誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

26 / 39
第26話「もう2度と、諦めたりなんかしない」

1.

 

 

 

 

 

──────いつも、そう。

 

 

 

 

貴女はいつだって、こうして私の傍からいなくなってしまう。

 

 

 

 

貴女のいない世界に希望なんて、ない。

 

 

 

 

貴女のいない世界なんて、必要ない。

 

 

 

 

ああ───それでも貴女は足を止めない。

 

 

 

 

結局、私も貴女にとってワン・オブ・ゼムに過ぎないということ。

 

 

 

 

ならば、いっその事。

 

 

 

 

貴女がまた私の前から消え去ると言うのなら、いっそ──────

 

 

 

 

言ったでしょう?

 

 

 

 

 

もう2度と─────貴女を離さない、と。

 

 

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

「──────っ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 

 

うなされながら眠り続け、およそ1日半。額に、身体中にいやな冷や汗をかきながらベッドから跳ね起き、ようやくほむらは目を覚ました。

 

「………夢? それに、ここは……私の家……?」

 

 

どんな悪夢を見ていたのか、目を覚まして数秒後にはもう思い出す事は叶わなかった。ただ、ひどく心を抉られたような後味が残るだけだ。

場所を移されていた事にはもう疑問は持たない。例の如く、暴走して気を失ったあとに運ばれたのだろう、と察しがつく。

だが、それにしては少し部屋の様子が違うように感じられた。普段ならば生活音の感じられない無機質な部屋であり、ルドガーが来たことで多少はそれが変わりつつあったのだが、今なんとなしに感じるのはルドガーとは違う"誰か"の気配。それも、懐かしささえ感じてしまうようなものだ。

服もそうだ。いつの間にか自分の着ていた服は薄手の寝間着へと着替えさせられていたのだ。

ルドガーはほむらを看病こそすれど、着替えまではしてやる事は絶対にない。その"誰か"、恐らくは魔法少女達の中の誰かがやってくれたのだろう、と考える。ほむらの脳裏に真っ先に浮かんだのは、つい先刻まで共に分史世界にいた親友の名である。

 

「………さやかが、これを…?」

 

直後、どたどたと落ち着きのない足音が寝室へと近づいてくる。がちゃり、と勢いよくドアが開くと顔を出したのはさやかではなく、

 

「ほむらちゃん! 目が覚めた!?」

「まどか……!? どうして、あなたがここに?」

「ほむらちゃんがまた倒れたって聞いて……それで、わたし…」

「…ごめんなさい、また心配かけたわね。ルドガーは、向こうにいるのかしら」

「………その、ルドガーさんたちは……」

「まどか?」

 

どうにもはっきりとしない返事をするまどかに対し、何か言いづらい事でもあるのだろうか、とわずかな疑念が浮かぶ。

 

「ルドガーは、いないのかしら」と、念を押すようにほむらは再度問いかけた。

「………ほむらちゃん、ルドガーさんはね…」

 

それでもやはり言いづらそうにして、服の裾をぎゅっと握りながら声を渋る。

静かで、2人の呼吸をする音しか聞こえないような室内は少し息苦しくも感じられた。

外からのかすかな雨音だけが室内に響き、静寂の中に緊張感が伝う。

 

「………あのね、また魔女が現れたんだって。それで、ルドガーさんが倒しに行ったの」

「魔女? ………まさか」

 

どの魔女か、などとは訊く必要はなかった。窓の外から見える大粒の雨を見れば、それはすぐにわかるからだ。

倒すどころかほぼ一方的に嬲られ敗北を喫した、ワルプルギスを除けば間違いなく過去最悪の魔女。

 

「………人魚の魔女、ね」

 

まどかからの返事はない。だが、その沈黙はそのまま肯定と同意義であった。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

降りしきる雨の中を傘もなしに駆け出し、ほむらの家から少し離れた通りに出た辺りで、白い小動物の姿をしたモノがルドガーとキリカの前に現れた。

 

『やあ、君たちを待っていたよ』

「キュゥべえ…!? そうか、お前……」

『そうさ。僕達はここから先へは進めないからね。全く、僕達を妨げるなんてどんな仕掛けの魔法を使ったんだか』

 

以前言っていた話だが、キュゥべえはほむらの家の周辺に近づく事ができない、という。

キュゥべえの弁を借りるならば家の周辺に結界のようなものを張っている、という事だが、ルドガーの知る限りではほむらにはそんな魔法はないはずだった。

ともあれ、雨の妨害でテレパシーも通じない今となっては、分体を使って迎えに来るという判断は的確と言えよう。

 

『魔女の反応は見滝原駅周辺から出ているね。マミ達は既に先に向かっているよ』

「俺たちもすぐ行く、って伝えられるか?」

『可能だよ。テレパシーは使えないけれど、"僕達"は意識を共有しているからね』

「わかった。行こう、キリカ。……キリカ?」

「……………」

 

集合場所も確定し、先を急ぐ事態であるにも拘らず、キリカは何故か腕を組んで考え事をしている風に見えた。

 

「……ねぇ、"しろまる"。君はどうしてここから先に進めないっていうんだい?」

『しろまる? それはもしかして僕の事を言っているのかい』と、不自然な角度に首を傾げながらキュゥべえが答える。

「だって君、白いし背中に丸いしるしがあるじゃないか。だから"しろまる"。それより、答えてよ」

『僕にもよくわからないんだよ。本来僕達には感情はないはずなんだけれどね。とにかく、ほむらの家に近づこうとするととても不快な気分になるのさ。

僕達は、ほむらが精神に干渉する類の結界を施して僕達の接近を妨害していると考えているんだけどね』

「結界? そんなもの、どこにあるのさ。私は何も感じなかったよ」

『それがわかればこんな所で立ち往生なんてしていないさ。解析さえ済んでしまえば無力化するのは簡単なんだけれどね』

「ふぅん。つまり、しろまるにもよく解らない、と」

『きゅっぷい』

 

あざといキュゥべえの鳴き声に対して、刺すように鋭く冷たい視線を飛ばすキリカ。

魔法少女の真実の殆どを既に知っているだけあって、キリカにとってもキュゥべえは嫌悪の対象であるようだ。

 

『とにかく急いだ方がいいんじゃないのかな。結界は段々と力を増し続けてる。早く倒さないと手遅れになるかもしれないよ』

「そんな事お前に言われるまでもないよ。行こう、ルドガー」

「ああ、急ごう。案内を頼むぞキュゥべえ」

『きゅっぷ、わかったよ』

 

明け方近いものの未だ薄暗い空の下をさらに駆けてゆく。

時間帯的にひと気がない事だけが唯一、不幸中の幸いといえるだろうか。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

朝早い時間でありながらも、見滝原駅構内は不気味なほどに静まり返っていた。

人がいないからではない。改札の駅員はうつ伏せの格好でデスクにもたげており、改札を通ってホームに上がれば始発近くの電車で通勤するであろう人達がちらほらと見られるが、その全てが気を失って倒れているという異様な光景だ。

 

 

「おっせぇぞルドガー。………ん? その娘も一緒かよ」

 

と、2人の姿を見て真っ先に口を開いたのは杏子だった。

 

「杏子! これは、一体何があったんだ? まさか魔女の影響で…」

「いんや、こいつらはアタシがお寝んねさせたんだよ」

「え……?」

「私達がここに来た時なんか、本当に大変だったんですよ?」と、やや疲れたようにさやかが続けて言う。

それに倣うようにマミは、

「みんな揃って線路に飛び込もうとしてたの。何人かは実際に線路に落ちてたわ。だからみんな気絶させて、落ちた人も救い上げたのよ。

電車も止めるしかなかったわ……ついさっき、美樹さんが線路を壊してきたところよ。この様子だと、魔女を倒すまでは電車を走らせるわけにはいかないわ」

 

言いながら指差した方角はホームの最奥近くのベンチ。

その周辺からは一際強い魔女の反応があり、結界の入り口から瘴気がかすかに漏れ出ているのが見てとれた。

今この場に倒れている人達はみな、ここから漏れ出る瘴気にあてられて自殺衝動を駆られたのだろう。

 

「…ところで、ルドガーさん。その娘…キリカさん、って言ったかしら。もう平気なの?」

「私なら問題ないよ」と、マミの言葉尻を遮るようにキリカが答えた。

「体力も戻ったし、浄化も済んでる。早く行こう、あの魔女は危険なんだろう?」

「え、ええ……」

 

キリカはやや足早に、他の少女達から目を逸らすようにその場を抜けて結界の近くにまで歩いていってしまう。

その後ろ姿は一見気丈にも見えたが、影の結界での出来事を全て識っているルドガーはかすかな不安を覚えた。

 

「キリカ、待ってくれ」

「………どうしたんだい?」

「その、すまない。この世界の杏子は、キリカの識ってる杏子じゃあ……」

「いいって。なんとなくそんな気はしてたからさ。…大丈夫、心の整理はできているよ」

「…そんな泣きそうな声で、大丈夫だなんて思えないよ」

「ふふ。君は優しいね、ルドガー。でも大丈夫…全部終わるまでは、泣いてるヒマなんてい。

君もそうだったんだろう? ルドガー」

 

影の分史世界で、キリカの慕っていた"佐倉杏子"は目前で殺された。今この場にいる杏子は、キリカの識らない"佐倉杏子"なのだ。

それと同じような痛みを、かつてルドガーは体験していた。だからこそ、その痛みはすぐに割り切れるものなどでは決してない、と感じられるのだ。

 

(…あの時、ミラの手を離して…その直後にミラ…マクスウェルが現れた。

正直、あの時はなんて言えばいいかわからなかった。だって、俺にとっての"ミラ"は、もう………)

 

傷ついている暇などなかったのは事実だ。だがそれ以上に、"ミラ"を失って酷く悲しんでいたエルの前で、自分までもがみっともなく泣いてしまう事など、とてもできなかったのだ。

まだ15にも満たないであろうが、努めて冷静でいられたキリカの心は、見た目や所作とは裏腹にずっと大人びているように感じる。

黒衣に身を包んだその姿に自分を重ねながら、ルドガーはキリカの頭を優しく撫でてやった。

 

「…キリカ、無理はするなよ」

「わ、わっ…う、嬉しいけど、くすぐったいよ…?」

「─────おぉい、何オマエらイチャついてんだよ」

 

いつの間にか、2人の周りには他の少女達が集っていた。痺れを切らした杏子が、わざとらしく高い声で2人を嗜める。

 

「それよりソレ、見てみろよ。なーんかよくわかんねぇガラの結界なんだけどさぁ…」

「……これは、結界………なのか?」

「みたいだぜ? キュゥべえに聞いてみても、"開けられない"しか言わねえんだよ。ったく、こういう時に使えねえヤツだよなぁキュゥべえは」

 

ルドガーの目前にある黒い結界の扉は、今までに見てきたモノとは違って複雑な紋様が刻まれており、その中央にはまるで鍵穴のように空いた円が記されており、歯車のように緩い時計周りで回転していた。

これまでの結界は近づけば勝手に取り込まれてしまうようなモノであったが、まるで時計の基盤のような意匠の結界は、ある特定の人物を誘っているのが一目瞭然だった。

 

「………"時計を壊す"のは得意だろう、っていう事なのかな、これは。みんな、少し下がってくれ」

 

言うとルドガーは骸殻の力をセーブしながら解放し、第1段階───クォーター骸殻を纏い、槍を造り出す。

 

「はぁっ!!」

 

力一杯握り締めた槍を結界の鍵穴に強く穿つと、緩やかに廻っていた結界の蓋は停止し、中央からひび割れてゆく。

ガシャン、とガラスが砕けるような音と共に蓋は散り、いよいよ周囲の空間を浸食し始め、招かれた客を結界の中へと引きずり込んでいった。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

結界の入り口を跨いだ瞬間、周囲の景色が一変し、ひと気のない駅のホームは2階層の長い回廊が縦に伸びる薄暗い場所へ。

何処からか聞こえる機械の駆動音と、かすかに漂う血の臭いは、ルドガーの中の忌むべき記憶のひとつを呼び起こしていた。

4人の魔法少女達は結界突入と同時に武器を構えて臨戦態勢を整えるが、ルドガーだけは骸殻を解きながら結界内の光景を見て一層強張った表情をする。

 

「………やっぱり、人魚の魔女は俺への嫌がらせが好きみたいだな」

「まさかルドガーさん、ここも見覚えがあるんですか」と、さやかが少し心配そうな顔をして尋ねた。

「ああ。"旅船ペリューン"………ここは、船の中だよ」

「ふ、船!? てことはまさか、ここも分史世界…って事ですか?」

「それはないと思う。俺の骸殻も特に反応しなかったからな。たぶん、人魚の魔女がペリューンを真似して結界を作ったんだ」

「………でも、なんの為にですか? この船が、ルドガーさんにとっての嫌がらせになるんですか?」

「………俺は、この船で大事な仲間を失った事があるんだよ」

「!? そんな……それじゃあ…!」

 

他の魔法少女と比べてもマミと並ぶ程に正義感の強いさやかは、人魚の魔女が仕組んだであろう卑劣な行為の数々に改めて憤りを感じていた。

ルドガーのトラウマを抜きにしても、どういう手を使ったのか病院にいた上条恭介さえも人魚の魔女に攫われているのだ。

 

「あいつ、許せない……!」

「さやか、イライラして取り乱せばそれこそあいつの思う壺だ。…とにかく先に進もう。甲板に出られれば、何かわかるはずだ」

 

ルドガーは自分に言い聞かせるかのように、さやかの苛立ちをなだめる。

皆に動揺を見せないように表情を引き締め、甲板へと続く方角を向いて足を進めた。

それを待っていたかのように、白塗りのシルエットをした人型の使い魔が回廊の上いっぱいに現出して、一斉に楽器のようなものを構えた。

 

「ルドガーさん、気をつけて! あいつら嫌な音を鳴らして動けなくしてくるわ!」

 

以前にその使い魔の攻撃方法を見ていたマミが全員に注意を促しながら、牽制弾を何発が放った。

 

「音? 耳を塞げばいいじゃないか」と、キリカはイマイチ現実味を感じていないように聞き返す。

「そんな生易しいものじゃないわ…! まるで頭の骨を直接揺さぶられてるみたいな音なのよ。それにこれだけの数…まともに聴いてたら吐くわよ」

「それは不協和音、というやつかな…確かに、聴きたくはないね!」

「気が合うじゃねえか、アンタ。なら突っ込むぞ!」と、杏子がキリカの意見に同調して言った。

直後にキリカが飛び出して行き、鉤爪を両手に構えて使い魔の群れに飛び込んでいった。

それを追うように、杏子もまた駆け足で群れを切り崩してゆく。

マミは後方からの支援に徹してマスケット銃をばら撒き、さやかとルドガーは互いに擬似リンクを繋いで同じように1対の刃を構えた。

 

「行こう、さやか」

「はいっ!」

 

リンクの糸を通してさやかの発動した加速術式が伝播し、ルドガーの脚も同様に速まる。

 

「舞斑雪っ!!」

 

加速術式を受けて放つ俊足の居合斬りはもはや目にも留まらぬ速さであり、呻き声も上げずに斬り裂かれた使い魔は霧散してゆく。

次いでさやかも後に続き、2本の円月刀を器用に振りかざして道を拓く。

 

「どいてもらうわよ!」

 

マミも使い魔に対抗して無数の銃を展開させ、出し惜しみなく弾丸をばら撒きながらさやかの拓いた道を更に押し拡げていった。

 

「その奥の扉を越えればメインホールに繋がる階段があるそ!」

「了解だよ、ルドガー!」

 

ルドガーの指示を受けたキリカは、速度低下魔法を使って使い魔の群れからひとり飛び出し、奥の扉へと走る。

道を塞ごうと新たな使い魔が現れるが、相対的に速まって見えるキリカの爪撃の前に抵抗すらできずに散らされてゆく。

難なく扉の前へと一番に辿り着いたキリカは、最初は素直に扉を開けようと手をかけた。

しかしその扉は堅く閉ざされており、キリカはすぐに開くのを諦めて魔力を込めた爪撃を錠の部分に打ち付けた。

 

「砕けろぉぉっ!」

 

だが錠に鉤爪が触れた瞬間、物理的な干渉ではない何かの術式によるブロックが働いて、キリカの鉤爪を跳ね返してしまった。

 

「………だめだ、私の力では壊せない! ルドガー! 頼むよ!」

「わかった、キリカ! そこを離れるんだ!」

 

使い魔を蹴散らしながら扉の近くへと駆けつけたルドガーとさやかは、既に剣先に冷気を纏わせて大技を仕掛ける準備をしていた。

それを確認したキリカは後ろへと下がり、息を呑んで2人の姿を見守る。

 

「いつでも行けますよ、ルドガーさん!」

「ありがとう、さやか! 行くぞ───砕け散れ!」

 

2人の剣先から放たれた氷の衝撃波は、目前にある扉を上から下まで瞬時に包み込み、続き打ち込まれたルドガーの拳によってヒビが加えられる。

 

「「絶破・烈氷撃っ!!」」

 

そのヒビは氷塊全体へと広がり、内包した扉さえも謎の術式を無視して亀裂が入る。

とどめとばかりにさやかのサーベルが2本氷塊に突き立てられると、キリカの鉤爪を弾いた扉は積もった雪が崩れるかのように大きな音を立てて瓦解していく。

その先にはルドガーの記憶通り、上階から円曲に繋がる2つの階段があるフロアがあった。

 

「みんな、行こう!」

 

使い魔の群れを薙ぎ払って追いついたマミと杏子に促し、ルドガーは湾曲して伸びる階段を駆け上がっていった。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

甲板から見る空は一面に暗雲が広がり、霧雨を伴いながら遠くで雷鳴を轟かせていた。

しかし、船外を眺めてみても180度に広がる水平線しかなく、エレンピオス、或いはリーゼ・マクシアの景色は一向に見えない。

広い海原の上にただ一つだけ、旅船ペリューンを模したモノが浮かんでいるだけだ。

 

「やっぱりここは分史世界じゃない。ただの結界みたいだな」

 

景色を眺め、改めて確信したルドガーは視線を戻し、甲板の先にあるメインホールへと歩き出す。

少女達はルドガーの案内に導かれながら、どこか不安を誘うような湿気た空気に緊張感を抱いている。

メインホールに近づくにつれて少女達のソウルジェム、或いはルドガーの懐中時計にも魔女の反応が大きく伝わってきていた。

メインホールの扉の前でルドガーは立ち止まり、いま一度少女達に問いかけた。

 

「………たぶん、この先に人魚の魔女がいる。みんな、覚悟はできてるか?」

 

見滝原中学での戦いでは、人魚の魔女を倒すどころか手痛い大敗を喫したも同然だった。

圧倒的な魔力を秘めたほむらの黒翼によって撃退まではさせることは出来たが、そのほむらもまだ目を覚ましておらず、それ以前に負担が大きい為、黒翼を当てにする事はもう出来ない。

新たにキリカが戦線に加わってくれたものの、結局人魚の魔女の回復魔法に対する解答がないままなのだ。

勝てる見込みは、と聞かれれば、素直に首を縦に振る事は出来ないだろう。

 

「へっ…そんなの、今になってわざわざ訊くのかよルドガー?」

 

と、第一に杏子が飴を咥えながら答え、それに続くようにマミも言葉を投げかける。

 

「やるしかない、でしょ? たとえどんなに絶望的な相手だとしても、私達には絶望してる暇なんてないわ。そうでしょ、ルドガーさん?」

「マミ……!」

「ルドガー、私はまだ君とは短い付き合いだけれど、もっと君から教わりたい事がいっぱいあるんだ。こんな所で私達の未来を終わらせるつもりはないよ」

「ちょっ……キリカ、あんたそれ告白のつもり!?」と、キリカの発言にさやかが不意を突かれたように驚いた。

「あ、あんたってルドガーさんのこと…そうなの?」

「ん? どうしたんだい、さやか。ルドガーは私の恩人だよ。それにルドガーには……ああ、私が言っていい事ではないね」

「え、えっ!? ちょっと、最後まで言いなさいよキリカ! ああもう、つうか私からもなんか言わないと決まんないじゃんか! ええと………」

 

ペースを失いあたふたするさやかの姿を見て、ルドガーは逆に安心感を覚えていた。

初めて出会ってから本当に色々な事があったけれど、魔法少女になったとしても、この娘はちゃんと変わらずにいてくれた。そう思うと自然に微笑みが溢れてくるのだ。

 

「と、とにかく! ………ルドガーさん、絶対に勝ちましょうね。ワルプルギスも人魚の魔女もぶっ倒して、恭介も…あの2人も、絶対護るんだから!」

「ああ、もちろんだ!」

 

改めて決意を固めた4人を見て、ルドガー自身も内に秘めた決意…"みんなを守る"という想いをより一層強く噛み締める。

これが、人魚の魔女との最後の決戦。メインホールへの扉を開け、5人はゆっくりと中へ進んでいった。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

中央のステージを取り囲むように円状に空の座席が並び、そのど真ん中にひとつの人影がぽつり、と立っているのが見える。

遠目からでもわかるソレは、ルドガーの隣にいる少女と同じ蒼の髪色と、時歪の因子としての特性によるものか対象的に漆黒へと変化した装束を纏い、不敵ににやつきながら来訪者を待っていた。

 

『───ハ、特設ステージへお揃いで、ようこそ!

お気に召してくれたかな、お兄ィさん?』

 

見え透いた挑発だが、ルドガーはもはやその程度では動じずに、少女達を率いて人魚の魔女の立つステージの上に降りる。

 

『おやぁ? まだあの悪魔はオネンネしてんのかな? まあいっか、あんな奴いつでも殺せるんだし』

「ふざけんな! あんた、恭介をどこにやった!?」

「お、おい下手に動くなさやか!」

 

さやかは痺れを切らし叫び、今にも斬りかかりそうな剣幕だったが、とっさに杏子が手でそれを遮った。

 

『そう吠えんなよ、"あたし"。本日のショーの観客ならちゃあんとあっちにいるよ?』と、人魚の魔女が指差したのは、ルドガー達から見て正面の、座席を昇ってさらに上の方。

そこには歪な氷塊のようなものが宙に浮いており、目を凝らすと何かを内包しているようにも見える。

 

「あんた、まさか恭介をあの氷の中に!?」

『あっはは、安心しなよ! "あたし"が恭介を殺すわけないじゃん。ま、あんたは元のあたしよりも魔力が随分と強いみたいだけど、氷を操れるのはあんただけじゃないってことよ!』

「うるさい! あんた絶対赦さない!!」

「落ち着きなよ、さやか」怒りに満ちたさやかを、冷ややかな声でキリカがなだめた。

「あんな見え透いた挑発、乗ってやる事はないさ。どの道、あの魔女を倒さないと私達には未来はないんだから。

…しかし、驚いたね。君からは確かに魔女の反応がする。なのに、ここまで原型を、理性を保っていられるなんてね。

君も私と同じ、並行世界の住人なのかな?」

『あんた、相変わらず生意気よねェ。ふぅん………マリアの創ったセカイからわざわざこんな面倒な女連れてきたんだ?』と、人魚の魔女はキリカを一瞥しながら言う。

 

『そっかそっか、"こっちの"キリカはくたばっちゃってんもんね。あーあ、お兄ィさんの大好きなカノジョも、オリジナルがくたばってれば助かったのかもしんないのにねェ?』

「…………!」

『おぉう、怖い怖い。そんな睨まなくたっていいじゃん?

それにどーせ、今日ここであんたらみーんな、死ぬんだからさ!』

 

ぎょっと見開かれた瞳は右側だけ血のような赤に染まり、狂気を内包している。

それを見てルドガーはひとつの心当たりに気づく。

影の魔女が内包していたカナンの道標。分史世界のほむらの心臓に位置していたソレはまさしく、自身の世界を守るための本能が秘められた"箱舟守護者の心臓"であったのだ。

もし、影の魔女がカナンの道標を取り込んだのが意図的なものであり、その力を行使する為だとしたら、それは目の前の相手にも同様の事が言えるのではないか、と。

 

「その眼……まさか、お前も? そうか、お前が呪霊術を使えたのはそういうことか!」

『そ、さすがだねェ! あたしの右眼には"海瀑幻魔の瞳"が入ってんのよ。ま、それだけじゃないんだけどねェ!』

 

ぱちり、と気障ったらしく指を鳴らすと共に人魚の魔女の周辺に魔力の奔流が起こる。

 

「くっ……みんな、来るぞ!」

 

ルドガーの掛け声を待つまでもなく、後ろにいた少女達は既に各々の得物を構えていた。

人魚の魔女は挨拶代わりと言わんばかりに剣を何本も宙に造り、得意の連続射出の用意をする。

 

「何度も同じ手は食らわないわよ!」

 

対してマミは同じようにマスケット銃を無数に並べ、その銃弾の雨で飛び交う剣を迎え撃ち始める。

機関銃の如き轟音を立て、硝煙が舞い散る中を赤い槍と鉤爪を携えた2人が突っ切るように飛び込んでいった。

 

「遅れんなよ、黒いの!」

「そっちこそ!」

 

ほぼ同時に得物を振りかぶり、眼前の敵に対して刃が触れようとするが、

 

『今のあたしなら、あんた達の相手なんて簡単にできる』

 

と、余裕を込めてうそぶき、両手に構えた半月刀でそれぞれの攻撃をいとも容易く受け止めた。

力比べをするかのように刃は鈍く軋む音を立てるが、人魚の魔女の片手分の力と、キリカ、杏子の力の均衡は徐々にぶれてゆく。僅かながらも、2人の方が押されているのだ。

 

「く、このぉっ!」

 

キリカは人魚の魔女を対象として速度低下術を発動させ、形勢逆転を試みる。

それは術の有効範囲内にいる杏子も巻き込んでしまう形になるが、瞬時に鉤爪を抜いて左側面へ回り込み、横から鉤爪の一太刀を浴びせようと素早く腕を振り抜いた。

 

『はっ、あんたの魔法───その程度なんだ?』

 

しかし、速度低下術をかけたにも拘らず人魚の魔女は"ごく普通に"口を動かし、右手で杏子を抑えながら左手の剣で、再びキリカの爪撃を受け止めた。

 

「!? そんな、どうして……」

『あんたって、馬鹿ねェ。遅くさせられてんなら、その分"速く動けばいい"に決まってんじゃん?』

「そうか、君にも加速魔法が…! ちぃっ……」

『あっはは! 遅い遅い!!』

 

速度低下術が効かないと踏んだキリカは術を解き、杏子と共に数歩下がる。

だが、加速魔法を使っている人魚の魔女は2人を逃がさんとばかりに瞬時に追撃を試みた。

 

「「───モータルファイア!!」」

『ちっ…!』

 

そこにマミとルドガー、2人の息を合わせた号砲が杏子とキリカの間をすり抜けて飛んでゆく。

しかし今の人魚の魔女にとっては魔力を込めた砲弾の速度すらも難なく回避できる程度のものとなっている。

 

『だーかぁら、遅いっての! スプラッシュ・スティンガー!!』

 

砲弾をも易々と躱すと、宙に無数の半月刀を錬成し、それらを一気に射出して反撃を始めた。

広範囲に広がる半月刀の配列は、回避し切るのに困難を極め、少女達は一瞬、背筋が凍るのを感じる。

だが、その中で唯一マミだけは目を逸らさず対峙し、駆け出して前に出て行った。

 

「言ったでしょう、同じ手は何度も食らわないって! ───出なさい、アイギス!」

 

マミが錬成したのは得意のマスケット銃ではなく、本来の固有魔法である黄色いリボンの束だ。

何十メートルはあるように見える1本のリボンを螺旋状に高速回転させ、少女達を守るように広げ、そのまま更なる魔力を送り込み形状を変質させる。

1本のリボンは瞬時に5本のリボンへと数を増し、それらはプレート状に凝縮され、5枚の花弁を備えた巨大な花のような盾へと変化した。

人魚の魔女の放った殺人的な量の投擲剣は花弁の盾に突き刺さり、直後に自爆を始めたが、強固な花弁によって少女達への被害は全て防がれた。

 

『チッ……さすがはマミさんってとこですかねェ! けど、守ってばっかりじゃああたしは倒せませんよ!? ホラホラぁ!!』

 

人魚の魔女はアイギスの鏡に剣を防がれた事に対し、憤りを覚えるどころか逆に昂揚感を抱いていた。

これくらいの事はやってくれなければ。張り合いのない相手じゃあつまらない。

全力を込めて立ち向かわせ、それを真正面からへし折る。そうする事でようやく少女達に真の意味での絶望を味わわせることができる、そう考えているのだ。

それは絶対的な魔力量と、不死と言っても過言ではない程の再生力から来る慢心によるものだった。

それ故に、人魚の魔女は真正面しか見ていなかった。

空から降って来る一撃に、全く気付く事ができなかったのだ。

 

 

「──────絶影!!」

 

 

アイギスの鏡の裏でルドガーは骸殻を纏い、空間跳躍を使って人魚の魔女の死角から槍を構え、縦割りの一撃を人魚の魔女に浴びせた。

 

『……………え、?』

 

人魚の魔女の身体は黒槍の矛で天頂部から縦割りにされ、数秒遅れて治癒魔法が働き始めるが、口元から黒い血が溢れてくる。

治癒魔法すらも追いつかせない高速攻撃を浴びせる。ルドガーなりに考えた末の急襲だった。

 

「ルドガーさん、速くトドメを!」

「ああ!!」

 

解かれたアイギスの鏡の影からさやかが前に出て、ルドガーと擬似的なリンクを結んで大技の構えを取り始める。

ルドガーもそれに合わせるように、矛先にエネルギーを溜め込みながら槍を大きく掲げ、さやかと共に柄を握り締める。

さやかの方から伝搬してきた魔力と調和をとり、槍は影の結界で見せたような巨大な氷剣へと変化していった。

 

『く、あ、あぁぁぁぁっ!!』

「「その身に刻め────セルシウス・キャリバー!!」」

 

 

さやかとルドガーの力を最大限に込めた絶対零度の斬撃は、自己治癒をしている最中の人魚の魔女へと直撃し、膨大な氷のエネルギーが爆ぜて周囲を凍てつかせ、煌びやかな氷の粒が粉雪のように舞い視界を晦ます。

 

「………すごい。ルドガー、君はこんな事ができたのか…」

 

後ろでその様子を見守っていた少女達、中でもキリカは特に、2人の見せた技の威力に呆然とし、息を呑むばかりだった。

 

 

「倒したか? いや…」

 

氷剣は確かに人魚の魔女へと当たった。しかしそれでも不安は残るのだ。

"倒した"と思いたくても、あれだけ苦しめられた人魚の魔女がそう簡単に倒れる筈がない、という不安の方がどうしても先行してしまう。

現にルドガーは、骸殻を通して未だに時歪の因子の反応を感じているのだから。

氷剣の爆心地から目を逸らさず、さやかと共に次の動向に備える。

次第に氷の粒は散ってゆき、白く曇っていた視界が拓けてゆく。その真っ只中にいたのは、

 

『─────ハ、アッハハハ!! いやぁちょっと危なかったなぁ───なんてね!』

「……やっぱり、効いてない…!」

 

ダメージ自体は確かに通っていた。その証拠に、槍の一撃で縦一閃に分かたれていた人魚の魔女の左半身は腕から先が吹き飛んでいたが、既に再生を始めている。

身体を分断していた傷口もほとんど癒着し、残る血痕も次第にうっすらと消えてゆく。

相手が満身創痍だったとはいえ、影の魔女を一撃で粉砕した氷剣でさえも、人魚の魔女を倒し切るには至らなかったのだ。

 

『お兄さんさぁ、プラナリアって知ってる? 身体のほとんどが水分でできてる生き物なんだけとさぁ……

まぁ要はあたし、肉片一つからでも数秒で元通りに回復できんのよ。だからいくらスゴイのぶっこんでも、あたしには効かない。

あたしも困ってんだよねェ……どうやったら死ねるのかわっかんなくてさぁ!!』

 

狂気に満ちた笑みを浮かべながら、人魚の魔女の周りには更に淀んだ魔力が集約してゆく。

蒼い髪色は白く変質し、時歪の因子化によって変化した黒い衣装も相まって、もはや"美樹さやか"としての面影も消えつつあるその姿は、ルドガーが過去に戦った人物を彷彿とさせた。

 

「その姿は? まさかお前、ウィンガルの……!」

『ご名答! これは"ロンダウの虚塵"。あんた達がマリアと遊んでる間に回収しといたのよ。

最後の1コは怖ぁい王様が持ってたからやめといたけどね? まあ、あんた達を絶望させるにはコレだけで十分!』

 

得意気に語りながら、人魚の魔女は剣を地面に立てて魔力を練り上げる。

ルドガー達の立つホールの床一面に巨大な魔法陣が展開され、それは逃げ場を奪うかのように空間いっぱいに広がっていった。

 

『さあ、逃げられるもんなら逃げてみなよ! タイダルウェイブ!!』

 

直後、魔法陣の端から水柱が立ち、渦を描くように膨大な奔流がホールの中央へと押し寄せてくる。

またも老軍師・ローエンの得意としていた術をルドガーに対してあてつけのように放った人魚の魔女は、冷ややかな視線で不気味に嗤いながらふためく少女達を見下す。

 

「まずい! みんな、こっちへ!」

 

水霊術の奥義、その威力をよく識るルドガーは何よりもまず皆の安全を考えた。

元来、圧倒的な破壊力を持つ流撃がロンダウの虚塵によって増幅されるとあれば、まともに喰らえばまず助からない。

掛け声に少女達が集まるとルドガーは骸殻の力を解放して結界を紡ぎ、その中へと飛び込んでいった。

人魚の魔女からして見れば、またしても目の前で標的が消失したかのように思える。しかしそれは、ほんの数秒しか持続しない事もとうに承知していた。

 

『やっぱり、ソレを使ってきたか!』

 

何もない空間をかき混ぜていた水の奔流は、人魚の魔女の指のひと鳴らしによって、ものの数秒で消える。

すかさず夥しい量の信管付きの剣を錬成し、無人となったステージの上に付きたて、タイミングを待った。

 

『───はい、待ってました!』

 

大量の剣が立てられたステージの上に、結界から戻ったルドガー達が現れる。

 

「………これは!? くっ、みんな逃げろ! 速く!」

 

それを見たルドガーの脳裏に浮かんだのは、まさしく人魚の魔女がこれから行おうとしていた行動そのもの。

ルドガーの帰還を狙っていたかのように、熱を持って輝き出した半月刀は端から一斉に起爆し始める。

2度続けての結界への逃亡はできない。少女達が身を翻すよりも速く炸裂し、その空間を焼き払わんとばかりに爆風が一面に広がった。

 

『あっはは! 燃えろ燃えろぉ!!』

 

してやったり、とさらに人魚の魔女は嗤いながら魔法陣を地に描く。焼き払われたステージを洗い流すために、再び大術を仕掛けようとしているのだ。

先程までとは逆に、氷の粒ではなく粉塵によって曇った視界がわずかに隙間を見せる。

 

『……ま、そのしぶとさだけは認めてあげるよ!』

 

その隙間から垣間見えたのは、咄嗟にアイギスの鏡を張り、その上から防御術式・インヴァイタブルを施した2重壁によって守られたルドガーと少女達の姿だった。

 

「……なんとか、間に合ったわね。でも、少しやられたわ……」

 

しかし、無傷で済んだわけではない。少しばかり爆風に当てられ、炸裂した剣の破片も身体を傷つけていた。

強固な盾を生み出したマミ自身も、破片で左瞼を切り軽い出血をしている。

 

『まあこの程度で負けるようじゃあ、このあたしは殺せないよ? あたしが本気になれば、あんた達なんかソウルジェム叩き割って、ソッコーで殺せるんだから!』

「なら、なんでそうしねえ!? 何かできねぇ理由でもあんのか!」と、苛立ちがピークに達した杏子が吼える。

『だぁってぇ、"あの娘"からは「全員連れてこい」って言われてんだもん。

その為にはあんた達全員魔女化させて、回収しないといけないしさぁ……あたしも大変なんだよ?

だってソウルジェムぶっ壊しちゃったら魂もオジャンだから、回収できないもん』

「回収だと…!? テメエ、キュゥべえの片棒でも担いでんのか!?」

『ハァ? あんなゴミクズと一緒にしないでくれる? あたしはね、親切でやってやってんのよ。

確かに魔女に堕ちれば無限に続く負の連鎖に取り込まれて、苦しむ羽目になる。あたしみたいに楽しくやってりゃあまだマシだけどね!

けど、それもほんの少しの我慢。まどかに契約させて"円環の理"が蘇れば、あんた達の魂も浄化されて、ちゃあんと救われる』

「その"円環の理"と、鹿目さんがどう関係あるのかしら!?」と、マミも強気に出て問いかける。

『くく……あはは、あっははははは!』

「!? 何がおかしいの!」

 

突然、壊れたように嗤い出した人魚の魔女の様子に、マミは悪寒を感じた。

 

『なぁんだ、あんた達何にも識らないんだ! そっかそっかぁ、あの"悪魔"、何も教えないであんた達を手伝わせてるわけ! いや、憶えてないのかな?

可哀想だねぇ、あの悪魔の欲望を叶える為の片棒を担がされてんのは、あんた達の方だったって事か!』

「悪魔…!? それ、まさか暁美さんの事を言ってるんじゃあないでしょうね!」

『え、そうですけど? まあいいや、識らないまま死ぬのは可哀想だから、あたしが教えてあげますよ!

ここの前の世界…って言った方がいいのかな? その世界のまどかは、「全ての魔女の消滅」を願った。

そうして生まれたのが"円環の理"。過去から未来において存在する全ての魔法少女が、その命を燃やし尽くした時に現れ、魔女に堕ちる前にその魂を回収し、浄化する為の概念。

まどかは願いを叶える為に、自ら望んで概念と化した。円環の理ってのは、鹿目まどか自身の事を言うのさ!』

「なん、ですって……?」

 

人魚の魔女から明かされた新たな真実は少女達を、とくにマミを狼狽えさせるには十分な内容だった。

さらに人魚の魔女の独り語りは続く。

 

『概念になるって事の意味はわかるかな? 全ての時間軸に干渉する為には、実体を保ったままではいられない。つまり全時間軸から"鹿目まどか"という存在が消えちゃうってわけ。そうして全ての魔法少女は救われる…はずだった。それをあの悪魔が駄々コネ出したのよ。

あいつは"まどかに逢いたい"その欲望を叶えるために、円環の理が創られる直前まで時間を巻き戻し、まどかの願いを変えさせたんだ!

どうやって巻き戻したかわかる? 円環の理がある限り、ただ巻き戻すだけじゃあまどかには永遠に逢えない。

あいつはね、"円環の理を破壊して"、その上で時間を巻き戻したんだよ!』

「破壊、して……? どういう事なの!?」

『ま、あとはあの悪魔にでも訊くんだね。…と言いたいところだけど、それは無理か。なんせ本人も忘れてるみたいだしねェ……

それに、あんた達はみんなここで魔女になってあたしと来てもらう。お兄さんは魔法少女じゃないから死んでもらうしかないけとねェ!

けど、あたしはあの悪魔を連れて行く気はない。あんな奴、まどかに救われる価値もない。あたしが直々に、死にたくなるような絶望を味わわせえやるんだから! ひゃは、あっはははは!

どうやってヤるかは考えてあるよ? ほむらを使ってまどかを脅迫するのさ。"ほむらを助けたかったら願いを叶えろ"ってね。

まぁまどかがまた円環の理になっちゃったら、今度こそほむら…自殺しちゃうかもねェ!

あっははは! 考えただけで笑いが止まんないや!』

 

人魚の魔女に慈悲の心など微塵もない。ほむらの事を"悪魔"と称しているが、少女達からすれば人魚の魔女の方がよほど悪魔に見えて仕方がないだろう。

 

「テメェ………腐ってやがる!」

 

憤りも頂点に達した杏子は、細身の赤槍を造り、いち早く飛び出していった。

怒りを感じているのは他の少女も同じであり、さやかもまた親友を侮辱された事に対して我慢の限界を超え、杏子に続いて切り込んでゆく。

 

『お、かかってくんの? 勝てないのわかってんのに?』

「るっせえ! テメェみたいなクズは今すぐぶっ殺してやる!」

『あーはいはい、あんたって昔から口だけは勇ましかったもんねぇ…って、そりゃ"あたし"の方か!』

「あんたなんかと、一緒にすんなぁっ!!」

 

2対の半月刀と槍の織り成すコンビネーションを、人魚の魔女はまるで子供をいなすかのように涼しい顔をして受け止める。

 

『あんた達に構ってたら残りの3人がヒマしちゃうだろうからさぁ……そっちの相手もしてあげるよ! そらっ!』

 

人魚の半月刀が宙に1つ浮かび、ルドガー達のいる方へと飛んでゆく。

避ける必要はないように感じられた。だが、ルドガー達のもとへ届く直前で剣は自壊し、爆風ではなく地に水飛沫を落とした。

その水飛沫の中から、ひときわ強力な時歪の因子の反応が感じられたかと思うと、いつか見たような骸骨の兜を被った巨大な人魚の魔物が具現化した。

 

「な、なんなんだこれは!?」

 

人魚の魔女の本来の姿を初めて見ることとなるキリカは、その醜悪な姿に嫌悪感と慄きを覚えた。

人魚の魔物は巨大なサーベルを構えると、地を割る勢いで振り下ろし、ルドガー達に攻撃を始める。

 

「どうなってるんだ…やつはこんな器用な真似ができるっていうのかい!」

「キリカ、下がるんだ! こいつの相手は俺がする! マミ、援護を頼む!」

「ええ!」

 

骸殻の回復にはまだしばらくの時間がかかる。手元に残るのは2挺の銃と長刃のナイフが2振りだけだ。

 

「ルドガーさん、これを!」

 

ルドガーの得物では人魚の魔物の持つサーベルと渡り合うには不利だと感じたマミは、自らのマスケット銃に魔力の加工を施して形状変質させた、先端に銃口が仕込まれた長いロッド状の武器を投げ渡した。

 

「これは…! ありがとう、マミ!」

 

過去に似たような武器を使ったこともあるルドガーはロッドを受け取り、素早くアローサルオーブに最適化させる。

それが終わるのを待たずに人魚の魔物の真正面へと飛び出してゆき、大きな肢体から繰り出されるサーベルと鍔迫り合い火花を散らす。

さらに後方からマスケット銃の弾丸が飛来し、人魚の魔物の身体に突き刺さるが、それでも動じる様子はなかった。

 

「ルドガー、私も!」

 

鉤爪による攻撃は巨大な体躯には有効ではないと感じたキリカも、鉤爪を変質させたナイフ状の得物を何本も投げ込み、援護に回る。

 

『はいはい、よそ見してる暇なんてあげないよー!』

 

人魚の魔女は魔物を操作しながら杏子、さやかの刃を軽く受け流してゆく。

ただ強いだけでなく、まるで手の内を読まれているかのようなその剣捌きに2人は攻めあぐねていた。

さらにお手玉でも弄るように空中にサーベルを生み出し、雑に撃ち出してゆく。

 

「またソレかよ! ちっ…さやか、下がれ!」

「わかってる!」

 

地に突き刺さったサーベルは間髪置かずに熱を持ち始め、それを見た2人は咄嗟に身を引いて剣の爆発を躱した。

 

『逃がさないよ! そーれっ!』

「させるかぁ!」

 

後ずさりした2人に対して人魚の魔女は、追い打ちのように距離を無視した斬撃を繰り出す。

横に広がる斬撃を躱すことはできないと踏んださやかも、全く同じ攻撃を返すことでその斬撃を弾いた。

 

『へぇー…なかなか強くなったじゃん、"あたし"。でも、あんたにはあたしの技を真似する事は出来ても、魔術までは真似できないよねぇ?

だって、ソウルジェムがイかれちゃうもんねぇ! まあいいや、これで終わりにしてあげるよ!』

 

いつの間にか、人魚の魔女の足元には莫大な魔力が集約した魔法陣が展開されていた。

その陣はロンダウの虚塵と呼応するかのようにたちまち範囲を拡げ、先程の流撃をも上回る速さで周囲から水飛沫が迫り、全員の足元に浸水していった。

 

「まずい、これは…!」

 

ルドガーの額にいやな汗がよぎる。見滝原の校庭で人魚の魔女が用いた最大級の魔術。かつての仲間が操る水霊術の極意をそっくり再現したソレが、今この場でまた繰り出されようとしているのだ。

だが骸殻は未だ使えない。逃げ手を使ってしまった今、人魚の魔女の攻撃から逃れる手段は残されていなかった。

人魚の魔物が指揮棒のようにサーベルを振るうと、激流の中から巨大な水柱が何本も生え、その波紋が少女達に襲いかかる。

 

「ダ、ダメ……防ぎきれないわ! きゃあっ!!」

 

マミは咄嗟にアイギスの鏡を張り激流を防ごうと試みたが、全方位から無差別に流れ込んでくる攻撃をソレひとつでは防ぐ事はできない。

キリカ、マミ、ルドガー…と、順に激流に呑まれ、人魚の魔女と剣を交えていた2人もあっという間に巻き込まれる。

 

 

 

『グランド・フィナーレ!!』

 

 

 

人魚の魔女が高らかに叫ぶと、周囲の気圧が一気に引き込まれて水柱はたちまち氷柱へと変わり、肺が潰されそうな感覚に襲われる。

凍てついた床元から氷がめくり上がり、収束し、それから一気に解き放たれた気圧と共に全員が大きく吹き飛ばされた。

 

「ぐ、あぁぁぁぁぁっ!!」

 

ステージの中央部から座席のある方へと吹き飛ばされ、ひどく身体を打ち付けられる。

以前よりもはっきりと思い知らされた、圧倒的な魔力と強靭さ、そして強さは、全員に絶望を植え付けるにこれ以上相応しいものなどない程であった。

そうして、剣を握っていた手からついに力が抜け落ちた。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

 

 

不意に、ほむらの脳裏に不安がよぎった。

目を覚まさなかった自分を置いて、人魚の魔女との戦いに赴いていった仲間たち。

以前の戦いを振り返っても、真っ向から立ち向かい勝てる相手とはとても思えない。

突如として襲いかかったこの胸騒ぎはきっと気のせいなどではない。ほむらはベッドからすぐに起き上がり、すぐに戦闘衣装へと変身をした。

 

「待って、ほむらちゃん! ……行く気なの………?」

 

既に涙声のまどかが問いかける。

ほむらは言葉を返す代わりにこくり、と頷き、それから前の戦いで破損していた盾をチェックした。

 

(………ダメね、これじゃあ使い物にならないわ…)

 

丸1日以上は眠っていたはずだ。それにも拘らず盾の破損はまるで修復されておらず、むしろ砂時計の意匠が仕込まれた外蓋部分は、今にも崩れてしまいそうな程深く割れたままだった。

これでは、時間停止もあと何度使えるかもわからない。

まどかの方を振り返る事なく、寝室の出口へと向かおうとする。顔を合わせれば、涙で滲んだまどかの姿を見てしまっては決意が揺らいでしまいそうだったからだ。

 

「………っ! はぁ……」

 

だが、ほむらもまだ本調子とは言えなかった。数歩歩いただけで目眩に襲われ、足先の力が抜けてしまいそうになる。

一瞬崩れかけた膝を見て、まどかは堪らずほむらの腕を掴んで制止した。

 

「………まどか、離して…!」

 

行かなければ。例え地を這ってでも、泥を被っても、立ち上がる力があるのなら。

人魚の魔女は、ほむらの積み重ね続けてきた時が産んだ妄執。それから逃げるわけにはいかない。その一念だけが、ほむらの頭を支配していた。

 

「………やだ、行かないで」

「え……?」

「行かないで………ここにいてよぉ……」

「何…を言っているの、まどか?」

 

ほむらは本気で、まどかがどうしてそんな事を言うのか理解できなかった。

だって、自分が行かなければどうしろというのか。

しかしそれでも、まどかは絶対に離すまいとほむらに力いっぱい抱きついて腕の力を強める。

 

「……もう、帰ってこない気がしたの。今ここで手を離したら、もう二度とほむらちゃんに逢えなくなっちゃいそうな気がして……」

「まどか……?」

「イヤだよ…わたし、ほむらちゃんがいなきゃダメなの……! ごめんなさい…わたし最低な事言ってる……ほむらちゃんは魔法少女だから、行かなきゃいけない。わかってる筈なのに……!

ほむらちゃんがいなくなったら、わたし…生きていけないよ………っ、ぐすっ……」

 

ああ、まただ。

絶対に守ると誓った筈なのに、結局また涙を流させてしまう。それもこれも、全て自分が弱いせいだ、とほむらは心苦しくなる。

いっそ関わらない方が幸せにしてやれるのではないか、と思った時期もあった。それでも最後にはほむらの方からまどかを求めてしまうのだ。

しかし、こんなにも弱い一面を見せるまどかは、ほむらからしたら初めてだった。

自分の方がまどかに依存している筈だった。その自覚もあった。

けれどいつしか、まどか自身もほむらの事を必要としていたのだ。これでは共倒れもいいところだ。

どうすればいいのか……それ以前に、"自分自身は"どうしたいのか。何を為すべきなのか、何を守るべきなのか。ほむらは今一度考え直す。

 

「聞いて、まどか」

「……うん」

 

泣きじゃくりながらも、まどかはゆっくりと首を縦に振って答えた。

 

「私ね、まどかの事が大好き。だから、最悪あなたさえ守れれば構わない……今まで私はそう思っていたの。そうでなければ、やってこれなかった。

けれど、今は少しだけ変わった。私はあなたを愛してる。それだけじゃない、あなたと、みんなのいるこの世界がとても尊いと思ってるわ。

……みんなを見捨てて、あなたと2人でここから逃げるのも悪くないわね。けれど、今ここで逃げたら私達は一生後悔するわ。

あなたは、誰かの犠牲の上で平気で過ごしていられるような娘じゃないもの」

「…………」

「ふふ、今なら"あの娘"の気持ちがよくわかる気がするわ……大切なものを守るためなら、私はもう何も恐れない」

 

ほむらが思い出すのは、魔法少女になる前に出会った"鹿目まどか"の後ろ姿。

絶対に勝てないとわかっていても、大好きな街を守る為に死地へと赴いていった彼女の気持ちを、今になって少しだけ理解する事ができた気がするのだ。

 

「他でもない今のあなたと、ずっと一緒に生きていたい。そのために、私は行かなくちゃいけないの。

………大丈夫。絶対に帰ってくるわ」

 

ほむらは縋りつくまどかの髪を優しく撫でてやりながら、その髪を留めていた2つの赤いリボンを解いた。

 

「………ほむら、ちゃん…?」

 

そのリボンを、ひとつは普段つけているカチューシャの代わりに自らの髪に、もう一つは大きな蝶々結びをつくって先に結んだリボンの上に留める。

まるでずっとそうしていたかのように、リボンを結ぶほむらの手はごく自然に動いた。

 

「これで、ずっと一緒よ」

 

きょとん、とした目で見上げるまどかの両頬に手を添えて、不安など感じさせないように精一杯の笑顔をみせる。

そのまま、寝不足からかやや血色の落ちたまどかの唇に、さして色の変わらぬ自身の唇を落とし、その隙間から見様見真似で舌を絡ませてゆく。

 

「んっ………ふ、うぅっ…!? ほむらちゃ、んんっ……は、ふぅ……っ…」

「…………ん、はぁっ……まどか、ぁ……っ」

 

互いに初めて感じる未知の感覚に、胸がいっぱいに埋められてゆく。互いを想い合う熱が、寂しさと怖さを上から塗り潰してゆく。

1秒が1分に、10秒が何時間にも感じられる。どれくらい続けていたかわからなくなったあたりで、ようやくゆっくりと唇が離れた。

 

「…まどか、こんな私を愛してくれてありがとう。………もう一度だけ、私を信じて」

「…うん。絶対に、帰ってきてね…!」

「もちろんよ。…いってきます、まどか」

 

最後に優しく微笑みを残し、ほむらはようやく寝室を出て戦場へと赴いていった。

残されたまどかは、唇のなかに残る暖かな感触を噛み締めながら、母・詢子の言いつけを思い出していた。

それは鹿目家の毎朝の挨拶儀礼。詢子は出勤する前に必ず父・友久と弟のタツヤに軽いキスをしてから出かけるが、まどかにだけは絶対にそれをしないでいたのだ。

いつか、まどか自身に心から好きな人ができた時の為に。

 

「………いってらっしゃい、ほむらちゃん」

 

この時ようやく本当の意味で心同士がひとつに繋がることができたのだ、とまどかは嬉しくも思えた。

 

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

 

氷獄と化したペリューンの央部に位置するホールでは、人魚の魔女が勝ち誇ったようにひとり息を巻いている。

 

 

『くく、あっははは! 弱っちいねェ!』

 

今度こそ、その圧倒的な力で絶望を植え付けてやる事ができた。あとは1人ずつ嬲り、心を更なる絶望で染め上げてやるだけ。

人魚の魔女は剣を構え直し、水霊術によって吹き飛ばされた少女達の元へ歩み寄ろうと足を進める。

 

「……ごほっ、みんな無事か……?」

 

マミから借り受けたロッドは人魚の魔女の大術で消し飛んでしまった。

ルドガーは力の入らぬ手を必死に握り締め、どうにか脚に力を込めてふらつきながら立ち上がった。

吹き飛ばされた際に打ち付けられたことで、こめかみからは一筋の血がうっすらと流れている。

ぼやける眼を凝らして周囲を見回すと、ルドガー以外の少女達も、息も絶え絶えながらやっとの思いで立ち上がろうとしていた。

 

『……チッ! まだ立てんの? さっさと絶望してくんないかなぁ? どうせ勝てっこないんだからさ、このあたしには』

「………まだだ」

『んー…?』

「俺は…俺たちは、まだ諦めるわけにはいかない……! 守るって、約束したんだ!」

 

ルドガーの想いに応えるかのように、懐中時計が音を立てて蠢き出す。

再び骸殻を纏い、1本の撃槍を紡いで人魚の魔女の立つステージの上へと飛んでゆき、落下の勢いに任せて槍を振り下ろす。

 

『おっと…、あたしとやり合おうっての?』

 

人魚の魔女は斜に構えたまま剣を捌き、ルドガーの槍をいなそうとする。

だが精霊術ではなく、純粋な技量比べではまだルドガーの方に分があった。

それは人魚の魔女自身もすぐに感じ取ったようで、刃を交わすのをやめて後退り、投擲剣を造り出す。

 

「─────させない…!」

 

が、遠くから大口径の号砲の音が鳴り響く。人魚の魔女の造り出したばかりの剣に砲弾は命中し、投擲される前に粉微塵と化した。

 

『大人しく寝てればいいものを……まだ絶望し足りないっていうのかなぁ!?』

 

苛立ちを覚えた人魚の魔女が剣を持った手を空に掲げると、そこを中心に暴風が巻き起こる。

 

『吹き飛べよ! ハリケーン───』

 

だが、刃を振り下ろして風圧を解き放とうとした瞬間、人魚の魔女の周囲に突如として紅い鎖のようなものが何重にも展開され、攻撃を許さないまま人魚の魔女を縛り付けた。

 

『これ、縛鎖結界……!? 生意気なぁ!!』

「……へっ、ザマぁねえなあ!」

 

身動きを封じられた人魚の魔女目掛けて、遠くから加速をつけたさやかが宙を舞って飛び込み、さらにその反対側からは鉤爪を光らせてキリカが飛び込んで来る。

 

「「うおぉぉりゃあぁぉぁっ!!」」

 

2人の刃は人魚の魔女の心臓部と、はらわたを抉るように突き刺さり、傷口からどす黒い血が吹き出した。

 

『が、ふっ………無駄だっつってんだろぉがァァァッ!!』

「く、きゃあぁぁっ!?」

 

ついに癇癪を起こした人魚の魔女は、ロンダウの虚塵の出力を暴発させ、その魔力の衝撃波で身体を抉っていたさやかとキリカを吹き飛ばした。

それと同時に、2人によってつけられた深い傷をも再生させる。

 

『あぁめんどくさい!! もうヤメだ! 大人しく導かれてりゃあよかったものを! もういい、そんなにブチ殺して欲しかったらやってやるよ!

あんた達のソウルジェムを全部粉々に叩き割ってやる!!』

 

つい先程繰り出された水霊術の極意よりもさらに暴力的な魔力の奔流が巻き起こり、周囲の大気をかき混ぜてゆく。

人魚の魔女はここにきてようやく、本気で少女達を血祭りに上げようとその持てる力を解き放ち始めたのだ。

 

「させるか!」

 

ルドガーはそれを止めようと、槍を人魚の魔女に向けて投擲する。

しかし避ける素振りもせずにその槍をわざと受けてみせ、細い身体を貫かせた。

 

『ぐ…ッ、効かねえっつってんだろうがァァァ!! インブレイス・エンド!!』

 

もはや狂気を隠すこともせず、人魚の魔女は溜め込んだ魔力を一気に解き放つ。

収束していた大気は氷剣をも上回る冷気を帯びながら膨れ上がり、ホール中を粉々に吹き飛ばす勢いで爆裂しようとしていた。

間に合わない。結界の形成も、アイギスの鏡も、この空間から逃げ去る事も。

ホワイトアウトしてゆく視界を前にしながら、ルドガーはとうとう心に絶望の2文字を抱きかけた。

 

 

 

 

 

 

10.

 

 

 

 

 

 

ただ一点を除いて、何もかもが綺麗に消し飛んだホールの中で、吹き抜けと化した天上から曇った空を仰ぎながら、人魚の魔女は高らかに嗤う。

やってしまった。言いつけを守らず、魔女化させて連れ帰る筈だった少女達を跡形もなく吹き飛ばしてしまった。

 

『─────ハ、それがなんだってのさ。あたしはよく我慢したよ。殺したくて、殺したくて仕方が無いこの衝動を堪えて!

ひゃは、結局堪忍袋の尾が切れちゃったけどね!』

 

それでも、ちゃんと恭介を閉じ込めてある氷の柩がある所だけは被害が及ばないようにコントロールした。戦いにおいても、巻き込まないように位置を把握しながら計算して術式を放った。

この世界の美樹さやかは殺した。恭介を拉致して、あわよくばこの戦いを見せつけてやりたかったけれど、催眠魔法が効きすぎたのか恭介は氷の柩の中で眠りっぱなしだった。

 

『まあ、いいか。ちょーっとだけあたしもブチ切れちゃったし、あんまりはしたない所は見せられないもんね!

さて、とりあえずマグナ・ゼロに連れて帰ろっかなぁ!』

 

人魚の魔女は、とうに壊れていると言っていいだろう。

かすかに残っていたはずの"美樹さやか"だった頃の倫理観はこの戦いの中で狂気に呑まれすっかり失せ、残るのは魔女としての哀しい性質だけ。

激情と、マイナスの感情によって成り立つ哀れな人魚姫の成れの果て。

何が可笑しいのか、自分でもわからないまま人魚の魔女はひたすら高嗤いし続ける。

氷の柩に閉じ込めた恭介を解放すべく、人魚の魔女は空に浮かぶ柩の方へと振り返った。

 

『ひゃは、あっははは──────はぁ?』

 

しかしすぐに、人魚の魔女は自分の目を疑った。

確かに氷の柩には攻撃が届かないようにコントロールは徹底していた。だが、それを悟らせないように、無差別に見せかけた攻撃方法をしていた筈だ。

あまつさえ、氷の最強霊術から逃れる暇など与えた覚えなどないのだが、

 

『──────ほんっと、そのツラ見ると虫酸が走るわ。"暁美ほむら"!!』

 

氷の柩の真下には砕けたアイギスの鏡の破片が散らばっており、そこにルドガーを始めとする少女達はいた。しかし、キリカとさやかは意識を失っている。

そして、満身創痍のルドガー達を守るかのように前に立ち、盾を構えたほむらの姿があった。

完全ではないとはいえ、氷の柩の周辺は極端に霊術の威力が低く設定されていた。アイギスの鏡ならば、ギリギリ防御が可能だったのだ。

 

『成る程ねェ…あの瞬間に駆けつけて、時間停止で術の死角まで逃げたってわけ』

「ええ、その通りよ。久しぶりね───"美樹さやか"」

『黙れ! あんたみたいな悪魔にあたしの名を呼ぶ許可なんて与えた覚えはない!!』

 

人魚の魔女が指をひと鳴らしすると、周囲にうっすらと霧が立ち込め始める。

水を介してほむらに接触することで、間接的に時間停止を封じる。見滝原中学で用いたものと同じ戦法だった。

 

『さぁ、どうすんのかな? 時間停止のないあんたなんて、丘に打ち上げられた魚同然! どぉすんのかなぁ〜、て・ん・こ・ぉ・せ・エ?』

「………そうね、確かにこの力がなければ私は間違いなく最弱の魔法少女。

でも、今の私は独りじゃない。もう、自分独りの時間に閉じこもるのは終わりにするの」

『だったらあたしが終わらせてやるよォ!!』

 

ほむらの言葉に苛立ち、人魚の魔女は距離を無視した斬撃を何度となく撃ち放った。

それを、ほむらは盾に残るわずかなエネルギーを使ってバリアを張り、衝撃を堪えながら受け止める。

ガツン、ガツン、と1発1発が車に轢かれたかのような重みを持ち、盾の亀裂はどんどん深まってゆく。

 

「暁美さん! 今、鏡を!」

「よしなさい、マミ。あなたの魔力ももう限界よ………ぐっ!」

「でも…!」

 

他の少女達もいよいよソウルジェムが半分以上濁ってきており、中でもアイギスの鏡を多用していたマミと、自動発動型の術式が仇となったさやかは状態が酷く、あと数度魔力を行使すれば濁りきってしまうところまで来ていた。

 

『ハァ……ハァ…っ、死ねよぉ! この悪魔ァ!!』

 

人魚の魔女は斬撃を飛ばすのをやめ、空に新たな投擲剣を錬成する。その数はざっと見て50は下らない。

指揮棒代わりに手に持つ剣を振り下ろすと、投擲剣は全てほむら目掛けて赤く発熱しながら飛んでいった。

 

「………躱すのは、無理ね」

 

ほむらの後ろには、傷付き立ち上がる力すら出ない少女達と、破壊の槍を杖代わりにして痛みを堪えながら立つルドガーがいる。

全員を抱えて剣の雨からは逃げられないだろう。それでも、誰かを見捨てて逃げよう

などとは考えもしなかった。

 

「…ほむら、どうしてここに来たんだ。君がいなきゃまどかは…」

「私の望みは、まどかの幸せだけ。…それには、誰1人として欠けてはいけないのよ。ふふ、呉キリカがここにいるのは予想外だったけれどもね」

「…悪い、俺があの世界から連れてきたんだ」

「別に、まどかに危害を加えないなら構わないわ」

 

剣の雨はもう数メートルにまで迫っていた。死に近づく瞬間ほど、時間の流れが緩やかに感じるとはよく言ったものだ、とほむらは自嘲した。

 

「………私は、いつも諦めてばかりいた。逃げてたの。辛い現実から目を背け続けて、自分の望む未来だけを探し求めてきた。

でももうその必要はない。この先何があってもこの世界で生きる、そう決めたの。

………もう、この盾も必要ない。私はもう2度と、諦めたりなんかしない!!」

 

盾の亀裂は一気に深まり、砂時計の意匠が崩れ落ちてゆく。

ほむらの強い意志に呼応するように、蓋をされ続けてきた煌めきが盾の中から溢れ出してくる。

その煌めきはほむらを始めとする仲間達を包むように広がり、爆発寸前の投擲剣を全て弾き飛ばした。

砂時計の破片は形を変え、ルドガーの槍にも似た、体格にややそぐわぬ大きな黒い弓となる。

 

『……その、力はッ…!!』

 

ほむらの背中には破壊をもたらす災厄の黒翼ではなく、眩い輝きを放つ1対の巨大な白い羽根がもたらされていた。

 

『その力は"あの娘"のものだ! あんた如きが穢すんじゃねぇェェ!!』

 

怒りも頂点に達した人魚の魔女は、自らの依り代たる魔物の身体を召喚して、またも霊術を行使せんとする。

 

「ルドガー、お願い!」

「あ、ああ…!」

 

請われるままに、ルドガーはほむらとリンクを結んだ。そしてすぐにほむらに起きた異変の影響が伝搬してゆく。

以前、黒翼を展開したほむらとリンクを結んだ時は、おぞましい負の感情が一気に流れ込んできた。

 

「こ、これは……!?」

 

しかし、今のほむらから流れ込んでくるのはその逆。リンクを繋いでいるだけで身体の痛みが楽になり、絶対的な安心感がもたらされるのだ。

 

「受けなさい、これが私の"天上の祈り"よ!」

 

ほむらが巨大な黒弓を空に掲げると、何もなかった弓に光の矢が備えつけられる。

その矢を空に打ち出すと、ある一点で炸裂し、癒しの願いが込められた光をホール中に散りばめた。

その光を受けた少女達のソウルジェムは、ほんの僅かに濁りが浄化され、1番濁りが酷かったマミとさやかのソウルジェムも危険域を脱した。

それよりもルドガーの目を惹いたのは、ホールの中央にいる人魚の魔女だ。

 

『─────ギ、あぁぁぁァぁぁァァッ!! やめろ、やめろォォ!』

 

同じく癒しの光を浴びた人魚の魔女の身体が、指先から腐食を始めたのだ。

頬の肉も溶けかけ、血走った眼と合わさってこの世のものならぬ外見へと変わってゆく。

人魚の魔女が得意とする、無限の魔力による回復術や霊術。しかしその源はあくまで負の感情から抽出されたマイナスの魔力だ。

故に癒しの願いから成り立つ純度の高いプラスの魔力は、とくに人魚の魔女にとっては、逆に猛毒として作用し身体を蝕む。

ほむらの新たな力と人魚の魔女の魔力は、相性が最悪だったのだ。

自身の持つマイナスの魔力は癒しの願いにより中和され、みるみる磨り減ってゆく。

 

『フゥ───……! あんただけはァ、絶対に殺す!!』

 

大幅に奪われた力を振り絞り、投擲剣を何本が造ってほむらに向かって射出する。

だがほむらは最早避けようともせず、黒弓を真正面へと向けて、ルドガーと共に新たな矢を生み出した。

備えつけられたのは、ルドガーの槍を変質させた黒い矢。その矛先一点に、癒しの願いが集約されてゆく。

 

 

「「天威・浄破弓!!」」

 

 

破壊と癒し、2つの力が込められた矢は投擲剣の雨を吹き飛ばしながら放たれ、真っ直ぐに人魚の魔女の方へと飛び、煌めきを帯びながらその胴を貫いた。

 

『──────アァァァァァッ!! ぐぅっ、赦さない…あたしはァァ!!』

 

人魚の魔女は突き刺さった矢を引き抜こうとして乱雑に握り締めるが、直後、人魚の魔女の周囲の景色が急激に書き換えられてゆく。

錆びた鉄のような空に、宙を舞う無数の歯車。一切の時の流れから隔絶された、骸殻の結界の中へと引きずり込まれたのだ。

 

『…ッ!?』

 

人魚の魔女の前に立つのは、スリークォーター骸殻を纏ったルドガーと、白い翼を広げたほむらだけだった。

 

「終わりよ、"美樹さやか"………さようなら。ルドガー!!」

「ああ、一緒に! 瞬け、明星の光よ!!」

 

ルドガーが槍を高く掲げ、その柄をほむらも一緒に握りしめる。

白翼から放たれる光は破壊の槍に集まり、槍は巨大な羽根の如き光の剣へと形を変えた。

 

 

 

 

 

 

「「天翔───光翼剣ッ!!」」

 

 

 

 

 

2つの力が折り重なった剣は吸い込まれるように人魚の魔女へと振り下ろされ、妄執から成り立つ身体を両断する。

 

『ギ、アァァァァァ!! この…っ、悪魔がぁぁぁぁ!!』

 

おぞましい呪詛の言葉を最期に吐きながら、人魚の魔女は浄化の光によって焼き尽くされ、歯車の結界ごと崩れ落ちていった。

 

 

 

 

 

 

11.

 

 

 

 

 

旅船ペリューンを模した結界は人魚の魔女の消滅によって崩壊し、傷ついた少女達は静寂のなかの見滝原駅へと戻っていた。

立っているのは羽根を広げたままのほむらと、既に骸殻を解いてふらつくルドガーだけだ。

その周りには気絶したさやか、キリカと結界から救い出した恭介。そして、人魚の魔女のグリーフシードで穢れが酷い順に浄化をしている杏子とマミがいた。

 

「…これで、終わったのか」

「ええ。これで、終わり……もう、あの"美樹さやか"は何処にもいない。

あの人魚の魔女は、ただの魔女じゃなかった。恐らく、今までの全部の時間軸の記憶を持っていたんだわ。

……私の事を、恨んでいたのも無理はないわ」

 

魔女を倒し、過去の因果からも解き放たれて新しい力を覚醒させたにも拘らず、ほむらの表情は浮かない。

 

「…その羽根は、いったい何なの?」と、マミが問いかける。

「とても暖かい光……見つめてるだけで、心がほっとする気がするわ。

人魚の魔女は"あの娘の力"って言っていたけれど、どういう意味なの…?」

「…そうね。私もまだ、記憶が混乱しているのだけど…」

「記憶が?」

「ええ。この時間軸の世界に渡る前までの記憶と、"全ての魔女が消滅した後の記憶"。その2つが、私の中で混ざり合っているの」

「………ちょっと待って、どういうこと?」

 

マミは、ほむらの言い回しにどこか引っかかるものを感じた。

 

「……"円環の理"。全ての魔女を浄化する概念。この羽根は、円環の理の力の一部なの。

…"あの娘"が最期に私に託してくれた、"あの娘"が存在していた唯一の証。

今の私は、円環の理が成立した後の世界と、円環の理が誕生しなかった世界。その2つの記憶を持っているのよ。

多分、この羽根の力と一緒に記憶も封じ込まれていたんでしょうね」

「えっ………だって、"円環の理"って、鹿目さん自身の事なんでしょう!? でも鹿目さんはちゃんと生きていて、契約もしてない…そうでしょう?」

「ええ、その通りよ。…でも私も、どうしてこんな状態になったのかまでは、まだ思い出せないわ……っ、はぁ…」

「……暁美さん?」

 

不意に語り口がどもり、鼻を軽く啜るような音が聞こえてマミの注意が向く。

顔を見上げてみると、ほむらは大粒の涙を流しながら肩をわずかに震わせていた。

 

「どうしたの、暁美さん…?」

「………わからない。でも、止まらないのよ……ぐすっ…」

 

それは。"この世界のまどか"とは違う、白翼を授けた"彼女"にもう2度と逢えない、という哀しみからか。

或いは、形は違えどほむらと同様に百余りの時を重ねた人魚の魔女、即ち過去の"美樹さやか"をその手で殺め、その存在すらも否定してしまった罪悪感からか。

どちらにせよ、記憶と共にぐちゃぐちゃになった、抑えきれない感情を止める事は誰にもできやしない。

唯一それができるとしたら、今も独りでほむらの帰りを待っている、心を通わせ合った想い人だけだろう。

 

 

そうして、最期の日までのカウントがまた一つ縮まった。

盾の砂時計はもう()いが、もはや行く手を阻むものは何もない。

運命を変える為の戦いの前の、ほんの束の間の日常へと、ルドガーと少女達は帰っていった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。