誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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CHAPTER:7 天翔る翼と、祈り
第25話「それだけが心残りだよ」


1.

 

 

 

 

 

 

 

1日ぶりに迎える正史世界での朝は、少し湿ったような空気を肌で感じながら迎える事となった。

現在休校中であるため、昨夜は一切の目覚まし時計を止めて眠りに就いたものの、自然に目が覚めたのは9時前と、そこそこな時間である。

さやかはまず自室のカーテンを開け、それから窓を開けて空気を入れ替えようとするが、外気もさして変わらず、湿気を帯びているようだ。

昼になればマミたちと落ち合う約束をしているが、それまではこれといったスケジュールはない。

仁美と共に丸2日家に帰らず、危うく捜索願いを出すところだった、と親にこってり絞られた事を思い出し、ブルーな天気と心持ちがシンクロしてしまう。

魔女の事を話すわけにもいかず、言い訳をするのに随分と難儀したものだ、とため息をついた。

ろくに使った試しのない勉強机の上には、この世のどんな理論でも説明のできない物質、仕掛けによって成り立っている、光り輝く歯車型の結晶が煌めいている。分史世界から持ち帰る事のできた、数少ない"形見"である。

 

「"カナンの道標"かぁ……」

 

エレンピオスの分史世界ならまだしも、見滝原を模した分史世界に存在などするはずのないモノ。

分史世界のほむらの心臓にソレが充てがわれていたというならば、この道標はさしずめ"方舟守護者の心臓"にあたるのだろうか。

いずれにせよ、ルドガーにすら理解することができず、何の説明も聞かないままさやかが譲り受けたのだ。

ただひとつ遺された、親友の形見として。

 

「……あんたの事、忘れないからね」

 

返事はあるはずもないが、それでも胸に秘めた決意を改めて自分で確かめるように、道標に向けてひとり呟いた。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

 

その数時間前───正史世界において、ルドガー達が分史世界へ侵入してから丸1日が経過した夜。

キュゥべえの分体によって時歪の因子を破壊してルドガー達が帰還した事は2人の少女達へと報され、夜中であるのも構わずにマミと杏子はキュゥべえの案内によって見滝原中学の前まで急行していた。

辺りにひと気がなかった事が幸いだったが、駆けつけたマミと杏子は帰還した仲間の顔を見てすぐに、"何か唯ならぬ事があったのだろうか"と察した。

 

「………よう、遅かったじゃねえか」と、杏子は敢えて普段通りの口調を心掛けたが、そのトーンは低い。

迎えに来た2人が確認したのは"5人"。さやかの拉致に巻き込まれた仁美、倒れたほむらを担いださやか、そして、同じく意識のない"見た事のない少女"を抱きかかえたルドガーだ。

 

「……ソイツ、誰だ?」

 

杏子が指差した見知らぬ少女は、どことなくさやかに似てるような艶のある黒いショートヘアと、端整な顔立ちが印象的だった。

 

「呉 キリカっていうんだ。分史世界で出会った女の子だよ」

「連れて帰って来たのか? だって、分史世界とかいうのは壊したんだろ?」

「…そうだ。この娘が、分史世界の唯一の生き残りだよ」

 

正史世界に帰還したとき、キリカはほむらと共に仁美の近くで寝かされている状態だった。

本来なら分史世界で手に入れたモノや出会った人達は連れ帰ることはできないが、骸殻能力者の中でもごく少数に存在する"クルスニクの鍵"の力を持つ者だけは、それを可能とする。

過去に分史世界のミラを正史世界に連れて来てしまったのも、ルドガーに同行していたエルがクルスニクの鍵の力を保有していたからだ。

或いは、平行世界を渡り続けてきたほむら自身にもそれに近い才能があったのか。

どちらにせよ、このキリカは以前の"ミラ"のように、自分のいた世界が壊されたなどと露ほども知らずに眠りに就いているのだった。

連れて来てしまったからには、ルドガーには新たな責任が伴うこととなる。

かつてのミラと同じように、生活面あるいは精神面でもフォローが必要となるだろう。

それ以前に、"自分の世界はもうない"という事実を受け入れてくれるかが問題だが。

 

「…さやかさん、この方達は? もしかして…」

 

と、この場で唯一魔法少女ではない仁美が尋ねる。

こうしてさやか達を夜遅くに迎えに来たということは、さやか同様に魔法少女なのだろうか、と察していた。

 

「そうだよ。みんな、あたしの先輩たち」

「やはり、そうでしたか。…魔法少女というのは、こんなに居るんですのね」

「まあ、ねぇ。あんたは絶対なっちゃダメだかんね?」と、さやかは改めて仁美に釘を指した。

 

「美樹さん、暁美さんは何があったの…?」

 

と、マミは杏子とは違う方に関心を向け、さやかに問いかけた。

というのも、ほむらが戦闘後に気を失うということはまず間違いなく、黒翼を暴走させたからだと察しがついたからだ。

それに加えて、切ったばかりの髪も元の長さに戻っていることもマミの注目を惹いていた。

 

「…あたしらを守るために羽根の力を使ったんです。それも、2回も。2回目なんて、酷かったですよ…ほむら、自分がピンチになれば羽根が生えるって思って、銃で自分の頭を……!」

「なんですって!?」

「……"これが私の覚悟だ"って、言ってましたよ。あたし、何もできなくて……」

「…美樹さん。その話は鹿目さんには内緒よ」

 

さやかの背中にもたれ掛かる格好で眠っているほむらの表情は、幸いにも今のところうなされているようには見えない。

人肌が安心感を与えているからだろうか。或いは"守ることができた"という充足を感じているからか。

それを推し量ることは、誰にもできなかった。

 

「…とりあえず、帰りましょう。ルドガーさん、その"キリカ"っていう娘は私達が預かろうかしら?」

「平気なのか?」

「ええ。使ってない部屋ならまだあるし、あなたも暁美さんを看てあげなくちゃいけないでしょう?」

「そうだな…助かるよ。でも、今日のところは俺が看るよ」

「?」

 

提案を柔らかに断ったルドガーに対し、マミは疑問を抱く。しかし、キリカに関しては一筋縄ではいかない事がひとつあったのだ。

 

「この娘は分史世界の杏子と仲が良かったんだ。……けど、その杏子は目の前で殺されたんだよ」

「…それって、魔女に…よね。つまり、落ち着くまでは佐倉さんとは会わせない方がいいって事かしら」

「そうだ。…目を覚ましたら俺の方からキリカに説明しておく。そうしたら顔を合わせよう」

「わかったわ。…とりあえず、暁美さんの家に運ぶまでは手伝うわ。この時間に男の人が女の子抱えてたら怪しまれるもの」

「へっ!? いや俺はそんなつもりじゃあ……」

「わかってるわよ、だから私が運んであげるって言ってるのよ。それに疲れてるでしょ?」

「…ありがとう」

 

キリカを起こさないように渡すと、マミは特に苦もなくキリカの身体を抱えた。

魔力で筋力を補っているのもあるが、キリカが小柄であるという事を考慮してもとにかく軽いのだ。

それは隣にいる杏子達も同様だったようで、同じような流れでさやかからほむらを渡された杏子も、

 

「うっわ、コイツ軽すぎだろ…何食ってんだ普段?」

 

と、ぼやいていた。

これでもルドガーが来てから食生活はかなり改善されているのだが、元々食が細いのと過去に携帯食料ばかり食べていた事が原因となっているのだろうか。

 

「とにかく、運んでやっからアンタらは休め。…天気予報見たけど、近いうちにまた雨が降るらしいぞ」

「雨が…!? そうか…」

 

杏子から天気予報を聞かされたルドガーの表情が険しくなる。同じ事をさやかも感じていたようで、ぴくり、と背筋を張り詰め、

 

「"あいつ"との決着が近い…ってわけね」

 

と、来たるべき日を予感していた。

 

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

翌朝になるとルドガーはやや硬いカーペットから身を起こし、まずテーブルを挟んで反対側に布団を敷いて寝かせたキリカの様子を見た。

顔色は幾分か良くはなっていたが、疲労が溜まっているのだろう。泥のように眠り、すぐには目を覚ます様子はないように見える。

それを確認したルドガーはテレビをつけ、昨夜の杏子の言葉を思い出しながらニュースの天気予報をチェックし始めた。

テレビ画面の右上にある時刻表示は現在が10時前である事を指し、画面の中央にはまるでアイドルのような若い女性キャスターが映り、やや不慣れな様子で天気図を指している。

ルドガーには日本列島の形やどこに何の町があるのか、といった知識は一切なかったが、"G県"一帯に局地的な厚雲が観測されている、というキャスターの言葉が耳に残った。

 

「杏子の言うとおりだな……」

 

季節の変わり目ともなれば天気は不安定になるのは有り触れた事なのだが、時期を見ても"人魚の魔女"と関連しているのはほぼ間違いない。

さらに予報ではG県では明日の夜、早ければ昼間から雨が降り始めるだろう、と告げている。

影の魔女の分史世界から帰還して間もないが、待ってくれるほど敵も親切ではないようだ。

そこまで考えたところで、寝室に寝かせてあるほむらの容態も気になりだした。

続けての羽根の力の使用によってかなり消耗しているだろう。ここ最近はひと晩眠れば起き上がるまでにはなっていたが、下手すれば最初の時のように数日目を覚まさないという可能性もゼロではない。

戦いにおいてはもちろんのこと、これではまたまどかに心配をかけさせてしまう、とルドガーはいたたまれない気持ちになった。

居間からほむらの部屋の前へと移動し、ドアを少しだけ開いて様子を見てみるが、未だベッドの上で、どこかうなされているような風に眠りに就き続けているだけだった。

ほむらよりも先にキリカの方が先に目を覚ますだろう、と考えたルドガーは台所へと戻り、黙々と食事の用意へと移っていった。

 

「…………ん?」

 

にゃあ、と何処からともなく丸まっていたエイミーがルドガーの足元に擦り寄ってくる。

 

「おまえも、腹が減ったのか?」

 

ここの処、魔女の騒動続きであまり構ってやれていなかったなと思い、まず先にエイミーの餌を用意してやる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

牛乳と野菜の煮込まれたような匂いを微かに感じ取り、キリカはようやくうっすらと目を開き、ぼんやりとしながら意識を取り戻した。

 

「…………? ここ、は…どこ…?」

 

無意識のうちにそう呟きながら周囲を見回すと、やや古そうな内装の狭い部屋と台所に立つルドガーの姿が目に入る。

男が調理場に立っててきぱきと手を動かすなどといった様子はキリカにとって初めて目にするものだったが、ルドガーのやけに手慣れた所作を見ているうちに違和感はたちまち消えてゆく。

 

「目が覚めたか、キリカ」

 

鍋をゆっくりかき混ぜながら振り向いてルドガーが声をかけた。

 

「う、うん…ここは? 私達は確か魔女と戦って………」

「…魔女は俺とさやかとで倒したよ。ここはほむらの家だ」

「……そうだ、あの魔女は恩人を…!」

「落ち着くんだ、キリカ。…その事で、大事な話があるんだ」

 

ルドガーが混ぜていた鍋の火を止め、出来上がったシチュー風味のスープを器に2人分注いでテーブルへと運ぶと、食欲をそそる香りがキリカの喉を鳴らす。

 

「食べながらするような話じゃないけど……腹、減ってるだろう? よかったら食べてみてくれ」

「……ありがとう」

 

ルドガーに促され、困惑しながらもスプーンを手にとってスープを掬い始める。

それを確認すると、ルドガーもようやくひと安心したようにスープを飲み始めた。

 

「……話って、なにかな」スプーンを運ぶ手を止めないまま、キリカはルドガーに尋ね返した。

「昨日の魔女なんだけど…あいつはただの魔女じゃない。それはわかるな?」

「…そうだね、アレは普通じゃなかった。強いとかじゃなくて、もっと他の…なんていうか、よくわからないんだけど」

「…あの魔女は、平行世界を創るだけの力を持ってたんだ。俺達は魔女を倒す為にこの世界からその平行世界に向かったんだ」

「………待って、平行世界?」

「そうだ。俺達は"分史世界"って呼んでるけどな」

 

ルドガーの言葉の意味に理解が追いつかず、キリカはただ呆けたように話を聞いていた。

いつの間にか、スプーンを運ぶ手も止まってしまっている。

 

「まさか、私のいる世界が魔女によって創られたモノだとでもいうのかい?」

「……信じられないだろうけど、そうだ」

「…じゃあ君は、他の世界から来た人って事なのかな」

「ああ。そうなるな」

「魔女は倒したんだろう? いつ元の世界に帰るんだい?」

「………ここが、俺達の元いた世界だよ」

「えっ…?」

「………すまない、キリカ。お前のいた世界はもうない……魔女と一緒に消滅したよ」

 

ルドガーはいよいよ決定的な一言をキリカに告げた。

いきなり"自分のいた世界は滅びた"と言われても、簡単に信じるはずがない事は百も承知の上だ。

過去に分史世界のミラに同じ事を告げた時も、最初は困惑し、次に怒り、涙を流し、自身を紛い物と卑下し、自棄に打ちひしがれたのだ。

ミラの場合は騙して協力させた事と、依存先であった姉のミュゼを殺してしまった事もあり、その怒りはもっともだったのだが、果たしてキリカの場合はどうなのか。

少なくとも、正史世界のキリカは既に死んでいる故に自分を偽物と考えることはないだろうが、ただそれだけのことだ。

 

「…………私の帰る場所はもうない。そういう事?」

「……そうだ」

「私だけが、生き残ったって事なのかな」

「…ああ、君だけだ」

「…どうして、私だけが助かった…いいや、助けたのかな」

「! それは…………」

 

なぜ、と問われてルドガーは返答に困ってしまう。

キリカを連れてきてしまった事は、はっきり言えば偶然に等しい。たまたま"鍵の力"を持つルドガーの近くにいたからであり、その"鍵の力"もまた、元々はルドガーの力ではなくエルの力であり、どうした事かルドガーが引き続き使えている、というだけの事なのだから。

とはいえ、そのままキリカに対して"君を連れてきたのはただの偶然だ"などと言ってしまえば、傷つけることになるだろう。

魔法少女にとって精神的ショックは致命的であるのもそうだが、それ以前にキリカもまた15にも満たないであろう少女なのだ。

それに、キリカを放っておけなかったのもまた事実だ。分史世界の住人とは言えども、見殺しにすることなどルドガーにはできなかった。

言い訳がましい、とルドガー自身も内心考えるが、

 

「…君を失いたくなかったからだ」

 

と、キリカを傷つけないよう言葉を選んで返した。

 

「………そんな事言われたの、初めてだよ。恩人にだって言われた事ない」

「え……?」

「ふふ…あははっ、今のセリフ、まるで愛の告白みたいじゃないか」

 

キリカは一瞬拍子抜けしたような顔をしたかと思うと、無邪気に微笑みながら答えた。

 

「こ、告白!? いや、俺はそういうつもりで言ったんじゃあ……」

「…私はね、誰かに必要とされたことがあまりなかったんだよ。恩人だけだったかな? 私を頼ってくれたのは。恩人には魔女に殺されかけたのを助けられたし……魔法少女としての生き方も教わった。だからその分、私は恩人に協力していたんだ。"命の恩人"だからね」

 

分史世界の杏子は確かに、キリカとコンビを組んで魔女狩りをしていた。ただそれは、本当の意味での協力関係と言えたものだったろうか。

正史世界の杏子でさえも、魔法少女の真実を知るまでは損得でものを考え、ほむらと対立しかけていたのだから。

そういった意味では、分史世界の杏子は心の底からキリカを必要としていたのか、疑問符が浮き上がる。

それを肌で感じて察していたのは、良くも悪くもキリカだけだろう。それでも、キリカは杏子の傍に居続けたのだ。

 

「…自分でも意外だけどね、私の世界がなくなった、って聞かされてもあんまり驚いていないんだよ」

「それは……どうして?」

「さぁ、何故だろうね? たぶん、私にとって世界なんてその程度の価値しかなかった、って事じゃないのかな。………誰も私を必要としない。だから、私も何も必要としない。恩人と出会う前まではそう思っていたし、そうでなければ多分私は今も独りだったと思う」

「寂しく、ないのか」

「それが当たり前になってしまえば、何も感じなくなるものだよ。……でも、ダメだね。恩人といるのが当たり前になってたからかな……少し、胸が苦しいよ」

 

気丈そうに語るキリカだが、それが平静を装っていることは一目でわかってしまった。

大切なものを失ったばかりで、冷静でなどいられるはずがないのだ。

影の魔女に杏子を殺されたのを目の当たりにした時、キリカは確かに我を忘れるほどに激昂していたのだから。

 

「キリカ、これを」

「えっ…何を?」

 

ルドガーは机の上に置かれたキリカの左手に、懐から取り出した影の魔女のもうひとつの遺物、グリーフシードを当ててやった。

案の定、キリカの左指の指輪からは多量の穢れが漏れ出て、グリーフシードへと吸い込まれてゆく。

ルドガーの予想通り、本人の自覚もないままにソウルジェムが濁っていたのだ。

 

「………まさか、こんなに濁ってただなんてね」

「平気そうに見える時ほど、人の心ってのは脆くなってる。…俺は、今までそんな人達を何人も見てきた。

…キリカ。君のいた世界を壊した俺がこんな事を言うのもおかしいけど……どうか、俺達と一緒に戦ってほしいんだ」

「それは、君は私を必要としている、という事なのかな?」

「………そうだ」

 

その言葉を聞いたキリカの顔つきは、暗く俯いた様子から少し嬉しそうな表情へと変化した。

 

「そっか……そうだね、あんな熱烈な告白をされたとあっては、私も相応の恩を返さなければならないからね」

「あ、あれはそういう意味じゃなくてだな!?」

「ふふ、形はどうあれ君が心から私を必要としてくれるなら。"ここにいていいんだ"って言ってくれたなら、私は君の為に全力を尽くすと誓うよ。

………もう、独りぼっちはイヤなんだ」

 

それは恐らく、キリカなりの精一杯の言葉なのだろうとルドガーは感じた。

必要とされる事で初めて自分自身に価値を見い出すことができる。だからこそ、"認められる"事こそがキリカにとって何よりも重要なのだ。

それは見方を変えれば、盲目的な依存性質とも取れる危ういものだ。

恐らく常に不安定であるキリカの精神は、ひとたび憶えた"頼られる事"による充足感を忘れることはできないのだ。

果たしてそれに応えることが、キリカにとって本当に良い事なのかはさておき、独りきりで正史世界へとやって来たキリカを放っておくことなど、ルドガーにはできるはずもない。

だが、幸いにもルドガーには仲間達がいる。彼女達が許すならば、キリカを孤独にさせる事などないだろう。

 

「……ありがとう、キリカ」

 

家主が未だ眠り続けるなか、ここに新たな絆がまたひとつ紡がれることとなった。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

遅く始まった朝食の片付けも終え、まもなく昼になろうという頃に、来訪者を告げるチャイムの音が響いた。

エイミーとじゃれていたキリカが立ち上がろうとしたが、洗濯物をベランダに干している最中だったルドガーがキリカを止めて、待っていたように玄関へと向かい、鍵を開けて迎える。

特に示し合わせていたわけではないが、ドアの前にはまどかが手提げ鞄を携えて立っていた。

 

「おはよう、まどか。来ると思ってたよ」

「おはようございます。キュゥべえから「帰ってきた」って教えてもらって……ほむらちゃんは?」

「まだ、眠ってるよ」

「そうですか…………えと、誰か来てるんですか?」

 

まどかは自分の靴を脱ぐ前に、見慣れない靴が一足置かれているのを見つけて尋ねた。

 

「ああ、説明すると少し長くなるんだけど…分史世界から連れてきた娘だよ」

「つ、連れてきた…!?」

 

予想もしていなかった事を聞かされ、慌ててそのまま居間に向かうと、ルドガーの淹れたコーヒーを飲みながら綺麗な姿勢で座るキリカの姿が視界に飛び込んできた。

やや短めの艶のある黒髪をしたその姿は、まどかにとっては確かに初めて見るものだ。

 

「……ん、君はルドガーの…いや、ほむらの友人かな?」

「え、えと………か、彼女ですっ!」

「……………えっ?」

「あっ…!」

 

つい反射的に答えてしまったまどかは、急に困惑し出したキリカの顔を見て"しまった"と思った。

キリカはまどかとほむらの関係など知るはずもないし、ましてその関係は一般的ではないのだ。いきなりそんな事を聞かされても返答に困るのは当然だ。

しかしキリカの返した言葉は、さらに場を混乱させるようなものだった。

 

「………なんてことだ。確かに彼女は芯の強そうな性格だとは思っていたけれど、ほむらは実は男だったのかい!?」

「ふぇ!? ち、違いますよ!」

「なら君がかい!?」

「違いますってば!」

「……えっと、あれ?」

 

助け舟を求めるように、キリカは冷や汗をかきながらルドガーの方を見た。

戦っていた時の凛々しさなど微塵も感じられない、本気で困惑しきったキリカのその表情は一種の庇護欲すらくすぐってくるが、それ以前にキリカの恋愛観に対する認識は、いつぞやの杏子を彷彿とさせるものがあった。

 

「キリカ、君にはまだ難しい話かもしれないけど…2人は本気で想い合ってるんだよ」

「………?? どういう事なんだい。だって2人とも女の子なんだろう?」

「ええと…キリカは、今まで誰かを好きになった事はないのか?」

「……恩人の事は、好きだったよ。もちろんルドガー、君の事も大好きさ。料理はおいしいし、私に優しくしてくれる。…けれど、それとこれとは違うんだろう?」

「……あぁ、そういう事か」

 

なるほど、とルドガーはようやく納得することができた。

つまりキリカの"好き"は"LIKE"であり、"LOVE"つまり恋愛経験がないのだ。その2択の区別はついていても、恋愛とは何であるかすらもわかっておらず、単に男女間の繋がりを指すものという認識しかないようだ。

告白がどうのと冗談めかしていたのも、メディア媒体からの受け売りなのだろう、とルドガーは肩でため息をついた。

 

「まあ、その話はあとでゆっくりするとして…まどか、来て早速だけどほむらを看てやってくれるか?」

「はい、もちろんです」

 

ルドガーに頼まれるまでもなく、まどかの足取りは既にほむらの部屋の方を向いていた。

少し大きめな手提げ鞄の中には恐らく看病のためのものが入っているのだろう、などと思いながら、ルドガーは残りの洗濯物を干しにベランダへと戻った。

 

「ねぇ、ルドガー。やっぱり私にはまだよくわからないよ。ちゃんと教えてくれないかい?」

 

キリカは2人の関係がどういったものによって成り立っているのか、煮え切らない気持ちをそのままに、ルドガーを追ってベランダへと顔を出した。

 

「…あんまり俺がしていい話でもないんだけどなぁ」

「だって、こんな事彼女に直接なんて訊けないよ」

「そうだな……誰かを好きになるのに、性別とか人種とか、そういうのは関係無いってことだよ。

俺の故郷も、ちょっと前は世界が2つに分かれてたし、人種差別も少なくはなかった。でも、そういうのを乗り越えて愛し合った人達もいたんだ。もちろんあの2人もそうだ。大事なのは心と心の繋がりなんだと思うよ」

「………心と、心?」

「そのうち、キリカにもわかる時が来るさ」

「………ふぅん。ならルドガー、君はどうなのさ」

「えっ、俺?」

「そ。君は、誰か好きな人はいるのかい?」

 

逆に問い返され、白無地のタオルを干していたルドガーの手がつい止まってしまった。

キリカはやや期待のこもったような、好奇心に満ちたような眼でじっ、と見つめてくる。

 

『私のこと、一生憶えてなさい』

 

キリカに見つめられて脳裏に浮かんだのは、いつかの魔女の幻影の中で見たミラの言葉だった。

 

「ああ、いるよ」

「! …そのひとはどんな人だい? ぜひ会ってみたいね」

「……悪い、それはできないんだ」

「…それは、どうして?」

 

逢えない、と再確認させられた事で、胸を締め付けられるような感覚に苛まれる。

ミラを失ってからずっと消えずにいた無念さ、喪失感だ。

ああ、きっとほむらは"これ"の何倍もの痛みを抱えながら過ごしてきたんだろう、と思いながらルドガーは答えた。

 

「もう、いないんだ。…どんなに探しても、もう2度と逢えない。彼女はもう、この世界のどこにも存在しなくなってしまったからな」

「………死んでしまった、ということかい?」

「……それすらも、わからないんだ」

 

正史世界に同じモノは2つと存在できない。

分史世界の住人であったキリカが存在できるのも、"正史世界の呉 キリカ"が故人となっているからこそだ。

ミラ=マクスウェルが正史世界に居続ける限り、ルドガーの求める"ミラ"が再び現れることは決してない。また、その逆も然りだ。

それをわかっていたからこそ、彼女はあの時ルドガーの手を振りほどき、次元の狭間へと落ちていったのだ。

そうしてルドガーは、"自分はいつの間にか彼女に惹かれていたんだ"と失って初めて気付かされたのだ。

 

「………それは、辛いね。愛だとか恋だとか、私にはまだよく分からないけれど…きっと私なら、心が折れてしまうよ」

「…そうだな。でも、立ち止まるわけにはいかなかった。俺には"為すべき事"があったから。

……だけど、せめて"好きだ"って伝えたかった。今はそれだけが唯一の心残りだよ」

 

 

幻影の中で与えられた"呪い"と称された温かさだけが、ルドガーに遺された唯一の想いだ。

けれど、あれは所詮魔女が見せた自分の願望なのではないか、と思うことはある。

どちらにせよ、その温かさが残り続ける限り、ルドガーは一生彼女の事を忘れることはできないのだ。

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

正午を過ぎた頃、ひと気のない鉄道のガード下の空き地にそれぞれ赤、青、黄の髪色をした少女達が集まっていた。

既に各自は戦闘衣装を身に纏い、魔力で加工して刃を潰した得物を構えている。

 

「おいマミ、もういっぺん聞くけどよ」杏子は相変わらず駄菓子を口に咥えながら、ぶっきらぼうに尋ねる。

「今から戦闘訓練なんかやったって、間に合うのかよ? 明日には雨が降ってきて、もしかしたら人魚の魔女がまた攻め込んで来るかもしんねーんだぜ?」

「だからこそ、よ。少しでも腕を磨かないと……悔しいけど、まるで太刀打ちできなかったもの。

暁美さんに頼るのもナシよ。まだ目を覚ましてないらしいし…あれ以上羽根の力を使わせちゃったら、負担が大きすぎて本当に危険だもの」

「あたしは賛成ですよ、マミさん。できる事は何でもやっておきたいですもん。…できれば、あいつの回復魔法の対策も見つけたいですけど」

 

同じ戦い方ができても人魚の魔女と違って使える魔力には限度があり、それは魔法少女である限りは埋めることができない絶対的な差だ。

先日の自身の戦いを振り返ってみても、改めてそれを思い知らされる事態に陥ったのも事実だ。

マミはその差を埋める為に、僅かでも鍛錬を積もう、と提案したのだ。

 

「さやか、あいつはもう1人のアンタなんだろ? なんかわかんねぇのか?」と、至極当然といった風に杏子が訊く。

「それがわかってたら、特訓なんてしないで休んでるわよ。

あたしもずうっと考えてたけど、結局なんも思いつかない。…やばいよねぇ、このままだと。あ。でもいっこだけ気になった事があったんだわ」

「なんだい、そりゃ?」

「…あいつは、元魔法少女だけあって魔法少女の事をよく識ってる。けど、それならあたし達をさっさと殺してもおかしくない筈なんだ。

ほら、あたしらってソウルジェム壊されたら死んじゃうじゃん。でもそれをしなかったのはどうしてなのかな…って」

「舐められてるだけじゃねえのか、それって」

「そうかもしんないけどさ! …それに、あいつの言ってた事も気になる。"円環の理"だったっけか……

"全ての魔法少女の行き着く先、限界を迎えた魂を救済する存在"とか言ってたんだ。…それに、それはまどかの願いによってのみ創られるって」

「……という事は、鹿目さんの持つ強い素質がその"円環の理"に関わってるという事かしら。…でも、あの人魚の魔女の言い草だと、まるで天国か何かみたいな感じだったわよね」

 

"円環の理"というフレーズについては、マミも気にしており考えていたところがあった。

人魚の魔女はまどかに呪霊術をかけ、とある願いを叶えさせようと脅迫まがいの事までしてのけたのだ。

その願いこそが、"過去から未来においての、全ての魔女の消滅"である。

 

「……あの時、どうして人魚の魔女は鹿目さんに"魔女を消し去ること"なんて願わせようとしたのかしら。

そんな事をすれば、自分だってタダじゃあ済まない筈なのに」

「ですよねぇ……例えば、まどかがそれを願う事でその"円環の理"ってのが生まれる…とか?」

「はっ、何だそりゃ。アイツ、テメェで成仏したがってんのかよ?」と、杏子もわざとらしく悪態をつく。対してマミは、

「あながち間違いではないかもしれないわよ? 魔女になったって事は、ソウルジェムを浄化できなかっただけじゃなくて、何かに絶望した可能性だって十分考えられるわ。

だとしたら、救われたい…って思うのも有り得ない話じゃあないわ」

「まどかの命を使って、か? そりゃあほむらがブチ切れるわけだ。…アタシはこう見えて、人間のイヤな部分ってのはよぉく識ってるつもりだったけどさぁ……あんなに憎しみに満ちた人間の顔なんてそうそう見られるもんじゃねぇぞ」

 

それは杏子だけが感じていたものではなかった。こと、ほむらはまどかの事になると冷静さを欠く傾向にあるとは承知していたが、ああも自分を見失う程に暴走するとは思ってもみなかったのだ。

実際はマミだけは、ほむらが暴走する瞬間を3度は見ていたのだが、最後にほむらが人魚の魔女に対して向けた視線は、魔法少女としての使命感とはかけ離れた紛れもない"殺意"。

人魚の魔女がした行為は卑劣そのものであったが、それは確かにほむらの逆鱗に触れるものでもあったのだ。

或いは、それすらも承知の上での"嫌がらせ"だったのだろうか。

 

「………話ばかりしていても仕方ないわね。美樹さん、佐倉さん。特訓始めましょうか」

 

人魚の魔女の思惑や円環の理など、分からない事ばかりではあるが、とにかく現状を打破しなければならないのだ。

人魚の魔女に勝たなければ、ワルプルギスの夜を迎えることすら叶わないのだから。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

 

午後7時を廻り、すっかり日も暮れて室内灯を点けた下では、背の低い円卓を挟んで向かい合わせにまどかとキリカが腰を落ち着けていた。

台所ではルドガーがいつもの如く鮮やかな手つきで食事の用意をしており、程なく良い香りがキッチンから漂ってくる。

キリカはいつの間にかまどかに擦り寄っているエイミーをじぃ、と見つめながら口を開いた。

 

「……君は、今日泊まって行くんだってね」

「えっ? は、はい…パパとママにはもう言ってあるし、ほむらちゃんが心配だから…」

「まだ、目を覚ましそうにないかい?」

「そう…ですね…前も、2日ぐらい寝込んでた時がありましたから」

 

それだけほむらの力が強力だという事か、とキリカは無言で頷く。

キリカが黒翼の発動を見たのはシエナブロンクを撃破した時のみであったが、それだけでも黒翼が圧倒的な破壊力を持っていることは感じていた。恐らく、自分が気を失ったあとにも"それ"があったのだろう、と。

その代償が"これ"では、まるで身を削って戦っているみたいではないか、と不憫に思えてきたのだ。

 

「……君は、さ。ほむらのどこを好きになったんだい?」

 

と、次に溢れたのはまどかに対する個人的で、単純な問いかけだった。

 

「え、えっ…!? えと……どうしてそんな事を…?」

「気になったから、さ。あいにく私にはまだ恋とか愛だとかはよく分からないからね」

「そ、そうなんですか……えっと、どこをって言われても………全部、じゃあダメですか…?」

「もっと具体的に何かないのかい?」

 

ぶしつけに問いかけるキリカを前に、まどかは口元をもごつかせ顔を赤らめながら、ぽつりぽつり、と語り出す。

 

「そ………そのぉ、一目惚れ…だったんです」

「ふむ」

「最初は出逢う前に夢の中に出てきて、そのあとすぐに転校してきて……ずっと、私の事を守ってくれてたんです。

守ってもらって、抱き締められると自分でも不思議なくらいどきどきして……でもすっごく安心できて…そのうち、ほむらちゃんってもしかしたら私の事が好きなのかな……なんて思ったりもしたんです」

「で、実際にそうだった、と?」

「はい。……そこからは、私も夢中で……大好きだ、って伝えて……今はもう、ほむらちゃんがいないと不安で仕方ないんです」

「………愛されてるねぇ、ほむらは」

「てぃひひ………でも、私にはこういうことしかできないんです」

 

照れくさそうに笑うが、ただ傷つくほむらを見ている事しかできずにいる自分自身に辟易としている。

 

「そういえば、君は"契約"はしていないんだね。…やはり、"魔女になる"のは怖いかい?」と、キリカは複雑な顔をしているまどかに問いかけた。

「えっ……キリカさん、その話もう聞いてたんですか?」

「……大体の察しはついていた、という感じかな。魔女とは何なのか、何処から来るのか……ソウルジェムが濁り切ったら、私達はどうなってしまうのか。

冷静に考えれば、すぐにそれらは結び付いたよ。もっとも、その頃には手遅れだったけどね」

 

キリカはやや自嘲気味に、左中指に嵌められているソウルジェムの指輪を見せながら言う。

 

「……私も、ずっと悩んでました。どうしたらほむらちゃんを助けられるのか…契約して、隣で支えられたらどんなにいいか…って。

でもダメなんです。私が魔女になっちゃったら、力が強すぎて世界が滅んじゃうんです」

「…確かに、君からはただならぬ素質を感じるよ」

「それに…ほむらちゃんは私を魔女にさせないように…死なせない為に契約して、独りで戦い続けてたんです。

私が契約したら、ほむらちゃんの気持ちを裏切る事になっちゃう……やっと、"今の私だけを"愛してくれるって約束してくれたのに」

「………"今の"?」

 

どういう意味なのだろうか、とキリカのまだ幼い好奇心が疼いた。

まるでその言い草では、"今までに他のまどかがいた"と言っているかのようではないか、と。

 

「……ほむらちゃんは、私が死ぬ未来を変えるために同じ時間を何回も繰り返してるんです」

「時間を…!? そんな事が、可能だというのかい!?」

「それがほむらちゃんの"願い"だったんです。…魔女になって死ぬか、ワルプルギスの夜のせいで死ぬ、そんな未来から私を救うために」

「成る程ね……時を超える程の強い想い、それこそがほむらの"あの力"の源だとしたら、分かる気がするよ。

………ワルプルギスの夜は、近くこの街に来るのかい?」

 

伝説級の、かつ災害クラスの最悪の魔女の名はキリカも耳にした事はあった。

それがこの見滝原に現れるなどという唐突な話も、様々なものを失ってここにいる今のキリカからしたら、別段驚くような事ではない。

 

「───そうだ。そこのカレンダーを見てみろ、キリカ」

 

と、完成したトマトソースパスタを3人前、トレイに載せて運びながらルドガーが答えた。

ルドガーが指したカレンダーは、今日の日付から7日後の部分に大きな赤丸が書かれている。

それ以外の日付にもいくつかの小さな赤丸が書かれており、それらは皆いままでに魔女が現れた日付と近しいものだった。

 

「勝算はあるのかい? ワルプルギスは数百年前から存在して、世界中を彷徨っている魔女。逆に言えば、数百年の間に誰も倒す事ができなかった魔女だよ」

「…それは、まだわからない」

「ほむらは今まで、何回繰り返しをしてきたんだい?」

「数えるのを諦めるくらい、って言っていたよ」

「成る程ねぇ………勝ち目のないであろう相手に、それでも何度も挑み続けた、と。

………ルドガー、君が私を必要としているのは、"こういう事"だったんだね?」

 

未だその力の片鱗すら見たことのない、最悪の魔女と称されるワルプルギスとの戦いにキリカを巻き込んでしまう事に対して、ルドガーは申し訳なく思ってしまう。

 

「ああ、怒っているわけじゃあないよ。言っただろう? 私は君の為に全力を尽くす、と」

「いいのか? だって俺は…」

「私を戦いで"使い捨てる"つもりでいたのなら赦さなかったけれどね、そうでない事くらいは顔を見ればわかるよ。

できれば、ワルプルギスを倒したあとも私を君の傍にいさせてくれるなら、もっと嬉しいんだけどね」

 

気まずそうな顔をするルドガーに対し、キリカは不敵に微笑みながらトレイからパスタを受け取り、机に並べてゆく。

2人のやり取りを傍らで聞いていたまどかにも、ふとした疑問が湧きつつあった。

 

「…あの、キリカ…さんって、ルドガーさんの事を…?」

「事を、なんだい?」

「その、好きなんですか?」

「………んー、そうだね」

 

いきなりなんて事を訊くんだ!? とルドガーはトレイを持ちながら肩をびくつかせたが、キリカは一切動じずに当然の如く答える。

 

「私にはまだ誰を好きだとか愛するとか、そういう感情はよくわからないんだけどね。

少なくとも、命を懸けてもいいくらいには想ってるよ」

「……え、えっ!? つまりそれって……」

「ん? どうかしたのかい」

「な、なんでもないですっ!」

 

どうしたのだろうか、と首を傾げながらテーブルに目を移すと、ちょうどルドガーがパスタに加えて小さな器に盛られた昼間のスープの残りも並べているところだった。

孤食の多かったキリカにとっては久方ぶりのご馳走を目の前に、キリカの表情は年相応に無邪気な笑顔へと変わる。

一方のまどかも同じく、食卓から漂う食欲をそそる香りに笑顔が溢れるが、キリカの言った言葉に、

 

(…………それって、"好き"ってことじゃないのかな…?)

 

と、甚だ疑問を感じずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

夜───面会時間もとうに過ぎて、静まり返った病院内の一角にある個別の病室では、上条恭介が窓からうっすらと差す月明かりを眺めていた。

マミによって神経を修復された腕は順調に快復へと向かっており、一時は嫌気すら差していたクラシックのCDも、リハビリへのモチベーション維持に再び貢献している。

だが、ふと思うことがある。時にはこうして無音の世界を感じるのも悪くない、と。

当然ながら、完全な無音ではない。耳を澄ませば何処からか電子機器の音がし、看護師達がぺたぺたと歩く足音も聞こえる。

 

「そろそろ、寝ようかな」

 

カーテンを閉じ、掛け布団を整えて枕に身を預ける。

入院してからもう大分経つが、消灯時間近くなると眠くなり始めてしまう。生活習慣の一端としてすっかり身についてしまったようだ。目を閉じると耳に意識が集中し、静寂のなかにいろんな音が聴こえてくる。

が、その中にひとつ異質な音が。まるで革靴のような小気味良い音が恭介の病室へと近づいてくる。

通常、看護師は専用のシューズを履いており、硬い足音が聴こえることなどないはずだ。

こんな時間に誰だろうか、と再び身を起こすと静かに病室のドアが開き、足音の主が入ってきた。

 

「やっほー、恭介。元気ぃ?」

「さ、さやか………!? こんな時間に、どうして」

「しっ! …ばれないように来るの大変だったんだから」

 

足音の主───見滝原中学の制服と、革靴を履いたさやかは、咄嗟に駆け寄って人差し指て恭介の唇を押さえた。

 

「いやぁ、昼間は用事があって来れなかったんだけどさ。…顔見たくなっちゃって、来ちゃった」

「来ちゃった、じゃないよ……ばれたら怒られるよ?」

「だぁいじょうぶだいじょうぶ! ここまで来ればもう気づかれないから」

 

あはは、とふざけたように笑う姿は、"相変わらずだなぁ"と、恭介を呆れさせるには十分だった。

 

「ねぇ恭介、腕の調子はどう?」

「おかげでかなり順調に快復してってるよ。この前の嵐のせいで退院が伸びちゃったけど、明日の午後にはもう一時退院できるってさ」

「………そっか、よかったね恭介」

「さやかのお陰だよ。さやかがいなかったら、とっくに諦めてたかもしれない……ありがとう」

 

思えば、さやかが音楽がなくても自分は自分だと言ってくれなければ、自棄の殻に閉じこもっていたかもしれない。

それに、奇跡的に腕が動いた時、抱きついてきてまで共に喜んでくれた。

次第に恭介にとっても、さやかという存在はただの幼馴染ではなく、掛け替えのない存在へと変わりつつあったのだ。

現に、こうして夜の病院に忍び込んで逢いに来てくれた事に喜びを禁じ得ないでいる。

 

「…………ねぇ、恭介」

 

と、さやかは静かに言うと突然ベッドの上にいる恭介に真上から覆い被さるかたちになり、淡いリップが乗った唇をうっすらとにやけさせた。

その行動の真意を図りきれず、恭介は思わずたじろいでしまう。

 

「さ、さやか…? どうしたんだい」

「………あたしのコト、好き?」

「い、いきなり何を………!?」

「ねぇ、答えてよぉ」

 

意地悪な笑みを浮かべながら問いかけるさやかの姿に、無意識のうちに恭介の心拍数も上がってゆく。

 

「………さやかは、僕の大切な幼馴染だよ」

「え、なにそれ。あたし馬鹿だからよくわかんなぁい。ちゃんと言ってよぉ?」

「そ、その…! 一番大事な、ってことだよ……」

「……へぇ。素直じゃないねえ恭介は」

「さ、さやか!? ちょっ……!」

 

はっきりとした返事をなかなか返さない恭介に痺れを切らしたのか、そのままさやかは顔を下ろして恭介への距離を近づけてゆく。

あと数センチで鼻先が触れそうなほどに近づくと、

 

「あたしのキモチ、ホントはとっくに知ってたんでしょ?」

 

と言い、恭介の額に軽いキスを落とした。

 

「さやか……」

 

触れたところから熱が広がってゆくように、顔が真っ赤になり心音も増す。さやかはおろか、女子との触れ合いなどまるで初めてだった恭介は、初心な表情をしながら呆気に取られていた。

 

「まー、これで満足かなあたしは。…もう、思い残す事はない。さて恭介、最後の質問だよ。

恭介はあたしのコト、ちゃんと愛してくれる?」

「な、何を言って………もちろんだよ、さやか。…好きだよ」

「そっかそっかぁ、嬉しいなぁ。………でもね、恭介。絶対って約束できる?」

「と、当然だよ」

「本当に? 例えば────────」

 

言いながらさやかは恭介から離れ、ベッドの傍らで立ち上がり踊るように両手をひらひらとさせた。

そして口元を半月のように歪ませて嗤い、言った。

 

 

 

 

 

『──────あたしが、化ケモノだったとしても?』

 

 

 

 

瞬間、さやかの身体は閃光に包まれ、それが消えると身に纏っていた制服は見たこともないような───まるで騎士のような"漆黒の"衣装へと変化した。

 

「な…その格好は!? うっ……!」

 

何の手品か、と恭介は驚きふためくが、間髪置かずにさやかにキスされた部分から"本当に"熱を感じ出した。

その姿をさやかは冷ややかに、片目だけが真っ赤な瞳で眺めていた。

 

『さぁて、夢の国へ1名様ご案内!』

 

軽やかにマントを翻してポーズを決めている間に、恭介の意識は口づけによる熱によって緩やかに失われていき、それ以上声を上げる事もなく倒れた。

それを確認したさやか─────人魚の魔女は軽々と恭介の身体を抱え、もう一度マントを返し、瞬時に虚空へと消え去った。

あとに残されたのは、やや乱れたベッドにわずかに残る温もりだけだった。

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

深夜12時過ぎ。食事もとうに済ませたルドガーたち3人はそれぞればらばらに眠りに就いている……はずだった。

まどかの方はほむらの部屋に再び戻り、恐らく添い寝するかたちで就寝しているだろう。

4月の終わりとはいえ、夜はまだほんの少し冷える。ルドガーは前まで自身が借りていた敷布団をキリカに譲り、昨日同様にタオルケットでもかけて硬いカーペットに身を預けて眠っていた。

 

「……………だめだ、眠れないよ」

 

だが、ふとキリカは布団から身を起こし、テーブルを挟んで向こう側で眠っているルドガーの方をじっと見る。

キリカは時には好戦的だったり、また時には不安症持ちでもあるが、基本的にはとても義理堅い人間だ。

故に、自分だけが布団をかけてぬくぬくと眠る事に対して自己嫌悪を抱き、目が冴えているのだ。

当然ルドガーも同様にお人好しであり、キリカの遠慮を押し通して布団を渡したのだが。

よし、と腹を決めて立ち上がると、かけていたやや厚めの布団を抱え、テーブルの向こう側へと足音を立てぬよう近づいてゆく。

 

「………まったく、私の事なんかよりも自分のことを心配すればいいのに」

 

と、キリカは持っていた布団をそっ、とルドガーの上にかけてやった。

だが、これだけでは駄目だ。目を覚ました時、布団がかけられててキリカは布団なしで眠っていました、などと気付けば更に余計な気を遣わせてしまう。

ならば簡単な話だ、一緒の布団で寝てしまえばそんな事にはならないだろう。と、キリカの頭の中では既に算段ができていたのだ。

 

「よいしょ、と………ふふ、これならよく眠れそうだよ」

 

上手いこと布団に潜り込むとようやく瞼が重くなり始めてきた。

不思議なもので、杏子の時もそうであったように信頼できる人間がすぐ隣に居てくれるということは、想像以上の安心感をもたらしていた。

きっと今頃隣の部屋にいる"あの2人"も同じ事を想いながら眠っているのだろう、と軽く微笑みながらすやすやと寝息を立て始めた。

静かな部屋の中にはかすかな雨音が聞こえ始める。つかの間の休息も、ついに終わりを迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

10.

 

 

 

 

 

 

眠りを妨げたのは、枕元に置いてある金細工の懐中時計から鳴り響く独特のけたたましい金属音。

耳を裂くようなその音にルドガーはすぐさま跳ね起き、時計を手に取った。

 

「時歪の因子の反応…!? こんな、いきなりなんて…」

 

懐中時計の針は午前6時を指しているが、カーテン越しの空は未だ日が差さず暗いままだ。

窓際の方で眠っていたルドガーは、そのまま起き上がる前にカーテンをさっ、と片側だけ開いてみるとガラス越しでもわかるほどに、大粒の雨が降り注いでいた。

 

「とうとう人魚の魔女が動き出したか…………ん?」

 

状況判断をすべく取り乱した心を落ち着かせるよう意識する。

すると、ようやく自身の傍らで可愛らしく眠っていたキリカの存在に気付いた。

 

「な……キ、キリカ!? なんで隣に!?」

「………んぁ、ルドガー…?」

 

落ち着くどころか更に取り乱したルドガーの大声と、なおも続く金属音が目覚まし代わりとなり、キリカも寝ぼけながら目を覚ました。

つい数日前にも疲れたマミがそのままルドガーの隣で眠ってしまった事があったが、今回はさらにルドガーの胴に手を廻しており、傍目から見れば抱きついているかのようにも見える。

とはいえ、何故隣にいるのかなどという瑣末な質問は後回しだ。人魚の魔女が動き出したとなれば、もう猶予はさほど残されていないのだから。

 

「ふぁ………おはよ。これ、何の音…?」

「……これは、魔女の反応だよ」

「魔女………!?」

 

"魔女"という単語を耳にした瞬間、寝ぼけ眼だったキリカの表情はコンマ数秒でキッ、と引き締められた。

またしても、自分が気づく前にルドガーの方が先に気付いたからか。

 

「魔女は、どこにいるんだい!?」

「まだわからない。……けど、この雨を見てみろ。前に聞いた話だと、雨自体に魔力が込められているらしい。この雨のせいで、テレパシーも使えなくなるんだ」

「雨を操れるというのかい…そんなの、聞いたこともないよ」

「それだけ強力な相手だ、って事だ。…命こそ無事だったけど、俺たちも1度負けた相手だからな」

「君たちが負けた、だって…? あの"影の魔女"を倒した君たちが?」

「………そうだ」

 

苦い顔をしながら布団から出て立ち上がり、すぐに武器を取り戦いの支度を始める。

まどかを今すぐ家に帰すべきだろうか、とふと悩むが、声を掛けに行く前にほむらの部屋の扉が先に開かれ、ほむらの携帯を取ったままのまどかが出てきた。

 

「ルドガーさん! 起きてたんですね?」

「ああ、魔女の反応で起こされたよ」

「私の方も、ちょうど今さやかちゃんから電話があって………テレパシーが使えないから、電話してきたみたいです」

 

と、まどかは通話が繋がったままの携帯をルドガーに渡した。

 

「さやかか? 電話ありがとう。状況はわかるか?」

『こっちも大変な事になってるんですよ! 恭介が……! さっき仁美から電話があって、"恭介が消えた"って…!」

「なんだって!? まさか!?」

『あいつが、あいつのせいですよ! そんな、恭介まで巻き込むなんて……こんなの、許せない…!』

「…一旦集まろう。マミ達には連絡は?」

『こっちに電話する前に、先に伝えました。雨を見てすぐ気付いたみたいですよ!』

「わかった。すぐ向かう!」

 

通話を終えて携帯をまどかに返すが、ふとルドガーは思った。

これから自分は魔女の討伐に向かわなければならない。つまりは家を空けなければならないのだ。

それならば早朝だがまどかを家に帰すべきなのか、或いは雨が止むまで、つまり人魚の魔女を倒すまでここに留めておくべきなのだろうか、と。

 

「ルドガー、私もついて行くよ」キリカは既に身支度を終え、いつでも出られる状態になっていた。

「戦えるのか、キリカ。…今度の相手は、影の魔女なんて比じゃないんだぞ。それに身体だってまだ…」

「だったらなおのことだよ。君1人行かせるわけがないだろう?」

「けど……」

 

ちら、とルドガーはまどかの方へと視線を向ける。悩み決めかね、せめてキリカだけでもここに残すべきか、などと考えているとまどかの方から、

 

「私は大丈夫です。ここでほむらちゃんを看てますから…魔女をお願いします」と、2人を気遣う言葉が出てきた。

「………わかった。絶対に戻ってくる。だから、2人で一緒に待っててくれ」

「はい。…どうか、気をつけて」

 

ああ、と努めて笑顔で答えるとルドガーは居間に隠していた愛用の武器達を手に取り、ひとつずつ確かめながら装備してゆく。

キリカもまたソウルジェムを煌めかせ、黒衣の戦闘服へと着替えを済ませ、戦いに赴く準備を整えた。

 

「行こう、ルドガー。君は私が守るよ」

「はは…嬉しいけど、それは俺の役目だよ。…もう、誰も傷つけさせない。みんなで一緒に帰って来よう」

 

 

 

不安がないわけではない。結局、人魚の魔女に対する有効な対策は何も見つかっていないのだから。

それでも、今行かなければ先へは進めない。ワルプルギスの夜を迎える前に終わってしまう事など、あってはならないのた。

傍らに寄り添う新たな仲間と共に、先の見えない航海へと向かうような心持ちで出発していった。

 

 




改稿前のものを誤爆してしまったので、修正しました。

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