

白く澄んだ肌が外気に触れる。どこか扇情的なその姿にまどかはかすかに息を呑むが、保健委員としての役割を果たさなくては、と頭を振る。

ひんやりとした体温計がほむらの脇にあてられると、一瞬、ぴくり、と反応した。

 

「あとは、1人で平気そう?」さやかが時計を見て、尋ねてきた。まもなくホームルームが終わり、1時限目が開始される時間だ。

「う…うん、大丈夫だよさやかちゃん。私は保健の先生が来るまでほむらちゃんについてるから」

「わかった。もうすぐ来るだろうし、あたし先に戻るよ。和子先生にも伝えとくから。ノートも任せときな」

「ありがとう、さやかちゃん」

 

言うとさやかは、ベッド周りのカーテンをさっ、と閉めて、保健室をあとにした。

 

(ルドガーがいてくれて助かったわ……)血の廻らない頭でほむらは考える。

(今日は巴マミとまどか達が接触する日…あの使い魔程度ならマミが苦戦する事はないだろうけど、どうにか介入しないとまどか達が契約してしまう危険が高まる。

今までは私が介入していたけど、幸いにもルドガーはさやかと既に接触しているし、命を助けている。私なんかよりも、信頼されるはずだわ。

うまくやってくれるといいのだけれど……)

 

ピピピ、と体温計の電子音が鳴り、まどかがそれを回収する。

 

「うん、熱はないみたいだけど。平熱が低いのかな? 6度1分しかないよ」

「…昔から、貧血ぎみなのよ…心臓の病気だった頃もあったし…」

「し、心臓っ!? 大丈夫なの!?」

「それはもう治ったわ…これも…少し眠れば、落ち着くと思うわ…もう、戻った方が…」

 

ほむらはまどかを気遣うように言う。しかし、まどかの方に視線を向ける事はできず、目を閉じて顔を少し背けていた。

 

「だっ、だめだよ! ちゃんと私がついてるからね?」

 

まどかはそんな気遣いも構わず、本気でほむらの事を心配していた。

 

「……本当に、ごめんなさい……………"まどか"………」

「───えっ…?」

 

"まどか"と。ただほむらに名前を呼ばれただけなのに。

その瞬間、まどかの脳裏で今朝の夢の光景が、フラッシュバックする。

 

『大好きよ、"まどか"』

 

そうだ、とまどかは思い出す。あの夢の少女はたしかに、私の名前を知っていた。では、この娘はやっぱり…と、疑念が募っていく。

夢の記憶は、そこまでしか辿れない。その言葉の続きが、知りたい。

意を決して、まどかはほむらに尋ねてみる。

 

「……ねえ、ほむらちゃん」不思議と、初対面のはずなのに、名前で呼ぶことには抵抗がまるでなかった。

 

「私達…もしかして、どこかで出逢ってるのかな…?」

「…どうして、そんな事を…?」

 

未だほむらはまどかを見れない。逆に、先ほど無意識に名前で呼んでしまったことに気付き、失敗した、と少し焦りがあった。

 

「だって、私まだ名乗ってないのに私の名前知ってるんだもん。それにね、私もほむらちゃんの事、初めて見た気がしないんだ」

「…それ……は……」

 

夢で出逢った、とはまどかは言わなかった。そうやって誤魔化されたくはなかったからだ。

 

「もしどこかで出逢ってたんだとしたら…それはとっても素敵なことだな、って思うんだ」

「……………」

「てぃひひひ。ねえ、ほむらちゃんは…どう思うかな?」

「………気のせいよ。私達は、逢った事なんて

、ないわ…」

「………そっか。そうだよね」

 

ほむらの声は、かすかに震えていた。まどかはこういった些細な変化に気づける、貴重な人間だ。それだけ、周りのことを見ているのだから。

だからほむらの言葉も、その板面通りには受け取らなかった。

気のせいなんかじゃない。この胸の高鳴りは、そうやってなかった事になんかしたくない。

横たわるほむらの姿を見ながら、まどかはそう強く思うのだった。

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

結局、ほむらが授業に戻ってこれたのは4限目になる直前あたりだった。

まどかは保健医と入れ替わりに2限目あたりで教室に戻り、授業に参加していたが、ほむらが戻るまで心配でそわそわしており、さやかや仁美にからかわれる羽目になった。

そして、舞い戻ったほむらは早速クラス中の注目の的となる。

やれ具合がどうだの、以前の住まいはどうだの、兄弟はいるのか、髪の手入れはどうしているのか、そのイヤリングはどこで売っているのか。

その瑣末な質問の数々にも、ひとつひとつ律儀に返事を返すほむらの姿に、さやかが助け舟を出した。

 

「ほぉーらっ! 病人を質問責めしない! 転校生もなんか言ってやんなよ!」

 

さやかの注意を受けて、クラスメイト達は名残惜しそうに散っていく。

ほむらの顔にもわずかに、疲弊の色が見える。

 

「…助かったわ、美樹さやか」

「ん、どーも。…でさあ、なんであんた、そんな堅っ苦しい呼び方するわけ?」

「えっ…?」

「さやか、でいいよ。あたしも、あんたのこと"ほむら"って呼ぶからさ」にっこりと、さや かは白い歯を見せて微笑む。

 

(まさか、さやかの方からこんなにも友好的に接して来るなんて…これも、ルドガーのお陰なのかしら…?

それとも…私が、"らしく"ないから…?)

 

ほむらは一瞬だけ複雑な顔をしたが、ふぅ、とひと息吐いて「わかったわ、さやか」と答えた。

 

「ほむらちゃん! もう具合はいいの?」痺れを切らしたまどかが、駆け寄って尋ねて来る。

「ええ。ただの軽い貧血だったから、大した事はないわ。…心配かけたわね、まどか」

「いいんだよ、ほむらちゃん。困った時はお互い様だよ?」と、純粋無垢な笑顔でまどかは言った。

「……ありがとう、まどか。貴女にもし何かあったら…私が守ってみせるわ」

「………!」

ほむらは胸の内の決意をほんの少しだけ、まどかに見せてみる。

 

『いつか、あんたを一生守ってくれるような、素敵なやつが現れるよ。』

 

母、詢子の言ったひとことが蘇る。心臓の鼓動が、速くなるのがわかった。

 

(ほむらちゃんは…私のこと、一生守ってくれるのかな。もしそうだったら…嬉しいな)

 

まどかはまだ、夢の続きを思い出さない。その果ての結末を。果たされなかった誓いを。

───あの懐かしい、笑顔を。

 


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