誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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INTER EPISODE:2 惜別、そして───
第27話「この気持ちに、嘘をつきたくなかった」


1.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陽が昇りきる前から降り始めていた大粒の雨はいつの間にかぴったりと止み、嘘ように明るい陽射しが、レースカーテン越しに室内に差し込み始めていた。

ベッドに腰掛け、温もりに縋るように枕を抱き締め、ひとり祈りながら帰りを待っていたまどかはその陽射しを見てどこかほっとしたようにため息をつく。

 

「終わった、のかな……?」

 

 

人魚の魔女が降らせたであろう雨が止んだという事の意味を、まどかは半信半疑で考える。

傷つき、苦しめられ、まどか自身も1度死の危険へと追いやられた最悪の敵を、無事に倒すことができたのだろうか。

リボンを解かれた長い髪を揺らめかせながらカーテンをそっと開けると、冷えた部屋の中に暖かみが差し始める。

まどかの心中の不安は陽射しを浴びると共に少しずつ溶けてゆき、今はもう想い人の帰りが待ち遠しくて仕方がない。

 

「………!」

 

かちゃり、と鍵の開く音が遠くから響き、それから遅れて、少し錆びたようなドアの開く音が聞こえてくる。

その音を聞きつけたまどかはほぼ反射的にベッドから立ち上がり、乱れた髪も気にせず音のした方へと早足で向かい、開いたドアの先にいる人影を見て、表情を更に綻ばせた。

その姿を見ただけで自然と瞼から涙が滲み出し、すぐにでも飛びつきたい衝動に駆られるが、ぐっと堪えて呼吸を整える。

『信じて』という言葉通りにちゃんと帰ってきてくれた。ならば、まずは何を言うベきなのか。

色々と言いたい言葉がまどかの頭の中で目まぐるしく交差するが、それら全てを引っくるめてただ一言だけを告げた。

 

「おかえり、ほむらちゃん……待ってたよ!」

「…………まどか」

「ほ、ほむらちゃん…? きゃっ!?」

 

声を聞いた途端にほむらは唐突にまどかに抱きつき、虚を突かれたまどかは間抜けな声を上げた。しかしすぐに、ほむらの様子がどこか変わっている風に感じ取り、声を掛ける。

 

「………どうしたの?」

 

返事はすぐには返らなかった。代わりに、暖かさを噛み締めるかのようにわずかに腕の力を強める。

 

「〜〜〜〜!? ほむらちゃん…!?」

 

ほむらの背後で待つ、キリカを背負ったルドガーに目配せをしてみるが、ルドガー自身も困惑の色が抜けないでいた。

されるがままに、そっと自分の両手をほむらの背中に回してみる。互いに抱き締め合う格好になったところで、ようやくほむらは口を開いた。

 

「………まどか。もう2度と、貴女を離さないからね…!」

「えっ…?」

「絶対よ…何があっても、私が貴女を守るから……だから、ずっと傍にいてね…?」

「う、うん…もちろんだよ」

 

熱の込もった言葉と、それを映したかのようなほむらの所作に、まどかは逆にかすかな不安を感じる。

こういう風に冷静さを欠いてまどかを求めてくる時は、大抵は何かしらの事象がほむらの身に起きた時だとまどかもわかっていたからだ。

まして、今は恐らく人魚の魔女との戦いを終えてきたばかり。またしても黒翼の力を暴走させてしまったのだろうか、と不安は胸の内から次々と溢れてくる。

 

(けど今は……何も訊かない方がいいよね)

 

互いに、あまりにも互いの存在を尊びすぎている。故に不安でいるのはきっとお互い様なのだろう、とまどかは口を噤んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

居間の隅に敷かれた布団には人魚の魔女との戦いから目を覚まさないままのキリカが寝かされており、疲労の色が顔から見て取れるルドガーと、やや寝不足気味のまどかは揃ってテーブルの前に腰掛けていた。

台所から漂ってくる料理の匂いと、珍しく台所に立つほむらの後ろ姿に釘付けになりながらも、やはりまどかの胸の中には違和感が残る。

 

「ほむらちゃんって、あんまり料理とかするイメージなかったけど……なんか意外だね」と、まどかは調理を続けるほむらの背中に話しかける。

「ふふ、そうね……これでも、魔法少女になりたての頃は学校に弁当を作って持って行ってた事もあったのよ?」

「えっ、そうなの……?」

「ええ、とても自慢できるようなモノではなかったけれどね」

「じゃあ…今は?」

 

ほむらの返答に驚いたのはまどかだけではない。

ルドガーもまた、ほむらと一緒に過ごすようになってから彼女が鍋を握る姿など殆ど見た事がなかった。

せいぜいインスタントのラーメンを作るために湯を沸かした時ぐらいで、その後からはルドガーが食事を全て担当するようになったからだ。

故に、ほむらには料理の心得はないと思っていたのだが、今の彼女の姿はそれとは打って変わって、ある程度手慣れた様子で鍋を振るっているのだ。

 

「さあ、どうかしらね。杏子にご馳走した時はなかなか評価は良かった気がするけれど」

「えっ、杏子ちゃんにもご馳走したの!? いつの間に…?」

「……そうね。残念ながらこの世界の杏子ではないから、なんとも言えないわ」

「…前にいた世界の、って事?」

「そうなる…のかしら」

 

言いながら、手にしているフライパンの中に多めに溶いた卵を流し入れ、菜箸で器用にかき混ぜながら形を整えてゆく。

3つある五徳の反対側の方には、大量のチキンライスが炒まった状態で入った鍋があり、奥にある3つ目の五徳にはレトルトタイプのハヤシライスが小鍋の中で湯煎にかけられていた。

フライパンの上である程度卵が固まると、鍋の方からチキンライスを適量卵の上に乗せ、フライパンを煽りながら綺麗に巻いていってしまう。

1つ巻き終わると皿に開け、再びフライパンの上に卵を流し込み、チキンライスを乗せ…と、次々とオムライスを焼き上げる。

仕上げにとレトルトハヤシライスの風を切り、ソース代わりにオムライスにかけてゆく。

まどかと会話をする片手間に、あっという間に3人分のオムライスを拵えてしまった。

 

「さあ、できたわよ。呉キリカの分は起きてから作るわ」

「今取りに行くよ、ほむら」

「あなたは大人しくしてなさい、ルドガー。1番酷くやられたんだから…」

「あ、ああ……ありがとう」

 

完成品を運ぼうとしたルドガーを制し、先に2人の分をテーブルに運び、それから少し照れくさそうに、3つ目のオムライスをまどかの前に置いた。

ルドガーとほむら自身の分はごく普通の仕上がりをしていたのだが、まどかの分だけはハヤシライスのソースのかけ方が少し違っていた。

それを見たまどかの顔は、一気に真っ赤になる。

 

「ほ、ほむらちゃん!? こ、これ……」

「………あなたのは、特別」

 

まどかの分のオムライスの上には、器用にハート型になるようにハヤシソースがかけられていた。

ケチャップならば兎も角、どこをどうしたらそんなに綺麗にかけられるのか、傍らのルドガーも本気で感心してしまう程だった。

当のまどかもハート型ソースのオムライスを目の当たりにして、

 

(…どうしちゃったのほむらちゃん。やっぱり私が"ほむらちゃんがいないと生きていけない"なんて言っちゃったからなのかな…!?

そ、そりゃあ私はほむらちゃんの事大好きだけど、けど…嬉しいけど…ルドガーさんにすっごい見られてるよぉ…!)

 

などと考え、赤面したまま固まってしまっていた。

 

「さて、冷めないうちに食べて頂戴」

「ふぇ!? う、うん! いただきます!」

 

ほむらに促され、若干ぎこちない風にスプーンを取ってオムライスを口に運んでゆく。

ほむら自身も少し緊張しながらまどかの様子をまじまじと窺うが、

 

「……おいしい。おいしいよほむらちゃん!」

 

かなり好評なようで、ほむらは安心したようにひと息つき、それからオムライスに手を付け出した。

 

「驚いたよほむら、すごく美味しくできてる。いつの間に料理なんて覚えたんだ?」と、食べながらルドガーが尋ねかけた。

「料理を本格的にするようになったのは、本当に最近よ。料理に限らず、"前向きに生きなきゃ"って思って色々な事に挑戦してたの。"あの娘"が安心していられるように、ね」

「"あの娘"……? それって…」

「ええ、そうよ」

 

"あの娘の力"と称していたほむらの白翼を見ていたルドガーは、それが誰なのかを少しだけ察したようだが、その場に居合わせなかったまどかにはわからずほむらに問いかける。

 

「"あの娘"って、誰のことなの?」

「…そうね。少しややこしい話になるけれど、この世界のではない"まどか"の事よ。…全ての魔女の消滅を願って"円環の理"となり、この世から消えてしまった彼女のこと」

「え……? だって、その願いって"私"が消えちゃうんだよね。でも、私はここにいるよ…?」

「ええ、そうよ。その願いは私が変えさせたのだから。でも、最初はそうじゃなかった。あの時確かにまどかは契約して、円環の理となった。…私はね、その先の事を識っているのよ」

 

スプーンを運ぶ手を止め、今一度まどかと向き合う。

ほむら自身も記憶の整合性がきちんと取れていないのだが、それでも言わなければならない、と真摯になって言葉を選んだ。

 

「今の私は、2つの世界の記憶が重なっているのよ。"円環の理"が生まれなかったこの世界と、"円環の理"が誕生して、まどかが消えてしまった世界の記憶が、ね」

「……どういう事なの?」

「そうね…先に憶えてるのは、あなたが消えてしまった後のこと。円環の理によって全時空から魔女が消え去った…正しく言えば、魔法少女が魔女になる前に、その魂を導いてしまうの。それが円環の理の役割。

それによって確かに魔女は生まれなくなった。けれど今度は魔女の代替品として、人間の負の感情が集まって生まれる"魔獣"が蔓延るようになったの。そしてその魔獣を狩るのも魔法少女の役割。魔獣を倒さなきゃグリーフシードを得られないのも同じ。

何のことはないわ…結局、魔女が消えたところで世界は(・・・)何も変わらなかったのよ」

「……そんな、じゃあ意味がなかったって事なの!?」

「…少なくとも、私はそうは思いたくなかった。"あの娘"が命を賭して叶えた願いが無駄だなんて、思えるわけがないでしょう? それに、確かに魔法少女は死の間際になって"あの娘"に救われるのよ。絶望にまみれて孤独に死ぬのではなく、最期に手を差し伸べられて逝けるのだから。

人魚の魔女…"美樹さやか"があんなにも円環の理に固執していたのも、きっと救われたかったからなのよ」

 

旅船ペリューンを模した結界の中での戦いにおいても、人魚の魔女は同様の発言をしていた。その圧倒的な力を以てしてまどかを脅迫しようとしていたのだ。

 

「だから、人魚の魔女はまどかに魔女の消滅を願わせようとしたのか…ん?」

 

不意に、ルドガーの中にどこか引っかかるものがあった。

 

「…円環の理が誕生したら全ての世界からまどかの存在が消えてしまうんだったよな。それが生まれた後に、遡って願いを変えさせる、なんて事ができるのか?」

「そこは…私にもよくわからないのよ。ただ、私はあの娘の遺した世界を護る為にひたすら魔獣と戦い続けた。それこそ、気が遠くなるくらいにね。

でも…まどかのいない世界で生きてゆくのは耐えられなかったわ。気が狂いそうで仕方なかった。そうしてとうとう限界を迎えた、と思ったら……そこからの記憶がないの。

たぶん、その時点でまどかが円環の理になる直前の世界に戻ったんだと思うわ。もしかしたら無意識のうちに時間を戻したのかもしれないわね……

当然、戻った時には円環の理の記憶なんてなかったわ。ただ、"絶対に止めさせないと取り返しのつかない事になる"って直感がしたのよ。

ねぇ、まどか。もしこんな風に自分の手で魔法少女達を救えると聞かされたら、あなたは契約しようと思うのかしら…?」

 

不安げな表情を隠そうともせずに、まどかに対し再確認をする。

 

「……しないよ。確かに、私が契約すればいろんな魔法少女の子達を助けられるのかもしれないけどさ……ほむらちゃんはその世界で、苦しんでたんだよね?」

「そう…ね。でもそれは私だけよ。他のみんなは"鹿目まどか"という子の存在を憶えていないんだもの」

「それでもだよ。みんなを救えても、ほむらちゃんを救ってあげられないんじゃ駄目だよ……

みんなが戦わなくていい世界に変えられるんなら契約しちゃうかもしれないけど…そうじゃないんでしょ?

契約する気なんてないけど、契約するなら、ほむらちゃんも一緒に助けてあげられるような願いを叶えたいよ」

「……そう。あなたはそういう風に思ってくれているのね」

 

まどかの返答を聞いて、ようやく安心したように表情を和らげる。

それでも敢えて釘を刺すように、或いは言い聞かせるようにまどかに自らの想いを伝えようとした。

 

「まどか。私達はお互いに同じ気持ちだと思っているけれど…だからこそ言っておくわね」

「う、うん……何かな」

「もしあなたが契約しても、私はもう時間を巻き戻さない。……あなたを殺して、私もあとを追うわ」

「……っ!?」

「それだけの覚悟を持って、今のあなたから離れないと決めたのよ。だからお願いよ…まどかも、私の傍から絶対にいなくならないでね…?」

 

"決して独りにはさせない"というほむらの意思を聴かされて、ほんの一瞬だけ背筋に緊張の糸が走ったような感覚を覚えた。ただそれは、単に恐ろしかったという理由などではない。

 

「……ほむらちゃんは、何処にも行ったりしないんだよね?」

「ええ、まどかを置いてなんて行かないわ」

「そっか、てぃひひ……最初に"ずっと一緒にいて"って言ったのは私の方だもんね」

「そうね、ちゃんと憶えているわよ。…ごめんなさい、ご飯の時に変な話をしてしまって」

 

冷めないうちに、と自分から促してようやくスプーンを運ぶ手が動き始める。

初めての家主の料理を囲むひと時は、穏やかに過ぎていった。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

雨が上がり心地よい日射しと穏やかな風が吹く街路樹の通りには、手を繋ぎ歩く2人の姿だけがあった。

まどかがほむらの家を訪れてから丸1日が経とうとしており、体調もすっかり元に戻ったことで現在まどかを家まで送り届けている最中である。

まどかの家はほむらの自宅から歩くこと十数分程の距離にあり、もうじき見えて来ようとしてきたが、少しでも長く居たいと互いに思っているからか、やや足取りは遅い。

 

「…ありがとうね、まどか。あなたが傍にいてくれたから私はまた立ち上がれた。みんなを守ることができたのよ」

「うん…でも、ほむらちゃんは本当に大丈夫なんだよね?」

「もう平気よ。盾の砂時計はもう無くなってしまったけれど、今の私には"あの娘"から貰った力があるから」

「白い羽根と…弓、だっけ? "あの娘"のって事は、もし私が魔法少女になったらおんなじ力を使えるのかな」

「……ええ、そうよ」

 

まどかのその言葉に僅かな胸の痛みを覚えながら思い出したのは、まどかの魔法少女としての姿ではなく、円環の理となって更なる力を得た、"鹿目まどか"の最後の姿だった。

 

「羽根の力と、今みたいに"あの娘"のリボンを受け取ったわ。これをしてるとね、まどかがいつも傍で見ていてくれているような気がして、すごく安心するの。今だってそうよ。離れていても一緒にいられる、そんな気がするのよ」

「ほ、ほむらちゃん……なんか、最近大胆なこと言うね?」

「そうかしら? 私は思ったことをそのまま言っているだけよ。まどかだって、"私なしじゃ生きられない"って言ってくれたじゃない」

「あ、あれは! その……違わないけどさぁ……

…そのリボン、欲しかったらあげるよ。よく似合ってるし、私、家にもう1つリボンあるから」

「ふふ、ありがとう」

 

リボンの解けた緩い癖のある桃色の髪に手を伸ばして、軽く指で梳かしてみる。

「ひゃっ!?」と間の抜けたまどかの声が少し響くが、その反応すらも愛おしく感じてしまい、髪を撫でる手は止まらないどころか、身体を引き寄せて人目も憚らずに、包み込むように抱き締めてしまった。

 

(……いい匂いがする。まどかの匂い…幸せ……)

 

声に出して言おうものなら本人から怒られそうなので、心の内に留めておく。

緊張感や昂揚感もあるが、何よりこうする事で一番得られるのは、やはり安心感だろう。

何度やり直しても救えなかった命が、今こうして自分の腕の中で脈づいている。それだけでも嬉しさが込み上げてくるのだ。

あと少し、ワルプルギスの夜さえ過ぎる事ができたならば、ようやくほむらの長い旅を終える事ができるのだ。

勝っても負けても、これが最後。時間遡行(やり直す為の)の力と引き換えに取り戻した白羽根の力は、ほむらに大きな自信をもたらしていた。

 

「………まどか。いい…?」

 

髪を撫でていた手は今度はまどかの頬に添えられて、顔を少し上向きにさせ、親指で唇の感触を確かめる。

 

「ひゃ…ひ、人が来ちゃうよ…!?」

「大丈夫、誰も来てないわ。それとも……イヤ?」と、わざと寂しそうな表情をしてみせる。

「…ずるいよ。そんな顔されたらイヤだなんて言えないよ……もう」

 

観念したように、それでいてやはり嬉しそうに、そっと目を瞑り待つ。

内心では2人とも心臓が悲鳴を上げそうなほど脈打っており、触れた布越しに伝わってしまうのではないか、などと考えながら2人の距離はさらに縮まり─────

 

 

 

 

 

「おっす、まどか。帰ってきてたのかい?」

 

 

 

 

突如聞こえてきた声にビクン!! と2人の身体が強張り、咄嗟に身体を離して周りをきょろきょろと見回す。

まどかはまどかで確実に聴き覚えのある声色に少し青ざめた顔をして、冷や汗をかき出した。

それからようやく、今自分たちが鹿目家の敷地の真ん前にいつの間にか到着していたのだと気づいた。

声が聞こえてきたのはまさに、ほむらの真後ろの少しだけ離れた位置からだ。

 

「マ、ママ!?」

「ん? どうしたんだいまどか。…あー、その娘が"噂の"ほむらちゃんかい?」

「う、うん…ママこそどうして…」

「いや、あたし今日休みだから。ちょっとコンビニ行ってきた」

「そ、そっか…今日土曜日…だったっけ」

「そうそう。しばらく学校ないから忘れてたのかい? …ふぅん、また随分と綺麗な娘とツルんでるねぇ」

 

と、詢子は今度はほむらの方に関心を向けた。

見覚えのある赤のリボンに、黒い意匠のイヤリング。おまけに艶のある長い髪と、どれだけ服装が地味でも、目を惹くだけの要素は充分すぎるほど兼ね備わっている。

 

「は…"初めまして"、おかあさま。暁美ほむら、と言います」

「んー、まどかからよぉく話は聞いてるよ。…どうした、なんか顔色悪いけど?」

「い、いえ! 大丈夫です!」

 

状況を頭の中で整理し、それからようやく今自分が最悪の状況に陥っている事を自覚した。

周囲の仲間達は誰1人として咎めることはなく、むしろ応援さえしてくれていたのだが、今の自分達の関係───同性同士での恋愛関係は"普通ではない"のだ。

それどころか、後ろ姿から察されてしまったかは定かではないが、まどかにキスをしようとした場面に突如詢子が現れたのだ。

何たる不始末。ほむらは自分自身の迂闊さを呪い、それから恐らく詢子から告げられるであろう死刑宣告に心から怯え、青ざめた表情をした。

 

「…別に、獲って喰おうってんじゃないんだからさ、そんなに身構えなくてもいいんじゃないの?」

「あ…あの、おかあさま。私たちは……その…」

「いやぁ、いつもウチの娘が世話になってるしねぇ、なんかお礼でもしてあげたい(・・・・・・・・・・)んだけど。

そうだ、あんた暇ならちょっとウチに上がって行きなよ」

「ひ、ひゃい!? でも…!」

「別に構わないだろう? まどか?」

「う、うん…」

 

詢子の表情はとても朗らかで、ほむらを歓迎しているように見えた。事実、まどかは"気付かれていない"と軽く安堵し、少し緊張を解いていたからだ。

しかしほむらだけは、詢子の言葉の裏にある意思を感じ取っていた。要は、"話があるから寄れ"と。

 

「……それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」

 

ここは従う他ない。その上で、如何にしてこの場を切り抜ければ良いだろうか。

"別れろ"などと言われようものなら、それはほむらにとっては本当に死刑宣告と違わない。生きる希望を毟られてしまうのと同意義であるし、今更離れられようものか。

何より、まどかを泣かせてしまうことだけは絶対にしてはならない。

クラスメイト、親友。あくまでそういった関係であると強調して、誤魔化すしかない。

頭の中であらゆる質問を想定し、それに対する答えを思考しながら、ほむらはこの時間軸で初となる鹿目家への招待を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

主夫としてとても勤勉に家事をこなし、詢子たちの留守を守る知久によって常時整頓されている鹿目家内は、"いつ来ても"綺麗であると改めて感心させられる。

かく言うほむら自身はルドガーと出会う以前までは、まどかの周辺の監視に追われて必要最低限の掃除洗濯(時にはそれすらも疎かになるが)と、食事はほぼ全て既製品や携帯食糧であり、今も家事は全て宿賃代わりにルドガーに任せっきりの現状だ。

そういった意味では、知久の勤勉さはほむらにとって尊敬に値するものだった。

 

「ま、適当に座ってなよ。あ、そうだまどか。ちょっとパパのとこに行ってきてあげてくれるかい」

「はぁーい」

 

詢子はほむらをリビングに案内しながら、知久を手伝ってくるようまどかに言う。

詢子が指差した方角には家庭菜園があり、知久は今その手入れをしているのだろう、と自然に察しがついた。

もっとも、この家に家庭菜園があることは"知らないはず"なので、敢えて何も言うことはなかったが。

 

「ちょっと待っててね、ほむらちゃん。すぐ戻ってくるから」

「ええ、いってらっしゃい」

 

詢子に促されて家庭菜園の方に向かって行ったことに、ほむらはむしろ一種の安心感を覚えた。と同時に、恐らくは詢子もそのつもりでまどかを遠ざけたのだろう、と考える。

詢子は先にほむらをテーブルに座らせ、冷蔵庫から麦茶の入ったピッチャーとグラス2つを取り、遅れてほむらの真向かいに腰掛けた。

笑っているようで不敵にも見える詢子の表情は、なんとなしに真剣味を帯びているようにも見えた。

 

「………さて、ほむらちゃん。ウチの娘と仲良くしてくれててありがとうよ」

「いえ、いつも良くしてもらってるのは私の方です。本当に、何度助けてもらったか…」

「そうかい。まあ、あの子はお人好しだからねぇ。生まれてからこのかた、嘘も隠し事もしたことがない。してても隠せるような器用な子じゃないけどね、あたしの娘とは思えないくらい自慢の娘だよ。と、まあひとつ聞いておきたい事があるんだけどさぁ…?」

「………何でしょうか?」

 

緊張を悟られないように、努めて自然な顔を作りなが詢子の問いかけを待つ。

さて、最初に何を言われるのやら……と、テーブルの下で掌を握り構えていると、

 

 

 

 

「─────ウチの娘とはもうチューのひとつくらい済ませたのかい?」

 

 

 

 

…詢子の口から出た言葉は、ほむらの予想の遥か斜め上を行っていた。

 

「…っ!!? ち、ちゅー!? な…何を言ってるんですかおかあさま!? だ、第一私達は友達だし、女同士ですし、そんなコト……」

「く、はっはっは。隠すな隠すな。今のあんたの顔、真っ赤だよ? 言っただろう? あの子は隠し事できるタイプじゃない、って。つうか、あんた達さっきまで手ぇ繋いで歩いてたじゃないかい。それにそのリボン、よく似合ってるけどまどかのでしょ?」

「う……」

 

失敗だ。最初から最後まで見られていたのだ。馴染みすぎてすっかり忘れていたが、リボンを返さなかった事も失敗である。出鼻を見事に挫かれたほむらは、いよいよ焦りを抱いてきた。

しかし、動揺するほむらを宥めるかのように詢子は続ける。

 

「…別に、あたしは女同士だからどうこう、なんていう気はないさ。こう見えてあたしも、昔は女子からラブレター貰った事もあるしね。まどかが誰を好きになろうが、それはまどかの自由だと思ってる。

ただ、あたしが言いたいのはそういう事じゃない」

「え…?」

「親なら子供の幸せを望むのはごく当たり前の事だ、それはわかるよね? まどかを幸せにしてやれない、する覚悟がない半端者には渡すわけにはいかないのよ。女同士だったら、尚更ね。…ほむらちゃんは、どういう気持ちでウチの娘と接しているんだい?」

 

詢子は、今度はほむらの目をじっと見つめて険しい表情で問いかけた。

若さ故の勢いや、中途半端な気持ちでいるならば赦さない。詢子の表情からは、そういった意思が読み取れた。

もはや隠し通す事はできないだろう。真剣に、正直にこの想いを打ち明けるしかない。たとえ赦されなくとも、幾多もの時を積み重ねてきたこの想いを、今更曲げる事などできはしないのだから。

何より、どんな形であろうとまどかとの事で嘘をつきたくなかったから。

 

「…おっしゃる通りです。私は、まどかに対して恋愛感情を抱いてます」

「うんうん」

「始めは、この気持ちはずっと仕舞っておこうと思ってたんです。隣に立てなくてもいい、まどかが幸せに暮らせることだけが

私の願いでしたから。

………本当に、この1か月で(・・・・・・)色々な事がありました。まどかだけは絶対に守らなきゃ、そう思って頑張ってきましたけど、何度も挫けそうにもなって……」

 

詢子は、敢えて口を挟まなかった。ほむらの言う"色々な事"が何を指しているのかは定かではないが、もしかしたらここ最近で多発している騒動に関係しているのかもしれないと頭の隅で感じてはいた。

だが、今はそんな事を聴く場面ではないと思ったからだ。

 

「その度に、あの娘が手を差し伸べてくれたんです。私がそうしたかった筈なのに、"私の事を幸せにしたい、守りたい。私といるのが一番幸せだ"って言ってくれたんです。

私、嬉しくて……片想いだったのに想いが通じ合えて…それで、決めたんです。まどかを幸せにしてあげたい…それだけじゃなくて、支え合って、一緒に幸せになりたい…って」

「………成る程ねぇ」

 

詢子はいつになく、恐らく家族にも滅多に見せないようなごく真剣な目つきでほむらの心情を反芻した。

 

「よくわかったよ、ほむらちゃんの覚悟ってやつがね。…その顔だと、もし仮にあたしが"別れろ"って言ったって、聞きやしないんじゃないかい?」

「私は、もうまどかしか愛せませんから」

「こりゃたまげた。それ、中学生の言う台詞じゃないよ? …ほむらちゃんなら、大丈夫そうだね」

「え…じゃあ…?」

「うん、合格合格。その代わり、泣かせたら許さないよ?」

「はいっ」

 

赦しをもらえたからだろうか、力が抜け、目尻に雫が溢れかかっていた。

と同時に、用事を終えてリビングへと向かってくるまどかの足音が聴こえてくる。

詢子はようやくグラスに麦茶を注いでやり、客人をもてなし始めた。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

一方その頃。

ほむらの家で待機していたルドガーは、2人が出て行ってからしばらくしてようやく目を覚ました(が、少し寝ぼけている)キリカの為に現在鍋を振るっている最中である。

キリカの傍らには既に餌を平らげたエイミーがちょこん、と座っており、どうやらキリカに心を許している様子だ。

開かれたカーテンからの日射しが室内を明るくし、窓からは少し湿り気のあるが多少は爽やかになった風が吹き込み、程良い暖かさに身を包まれてまたも眠気に襲われそうになる。

 

「ん〜……いい匂いがする…」

「キリカ、もうすぐ出来るから顔を洗っておいで」

「はぁい…」

 

本当に、戦っている時とそうでない時でギャップが有り過ぎる、とルドガーは改めて思う。まるでエルの面倒を見ていた頃のような…そう、目を離せないのだ。

しかし歳を考えれば、平時のキリカの姿こそが本来有るべきものかもしれない、とルドガーは感じていた。

 

「…何作ってるんだい?」

 

顔をさっと洗い、手早く歯を磨き戻ってきたキリカは、料理の匂いにつられて台所を覗き見てきた。

ルドガーが作っていたのは材料使い回しのオムライスだが、それに並行してトマト缶をベースにしたソースを仕込んでいた。良い匂いの元はこれである。

卵を巻き終わると皿に乗せ、作ったソースをオムライスにかけてやる。トマト好きの兄の為の研鑽の成果は、ルドガーのレパートリーにも大きく影響していた。

とにかく、トマトがあるとどうにか料理に組み込めないか考えてしまう癖が染み付いているのだ。

 

「おお……おいしそうだよ!」

 

完成したオムライスを見てキリカは目を輝かせ、嬉しそうに鼻歌を交えながらオムライスの皿を受け取って持って行った。

スプーンを手に取り、いただきます、と律儀に言ってからふんわりとした卵に切れ込みを入れるとチキンライスの香りが広がり、さらに食欲を掻き立てる。

 

「……おいしいよルドガー! こんな絶品を食べられるなんて、私は幸せだよ!」

「ははは…少し大袈裟じゃないのか?」

「そんな事はないさ、君の料理なら毎日でも食べたいね。…ところで、ほむらはどこに行ったんだい?」

「ああ、ほむらならまどかを家に送りに行ったよ」

「ふぅん……」

 

キリカはスプーンを咥えながら、なんとなしに考えてみる。キリカ自身は恋愛感情や、それに追随するような感情には疎く、それが何なのかすらわかっていない。要は、恋をしたことがないのだ。

ただ、"恋人同士"というとても甘美なフレーズには心がくすぐられるものがあった。無知とは、中途半端な知識と合わさることで時には想像力を異様に豊かにさせるものだ。

 

「案外、明日まで帰って来なかったりして」

「そうか? "すぐ帰る"って言ってたけど…」

「甘いよルドガー。あの2人は恋人なんだろう? それはもう朝まであんな事やこんなコトも……うん? 女同士って、どうやってする(・・)んだろうね…」

「そ、それは考えすぎじゃないのか!? だって、まだあの2人は子供だろう!?」

「どうかな? というかほむらは精神年齢だけなら君より高そうだけど。ほら、時間遡行…だっけ? 何回跳んだのかは知らないけど。

そういえば君は、"そういう経験"はあるのかい? ぜひ参考までに訊きたいんだけど…」

「ほ、ほらキリカ! オムライス冷めるぞ!?」

 

危うく火の粉を浴びそうになったルドガーは、半ば無理矢理会話を切り、キリカの手元を皿に向け直させる。

 

(そんなこと、あるわけ…ないよな?)

 

とはいえ、キリカの妄言の影響は確実にルドガーにまで及んでいた。

ちなみに現在に至るまで、ルドガーには"そういう経験"は、皆無(ゼロ)なのだが。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

日も落ち、カーテンを閉めて室内灯が灯された頃───ほむらは、想定外の事態へと陥っていた。

リビングのテーブルの上には料理の跡があり、鹿目家全員と、加えてほむらも同席している。

 

「……ごちそうさまでした。すみません、晩ご飯まで頂いて…」と、少々気まずそうに知久に礼を言う。

「いや、いいんだよ。僕も一度、まどかの親友に会ってみたかったしね。まどかってば家で毎回君の話ばっかりしてたから、どんな娘なのかなって思ってたんだ」

 

2人が交際している事は、詢子の胸の中にだけ留めてある。知久からしたらほむらは、"特別仲のいいまどかの親友"という認識しかない。

子供用椅子にかけて小さな安全フォークを持ったまどかの弟、タツヤもほむらに完全に心を許したのか、顔を見ながらにこにこしている。

 

「あ、そうだほむらちゃん」詢子は、ようやく1本目の缶ビールを空け終わるあたりで思い出したように言った。

「今のうちにお風呂入ってきなよ」

「え、お、お風呂…ですか? でも…」

「気にすんなって。泊まってくんだから、風呂ぐらい入ってもらわなきゃ、ね?」

「と…泊ま……えっ?」

 

…こんなつもりじゃなかったのに、何故こうなった。ほむらは原因不明の頭痛に悩まされ始めてきた。

詢子との話が終わり、適当なところで帰ろうとしたところでタツヤと遊んでやるよう頼まれ、まどかと共にあやしていたら日が暮れ、その裏では知久が既にほむらの分も込みで夕飯を拵えていたのだ。

殆どなし崩し的に、夕飯まで頂くことになってしまっていたのだった。

 

(…というか、何時の間に泊まる流れになったのよ……詢子さん、まさか最初からこのつもりで?)

「ついでにまどかも一緒に入ってくれば?」と、詢子のとんでもない提案によって思考していたほむらの意識が無理やり引き戻され、

 

「「い、一緒に!?」」

 

と、揃って間の抜けた声で応えてしまった。

 

「何驚いた顔してんだい? あたしもむかぁしは親友と風呂入ったりしてたし、別に問題ないだろう?」

「で、でもまどかに迷惑ですよ、そんなの」

「ふぅん…そうなのかい、まどか?」

 

…この時の詢子の顔は、ほむらを試しているのか、はたまた単純にからかっているのか、少し意地の悪そうな笑顔をしていた。

これも恐らくはその手に持っている缶飲料(只今2本目)の効果なのだろう、などと考えながら隣に座るまどかの方に向き直った。すると、

 

「わ……私は、迷惑なんかじゃ、ないけどな…」

「えっ?」

「だ、だから…ほむらちゃんさえ良ければ、一緒に…お風呂入ろっか…?」

 

 

成る程、これが先刻まどかが言っていた「そんな顔されたら断れない」という表情なのか。

そんな事を考えながら、ほむらはほぼ反射的に首を縦に振っていた。

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

その十数分後。

入浴剤によって乳白色となった湯船の中には、今にものぼせてしまうのではないかというぐらいに顔を赤くし、向かい合わせで浸かる2人の姿があった。

あまりの気恥ずかしさにほむらは視線を外に逸らし、"そういえばルドガー達に遅くなると伝えてなかった"と思ってみたり、度々触れてしまう脚の感触がすべすべで動悸が収まらなかったり、この先どうしたらいいのかわからず必死に頭を悩ませたりしている。

唯一幸いなのは、乳白色の湯のおかげで肩より下が互いに見えずにいることくらいか。それでも、湯船に入るに当たって自慢の(と本人はさほど思ってはいないが)長い黒髪を借りたヘアバンドで後ろに纏めてあるせいか、身体を隠せている気がまるでしない。

 

「…ほむらちゃんってさ」

「な、何かしら? まどか」

「ううん…その…そうやって髪まとめてると、なんだか大人っぽく見えるっていうか…」

「そう…かしら…?」

「うん、羨ましいなぁって。ほら私、少しくせっ毛だし。私もほむらちゃんみたいに伸ばしてみようかなぁ」

「わ、私は今のまどかのままでも可愛いと思うわ」

「そうかなぁ……」

 

と、まどかは一息置いて、それから身体を少しだけ起こしてほむらとの距離をやや縮めた。

 

「てぃひひ、もうちょっとそっち行ってもいいかな…?」

「っ!? で、でも身体が、当たっちゃうわよ?」

「わ…私だって恥ずかしいんだよ? でも、いいの。ほむらちゃんだから、いいの!」

「きゃっ!?」

 

恥ずかしさに赤面しながらも、勇気を出してほむらとの距離を更に縮める。

真正面同士だと体勢が辛いので、まどかは後ろを向いてほむらの身体に背中を預ける形で、あまり重さをかけないよう意識しながら寄りかかる。

緊張と湯気にあてられつつあるほむらの思考がより一層掻き乱され、目の前にある温もりの事しか考えられなくなった。

 

(ま…まどかの背中が、体温が、いい匂いが…!?)

「…ほむらちゃん?」

「ひゃい!?」

「その…重くないかな」

「そ、そんな事はないわよ」

「そっか、良かった。…ほむらちゃんって、あったかいね」

 

ここは湯船なのだからそれは当たり前なのではないのか、とほむらは空回りする頭の中で思考するが、そういえば出会って間もない頃にも同じ事を言われたっけか、と思い出す。

思えば、この時間軸のまどかは転校してすぐから随分と積極的にほむらに接し続けていた。

"友達でさえいられなくなった"と自棄になっていたほむらにとってそれは何よりも嬉しく───そして、残酷でもあった。"決して諦めない"という決意をしていたが、既にほむらの心は折れかかっていたのだから。

いつしか、自分の方こそまどかの事を信じてやれなくなっていたのではないか、と過去を振り返る。

それでもこうして同じ時を過ごせていることは(些か段階を踏み飛ばしている気もするが)、やはりこの上なく幸せなことなのだろう。

目まぐるしく廻る思考回路も、それを思い出して少しずつ落ち着きを取り戻してきた。

 

「…まどか、あなたに言わなきゃいけないことがあるの」

「うん…どしたのかな?」

「その……ごめんなさい。おかあさまに私達のこと、ばれたわ」

「えっ!?」

「手を繋いできたあたりから全部見ていたそうよ…」

「……ママは、何か言ってたの? もしかして…!?」

 

と、まどかはやや血の気の引いた顔をして振り返り、尋ね返した。

 

「それは大丈夫よ。認めてくれた…のかはまだわからないけれど、大丈夫。

…私も、最初は"親友だ"って言い通して誤魔化そうかと思ったわ。でもできなかった…この気持ちに、嘘をつきたくなかった」

「そっか…でも、きっとママも、正直に話した方が怒らないと思うよ。ごめんね、ほむらちゃん。私からも、ちゃんとママにお話しなきゃ…」

「いいのよ、焦らなくて。ねえ…まどか。もっとこっち向いて?」

「うん…んっ、」

 

ほむらは返事を待たずに、半身だけ向いたまどかを更に抱き寄せて、紅く潤んだ唇同士を重ね合わせた。

 

「…大好きよ、まどか」

 

どこまでも純粋で、それでいて揺るぎない感情の込もった笑みに、まどかは胸の高鳴りと共に安心感を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

 

夜───明かりの消えたまどかの自室では、2人がぬいぐるみに囲まれた小さなベッドの上に並んで天井を見上げていた。

掛け布団の下では互いに指を絡ませ、温もりを確かめ合っている。

 

「なんだか、まどかと一緒にいると時間が経つのが速く感じるわね」

「うぇひひ、私もおんなじこと考えてた」

「でも…本当に迷惑じゃなかった?」

「そんな事ないよ。私だって、もっと一緒にいたかったもん」

「そう…嬉しいわね」

 

楽しい時間ほど過ぎるのは速く感じるもの。そういった感覚を、ほむらはいつしか遠くへと置き忘れてきてしまっていた。

それを取り返せたのもひとえに、まどかと想いを通わせ合うことができたからだろう、とほむらは思う。

 

「……ワルプルギスの夜は、今から6日…いえ、5日後にやってくる。明日から備えなければいけないから、しばらくはのんびりとしてられないわ」

「……そっか、もうすぐなんだね…」

「ねえ、まどか。ワルプルギスを倒して、この街を…あなたを守ることができたら、そうしたらもっと色んな事をあなたとしてみたいの。

またデートもしたいし、お泊まりもしたい。その先だって…もっともっと、恋人らしい事をしたいの」

「うん、すごく楽しみだよ。……でもね、ほむらちゃん。もしも勝てなくても、私はほむらちゃんがいてくれればそれでいいんだよ…?」

「だめよ、それじゃあ。私達だけが幸せじゃあいけない…いいえ、幸せになんてなれないわ。

…大丈夫。私は…私達は、絶対に負けない。みんなで幸せになるの」

 

ワルプルギスの夜を越えたその先───今まで考えもしなかったことだ。

それでも今のほむらには、まどかと一緒ならば越えられるという大きな自信があった。まどかと一緒でなければ、何の意味もないのだ。

 

悪夢を越えた先にあるまだ見ぬ未来を夢見て、少女達は眠りに就く。

穏やかに、静かに、夜は更けていった。

 

 


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