誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第24話「あたしも、大好きだよ」

1.

 

 

 

 

 

 

白と黒の2色しか存在しない、枯れ果てた荒野のような広大な空間の周囲には、偽りの明星を表したような、或いは墓標のようなシンボルが円周型に広く無数に並び、学校ごと飲み込んだ生存者や来訪者達を取り囲み、逃すまいと灰色の結界を展開させる。

その円周型の結界の中央ではひとりの少女の姿を模した影の化身が膝を付いて祈るように空を仰いでいた。

 

エルザマリア───Elsa、そしてMaria。神の慈愛を受けし者たちの名を冠したその魔女は、堕ちた明け星のように負の輝きを放ち、飲み込んだ全ての生命に平等の救い───即ち、死を与える為に脈動を始めていた。

 

 

『………そう』

 

ルドガーの発言に対してのほむらの反応は驚きではなく、納得したような風に聴こえた。

 

「もしかして、気付いてたのか?」

『…あくまで予測に過ぎないし、単純な話よ。まどかがいない世界で私が生きていける筈が無いもの』

 

ほむらもまた、ルドガーよりも先に同じ結論に達していたようだった。だからこそ驚きはしなかったのだ。

結界に飲まれて校舎が消滅したことで、エルザマリアの周囲には生き残った生徒や教師達の姿が何人も見られる。

化け物。殺される。逃げろ。我先にとエルザマリアに背を向けてそれらの人間達は走り出すが、墓標に囲まれた広大な灰色の世界で、どこに逃げればいいのかもわからず、ただエルザマリアから距離を置こうと駆けることしかできない。

それすらも逃がすまいと影の魔物達が牙を向き、次々と生徒達を歯牙にかけ始めた。

 

「……おい、なんだよこれは。何がどうなってやがんだ!?」

「杏子! …見ての通りだ。あそこにいるのが魔女だよ」

「はっ、さすがのアタシもこいつぁ気分が悪くなるよ……」

 

異変を察知した杏子がルドガーの元へ駆け付け、その惨状にため息をつく。

誰かを救いたいという甘い幻想など、とうの昔に捨て去ったはずの杏子でさえも、無差別に人を襲う使い魔に苛立ちを覚えていたのだ。

 

「これ以上やらせっかよ!」

 

多節槍を展開し、生徒達に集る使い魔の群れに単独で突撃してゆく。

俊敏性と威力に優れた杏子の的確な攻撃を受けて使い魔は大きく散らされ、嗚咽を洩らしていった。

しかしそれでも、群れのごく一部を薙いだに過ぎない。

 

「テメェら、さっさと向こうに逃げろ!!」

「は、はいっ!」

 

杏子に救われた生徒達は、数を減らしながらもルドガーや魔法少女達のいる方へ逃れてゆく。

後方のキリカとほむらも使い魔を蹴散らしながら、生徒達の安全を確保すべく集結するが、ようやくモノを握れるまでに腕の回復を終えたさやかだけは違っていた。

 

「………どうして?」

 

その双眸からは止めどなく涙が溢れ、周りに使い魔が這い寄っている事にも気付かずに、エルザマリアの姿を…変わり果てた友の姿を見ていた。

 

「どうして、あんたなの…?」

 

さやかのその呟きは、近くにいたルドガーと仁美にだけははっきりと聞き取れた。

 

「なんで……なんでなのよぉ………ほむらぁ……」

 

偽りの世界とはいえ、繋いだ絆はさやかにとっては尊いものだった。

覚悟ができた、などとんでもない。さやかは今ようやく"世界を壊す"事の重さを知ることになったのだ。

そうしている間にも獣型の使い魔がどんどんにじり寄り、ほとんど無防備なさやかに襲いかかる一歩手前にまで迫っていた。

 

「さやか! 周りを見ろ!!」

 

ルドガーは仁美に注意を配りながら2挺銃を連射し、さやかの周囲の使い魔を代わりに追い払おうとする。

 

「面倒な娘だね、君は!」

 

さらに、猛スピードで追いついたキリカも加勢し、鉤爪を振りかざしてさやかの周りの使い魔を霧散させてゆく。

獣型の使い魔はそれに対応するかのように、更にカタチを変え始めた。4.5匹ずつが集結して一回りもふた回りも大きな個体へとなり、キリカの斬撃やルドガーの銃弾をも弾いてしまいそうな強固な外皮と凶悪な爪を持ち、2足でバランスをとりながら立つ巨大な熊のような魔物へと変異する。

それらは全部で4体で徒党を組んで、さやかを包囲するように爪を光らせた。

 

「今度はグラッディクローか……! さやか! 距離を取れ!」

「……………」

「さやか!! …くっ、聞こえてないのか!?」

 

駆けつけてグラッディクローを打ち倒したいが、ルドガーの隣にはただの少女の仁美がいる。目を離せばどこからともなく使い魔が襲ってきそうで、動きたくとも離れる事ができないのだ。

 

「彼女は私に任せて、ルドガー」

 

そこに、キリカ共々駆けつけたほむらが足取り遅くも到着し、機関銃をばら撒きながら仁美の援護についた。

 

「志筑仁美、私についてきなさい」

「あ、暁美さん……? あなたも魔法少女だったのですか…?」

「…そうよ。あなたは私が守るわ。ルドガー、さやかをお願い」

「ああ、わかった!」

 

機関銃を片手に持ち直しながら、困惑する仁美の手を取り半ば強引に引っ張り、エルザマリアから距離を置く為に小走りで離れてゆく。

使い魔はほむら達にハイエナのように集ろうとするが、魔力の込められた機関銃の弾丸を受けて柘榴のように肉を散らしながら追い払われる。多節槍を振り回しながら戦っていた杏子も、生徒達を誘導しながらほむら達と合流するように動いていた。

仁美をほむらに任せたルドガーは、ようやく再び骸殻を纏い、槍を錬成してさやかとキリカのもとへ駆けつけた。

 

「キリカ、さやかを向こうへ連れてってくれ! こいつらはまだそれほど強い魔物じゃない! 俺が相手をする!」

「了解だよ! さあ、行くよ君!」

 

ルドガーが攻撃を仕掛けてグラッディクローの注意を引きつけているうちに、キリカは左手の鉤爪を仕舞い、放心状態のさやかの腕を引いて猛獣の群れから抜け出す。

しかしやはり小型の魔物が追随してくるが、キリカは咄嗟に速度低下魔法を発動させ、使い魔の動きを鈍らせてその隙間を駆け抜けていった。

 

「お前達の相手は俺だ! エオリエーネ!!」

 

槍の矛先に炎のエネルギーを纏わせ、火の粉をばら撒くように槍を振り回し、グラッディクローを威嚇する。

その炎に僅かな怯みを見せたが、岩のように硬い手甲を合わせて盾代わりにし、じりじりと距離を詰めてくる。

猛獣の姿をしている割に、まるで測ったかのような陣形を組んで迫るグラッディクロー達だが、ルドガーはむしろそれを待っていたのだ。

 

「今だ!」

 

ルドガーを引き裂かんと一斉に爪を振り下ろした瞬間、集中回避術を使って群れの包囲網から脱出する。

突如として獲物を見失い空を切った爪にグラッディクロー達は一瞬困惑するが、そこに間髪入れずに群れの背後から槍を投げ、奇襲を仕掛けた。

 

『グォォォ!?』

 

陣形の乱れたグラッディクローの群れは背後からの奇襲によりさらに動きが乱れ、態勢を立て直そうともたつくが、その乱れを狙って急接近し、さらに攻撃を仕掛けた。

 

 

「閃闇裂破刃っ!!」

『グオアァァァァァッ!!』

 

槍の矛先に闇のエネルギーを纏わせた超高速の連続刺突を受けたグラッディクローの群れは、外皮ごと核を貫かれて悲鳴を上げながら膝から崩れ落ち、溶ける様に消えていった。

ギガントモンスター級の使い魔の撃破を確認したルドガーは、使い魔から逃れて行ったほむらやさやか達の後ろ姿を一瞥し、それから目の前にいる驚異───エルザマリアへと向き直る。

静かに佇み微動だにしないその姿はどこか赦しを乞うているように見えていた。

 

「………さやか」

 

分史世界のほむらに取り憑いていた時歪の因子はとても強力な反応を示しており、間違いなく手強い魔女であることが窺える。

それだけでなく、恭介の死や時歪の因子の宿主といい、この世界自体がまるでさやかを陥れる為だけに造られたようにも感じていた。

何より、14歳の少女には世界を破壊するという事実は重すぎる。他人事だと割り切っていられれば、或いはその重さに気付かないままでいられたならば、代わりにルドガーがその重さを背負う事が出来ただろう。

しかしさやかは知ってしまった。この世界で親しみを持ってしまった人が時歪の因子となった事で、世界を破壊するという事の重さに気付いてしまったのだ。

今はもう剣を振るう事すらままならないだろう。しかしそれを責めることは、同じ痛みを知るルドガーにはできはしない。

 

「………ごめんな」

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

さやかを連れて使い魔の群れから逃げおおせていたキリカだが、未だ剣をとろうとしないさやかの様子にただならぬものを感じていた。

見滝原の生徒の大半が惨殺されるという事態に陥り、心を傷めてしまったのだろうか。グラッディクローに囲まれていた時もそうだが、今もなお使い魔に追い回されているにも関わらず、自衛すらしようとしないのだ。

間も無く、同様に使い魔から逃れて来たほむらや杏子たちと合流するが、エルザマリアから遠く離れた結界の端っこ辺りは、周辺付近に比べれば比較的安全なようだった。

 

「……恩人、これだけしかいなかったんだね」と、キリカは杏子に連れられてきた生徒たちを見て言った。

その数にしておよそ40に満たぬほど。ひとクラス分より少し多い程度だった。

その他の生徒達は最初の戦闘の時に殆どが使い魔やギガントモンスターに嬲り殺されていたのだ。

見滝原中学を基点として発生した魔女結界。それにより見滝原の生徒や教師の9割近くが惨殺されるという異常事態に、集った魔法少女達からはもはやため息しか出なかった。

ほむらにとって今護るべきは、あくまで仁美とさやかだけなのだが、目の前でこうもあっさりと命が失われてゆく現状に心が傷まずにはいられない。

黒翼の反動による疲労に鞭打って銃を持つも、とうに慣れたはずのその重さが今は倍近くの重さに感じていた。

 

「………あなた達は、みんなをお願い」

「そんな今にもぶっ倒れそうなツラでアイツとやり合おうってのか?」と、多少皮肉の交じった言葉が杏子から出た。

「それよりアンタはこの青いののお()りをしててくれよ。それとキリカ、オマエも残っとけ」

「恩人、君1人で行く気かい?」

「病人と腑抜けだけ残してたら、コイツらなんざあっという間に喰われちまうだろうが。使えんのはオマエだけだよ」

「……わかった。気をつけて」

 

杏子は振り返りもせずに、結界の端に寄り添う生徒達と魔法少女達に向かってひらひらと手だけ振り、一気に駆け出していった。その遥か先では、新たな使い魔と槍を交えるルドガーの姿が見える。

 

「………はぁ。最悪だよ、今回の相手は本当に最悪だ。失ったものが多すぎる」

 

深いため息をつき、パニックに陥りながらも寄り添い合う生徒達を一瞥する。

ほむらも機関銃を構えつつ周囲を警戒しており、その傍らでは未だに大粒の涙を流すさやかと、心配そうに寄り添う仁美の姿があった。

 

「………はぁ。昨日の威勢の良さはどこへ行ったのかな。私を本気で殺す勢いで喰ってかかってきたくせに…」

 

さやかの意気消沈ぶりにやや苛立ちを覚えながらも、その心の内ではわずかばかりの心配をしている。

使い魔を放育し、種を実らせてから狩る杏子のやり方が気に入らなかったのか。もしくは"マミ"という杏子の過去の知人が戦死したという話をしても、杏子が一切動じる事がなかったからか。

どちらにせよ、美樹さやかという人間は向こう見ずな真っ直ぐさと、既に杏子や自分からは失われてしまった"正義感"というものを持っているように感じていた。

それだけに、未だに剣をとろうとしないさやかに苛立ってしまうのだ。

黒のロングコート型の衣装を翻し、早足でさやかの元へと近づいてゆく。キリカの瞳はどこまでも冷めており、射抜くようにさやかを睨んでいた。

 

「……呉キリカ、どうしたのかしら」

 

その只ならぬ雰囲気にほむらも不安を抱くが、やはり敵意は感じられない。昨日の今日とはいえ、この状況で今更衝突しようなどと浅はかな考えは持ち合わせないだろう、と踏んでいたが、

 

「君……"さやか"って言ったっけ」

「……………」

「……はぁ。これだけの大惨事だ、泣くのも勝手だけどね………君にはがっかりしたよ」

 

言うとキリカは利き腕の方の鉤爪を仕舞い、平手を作り、思い切りさやかの頬を打った。

ぱしん、と乾いた音がどよめきの中に響く。隣にいた仁美は呆気に取られ、さやかは驚いたように目を見開いてキリカを見た。

 

「…………あ、」

 

そのままキリカはさやかの衣装の襟首を掴み上げ、威圧せんとばかりに引き寄せる。

 

「やめなさい、呉キリカ! さやかはまだ魔法少女になって間もないのよ…!?」と、ほむらが止めに入ろうとするがキリカは動じない。

「だから、何さ。魔法少女なんて安易になるものじゃない。戦う覚悟もないのなら、初めから魔法少女なんかになるんじゃない。違うかな?」

「でも、さやかは私達を守るために契約したのよ…? なりたくてなった訳じゃない、私のせいなのよ…私が弱かったから……」

「……ふぅん」

 

ほむらの言葉を受け、キリカは渋々と襟首を掴んでいた手を雑に離した。

突き放すように離されたさやかはふらつきながらほむらに支えられる。

 

「さやか、辛いのはわかるわ。ここは私達がなんとかするから、あなたは…」

「……………違う、違うんだよほむら…」

「さやか…?」

「キリカの言う通りだよ…あたし、世界を壊すって事を簡単に考え過ぎてた……でも、わかっちゃったんだ。世界を壊すって事はさ……この手で大事なものをみんな壊しちゃう、って事なんでしょ…?」

「………そうよ」

 

大切なものを守る為に世界を壊し続けたルドガーと、時を渡りながら世界を見限ってきたほむら。形は違えど、その重さをよく知っているのは2人だけだろう。

今のさやかには迷いがあった。魔女はもちろん倒さなければならない。しかしそれは同時に、分史世界のほむらも殺さなければならないという事だ。

そして、かつて同じ痛みを味わったほむらには、さやかを咎める事などできはしなかった。

 

「……戦わなきゃ、みんなが危ないって、わかってるんだ。でも…手が動かないの……」

「さやか、あなた………」

「お喋りはここまでだよ、ほむら」

 

キリカがぴしゃり、と冷めた声で2人を一喝する。

生徒達の周囲には小型の使い魔がまたも湧いて出始めており、2人を置いてキリカが先立って使い魔を狩りに向かっていった。

 

「…さやか、戦えとは言わないわ。でも、せめて自分の身だけは守って。……私ももう、時間停止を使えない。みんなを守れる程の余裕がないの」

「……ごめん、ほむら」

「いいのよ、"親友"でしょう? …行って来るわね」

 

銃を持ち直して使い魔の討伐に加わってゆくほむらの後ろ姿を見て、ようやくさやかは涙を拭って手元にサーベルをひと振り錬成させた。

潰された両腕は僅かに違和感が残るものの、戦う分には支障は無いくらいには回復している。

だが、心の内の迷いは消えたわけでは無い。その迷いは剣先に形となって現れる。

守らなければ。その一心で剣を振るい使い魔を切り裂いてゆくが、その動きはまるで平均台の上にいるかのようにおぼつかず、不安定そのものだった。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

「吹き飛べ────ジ・エンド!!」

 

 

掲げた槍を地に打ち下ろし、放たれた衝撃波によって小型の使い魔はいっぺんに吹き飛ばされ、塵と化してゆく。

同様に赤く細身の槍を器用に回して戦っていた杏子も、ルドガーの規格外の強さに舌を巻いていた。

 

「アンタ、やるじゃねえか。キリカが苦戦するわけだな?」

「あれは好きで戦ったわけじゃないんだけど……」

「わかってるよ。アイツはああ見えて脳筋だから熱が入ると止まんねえのさ。…それより、さっさと本体を叩くぞ」

 

使い魔の群れを一時一掃した2人は、ようやくエルザマリアへと矛先を向ける。

ただひたすらに祈るように臥し、使い魔を召喚する以外に何もしてこないその姿に違和感を感じるが、周りに敵がいない今は絶好のチャンスだった。

 

「もらったあ!」

 

先ず杏子が槍を携えて高速で突進し始めた。エルザマリアの心臓部分めがけて赤い槍を突き刺そうとするが、

 

『──────ハ』

 

突如として杏子の進路に、道を塞ぐように新たな使い魔が現れ、杏子の槍を防いだ。

 

「…な、また新手かよ!? しかもこいつ…!?」

「杏子!? …なんだ、アレは」

 

現れたのはただの使い魔ではない。ソレは人のようなカタチをしており、右手に長身の剣を、左手に拳銃のようなものを持った背の高い男のようなシルエットをしていた。

 

「………まさか」

 

その姿にルドガーは見憶えがあった。かつての仲間の1人にも、同じような武器を使っていた男がいたからだ。

新たな使い魔の姿もその仲間と同様に、スカーフとジャケットを着ているように見えなくもない。

 

「……今度はアルヴィンに化けたのか」

 

当然ながら、ルドガーが次に警戒したのは他の使い魔の現出だ。

周りを見渡せばいつの間にか、2人を囲むようにさらに何人もの使い魔が立っていた。

 

『──────ハハッ』

 

影となっている故に黒く見えるが、まるで医者か学者のような長い丈の白衣を纏った少年の影。

帽子を被り、軽快なステップを刻みながら身の丈よりも長いステッキを軽々と振り回す少女の影。

妙に落ち着いた物腰を見せる、老いたコンダクターの影。

 

「……ジュード、レイア、ローエン…!」

 

小さな影のぬいぐるみを周囲に舞わせている、小柄な少女の影。

そして、丈の長いコートを着込み、知性的な眼鏡と逆手持ちの双剣が目立つ長身の男の影。

 

「エリーゼ……兄さんまで…!」

 

それらは全て、かつてルドガーと旅を共にした家族同然の仲間たちを模したものだった。

 

「おいアンタ! その反応だとこいつらに見憶えがあるみてえだな!?」

 

槍を防がれ、態勢を整え直した杏子が苛立ちながらルドガーに尋ねた。

 

「…ああ、昔の俺の仲間たちと同じ姿だ。気をつけろ杏子! 能力も真似てるとしたら、こいつらはかなり手強いぞ」

「たかが使い魔に何を大袈裟な…まあいい、敵は歯応えがあるほど楽しめるしなっ!」

 

杏子は6人の使い魔を前にしても一切動じず、得意げに八重歯を覗かせてにやつく。

対してルドガーは仲間の姿を利用された事に憤りを感じつつも、6人のうちの誰を最初に狙うべきかを冷静に再確認していた。

 

「……すまない、エリーゼ! 舞斑雪ッ!」

 

ルドガーが最初に狙いをつけたのは、幼いながらも増霊極(ブースター)の補助により高度な精霊術を操る小柄な少女───エリーゼの影だった。

回復役を先に叩くという定石は、かつての戦いの中から学び取ったものだ。

槍を真っ直ぐに持ち直し、目にも留まらぬ程の速さでの刺突をエリーゼの影に浴びせようとするが、

 

『ハハハッ!』

 

突如としてエリーゼの影を庇うように現れた少年───ジュードの影によってその一撃は防がれてしまった。

 

「くっ……ジュード…!」

『クフ、クハハ、アッハハハ!』

 

足が止まったところに、アルヴィンの影が何発か銃弾を撃ち込んできた。

すぐに銃声に反応したルドガーは、ジュードとの距離を置いて、槍の矛先からエネルギー弾を撃ち返して対応する。

その間にも杏子はステッキを持つ少女───レイアの影と打ち合いをしており、その傍らでは隙を窺わんと眼鏡の男───ユリウスの影が刃をちらつかせていた。

 

「オイ! いくらアタシでも何人も相手すんのはきついぞ! 弱点とかないのかよ!?」

「そんなものがあれば苦労はしない! とにかく1度距離を置くんだ!」

「チッ、わかったよ!」

 

ステッキによる猛襲を突き放して距離を置き、軽く息を整える。

共に槍しか持たずに6人もの手練れ達を相手にするのは無理が効かず、攻め手が限られつつあった。

 

「恩人! …これは、どうなってるんだい」そこに、異変を察知したキリカが追い付いて2人に加わった。

「キリカ! オマエ、向こうはどうした!?」

「青い娘がやっと戦う気になってくれたから、任せてきたんだよ」

「チッ───まあいい。…オマエの魔法なら、なんとかなるかも知れねえな」

「3人で、2人ずつ相手か…できなくはないね」

「オーケィ! 行くぜ!」

 

無機質で、鋭い眼光を飛ばしながらキリカが飛び出していった。まず相手に選んだのは、

銃を持ったアルヴィンの影からだ。

アルヴィンの影はキリカの姿を認めるとすぐさま威嚇射撃を飛ばし、同時にギミックの仕込まれた剣にエネルギーをチャージしてゆく。

 

「遅いよ!!」

 

しかし、既に速度低下を発動させていたキリカは、銃弾を鉤爪で跳ね除けながらアルヴィンの影の懐まで距離を詰める。

速度を落とされたアルヴィンの影は、超高速で接近した"ように見えた"キリカの姿に驚くが反応が追い付かず、剣を持った手を鉤爪で斬り落とされた。

 

『───アァァァァ!』

 

負けじと杏子もレイアの影に再び仕掛け、槍を多節に展開させて立体的な攻撃を浴びせる。

すぐにユリウスの影が援護に回って来たが四方に眼を光らせた杏子に隙はなく、多節槍による攻撃を剣で弾くことしかできずにいた。

その遥か後方ではローエンの影が何かしらの術の詠唱を始めており、杏子とキリカを"仲間ごと"狙っていたが、それに気付いたルドガーが槍で斬りかかり詠唱を邪魔する。

咄嗟に身を引き斬撃を躱したローエンの影は、小刀を何本か飛ばして応戦するが、的確に反応して槍で小刀を打ち落としてゆく。

その背後にはジュードの影が駆け付け、ローエンと入れ替わるように前衛に立って、ルドガーと相対した。

 

「…まさか、こんな形で戦う事になるなんて、な!」

『ヒャハ、アハハハハッ!』

 

手甲をあてた拳と槍がぶつかり合い、火花を散らす。

互いに手の内を読み合うような応酬に釘を刺すように、ローエンとエリーゼの影が揃って詠唱し始めると、ルドガー達の足元に精霊術による巨大な陣が現れ始めた。

危険を察知したルドガーは槍を大きく打ち下ろしてジュードの影を後退させて、

 

「うおぉぉぉっ!」

 

骸殻の力を全て解放して歯車の舞う結界を紡ぎ、6人の使い魔達を全員引きずりこんだ。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

時の流れから外れた固有結界内ではルドガーが中央に立ち、取り囲むように6人の影達が立っている。

詠唱を無理矢理中断させられたローエンとエリーゼの影以外は刃を向けるが、ルドガーはまず、残り僅かな変身時間で後衛を潰すことから始めた。

 

「絶影!!」

 

アルヴィンの影の銃弾が飛来する前に高速で飛び上がり、エリーゼの影の真上へと転移する。

影達はその速さに視線が追い付かず、迎撃もままならずに上空からの兜割りを許してしまった。

重力を乗せた槍の一撃はエリーゼの影を頭から縦に両断し、直後に霧散させた。

 

「ヘクセンチア!!」

 

その勢いで槍を地に叩きつけ、黒い光弾を無数に降らせる。

影達は光弾から身を守ろうとして引き下がるが、わずかに足取りの遅かったローエンの影に狙いをつけて、その眼前に空間跳躍で飛び込んだ。

 

「逃がすか、シダーエッジ!!」

『グォォォォ…!』

 

槍を高速で振り回して無数の斬撃を浴びせると、ローエンの影はまるで獣のような断末魔を上げて霧と化す。

残るは4体、更なる空間跳躍を重ねて今度は反対方向にいるレイアの影の前方に跳んだ。

余力を見ても、あと1撃を当てれば結界と共に骸殻は解けてしまうだろう。それまでにはせめて数をイーブンにまで減らしたいところだった。

 

『ヒャハハハッ!!』

 

しかしその背後にはジュードの影が迫っており、大きく振りかぶった拳を当てようと構えていた。

瞬時にその気配を感じたルドガーはもう1度高く跳び上がり、背後からの拳を空かしつつ槍の先から風のエネルギー弾を無数に飛ばす。

ジュードの影は身を翻してエネルギー弾を躱すが、レイアの影はステッキを構えて防御に徹していた。

 

「これで最後だ! 鷹爪落瀑蹴!!」

 

エネルギー弾を飛ばした先めがけて、高い打点からの勢いを乗せた飛び蹴りを打ち込む。その蹴撃はレイアの影に直撃し、ステッキをへし折りながら胴体を吹き飛ばした。

 

『ア、アァァァァァァ……!』

 

レイアの影は黒い霧となり、呻き声を上げながら散ってゆく。

影の造り物だとわかっていても、かつての仲間たちと同じ姿をした相手を手にかけた事に歯痒さを覚えながら、残る3人の影へと向き直る。

そうして、歯車の結界はエネルギーを失い晴れていった。

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

骸殻の結界の中ではおよそ1~2分程度過ぎていただろうが、外界ではほんの数秒の出来事だ。

一瞬だけ姿を消したルドガーと、同じく姿を消して、気がつけば頭数を減らしていた影達を見て杏子とキリカは戸惑っていた。

 

「!? …アンタ、何かしたのか?」

「ああ、ちょっとな。…けど、骸殻の力を使い果たした」

「骸殻? あの黒い格好のことか?」

「そうだ。…残り3人、終わらせるぞ!」

 

消失した槍に代わってもう一度双剣をとり、同じく双剣を構えるユリウスの影と対峙した。

実力で言えばジュードやアルヴィンの影も決して侮れないが、ユリウスの影ともなればその強さが折り紙付きであることはルドガー自身が1番良く識っており、魔法少女達に任せるには少々荷が重いと判断したのだ。

 

「これ以上、兄さんの姿で好き勝手はさせない…!」

 

ほぼ同時に両者は駆け出し、瞬時に距離を詰めて1対の刃を打ち合う。その動きはもはや常人の目には捉えられぬ程の速さにまで達していた。

キリカは引き続いて手負いのアルヴィンの影と。杏子は軽くステップを刻むジュードの影と対峙する。

 

「行くぞ、キリカ!」

「了解だ、恩人!」

 

分担して戦うよりもコンビネーションを活かす事を選んだ2人の少女たち。

杏子の操る多節槍の立体的な軌跡を掻い潜るように、キリカが鉤爪を光らせて突っ込んでいった。

アルヴィンの影が剣で多節槍を弾きながら、ジュードの影も拳から地を這う衝撃波を何発か放ってくるが、速度低下を発動しているキリカにとっては躱すのは造作もない。

 

「そこっ!!」

 

その勢いに乗ったまま、前に突き出した鉤爪をアルヴィンの影に突き刺し、斬り抜けた。

確かな手応えを感じたキリカは霧散してゆくアルヴィンの影を確かめもせず、そのままジュードの影へと狙いを移す。

後方からは多節槍を収納した杏子が、ジュードの影へ目掛けて、魔力の込められた槍を全力で投擲した。

 

『───ハハッ!』

 

だが、槍が被弾する直前にジュードの影は突如姿を消した。本来ジュードの特技である集中回避術を使い、2人の攻撃をすんでの所で躱したのだ。

 

「消えた…!?」

「アイツ、まさか仲間を囮にしたのか!?」

 

しかし、集中回避術を実際に受けるのは初めてとなる2人は、ジュードの影が次にどこに現れるのかを予測できずに出遅れた。

 

『──────ハアッ!!』

 

ジュードの影が現れたのは杏子の真後ろだ。気配を察知して振り向こうとするが既に遅く、鋭い手甲をつけた拳は何の躊躇いもなく杏子の身体を貫いた。

 

「が……ッ!? ………しまっ、」

『アッハハハ!!』

 

槍を持つ手から力が抜ける。口元から血を吹きこぼしながら睨むが、ジュードの影は攻撃の手を休める事なく、十八番である高速の拳撃を打ち始めた。

 

『ヒヒ、ハハッ! アハハハハ!!』

 

薄味の悪い嗤い声を上げながら、抵抗できない杏子を滅多打ちにしてゆく。

護身術の域を超えた拳撃の極み───"殺劇舞荒拳"。目にも留まらぬ速さで打ち込まれてゆく拳は細い腕を折り、鮮血を散らし、臓腑を内部から破裂させる。

 

「やめろぉぉぉ!!」

 

すぐにキリカが駆けつけて、鉤爪による斬撃をジュードの影に浴びせようとするが、流れるような拳撃の中に回避術を交えた動きで、その鉤爪は容易く躱される。

止めとばかりに両の掌を突き出し、痛烈な掌底破を杏子の身体に打ち込む。

もはや声すら上げずに錐揉み打って吹き飛ばされた杏子のソウルジェムは、拳撃によって打ち砕かれていた。

 

『ヒャハ、アハハッ、アッハハハハハハ!!』

「恩人!! …お前、よくも………うぁぁぁぁ!!」

 

オリジナルとは真反対に、狡猾な手段を用いては愉快そうに高らかに嗤うジュードの影に、一気に憎しみが沸き起こる。

怒りに身を任せたキリカの鉤爪は血のように紅く輝き出し、より一層鋭さを増した。

 

 

 

「──────馬鹿が、落ち着けキリカ」

 

 

 

そんなキリカに対して、どこからか聞き慣れた声が飛んでくる。

その声の主は紛れもなく、ソウルジェムを砕かれ死したはずの杏子のものだった。

直後、ジュードの影の真上から数えきれない程の槍の雨が降り注ぐ。

 

『ハハハ─────ヒッ、アァァァァ!!』

 

無数の真紅の槍はジュードの影の全身を貫くと、熱を持ちいっぺんに燃え上がり始めた。

異端の徒を焼き尽くさんとばかりに炎は絡みつき、ジュードの影は高嗤いとは打って変わって悶え叫んだ。

 

「これ……恩人の……?」

 

何が起こったのかを理解できずにその様を見ていたキリカの肩に、優しく手が置かれる。

 

「よう。敵を騙すにはまず味方から…ってのか?」

「恩人!? 無事だったのかい!?」

「まあな。"ロッソ・ファンタズマ"────最初からアイツはアタシの幻と遊んでたのさ」

「ああっ……良かったよぉ……無事で……」

「いいトシしてベソかくんじゃねえ。まだ1体残ってんだろうが」

 

キリカを慰めながら杏子は、激しい鍔迫り合いを重ねるルドガー達を見やる。

互いに攻め手を小出ししながら隙を見ているのだ。

偽りの影でありながらも、オリジナルと謙遜ない腕前を見せるユリウスの影に、ルドガーは奥歯を噛み締めて好機を窺う。

 

『シャアァァァ!!』

 

痺れを切らしたのか、ユリウスの影は双剣を交差させるように振り、ルドガーに更なる攻撃を仕掛ける。

身を引いて斬撃を躱しながら、素早く2挺銃へと持ち替えて威嚇射撃で距離を開くが、ユリウスの影は銃弾を剣で跳ね返しながらその距離を詰めてきた。

 

「確かに、強いな…けど、兄さんほどじゃ、ない!!」

 

それを待っていたとばかりに、ルドガーは唐突に2挺銃を空へ投げる。

突然の動きに一瞬だけユリウスの影が気を取られ、その微かな隙を突いて双剣を持ち、音速の斬り抜けを浴びせた。

 

『グ…アッ!?』

 

背後に回り込んだルドガーは更に斬撃を重ね、斬り伏せ、蹴り上げてユリウスの影を宙に浮かす。

 

「祓砕斬・零水いっ!!」

 

計算された軌道で投げられた2挺銃はしっかりとルドガーの手元に戻り、予め込められたエネルギーの塊を一気に放出し、縦横無尽にユリウスの影を撃ち抜いた。

 

『グアァァァァァァッ!!』

 

それら全てを受けたユリウスの影もまた、本物とは似ても似つかない野蛮な声を上げながら消滅していった。

 

「……よし! あとは、本体だけか……」

 

使い魔達を全て殲滅され、残されたのは影の魔女エルザマリアただ1人のみ。

それでも、未だに動こうとしないエルザマリアに違和感を感じながら、3人は少しずつ近づいていった。

 

「コイツ、どうして動かねえんだ? 使い魔はあんだけ凶悪だったってのに」

「わからないね。でも、動かないのなら好き勝手やらせてもらうまでだよ」

 

2人の少女たちは多少ながら余裕を持っていたが、ルドガーだけは警戒を緩めない。

分史世界の魔女は、それこそさやか1人ででも倒せる程度の強さしかなく、また、それが本来の魔女の強さであるのだろう。

だが、正史世界で見てきた魔女達はそれとは違い、みな規格外の凶悪性を秘めていた。

そしてこのエルザマリアは、それら正史世界の魔女達と同等以上の反応を示しているのだ。

骸殻のエネルギーが回復し切るまでは、相当の時間がかかる。"骸殻を使い切らせた"というだけでも、先程の使い魔達は十二分に役割を果たしていたと言えるだろう。

 

「………! 来るぞ」

 

不意に、祈りのポーズを解いてエルザマリアがゆったりと上身を起こし、3人の方を見た。

不思議と攻撃性を感じられないその緩慢な動きに更なる戸惑いを覚えるが、エルザマリアは口らしき部位を動かして何かを呟きだした。

 

 

『…………………ケテ…………』

 

 

魔女の呟きの意味を理解できず、杏子の脳裏にクエスチョンマークが浮かぶ。だがその直後、いよいよエルザマリアは本性を露わにしたのか、大きく姿を変え始めた。

影の落ちた地表から瘴気を吸い上げ、身に纏う。

細身の身体はそのままに、瘴気はエルザマリアの背中へと纏わりつき、まるで翼のような形をとり始める。

 

「………そんな、あの姿は…まさか!?」

 

誰よりも早く、エルザマリアが何に"変わろうとしているのか"を勘付いたルドガーの背筋に、悪寒が走った。

 

「まずい! 杏子、キリカ! 逃げろ!!」

「いきなりどうした!?」と、杏子はいきなり焦り出したルドガーを不思議そうに見る。

「いいから早く逃げるんだ!」

「おい、説明ぐらい──────っ」

 

それ以上、杏子の言葉が続く事はなかった。

逃げる様に促した直後、どこからか放たれた衝撃波によって杏子の上半身が跡形もなく綺麗に、一瞬で吹き飛ばされたのだ。

 

「杏子!?」

 

逃げる間もなく散らされ、残った腰より下の部分が力なく崩れ落ち、間欠泉のように血が吹き出す。

 

「……そんな、杏子……」

 

真隣にいたルドガーには当たらなかったが、ほんの僅かな間に消された命を目の当たりにして、戦慄した。

 

「……恩人? ……なんだ、これ……あ、あぁぁぁぁぁっ!!」

 

数秒遅れて、ようやく事態を理解したキリカがパニックに陥り叫び出す。

反対に、どうにか厳しく自身を律し、気丈に武器を持ち直したルドガーは改めてエルザマリアへと向き直る。

 

「………やっぱり、そうか……」

 

エルザマリアの姿は地面から身体を生やした、小柄な少女のままだ。

ただし、その背中には巨大で歪な両翼…まるで、暴走したほむらの黒翼を思わせるような羽根が備わっていたのだ。

ルドガーでさえも恐ろしさを覚えた力の正体…それは、今まで凶悪な魔女や使い魔を容易く葬ってきたほむらの力を、そのまま真似たエルザマリアの黒翼だった。

 

「………殺す…よくも恩人を………お前ェェッ!」

「よせ、キリカ!!」

 

激昂し、飛び出そうとしたキリカの腕を引いて無理矢理引き留める。

直後、キリカが飛び出そうとした射線上に衝撃波が走り、まるで泥を跳ね上げるかのように容易く地表を抉り飛ばした。

ソレに触れていれば、キリカも同じようにやられていただろう。

 

「……すまない、キリカ!」

 

掴んだ手と反対の手に持っていた刃を返し、峰を向ける。そのままキリカの首元に、強い峰打ちを当てた。

 

「ぐっ………!?」

 

峰打ちを食らったキリカの身体は脱力し、ルドガーに抱き留められる。

あのまま突攻を許していれば、間違いなくキリカの命も散らされていただろう。

意識を無くしたキリカを抱えたまま、ひとまず距離を置こうと後ずさった。

 

「………どうすればいいんだ…?」

 

思えば、シエナブロンクの姿をした使い魔と戦った時に、既にほむらの力の情報を得ていたのだろう。

もしくは、人魚の魔女のように"最初から識っていた"のか。

最強にして、制御すらままならない最悪の力。

それを目の当たりにして、ルドガーは初めてエルザマリアに対して畏怖の感情を抱いた。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

覚醒したエルザマリアの姿を離れたところから見ていた、さやか達を初めとする逃れた少女達も、その姿に身震いをしていた。

 

「………ねえ、あの姿って……やっぱりあんたの…?」

「…そのようね。ただ単にこの世界の"私"に取り憑いていたという訳ではないようね」

「そんな……あんなの、どうすればいいの……!?」

「落ち着きなさい、さやか。…私達が取り乱したら、他の子達が不安がるわ」

「でも………!」

 

ほむらは努めて平静を装うが、青ざめた顔色ではとてもそうは見えない。それに気付いたさやかも、それ以上は言わなかった。

ただ、ほむらには一つだけエルザマリアに対抗する為の考えがあった。ただしそれは、上手く行く保証などどこにも無い賭けのようなもの。

 

「……さやか、呉キリカの言っていた事の繰り返しになるけれど…もう一度だけ訊くわ。あなたに…いえ、"今のあなたに"戦う覚悟はあるのかしら?」

「ほむらまでそんな事を訊くの…? あたしは───」

「あなたを魔法少女にさせてしまったのは、私の責任。どうやっても、償いきれるとは思っていないわ…でもね、魔法少女になったからには戦わなければならないのよ。…大切なものを、守る為にね」

「それって…まどかの事だよね…? あんた、まどかを守る為だけに戦ってきたんでしょ…?」

「…少し前までは、そうだったわ。でも今はそれだけじゃない。まどかだけじゃない…今の私には、守りたいものが沢山あるの」

 

ほむらは壊れた盾の中から1挺の拳銃を取り出し、苦い顔をしながら撃鉄を起こした。

拳銃ひとつで魔女に戦いを挑みに行くのか、とさやかは困惑するが、すぐにそうではないと思い知る事になる。

 

「ねえ、さやか」

「………ほむら?」

「あなたも、私の守りたいものの一つなの。……私の事を"親友だ"って認めてくれたさやかは、あなたしかいないから」

「……ねえほむら、あんた何する気なの…? ねえ、ねえってば!!」

 

触れれば折れてしまいそうな、儚げな笑顔を作って言う。

そのまま手に持っていた拳銃を自らのこめかみに当て、恐れも、なんの躊躇いもなくその引き金を引いた。

火薬の弾ける音と硝煙の匂い、そして反対側の頭蓋から真っ赤な血が飛び散り、さやかの顔に跳ねる。

表情を変えないまま力を失ったほむらの身体は、いとも容易く地に伏してしまった。

 

「……ほむら…あんた、何やってんの……?」

「あ……暁美さん!? どうして……どうしてこんな……」

 

2人のやり取りを1歩引いたところから見ていた仁美は、目の前で突如起きた惨劇に取り乱さずにはいられない。絶望のあまりに自害してしまったのか、とすら思えてしまう。

さやかもそれは同感であったが、心の内の何処かではそれとは反対に、"意味もなくこんな真似をするはずがない"と考える冷静な部分があった。

仁美は気付いてはいないが、ソウルジェムが生きている限り、たとえ頭を撃ち抜こうが死ぬ事はないのだから。

そしてそれは図らずして、的中する事となる。

力を失った筈のほむらの手が、かすかに動く。ひびの入っていた盾はさらに深い亀裂が入り、もはや装置どころか盾としての役割すら放棄した。

代わりに、ほむらの背中から再び黒い翼が現れる。薄々と、黒翼はほむら自身の危機に反応して発現すると気付いていたのだろうか。

黒翼から漏れ出た魔力はたちまち傷付いた部位を修復してゆく。その中で、切ったはずの髪も"傷"と判断したのか、髪の長さもあっという間に元のロングヘアーへと修復されていった。

まるで"最初から傷などなかった"かのように。

周りにいた生徒達の生き残りは、翼を生やし、突然髪が伸びたほむらの姿を見ては「化け物」と恐れ慄き、さらに距離をとって逃げ出した。

あとに残ったのは、さやかと仁美だけだ。

 

「………うまく、いったみたいね…」

 

朦朧としながらも、どうにか自我を保っていたほむらは、自分の試みが成功した事に安堵していた。

 

「あんた…やっぱり! なんでこんな危ない真似したのよ!!」

「……この翼は、決まって私が追い詰められた時に現れてたわ。だから、こうすれば上手く行くかも…って思ったのよ……ふふ、またまどかに怒られるわね……」

「でも…失敗したらどうする気だったのよ!? いくら死なないからって……あんた……」

「………これが"私の覚悟"よ…ごめんなさい…正直、長くは保ちそうにない……その前に……」

「ほむら…!? 待って、待ちなさいよ!!」

 

さやかが止めるのを無視して、ほむらは巨大な翼をはためかせてエルザマリアの元へと飛び立っていった。

残されたさやかは某然としながらも、頭の中でひたすらにほむらの言葉が繰り返し響く。

 

「"覚悟"って……何よ……あんた、どうして平気でそんな事ができるのよ…!」

 

今までさやかは、親友としてほむらの事を理解しているつもりでいた。覚悟も、使命も、胸に秘めた想いも、全て。

だがそんなものは、"わかっていたつもりでいた"だけなのだと思い知らされてしまったのだ。

大切なものを守る為なら、たとえ自分自身でさえも犠牲にしてしまえる。暁美ほむらは、そういう覚悟を持った人間なのだ、と本当の意味で知ったのだ。

 

「………行かなきゃ」

 

ほむらは命を懸けてでも、大切なものを守る為に飛び立っていった。

不甲斐ない自分を、キリカのように見放す事もなく"親友"だと言ってくれた。

誰もが皆、覚悟を決めて戦っているのだ。一度は戦う意志を失ってしまったマミでさえも、新たな決意と共に心に火を灯したように。

ルドガーさえも、魔女となった魔法少女達が、それ以上誰かを傷つけてしまう前に…魂を、多くの血で染めてしまう前に倒す、という信念を抱いて剣を握っているのだ。

ならば、自分には一体何ができるのだろうか。

 

「……あたしにできる事………」

 

世界を守るなどと、大それた事など考えはしない。今の自分には本当の意味での覚悟がないのだから。それでも、選択には責任が伴うのだ。

今のさやかに唯一できる事……その答えは、ゆっくりと見え始めていた。

 

 

「───待っててね、"ほむら"。……あんたは、あたしが助ける」

 

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

 

影の翼を纏ったエルザマリアと対を成すように、遥か後方からも黒翼を発現させたほむらが飛んでくる。

 

「……ほむら!? お前、また翼を……!?」

 

最初の黒翼の発現によって満身創痍になっていた筈なのに、一体何がほむらをそこまでさせたのか。

とにかく、これ以上無理をさせれば無事では済まないであろう事は容易に想像がついた。

 

「ほむら、これ以上はやめるんだ!! 身体が保たないぞ!?」

「……そんなの、承知の上よ……」

「ならどうして!? ほむら!」

 

ルドガーの制止をも無視して、低空で羽ばたきながら魔力の塊を形成して、エルザマリアへと撃ち込む。

ルドガーは咄嗟にリンクを繋いでほむらを止めようと試みたが、黒翼の膨大な魔力はそれを一方的に弾いてしまう。

骸殻のサポートが使えない以上、今のルドガーにはほむらを止める術はもうなかった。

せいぜい、抱きかかえたキリカを安全な所まで逃がす他ない。

 

『……………ス、ケテ…………』

 

エルザマリアは相変わらず何かを呟きながら、影の翼を振るってほむらと衝突する。

対するほむらも黒翼から衝撃波を何発も放ち、それによりエルザマリア周囲の地表が醜く抉られてゆく。

もはや魔法少女の戦いとは思えないような凄まじい爆音と砂埃が巻き上げられる。両者の間に下手に割って入れば、ただ巻き添えを喰らって命を落とすだけだろう。

そういう意味でも、両者を止められるものはこの空間にはもう存在しなかった。

 

「………ルドガー、さやか達を……お願い……」

 

か細い声で言うと、ほむらは一段と大きな魔力の塊を造り、さらに魔力を送り込んで威力を増幅させる。

その一撃は、人魚の魔女との戦いで雨雲を掻き消したものとほぼ同規模のものだった。

必然的に、今のほむらの全ての力を込めた一撃であろうと判断できる。

巻き込まれれば、余波で周囲のもの全てが粉微塵と化すだろう。

 

「まずい、このままだとみんなが!」

 

危機感を抱いたルドガーはキリカを抱えたまま、さやかと仁美の安全を確保する為に退路をとる。

懐中時計を確認しても、今にしてようやくクォーター骸殻が発動できるギリギリまで、エネルギーが回復したところだった。

無我夢中でほむらから離れ、せめて2人だけでも守らなければと必死で足を動かしていた。

 

「間に合えぇぇぇっ!!」

 

もはや背後を確かめる事もせず、クォーター骸殻を纏って駆け足を速める。

その後ろでは、術式を練り上げきったほむらが今にも呪詛を解き放とうとしている所だった。

膨大な熱量がルドガーの背中を追うように広がってくる。そうして、影の結界は間も無く音を失おうとしていた。

 

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

周囲からは地表の焦げた匂いと、身に纏わりつく熱気が漂う。

爆塵によって見回す事さえ困難な状況で、目を凝らして周囲を観察する。

 

「………ひどいな、これは…」

 

咄嗟に骸殻の力を解放し、固有結界へさやか達を引きずり込んで、かろうじてほむらの魔法を回避する事はできた。

だが、結界に入れなかった見滝原の生徒達は全て魔力の爆心によって焼き払われてしまっただろう。

恐らくほむらにはそこまでする気はなかったのだろうが、もはや翼の暴走を自分でも止める事ができなかったのだろう、とルドガーは思った。

 

「ごほっ………ごほっ、ルドガー…さん…?」

 

舞い散る砂埃にむせて、咳をしながらさやかが歩み寄ってくる。

その傍らでは同じく仁美が瞼を擦りながら咳き込んでいた。

 

「ほむらは……無事なんですか…?」

「………あそこにいるよ」

 

少しずつ砂埃が薄まり、視線の先にぼんやりと影が見え隠れする。

ルドガーが指差した先には、翼の力を使い切り倒れたほむらの姿がかすかに見えた。

そしてその更に奥には影の魔女の姿が。ただし、影の翼の片方は根元から千切れ、もう片方はちょうど半分あたりから先が消し飛んでいた。

ほむらの魔法による一撃で、撃破には至らずともかなり追い詰めたのだろう。

 

『…………ス…ケテ…………』

 

ノイズのかけられたような震えた声が、影の結界中に響く。

エルザマリアを倒すまで恐らくあと一歩。だが杏子は殺され、キリカも気を失っている。まともに戦えるのはルドガーと、今まで戦えずにいたさやかしか残っていなかった。

 

「………さやか、仁美を見ていてくれるか。あいつは俺が倒すから…」

 

傷心を抱くさやかには剣をとることはできないだろうと思い、優しく言う。

しかしルドガーもお世辞にも余力があるとは言えない。

ほむらの魔法から逃れる為に僅かな骸殻を使ってしまったのだ。それに、身体にダメージも蓄積されている。

人魚の魔女との戦いにおいても、さやかの治癒魔法によって身体の傷は完治したものの、戦いが終わった後には体力が切れて倒れてしまっていた。

たとえ今さやかの力を借りて傷を癒したとしても、限界が迫りつつある体力までは補えない。

それでも、戦う術がある限りは諦めるつもりはなかった。槍は失えど、ルドガーの手にはまだ1対の剣が握られているのだから。

 

「………あたしも、行きます」

 

しかし、1人ででも戦おうとしていたルドガーに向かってさやかは言う。その声色の中には、今まで感じられなかった"覚悟"が込められているように思えた。

 

「戦えるのか…? だって"あれ"は…」

「わかってます。だからこそ…ですよ。親友が馬鹿やってるんなら、あたしが止めてあげなくちゃいけないんです。

それにあいつ、さっきからずっと言ってるんですよ…「助けて」って。今やっと気付いたんです。だから…あの娘はあたしにやらせて下さい」

「さやか……ああ、わかった」

 

瞳の中には強い意志が宿り、剣を持つ手にもしっかりと力が込められる。

感情に比例するようにさやかの魔力は内側から溢れ出て、火を灯した心と対照的に周囲の熱を冷ましてゆく。

その姿は、ルドガーにようやく安心感を抱かせる事ができた。今のさやかなら戦える、と。

 

「ごめんね仁美、ここで待ってて。…キリカを、見ててくれるかな」

「わかりましたわ、さやかさん……どうか、ご無事で」

「うん。…さあ、行こうルドガーさん!」

「ああ、リンク・オン!」

 

アローサルオーブの波長をさやかのソウルジェムと合わせ、擬似的なリンクを繋ぐ。

互いの力が交じり合うのもそうだが、さやかの方から流れ込んでくる魔力によって心なしか治癒が行われているようで、身体の重さも幾分かはなくなった。

立ち並び、同じ構えで剣をとる。その目はただ真っ直ぐにエルザマリアを見据えていた。

2人はほぼ同時に駆け出し、それを迎え討つように地表から蛇型の使い魔が何体も現れる。自ら攻撃をしようとしないのは、衰えつつある証拠だろうか。

しかし、もはや使い魔程度で足を止めるなどという事はあり得なかった

 

「「─────双砕刃ッ!!」」

 

交差するような軌跡をとり、高速の居合斬りを使い魔の群れに浴びせ、瞬時に打ち倒してゆく。

それを見ていたエルザマリアは、使い魔では抑止にはならないと判断したのか、ゆったりとした動きで羽根の残骸をはためかせ、魔力を紡ぎ出す。

 

「させないよ!」

 

少し離れた距離にいるエルザマリアに対し、さやかは距離を無視した横一閃の斬撃を飛ばす。

斬り裂かれることこそなかったが、その一撃はエルザマリアを怯ませるには十分だった。

 

「やらせない! オール・ザ・ウェイ!!」

 

対して、ルドガーは銃へと持ち替えて水の波紋を撃ち出し、さやかの周囲に群がる残りわずかな使い魔達を一掃する。

既に弱っていたのもあるが、エルザマリアが怯んだ隙を突いて一気に駆け抜けて距離を縮める。

赦しを乞うような呟きを繰り返しながら、エルザマリアは遅れながらもルドガー達を迎え討とうと両手を空に翳し、自身の周りに大樹の根のような歪な触手をいっぺんに生やしてみせた。

その枝のひとつひとつが、まるで千枚通しのように鋭く造られている。

すんでの処で身を引いた2人は触手に触れることはなかったが、そうでなければ危険であった。

エルザマリアはまず、ルドガーめがけて触手を振るい出す。ルドガーもさらに1歩下がり、炎のエネルギーを込めた弾丸を撃ち出して触手を迎撃してゆく。

さやかも斬撃の衝撃波を放って触手を薙いでゆくが、硬質な触手には物理的な攻撃は有効ではないようだった。

 

「こいつ、硬い…!?」

「さやか、タイミングを合わせろ!」

「は、はいっ!」

 

触手を躱しながらさらに後ろへと下がり、錬成したサーベルを触手に向けて撃ち出す。そのサーベルに向かって、ルドガーが炎のエネルギーを込めた銃弾を何発も撃ち込んだ。

さやかの投げたサーベルには信管が備わっている。それに炎が触れた瞬間、爆弾のようにサーベルが弾け、触手を苛烈な炎で焼き払った。

しかし、その奥からさらに触手が伸びてくる。先を小寄らせ、針を突き刺すかのような勢いで触手はさやかめがけて急接近してきた。

 

「しまった、やば…!」

 

対応に遅れたさやかは、2刀のサーベルを重ね合わせて触手を受け止めようとする。しかし細身の半月刀では、触手の攻撃は防ぎきれないだろう。

 

 

『……………ダメ………!』

 

 

えっ? と、さやかは自分の耳を疑い、次に、目の前で突如として静止した触手を見て驚く。

今の一撃が決まっていれば、触手は確実にさやかの下腹部にあるソウルジェムを砕いていただろう。

それがなぜ、直前で止まったのか。

 

『……………サヤカ………チャ、ン………』

「……まさか、ほむらなの…?」

 

魔女の放ったその一言で、さやかはエルザマリアの中にはまだほむらの意志が残っているのだと感じ取る事ができた。

エルザマリアに取り憑かれ、蝕まれてもなお親友だけは守りたい、と強固な意志を持ち続けていたのだろう。

 

『……………ハヤ、ク………』

 

その様子を隣で見ていたルドガーも、時歪の因子に抗うだけの意志があのほむらに有った事に驚きを隠せないでいた。

そしてその一言は、さやかの覚悟を後押しするには十分なものだった。

 

「…ほむら、今終わらせるからね。やろう、ルドガーさん。あたし達の全力をぶつけよう!」

 

腹を決めたさやかはサーベルを地面に突き立て、そこを中心に持ち得る限りの魔力を練り上げ、陣を描いた。

陣の周囲の気温はみるみる下がってゆき、水を通り越して霜を地に生やす。

 

「ああ、行くぞさやか!」

 

リンクを繋いだまま、さやかの練る魔力に同調して意識を集中させ、自らの剣を仕舞い、さやかと共に地に立てたサーベルに手を重ねる。

しかし、触れた手がかすかに震えている事にルドガーは気付いた。

ふと顔を見れば、氷のように冷えた手先とは反対に、さやかの双眸からは温かさを持った雫が零れていた。

 

「………さやか…」

「…大丈夫、あたしは大丈夫だよ。あの娘を救うには、こうするしかないから…」

「ああ…これで、終わりにしよう! 来い、絶氷の剣!!」

「断罪の……剣ッ!!」

「「その身に、刻めぇっ!!」

 

共に握りしめたサーベルを高く掲げると、氷の陣から冷気と魔力が刃に向けて流れ込み、一回りもふた回りも大きな刃へと変質してゆく。

それは2人の硬い意志を示しているかのように、金剛石のような煌めきを見せた。

 

 

 

 

 

 

「「セルシウス・キャリバー!!」」

 

 

 

 

 

夥しい冷気と、気圧の変化によって生じた風を刃に纏わせて、一気に振り下ろす。

膨大なエネルギーの塊となった巨大な刃は、エルザマリアへと吸い込まれるように飲まれ、圧縮されたエネルギーを全て爆裂させ、周囲の空間を氷獄の世界へと塗り替えていった。

 

 

『─────アァァァァァァァァ!!』

 

取り込まれたほむらのものではない、エルザマリア自身の甲高い断末魔が響き渡る。

影によって象られた結界は綻びを見せ、モノクロームの世界の隙間から太陽の光が覗きだした。

そうして、悪夢はようやく終わりへと向かい始める。

 

 

 

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

 

 

「………ここは、まだ分史世界なのか…?」

 

影の結界は完全に晴れたものの、もとの"分史世界の"見滝原中学の校庭へと戻ってくることとなった。

しかし、生徒や教師はみな命を失い、生き残ったのは気絶したほむらとキリカ、その2人を看ていた仁美、そしてルドガーとさやかだけだ。

時歪の因子であるエルザマリアは氷剣の一撃によって消滅した。それと共に分史世界も滅びる筈なのに、とルドガーは疑念を抱くが、隣にいたさやかはいち早く別のものを見つけ、ルドガーを置いて駆け出していった。

 

「─────"ほむら"!!」

 

ルドガーも慌ててさやかの姿を目で追い、それから早歩きで追い付く。

さやかが向かった先には、つい今までエルザマリアが立っていた筈だった。しかしそこにいたのはエルザマリアではなく、分史世界の暁美ほむらだ。

…ただし、その姿は異質なものによって蝕まれつつあったが。

 

「なに……これ……」

 

さやかがほむらを抱き起こすと、その身体の殆どが黒色に変質していた。まるで、時歪の因子化を引き起こした骸殻能力者のように。

わずかに残った白い肌が、かろうじてほむらがまだ蝕まれきったわけではない、と気付かせる程度だ。

 

「…さやか、ちゃん……?」さやかの腕に包まれたほむらが、ゆっくりと口を動かして言う。

「ほむら! しっかりして!」

「……私、ひどいことしちゃった……みんな、死んじゃったんだよね…?」

「あんたのせいじゃないよ…! 悪いのは…」

「ううん…わかるの。ここに、悪いやつがいるんだよね…?」

 

ほむらは黒く染まった右手で、自分の左胸…心臓のある処を指して言った。

その部分へと瘴気がじわじわと集まり、かすかに魔女の反応、あるいは時歪の因子の反応がする。

即ち、時歪の因子の正体は"暁美ほむらの心臓"だとようやく気付くに至った。

 

「……お願い、さやかちゃん。また化け物になっちゃう前に……私を、殺して…?」

「ほむら……あんた………」

「わたし…化け物になんてなりたくないよ……もう、誰かを傷つけるのは…イヤ……うっ、あぁぁぁぁっ……!」

 

心臓に少しずつ収束してゆく瘴気の影響か、ほむらはまた胸を押さえて呻き始めた。

このまま放っておけば、確かにほむらの言うとおり再びエルザマリアが覚醒してしまうだろう。

故に、さやかがすべき事もひとつしかなかった。

 

「………ルドガーさん、"槍"を貸してくれませんか…?」

「さやか、無理はするな。…時歪の因子を破壊するのは、俺の役目だ」

「わかってます。…でも、これだけは譲れません。あたし、約束したんです。"最期の時は一緒にいてあげる"……って」

 

その声色には、もはや迷いなどなかった。

さやかの意志を汲み、エネルギーが1/4だけかろうじて溜まった骸殻を発動させて、体格に合わせて少し小振りの槍を造る。

それをただ黙ってさやかに差し出すと、さやかも無言で槍を受け取り、今一度ほむらの顔を見つめる。

 

「……ごめんね、ほむら」

「はぁ…はぁ……っ、ううん……私ね、さやかちゃんと友達になれて……ほんとに幸せだったよ…大好き、さやか…ちゃん……」

「あたしも、大好きだよ……! う……うぅぅぅあぁぁぁぁっ!!」

 

大粒の涙を流し、嗚咽を洩らしながら、手に持った破壊の槍を時歪の因子に突き立てた。

びくん、とほむらの細い身体が震え、指先から少しずつ砂のように散ってゆく。

最後に、わずかに唇を動かして、何かを呟く。それは目の前のさやかにしかわからないような、声にならない言葉だった。

 

「…さよなら、ほむら」

 

別れの言葉を返すと同時に、時歪の因子に侵されたほむらの身体が完全に塵となって空に溶けた。

それと共に、造られた世界にもひびが入ってゆく。

あとに残されたのは、因果を貫く破壊の槍と、その先端に穿たれた、光輝く小さな歯車型の結晶だけだ。

 

「………そんな、これは!?」

 

偽りの世界が崩壊してゆくなかで、槍の先端に突き刺さった結晶を見てルドガーはさらに衝撃に追われることとなる。

そこにあるのは、かつて約束の地へと渡る為に、世界を壊し続けて集めた筈のモノ。

正史世界からはとうの昔に消え去ったはずの証───"カナンの道標"に他ならなかった。

 


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