誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第2話「疑うのはもう疲れたのよ」

1.

 

 

 

 

静けさの増した夜の川原沿いに立つ、2つの人影。凍りついたように止まった川の流れ。

風も吹かず、揺れることすらしない雑草たち。

星は夜空ごと切り抜かれたかの如く、瞬きすらしない。

左耳にイヤリングをした黒髪の少女、暁美ほむらと、父譲りの白髪に黒いメッシュを入れた男、ルドガー・ウィル・クルスニク。そして1匹の猫だけが時の流れから抜け出していた。

ルドガーは、ほむらの抱き抱えていた黒猫を見る。人懐っこいとは思っていたが、猫のほむらに対するなつき方は、さやかや自分に対してのそれとは違って見えた。

まるでそこが帰る場所かのように、猫はごろごろと喉を鳴らしてほむらに擦りつく。

ほむらはしかし、猫を抱えるのをやめ、地面に下ろす。猫がほむらの手から離れると、ぴたりと猫の動きが止まった。

 

「触ってるもの以外は止まるのか…!?」

 

ルドガーは昼間、今と全く同じ体験をしていた。とするならばあの時、時間を止めたのもクロノスではなく、ほむらなのだろう。あのタイミングで止めたとなると…猫を、助けようとしてか。

ほむらは言葉こそどこか刺々しいが…猫好きに悪い奴はいない。ユリウスの言葉を思い出し、ルドガーはほむらに対する警戒心を緩めた。

 

「俺は、ルドガー・ウィル・クルスニク。何者かって聞かれると…ちょっと、説明が長くなるかな…?」

「構わないわ。時間ならいくらでもあるし、貴方は謎が多すぎるもの」

「そうか、じゃあ…どこから話そうか」

 

この世界に至るまでの経緯は、とても語りきれたものではない。それこそ、エルと出会ったことが全ての始まりなのだから。

ルドガーは、ほむらが知りたがっている事が何かを考えた。

時間停止の影響を受けない理由…断言はできないが、これは説明できる。一番知りたがっていることはそれだろう。

 

「俺は、エレンピオスっていう所にいたんだ。…知ってるか?」

「いいえ、知らないわ。どこかしら?」

「………ここではないどこか、かな。もしかしたら、他の世界なのかも。俺も、この日本って所に飛ばされたのは、ついさっきなんだ」

「飛ばされた?」ほむらはルドガーの言い回しに、疑問符を浮かべた。

「たぶん…クロノスって奴に。俺はそのクロノスと戦って、なんとか勝つ事ができた。そして、審判の門…まあ、何でもひとつだけ願いを叶えてくれる、オリジンっていう奴がいる所まで辿り着いたんだ」

「そのクロノスというのは、何者なの? 確か、昼間もその名前を叫んでいたわね」

 

昼間の、見滝原駅での出来事を思い出す。こっちは必死になって尋ねているのに、駅員からはただの鳥好きだと思われ、呆れた目を向けられたことを。

そしてそのやり場のないショックを、どうせどこかで見ているに違いない性悪精霊にぶつけたことを。

あれを見られてたのか…ルドガーは少しだけ、ばつの悪い顔をした。

 

「…時空を司る大精霊。例えば、大怪我をしても時間を戻して、怪我をなかった事にできたりする」

「時間を……!?」

 

ほむらは強張った顔をし、左手に添えられた円盤のようなものに無意識のうちに右手で触れていた。そのわずかな動作をルドガーは見逃さなかった。

もしかしたら、あれがほむらの力の源なのかもしれない。ルドガーは一目でそう予想した。

 

「…そのクロノスって奴は2000年も昔に、俺たちクルスニクの一族に呪いをかけたんだ。俺はその呪いを終わらせるために、審判の門に行ったんだ。その呪いが、これだよ」そう言ってルドガーは、金の時計をほむらに見せた。

「時計…にしか見えないけれど。ただの時計ではないのでしょうね」

「ああ…これが、"骸殻"の呪いの証だ。欲深い人間に罰を与えたとかなんとか言っていたけど…クロノスからしたら、タチの悪いゲームみたいなものだったのかも知れない。

呪いが進むと、骸殻は時歪の因子(タイムファクター)となって、時計の持ち主を蝕んでいく。力を使い過ぎたりしても、呪いは進む」

「………気のせいかしら、どこかで聞いたような話ね。それで、呪いが進むとどうなるのかしら?」

 

なにか思うところがあったのだろうか。ほむらの表情が、さらに険しくなる。

 

「さっきみたいな事になる。時歪の因子は分史世界と呼ばれる、いわゆるパラレルワールドを作り出してしまうんだ。

その時点で、骸殻の持ち主は時歪の因子そのものになってしまう…死んだも同然、かな。

ただし、分史世界は負のエネルギーをもとに作られている。存在するだけで正史世界、つまりオリジナルの世界のエネルギーを少しずつ吸い取ってしまうんだ。だから、放っておくことができない。

時歪の因子は分史世界の中の、正史世界と最も異なっている存在に取り憑いて潜んでる。その時歪の因子を唯一破壊できるのが、この骸殻ってことさ。そもそも、骸殻がなければ分史世界に入ることすらできないんだから」

「いたちごっこね。貴方のその言い方だと、タイムファクターを破壊するために骸殻を使って、そうして新たなタイムファクターが生まれる。…そのクロノスという精霊には、きっと感情がないのでしょうね」

 

骸殻のシステムの話がほむらにちゃんと伝わるか心配だったが、しっかりと理解してくれているようで、安堵した。

 

「…かもしれないな。それで、何で時間が止まってても動けるのか、だけど…たぶん、俺の骸殻が特殊だからだと思う」

「特殊…? 骸殻は、全部が全部同じというわけではないのね」

「ああ。何万人かに1人の割合で生まれるらしいんだけど……クロノスの時空を操る精霊術を打ち消せる、"クルスニクの鍵"を持った能力者が。

クロノスの決めたルールがあまりに不公平だから、オリジンがハンデを与えた、って聞いた。たぶんその"クルスニクの鍵"の力のおかげで、動けるんだと思う」

 

 

…実のところ、ルドガーは自身が"鍵"の持ち主かどうかはわからなかった。

鍵の持ち主はあくまでエルであり、ルドガーはエルの時計をそうとも知らずに使っていたから、カナンの道標を分史世界から持ち帰ることができたに過ぎない。

ビズリーの話によるならば、ユリウスの母、コーネリアがかつての鍵の持ち主だったと聞くが、コーネリアとルドガーの間に血の繋がりはない。ユリウスとルドガーは、異母兄弟なのだ。

ただ、時空を操る力を無視できる心当たりが、それしかなかったからそう答えたに過ぎない。

でなければ、他にこの状況の説明がつかない。

 

「そう……では貴方は、審判の門に何を願ったのかしら?」ほむらの声色が、わずかにトーンダウンする。

「願い、か…最初は、俺の大切な相棒を助けてくれって願おうとした。

………エルっていうんだけどさ、もうほとんど身体が時歪の因子化していたんだ」

 

ほとんど、自分のせいだ。そうとも気付かずににエルの時計を使っていたから。せめて自分の時計を使っていたならば、結果はまた違ったかもしれない。

ルドガーは、時歪の因子に蝕まれたエルの痛々しい姿を思い浮かべる。

 

「オリジンの力で願いを叶えれば、エルを元に戻すことができた。けれどそうすると、分史世界を消すことができないんだ。

…審判の門の締め切りは、門にたどり着く前に分史世界の数が100万に達したとき。それ以降は門は閉ざされ、二度と開かれない。そういう"ゲーム"なんだ。そして分史世界は、あとひとつで100万に達するところだった。

100万なんて数、とても壊しきれるもんじゃない。クロノスの言い草だと100万以上は増えないみたいだったけど、たぶん正史世界の方が保たない。

クロノスにとっては正史世界なんて、その程度の存在だったんだよ。

だから俺はオリジンに、"分史世界をすべて消してくれ"と願った。…そうするしか、なかったんだ」

「………大事な相棒を、見捨てたの?」ほむらの視線が、ルドガーをさらに強く突き刺す。

「いいや、違うさ」と、ルドガーは首を横に振った。

「俺にとっては、自分の命よりもエルを失うことの方が怖かった。だから俺は…エルの代わりに、100万人目になったんだ」

「まさか………貴方、自分がタイムファクターに?」

「………100万人に達した時点で審判は終わり、時歪の因子は増えなくなる。クロノスは嫌な奴だけど嘘はつかない…と思う。エルの時歪の因子化は、解けた筈だ。今の俺には、確かめる方法はないけどね。

そして、死んだと思ってたらこの世界にいた。訳がわからないと思うけど…実のところ、この辺は俺にもよくわからない。どうしてこの世界に、願いの力で消した筈の時歪の因子があるのかもね」

「そう……そういうことだったのね」

 

ほむらは一度軽く目を瞑り、思いだす。自分の大切なものを。何を犠牲にしてでも、守り通したいものを。

───あの懐かしい、笑顔を。

 

「貴方も、あの娘と同じね。自分の願いを、命を、他人の為に使ってしまえる愚か者。

…けれど、私の守りたいものは……」

 

それ以上は、ほむらは語らなかった。

ほむらの左手の円盤が、カシャン、と音を立てる。

少し冷たい夜風が吹き抜け、川のせせらぎが聞こえ始める。世界が、再び時を刻み始めた。

愚か者、と評されたことをルドガーはむしろ、誇らしくさえ思えた。

それでもいいさ。大切なものを守ることができたんだから。ルドガーの脳裏には、エルの笑顔が浮かび上がっていた。

 

"ぐぅぅ〜〜……"

 

………ルドガーの腹の虫が、限界だと訴える音がする。この男は、いつも肝心なところでオチがつかないことで、かつての仲間うちでも定評があった。

 

「……………お腹、減ってるのね」

「うぅぅ………」

 

穴があったら入りたい。ルドガーはほむらの冷めた視線を感じながら、そう思った。

 

「うちに来るかしら。私の方からも、貴方に話しておきたいことが幾つかあるわ。それに、どうせ行くところなんてないのでしょう?」

「えっ、いいのか…?」

「簡単な食事くらいなら、出してあげるわ。…当然、妙な真似をしたら即刻殺すけれど」ほむらは言いながら、左手の円盤に手を伸ばし…その中から、小銃をちらつかせた。

一般人なら、このような少女が拳銃を所持しているのを見たら、とても普通のリアクションなどとれたものではない。

しかしエレンピオスでは、いやルドガーにとってはその限りではない。エリーゼという、かつてのルドガーの仲間は12、3程の年齢で戦っていたのだから。

故に、ほむらが銃を見せても取り乱す事はなかった。

 

「その………情けないけど、世話になるよ」

 

ルドガーは少し気まずそうに、ほむらの好意に甘える旨を伝えた。

 

 

 

2.

 

 

 

「お、お邪魔します」

 

 

ルドガーが連れて来られたのは、エレンピオスのマンションよりもだいぶ小規模な集合住宅。いわゆるアパートだ。

リーゼ・マクシアの街、シャン・ドゥやカン・バルクで似たような造りの建物を見た気がする。

【暁美】と書かれた表札のドアが開かれると、「…先に言っておくけど、日本の家は土足厳禁よ。靴は脱いでもらうわ」と、ほむらが釘を刺してきた。

「えっ、ああ。わかったよ」

 

危うく、ほむらの指摘がなければ土足で上がり込んでしまうところだった。黒猫はルドガーを待たずにさっさと入ってしまったが。

中の造りは、実に簡素なものだった。木枠でできたガラス戸に、木目のフローリング。部屋の中央にはやたら背の低い円卓…いわゆるちゃぶ台が置かれている。

幸い、冷蔵庫やテレビ、キッチンなどは多少小さいながらも、エレンピオスでも見たような造りだった。使い方も大差ないだろう。

それよりも目を惹かれたのは、ちゃぶ台の上に散りばめられた資料の類。いくつか写真が見受けられるが、中でも一番目を引いたのは逆さから釣られた、ドレスを着たような、顔の上半分がない人形のような"何か"の写真だった。

 

「これは……なんの写真なんだ?」

「"魔女"よ。貴方の言い方を借りるならば…"タイムファクター"かしらね」

「なんだって……!?」

 

ほむらは台所に立ち、やかんに湯を沸かしながら、振り向かずに答える。

 

「ワルプルギスの夜。今から約ひと月後にこの街にやって来る、超弩級の魔女。私は、このワルプルギスを殺す為に今まで戦ってきた」

「じゃあ、もしかして君も…?」骸殻か、もしくはそれに似た何かの力を持っているのか。ルドガーは訊く。

「そうね……私を含め、貴方の話に聞く骸殻と魔法少女は、よく似てると思ったわ」

 

そう言うとほむらはルドガーの方に向き直り、左手の円盤に手を

 

 

─────────

 

 

 

かざす。ガスコンロの音がぴたり、と止んだ。

 

「また、時間を止めたのか」

「ええ……盗み聴きされたくはないのよ、この話は」

 

ほむらは、ルドガーではない第3の"何か"を警戒しているようだった。クロノス…ではないか。クロノスならそもそも、時間停止の影響なんか受ける筈はない。

 

「ひとつ、約束してくれるかしら。これから話すことは、他の魔法少女たちには言わないで」

「何か、理由があるのか?」

「…中には、ショックで取り乱す娘がいるのよ。私たちは貴方と違って、肝心な事は何も知らされずに"契約"されられるの」

「……? わかったよ。他言無用、だな」

「そうしてくれると助かるわ。では始めに、魔法少女について、かしら」

 

ほむらがちゃぶ台のそばの座布団に腰を下ろしたのを見て、ルドガーも座り込んだ。

 

「魔法少女は、インキュベーターとの契約によって生み出される。なんでもひとつ願いを叶えてくれる代わりに、魔女と呼ばれる、絶望を撒き散らして人を死に至らせる存在と戦う宿命を背負うの」

「インキュベーター…孵卵器? 魔女って…このワルプルギスだけじゃあないのか」

「違うわ。魔女は…ここは、後で話すわ。魔法少女は契約の際に、この"ソウルジェム"を与えられるの」

ほむらは左手の甲に刻まれた、紫色をした菱形の痣を見せる。その痣は一瞬で、同じく紫色に光り輝く、金の縁取りに収められた宝石へと変化した。生命の鼓動を感じさせる、魅力的な色だ。

一瞬だけ見せると、ほむらはすぐにソウルジェムをもとの痣に納めた。

 

「契約すると、魂は身体から抜き出されてソウルジェムへと変換される。この身体は、抜け殻にされるのよ。当然、ソウルジェムの破壊は魔法少女の死を意味する」

「ぬ、抜け殻…!? そんな、なぜ!」

「その方が都合がいいから、だそうよ。ジェムさえ無事なら、身体は魔法で再生が効く。痛覚も遮断することができる。それが奴らの言い分ね。

…魔法少女たちには、この事実は話されない。やつは、こういう悪印象に繋がる話は、"訊かれなければ答えない"。

この事実を知っただけで、ジェムを絶望で染めてしまう娘もいたわ」

 

なんてことだ、とルドガーは思う。そのインキュベーターとやらは、人を人と思っていないんじゃないのか?

魔法少女なんて言い方をしても、これではただの、戦う為の駒じゃないか。ルドガーは憤りを覚えていく。

 

「ソウルジェムは、魔法を使うたびに黒く濁る。それだけじゃなく、心に負の感情を溜め込んでも濁るわ。そうして完全に濁り切ったとき…ソウルジェムは"グリーフシード"へと変化する。

貴方があの芸術家の魔女を倒したときに手に入れた、あれよ」

「…っ!」

 

ルドガーはポケットから時歪の因子…だと思っていたものを取り出し、ちゃぶ台に置く。グリーフシードは何もしていないのに、駒のようにひとりでにピン、と直立した。

 

「あれは時歪の因子じゃなかったのか…じゃあ、あれは一体? 魔女って、何なんだ?」

「……魔女は、魔法少女の成れの果てよ。希望を以って生まれた魔法少女は、やがて絶望を振りまく魔女となる。

魔女は固有の結界…言い方を真似るなら、分史世界。それを造り、その中に獲物を引きずりこむの。普通は取り込まれたら命はないわ。

当然、インキュベーターはそんなコトは教えない。いつか化け物になるなんて言われたら、願いを叶えると言われても契約なんて、"普通は"する訳がないもの。

そもそも奴らの目的は、魔女を増やすことにある。魔法少女が魔女へと堕ちるとき…希望が絶望へと転移する時に発生する感情エネルギー…奴らは、それが欲しいのよ。

あいつらインキュベーターには感情がないから、代わりに私たち人間をエサに仕立ててるのよ。

魔女をタイムファクターだと思うのも無理はないわ。どちらも、よく似ていると思わないかしら?」

 

ほむらは無機質な声で、事実を突きつける。孵卵器とはそういう意味か。魔法少女は、魔女の卵なのだ。ルドガーはひとつ、納得する。

 

「そしてこのグリーフシードは、ソウルジェムの穢れを取り除くことができる。私たち魔法少女が長く生きるためには、グリーフシードが必要不可欠なのよ。

…いつかは限界が訪れるけれど」

「そんな…じゃあ君も、いつかは!?」

「ええ、いずれ魔女になる運命を背負っていると言えるわ…だけど、その心配は無用よルドガー。私は目的を果たすまでは絶望したりなんかしない。

それに、目的を果たしたら"これ"を砕くつもりよ。貴方や、他の魔法少女たちの手を煩わせる事はしないわ」

 

まるでいたちごっこね、というほむらの言葉を思い返すルドガー。

ほむらが骸殻のシステムの話を素直に聞いてくれたのは、自分がまさに同じ目に遭っていたからなのだと、気付かされたのだ。

 

「どうして…この話を俺に?」ルドガーは、恐る恐るほむらに訊く。

「………疑うのは、もう疲れたのよ。今まで、誰も私の話を信じてくれなかった。助けたかったのに、助けられなかった。そのうちに誰も信じられなくなった。私にはあの娘さえいてくれれば構わない。そういう風に言い聞かせてたわ。けれど…それでは結局あの娘を救う事ができなかった。私は、その為だけに魔法少女になったのに。

それに…貴方と話してると、どうしてかしら。牙を抜かれたような気分になるのよ。つい、口が過ぎてしまったと自分でも思ってるわ」

 

ほむらの円盤が音を立てる。時間停止が解ける合図だ。

 

「改めてお願いするわルドガー。貴方の力を

、私に貸して欲しい。ワルプルギスの夜を越え、あの娘を救う為に」

 

ほむらはそう言って、ルドガーに頭を下げた。

そこまでしてほむらの守りたいものは何なのか。…そんな事は訊くまでもなかった。きっと自分にとっての、エルのような存在なのだろう。

 

「顔を上げてくれ、ほむら。どこまでやれるかわからないけれど…俺でよければ、いくらでも協力するよ」

 

ルドガーは優しい声で、ほむらにそう答えた。

 

 

 

3.

 

 

 

 

ふと、気づいた事がある。

ルドガーが現在食しているのは、ほむらから渡されたインスタント食料品。熱々のお湯を線まで注ぎ、3分間待つだけで完成する、いわゆるカップ麺(みそ味)だった。

対角線上に座るほむらはというと、黄色い箱に入った、かすかにフルーツの香りがする細長いブロック状のビスケットのようなものを食べていた。

流石に食事の時は邪魔になるのか、魔法少女への変身を解いて、普段着のような格好へと変わっている。円盤も、一緒に片付けたようだ。

 

「まさか…食事ってそれだけか?」

「ええ。おかわりが欲しければ言ってちょうだい」

「俺はいい! 俺が言ってるのはほむら、君のことだ! …もしかして、毎日そればっかり食べてるのか?」

「ええ。食事を楽しむ必要なんて、私にはないから。栄養価は問題ないし…魔法少女はそんなにヤワじゃないわ」

 

その体格で言われても説得力がないぞ! ルドガーは喉まで出かかった言葉を、なんとか抑えた。

ほむらの体格は、恐らく同年代であろう美樹さやかと比較してもやせ細り、女性らしい凹凸が見受けられない。

…馬鹿にしてるつもりではない。ルドガーは、ほむらの健康状態が本当に心配になったのだ。

 

「…問題ないと言っているでしょう? 美樹さやかと比べられるのも不本意だわ。そんなに言うなら…貴方が食事を作ってくれるのかしら?」

 

ほむらは皮肉を込めて、ルドガーに言う。客人にカップ麺を出したり、料理を要求したりと、ほむらにはそこら辺の常識が欠落していた。

ルドガーは慣れない箸で麺を啜りながら、答える。

 

「そのくらいお安い御用さ。これでも、料理は得意なんだ」

「あら、意外ね」ほむらは2つ目の黄色い箱の封をあける。ココアのような色をした細長いビスケットを、口に含んだ。

「それなら、食費を少し貴方に預けようかしら。どうせ私が持っていても、カロリーメイトしか買わないもの」

「ん…? 待ってくれほむら、それはどういう意味で」

「暫くうちにいるとなるなら、いつまでもカップ麺を食べさせるわけにもいかないもの。ついでに、エイミーの世話もしてくれると助かるわ。

どうせ、行くところなんてないんでしょう。お金もないと見たわ。大方、エレンピオスの通貨も、この世界ではただの紙屑なのでしょう?」

 

エイミーとは、ほむらの連れてきた黒猫の名前だ。彼は今、ちゃぶ台の足元でキャットフードの缶を頬張っている。

ルドガーの金銭状況は、ほむらに完璧に見抜かれていた。

 

「面目ない……」とルドガーは呟く。

「構わないわ。以前も、ホームレス同然の魔法少女を住まわせたことがあるもの。ある程度は慣れているつもりよ。しばらく居ていいから、その間に適当なバイトでも探しなさい」

 

完全に、ルドガーの立場がなかった。

猫缶をたいらげたエイミーがにゃあ、と鳴いてほむらの膝もとに擦り寄る。

 

「…そういえばこのエイミーって、ほむらの猫だったんだな」ルドガーは話の矛先をうまく変えようと、猫の話を振る。

「いいえ、違うわ。今回は気まぐれで拾ってあげたけれど…本来は野良猫よ」

「ん…?」

 

今回は、という言い回しに、ルドガーは軽い違和感を覚えた。

 

「その仔の名付け親はまどかよ。あの時、事故から助けてあげたでしょう。本当は、エイミーはそこで死ぬはずだった。

そして、まどかはエイミーを生き返らせる為に契約してしまう。エイミーを助けることで、それを防ぐことができるのよ」

「…まどか、って?」

「私の、大切な人よ。貴方にとってのエル、かしらね。私は、まどかを救うという願いの為だけに魔法少女になったの」

「! ………そういうことか、それで君は時間を操れるのか」

 

ほむらの、まるで未来を見てきたかのような発言。"救えなかった"とか、"今回は"などの言い回し。加えて、クロノスが時間を操るという話をしたときの反応。

時間操作という大術は、ほむらの願いによって生まれた力なのだろう。そしてほむらは恐らく…1度この時間をやり直している。

"タイム・エセンティア"。時間を巻き戻して受けた傷を無かったことにする、反則的なクロノスの精霊術。ルドガーは一度それを目の当たりにしているからこそ、その考えに至ることができたのだ。

魔法少女とは、そんな強大な力を持つ存在なのか。それとも…ほむらの願いは、それだけ大きな力をもたらす、強い想いだったのか。

今のルドガーには、まだそこまで推し量ることはできない。

 

「理解が早くて助かるわね。さすがは同じ穴のムジナ、といったところかしら。

…貴方が本当に協力してくれるというのなら、早速頼みたいことがあるのよ」

 

言うとほむらは、魔女に関する資料から、一枚の写真を抜き出し、ルドガーに見せた。

金髪に巻き髪の、さやかと同じ服を着た可憐な少女の写真だ。

 

「これが…まどかか?」

「いいえ、その娘は巴マミ。昔から見滝原にいる魔法少女よ」

「仲間なのか?」

「いいえ、恐らく彼女は味方にはなってはくれないわ。私と彼女では、スタンスが違いすぎるもの。彼女はあくまで魔法少女として、"正義のヒーロー"をやっているのよ」

「つまり…このマミは魔法少女の真実を何も知らないのか?」

 

ルドガーはカップ麺のスープを一滴残さず飲み干し、ゴミ箱に捨てに立つ。

 

「ええ。それに、今までヒーローをやってきたけれど…実は、同族殺しをしていました、なんて言われたらどう思うかしら?

彼女の精神はそれを受け入れられるほど強くないわ。知ったその場で魔女化する可能性もある。

…だから貴方には、うまく動いて欲しいのよ」

 

なるほど、と思う。ルドガーのように、分史世界を壊すということが何を意味するのか…写し身とはいえ、その世界に住む何億もの命を奪うことだと覚悟した上でやるのならば別だ。

そのルドガーでさえ、時には悪夢に魘されたことがあるのだ。だがこの巴マミは、それを知らずにやっていると聞く。…確かに、真実を知った時のショックは計り知れないだろう。

 

「何もメンタルケアをしろ、と頼む訳ではないわ。マミは共に戦える仲間を欲しがっている。だから、まどかと美樹さやかを魔法少女にしようと勧めてくるのよ…それが、どういう意味なのかも知らずに。

とりあえずは…まどかとさやかが契約しないように、マミの動向に気をつけるつもりよ。

詳しい事は、また明日にしましょう」

 

ほむらは自分の食べた食料と、エイミーの猫缶を集め、指定のゴミ箱に入れる。

ちなみにルドガーがゴミ箱の蓋を開けた時には、中には黄色い箱がいくつも放り込まれていた。

これは捨て置けない事態だ、とルドガーは別の使命感を抱き始める。なんとか、ほむらにちゃんとした食生活をさせないと。

 

「布団を用意しておくわ。その間にシャワーを済ませてくれるかしら。あと…悪いけど、うちは男物の服なんて置いてないの。明日用立てるから、今日は我慢してちょうだい」

「ここまでしてもらって、贅沢は言わないよ」

 

それ以上気を遣われると、年上としての面目が立たなくなる。ルドガーは今更ながら、謙遜をした。

…異世界に飛ばされ、そこで約ひとまわり年下の少女に、衣食住の世話になる。その時点で既に面目などありもしないことを、ルドガーは忘れていたのだった。

 

 

 

4.

 

 

 

ルドガー・ウィル・クルスニクの朝は早い。

分史世界対策室長としてクランスピア社に勤めていた兄、ユリウスの為に朝食を作り、家事を受け持ち、クランスピア社のエージェントになる為に身体を鍛える。それが今までの日課だった。

入社試験に落ち(正確には落ちるよう仕組まれたのだが)、列車事故に巻き込まれ、多額の借金を背負い、得体の知れない仕事を始めても、染み付いた朝型人間のスタイルは抜けることはなかった。

布団を借りてちゃぶ台の横で眠りに就いたルドガーは、カーテンの隙間から射すかすかな朝日を浴びて、目を覚ます。

既に食材の目星はつけてあるし、台所の使用許可も取った。字は相変わらず読めないが、中身はほむらに訊いた。

ほむらの家には、なんだかんだで保存の効く食材がけっこうあるのだ。本人が無精してカロリーメイトしか食べないだけであって。

冒険している時は鍛錬の為にと、サイダー飯やクリーム牛丼なる奇天烈な食事ばかりを、仲間たちと摂っていた気もしなくはないが。

ルドガーはホールのトマト缶をひとつ手に取り、台所に立った。

 

 

それから数分して、ガラス戸の向こうから寝間着のほむらがやってくる。台所を通り抜け、洗面台へと向かうのだ。

 

「ふぁ…ルドガー…よければ、コーヒーを淹れてくれないかしら。粉なら引き出しの中にあるわ…」

 

非常に眠そうな顔で、ほむらはルドガーに要求する。どうやらほむらは、朝が苦手なようだった。

 

「ミルクと砂糖は?」

「いらないわ…」

「意外だな、ブラックか」

「ええ…甘いものは苦手なのよ…」

 

あの黄色い箱のビスケットは甘くないのか、ほむらよ。言いかけたが、ルドガーはまたも言葉を飲み込んだ。

 

 

 

ほむらが顔を洗って帰ってくる頃には、ちゃぶ台の上に料理が並んでいた。ルドガーの得意料理のひとつ、トマトソースパスタと、ブラックコーヒーだ。恐らく少食だろうと予想し、ほむらの分は少し小さめな皿に盛り付けてある。

 

「いい匂いね……これを、貴方が?」

「ああ。温かいうちに、食べてくれ」

 

2人はちゃぶ台の前に腰を下ろし、どちらともなくフォークを運び始めた。

 

「…………美味しいわね。まともな食事なんて、何年ぶりかしら」ほむらは、ぽつりと呟きを洩らした。

「そんなに…あのビスケットばかり食べ続けていたのか? 身体壊すぞ?」

「私は料理ができないのよ。…今後も、貴方が作ってくれれば、それは解消できると思うのだけど?」

 

ここにきて、初めてほむらは意地の悪そうな笑顔をニヤリ、とルドガーに見せた。

 

(なんだ、ちゃんと笑えるんじゃないか、この娘は)

 

ようやく、この世界で何をするかが決まったように思える。ほむらと協力し、呪いをこれ以上増やさないようにする。

そして…ほむらに健康的な食生活を取り戻させるんだ。

ルドガーは内心で、そう固く誓ったのだった。

 


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