誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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CHAPTER:6 罪科の証は何処へ
第19話「夢でも見てるみたい」


1.

 

 

 

 

世間で騒がれる、見滝原市内を襲った謎の異常気象によって街中の雰囲気は少し変化していた。

空からはテレビの取材であろうヘリコプターの旋回音が聞こえ、街の外を歩く人影もごくわずかである。

半壊した見滝原中学には早速工事の業者が立ち入り、重機を数台持ち込んで突貫での修復作業を行っている。

その様子を遠目から眺めていたさやかもまた、異常気象によって退院が延期になった上条恭介を迎えに行く途中であった。

その傍には若干のくせのある長い髪の少女、志筑仁美が並んでいる。休校となっている現在は、2人とも私服姿である。

 

「………学校は当分は無し、ですわね」

「まあねぇ…あれだけ壊れちゃったら危ないしね。つうか、何でうちの学校ガラス張りなんだか」

「和子先生が前に『うちの学校は最先端のモデルケースだから』とか言ってましたわ」

「モデルケースでこれじゃあ、どこも真似しようなんて思わないよね。…ってか、あたしは仁美がついて来るのが意外だったよ。あんた、恭介と絡みあったんだね」

「さやかさんほどではないですわ。…それに、お話ししたい事もありましたし」

「話ぃ? なになに?」

 

2人は現在見滝原総合病院へと向かっているのだが、学校の様子を直に確かめる為に敢えて直接バスには乗らずに集合し、徒歩でここへ立ち寄ったのだ。

しかしそれも済んだ事で、2人はようやく学校のすぐ近くにあるバス停まで向かう。

午前の10時ともあれば通勤通学の類の人影は既になく、主婦が買い出しに行くにしても些か早い時間だ。当然ながらバス停には誰一人として並んでおらず、ちょうど良くやって来たバスの中にも運転手以外の人間は2、3人しか乗っていない。

 

「……学校の中での騒ぎのことですわ。学校がめちゃくちゃになったのは、異常気象なんかのせいではありません。…私、見たんですの。不思議な格好をしたさやかさんを…いえ、さやかさんみたいな姿をした"何か"を」

「………やっぱり、見てたんだね」

「あれだけ大きな騒ぎになったんですもの。たぶん私以外にも何人か見ていると思いますわ。それだけではありませんわ。その"何か"を追いかけてく暁美さんの姿も見ましたの。………左腕が半分ありませんでしたわ。

あれは、いったい何が起こっていたんですか?」

「あー……ええと、うん……」

 

仁美の核心を突いた質問に対し、さやかは何と答えたらいいものか考えあぐねてしまう。

魔法少女と魔女の存在を話してしまったところで到底信じるとは思えないからだ。

バスに乗り込んだ2人は少ない人目を気にして、1番奥の座席に向かい並んで腰を下ろす。

 

「私、気になって暁美さんのあとを追いかけたんです。…でも、とても足が速くてすぐ置いて行かれましたわ。そうしたら渡り廊下の方からすごい音がして……そこに行ったら、さやかさんが2人いましたの」

「あんた、あの近くまで来てたの!? …何ともなかった?」

「ええ、私は平気でしたわ。少し離れていましたから。………学校を滅茶苦茶にした、あのもう1人のさやかさんは、誰なんですか?」

「うーん……まぁ、ワルい奴だよ」

「私は真面目に訊いてますのよ?」

「あたしだって真面目だよ。……ほむら達は、影でああいうのと戦ってんの。正義のヒーロー…なんてカッコつけるわけじゃなくて、本当に。ほら、これがその証」

 

さやかは前方の座席で手元を隠しながら、隣にいる仁美にだけ左手の指輪を見せた。

そのまま形状を変化させ、蒼碧に煌めく宝石を手のひらに乗せる。

 

「まぁー、あたしも昨日仲間入りしたばっかりだけど……これが"魔法少女"の証、ソウルジェムだよ」

「綺麗……ですわね。でもこれ、ただの宝石ではありませんの?」

「そ。これはあたしの命みたいなもん。あたしらはキュゥべえってやつと契約して、何でも願いを1つ叶えてもらう代わりに、悪い奴と戦う魔法少女になったの」

「冗談………ではありませんのね」

 

冗談や軽口は普段のさやかの得意とするところだ。だが昨日(さくじつ)の学校で、そして今目の前でこのような不可思議な現象を見せられた仁美は、いよいよ冗談などではない事を察した。

実のところ、当人に記憶がないだけで仁美自身もかつて魔女の口づけを受けた被害者であるのだが。

 

「よくわかりませんけど、その…さやかさんも、何か願い事をしたってことですか」

「まあ、ね。あたしのは大した事じゃないけど……やっぱり、みんなを守りたいって思ったからね」

「立派なことだと思いますわ。…私には、そんな勇気ないと思いますもの」

「立派だなんて、そんなぁ。大袈裟だっての」

「………その守りたい"みんな"の中には、上条くんも入っているんですよね」

「へ? 恭介? そりゃまあ……ね」

 

さやかの願いは"親友を死なせない"こと。呪霊術に侵されたまどかだけでなく、傷付いたほむらやマミをも願いの対象に含ませる為に咄嗟の機転で考えたものだ。

その"親友"の中には確かに、隣にいる仁美や恭介も含まれている可能性は十分にある。

事実、今のさやかにはそれだけ広範囲の規模の願いを叶えられる資質が備わっていた。

まどかがほむらの度重なる時間遡行によって因果を募らせ、莫大な資質を引き継ぎ続けたように、まどかほどではないにしろ、さやかもまた因果を背負っていたのだ。

 

「さやかさんは上条くんの事をどう思ってるのですか?」

「ふぇ!? な、なんでそんな事訊くのよあんた」

「上条くんが事故に遭ってから、ずっとお見舞いに行っていたんですよね。それに、今もこうして退院のお迎えに向かっている。…私は、さやかさんは上条くんの事をお慕いしていると思ったのですが」

「あぅ………そ、そういうあんたはどうなのよ」

「私は、好きですわ」

 

えっ!? と静かな車内にさやかの甲高い慄きが響き渡り、ごく僅かしかいない乗客の視線が集まる。

それに気付いたさやかは少々ばつが悪そうな顔をしてみせた。

 

「今日、さやかさんにお話ししたかったのはその事もあったのです。…私は、上条くんの事をお慕いしておりますわ」

「ちょ、ちょっと仁美…?」

「でも、さやかさんの方がずっと以前から上条くんの事をお慕いしていたのは気付いてました。だから、さやかさんが先に想いを伝えるべきだと思ったんです」

 

きっ、と普段にも増して真面目な仁美の視線を受けているさやかの脳裏には、かつてのほむらの行動がよぎっていた。

 

 

『───気が変わったわ。2人きりの方がいいでしょう』

 

 

今思えば、あの時ほむらが意図的に恭介と対面するようけしかけてきたのは、この事もあったのだろう、と。

 

(ほむら……あんたは全部わかってたんだね。仁美が恭介の事を好きだ、って事も。そして…たぶん"あっちのあたし"が魔女になったのも、そのせいなんだ)

 

だから、ほむらは仁美よりも先にさやかと恭介の仲を取り持とうとしたのだ。そう気付いても、今のさやかには仁美に返す言葉を思い浮かべる事は難しかった。

 

 

『───次は、見滝原2丁目。お降りの際は足元に注意して………』

 

無機質な声色の自動アナウンスが車内に響き渡る。ふと外をみれば晴れやかだった空はいつの間にか薄暗くなっており、ほんの微かな雨が降り始めているようだった。

 

 

 

それが、人魚の魔女の襲撃の翌日の事である。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

「うぅ…………」

 

晴れ上がった空の下、洒落た造りの建物の目の前でほむらは立ち尽くしていた。

適当にクローゼットからひったくって着た黒いシャツとスカートといういでたち、おまけに人魚の魔女に片側だけ切られた髪も合わさってその姿は異様に映る。

しかし当の本人は人の目など気にしてはいない。むしろ、建物の中に入るか否かで緊張して強張っているのだ。

 

「大丈夫? 暁美さん」と、隣で声をかけたのはマミだ。

「一応訊くけど、暁美さんが最後にこういうお店に来たのはどれくらい前なのかしら?」

「………憶えてないわ。もうずっと昔の事だもの。そうね…10年じゃあ効かないと思うわ」

「まるで浦島太郎ね…まぁ、あなたの場合は仕方がないけれど。さて、行くわよ」

「ま、待ちなさいマミ! …本当に、こんな所でいいの? もっと安いところなんていくらでもあるでしょう」

「ここ、私の行きつけなのよ。あなたがお金に困っているようには見えないけれど……それに、もし手持ちがないのなら支払いは持つから別に構わないわよ。あなたは命の恩人だものね」

「それには及ばないわ …お金なら、あるわよ」

「決まりね。入るわよ!」

 

言うとマミはわざわざ手の力を魔力で強化してまでほむらの腕をぐい、と引っ張り、目前の店の戸を開けた。

店内にはいくつもの姿見が並び、その姿見の前にはそれぞれ、やや華奢にみえる椅子が置かれている。

天井のスピーカーからは聞き慣れないポップな洋楽らしきものが流れており、化粧品や石鹸のほのかな香りが店内中に漂う。実のところここは、マミが昔から利用している美容院なのだ。

足を踏み入れるとすぐさま「いらっしゃいませー!」と、はつらつとした店員達の声が響き渡る。開店直後の店内には、まだスタッフしかいないようだった。

 

「いらっしゃい、マミちゃん」と第一に名指しで声をかけてきたのは、見た感じはまどかの母・詢子くらいの年齢に見える女性の美容師だ。

「朝イチで電話もらったけど、今日はお友達を連れてきたんだね?」

「ええ。この娘ったらお洒落に無頓着で…可愛いって自覚がまるでないんですよ」

「あー、いるよねそういう娘。うん、マミちゃんが言うくらいだ。確かに可愛い顔してるね」

「そういうわけで、今日はよろしくお願いしますね」

 

ぽん、とマミに軽く背中をつつかれてほむらは渋々と前に出る。ポーカーフェイスを装っているが、実際は緊張のあまり表情が堅くなっているだけだ。

 

「はい、じゃあこちらへどうぞ」美容師の女性に招かれるままに、ほむらはまずシャンプー用の椅子へと座らせられる。

長い上に梳いてもない為、一度きっちり流して髪を濡らさなければ櫛が捗らないのだろう。

マミはそれを見届けると雑誌をひとつ片手にさっさと客間の椅子へと戻っていってしまった。

促されるままに左耳のイヤリングを外し、ポケットの中にしまい込む。

 

『あ、安心して暁美さん』

 

と、いきなり脳内にマミからのテレパシーが流れ込んで来る。

『人魚の魔女に切られたとこに関しては、訊かないようにお願いしてあるから』

『そういう所には気が回るのね……というかあなた、私で遊んでないかしら?』

『あら、可愛い後輩の為にと思って連れてきたのだけど?』

『さっきから可愛い可愛いって……わけのわからない事を言わないでちょうだい』

『……本気で自覚がないのね。言っておくけど、あなたくらいの見た目で告白でもされたら、堕ちない男の子なんていないわよ?』

『お生憎様、私には既に恋人がいるのよ。それに男になんて興味はないわ』

『暁美さん、きっと女の子にもモテると思うけど……』

『…あなた、私をただの同性愛者だと思ってるんじゃあないかしら? まどか以外の女にも興味なんかないわよ』

『知ってるわよ、わざとよ。それより、注文しなくていいのかしら?』

『注文? ……ああ、忘れていたわ』

 

シャンプー台から起こされると、今度はいよいよ姿見の真正面へと座らせられた。

寝起きに顔を洗う時ですらロクに鏡を見ない始末なのに、こうしてまじまじと自分の顔を見る事になるのは、まどかに口紅を貰った翌日以来だ。

 

「今日は、どんなスタイルにする?」と、女性美容師が鏡越しに質問をしてきた。

無難にゆくならば歪に切られたところに合わせてもらうだけで済むのだが、折角マミが休みを推して(休校中ではあるが)ここまで連れて来たのだ。

それに、数年ぶりに髪型を変えるのも悪くないかもしれない、とさえほむらは考え始めた。

 

「そうですね……」

 

ヘアカタログなど手に取った事もないほむらは、身近にいる人間の髪型を脳裏に浮かべる。

まどかのような可愛らしいふたつ結び……は流石に自分のキャラではない。

杏子のような長い赤髪……そもそも、切られたから揃えにきたのであって、長さが足りていない。

マミやルドガーは言わずもがな。

 

(………あとは、さやかかしら)

 

さやかのような、快活さが目に見えるような、それでいて可愛らしくもあるショートヘアを思い浮かべる。

 

(まぁ…どうせすぐ伸びてくるわね)

 

あそこまでごっそり切ってしまうのには抵抗があるが、少しだけ。少しだけなら短くしてしまうのも良いかもしれない。そう思いほむらは、

 

「それじゃあ………ちょっと短くしてもらえますか」

 

と、大雑把なイメージで要望を告げた。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

見滝原総合病院前のターミナルでバスから降りたさやかと仁美は、ぽつりと小雨が降るなか、やけに静かなターミナルを真っ直ぐに抜けて病院内へと駆け足で入った。

 

「あーもう、今日は晴れなんじゃなかったの!?」と、外の天気の急な変わり様にさやかが悪態をつく。

「梅雨どきにしては少し早いと思いますわね。最近流行りのゲリラ豪雨というものでしょうか」

「げっ、まさか帰る頃には大雨とか? 勘弁してよぉー」

「まあまあ、早く上条くんの病室に行きましょう」

 

仁美に手を引かれるままにエントランスを抜けてエレベーターに乗り込み、4階のボタンを押す。扉が閉じると静かにエレベーターは上昇し始め、ものの数秒で目的の階へと到着した。

 

(あれ………?)

 

ふと、さやかは左手に填められたソウルジェムの指輪から違和感のようなものを感じた。

ほんのりと暖かい熱を持ち始め、刻まれた意味不明な刻印が点滅しているのだ。

 

(これ……なんかのサインなのかな?)

 

しかしソウルジェムの指輪の変化など仁美に話したところで通じるわけもない。魔法少女の事は同じ魔法少女に尋ねるべきだ。さやかは疑念を胸の内に秘めたまま、恭介のいる病室の戸を軽くノックした。

はい、と内部から返事が聞こえたのを確認してから2人は戸を開けて足を踏み入れると、ベッドの上で上半身を起こした恭介が意外そうな顔をして2人を見た。

 

「志筑さんとさやかが一緒に来てくれるなんて…珍しいね」

「やっほー恭介。もう退院の用意は済ませたの?」

「退院? ……さやか、悪い冗談はよしてくれないかい?」

「えっ? 冗談なんか………」

「まだしばらくは無理だよ。……この腕も、もう治らないって言われたんだ。さやかだって知ってるだろう?」

 

恭介は呆れた様子を隠そうともせず、包帯を巻かれた右手を2人に突きつけてみせる。

 

「どういうことなの…だって、良くなってるって言ってたじゃない」

「そんなわけないだろう? …ああ、そうか。今度は2人して僕をからかいに来たんだ。ご苦労様だね、さやか」

「違う! からかってなんか───」

 

さやかは恭介の言葉に反論しようとするが、それを仁美が隣から手を伸ばして止める。

 

「…なにか、様子がおかしいですわ」と、仁美は恭介に聞こえないよう小声でさやかに言う。

「下手に刺激しない方がいいかもしれませんわ」

「下手に…ったって…」

「2人で何こそこそ話してるんだい?」

 

見るからに苛立ちを募らせた恭介が、声色を暗くして問いかける。

 

「……もう、帰ってくれないかな。そして2度と来ないでくれ」

「恭介! 待って……」

「いいから、出てってくれよ! もうたくさんだ!!」

 

恭介はベッドの傍らにあるワゴンの上に積まれた、もうずっと使われてない様子のCDプレイヤーを左手で掴むと、それを不器用ながらもさやかの足元に向けて乱雑に投げつけた。

 

「きゃっ!? 恭介…!?」

 

ガシャン、と音を立ててCDプレイヤーは床に投げ捨てられると蓋がその衝撃で開いてしまい、中にあるディスクが外れてさらに吹き飛ぶ。

そのディスクはまさしく以前さやかが恭介の為に買い与えたものであった。

 

「………出ましょう、さやかさん」仁美はさやかとは相反して冷静を装い、さやかの手を掴んで背後の戸に手をかけた。

「待って仁美! 恭介と話させてよ!」

「……今はやめた方がいいですわ」

 

仁美は恭介に軽く一礼すると、さやかの腕を引いて病室を出てしまった。仁美が外から戸を閉めると、さらに何かが投げつけられたようで、戸に軽い衝撃音が走った。

 

「………どうなってんのよ。恭介、治るって言ってたのに……!」

「さやかさん……」

「仁美ぃ、あたしどうしたらいいの……? わけわかんないよぉ……うぇぇぇぇん……」

 

嗚咽を洩らすさやかに縋り付かれた仁美は、壁に寄りかかりながら優しくさやかの頭を撫でる。その仁美でさえも、目尻に涙をうっすらと浮かべていた。

 

「…ごめんなさい、私にもそれはわかりませんわ。今日はもう帰りましょう、さやかさん……」

 

こういう時、仁美は強いとさやかは思った。お嬢様に見えても芯はしっかりと通っており、決して弱さを見せようとしない。

あまつさえ、恭介に好意を抱いているにも拘らず抜け駆けを嫌って、わざわざさやかに打ち明けてしまう程なのだ。

 

「………うん。ごめんね、仁美ぃ……ぐすっ…」

「いいんですのよ。さ、行きましょう…」

 

さやかは俯いたまま仁美に続いてゆらゆらと歩を進め始め、もと来たエレベーターの中へと入っていった。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

やや古い内観のアパートの部屋も、カーテンを全開にして太陽の光を目一杯取り込めば見栄えも良くなるものだ。

時刻は午前11時。ルドガーは語学勉強も兼ねてテレビをつけてニュースを流しつつ、ちゃぶ台の上には久しく使っていないGHSを置き、精密ドライバーを片手に睨めっこをしていた。

「にゃーん」と、傍らには黒猫のエイミーが甘く鳴きながら皿に開けられたミルクを頬張っている。

 

「うーん…………」

 

家事全般は得意なものの、こういった機械いじりは正直なところ得意というわけではなかった。

"Jコード"なる、とある複雑な分割ファイルを拵えてしまうあたり、むしろ機械類はユリウスの方が得意としていたのだ。

なぜルドガーは着信のあるはずもないGHSを弄ろうとしているのかというと、こちらの世界に飛ばされてから鳴かずじまいだったGHSが、今朝になって突然着信音を立て始めたのだ。

ルドガーにとってはもはやその着信音は、度重なる借金の催促か分史世界への派遣依頼を告げる不幸の手紙のようなものであり、お気に入りの着信音の筈なのに軽快に野菜を刻む手も止まってしまう程、警戒心を煽り立てるものとなっていたのだ。

だが、いざGHSを手に取っても黒匣の出力が低下しているのか着信相手の表示がされず、応答しても酷いノイズが耳を打つだけで途切れてしまう。

そういった事が、3時間経つ現在までの間に5回も起きている。不審に思ったルドガーは黒匣を復調させるべく修理を考えたのだが、結局手をつけられずにいるのだ。

 

「やっぱりほむらが帰って来るまで待つか……」

 

お手製の時限爆弾を作ってしまうくらいだ。恐らくルドガーよりは機械いじりが得意であろうほむらは現在、留守にしている。朝早くからマミが訪れ、彼女の行きつけの美容院へとほむらを連れて行ってしまったのだ。

マミに言わせれば、人魚の魔女にばっつり切られたほむらの髪が気になって仕方がなかったようで、当の本人は微塵も気にも留めていないにも関わらず半ば強引に手を引いていったのだ。

実のところルドガーもそれを気にはしていたのだが、言えずじまいだった。

ほむらが出かけたのは9時半ごろ。そろそろ美容院も終わって帰って来る頃だろうか…と思っていると、

 

「…! まただ……」

 

ちゃぶ台の上のGHSが軽快なメロディを立てて着信を告げ始めた。一瞬悩んだが、すぐにルドガーはGHSを手に取り受話ボタンを押す。

しかしやはり耳を打つのは砂嵐のようなノイズ音だが、何か聞き取れないかと思いテレビを消して受話音に意識を集中させた。

 

『────、ー……6、───、─────』

「……えっ?」

 

確かに今、何か数字のようなものが聞き取れたような気がした。もう一度何か聞こえないかと耳を澄ますが通話はそれきりで途切れてしまい、それ以上聞き取る事は叶わなかった。

 

「いったい何なんだ……6って聞こえた気がしたけど」

 

突如として起きたこの謎の現象。鳴らない筈の電話は何を告げようとしているのだろうか。

少なくともロクな事ではないのだけは確かだろう、とルドガーは今までの経験から警戒心を緩めることはなかった。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

カーテンの隙間から緩やかに射す朝の日差しを受けて、さやかはゆっくりと目を覚ました。

比較的朝に強いさやかは、目覚まし時計をかけていなくとも自動的に起きれてしまうのだ。

とはいいつつも時計の針は7時54分を指しており、普段通りならば遅刻ギリギリの時間だが、休校中の身分である今は時間に縛られる云われはない。

 

「………はぁ、やる事ないなぁ…」

 

恐らく母親もそれを承知しており、わざわざ起こしに来る事もないだろう、とさやかは再びまどろみに浸ろうと布団に潜った。

昨日、恭介に手酷く嫌われた事が未だに心に突き刺さっていたのだ。何をしようにも気力など湧くはずもなかった。

直後、壁越しに大きな声が響き渡ってくる。

 

 

「さやかー!? いい加減遅刻するわよー!?」

 

 

その声は、さやかの母によるものだった。

今は休校中だ、きっと勘違いだろう。しかし耳に刺さった母の声に眠気を削がれたさやかは、渋々とベッドから這い出て「はーい!」と大きな声で返した。

三面鏡を見ながら前髪をいじり、ヘアピンを髪に留める。

キュゥべえとの契約による弊害なのか、愛用していたヘアピンは魔法少女姿の時の"fff"のデザインに変化したままになっていた。

これはこれで人魚の魔女と差別化を図れるのでアリだな、と当の本人は気に入っているのだが。

特に着替える必要性も感じなかったので、パジャマ姿のまま部屋を出る。しかしダイニングに着くと母が開口一番、「さやか、着替えなくていいの?」と問いかけてきた。

 

「お母さん、今学校工事中だよ?」

「工事って、なんの?」

「おとといの嵐のせいで、校舎が吹っ飛んじゃったじゃん。半月はかかるらしいよ」

「………さやか、寝ぼけてるのね。顔洗ってらっしゃい」

「え、えっ?? 寝ぼけてなんかないって!」

「だって、嵐なんかなかったわよ? 昨日ちょっと降ったくらいで、志筑さんのとこのお嬢ちゃんと遊んできたんでしょ?」

「ええっ!?」

 

ここに来て、ようやくさやかは何かがおかしい事に気付いた。どうにも母と自分で意見が食い違っているのだ。

 

「ちょっと着替えてくるわ……」

 

渋々と着替えに戻るフリをして、さやかは自分の部屋に戻り携帯電話をとる。

 

「ん……?」

 

今まさに電話をかけようとした相手から、既に着信が2件入っていた。さやかは着信履歴からその番号に電話を掛け直す。

 

「もしもし、仁美ぃ? おはよ」

『おはようございます、さやかさん。……ちょっと、妙なことがあったので』

「あー、あたしも。…今日学校だってお母さんが言ってるんだけど」

『私も同じでしたわ。それで気になって、先に学校へ電話をかけましたの。……和子先生が出て、"今日はいつも通りに授業がある"とおっしゃってましたわ』

「ちょ、それホントに…?」

『…とりあえず、学校で会いましょう。私はもう支度を終えましたわ』

「わかった、すぐ行く!」

 

通話を切るとさやかはパジャマをさっさと脱ぎ捨て、素肌を晒したままガサツにクローゼットから下着とブラウスを抜き取るが、そこでも異変に気付く。

 

「何これ……あたし、黒なんかつけないんだけど」

 

少々胸のサイズが大きくなり、ここ最近買い替えたばかりの補正下着の色が違うのだ。デザインは全く同じだが、さやかの記憶では買ったのは水色の補正下着の筈だった。

ましてや黒など自分の趣味とは程遠い。悪ふざけにしては出来過ぎている、とさやかは感じた。

 

「……仁美に話してみるか」

 

腹を括って人生で初めて黒の下着を身につけたさやかは、得も知れぬ羞恥心を軽く覚えながら水色のキャミソールを重ね着し、その後でブラウスに袖を通し、スカートに履き替える。

だが部屋を出る頃には羞恥心は薄れ、焦燥感へと変わっていた。

 

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

いくら思考したところでGHSにかけられた謎の通話の正体はわからず、ルドガーはお手上げ状態となっていた。

気晴らしにエイミーの額を撫でてやりながら武器の点検をしつつ、ほむらの帰りを待つだけだ。

テレビを再びつければもう間も無く、3分で料理を作るという謳い文句の番組が始まろうとしていた。

画面に映し出される料理はエレンピオスでは見かけないものながらも、本能的にルドガーの喉を刺激する。

 

「今夜はこれにしようかな………」

 

画面内の料理人の手つきに着目しながら、耳から入る食材や調味料の分量をエレンピオス語で素早く書き取ってゆく。

日本語の文字を読むのにはだいぶ慣れたものの、未だに日本語で書き記すのは難しいものがあるのだ。

 

「………よし」

 

番組の視聴を終えてペンを置き、再び武器の点検を始めようとすると『ピンポーン…』と、来客を告げる呼び鈴の音が部屋中に響いた。

誰だ? と疑問符を浮かべながら拭いていた2挺銃を隠し、玄関へと向かいドアスコープを覗いてみると、ドアの目の前に立っていたのは意外にもまどかだった。

すぐに鍵を開けて戸を開き、「どうしたんだ?」と尋ねかける。

 

「さっきほむらちゃんに電話したら、『出掛けてるから先に家で待ってて』って言われたんです。ちょっと変な事があったから相談したくて……」

「そうか…とりあえず上がってくれ。ご飯は食べてきたのか?」

「はい。お昼はもう済ませてきました」

「わかった」

 

特に代わり映えのないアパートのひと部屋へと招き入れてやる。ルドガーが積極的に台所を活用しているからこそ生活感が溢れてきたものの、そうでなければ相変わらず物静かな一室だ。

まどかの訪問を察知したエイミーは尻尾を振りながら可愛く鳴いて擦り寄ってゆく。その仕草にときめいたまどかはつい手を伸ばして背中を撫でながら、ちゃぶ台の前へと座った。

 

「気になることって、何があったんだ?」

 

ほむらに相談したいこととなれば、恋人同士の悩み…或いは、魔女や魔法少女絡みの事象だろう。前者ならば答えることは難しいが、後者ならばそれはほむらだけの問題ではなくなる。

 

「はい。実は今朝うちにさやかちゃんのお母さんから電話があって……さやかちゃん、昨日家に帰ってないみたいなんです」

「えっ、さやかが……? まさか…!」

「…そう思って、相談しに来たんです。もしかしたらまた魔女が何かしたんじゃないかって思って……」

「……ほむらもそろそろ帰ってくると思う。少し、待ってられるか?」

「はい、大丈夫です」

 

またしても魔女絡みの事件なのだろうか。人魚の魔女の示唆していた、影の魔女"エルザマリア"が既に活動を開始している可能性も十分にあり得るのだ。

もしさやかが1人でエルザマリアと交戦したとしたら、非常に危険だろう。ほむらでさえ理解の範疇を超えている時歪の因子化がある限り、もはや魔女とは魔法少女1人で簡単に勝てる相手ではなくなっているからだ。

かちゃん、と玄関から今度は鍵の開く音が聞こえてくる。家主がようやく帰宅したのだ。

 

「ただいま、ルドガー。まどかは来てるかしら?」ほむらは靴を脱ぎながら少し大きな声で玄関先から問いかける。

「来てるよ。おかえりほむら」

「おはよ、ほむらちゃ……! 髪、けっこう切ったんだね」

「ええ。たまには、と思って。……やっぱり似合わないかしら?」

 

すたすたと居間に上がりながら、恐る恐るまどかに感想を訊いてみる。ほむらの髪はさやかよりも長く、髪を下ろしたまどかよりもわずかに短めのミディアムロングに落ち着いており、艶やかな黒髪は重さがなくなった分、以前よりも動きがあるように見えた。

 

「てぃひひ、ちょっと意外だけどすっごく可愛いよ!」

「もう、あなたまでそんな事を……ありがとう、まどか」

 

同じ言葉をマミに言われても呆れるだけだったが、やはりまどかに言われるとなるとこうまで心持ちが違うものなのか、とほむらは感じた。

 

「…それで、話って何かしら?」

 

まどかの隣に腰を落ち着けたほむらは、改めてまどかに本題を尋ねる。

 

「うん。……さやかちゃんが、家に帰ってないんだって。もしかしたら…って思って」

「なんですって…!?」

「…ほむら。何か心当たりがあるのか?」と、一気に強張ったほむらの表情を察してルドガーが訊く。

「……前の時間軸のときの事よ。さやかは契約して少しあとに魔法少女の真実を知って、自暴自棄になったの。

確かその時は結局1度も家に帰らなかったみたいで………あとになって、魔女化して残った死体が発見されたのよ」

「そんな……死んじゃったの…?」と、まどかはその言葉に胸を傷めながら呟く。

「……でも、今のさやかはまだ契約して2日しか経ってないぞ?」

「ええ。だから、自暴自棄になったというわけではないでしょうね。…何かの事件に巻き込まれたと考えていいと思うわ。それこそ、魔女絡みかもしれない」

「ああ。マミ達も呼んで、みんなで探すか………ん?」

 

3人でちゃぶ台を囲みながらさやかの事について話し合っていると、またもGHSが謎の着信を告げ始めた。

軽快なメロディもいい加減うんざりしかけてきたが、ちょうどよくほむらが帰ってきていることだ。逆にタイミングが良かったのかもしれない。

 

「その携帯、まだ鳴ってたの?」

「ああ。もう5、6回は鳴ってるかな…相変わらず調子が悪いみたいで何を喋ってるのかわからないけど」

「貸してみなさい、診てあげるわ」

 

ほむらはエレンピオス語など全く知らないが、普段自分が使っている電話機とさして変わらないだろうと思い、適当に受話ボタンらしきものを押してみる。

通話口からは相変わらずの雑音が、耳を離していても聞こえてくるだけだ。

 

「……壊れてるのかしら。どれ」

 

GHSに向けて魔力を送り込み、機器の調整を試みる。時間停止以外に唯一使える、機械操作の魔法だ。

ほむらの魔力を受けたGHSの音声は次第にノイズが収まってゆく。

 

『──────たな───、───シタ。───9、───…………』

 

途切れ途切れだが、確かに誰かが何かを伝えようとしている風に聞こえた。だがまだ完全にではない。

そうこうしているうちに通話は切れてしまい、虚しく通知音だけが残った。

 

「…結局、わからずじまいか……」

「いいえ、録音には成功したわ」

「えっ!? ほ、本当か!?」

「ええ。ただ…使い方がわからないから、録音の再生はあなたに任せるわ」

「助かるよ! じゃあ、早速再生してみようか」

 

受話音量を最大にして全員に聞こえるようにし、ルドガーはGHS録音リストから最新のデータを呼び出した。

途切れ途切れだった通話音は、内部ではほむらの魔力で少し補正されたようで、ある程度クリアな状態で記録されていた。まさに、ほむらがいなければ録音などという真似はできなかっただろう。

そうして始まった録音の内容は、ルドガーの予想にもしてなかったものだった。

 

 

『──────ブンしたイサクしツノゔぇるでス』

 

 

なっ…!? とルドガーはその言葉に自身の耳を疑った。

通話口から聞こえたのは安っぽいボイスチェンジャーでもあてたかのような、抑揚の定まらない無機質な声で、誰のものなのかは判断できない。

しかしそれよりも重要なのは、その内容だ。

 

『──────あラタナブンしせかイがはッケんされマシタ。しンド9・9・9、偏サハ1・0・6。進にュウてンハミたキハラにチょウメ。繰リ返ェシマス、シン度9・9・9、へンサ1・0・6、──────』

 

ぶつり、と録音はそこで途切れた。

 

「………そんな、バカな…!」

「どうしたというの。…心当たりが、あるのかしら?」

 

その通話は、本来なら2度とかかってくるはずの無いものだ。通話を聞いて、明らかに動揺しているルドガーにほむらが問いかける。

 

 

「………分史対策室のヴェル」

「えっ…?」

「今の電話は、エレンピオスにいた頃にしょっちゅうかかってきてたよ。…こんな変な声じゃなかったけどな」

「つまりこの電話は、何を伝えようとしているのかしら?」

「分史世界の座標だよ。………考えられないけど、それしかない」

「分史世界? でもそれは、あなたの願いで消えたはずじゃなかったのかしら」

 

ほむらの言う通り、全ての分史世界は審判の門にて消し去られた筈だった。鼠算式に増え続けた分史世界は、もはやひとつひとつ壊していっても破壊が追いつかないからだ。なのにこの電話は分史世界の出現を告げている。

ルドガーの脳裏にはもうひとつ別の可能性が浮かんでいた。そもそもこの通話自体が何かの罠なのではないか、と。

 

「有り得ない事でも、他の可能性がないのならそれは真実に成り得る」

「………それは、何かの諺かしら」

「俺の友人の口癖だよ。……もしかしたら、罠かもしれない。人魚の魔女はやけに俺の事に詳しかったからな…こういう手の込んだ真似もするかもしれない」

「あなたを自分のテリトリーに誘おうとしている、と?」

「かもしれないな。もともと魔女と時歪の因子は何故かよく似ていたし、ひょっとしたら分史世界を生み出すこともできるのかも…けど、行くのは難しいな」

「どういう事かしら?」

「ええと………」

 

分史世界の仕組みを口頭だけで説明するのに無理を感じたルドガーは、料理のメモに用いた紙とペンを手にとって線を書いた。

線をいくつか縦横に書いたあとは数字を書き足してゆく。0、255、999、1.06……さながらに、簡易的なグラフのようなものだ。

 

「分史世界の座標は深度と偏差で決まるんだ。深度っていうのは、俺たちの今いる正史世界からどれだけ離れてるかを表してる。偏差は、正史世界と分史世界がどれだけ食い違っているかを示してる。

偏差が1.06ってことは、結構違ってる部分が多いと思う」

「食い違ってるって……例えば、どういう風にですか?」ルドガーのメモ書きに注視しながら、まどかも質問に加わる。

「そうだな……いるはずの人間がいない、とか、逆にある筈のないものが存在してるとか、形はいろいろだよ。

そして、分史世界の核となる時歪の因子は、その世界の中で一番偏差が大きいものに取り憑くんだ。

けど、偏差はそんなに大きな問題じゃない。厄介なのは深度の方なんだ」

「この255という数字が関係してるのかしら?」

「ああ。この"0"から"255"までの領域は"クロノス域"って呼ばれてる。分史世界は骸殻装者がいないと入れないけど、能力が強くないとあまり深くまで入れない。その潜れる限界がこの"クロノス域"なんだ。

クロノス域よりも下、深度256以下の分史世界は深すぎて骸殻を使っても入れないらしい。

…けど、今の電話は深度999って言っていた。そんなに深くにある分史世界になんて、まず行くのは無理だ」

 

ビズリー亡き今、実質上の"最強の骸殻能力者"となったルドガーであるが、今はその力の全てを出し切れていない。

しかし仮にフル骸殻を纏う事が出来たとしても、クロノス域は越えられないだろう。

 

「デタラメの可能性もあるんじゃないかしら? そもそも分史世界は、もう存在しないはずなのだから」

「だといいんだけどな……あとで、様子だけ見に行こうか。とりあえずマミ達を呼ぼう」

「私がテレパシーで呼ぶわ」

 

ほむらは念話を飛ばして、杏子とマミの両者にコンタクトを試みる。同時にさやかに向けても回線を開いていたのだが、やはりさやかからの返答はなかった。

 

「───マミ達には声をかけたわ。噴水広場で落ち合うことになったけど…」

「すぐ行こう。…まどか、来てもらってすぐで悪いけど、送っていくから今日はもう帰るんだ。さやかは俺達で必ず見つけ出す」

「…わかりました」

 

身を案じられたまどかは食い下がるような事は決してせず、大人しく返事を返した。

 

 

 

 

8.

 

 

 

少し湿った風の中、街路樹の並ぶ通りを駆け足で抜けてゆくと、バス通りに出たあたりでさやかは自分の目を疑うこととなった。

 

「うそ………学校、直ってる…?」

 

昨日病院へと向かう前に立ち寄った時は、確かに校舎はボロボロになっており、工事業者の車両が何台も連なっていた。

だが今見た限りでは校舎は傷一つなく、そういった車両も1台も見られず、そもそも工事自体が行われていない。

 

「お待ちしてましたわ、さやかさん」

 

正門の前で苦い顔をしながら仁美が待っていた。その姿を見つけるとさやかは一気に距離を詰める。

朝食をとってすぐに走ったために脇腹に軽い痛みが走るが、こっそりと治癒魔法を使い痛みを散らした。

 

「見ての通り、ですわね。一体何がどうなってるんでしょうか」

「あたしにもわかんないよ。…夢でも見てるみたい」

「とにかく、教室へ行きましょう」

 

並んで正門を抜けて、昇降口から校舎内へ入る。間も無く8時30分になろうとしており、刻限ギリギリでの登校となった。

ガラス張りの教室が並ぶなか、自分たちのクラスへと脇目も振らずに小走りで向かうと、遠目から教卓には既に担任の和子が立っているのが見えた。

 

「おはよーございまーす!」勢いよく戸を開けて、仁美共々教室へと入る。

「美樹さん、またギリギリですよ? 志筑さんは…珍しいですね」

「はい、申し訳ありません」

「まあいいですよ。ほら2人とも席へついてください。出席を取りますからね」

「はぁーい」

 

それぞれが自分の席について鞄を下ろすが、ふとさやかは教室内に違和感を感じた。見慣れたはずの顔が2つ、足りないのだ。

 

「あれ、まどかは………?」

「そういえば、いませんわね……というか、机自体がありませんわ」

「ほむらもいないじゃん……どうなってんのよ」

 

違和感は少しずつ形となって現れ始めていた。親友である2人の不在は、さやかだけでなく仁美にとっても見過ごせない事態だ。

それに加え、昨日の恭介の取り乱し様も今にしてみたら奇妙だと言える。何かが違う、とさやかは本能的に感じていた。

 

「はーいじゃあ出席取りますね。暁美さーん」「はいっ」

 

えっ、とさやかはその声に息を呑んだ。姿の見えなかったほむらの名を和子が呼び、誰かがそれに答えたのだ。

 

(……違う、今のは!)

 

間違いない。雰囲気こそ違えど、聞き慣れた親友の声を聞き違えるはずもない。和子の出席確認に答えたのは、紛れもなくほむらだったのだ。

クラスメイトの中沢の隣の席を見ると、その後ろ姿は、長い黒髪を三つ編みにしておさげをつくったしおらしいものだった。

 

「仁美、あれってまさか…!?」

「そのようですわね…あれは、暁美さんのようですわ」

 

和子に気付かれないように小声で会話を交わすが、2人の意見は一致していた。

 

「あれがほむら……? あれじゃあまるで別人だよ」

 

以前ほむらから聞かされた話では、魔法少女になる前までは心臓を患っており、入院生活の影響で勉強にも遅れ、体育の授業で目を回してしまうほどの虚弱体質だったという。

今まさに目前にいるほむらは、そのイメージの方がどこかしっくりくるのだ。

なかった事にされた雨嵐。治っていない恭介の腕。今ここにいない親友。

様々な要因、差異を振り返り、さやかはようやくひとつの結論へと辿り着こうとしていた。

だが今ひとつ何かが足りない。その足りない何かを探し出す事が、この不可解な現象の正体に繋がるのだろう、とさやかは感じていた。

 

 

 

 

 

 


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