誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第20話「あたしら、親友でしょ?」

1.

 

 

 

 

 

 

 

その透き通るような白い肌は緊張でほんのりと赤みが差し、瞳の色はどことなく小動物を思わせる。

艶やかな黒髪はそのままに三つ編みにまとめられ、さやかの知る姿とは全く異っていながら、やはりどこか面影が感じられた。

 

「……あのぉ、そんなにじろじろ見られると恥ずかしいです……」

 

ホームルームを終えるとさやかはすぐにほむらのもとへ向かい、仁美と共に机を囲んでまじまじとその姿を上から下まで観察していた。

もとより健康的な見た目ではなかったと思っていたが、今目の前にいるほむらもまた気弱な雰囲気が表に出て、なお一層儚げな印象を思わせる。

 

「わ、私どこか変ですか……?」

 

これが本当にあの"暁美ほむら"なのだろうか。さやかは未だに信じることができずにいたが、今自分達に起きている謎の現象の数々を鑑みると、その可能性も無きにしも非ず、といったところなのだ。だが、

 

「み、美樹さん……?」

「───あぁもう、何この可愛い生き物!」

「ひゃあっ!?」

 

いわゆるギャップ萌えというものだろうか。基本まどか一筋であり、それ以外にはクールな態度をとるいつものほむらと全く反対の性格をした目の前の"暁美ほむら"に、さやかはついに辛抱利かずにやや過剰なスキンシップをとり始めた。

抱きつき、髪を撫で、頬をつついてやるとたちまちほむらの顔が真っ赤に染まる。

 

「あー癒されるなぁ……最近まどかも構ってくれないし、もういっそあんたを嫁にしちゃおうかなぁ?」

「み、美樹さぁん! みんなが見てますよぉ!」

「さやかさん、暁美さんの仰る通りですわよ」

「オーケィ。とりあえずその携帯のカメラを切ってから言おうか、仁美」

 

さやかがしたり顔で指差した先には、ほとんど無心で携帯電話を構えて動画を撮影している仁美の姿があった。

 

「あっ…て、手が勝手に動いてしまいましまわ」と、仁美はそそくさと携帯電話を閉じて懐に隠す。

「でもさやかさん、まどかさんという方がおりながら暁美さんにまで手を出すなんて…ああっ、いけませんわ! それは禁断の愛ですのよ!」

「いやぁほむらがあんまりにも可愛いからさぁ、つい…ね?」

「か、可愛いだなんて……志筑さんも何言ってるんですか!?」

 

ほむらはさやかの腕の中で赤面しながらもがくが、運動もろくにしないほむらの力ではさやかの拘束から逃れることは叶わない。

結局、しばらくしてさやかの方から解放してくれるまで抱きつかれっぱなしとなっていた。

 

 

「ふぅ、満足満足。でもあんたが大人しく抱きつかれっぱなしになるなんて意外だよ。あたしゃてっきり手榴弾食べさせられたり、マシンガンでハチの巣にされるかと覚悟してたのに」

「わ、私そんな物騒なことしませんよ!?」

「みたいだねぇ。安心したよ」

 

さやかは確かめるように表面上はそう言ってみせるが、心の内ではぼんやりと疑念が輪郭を持ち始めていた。

 

(やっぱり、この"ほむら"はあたしの知ってるほむらじゃない。だとしたら、やっぱり………?)

 

さやかの中にうっすらと浮かんだ予想。それは、この世界はもともと自分達がいた世界ではないのかもしれない、といったものだ。

ほむらの固有魔法"時間遡行"は、同じセーブポイントを持つ平行世界へと跳躍する能力だという。つまり平行世界がいくつも存在しているという裏付けにもなる。

自分達は、気付かぬ間に数ある平行世界のうちのひとつへと入り込んでしまったのではないか、と。

平行世界であるならば、元いた世界と食い違う点があってもおかしくはない。それに、心当たりもないと言えば嘘になる。

 

(誰がやったか、なんてのは考えるまでもない。…たぶん、魔女だ)

 

キュゥべえの弁を借りるならば、人魚の魔女もまた平行世界からやって来た存在であろうとのこと。

ホームルームの最中にテレパシーでマミにコンタクトを試みたものの返事はなく、目の前にいるほむらも恐らく"まだ"魔法少女ではない。違和感に気付いているのもさやか自身と仁美だけであり、味方もいないようなものだ。

 

 

(とりあえず、学校が終わってから動こう。……なるべく、仁美は巻き込まないようにしなきゃ)

「……美樹さん?」

「ふぇっ!? な、何? ほむら」

「い、いえ…何か難しい顔をしてたから……」

「あっ…ごめんごめん、大丈夫だよ。それよりほむら、"美樹さん"なんてカタい呼び方しなくていいよ。あたしら、親友でしょ?」

「えっ……し、親友…?」

「そ、親友!」

 

やや不安げに顔色を窺ってくるほむらを安心させようと、さやかは少々わざとらしくおどけてみせた。

かつて元の世界のほむらにも言った事を目の前のほむらにも言ってみると、さらに頬を紅潮させながら照れくさそうにはにかむ。

 

「…嬉しい、です。私、他に友達いないから……」

「えっ? そうだったっけ」

「はい。…人見知り、っていうのかな…ダメなんです。恥ずかしくって……」

「恥ずかしい? んー…あたしにはよくわかんないけど、あんた可愛いんだからもっと自信持ちなって!」

「きゃっ!?」

 

さやかは悪戯心のままにほむらの眼鏡をさっ、とかすめ取り、三つ編みにした髪に手をかける。

手早く結び目を解いて三つ編みをほどくと、絹糸のように艶やかな黒髪が広がり、それまでの弱気な雰囲気を一触に変えてしまった。

 

「め、眼鏡返してくださいよぉ! あれがないと見えないんです!」

「あー、目ぇ悪いんだ。ごめんごめん、今"治す"からね」

 

優しく手のひらをほむらの両瞼にかざし、かすかに魔力を込めて治癒術を施してみる。"親友を救う"という願いによって生まれた治癒能力は、ほとんどぼやけたほむらの視界をほぼ一瞬でクリアにしてしまった。

 

「あれ? 見える……な、何したんですか?」

「えっへへ、それは内緒だよ。それよりほら、やっぱりこっちの方が全然いいよ。ね、仁美?」

「はい。素敵ですわ、暁美さん」

 

髪をほどかれ眼鏡を外したほむらの姿は、さやか達がよく識るほむらの姿そのものになっていた。もっとも、性格が気弱なぶん凛々しさは欠片も感じられず、可愛らしさの方が目立つが。

後ろの席から生徒達のざわめく声がし出す。みな揃ってほむらの容姿に目を惹かれているのだ。

 

「ほら、みんな見てるじゃん」

「うう……なんか落ち着かないです…それに、私なんて……」

「はいそれ以上は言わない! まったく…自分に自信がないのはどっちも同じだねぇ…とにかく、せっかく目ぇ治してあげたんだから今後は眼鏡禁止! あと、名前で呼ばないとまたハグしちゃうぞ〜」

「そ、そんなぁ〜……」

 

こんな風にほむらの困った顔を見ることになるとは思っていなかったさやかは、心の内にくすぐったさを感じる。

 

(……やっぱり、これは昔のほむらなのかな?)

 

こんなにも儚げな少女が、さやかの識るほむらのようになってしまう事が信じられない。

それだけの事を、あのほむらは"何度も"経験して来たということなのだ。

 

(まどかがいないのが気になるなぁ……"ここ"だと、他のクラスなのかな)

 

一先ずは授業を終えてから、ひとつずつ確かめていかなければならない。今日は忙しくなりそうだ、とさやかは内心でため息をついた。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

退屈な授業はそのままにさやかの頭の中を素通りしてゆき、あっという間に昼休みの時間を迎える。

さやかはまず担任の和子を退室前に呼び止めて、朝から抱えていた疑問をぶつけてみる。

 

「あの、和子先生」

「あら、どうかしたの? 美樹さん」

「まどか……鹿目まどかは何組だかわかりますか?」

「"鹿目"…さん? そんな娘いたかしら…」

「えっ?」

 

和子は腕を組んだまま顎に手をあて、記憶を振り返ってみる。

英語の教科担任として他のクラスにも出入りしているのだ、名前に聞き覚えがないなどといったことは考えられないはずだが、

 

「……やっぱり、知らないわね。他の学年の先生に聞いてみた方が…」

「い、いえ大丈夫です。すいませんわざわざ」

 

そう、と返事をして和子は教室を出て職員室へと戻ってゆく。さやかも軽い胸騒ぎを覚えつつ席へと戻り、鞄から弁当箱を取り出した。

 

「仁美ぃー、一緒に食べよ?」

「ええ、今行きますわ。…どこで食べましょうか」

「んー…屋上!」

 

相談したいこともあるしね、と付け加えて2人で教室を抜けようとするが、ふとさやかの視線に独りで弁当箱を開こうとするほむらの後ろ姿が映り込む。

ほむらには他に友達がいないと言っていた事を思い出し、隣の仁美に目を配せてみる。しかし仁美が無下にする筈もなく、さやかはほむらの机へと再び向かい、背後から声をかけた。

 

「ほーむらっ、一緒に食べようよ!」

「ひゃっ!? み、美樹さん…?」

「ほらほら! ついて来なって」

 

弁当箱を持たせ、半ば強引にほむらの手を引いて教室から連れ出す。心なしかほむらの表情には笑みが浮かんでいた。

そのまま仁美と3人で屋上へ向かい、かすかに湿った空気のなかベンチに腰を下ろす。

弁当箱を順番に開いてゆき、それぞれの品揃えを互いに見比べていった。

 

「へぇーほむら、あんた独り暮らしだよね。ちゃんと料理作れるんだ」

「そんな…大したものじゃないです。冷凍食品とか…」

「それでも、ちゃんと綺麗にまとまってるじゃん。あたしならこんな上手に作れないなぁ」

 

さやかの知るほむらは、お世辞にも料理をしそうな風にはとても見えなかった。それに加えてルドガーという優秀なパートナー兼専属シェフを抱えており、料理をする事などまずないだろう。それ故に、ほむらの意外な器用さにさやかは驚いたのた。

仁美は仁美で少々煌びやかなデザインの弁当箱を持ち寄っており、その中身も外見に負けてはいない。

 

「美樹さんはお母さんが作ってくれてるんですよね? 逆に羨ましいです」と、ほむらは本心からさやかに問いかける。

しかしさやかは返事はせず、ただニコニコと笑みを浮かべながら両手をわきわきと動かすだけだ。

「み、美樹…さん…?」

「ふっふっふ…そうかそうか、ほむらはそんなにあたしにハグされたいのかぁ」

「ご、ごめんなさぁいっ! さ、さや…か……ちゃん…?」

「よろしい!」

 

ほむらが顔を真っ赤にしてか細い声でさやかの名前を呼ぶと、さやかは満足げな表情で手の動きを止める。

眼鏡を外して髪を下ろしているととても美人顏なのに本人にまるで自覚がなく、こうして小動物のように狼狽える姿もまた悪戯心をくすぐるものだ。

 

「そういえば、ほむらの親ってどうしてんのさ」と、弁当に箸をつけながらさやかが問いかけた。

「あ…お父さんとお母さんは、東京にいます。2人とも仕事が忙しくて、私だけ通院のために見滝原に来たんです」

「通院?」

「はい。見滝原病院は関東でも指折りらしいですし、私も生まれつき心臓が悪くて…あっ、もう治ったんですけどね」

「そっかぁ……独りで淋しくないの?」

「もう、慣れましたから」

 

そう溢したほむらの笑みの中には、かすかな陰りが感じられた。

 

「でも、さやか…ちゃんが私を親友だって言ってくれて、嬉しかったのは本当ですよ?」

「えっ?」

「私、さやかちゃんに憧れてたんです。いつも明るくて、可愛くて、運動とかもできて…私とは、まるで正反対だから」

「そ、そう……?」

 

さやかからしたら、ほむらの方が勉強も運動も(筋力は魔力で補っているのだろうが)ずば抜けていて、本来ならばむしろ逆の立場であろう。

それ故に、ほむらからこんな言葉を聞く事になるとは全く思っていなかった。

やはりこのほむらは、同じようで違う人間なのだと改めて感じさせられる。だからと言って、さやかにはその存在までも否定するつもりは微塵もない。

 

「あんただって、すぐになれるよ。あたしよりもすっごいイイ女にね」

「え、えっ…? そう、ですか…?」

「もちろん! あたしが保証するよ」

「その通りですわ、暁美さん」仁美も、さやかの意見に同調するように言う。

 

「せっかくご両親に素敵な名前をつけてもらったんですもの」

「えへへ……前の学校にいた時は、よく"名前負けしてる"って言われてましたけど…」

「暁美さんはミッション系の学校にいたんですものね。素敵な女性になれるように、って願いが込められていると思いますわ」

「そうなの、仁美?」と、イマイチ会話について行けていないさやかが疑問符を浮かべる。

その疑問に対し、少々熱が入ってきた仁美が、さやかに知識を披露してみせる。

 

「ええ。"暁の焰"といえば明けの明星、最高位の天使───ルシフェルの異名でもありますのよ。ルシフェルは最も美しい天使だとも言われていたそうですわ」

「へぇー、そうなんだ」

「また、多くの天使に慕われる存在でもあったそうで…神に最も愛された存在だとも言われてます。きっとご両親も、暁美さんにそうなって欲しいとお思いになられたのでしょうね?」

「オーケィ、とりあえずあんたが少女漫画の読み過ぎだってことはよくわかった。……でも、そう言われると確かにすごい名前だよね、ほむら。……ほむら?」

 

ちら、とほむらの顔を見直してみると、並んだベンチの上で仁美の解説をモロに耳にしたせいか、顔をリンゴのように真っ赤にさせていた。

 

「なに照れてんのさ、ほむら」

「はひっ!? だ、だって志筑さんがそんな事言うから……」

「…まあ、最高位の天使とかなんとかまでは言わないけどさ。あんたはもちっと自分に自信を持ちなね?」

「うぅ………はい」

 

さやかはほんの少しだけ、ほむらに同情していた。

どうも仁美は熱が入り過ぎると思考回路が斜め上に向いてしまいがちであり、それなりに長い付き合いであるさやかも、ごくたまに辟易としてしまう事があるのだ。

 

「あ、それとほむら。あんたにちょっと聞きたいことあんだけど」と、思い出したようにさやかは本題を告げた。

「はい、何ですか?」

「"鹿目まどか"って名前に聞き覚えはある?」

「鹿目、まどか……? いえ、知らないですけど」

「……そっか。あんたが識らないなら、こりゃあいよいよ間違いないって事かなぁ…」

「その人が、どうかしたんですか?」ほむらは若干不安そうな顔で聞き返した。

「いや、あたしの"昔の知り合い"でさ。"しばらく逢ってなかった"んだ。まだこの辺に住んでると思ったんだけど…」

 

さやかのわざとついた"嘘"に気付き、仁美もまた不安げな視線を送る。

何かに気付いているのだろうか。それはもしかしたら、"魔法少女"とやらに関する事なのか、と。

だとするならば、自分には何ができるのだろうか。いくら考えても仁美の脳裏に答えは閃かない。

 

「放課後、鹿目さんの家に行ってみませんか?」

「仁美、午後空いてるの?」

「ええ、今日は習い事はありませんの」

 

それも嘘、とさやかは内心で思う。仁美はほぼ毎日習い事に追われているが、確かに週に1日くらいは何もない日はあるだろう。だがそれは、"今日ではない"。

ともあれ自身の仮説に従うならば、元の世界に戻らない限りは習い事に通う事すら叶わなくなるのだから、あながち無駄な嘘とも言えない。事態が急を要するということも仁美はなんとなく感じていたようだ。

 

「おっけー、じゃあ帰りにまどかん家に寄ろう。ほむら、あんたも来る?」

「いいんですか?」

「もちろん。あんたにもぜひ会わせたいしね」

 

はいっ、とほむらは一段と嬉しそうな表情で答えた。さやかの親友として認められていることが、今までにない幸せだと感じているのだ。

話が纏まったところで、3人はようやく箸を動かす手を早める。昼休みはもう数分で終わりが近づき、空には暗雲が広がりつつあった。

 

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

案の定というべきか、放課後を迎えて昇降口へ降りると霧状の雨が空を舞い始めていた。

朝の天気予報をしっかりとチェックしていた仁美とほむらは傘を持参していたが、身の回りの異変で頭がいっぱいのさやかは天気予報に目を通しておらず、傘を持っていない。

 

「あちゃー…降って来たかぁ」

 

これからまどかの家に向かわなければならないのに、と内心で溢す。

最寄りのコンビニまで走って傘を調達しようか、と考えあぐねていると見かねたほむらが提案を持ちかけて来た。

 

「さやかちゃん、傘持って来てないんですか?」

「あー…うん。まあ大した雨じゃないし、大丈夫だよ」

「ダメですよ。風邪引いちゃいます」

 

契約によって強力な治癒魔法を会得したさやかにはその心配は無用なのだが、やはり友人が雨に打たれるのは気が気でないのだろう。

靴に履き替えて外に出て傘を差すと、ほむらはさやかを手招いて隣に来るよう促した。

 

「一緒に入りましょう、さやかちゃん」

「いいの? 悪いね、ありがと」

「いいえ、さやかちゃんにはお世話になりっぱなしだったから」

「たはは…照れるなぁ。ほら仁美、こそこそ写真を撮るなっての」

 

さやかがぴしゃり、と指摘した先にはまたも仁美が、携帯電話を片手にレンズを向けていた。

いい加減懲りないものか…とため息をついたが、自分とほむらが仲睦まじく見られていることは悪い気はしなかった。

 

「はっ! わ、私ったらまた手が勝手に………」

「…あんたの頭ん中はほんっと百合畑だよねぇ。まあ、まどかで慣れてるからいいけど。

さて、行こっか。…一応聞くけど、ほむらは初めてだよね、まどかん家に行くの」

「はい。……どんな娘なんですか?」

「うーん、そぉねぇ……身体の半分が優しさでできてるような娘かな? ま、"逢ってみれば"気にいると思うけど」

 

少なくとも、元の世界のあんたはまどかにベタ惚れになってたし。と、さやかは心の内で呟く。

それ以前にちゃんと逢えるかどうかが心配なのだが。

結局のところ、鹿目まどかは見滝原中学には在籍していない事が判明していた。それに加え、過去にまどか越しに聞いていたのだが、担任の和子とまどかの母、詢子は旧知の仲なのだ。

だが当の和子は、まどかの名前に心当たりがない、と言っていた。

 

(イヤな予感しかしないんだけど……とにかく確かめないと、ね)

 

霧雨の降るなか、校舎から出て街路樹の通りへと出る。その中を真っ直ぐに進み、しばらく歩いた先にある噴水広場から、いくつも別れる道のうちのひとつへと入ってゆく。

足取りはほどほどに早く、十数分もすればちょっとした住宅街に出る。その一角へとさやかを先頭にして行くと、ようやく見慣れた鹿目家の姿が視界に映った。

 

「よかった、場所は変わってないみたいだね」

「?」

「あ、ごめん。なんでもない」

 

まどかの家までは無事にたどり着くことができたことに安堵するが、当然その意図をほむらが知る由もない。

仁美はその傍らで、何かに気付いているような素振りをみせるさやかの言動ひとつひとつを聞き零さないように意識を向けていた。

 

「……じゃあ、とりあえずあたしが行くわ。仁美とほむらは待っててくれる?」

「はい」

「わかりましたわ」

 

ほむらの傘から出るとさやかはインターホンを押し、家主の返事を待つ。数秒置くとスピーカーから男性の声が聞こえて来た。まどかの父、知久のものだ。

 

『はい…おや、さやかちゃんじゃないか。どうしたんだい?』

「ご無沙汰です、おじさま。ちょっと用があって…」

『そうか、今開けるからぜひ上がってくれ』

「いえ、そんなに大した用じゃないんで」

『そうかい? とりあえず、今行くよ』

 

インターホンが切れると殆ど間を置かずに玄関の鍵が開く音がし、知久が扉を大きく開けて3人を手招いた。

促されるままに鹿目家の敷地に入り、知久のもとへ向かう。実のところ、さやかも仁美も鹿目家を訪れるのは久しかったのだ。

 

「今日はどうしたんだい? さやかちゃん」

「あの……"まどか"はいませんか?」

「まどか……?」

 

その名前を聞いた知久の顔には、困惑の表情が浮かぶ。

 

「まどかって…誰だい? 詢子さんは仕事だし、うちにはあとはタツヤしかいないけど…」

「えっ? タツヤって…まどかの弟、ですよね」

「? うちは前から一人っ子だけど……昔から、よく遊んでくれてたよね」

 

知久とは反対に、今度はさやかが抓まれたような顔をした。

知久の口から"まどかを知らない "という言葉が出るとは思わなかった…否、思いたくなかったからだ。だが知久のその反応によって、さやかの悪い予感は確信へと変わってしまったのだ。

 

「…いえ、なんでもありません。あっ…あたしら、そろそろ行きますね」

「上がって行かなくていいのかい?」

「は、はい。これからまた他に行くとこがあるんで」

 

それじゃあ、と知久の気遣いをやんわりと断り、さやかは踵を返した。

 

「もう、済んだんですか?」と、さやかを傘の中に招き入れながらほむらが問いかけた。

「あー…うん。ちょっと確認したかっただけだから」

「まどかさんはいなかったのでしょうか…」仁美も、やけにあっさりと引き返して来たさやかに尋ねる。

「…その事だけどね、仁美。あとでまた電話するよ。ちょっとめんどくさい事になったからさ」

「…? わかりましたわ」

「おし、じゃあ行こうか。…悪いね、ほむら。会わせてやれなくて」

「いえ、きっとたまたまお出かけしてたんだと思いますよ。…また、来ましょう?」

「そうだね…うん、ありがとう」

 

知久には"これから寄るところがある"と言ったが、実際はそんなものはない。3人は揃って噴水広場に戻る道に入り、さやかはほむらと別れて傘を調達する為にコンビニを目で探しながら歩き始めた。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

鹿目家へと寄り道をしてから帰宅して小一時間、夕方のニュース番組が始まる午後5時頃になって、さやかはシャワールームからバスタオルを身体に巻いてリビングへと戻ってきた。

途中で傘を調達したものの、少しだけ雨に濡れてしまったのだ。

 

「さやか、風邪引くから早く服を着なさい?」

「はぁーい」

 

もう少し恥じらいというものを持てないものか、という母の苦言を受けながらリビングを横切って自室へと戻る。

髪を拭き、着替えをタンスから漁りながら、携帯電話からひとつの番号を呼び出す。帰ってから連絡する、と約束した仁美の番号だ。

 

「……もしもし、仁美」

『待っていましたわ、さやかさん』

「あー、うん。そっちは大丈夫だった?」

『ええ。お母様に少し注意されましたけど…第一私、活け花なんて習っていませんもの』

「あ…そういうこと。やっぱりそっちでもおかしな事があったんだね」

『はい。…さやかさんは、何かお気付きに?』

「まあ、ね。まどかん家に行った時にはっきりとわかったよ」

 

どこまで話したものか、とさやかは少しだけ悩む。魔法少女の件は仁美には軽く話したものの、今回の件は仁美からしたらあまりに壮大で、にわかには信じ難いだろう。

だが、実際に巻き込まれてしまっているのだから隠していても仕方が無い。信じるか信じないかは差し置いて話す方が賢明だろう、と思い直した。

 

「和子先生も、まどかのパパも、まどかの事を知らないって言ってた。学校にも"鹿目まどか"って生徒はいない。…信じられないかもしれないけどさ、ここは"まどかが生まれてない世界"だと思うんだ」

『……待ってください。それはつまり…ここは平行世界かなにかって事ですか?』

「うん。あたしはそう思ってる。あたしの知り合いにさ…あ、魔法少女絡みのね。平行世界に行ったことがあるのが2人いるの。…ひとりはほむらなんだけどさ」

『暁美さんが…? それも、魔法少女というものの力なんですか?』

「そ。もう一人はルドガーさんっていうんだけど…見滝原に来る前は他の場所で"平行世界を壊す"仕事をしてたらしいんだ」

『ルドガーさん……初めて聴きますわね。平行世界を壊すというのは、どういう事なのでしょうか』

「あたしもよくは知らないんだけどさ…平行世界があると元の世界に悪影響があって、"時歪の因子(タイムファクター)"ってやつを壊す必要があるんだって」

『タイム……ファクター…?』

 

さやかとて、ルドガーの過去の話をまだ詳しく聴いたわけではない。識っているのは分史世界の存在と、魔女が時歪の因子に似た性質をしているという話だけだ。

幸いかどうかはさておき、仁美もさやか同様に数々の相違を目にしている。それも、元の世界と平行世界の決して無視できないほどの大きな差異であり、仁美の声色からも、さやかの話を信じるのにそう抵抗は感じられない。

 

『その……どうしたら元の世界に帰れるのでしょうか? それに、なぜ平行世界へと来てしまったのかもわかりませんし』

「たしか、時歪の因子を破壊しないと帰れないはずだよ。この場合は、"魔女"だろうけどねぇ……たぶん、あたしらを平行世界に連れ込んだのも、そいつだと思うよ」

『…危険なのではないですか?』

「まあ…そりゃあ多少はね。でも大丈夫だよ、あたしがなんとかする。絶対にね」

 

なぜかマミに連絡を取る事もできない今、戦えるのは自分ひとりしかいない。仁美を連れて元の世界に帰るには自分がやるしかない、とさやかは腹を括る。

 

「とりあえずまた明日、ね」

『わかりましたわ。……その、無理はしないでくださいね』

「わかってるって。それじゃあ」

『……あっ、あとひとつだけ良いでしょうか?』

「どしたの、急に」

 

会話も一段落し、通話を切ろうとしたその時になって、仁美が唐突に思い出したように尋ねてきた。

 

『…今日の、体育の時間のことですわ。さやかさん、普段はつけない黒の下着を見せてくれましたわね』

「あっ、そういえばそうだった。…言っとくけどね、あれはあたしの趣味じゃないからね?」

『それくらいはわかりますわ。むしろ問題なのは、"趣味じゃないものが入ってた"ことではないでしょうか、と思って…』

「うん? どゆこと?」

『この世界が平行世界だとしたら、もうひとりの私たちがいてもおかしくはないのでは? その下着も、もしかしたらそっちのさやかさんの趣味なのかもしれませんし』

「あっ……! そういえば、そうだよね!」

『だとしたら私たちは今、家にいるのに何故鉢合わせにならないのか、と……考え過ぎでしょうか?』

「ううん…きっと、何かあるはずだよ」

 

仁美の言葉を受け、自分が為すべき事をひとつずつ頭の中にまとめてゆく。

平行世界の核である時歪の因子…魔女の捜索、討伐。可能であれば、この世界にもいるかもしれない仲間…魔法少女たちとのコンタクトをとること。

そして、平行世界内のもうひとりの自分の行方を探ることだ。

当然ながら最優先は時歪の因子たる魔女の討伐だが、それに繋がるヒントもその他から見つかるかもしれない。

 

「そっちの方もあたしがなんとか考えてみるよ。だからあんたは、なるべく家の中にいるようにしてて」

『…私は、お力にはなれませんでしょうか。その、魔法少女というものになる…とか…』

「…仁美、それだけはダメだよ。魔法少女はなりたくてなるモノじゃない。それしか方法がない娘達が、どうしようもなくてなるモノなんだよ。それに、魔法少女になったら戦い続けなきゃならないんだ。"燃料が切れたら"死んじゃうからね」

『燃料……? さやかさん、何を言って…』

「大丈夫だよ…あたしを信じて、任せて」

 

最後にそう言い残して、さやかは通話を切って携帯電話の画面を閉じる。

部屋着に袖を通し、髪に簡単にドライヤーをかけ、再びリビングルームへと戻ると、母が麦茶を片手にワイドショーの速報を目にしているところに鉢合わせた。

 

「さやか、さやか」

「ん? なぁにお母さん」

「ここ、さやかのお友達がいるところじゃないの?」

 

母が指差したテレビの画面には、恐らくヘリコプターで上空から撮られているのであろう、見滝原総合病院が映されていた。

画面の右上にはテロップが表示されており、その内容は間違いなくさやかの危機感を煽るものだった。

 

「病院で………集団自殺…? え、何よこれ…」

「さっき言ってたけど、患者さんのひとりが薬を盗んだらしいわよ。それで15人くらい死んだって……」

「15人!?」

 

どうしてそんなことが、と言いかけたところでさやかはあるひとつの存在に気付く。集団自殺、というフレーズで思い出すのは魔女の存在だ。

後に聞かされた話では、箱の魔女が出現した工場内では塩素ガスを用いた集団自殺が行われようとしており、まどかがそれを防いだという。

そしてその現場には仁美もいた、と。

魔女は人々の負の感情を喰らって育ち、またその為に"魔女の口づけ"を施して操り、テリトリーへと誘い込む習性がある。

そして、病院には以前"お菓子の魔女"───マミが酷く苦戦した程の魔女が現れ、辛くもルドガーが討伐したのだ。

 

「………まさか!?」さやかは、母が隣にいる事を忘れてつい叫んでしまった。

「どうしたの、さやか。お友達は大丈夫なのかしら?」

「………ごめん、ちょっと出かけて来る!」

 

居ても立ってもいられず、さやかは部屋着である事などお構いなしに、携帯電話だけ持って玄関へと小走りで向かう。

 

「さやか、そんな格好でどこ行くの!? 雨降ってるわよ!?」

「恭介のとこ! …ごめん、ご飯先に食べてて!」

 

サンダルを履き、鍵をひったくると傘も持たずに鍵を開ける。リビングから母の苦言が飛び交うが、それすらも構わずさやかは外へと飛び出した。

 

「間違いない…まだ病院には、お菓子の魔女がいるんだ!」

 

思えば、朝のホームルーム中にマミにテレパシーを送っても、なんのリアクションもなかった事もそうだ。

直接会いに行き、確かめるべきだったのだ。学校にはそもそもマミは来ていない…それどころか、"既にいない"可能性もあったのだ。

元の世界でのお菓子の魔女との戦いにおいて、ルドガー達が駆けつけなければマミは殺されていた、それ程までに強力な相手だったと聞く。

だがこの世界にはルドガーも、魔法少女のほむらもいない。戦うとすれば、マミ1人しかいないはずなのだ。

 

「まさか、マミさんはもう……!?」

 

マンションのエントランスから飛び出すと、いつしか土砂降りとなった雨に打たれ、たちまち全身が濡れる。だが、焦燥感でいっぱいになったさやかはそんな天気にも構わず、ソウルジェムの指輪を輝かせ、一瞬にして部屋着を魔法少女服へと変化させる。

人魚の魔女もそうだが、もともと水の元素との親和性が高い特性もあってか、変身を済ませると大粒の雨に打たれてもさほど不快感を感じなくなった。

 

「急がなきゃ……!」

 

殆ど無意識のうちに魔力で筋力を底上げし、雷鳴轟く暗雲の下、さやかは全力で病院へと向かって駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

 

見滝原総合病院、正面玄関前の小ターミナルには警察車両が何台も止まり、警官達がマスコミの集団をせき止めていた。

自宅から10分かからずに病院へと駆けつけたさやかはそれを見て、正面からの進入は不可能だと悟った。

 

「かなり大騒ぎになってる……恭介は、無事なの…!?」

 

酷く嫌われたとあっても、やはり恭介の事は心配になるのだ。はやる気持ちを抑えつつ、さやかは他の進入ルートを遠目から探す。

幸い、今のさやかには魔法少女としての飛び抜けた身体能力が備わっている。その力を使えば強引に入る事もできるが、極力目立たないところを探すに越した事はない。

正面玄関前から大きく回り込み、病院の側面に位置するもうひとつの出入り口へと瞬時に駆けてゆく。

そこには駐輪場が設けられており、見舞いの帰りによく通ったりもしていた場所だ。

しかし着いてみると門が閉じられており、見たところ錠もかけられているようだ。高さも2〜3メートルほどあり、よじ登るには難しく見える。

 

「閉まってる……でも、このくらいなら!」

 

意を決して脚に力を込め、思い切り跳び上がると、思いのほかあっさりとその門を跳び越えてしまった。

3メートルの高さから反対側に、なんのクッションもなしに着地するが、脚を痛めるようなこともない。

さやかは魔法少女としての常識外れた己の身体能力に、改めて驚かされることとなった。

 

「……ふぅ」とひと息つくと、現在は腰に備わっているソウルジェムがちかちか、と妙な点滅をしているのに気付いた。

その光り方は、昨日エレベーターの中で見たソウルジェムの指輪の反応と殆ど同じように見える。

 

「…もしかしてこれ、魔女の反応なのかな…?」

 

だとしたら、魔女はすぐ近くに巣を張っているのだろう。昨日のうちに気付いていれば…と、拳を握り締めて悔やむ。

だが、そうしていても状況が好転するわけではない。さやかはソウルジェムの反応に気を配りながら、駐輪場を真っ直ぐに抜けていった。

 

そこから少し進んだ駐輪場の端にまで達すると、ソウルジェムは一段と大きな揺らぎをみせた。

この辺りだろう、とアタリをつけて神経を研ぎ澄まし、かすかな違和感をも見逃さないように周囲を見回す。

実際に魔女の結界に立ち入った事は2度しかなく、共にルドガーが傍にいたときだけだ。探し方を教わった訳でもない。実質初陣のようなものなのだ。

そうなっては己の直感を信じるほか無い。

 

「──────あれ…なのかな…?」

 

見回したうちの、駐輪場の柱の一本にかすかな違和感を感じ、視線を飛ばし距離を詰めてゆく。

恐る恐る手で柱に触れてみるとその瞬間に閃光が迸り、柱を中心に大きな円形の陣が浮かぶように形成された。

これが魔女の結界なのだろうか。だが、過去にさやかが見た魔女結界は、瘴気を発しながら結界の外にいたさやか達を飲み込むように拡がってみせた。

それと比較すると随分と地味に思えてしまい、イマイチ確信を持つに至れない。しかし確かにソウルジェムは、コレこそが魔女結界であると言わんばかりに瞬いている。

さやかは自らの魔法武器───半月型のサーベルを錬成して、その結界を縦に斬りつけた。

蓋を開けられた結界は内部を露呈し、歪んだ空間を外気に晒す。

 

「………よし、行こう…!」

 

初戦にして、単身での魔女結界への突入。無謀であるとは百も承知していたが、恭介と仁美を守る為に剣を取ることに、さやかは何の躊躇いも持たなかった。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

 

さやかにとって魔女結界の内部を目にするのはこれで3度目となるが、そのそれぞれが全く異なる性質、概観を持っていることを改めて感じる。

お菓子の魔女結界の内部には巨大な薬瓶や注射器などの器具と、いったい何に喰わせるのか想像もつかない程に巨大な洋菓子がごろごろと並んでおり、その光景はまさに異様である。

程なくして、進入者を歓迎するかのようにナース服を着た巨人型の使い魔が何体も連なって湧き出てきた。

 

「げっ───こんなにたくさんいんの…!?」

 

自らの持つ武器を見て、それから仲間達の戦い方を思い出してみる。マミもほむらも銃撃が主体であり、自分と違って広範囲の攻撃を仕掛けるのは得意な方だろう。

ルドガーは銃と剣と骸殻の槍を使い分けていたが、果たしてそれがどこまで参考になるか。

そこまで考えて、さやかはとある事実を思い出して閃く。

 

「…そっか。誰よりもいい見本がいたじゃんか!」

 

言うとさやかはサーベルに魔力を込め、頭の中にイメージをひとつ描く。そのまま使い魔の群れをひと舐めにするように、サーベルを横一閃に振り抜いた。

 

「そぉりゃあぁぁっ!!」

 

その瞬間、サーベルの刀身が果てしなく伸びたような感覚を覚えた。使い魔の群れは若干離れているにも関わらず、空を切った斬撃を受けてその殆どが胴を両断され、断末魔を上げた。

 

「よし、イケる!」

 

さやかが思う誰よりも良い見本とは、まさにもう1人の自分たる人魚の魔女だ。さやかは、人魚の魔女がほむらに浴びせた一撃をこの場で再現してみせたのだ。

確かな手応えを実感したさやかは、もう一本サーベルを錬成し、両手にひと振りずつ構えた。

その勢いで残る群れに突撃し、次々と使い魔を斬り裂いてゆく。

振り方は素人のそれであったが、魔力で強化された身体能力がそれをある程度補っており、使い魔程度に後れを取るようなことはない。

使い魔を薙ぎ倒しながら、姿も識らない魔女の本体を探して結界内を縦横に駆ける。

薔薇園の使い魔の経験から、扉のようなものを探して行けば進めるだろう、と探し回り、随分と奥まで進んだ突き当たりでいよいよそれらしき小さな扉を見つけた。

 

「ここね……」

 

ふぅ、と深呼吸をして多少乱れた息を整える。切り抜いたかのように周囲の混沌とした概観とはそぐわない、妙に小綺麗な扉をくぐれば恐らく魔女が構えているのだろう。

サーベルを握り直し、腹を括って勢いよく扉を蹴り、乱雑に開け放った。

壊された扉をくぐった先にはさらに異様な空間が拡がる。異様に脚の長いテーブルやチェアーがずらりと並び、どことなくファンシーなクリーム色の空と、甘ったるい洋菓子の匂いに包まれる。

可愛らしくもあるが、どこか生理的に受け付けない景観だ。

拓けた空間を見渡すと、ひとつの丸テーブルの上に頭巾を被った人形のようなものがあるのに気付いた。

目を凝らしてソレを観察すると、やはり可愛らしさを強調するかのようによちよちと歩き、ふわり、とテーブルの上から降りてきた。

人形はきょとん、として首を傾げ、さやかを逆に観察し出す。しかしさやかはその可愛らしい見た目につられる事もなく、両手のサーベルを人形に向けて構えた。

 

「マミさんは油断してやられかけたって言ってた。弱そうだけど、きっと何かある…! なら、一気に!」

 

右手のサーベルを高く掲げたのを合図に、自身の背後に同型のサーベルを6本ほど錬成する。掲げたサーベルを縦に振り下ろすと同時にそれらを人形に向けて一斉に射出し、鈍い音を立てて次々とサーベルが人形に突き立てられた。

そこに左手のサーベルを振り切って追い討ちの遠距離斬撃を浴びせる。

距離間を無視した鋭い斬撃は人形の首元に直撃し、大きく吹き飛ばした。

だが、まだ気を抜いてはならない。自分に言い聞かせながら、いつでも迎撃できるように身構える。

そして異変はすぐに起きた。千切れ飛んだ人形の、首がついていた断面から巨大な花柄の蛇が身を現したのだ。

 

『ゴアァァァァァァッ!!』

 

本性を露わにしたお菓子の魔女は、さやかを捕食せんとばかりに口を開いて襲いかかるが、それを見逃さなかったさやかは素早く飛び退いて(ついば)みを躱す。

次いで先程のように空に剣を錬成し、お菓子の魔女へと向けて撃ち放つ。

 

「今だ! 弾けろぉっ!!」

 

鈍い音と共に胴体に突き立った剣は、さやかの掛け声と共に熱を持ち始め、瞬時に爆発して轟音を立てた。

だが、手応えは感じられない。マミの時も、外部からの射撃攻撃は全て脱皮してシャットアウトしてしまったのだという。

案の定、お菓子の魔女は皮一枚を脱ぎ棄てて爆撃から逃れ、もう一度さやかに襲いかかった。

 

「やっぱり効かない……なら、やるしかないか!」

『グルルル……ガアァァァ!!』

 

今度はさやかは逃げるような真似はせず、真正面からお菓子の魔女に向かって突撃していった。

ものの数秒のことだ。サーベルを掲げて駆けてゆくさやかとお菓子の魔女は互いに衝突し……さやかは、自らお菓子の魔女の口内へと飛び込んでいった。

 

『ガアァァァァァァ───!!』

 

ガチリ、と乱杭歯を閉じて勝利を確信したお菓子の魔女は、首を掲げ歓喜に満ちたような顔をみせる。

魔女の口元からさやかの残したサーベルがひとつ溢れ落ち、地面へと鋭く突き刺さった。

だが、魔女の表情は歓喜からすぐに苦悶へと変わる。

 

『グ─────ゲ、ァァッ!?』

 

魔女の腹元がまるで風船のように膨張してゆく。その姿はさながらに、蛇に石鹸を喰わせてツチノコの格好をさせたようにも見えた。

 

「──────これで、終わりだよ!!」

 

魔女の腹の中から、高らかに勝利を確信する声が響いた。

 

「いっけぇー! タイフーン・スラッシュ!!」

 

腹の中で本能のままに剣を振るい、暴風を巻き起こしたのだ。紡がれた暴風は魔女の体内をごちゃ混ぜにするように勢いを増し、ズタズタに引き裂いてゆく。

外側が駄目なら内側から攻める。さやかの辿り着いた、無謀にして捨て身の作戦だった。

魔女の口元から、夥しい量のドス黒い血が吹きこぼれる。逃れようにも、身体の芯を直接嬲られているため、脱皮が要を成さないのだ。

 

『ガ、グ、ギ、ギァァァァァァッ!!』

 

膨張はピークに達し、ガスを詰めすぎた風船のように魔女の身体は内側から裂け始める。

パァン!! と大きな音を立てて、ついにお菓子の魔女の身体は細切れとなって砕け、絶命した首だけがぼとり、と上空から落下した。

 

「……よっし、なんとなったか…」

 

お菓子の魔女を八つ裂きにしたさやかの手の平には、黒く輝くお菓子のグリーフシードが握り締められていた。

程なくして結界は力を無くし、揺らめきながらもとの駐輪場へと移り変わっていった。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

 

魔女を撃破したものの、さやかにはまだ為すべき事が残されていた。友人であり、想い人である恭介の安否の確認だ。

駐輪場から回り込めば、裏口から殆ど人目につかずに院内へと入り込める。怪しまれないように、と変身を解いたさやかは、ようやく今の自分のいでたちに顔を赤らめた。

 

「………慌ててて着替えてなかったわ」

 

部屋着にサンダルで、傘も持たないといった格好は変身していなくとも人目を引いてしまうだろうが、少なくとも現実離れした格好ではないだけマシに思えた。否、思うことにした。

気を取り直して裏口へと向かおうと足を運び出す。水溜まりに踏み込んでしまいそうなのを気をつけるが、サンダルなだけにどう足掻いても足先が濡れるのは避けられないだろう。

だがその時、かすかに鼻を刺激する"何かが腐ったような"臭いを感じ取ってしまった。

 

「なに、この臭い…」

 

腐臭は、さやかの後ろの方から漂ってきた。途端に胸騒ぎに襲われ、振り返って腐臭のモトを探してみる。

見つけたくない。だけど、見つけなければならない。そんな予感のままに駐輪場を駆け回っていくと、ついにその腐臭の原因を見つけてしまった。

 

「──────ひっ!?」

 

さやかは自分の目を疑ってしまった。視線の先には薄汚れた見滝原中学の女子制服を纏った、人の身体があったからだ。

ただしソレには首がついておらず、その断面は獣かなにかに喰い千切られたかのように潰れている。

屍体は既に事切れてから何日も経過しているようで、かすかに見えている皮膚の色は酷く変色しており、近づけば近づく程に腐臭が強まる。

どうして気付かなかったのか。理由は至極単純だった。魔女結界内の、"甘ったるい洋菓子の匂い"で腐臭が上塗りされていただけの事だったのだ。

 

「ゔっ………!!」

 

初めて目にする凄惨な光景に、胃が焼けるような感覚に襲われるがどうにか堪える。

目を背ける前にひとつだけ、どうしても確かめなければならない事があったからだ。

足を震わせながら吐き気を堪えて屍体へと歩み寄る。

上からその屍体を見下ろすと、中学生とは思えないスタイルの良さの名残りが窺える。

褪せた金色の髪の切れ端も周囲にわずかに散らばっており、雨露に濡れてしなびている。

たったそれだけで、さやかはその屍体が誰のものなのか、確信を抱けてしまった。

 

「…………マミ、さん……? う……あ、あっ…うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

さやかは吐き気を通り越してやってきた眩暈と、想像を絶した惨酷な光景に力なく膝から崩れ落ち、狂ったように叫んだ。

 


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