誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第23話「明日、世界が滅んじゃうとしたら」

1.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通勤ラッシュの時間帯に差し掛かり、市街地の駅前にはスーツ姿の社会人や学生たちがちらほらと見られる。さながらに、どこかルドガーの故郷であるトリグラフの朝に似たようなものを感じた。

どこの世界でも、こういった事は付き物なのだろう。

昨晩同様に時を止めて同じようにホテルから出たルドガーとほむらは、さやかとのテレパシーを終えてまず真っ直ぐに見滝原中学へと向かうことにした。

ルドガーはGHSを開き、偏差の数値をチェックしながら歩く。時歪の因子に近づけば近づくほど、この数値は微増してゆくのだ。

 

「ところでほむら、直接学校に行くっていっても…なにか、心当たりがあったのか?」

「…まだ予想の範囲を出ない程度にはね。"無いはずのモノがある"といのが可能性が高いのでしょう?」

「ああ。確かに今までの分史世界は、殆どがそのパターンだったよ」

『キリカの存在はまさにそれだと思ったんだけどね』

「あの娘は時歪の因子じゃなかったよ、キュゥべえ。実際に戦ったんだ、間違いない」

 

骸殻能力者が接近すれば、大抵の場合は時歪の因子の核から瘴気が漏れ出し、ひと目でそれと判断できる。

逆に言えば骸殻能力者、ルドガーが同行していなければ時歪の因子と遭遇しても判断しかねるため、手分けして探すということができないのだ。

実のところ、ルドガーのように骸殻能力者ではない者たちを連れて分史世界に潜入するといったことは、他の能力者達の間ではまずあり得ない事であり、単独または能力者数人での探索が基本なのだ。

ルドガーのGHSの画面には深度999、偏差1.06という数値が表示されており、偏差のコンマ3桁以下の数字が微妙にぶれているが、学校の方角へ歩くにつれてごく僅かにその数値が上がっているようにも見えた。

 

「この世界を作った魔女は、さやかをピンポイントで引きずり込んだのでしょう? なら、さやかの命を狙う為に時歪の因子もその近くにいると思うのだけど…ルドガー、あなたはどう思うのかしら?」

「…どうだろうな。時歪の因子は何かに取り憑いていて、その宿主が暴走したりはしたけど、それ自体が意思を持っているなんて事はなかった。けど……今回ばかりは状況が特殊だからな。ほむらのいう通りなら、さやかの近くのものに取り憑いている…って事になるのかな」

「どちらにせよ、急ぐ必要があるわね。さやかも心配だけど…ワルプルギスまでもう日がないのよ。今日中に決着をつけるわ」

 

そうは言うものの、2人の脳裏にはそれぞれ不安な要素が残る。

日を追うごとに、次々と強力な力を持った魔女が現れ、そしてついには人魚の魔女のような桁違いの強さを持った魔女まで襲って来る始末だ。

さやかと合流したとて、正史世界に2人の仲間を残した戦力で未だ見ぬ影の魔女と戦いになった場合、苦戦は避けられないだろう。

まずはそれ以前に、時歪の因子を特定しなければならないのだが。

人混みをかき分けながら駅前から離れ、バス通り沿いに歩くこと数分。ようやく進入点だった見滝原2丁目の通りが見えてきたが、ここから学校まではさらに少し距離がある。

時計の針をみれば、学校ではそろそろホームルームが終わりそうな時間になっており、歩道を歩く人影もほとんど見られなくなっていた。

 

『……おや?』

 

と、唐突にキュゥべえが口を動かさずに喋った。

 

「どうした、キュゥべえ」

『使い魔の反応だよ。こんな時間になんて珍しいけど…』

「なんだって? 近くにいるのか」

 

キュゥべえの言葉を受けて、ルドガーは周囲を見回してみるが、特にこれといった変化を見つける事はできない。

 

『近くに、というよりもこっちに近づいているようだね。ほむら、君も感じないかい?』

「ええ。それも、かなり多いわね。でもどこに結界が……?」

『ここは魔女の造った分史世界なんだろう? だとしたら、どこから使い魔が現れても不思議ではないと思うけどね』

 

昨晩にこの分史世界を訪れた際の、さやかのいた場所の周囲の様子を思い出す。

ビル街全体が影に覆われたようにモノクローム調に変異し、また、使い魔を撃破した際も"結界が壊れる"のではなく、ゆるやかにもとの街並みに戻っていくのを見ていたのだ。

そこから改めて考えられる使い魔の性質は、おのずと絞られてくる。

 

「"影の使い魔"か……」

 

思い立ってルドガーが視線を向けた先は、いくつもの建物の"日陰"だ。

よく観察すると、現在浴びている日射しの向きと比較してみても明らかに不自然な影の映え方をしている部分だらけであり、それら全てがルドガー達の方を向いているようにも見えた。

まるで異物を感知した免疫細胞のようなソレを前に、ルドガーの時計もようやく、影から時歪の因子の反応を感知し始めた。

 

「……どうする? このまま進めば襲って来るぞ」

「進むしかないでしょう。もともとこの世界に足を踏み入れた時点で、私達に逃げ場なんてないのよ」

「そうだったな。なら、行こう!」

 

相変わらず外見不相応に肝が据わっている、とルドガーは安心したように、はたまた感心したように口元を緩めた。

ほむらは盾の中から静かに愛用の自動小銃を抜き、同様にルドガーも一対のサバイバルナイフを抜刀し、迫り来る敵に備えた。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

時同じくして、見滝原中学の教室内ではホームルームを終えて、ほんの数分程度の休み時間を迎えていたが、教室内の空気はやや重く不穏な空気になっていた。

担任の和子から改めて、クラス内の生徒達に上条恭介の死が伝達されたからだ。

既にそれを知っていた仁美とさやかは驚きこそしないが、その胸中は決して穏やかではない。

4月の頭に転校して来たばかりのほむらも、入院していた時に上条恭介の名前を噂程度に耳にしていただけに、他人事にも思えないものがあった。

 

「……ねえ、さやかちゃん」

 

さやかの様子が少しおかしかった原因を察したほむらは、心配になってさやかの机まで歩み寄る。

 

「その……大丈夫…?」

「ん、大丈夫だよ。ありがとね」

 

やや憂いを秘めながらも、そうとは思わせないように努めて笑いかける。

今のさやかが抱えている悩みは、恭介の事は勿論だが、時歪の因子の破壊による分史世界の消失。

そしてそれに伴う、その世界に住む人達の消滅についてだ。

紛い物の世界とはいえ、今目の前にいるのは、確かに今を生きている"暁美ほむら"という少女なのだ。

そしてそれはほむらに限った話ではなく、さやかと仁美以外の生徒達や教師、この世界の"美樹さやか"の母親、"キリカ"という正史世界では既に()い少女も同様なのだ。

 

(助ける方法………あるわけ、ないか……)

 

分史世界の住人を、時歪の因子の破壊から救う方法はないのだろうかとさやかは考える。

だが、そんな方法があるのならばルドガーが実践している筈であり、また、そんな話はルドガーからもひとつも聞かされていない。

結局のところ、いくら考えても名案など浮かぶ筈もなかった。

この世界のマミ、そして恭介の死を受けて以来、より一層それを実感してしまう。

目の前のほむらにすら、優しくされればされるほど胸に棘が刺さったような痛みに苛まれるのだ。

はじめに近寄ったのは自分の方なのに。ほむらの不安げな顔色を眺めながら、さやかは内心で自嘲していた。

きっとルドガーも、今の自分と同じ思いをしたことがあるに違いない。こんな思いをするくらいなら、親しくならなければ良かった。なるべきではなかったのだ。

今はただ、目の前の命を失ってしまうという避けようのない事実が辛い。

2人はそれ以上言葉を交わすことなく、ただ真っ直ぐに互いを見つめ合う。

さやかは自嘲のこもったかすかな笑みを、ほむらはどこか熱の込もった表情をしながら、何かを言いたそうに口元をもごつかせている。

 

「………ねえ、ほむら」

「うん…なぁに?」

「もし…明日、世界が滅んじゃうとしたらさ……あんたは最後に何をしたい?」

「……? どうしたの、さやかちゃん。和子先生みたいな事言って」

 

そういえば、昨日のホームルームでも和子先生は似たようなことを言っていたっけか。あれはまた男にでも振られたせいだろう、とさやかはくすりと軽く笑う。

 

「……えと、私はね…」

「…うん」

「さやかちゃんと一緒にいたい、かな……なんて」

「うん……へっ?」

「あっ…ち、違うの! ヘンな意味じゃなくて……私の事を"親友"だって言ってくれたの、さやかちゃんが初めてだから……だから…!」

 

しどろもどろになり、両手をばたつかせながら赤面して訴えるほむら。その姿を見て、さやかの口元から自嘲とはまた違った微笑みが溢れる。

 

「あっはは! あんた、ほんっとあたしの事好きなんだねぇ?」

「う……………ずるいよぉさやかちゃん。わかってて言ってるでしょ…?」

「そりゃまあ、ね! あんたはあたしの嫁だからね?」

「またそんなこと言って……もう…」

 

困ったような表情をしながらも、嬉しさがほむらの顔から滲み出てくるのをさやかは見逃さなかった。

自分は既にこんなにも慕われてしまっているのだ、という事が自然とわかってしまう。

 

「いいよ、ほむら」

「え………?」

「あたしでよければ、最期まで傍にいてあげるよ」

 

一緒に逝くことはできないけれど、せめてこの世界が壊れるその瞬間だけでも、この暖かな少女の手を握ってあげていたい。

もうひとつの可能性の"暁美ほむら"という存在を、いつまでも忘れずに憶えていたい…憶えていなきゃいけない。

それこそが、さやかなりの精一杯の責任感だった。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

不自然な影の並ぶ通りに足を進めた途端、空の色から建物、何から何までが幕を下ろしたかのようにモノクローム調へと変化する。

防衛機構たる使い魔共が、ルドガーたち"外界の異物"を探知して蠢き始めたのだ。

 

『やはり、普通の結界の発生とはメカニズムが異なっているね。閉鎖空間が形成されるのではなく、空間の一部がまるごと変異しているようだよ』

 

ルドガーの隣に添うキュゥべえもまた、目の前の変異を冷静に分析して言う。その間にも、影の中から昨晩対峙したのと同等の、蛇のような影の使い魔が何体も姿を現して吼えた。

 

『ガアァァァッ!!』

 

姿を視認すると同時にほむらは自動小銃を向け、使い魔に弾丸を撃ち込んでゆく。魔力の込められた弾丸は、1発1発が大口径のマグナムと同等以上の威力へと強化された状態で使い魔の頭部へと吸い込まれ、痛烈に血飛沫を散らした。

だが、1体倒したとて終わりは見えることはない。影は無数に存在し、それら全てが意思を持って蠢くのだ。

 

「くっ……こんなにいるなんて!」

 

対するルドガーも、1対のナイフを逆手持ちで振りかざして地を駆け巡り、使い魔の首を順に掻き斬ってゆく。

首をもがれた使い魔は地面にのたまい、そのまま吸い込まれるように地に溶けて消える。そしてその次の瞬間には、他の使い魔が現れて襲いかかってくる。

 

「使い魔の親玉を倒さないとキリがないわ!」

「流石に全部を相手にするのには無理だな……! 親玉はどこに…!?」

「わからないわ! まだ影の中に隠れているのかもしれない」

「この中から探すのか…骨が折れそうだな!」

 

影と化した区画を駆け抜けながら懐中時計の反応を窺い、より大きな反応を待つが、使い魔の群れは蛇型から鳥や獣のカタチへと変質し、さらに2人に襲いかかった。

 

「こいつら……この姿は!?」

「どうしたの、ルドガー!」

 

その使い魔たちの姿は、ルドガーにとっては初めて見るものではなかった。

過去に何度も旅路の中で、或いは金策の為の討伐依頼で何度となく刃を交わしてきた怪物たちの姿をとっていたのだ。

 

「…エレンピオスにいた魔物と同じ姿をしてる」

「なんですって? じゃあ、まさかここの魔女も…」

「ああ、どうやら魔女達の間で俺は人気者らしいな」

 

わざと皮肉った言い方をするあたり、ルドガーにはまだ多少の余裕があった。何度も倒してきた相手の姿をしているならば、逆に好都合だからだ。

ルドガーはサバイバルナイフから素早く2挺銃へと持ち替え、回りながら飛び上がり高い打点から銃を乱射した。

 

「一気に吹き飛ばす! エイミングヒート!!」

 

放たれた弾丸ひとつひとつに圧縮された熱のエネルギーが、着弾と共に炸裂し、炎を上げる。

続けざまに着地と同時に炎の海の中に、2挺銃からひときわ強力なエネルギーの込もった銃撃を放った。

 

「これで…! ブレイズゲート!!」

 

銃撃が炎の中に消えたと同時に、凄まじい爆音と共に周囲に爆煙が巻き上がり、使い魔達の断末魔が木霊する。

炎弾の中に込められたエネルギーが、着弾と同時に榴弾のように炸裂したのだ。

 

『…君の戦闘能力は相変わらず規格外だね?』

 

爆塵に巻き込まれぬように見ていたキュゥべえからも、珍しく感嘆とした声が溢れる。

 

『いったいどこでその技術を学んだんだい? 魔法少女たちが束になっても、君ひとりに及ぶか怪しくなってきたよ』

「さて、な」

 

どうしたら、と言われてもルドガーにとってはせいぜい世界の命運と多額の借金を懸けて奮闘した事ぐらいしか思い当たらない。

もっとも、常人からしたらそれは立派に日常と真逆のものなのだが。

 

「…けど、油断するな。まだ終わっていない」

 

使い魔の群れを殲滅したように見えても、未だにモノクロームの結界は晴れない。それどころか、粉塵の向こう側に嫌な気配を感じてしまう。

ルドガーは懐中時計を確認していつでも変身できるよう備え、ほむらも自動小銃から無反動型のバズーカ砲へと持ち替えた。

そうして、そよ風が吹いて粉塵が晴れた先には更に目を疑うモノが佇んでいた。

 

 

『グルルルルル……グガアァァァァ!!』

 

 

"ソレ"は一言でいうならば異様、或いは異常といえるだろう。

四肢を持たず、代わりに大小2対の翼と長い尻尾だけを備え、爬虫類のような獰猛な牙を無数に持ち、獲物を見据えて吼える。

その姿を視認したルドガーの脳裏には警鐘が鳴り響いていた。

 

「そんな……シエナブロンク……!?」

 

かつてリーゼ・マクシアを彷徨っていた、ギガントモンスターの中でも飛び抜けて危険な存在。襲われればまず助からず、それ自体が羽ばたく災害のようなものだ。

故郷のクエスト斡旋所にも、破格すぎる報酬と共に依頼が舞い込んでおり、当然ながらルドガーもかつての仲間達と、辛酸を舐めながら戦った覚えがあったものだ。

 

「知っているの? まさか、この化け物もあなたの故郷の生まれなのかしら…?」

「ああ。それも、最悪のヤツだ!」

 

流石のほむらも、魔女とはまた違った意味で畏怖を撒き散らす災害を目の当たりにして額に汗をかく。

影の使い魔が変異して生まれたシエナブロンクは全身が真っ黒に染まっていたが、影であることを抜きにしても時歪の因子の影響を受けて暴走個体へと化している事がひと目でわかる。

 

『ゴガァァァァァ!!』

 

シエナブロンクは牙を開いて吼えると、翼を大きくはためかせて前傾になり、滑空するように2人のもとへ突進してきた。

 

「くっ……速いわね、けど!」

 

対してほむらはようやく盾を起動して魔力を解放し、時間停止を以って対応しようとする。

カシャン、と軽い音を立てて盾が廻ると共に世界中の時が止められる。

だが、シエナブロンクの動きは止まることはなかった。

 

「そんな、どうして……!?」

 

シエナブロンクは時間停止術をものともせずに、勢いのままにほむらの方へ突撃する。

困惑し一瞬対応が遅れたほむらは盾を中心に魔力のシールドを張るが、シエナブロンクの突進を真正面から食らってしまう。

 

「ぐ、きゃああっ!?」

 

激しい衝突音と共にシールドを破られながら後ろへ大きく吹き飛ばされ、モノクロームの建造物に背中から叩きつけられて血を吐いた。

それと同時に、確かに機能していた時間停止も解ける。

 

「ほむら!! 大丈夫か!?」

 

ルドガーは堪らず大声で叫ぶが、返事はなく動く様子もなかった。魔力で強化しているとはいえ身体は少女、あんな一撃を食らえばただで済むはずもない。

時間停止が効かない事にいよいよ危機感を覚えたルドガーは、どうして、と考える前にシエナブロンクに向かって2挺銃を連射して注意を引きつけた。

 

『グルルルル………』

 

ルドガーに気づいたシエナブロンクは、倒れたほむらからターゲットを変えて銃弾の飛んできた方角を見ると、両翼を派手にばたつかせて膨大な突風を起こし、その風圧を纏って建造物を撒き散らしながらルドガーの方へ急接近してきた。

シエナブロンク相手に接近戦を仕掛けるのは危険であると判断したルドガーは、銃を撃ちながら少しずつ後ずさり、おびき寄せる。

そうしてシエナブロンクがほむらからかなり離れたあたりで、ついにルドガーは骸殻を纏って銃から槍へと持ち替え、漆黒のエネルギー弾を矛先から無数に放った。

 

「ゼロディバイド!」

 

エネルギー弾はシエナブロンクの頭部にほぼ全て着弾するが、それでも軽く身じろぎした程度で、逆にシエナブロンクの逆鱗を刺激した。

 

「まだだ 、ヘクセンチア!!」

 

だがルドガーは攻撃の手を休めず、得意の光弾の雨で死角から仕掛ける。

大きな両翼に光弾が何発も降り注ぎ、ようやくシエナブロンクの動きがわずかに止まったが、それも一瞬のこと。

痺れを切らしたシエナブロンクはここぞとばかりに加速し、猛突進してくる。

それを読んでいたルドガーは、骸殻の力を併せた集中回避術を用いて瞬時にシエナブロンクの背後に回り込んだ。

 

「はあぁぁぁっ! ジ・エンド!!」

 

槍を高々と掲げ、地に向けて叩きつけるように穿つ。そこを中心に大地は隆起し、瓦礫が舞い散る。

さらにもう一度地を叩き、今度は瓦礫もろとも衝撃波をシエナブロンクに向けて放ち、背後からぶち当てた。

さすがのシエナブロンクも連続攻撃を受けてわずかによろめくが、強靭な身体はその程度では綻びをみせない。

シエナブロンクは背後へ振り向くと、牙の並ぶ口を大きく開いて、肺の奥から竜巻のようなブレスを放ち返してきた。

 

「まずい…! ぐあぁぁぁっ!」

 

咄嗟に防御障壁・インヴァイタブルを張ってダメージの軽減を試みるが、シエナブロンクの放ったブレスはそれすらも軽く破り、ルドガーの身体も吹き飛ばした。

骸殻がまさしく鎧の役割を果たしたおかげで致命傷には至らなかったが、変身は解け、ふらつきながら立ち上がる。

 

「だめだ、強すぎる…!」

 

骸殻の再チャージまではあと数分かかる。だが、その間を骸殻なしで戦い切る自信には少し欠けていた。

万事休す、といった風にシエナブロンクを見据える。ルドガーの後ろには傷付き、倒れたほむらがいる。ここでどくわけにもいかないのだ。

 

『───ルドガー、後ろを!』

「どうした、キュゥべえ…!?」

 

また新手なのか、とルドガーは焦りながら振り返る。

そこにいたのは血塗れの衣装を纏い、いつの間にか立ち上がって、おぼつかない足取りで前へ進んでくるほむらだけだった。

しかし、その様子が異常なことにルドガーはすぐ気付く。

 

「まさか……ほむら、また」

 

暴走したのか。ルドガーが言い終わる前に、ほむらの背中からシエナブロンクのものを遥かに上回る程に巨大な黒翼が露見する。

ほむらの身体の周囲に、さやかの回復術にも似た黒い波紋が走り、傷付いた身体を強引に癒す。

風圧でかすかに上がった前髪の隙間からは、光なくどこまでも冷酷な瞳が見え隠れし、真っ直ぐに獲物を見つめる。

今この瞬間にも、狩る側と狩られる側の立場が逆転したのだ。

 

『グオォォォォォ!!』

 

ただならぬ殺意を感じたのか、シエナブロンクの咆哮もどこか畏怖の込もったように聞こえる。

だが黒翼を発現したほむらに慈悲はない。制御すらままならぬ力を、敵に向けてただ振りかざすだけだ。

 

「────────」

 

何かを口走ったようだが、よく聞き取ることができない。

羽根のひと振りによって発生した衝撃波の威力ははルドガーのものはおろか、シエナブロンクのブレスすらも軽く上回り、建物を瓦礫と化して地を抉りながらシエナブロンクへと放たれ、その巨大な肢体へと直撃した。

 

『グ、ガアァァァァァッ!?』

 

シエナブロンクは鈍い声を出しながら怯み、バランスを崩しかける。

そこにほむらは追撃とばかりに、魔力を練り固めたモノを眼前に生成し始めた。

 

「やめろほむら! それ以上はよせ!!」

 

そうルドガーは叫ぶもほむらには届かず、圧倒的な出力のエネルギー弾は放たれ、容赦無く大地を抉り飛ばしながらシエナブロンクへと直撃する。

災厄は、声も上げずに綺麗に肢体の上半分を消し飛ばされた。

相も変わらず、というよりは以前よりも明らかに強大な破壊の翼の威力に、ルドガーは背筋が凍るような感覚に襲われる。

シエナブロンクの撃滅と共にモノクロームの世界はもとの外界へと移りゆくが、ほむらの黒翼は未だ解き放たれたままだった。

戦闘によって崩落した建物はあくまで結界の一部だったようで、外界の建物にはひとつも損傷は見られない。

ここが分史世界だったことが幸いだろう。異世界とはいえ、市街地での黒翼の暴走は一般市民の危険にも関わる事態なのだが、今のルドガーにはそう思うことしかできなかった。

 

「………ルド、ガー……」

「! ほむら、俺がわかるのか!?」

「…ええ、なんとかね……」

 

酷い顔色をしながら羽ばたき、ルドガーの近くに足を下ろすと共に黒翼は霧散する。

いつもならば黒翼の力を使った直後は倒れ、深い眠りに就いてしまうのだが、ほむらの心に根付いたひとつの使命感が意識を繋ぎ止めたのだ。

とはいえ、気を抜けばすぐに倒れてしまいそうな事には変わりない。

 

「……急ぎましょう……私も、いつまで保つか、わからないわ……さやかを………」

「でも、動けるのか?」

「……動いてなきゃ……逆に倒れそうよ………」

「ああ、急ごう……!」

 

ほむら達の行く手を阻むように使い魔が現れたのならば、その行く先に時歪の因子があるのはもう疑うまでもない。

共にダメージを受けた身体に鞭打ち、再び見滝原中学を目指して足を動かした。

 

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

「…………ん?」

 

 

 

一限目の授業の最中であるが、さやかはどこか遠くの方から禍々しい魔力、気配を感じ取った。

こんな朝方から魔女でも現れたのだろうか、と警戒心が一気に引き上げられる。

 

(ほむら! 何かあったの!?)

『………さやか? ええ……少し、ね……』

 

テレパシーを飛ばし、異変の有無を確かめようとする。だが、返ってきた返事はどこか覇気がなく、弱々しいものだった。

それだけで、ほむらの様子がおかしい事に気付く。酷い傷でも負ったのでは、と確かめるように訊くが、

 

『……私は平気よ………』

(…全然そう思えないんだけど。待ってて、あたしもすぐそっちに行くから!)

『待つんだ、さやか』

(……っ!? ルドガーさん?)

 

返事もままならないほむらに代わって、キュゥべえのサポートを受けながらルドガーが告げた。

 

『今俺たちはそっちに向かってるんだけど、さっき手強い使い魔に遭ってな…かなり危なかった。…ほむらに、あの力を使わせてしまったんだ』

(羽根の力を、ですか!? そんなにヤバかったんですか……)

『ああ。ただ、俺たちがそっちに向かってる途中でそんな使い魔が出てくるとなると…もう、わかるな?』

(まさか……学校に、時歪の因子があるんですか?)

『間違いないだろうな。時計の反応も強まってきてる』

 

ルドガーの返事を受けて、さやかは反射的に教室中を見回してみるが、骸殻能力者ではないさやかに時歪の因子の判別はできない。

その事にすぐ気づいたさやかは、教科担任の和子と目が合う前に教科書に視線を落とした。

 

(…あたしは、どうすればいいですか?)

『下手に相手を刺激しない方が無難だ。そのまま、俺たちが着くまで待っててくれるか? 着き次第、俺が時歪の因子を探し出す』

(わかりました!)

 

念話を終えて、さやかはもう一度自分なりに時歪の因子がどれなのかを考えてみる。

とはいえ、さやかが見てきた中での正史世界との差異は、マミが殺されお菓子の魔女が生き残っていたことと、鹿目まどかが存在していないという2点しか思い当たらない。

キリカの存在も差異ではあるのだが、時歪の因子ではない事がわかっている以上、考慮はしない。

 

(………いや、なんか引っかかる)

 

何か、重大な事を見落としているような気がする。さやかの脳裏で、直感的なものが訴えかけているのだ。

 

(……何かおかしいもの…あり得ないものがある…そんな気がする)

 

だが、その直感が何を指して警鐘を鳴らしているのかはわからない。ルドガーの言うとおり、2人の到着を待つ他ないのだろうか、とため息をつくしかできなかった。

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

使い魔の襲撃を辛くも退けた2人だが、2丁目を抜けて陸橋に差し掛かったあたりで、今度は別の意味での脅威と対面することとなった。

 

「───よう、今日はあの青いのはいねえのか」

 

異様な気配を放っていた使い魔の存在を探知して、杏子とキリカの両名がルドガー達の前へ現れたのだ。

ただし、戦闘衣装ではなく杏子は正史世界と同じ軽装、キリカは白いワイシャツに可愛らしいフリルの黒いスカートといった格好だが。

 

(キュゥべえ、この娘達に見られたら面倒になるんじゃないか?)と、思い出したようにルドガーは念話でキュゥべえに問いかけた。

『それは問題ないよ。昨日の時点でその可能性は考慮していたし、"この僕"の姿は彼女たちには見えないように"設定"し直したから大丈夫だよ』

(…お前、そういう所には気が回るんだな)

『きゅっぷい』

 

相変わらず、自身の保守の為の根回しには無駄がない。インキュベーターとはつくづく合理性を重きとする生命体だ、とルドガーは呆れながらため息をついた。

 

「まさかそこの女があんなバケモンじみた力を使うなんてなぁ? ……アンタ、もしかして魔女かい?」

「……いいえ、違うわ。私は……まだ魔女なんかじゃ、ない」

 

立ち止まる暇すら惜しいのに、と額と背中にいやな汗をかきながらほむらは言う。

 

「"まだ"ってなんだよ。そのうち魔女になるってか? じゃあアレか、アンタは使い魔だったのか? へぇ……相変わらず見滝原は変わったモンばかりだねぇ」

 

チョコレート加工されたプレッツェルを咥え、意地の悪い笑顔を見せながら杏子はわざとらしく言う。

 

「………………」

「まあ、さっきのも使い魔にしちゃあヤバそうな空気だったしな。アタシらに代わって退治してくれて感謝するよ、ご苦労さん」

「………何の、用かしら……」

「随分とひでぇ顔色じゃねえか? まあいい、ちっと様子を覗きに来てやったまでよ」

 

心配そうな雰囲気など微塵もない。口先だけの労りを吐きながら新しいプレッツェルを箱から抜いて咥える。

隣のキリカは挑発的な杏子とは反対に、冷ややかな眼で満身創痍のほむらとルドガーを見据えていた。

 

「……君達は、いったい何者なんだい? 恩人の言うとおり、さっきの力は魔法少女が使えるようなものじゃない」

「………そうね……自分でも、よくわからないのよ……」

「…とぼけてる訳じゃあないようだね。もし本当に魔女なら、即刻殺すけど」

「アホ、オメェまで冗談真に受けてんじゃねえよキリカ」

 

一瞬、目つきが鋭くなったキリカを杏子が制した。

 

「恩人……! 私を、からかったのかい?」

「………ハア。小卒のアタシより中卒のオマエの方が頭悪りぃなんてな…」

「言っておくけど、私は自主休学してるだけであってまだ卒業はしていないよ」

「今から復学しても高校なんざ入れるワケねーだろ、脳筋が」

「………用がないなら…どいてくれるかしら……」

 

杏子とキリカのやり取りに、ストレスもかさんで吐き気と頭痛がいっぺんに増したほむらは、内心で堪忍袋の緒が切れそうになっていた。

盾がまともに動作するなら時間を止めて無視を決め込んでいたところだが、黒翼を発現した影響なのか、毎度の事ながら現在は盾にはヒビが入っており回転させることができない。

そうでなくとも、先程のシエナブロンクには時間停止が通用しなかった。影の魔女がルドガーの事を知っているように、ほむらの魔法の特性も何らかの手段で克服しているのだろう。

時を止められない、正体不明の力を使いこなす事もできない。なんと中途半端なザマであろうか、と自己嫌悪が増してゆく。

 

「君達は、どこに行くつもりなんだい。そんなボロボロな姿で」

 

キリカは意外にも挑発的な杏子とは対極に、ほむらのその傷ましい姿を見て息を呑む。

 

「学校だ。これから学校に魔女が出る、と聞いたからな」

「……本当にかい。私達はなにも感じないけど」

「さっきの使い魔はどうだったんだ? 市街地にあんな凶悪な使い魔がいたのにも気付かなかった。そうじゃないのか?」

「! ……そう、だね。確かにさっきの使い魔は、私達の想定していないものだった。…君は、何か知っているのかな」

「いや、正直まだはっきりしない。でも、今学校には俺達の"友達"がいるんだ。"必ず守る"って約束したからな」

「へえ……アンタ、意外と青くせえ男みてえだな」

 

決して感心したわけでもなく、何本目かのプレッツェルを齧り終えた杏子が皮肉るように言う。その様子を見ていたほむらは、何かを思いついたようにおもむろに左手を2人の少女に翳し、手の甲を見せつける。

 

「………杏子、呉キリカ……これを見なさい……」

 

そう呟き、ほむらは左手の痣から自らの魂の宝石を取り出して見せた。

 

「なんだ、オマエ……ソレ真っ黒じゃねえか!?」

「そうよ。……どの道、私は"もう永くはない"。グリーフシードをあてても、もう何の意味もないわ………そこで、提案があるのだけど」

「提案だあ…? テメエが死ぬかもしれねえってのに随分呑気じゃねえか」

「…私は、親友を救えればそれでいい。魔女を倒したら、そのグリーフシードはあなた達にあげるわ……」

「だから手伝え、ってか?」

「ええ……恐らく、私達だけだと勝てそうにない。でも、魔法少女が3人もいれば話は別でしょう……」

「成る程ねぇ……アンタも、甘っちょろい類いの人間か。まあいい、今回だけ手伝ってやるよ。キリカ、いけるな?」

「私も異論はないよ、恩人」

 

 

ほむらのついた嘘を、ルドガーとキュゥべえは何も言わずに聞き入る。ほむらのソウルジェムは濁っているのではなく、別の何かへと変質してしまっただけだ。

それも、正体不明の永久機関へとだ。ほむらの疲労はあくまで黒翼の反動によるもので、魔力の枯渇が原因ではない。

しかし、その嘘によって魔法少女2人をどうにか引き入れた事に安堵を覚えたのは確かだ。

もとよりルドガーは嘘をついて分史世界の住人を丸め込むという手法は好んではいなかったが、かつての仲間であるアルヴィンがわざと汚れ役を買って出た事があるように、時と場合によっては仕方のないこともあるのだ、と納得せざるを得なかった。

 

「ありがとう、2人とも」息も絶え絶えのほむらに代わって、ルドガーが礼を言う。

「言っておくけど、協力すんのは今回だけだからな?」

「わかってる、それでも助かるよ。…行こうか」

 

利害関係によってどうにか目的が一致した4人は、ようやく止まった足取りを再び動かし始めた。

敵は、すぐ近くにまで迫っている。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

シエナブロンクを倒して以降は使い魔の妨害もなく、4人はようやく見滝原中学の正門前にまで辿り着く事ができた。

既に2限目の授業が開始された校庭では、陸上競技に勤しむ生徒達の姿が見られ、それを見たキリカは独り言のように呟く。

 

「…ここに来るのは久しぶりだよ。授業をやっているのは1年生みたいだね、都合がいい」

「オマエ、確か3年だったよな? アタシの1期上になんのか」

「そうだね、恩人。……人の多いところは嫌いだよ。早く終わらせよう」

「ちょっと、待ってくれるか」

 

標的の見当もつけないまま戦闘態勢に入ろうとしたキリカを、ルドガーが言葉一つで制する。

 

「感じないか、校庭のあたりから使い魔の気配がする」

「使い魔? さっきのと同じ奴かい。私は何も……」

「なら、影を見てみろ」

「影……? えっ、あれは………?」

 

ルドガーが指差した先では、程良い日射しを受けて建造物や生徒達から影が伸びていた。

ただしそれらの内、建物から伸びている影が不自然に同じ方向を向いており、市街地で見かけたものと同等のものであろうと判断する。

そしてそれを見たキリカも、同じ結論に至った。

 

「あの影全部がそうだとでも言うのかい? 信じられないけど……」

「近づいてみればわかる。行こう、みんな」

 

ルドガーの先導に追随して、門を開けて順に敷地内へと入ってゆく。

ほむら以外はいつでも戦闘態勢に移れる状態であったが、黒翼の使用による疲労によって青い顔をしているほむらは、銃を持つ事すらできるか怪しく見えた。

程なくして木々のざわめきと共に、暗雲に覆われたかのように周囲の風景に影が差し始めた。

生徒達はその様子を目の当たりにし、各所から困惑の声色が上がるが、自分達のすぐ近くの影の中に魔の者が潜んでいるとは夢にも思わないだろう。

 

「……こいつぁ、ヤバそうだな」

 

流石の杏子も、空気の変わり様に菓子を咥えるのをやめて言う。

ルドガーは校舎内で授業を受けているであろうさやかに対して、キュゥべえを介した念話で警告を呼びかけた。

 

『さやか、聞こえるか?』

『ルドガーさん!? なんかいきなり真っ暗になったんですけど…ヤバい感じですか?』

『ああ、かなりな。ここら辺一帯が結界に覆われたんだ。俺たちもすぐ近くまで来てる。友達を連れて外へ逃げるんだ!』

『わかりました!』

 

念話を終えると、タイミングを計ったかのように影の中から使い魔が出現し始めた。

ギガントモンスター級の使い魔はまだ出現していないが、追い詰められれば再び変異するだろう。

 

「ほむら、無理するな」

 

青ざめた顔で盾から銃を取り出し、使い魔を狙い撃とうとするほむらを見てルドガーは一種の不安に追われる。

 

「……平気よ、私も戦うわ」

「………わかった。今度は俺もさっきみたいなヘマはしない」

「……頼りに、してるわ」

「ああ! 行くぞ、みんな!」

 

掛け声と共に抜刀し、逆手に刃を構える。赤と黒の少女達も戦闘衣装へと衣替えを瞬時に済ませ、得物を手にして使い魔たちと対峙した。

 

「数は多いけど、大した事はなさそうだね!」

 

先陣を切ったのはキリカだ。

3対の鉤爪を構え、獰猛な黒豹のように使い魔の群れへと突進し、舞うように鉤爪を交差させて次々と血祭りに上げてゆく。

 

「雑魚に興味はねえんだよ! オラァ!!」

 

それに続くように杏子も、細身の赤い槍を携えたかと思うとすぐさま多節棍へと変形させ、鞭のように振りかざして敵を横薙ぎにする。

戦闘能力でいえば、正史世界でも見たように杏子は間違いなくマミと同等かそれ以上の使い手だ。しかしキリカもまた、杏子と肩を並べても謙遜ない程の強さを振るっている。

また、両者と刃を交えた事のあるルドガーはそれを人一倍強く実感していたが、その2人の動きに魅入る暇などない。

横目でパニックに陥る生徒達を見るが、化け物の出現に慄き、校舎の影へと逃げようとしていた。だが、その判断はこの場合に限っては正解ではなかった。

 

「! よせ、そっちに行くな!!」

 

とっさにルドガーが叫ぶが時既に遅く、生徒達の逃げ込んだ場所付近の影から更なる使い魔が現れ、狼のようなカタチへと変化する。

 

「ひっ───!?」

 

生徒の一人が甲高く叫ぶ声がしたが、次の瞬間には狼型の使い魔の牙が伸び、逃げる事も許さずに生徒ひとりの喉笛を喰い千切った。

 

「きゃあぁぁぁ!?」

「逃げろ、逃げろぉ!!」

 

更なるパニック状態へと陥った生徒達は、どこへ逃げたらいいものかも判断できずにデタラメに逃げ惑い始めた。

犠牲となった生徒の無惨な姿に悔しさを覚えながら、チャージの完了した骸殻を纏い槍を錬成して、混乱する生徒達の元へ空間跳躍で駆け付ける。

 

「ちぃっ! ヘクセンチア!!」

 

槍を地に穿ち、最小限の光弾の雨を降らせて生徒に当てないように使い魔を撃ち抜くが、全てを払いきれるわけではない。

残る使い魔は未だ生徒を喰い殺さんと追い回すが、そこにルドガーの後方から魔力の込められた弾丸が数発飛来して、的確に背中から使い魔を貫いた。

 

「ほむらか! すまない!」

 

振り返ると、かなり離れた所からライフル銃を構えてしゃがんだ格好でいるほむらの姿があった。

激しい動きをとれない為、狙撃による後方支援に徹していたのだ。

その周囲にはキリカが眼を光らせながら鉤爪を舞わせており、ほむらへ近付く使い魔を蹴散らしている。

 

「予想はしてたけど、厄介だな…! さやか達を早く助けないと…」

 

せめて魔女本体、あるいはギガントモンスター級の使い魔が現れる前に安全を確保させなければならない。

ルドガーは槍を双剣へと分かち、虚空を切って再び使い魔達を撃破しに向かった。

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

陽の落ちたような暗い校舎内も、生徒達の阿鼻叫喚で溢れかえっていた。

玄関から、窓から、獣の形をした使い魔がぞろぞろと侵入して、生徒達を牙にかけながら校舎内を蹂躙しているのだ。

 

「み、みなさん早く外へ!」

 

緊急事態に担任の和子も教室へと戻り、生徒達に指示を出して誘導をする。

だが、未だ事態が理解しきれていない生徒達は、何が起こって階下でパニックになっているのかもわからず、足取りは遅い。

その中でいち早く教室を抜けて行ったのはさやか、仁美、ほむらの3人だ。ルドガーからの指示を受けて、和子の指示を待たずに出て行ったのだ。

 

「いい? あたしの後ろから離れないでよ。…あんた達は、あたしが守る」

「さやかさん、これは昨日言っていた"魔女"というものの仕業なのでしょうか?」

「うん…間違いなく、ね。 仲間にさっき聞いたけど、親玉がすぐ近くにいるらしいの」

 

廊下を走りながら、使い魔がどこから湧いてくるのか眼を光らせる。そこかしこから悲鳴が聞こえてくるが、既に"全てを救うのは不可能だ"と腹を括ったさやかは2人を守る事に徹し、確実かつ安全なルートを探す。

階段を駆け下り、先頭に立って階下の様子を窺おうとしたさやかは、そこでも凄惨な光景を目にした。

 

「ひぃっ……!?」

 

狼型の使い魔にはらわたを喰い千切られ、救いを求めるように手を伸ばしたまま絶望の表情で絶命している生徒の姿。

他にも、何匹もの猛禽型の使い魔に集られて、隙間から手を伸ばし、力なく落ちる何者かの姿。

ゾンビのような姿の、棍棒を携えた使い魔に追い回されて滅多打ちにされる生徒。

眼を背けたくなるような光景だったが、逃げる事は許されない。しかし2人から目を離す訳にもいかず、救いの手を差し伸べられない。

 

「こんのぉぉ───!!」

 

憤りに任せて変身し、信管つきのサーベルを数発投擲する。

使い魔の群れの中心目掛けて投げられたそのサーベルは急速に熱を持ち、周囲を丸ごと吹き飛ばす勢いで炸裂し、粉塵を巻き上げた。

その炸裂により使い魔はある程度間引きされたが、一掃できたわけではない。

次いで、距離を無視した斬撃を放ち、粉塵を払いのけつつ視界に映っていた使い魔を横一文字に薙ぎ払った。

 

「これで…仁美、ほむら! 行くよ!」

「「はいっ!」」

 

降り立った階を少し進んで角を曲がれば、昇降口が見えてくるが、ここでさやかは背筋に悪寒が走る感覚を覚えた。

 

「待って! ……何か、いる」

「えっ? さやかさん、一体何が……」

「なんかヤバそうなヤツかな…ここで待ってて、あたしが見てくる」

 

仁美とほむらを待たせ、先立って曲がり角を進む。

するとそこには、無惨に喰い散らかされた生徒達の肉片と血飛沫に飾られた壁が。そしてその奥にはやや一回り大きな、炎に焼かれているかのような黒いオーラを放つ使い魔が鋭い牙を向いて立ち構えていた。

 

「げっ、なによアレ…! これも、あいつがやったの!?」

 

それは、かつてエレンピオスにも存在していたギガントモンスターのうちの1体を模した、猫型の使い魔だった。

巨大な猫型の使い魔と目が合った時、さやかは"僅かでも眼を背ければ瞬時に喰らい付いてくる"と悟った。

視線を逸らさぬよう、サーベルを2本錬成して構え、加速術式を緩やかに発動した。

 

「悪いけどどいてもらうよ! そらぁっ!!」

 

サーベルを十字に交差させ、距離を無視した斬撃をクロス状に放つが、その波動は使い魔の引っ掻きひとつで容易く打ち消された。

 

『グルル……シャアァァァ!!』

 

それを皮切りに使い魔は思い切り良く飛び掛かり、さやかの身体を八つ裂きにせんと爪を振りかざす。

咄嗟に反応して回避したが、使い魔の速度は加速術式を使用したさやかとほぼ同等であり、生身では当然ながら逃げる間などないだろう。

絶対に進ませてはならない。さやかはサーベルを無数に展開し、使い魔めがけて一斉に射出させる。

だがそれすらも見ていた使い魔は、尻尾のひと薙ぎでサーベルを全て叩き割ってみせる。

細やかなサーベルの破片が床中に散らばるが、血溜まりに紛れてしまい判別はつかない。

さらに使い魔は俊敏に飛び掛かり、執拗にさやかを狙う。もはやさやかは囮になりながら回避に徹する事しかできずにいた。

仁美達の方に進んで行きそうになればサーベルを投擲し、気を引きつける。喰われそうになるのを避けながら隙を窺うが、いちいち硬い外皮が軽いサーベルの一撃を弾いてしまうのだ。

 

「このままじゃ、魔力が保たない……! なんかないの、あいつをやっつける方法は!?」

 

既にソウルジェムは1/4ほどが濁ってきていた。もとより、さやかの固有魔法は自己再生や加速術式などの自動発動型のものが多く、変身しているだけでも魔力の消費がやや多いのだ。

それに加え、サーベルを手榴弾のように使い捨てる戦法も、マスケット銃をいちいち1本ずつ使い捨てるよりも魔力の消費が多い。

この戦法は、魔力の上限がない人魚の魔女だからこそ自在に操れたものなのだ。

当然ながらさやかもそれを承知しており、さやかの言葉はむしろ、使い魔ごときにこの体たらくでは魔女との戦闘まで保たない、という意味合いの方が大きかった。

 

「くっ、しょおぉぉ!」

 

使い魔の大きな踏み込みを、咄嗟のバックステップで距離を開く。

その時、さやかの足元には細切れにされた生徒の腕が転がっており、タイミング悪くそれを踏んでしまい、一瞬だけ足を取られた。

 

「───しまっ、きゃあっ!?」

 

だが、その一瞬は使い魔からしたら十分すぎる大きな隙となった。

踏み込みからさらに一歩前進し、その一瞬でさやかの細い身体を押し倒し、両前足でしっかりとホールドしてしまった。

 

『フウゥゥゥゥ………グルルァァァ!!』

 

使い魔が前足に力を込めると共にぐしゃり、と肉の潰れる音がした。押さえつけられていた両腕に体重がかけられ、骨ごと潰されたのだ。

 

「ぎ、い、 あぁぁぁぁ─────!!」

 

キリカの斬撃が可愛く思える程のあまりの激痛に、絹を裂いたような叫び声が上がる。

さやかのすぐ後ろの曲がり角の向こうではほむらが恐怖に怯え、仁美もまたさやかの傷ましい叫び声に戦慄し、互いに互いを支え合っていた。

どちらかが欠けていれば、とうに心折れていたであろう。

 

『フシャアァァァァァ!!』

 

使い魔はいよいよ力の抜けたさやかに喰らい付かんと、猫に似つかわしくない獰猛な牙の並ぶ口を大きく開く。

さやかには恐怖も当然あったが、それ以上に激痛と悔しさに歯を食い縛り、かすかに諦観を抱きながら眼を閉じた。

 

『──────グ、ガッ!?』

 

だが、その牙がさやかに触れる事はなかった。

 

「………え?」

 

覚悟した一撃が来ない事に困惑し、うっすらと眼を開けると、使い魔の左脇腹にはすっかり見慣れた黒白の槍が突き刺さっていた。

さらにその部位めがけて無数の槍が飛来し、次々と肉を裂いて突き刺さってゆく。

 

「さやかぁぁぁぁ!!」

 

最後に飛来したのは、空間跳躍で突如として現れ、勢いのままに巨大な槍をぶち当てる黒鎧の騎士だった。

 

「ルドガー………さん………なの…?」

 

その一撃を受けた使い魔は悲鳴を上げながら壁を突き破って吹き飛ばされ、更なる追撃を受けて切り刻まれてゆく。

時を刻む双針のように槍を分かち、目にも留まらぬ斬撃を重ねてゆく。

 

「うおぉぉあぁぁぁぁっ!! 継牙・双針乱舞ッ!!」

 

再び1本の槍と化した双針に全てのエネルギーを込め、雄叫びと共に破壊の一撃を振り下ろした。

 

『グ、ギャァァァァァッ!!』

 

全てを破壊する撃槍の一撃を受けた巨大な使い魔は、核を砕かれて霧散していった。

あとに残されたのは生徒達の屍体が転がる血生臭い光景と、半壊した校舎だった。

しかし、ギガントモンスター級の使い魔を葬り去っても未だ結界は晴れない。それどころか、ルドガーの懐中時計はすぐ近くに時歪の因子が存在している事を指し示すように反応を見せていた。

骸殻を解き、両腕を潰されたさやかのもとへ駆け寄る。すでに自動的に治癒魔法が働いており、どうにか原型へと戻り始めているのを見てルドガーは一抹の安堵を覚えた。

 

「さやか、大丈夫か!?」

「はい、なんとか………えへへ、あたしの魔法ってこういう時便利ですよね……」

「…無理に強がるもんじゃない。ほら、これを」

 

急速に働き出した自動治癒に加え、死への恐怖心で半分以上が濁っていた蒼碧のソウルジェムに、正史のほむらから預かったグリーフシードをあてて浄化してやる。

それだけでも、さやかの表情は少し楽になったように見えた。

 

「……この先に時歪の因子がある。さやか、友達はどこに?」

「そこの曲がり角の向こうにいるはずですけど……」

 

速くも治りかけた右腕をゆったりと動かして、曲がり角を指差す。それとほぼ同時に、向こう側から大きな声が響いてきた。

 

「───暁美さん!? しっかりして! どうしたんですか!?」

「仁美…?」

 

仁美の何かを訴えるような声色に、さやかは焦りを覚えてふらつきながら立ち上がろうとする。

それをルドガーが優しく制し、代わりにとばかりに曲がり角の方へと歩いていった。

曲がった先には、ルドガーにとっては初対面となる仁美と、分史世界の暁美ほむらがいる。だが、ほむらは何故か苦しみながら左胸を押さえ、額に汗をかきながらのたまっていた。

仁美はほむらの容態の急変を見て、大声を上げたのだ。

 

「む、ねが……くるしい………です……ぐ、あぁっ…!?」

「そんな……心臓の病気、治ったのではなかったのですか!?」

 

仁美は、かつてほむらには心臓の患いがあると思い出していた。だがその患いは"治った"と聞かされている。

それが、この極限状態において再発したのだろうか、と考えていた。しかしルドガーは心配するよりも先に、その原因が何であるのかを理解してしまっていた。

 

「君、"仁美"って言ったっけか」

「は、はい。あなたは……」

「"ルドガー"。さやかの仲間だよ。それより、早くこっちへ来るんだ!」

「え、えっ!?」

 

何を言っているのか、と仁美は困惑する暇も許されずにルドガーに無理矢理手を引かれて、ほむらから引き離される。

 

「何をするんですか!? 暁美さんを助けないと!」

「……もう、無駄だ。あの"ほむら"には何もしてやれない」

「見殺しにするというのですか!? そんな事はできませんわ!!」

「そうじゃない!! …俺が、もっと早く気付くべきだったんだ!」

 

正史のほむらの話では、まだ契約していない始まりの時間軸において、魔女に襲われた時に既に魔法少女となっていたまどかに救われた、と聞かされていた。

また、まどかがいなければ今のほむらは存在していないだろう、と。

それは、ほむらがまどかに依存しているなどという話以前の問題だったのだ。まどかがいなければ、ほむらは魔女に襲われて死んでいた筈なのだから。

 

「まどかが存在しないこの世界で、ほむらが今日まで生きていられる筈がなかったんだ…!」

 

もちろん、この分史世界にマミが存在しているならば彼女に救われた可能性もあるし、そもそも魔女に襲われていない可能性もある。

しかし心臓の患いも、正史においては魔法少女の能力で誤魔化しているだけで完治したわけではないだろう。それは、目の前の少女の場合はどうなのだろうか。少なくとも仁美は"治ったはずなのに"と叫んでいた。

無い筈のモノが存在している。矛盾が多い、その時点で確信は確証へと変わっていたのだ。

 

「う、あぁぁぁぁぁっ!!」

 

なお一層苦しそうな呻き声を上げながら、ほむらの胸元から夥しい瘴気が溢れ出し始める。

瘴気は周囲の空間を取り込み、造り替えながら緩やかに形をとってゆく。

 

「"ほむら"、聞こえるか…」

 

ルドガーは開かれた回線を通じて、校舎の外にいる正史のほむらに呼びかけた。

 

『どうしたの、ルドガー。…さやかは、無事?』

「ああ、ひどい怪我をしてたけど大事ない。…それより、やっと時歪の因子を見つけた」

『…時歪の因子は、何だったの?』

 

仁美は変わり果てた友人の姿に己の眼を疑いながら怯え震え、追いついたさやかも"ソレ"を見つつも、信じたくない、といった風に涙目で首を横に振る。

可憐な黒髪の少女は、影に取り込まれたままひとつの形を取り始め、校舎の形をしていた景色も瘴気に侵され、殺風景な白黒の平野へと書き換えられてゆく。

いつしか数多の使い魔を侍らせ、祈る聖母のような姿へと変異したソレは間違いなく、槍を以て破壊すべき対象であった。

 

 

「──────時歪の因子は、この世界の"暁美ほむら"だ」

 

 

 

 

 

 

 


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