誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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INTER EPISODE:1 それぞれの想い
第18話「ずっと一緒だ、って言ったよね」


1.

 

 

 

 

 

 

人魚の魔女との戦いから一夜開けた朝、どこからか漂う花のような香りと、腕に触れる暖かさを感じてルドガーは目を覚ました。

天井を見ると普段寝泊まりをしている住居に比べても大分高めであり、洒落た照明がかけられている。

 

「ここ、は……マミの家か…? うっ…」

 

頭が重く、起き上がろうにも力が入らない。傷自体はさやかの願いによって治癒されたようだが、人魚の魔女に手酷くやられた事で体力が根こそぎ持っていかれたようだ。

ともあれなぜ自分がマミの家に、しかもご丁寧に布団の上に寝かされているのか。状況を判断するべくルドガーはゆっくりと上体を起こして、少し呆けたまま辺りを見回した。

テーブルにはいくつかティーカップが置かれており、棚の上の電子時計を見れば既に11時を廻っている。遠目にあるソファーの上では杏子がぐったりした風に眠っているのが見える。

そして今自分の真隣に感じる暖かさ。見ないようにしていたがそういうわけにもいかないだろう、とついにルドガーはそこに視線を落とす。

 

 

「……ん、んぅ……」

「えっ」

 

 

そこにはこの家の主が、とても気持ち良さそうに和らかな顔をして眠っていた。

 

「………どうなってるんだ」

 

雨雲を祓って人魚の魔女を撃退し、気絶して遥か上空から真っ逆さまに落ちてきたほむらを救出したまでは憶えている。だがその時点でルドガー自身も倒れてしまい、それ以降の記憶がないのだ。

だが、ルドガーは以前はエルと寝食を共にした事もある。それとさして変わりないだろう、と"思う事にした"。少しどきり、としてしまったのも"気のせい"だ、と。

ほむらはどうなったのか。ルドガーがここにいるという事は、ほむらもまたこの家に運ばれている可能性が高いだろう。かけられた布団から這い出て立ち上がろうとするも、眠っているマミを起こすのはどうにも憚られた。

どうしたものかと思索していると、ルドガーの微かな動きを感じ取った杏子がすっ、と身体を起こしてこちらを見てきた。

普段は後ろに束ねた赤い髪も、今は解けてしまっている。

 

「杏子、起きてたのか?」

「いんや、寝てたよ。…アタシは物音に敏感なんだ」

「そうか……みんなは、どうしたんだ?」

「アンタが倒れた後、大変だったんだからな? マミとさやかとでぶっ倒れた3人をここまで運んできたんだ。

ほむらはマミのベッドでまどかと一緒に寝かされてるよ。さやかはキョースケとかいう奴に会うとかいって帰った。アンタはベッドが埋まってたからそこに寝かされてたってわけ」

「そうなのか……」

 

あの地獄のような戦いでなんとか全員が生きて戻る事ができた、それだけでもほとんど奇跡のように思える。

それだけ人魚の魔女は強大な存在だったのだ。それに、影の魔女"エルザマリア"も控えているというのだ。当分は身体が休まる暇などないだろう。

 

「………ん………あ、あれ……?」

 

不意に隣からマミの声が聞こえてきた。杏子とルドガーの話し声によって目が覚めたのだ。

瞼をこすりながら身体を起こして2人を見て、昨日の記憶を振り返っていた。

 

「………いつの間にか寝ちゃってたのね。ん、でもこの布団って……はっ!?」

「おう、起きたかマミ。アンタ、寝ぼけて間抜けっ面してその男に引っ付いてたぜ?」

「えっ!? な、何で起こしてくれないのよ佐倉さん! ああごめんなさいルドガーさん! 私ったらなんて……」

「そりゃあ、あんだけぐっすり気持ち良さそうに寝てりゃあ起こすのは悪りぃと思ってな? アンタも悪い気はしなかっただろ、ルドガー?」

 

と答えた杏子は底意地の悪そうな笑みを、赤面するマミに向けていた。

 

「そういう変なとこで気を利かせないで! …って、今何時!? 学校遅れちゃうわ!」

「馬鹿が、落ち着けよマミ。あんだけ学校がメチャクチャにされたら休みになるに決まってんだろ? 小卒のアタシにだってわかるぞ。テレビでもつけてみろよ」

「くっ、何も言い返せないのが悔しいわ……」

 

マミは悔しそうに眉間に皺を寄せながらリモコンをとり、大型の液晶テレビの電源を入れた。

ほむらの家にある、箱の魔女を彷彿とさせる旧式のテレビとは段違いの映像の細やかさにルドガーは息を呑んだ。

マミがまず廻したのは地方局のチャンネルのようで、画面の右上に031という数字が表示される。ちょうどキャスターが見滝原市で極地的に発生した異常気象について触れているところだった。

 

『……昨日発生した竜巻などの異常気象により、市立見滝原中学校など近隣の住宅が被害を受け……』

 

テレビの画面はあちこちが破壊されて荒れた見滝原中学の映像に切り替わる。異常気象対策に力を入れ、校舎の復旧を待って休校にするという旨を語っていた。

 

「ひどいものね………」

「ああ…まさか、結界の中じゃなくてあんな場所で戦いになるなんて…」

「仕方ないわ…あの魔女は強すぎだもの。正直、今のままじゃあ勝ち目がないわ」

「アタシも同感だ。…あのヤロウの魔法もそうだけど、回復が速すぎるのはどうしようもねえ。なんか考えねぇとな…」

 

それぞれが魔女に受けた傷痕を振り返り、苦い顔をする。マミや杏子の言うとおり更なる鍛錬と対策を練らないと、次に襲われた時は本当に絶望的だとルドガーも感じているのだ。

ニュースは天気予報のコーナーへと代わり、次の一週間の天気予想を解説し出す。それによるともう暫くは雨は降らないそうだが、それと共に昨日の雨は予報が外れたものだとも語っていた。

その原因はもはや深く考えずとも想像がつく。人魚の魔女が何かしらの方法で雨雲をこさえてみせたのだろう。

ワルプルギスの夜まで残された時間も消して多くはない。少なくともその前までには人魚の魔女も再び仕掛けて来るだろう。

 

「ほむらとまどかは昨日からずっと眠ってるのか?」

「いえ、鹿目さんは1度起きたわ。でも暁美さんを看病するって言って…自分だって死にかけたのに、あの娘ったら…… もしかしたら、また一緒に眠ってるかもしれないわね」

「ほむらはああなったら暫くは起きられないからな…少し、様子をみようか」

「部屋を見てみましょう。私も一緒に行くわ」

 

と、揃ってそそくさと同じ布団から出る2人を杏子がにやにやとしながら見てくる。

 

「お邪魔ムシは退散した方がいいかねぇ?」

「あら、お昼ご飯食べて行かないのかしら?」

「よせよ、アタシとアンタはもうそういう仲じゃないだろ?」

「なら、昔に戻ればいいのよ。それに食べ物は粗末にしちゃあいけないんじゃなかったかしら? 佐倉さんがいると思って昨日たくさん買い出ししたのに、食材が無駄になっちゃうわ」

「………わかったよ。おとなしくゴチになるよ」

「ふふっ…素直な娘は好きよ、佐倉さん。2人に声かけてきたら、すぐに作るわね」

 

リビングからマミに追従する形で寝室へと向かい、マミが先どってドアを開いて中を覗く。すると、マミの表情にわずかな困惑の色が見て取れた。

 

「マミさぁん……」と、部屋の中からまどかの声が小さく聞こえてくる。

「どうしたのかしら?」と答えながらマミも部屋の中へ入っていった。ほむらよりも先にまどかが目を覚ましたようだ。

 

「うぇひひ、ほむらちゃんが離してくれなくて……」

「あらあら、鹿目さんにしっかり抱きついてるわね。ふふっ、こうしていると暁美さんすごく可愛いのね?」

 

マミがベッドを見ると、ほむらはとてもリラックスした表情でまどかに抱きついて眠っていた。

その様子をルドガーは見てはいないのだが、少なくとも家で寝込んでいる時よりは状態が良さそうだと感じ取った。

何しろ、以前寝込んでいた時はリラックスどころかうなされていた程なのだから。

 

「起こすのも悪いかなぁ、って思ったんですけど…疲れてるみたいですし…昨日も、私がついててないとうなされてたんですよ」

「そうねぇ…でも、鹿目さんもお腹が空いたでしょう。今からお昼ご飯作ろうと思って声をかけに来たのだけど…どうしましょうか」

「…先に食べててもいいですよ? ほむらちゃんが起きたらすぐ行きます」

「うん、わかったわ。作り置きになってしまうけど、すぐに食べられるようにしておくわね」

「あ、ありがとうございます」

 

ぱたん、と扉を閉めてリビングへと戻ると、杏子が勝手にチャンネルを変えて料理番組を眺めているところだった。

腹を空かせているのだろうか。それでも全く催促をしてこないあたり、未だマミに気を遣っているのだろう。

 

「それ、作ってあげましょうか?」とマミはテレビを眺める杏子に尋ねた。

「アタシはなんでもいいけど、作れんのか?」

「できなくはないと思うわよ。独り暮らしが長いと、料理ぐらいしか楽しみがないもの」

「…これ、水炊きだぞ。ホントに作んのか?」杏子は怪訝な顔をして再確認する。

「いいじゃない、昨日の雨で身体冷えてるでしょ? それに、私だってたまには賑やかに食事したいのよ」

「独りぼっちは寂しいもんな?」

「あなたがいるから、寂しくなんかないわよ」

「へっ、言ってくれるぜ」

 

言いながらマミはエプロンを手にとって台所へ向かい、冷蔵庫の中からあれやこれやと材料を取り出し、炊飯釜に米を計り入れてゆく。

手慣れた風に米を研ぎ洗うその姿は、中学3年生とは思えない手つきの良さであり、ルドガーもまた自身の幼少期を懐かしんでしまうほどだ。

 

「俺も何か手伝おうか?」

「じゃあ、食器を並べてもらおうかしら。久しぶりに土鍋を使うから少し時間がかかるけど……人数が多いものね」

「わかった。まどか達の分も用意しておくよ」

 

ルドガーは食器棚に向かい、小鉢と茶碗を選んで取り出してゆく。棚の中に食器が3人分ずつあることから、元々は家族とここで暮らしていた事がわかる。

5人分ともなると食器を統一するには足りず、いくつかバラけてしまうのは仕方ないだろう。

杏子は杏子で律儀にテーブルの上を整理して、食器や鍋を置く用意を進めていた。

どこからかガスコンロを出していたあたり、杏子もまたマミの家の中に詳しいようだ。

米を仕掛け終わると今度は手早く野菜を刻んでゆく。既に電子調理器の上では粉末のガラスープを溶かした水が張られた土鍋が熱せられており、もう間も無く煮込みに入るところだ。

 

「あとは平気だから、適当にくつろいでてちょうだい」

「ああ、ありがとう」

 

杏子は既に再びチャンネルの物色に戻っており、今度は昼のワイドショーに注目していた。ルドガーも机の前に腰掛けて一緒に眺める。

遅れて、土鍋を仕込んでキッチンタイマーをかけたマミが机まで戻ってきた。

 

「あともう少し煮込んだら持ってこれるわ」

「鍋は俺が持ってくよ。重いだろ?」

「ふふ、ありがとうルドガーさん」

「オマエらホントに仲良いな? 実はデキてんじゃねぇのか?」と、杏子が頬杖をつきながら2人にちょっかいをかけてきた、

「まだ言うのかしら、佐倉さん。ルドガーさんはどちらかというと…そうね、兄さんってとこかしらね」

「ブラコンかよ?」

「いいでしょ別に。…私、他に家族いないんだから。あなただって…」

「アタシのは自業自得だ。うまい話に乗せられただけの事だよ。…アンタとは、違うんだ」

「佐倉さん……」

 

マミの心の中には迷いがあった。ひとりの魔法少女の死によって知らしめられた魔法少女の真実。まだ杏子はそれを識らないのだ。

杏子なら自分のように取り乱したり、生きる意味を見失ったりなどはしないだろうとも思える。だが、魔法少女である前にひとりの少女なのだ。

杏子が魔法少女になったことで何を手にいれたか…そして、何を失ったのかをマミは知っている。だからこそ迷うのだ。

けれど、これから先の敵に向き合う為には知らなければならないのもまた事実だ。

 

「……そういえばさ」と、杏子が話題を変えようと口を開いた。

「暁美ほむらと鹿目まどか…アイツらって…まさかデキてんのか?」

「えっ、急にどうしたの佐倉さん」

「いや…その、昨日ほむらが自分の腕持って駆けつけてきたじゃん。それ見てブルっちまったまどかにキスしてたからさぁ。

ほむらもまどかの事は特別大事にしてるみてぇだし…でも、アイツら女同士だよなぁ…?」

「世の中にはいろんな愛の形があるのよ。佐倉さんにはまだ早かったかしらね?」

「ばっ、バカにすんなよな! そりゃあアタシは、そういうのはよくわかんねえけどよ…でも、アイツらが付き合ってるっつうんなら1コだけ納得がいかねえ事があってよ」

「納得がいかない? 何がだ?」

 

と、ルドガーも杏子の言い回しに疑問符を浮かべた。

 

「ルドガー、アンタはもう知ってんだろうけどよ…アタシはほむらに協力を頼まれたんだ」

「ああ。ワルプルギスの夜を倒すまで、だろ?」

「そ。その時にほむらが出した条件がさ、未使用で、そこそこでかいグリーフシードひとつと…ワルプルギスを倒したら街を出て行くって話だ」

「………待って、佐倉さん。街を…ってどういう意味?」

「マミならわかんだろ。同じ街に魔法少女は3人も要らない。だから自分は用が済んだら消える、そう言う意味だ。

…言っとくけど、アイツから言い出したんだからな。ワルプルギスのグリーフシードもいらねぇって言ってたんだぜ?

けどよ…それってつまり恋人の前から消えるっつう事だろ。恋人泣かせるような真似を、なんで自分から言い出したんだかねぇ……」

「……ほむら、そんなことを…」

 

マミにはその提案の意味を理解するには至らなかったが、ルドガーにはその意味がわかった。

以前聞かされた話だ。ほむらの時間停止はワルプルギスの夜を過ぎると使えなくなってしまう。そうなれば気休め程度の重火器しか持たない凡以下の魔法少女に成り下がってしまうのだという。

そんな状態で魔女を狩り続け、仲間と富を分かち合いながら延命する事は困難を極めるだろう。

仮に黒翼があるとしても、未だ制御もできない危険な力をほむらが進んで使うとは思えない。

それに、ほむらの目的は究極的には"まどかしか倒せないワルプルギスの夜を代わりに倒し、まどかを契約させずに救う"事だ。それさえ済めば自分は用無しだ、と考えているかもしれない。

時間停止を失えば待っているのは遅からぬ戦死、或いは浄化不足による魔女化だろう。ほむらがワルプルギスの夜を倒したのちに何をしようとするか、杏子の言葉でルドガーはそこまで理解してしまったのだ。

 

「………まさか、な…」

 

だが、その可能性は認めたくはなかった。

それに、今のほむらには魔法少女の負の連鎖が当てはまるかどうかも怪しいのだ。

今のほむらのソウルジェムは穢れの浄化を必要としない謎の物質へと変化しているのだから。

 

「アンタは聞いてなかったのかよ、ルドガー」

「ああ…まさか、そんな条件を出していたなんてな。…なあ、杏子。どうしてもその条件じゃなきゃダメか…?」

「いんや別に。もともと昨日の時点で食い扶持が1人分増えてんだからよ、3人も4人も大して変わんねえだろ。

第一、アタシはそこまで人でなしになったつもりはねえんだけどなぁ?」

「佐倉さん………」

 

それが大事だから問題なのよ、と。マミは喉元まで言いかかったが堪えた。

魔法少女の真実を打ち明けるのならばほむらも同席していた方が良い。今はまだその時ではない。

それに、ここにいる誰もがあの2人を引き裂くなどという事は望まなかった。マミやルドガーはともかくとして、杏子もだ。

 

「…鍋、仕上げちゃうわね」と、マミは不穏な空気に耐えかねて席を立ち、ルドガーも鍋を運ぶ為に台所へついていった。

いつだってそうだ。ほむらはまどかの為なら何だって犠牲にしようとしてしまう。のみならず、自分自身の存在すらも平気で懸けてしまうのだ。

それがまどかを一番悲しませることだとも知らずに。或いは気づかないふりをしてか。

 

「杏子、マミ………この話は、まどかには内緒にしててくれないか」

 

ルドガーの懇願に、2人の少女達は二つ返事で了承を返した。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

柔らかく、どこか懐かしい気がする温もりに包まれてほむらの意識は緩やかに目覚めへと向かい始める。

鼻孔をくすぐる甘い香りに、耳を澄ませば心地良く、それでいて心なしか忙しない鼓動が聴こえる。

さらさら、と自身の長い髪が撫でられているのに気づきゆっくりと瞼を開くと、目の前には向日葵(ひまわり)色の寝間着を纏ったまどかがいた。

 

「……えっ……まど、か……?」

「てぃひひ、おはようほむらちゃん」

「……お、おはよう……私、どうして……?」

 

改めて自身の格好を振り返ると、ほむらも自分のものではない寝間着に着替えさせられており、まどかの胸元に顔を埋めるようにして眠っていた事に気付いた。

瞬間、肌に触れていた妙に柔らかな感触の正体を察して一気に頬が紅潮する。

 

「ごっ…ごめんなさい! 私、なんて格好で…」

「気にしないでよ。その…ちょっと恥ずかしいけど、赤ちゃんみたいですごく可愛かったなって…な、何言ってんだろ私…」

「あうぅ……自分が情けないわ……」

「でも、私もほむらちゃんの事ぎゅってして寝てたみたいだからおあいこかな?

ほ、ほら私いつも抱き枕して寝てるから」

「そういえば、そうだったわね……」

 

どちらともなくベッドから起き上がり、ほむらはまず自分の着ていた制服を探す。ブレザーはまどかのものと一緒にハンガーにかけられていたが、ブラウスが見当たらないことに気付いた。

着替えさせられているあたり、恐らくマミが洗濯でもしてくれているのだろうと考える。

 

「さっき、マミさんが呼びに来たんだ。ご飯作ってくれてるみたい」

「マミが…? 起こしてくれてもよかったのに」

「でも、ほむらちゃんすごく疲れてたみたいだから…前も、あの羽根出した後はしばらく起きなかったし」

「ええ…最初の時は確か2日くらい寝込んでたわね。でも、私の事なんて置いて先に行っても…」

「…あのね、ほむらちゃん。私が大事な彼女を置いて行くような娘に、見えるのかな…?」

「か、かの…っ!? い、いえ…ごめんなさい。心配してくれてたのね……」

「そうだよ? もう……」

 

互いに照れながらいそいそとベッドの布団を整える。食事の用意ができているというなら、すぐにリビングへと向かうべきだろう。

ご飯にしよう、とまどかは言いかけるが、急にほむらがまどかの両腕を掴み、ぐいっと抱き寄せた。

 

「わっ…ほ、ほむらちゃん…?」

「………ごめんなさい、まどか。私のせいであなたを危険な目に遭わせてしまったわ」

「そんな…ほむらちゃんのせいじゃないよ」

「ううん……私が弱いからよ。まどかだけじゃない、さやかだって………

私がもっと強ければそんな事にはならなかったのに……っ、ごめ……なさ…」

 

最後の方は声が掠れて殆ど聞き取れなかった。だが、自分を責めながら、危うく失いかけたまどかの温もりに縋り付くその姿は、まどかからしたらどこか痛々しいものがあった。

 

(……一番傷ついているのはほむらちゃんなのに)

 

そう思いながらも口には出さず、代わりにその細い身体を強く抱き返す。

ほむらを寝間着に着替えさせたのはまどかだ。一度切断された左腕はマミによって繋げられたものの、その部分だけ真新しい皮膚の色をしており、周囲とのコントラストによって逆に傷の生々しさを物語っている。

それ以外にも薔薇園の魔女には全身の骨を砕かれ、箱の魔女には幻覚を視せられて絶望の淵に追いやられもした。

その姿をまどかは見ていた。だが何もできなかったのだ。

 

『───あなたに何ができるっていうの!! 殺されるわよ!?』

 

昨日のマミの言葉は、まどかの胸に深く突き刺さっていた。もちろん、マミは責め立てるつもりで言ったのではないとわかっている。あくまでまどかは普通の人間なのだから、と。

 

「ほむらちゃん……顔、上げて?」

「うん………んっ…」

 

まどかにできるのは、ほむらの寂しさ、弱さを全て受け入れること。優しく抱き締めて、互いの感情を確かめ合うように唇を交わすことだけだった。

触れ合うよりも先を知らない2人は、親鳥に餌をねだる雛のようにただ互いを求め合う。

 

「………まど、かぁ………っ…すき………」

「……私も、大好きだよ。だから泣かないで…ね?」

「うん……」

 

互いに弱さばかりを嘆いていても先へは進めない。まどかはまどかなりに、ほむらにしてあげられる最大限の事を果たそうと、あの花畑で誓ったのだ。

けれど、"所詮はその程度の事しかしてあげられない"と、まどかの中で罪悪感にも似たコンプレックスが募り始めていた。

 

「…ご飯、食べに行こ?」

 

それを悟られないように、まどかは指で優しく涙を拭いとってやり、努めて笑顔をしてみせた。

 

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

 

2人がリビングへと向かうと既にガラステーブルの上には料理の支度がされており、ちょうどマミが茶碗に米をよそっているところだった。

 

「おはようございます、マミさん」と、まどかから挨拶を交わす。

「おはよう鹿目さん、暁美さん。歯ブラシ買ってあるから、先に顔を洗ってらっしゃい。化粧水は…とりあえず私のを貸すわ」

「わかりました」

 

マミに促され、2人は揃って洗面所へと向かう。食事を前に声をかけに行こうとした杏子は、面倒が省けたといった顔をしつつその様子を見ていた。

 

「なぁんかアイツ、初対面の時と印象違くねぇか?」

「それは、暁美さんのこと?」マミは杏子に茶碗を差し出しつつ尋ねる。

「どっちもだよ。ほむらはどっか落ち込んでるみてえだし、まどかは逆に張り切ってるっていうか…まあ、どっちも"らしくない"って感じか?」

「あなたは昔から人を見る目はあるものね。私も、なんとなくだけどそんな気がしたわ」

「ホントかよ、褒めてもなんも出ねぇぞ?」

「これでも、あなたの事はよくわかってるつもりよ? はい、ルドガーさん」

「ありがとう、マミ」

 

遅れてやって来た2人の分の茶碗にも米を注ぎ、配膳を終えたあたりで洗面所から2人が戻って来る。

ほむらはテーブルの中央を見て、全員の顔を一瞥して、またもテーブルの中央を見て呆れたように口を開いた。

 

「………どうして鍋なのかしら」

「佐倉さんが食べたがってたのよ。それに昨日は雨で冷えたし……」

「おいマミ、アンタの方がノリノリだったじゃねえか。アタシひとりのせいにすんじゃねえぞ」

「まあそういう事だから食べてちょうだい、2人とも」

「無視かよ! ったく……」

「ありがとうマミ、いただきます」

 

直角三角形の形をしたテーブルの空いた辺に沿って、まどかとほむらは隣り合わせに腰を下ろす。

向かいにはマミと杏子が並んで座り、残る辺にルドガーが位置するかたちだ。

いただきます、と皆が揃ってから思い思いに鍋から具を拾ってゆく。鶏肉もそうだが、ほむらはあまり肉を食べないとルドガーから聞かされたマミによって野菜も多めに投入されており、案の定ほむらは野菜ばかりを中心に採っている。

 

「お口に合うかしら?」

「ええ、とても。相変わらず料理が上手いのね」

「ん? アンタ、マミの料理食ったことあんのか」と、鶏肉にかぶりつきながら杏子が訊く。

「……そうね、"この世界では"初めてかしらね」

「この世界? どういう意味だよ」

「私はこの世界の人間じゃないのよ。そこのルドガーもね」

「……ほむらちゃん、いいの? 話しちゃって」

「構わないわ、これから一緒に戦ってもらうんだもの。…大丈夫、杏子は信頼できるわ」

「……アンタ、こないだから随分とアタシの事に詳しいみてぇだな」

「それについても説明するわ。ただ…気分のいい話じゃないから、食べてからにしましょう?」

「そーかい。…ま、とっとと食っちまうか」

 

 

普通の日常を捨て去った少女達にとって、こうして大勢でテーブルを囲む食事は遠く久しかったものだ。

せめて、この貴重な"日常らしい"時間は大切にしたい。言葉に出さずとも、それぞれがそう思っていたのだ。

例外はただひとり、ひとりの少女の願いによって"日常"へと留められたままのまどかだけだ。

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

ひとときの団欒のなかの食事も終え、料理人2人は共にキッチンで後片付けをし始め、リビングにはほむら、まどか、杏子の3人が残る。

 

「最初は…そうね、私のことから話そうかしら」

「アンタ、確かワルプルギスの夜を倒すとか言ってたよな」

「ええ、そうよ。私はワルプルギスを倒す為に、4月の始まりからずっと同じ1か月を繰り返し続けてるの」

「……は? 繰り返し、って…」

「私の能力は時間を止める事と、ワルプルギスが過ぎた後はそれが出来なくなる代わりに、時間を遡る事ができるの」

「………なるほどねぇ、だからアタシらの事も識ってるってか」

 

杏子にとっては初めて聞く話であり、隣に座るまどかも詳しく聞くのは初めてになる。

2人の表情はいつになく真剣そのものへと変わっていた。

 

「そうよ。…ワルプルギスの夜は強大な存在なの。何度戦っても、アイツに勝つ事はできなかったわ」

「1度もか? アンタ、どんだけ繰り返してきてんだ?」

 

その質問は、過去に何度もされた事があるものだが、はっきりとした回数などもうわかるはずもなかった。

ただ体感では恐らく、もとの自分の人生よりも長く同じ時を彷徨っているのだろうと感じているだけだ。

以前箱の魔女に視せられた、"鹿目まどかの幻影"を思い出せば、その数は100は軽く超えているように思える。

つまりは、それだけ繰り返してきたという事なのだろうか、とほむらは考え、その上で答える。

 

 

「…さあ、数えるのなんかとっくにやめてしまったわ。見た目通りの歳ではない事は確かかしらね。…何度かなら、勝てた事はあるわ。ただし、ひとりの魔法少女の犠牲によってね」

「………なんとなくわかったよ。その魔法少女ってのは…"まどか"だな?」

「ええ。まどかが契約すればワルプルギスの夜さえも1撃で倒せる程の強力な魔法少女になるわ。…だけど、それじゃあダメなのよ。

私の目的はワルプルギスの夜を倒す事と…まどかを守ること。まどかは魔法少女になれば、例外なく死ぬわ」

「何でだよ? ワルプルギスを1撃でやれるんなら、治癒魔法だって強力なんだろ?」

「………その理由のひとつに、ソウルジェムが関わってくるのよ。あなたは、どうしてソウルジェムが濁るのか…濁り切った時にどうなってしまうのか、考えた事はあるかしら?」

「まあな。ソウルジェム…"魂の宝石"っていうくらいだ。コレがイカれたらヤベェって事ぐらいはな…」

「…そう、その通りよ。コレは私たち魔法少女の命そのもの。キュゥべえとの契約によって私たちの魂はこのソウルジェムへと変換される。

ソウルジェムの破壊は、魂の破壊と同じなのよ」

「……マジで、これがアタシらの命だってのか。何となくそんな気はしてたけどよ…イマイチ実感が湧かねえな」

「証明したいのなら、私のソウルジェムを持って100メートルほど離れてみればいいわ。それだけ離れれば肉体とのリンクが切れて仮死状態になるわ」

「……いや、いい。アンタが嘘言ってねえ事ぐらいわかるよ」

 

自分のソウルジェムを貸す、という提案の中に杏子はほむらの本気を垣間見た。ほむらはそうまでして杏子に信頼してもらおうとしているのだ、と。

 

「で、濁るとどうなんだよ」

「昨日の人魚の魔女、見たでしょう? あれは私が見てきた美樹さやかの成れの果てと同じものなのよ。キュゥべえは他の時間軸のさやかだと言っていたけれど」

「………おい、成れの果てってなんだよ」

「ソウルジェムが完全に濁ると、グリーフシードへと変化する。魔法少女は、魔女へと変わってしまうのよ」

「……オマエ、それマジで言ってんのかよ!?」

「ええ、そうよ。ついこの前もひとりの魔法少女が魔女になって倒されたわ。それだけじゃないわ。さやかの姿をしたあの人魚の魔女を見て、何も感じなかったかしら?」

「そんな…わけわかんねぇよ……アタシらは、キュゥべえに騙されてたのかよ!?」

「ヤツは遠回しに甘い言葉しか吐かないわ。キュゥべえ…インキュベーターの目的は魔法少女が魔女へと変わる時に発生するエネルギーだけなのよ。あなたも、私も、ヤツからしたらそれだけの価値しかないのよ」

「ヤロウ………ふざけやがって!!」

 

杏子は怒りに任せてテーブルを叩こうとしたが、それがガラスでできている事を思い出して拳を堪える。

ほむらはあくまで冷静を装い、まどかはそんな杏子を目の当たりにして、何を言えばいいのかわからずに手をこまねくだけだ。

 

「佐倉さん、落ち着いて」洗い物を終えたマミが、ルドガーと共にティーセットを手にキッチンから戻ってきた。

 

「気分が落ち着く紅茶を淹れたわ。よかったら、召し上がってちょうだい」

「…悪りぃなマミ。アンタが落ち込んでた理由、わかったよ」

「ええ…辛いけれど、魔法少女になったからには現実と向き合うしかないわ」

「アンタ、ホント強いよ。腑抜けたなんて言って悪かった」

「いいのよ。それに私は、契約しなかったら死んでいたもの。私の願いはただそれだけ。

誰かを守ろうとして契約した、他のみんなの方がずっと強いわよ」

「………なあ、マミ。あのさやかって奴は識ってて契約したんだよな?」

「…そうよ」

「……だっせぇなぁ。覚悟がどうとか言っちまったけど、アタシなんかよりずっと腹が据わってたってことか…」

「……あなたも、頑張ってるわよ」

 

改めてマミは杏子の隣に座り、優しく頭を撫でてやる。下ろした髪はほむらとほぼ同じ長さであるが、少し艶を失っているように感じた。

 

「………ほむら、アンタもアタシなんかよりもずっと辛い思いしてきたんだろ」

「私は好きでやってるからいいのよ。まどかを守る為なら、私は何でもするわ」

「強がんなよ、さっきから手ェ震えてんだよアンタ」

「…!」

 

杏子の視線の先には、ガラスのテーブル越しに透けて見えたほむらの白い手があった。

それを包み込むように、横からまどかがそっと手を添えているのだ。

 

「ったく、どいつもこいつもお人好しばっかだなぁ…アタシはそういうのが大っ嫌いだって、知ってんだろ? …どうせろくな事にならねぇのをイヤってほど知ってんだからさ。ほむら…アンタは馬鹿だ、大馬鹿だよ。まどかの為なら自分だってどうなっちまったっていいって思ってる…違うかい?」

「…否定はしないわ」

「だろうねぇ……何せ、ワルプルギスを倒したら街から出て行く、だなんて話を持ちかけて来るくらいだ」

「佐倉さん!? その話は…!」

 

なぜ、といった面持ちでマミが杏子に問いただす。まどかが傷付いてしまうからその話はしない、と先程言ったばかりではないか、と。

しかしルドガーは何も言わずに杏子の意図を読み、汲み取ろうとする。

敢えてそれを言ってしまう事で、ほむらの"逃げ場"をなくしてしまおうとしているのだ。

 

「…どういうことなの、ほむらちゃん」

 

案の定、杏子の言葉を受けたまどかが血の気の引いた顔をしてほむらに尋ねる。

 

「そんな約束してただなんて、私聞いてないよ! なんで…? ずっと一緒だ、って言ったよね!?」

「……ごめんなさい」

「謝らないでよ…ちゃんと答えてよ!! あの時"優しくしないで"って言ったのはそういうことだったの!? ねぇ、なんで………!?」

「……私が、魔法少女だからよ」

「そういう事だぜ、まどか」

 

煮え切らない態度のほむらに痺れを切らし、杏子が横槍を入れる。少し冷め始めたマミの紅茶を一気にあおり、その仄かな苦味で自らの頭を冷やして自身を律した。

 

「佐倉さん! それ以上は………」

「マミ、少し待ってくれないか」

「えっ…?」

「杏子に任せてやってくれ」

 

杏子を諌めようとしたマミを、ルドガーが止める。杏子の言わんとしている言葉は、ほむらにとって必要なものであると考えたからだ。

 

「どーも、ルドガー。…魔法少女は魔女になる。アンタの目的はワルプルギスを倒す事。ワルプルギスを倒せば時間を止められなくなる。この3つを合わせてやっとわかったんだよ、アンタがなぜ街を出るって言ったのかをね。

ほむら、アンタ……ワルプルギスを倒したら死ぬ気だな?」

「えっ……何言ってるの、杏子…ちゃん」

「簡単な話だろ、まどか。コイツはアンタを守る為なら何でもするって言ったんだ。魔女になればアンタに迷惑をかけちまう。何より、アンタは一般人だからねぇ…違うかい、ほむら?」

「…………否定は、しないわ」

「またそれかよ。アンタがそうやって煮え切らねえ態度を取るから、まどかだって不安になっちまってんじゃねえかよ。なぁまどか。アンタはどうしたい? このままだとほむらはいなくなっちまうぜ?」

 

杏子の少し挑発的な言い回しは、確かにまどかの不安を煽るのに一役買っていた。自ずと、まどかの答えはひとつへと絞られてゆく。

 

「私……イヤだよ、ほむらちゃんと離れたくないよ…! お願いだよ杏子ちゃん! ほむらちゃんを、街にいさせてよ……!」

「それはほむらの勝手だぜ。だいたいアタシは、そんな条件くれなくてもグリーフシードをいただけただけで腹一杯なんだ。でもまあ、ほむらは最初からそのつもりだったんだろうしなぁ……そうだ、アンタも契約しちまえばいいんだよ」

「えっ……? けい、やく……?」

「そ。契約して、コイツのソウルジェムをひったくって、手も脚も再生出来ないくらいに潰して、アンタ無しじゃあ何もできない身体にしちまえばいい。そうすれば永遠にコイツはアンタだけのもんだ。身も心も全部ね」

「杏子っ! まどかに余計な事を吹き込まないで!」

「アンタが悪いんだぜ、ほむら。さあまどか…どうしたい?」

 

知恵の実を携えた蛇のような笑みを浮かべて、杏子はまどかを唆す。まどかが出す答えはひとつしかない、とわかっているのだ。

たとえその言葉がほむらを苦しめるものだとわかっていても、まどかは言わずしていられない。

 

「………ほむらちゃん、もう一度約束して」

「まどか…!? あなたまで何を…」

「…二度と私から離れないって誓って。街から出て行くなんて…そんなの、私が許さない。守れないなら私、契約するよ。杏子ちゃんの言う通りにするよ……」

「やめて! 契約なんかしたら、あなたは!! ……お願い、そんな事言わないでよ……あなたが契約したら、私きっと、すぐにでも絶望してしまうわ…! あなたを守るって決めたのに…今のまどかだけを愛するって決めたのに、どうして…?」

「まだわからないのか、ほむら」

「! ルド、ガー……?」

 

ここで、今まで沈黙を守っていたルドガーがついに言葉を紡ぐ。杏子の意図を、まどかの心を汲んだ上でほむらを諭そうとしているのだ。ほむらは双眸を潤わせながら、それを聞き入れる。

 

「ほむら…君がまどかを大切に想う気持ちは本物だ。今まで一緒に戦ってきたんだ、よくわかる。前に言っていただろ? "まどかの存在無しでは生きられない"って。…まどかも同じなんだって、どうしてわからない?」

「……それじゃあダメなのよ。私は魔法少女よ? まどかはこれから先、長い人生が待ってるのよ…でも、私はそんなに長くは生きられない。いずれ浄化が間に合わなくなって……」

「だったら、その時まで一緒にいればいい。もし魔女になってしまったとしても、その時は俺が責任を持って止める。……いや、絶対に魔女になんかさせやしない。

まどかがどんな気持ちで"契約する"なんて言ったかわからないのか? そうやってお前が傷付くのを承知で、脅してでもお前に傍にいて欲しいって思ったからだろう! ……お前はまどかの何を守る為に戦ってるんだ?」

「私は……まどかの幸せを守りたいだけよ…」

「なら、答えは出てるじゃないか。そうだろ? まどか」

 

ふっ、と優しい笑顔を浮かべながら訊くと、まどかも今にも泣きそうな表情でルドガーの問いかけに答える。

 

「はい。…私は、ほむらちゃんがいてくれればそれが一番の幸せです」

「だそうだぞ、ほむら」

「まどか………きゃっ!?」

 

突然にまどかはほむらに向かって抱きつき、不意を突かれたほむらはそのまま床に転げてしまい困惑する。

そのまま、皆がいようと何の躊躇いもなく、ほむらの唇を無理矢理奪った。

 

「…んっ、…………約束、だからね」

 

そう言ったまどかの声は、わずかに震えているようにも聞こえた。

 

「あらあら」と、マミはそれを少し困ったような顔で見守り、杏子もまた呆れたようにその様子を眺め、カップに残っていた紅茶を飲み干すとふぅ、とため息をついて立ち上がった。

 

「ごっそさん、マミ。アタシはそろそろ行くわ」

「佐倉さん、もっとゆっくりしてってもいいのよ?」

「…さんきゅ。でも悪りぃ、ちと熱くなりすぎたからよぉ…頭冷やしたいんだ」

「……そう」

 

マミの誘いをやんわりと断わり、ほどけた紅い髪を手慣れた風にヘアゴムでひとまとめにすると、杏子はさっさと外へ出て行ってしまった。

その後ろ姿に、ルドガーは直感的な不安を覚える。

 

「マミ、少し様子を見てくる。2人を頼むよ」

「待って、ルドガーさん。…佐倉さんに伝えて欲しい事があるの」

「俺から伝えておくよ。なんだ?」

「ええと……」

「…………! わかった、伝えるよ」

 

マミの伝言を携えて、ルドガーもまた杏子を追いかけて外へと早歩きで向かう。

扉を開けると、外の空気は昨日の雨の名残りか、どこか湿った風が吹いていた。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

マミの部屋から出て杏子を追おうとするも、階段を駆け下りてゆくと紅い髪の後ろ姿をすぐに見つける事ができた。

2つほど下の階の踊り場で、うずくまっていたのだ。

すぐに異変を感じ取ったルドガーは、その後ろ姿に声を掛ける。

 

「杏子!? 大丈夫か」

「…あぁ、アンタか。追っかけてきたのかよ…」

「心配だったからな……まさか、ソウルジェムが?」

「……ほむらの話を聞いてたらすぐにこれだ。アタシの気分に反応してるみてえに濁り出しやがった」

 

杏子が手に持っていたソウルジェムは、既に7割ほどが黒ずんだ輝きを放っていた。

ほむら達の前で気丈を装っていても、ショッキングな内容の会話だった事には変わりはない。あのマミでさえ、なぎさの最期を見て危うくソウルジェムを濁り切らせる手前までになったのだ。

しかし冷静さは失ってはおらず、すぐに懐からグリーフシードを出して穢れを吸わせていた。

 

「………はぁ。なんとか落ち着いたか。……結局、アタシらは"コレ"がないと生きられないってわけかよ」

「ソウルジェムは魔法を使うだけじゃなく、気分が落ち込んでも濁る。…あんな話を聞いた後じゃあ、無理もないよ」

「アンタもなかなか詳しいじゃねえか。…ほむらとは付き合い長いのか?」

「いや、そうでもないよ。ただ俺も、似たような体質ってだけだ」と、懐中時計を取り出してみせて答える。

 

「そうなのか? だってアンタ、男じゃねえか」

「俺の力…骸殻も、使い過ぎると身体が蝕まれるんだ。俺はそのせいで"1度死んだ"んだよ」

「…どういう意味だよ」

「話すと長くなるけど、俺はもともとこの世界の人間じゃないんだ。…俺の一族は代々、この骸殻の"呪い"に侵されていたんだ。それを終わらせる為に俺は戦ってきた。

骸殻の呪いが進んでくと、時歪の因子と呼ばれるものになる。グリーフシードみたいなものに変わってしまうんだ。

その時歪の因子は平行世界を創り、もとの世界からエネルギーを吸い取ってしまう。だから放っておくこともできない。

………そして、その時歪の因子を破壊するのも、俺たちの一族の役割だったんだ」

「…じゃあ、アンタもアタシ達も、同じ事をしてたってことか……」

「そうなるかな。そして俺は時歪の因子に侵される前に審判の門…何でも願いを叶えてくれる場所へと向かって、呪いを終わらせる事を願った。そこで俺自身も時歪の因子になって、願いによって俺ごと消されたはずなんだけど…気がついたらこの世界にいたんだ」

「はぁ? なんだそりゃ?」

「ははは……正直、俺にもよくわからなくて」

「能天気なヤツだなアンタ……まあ、1度死んでるってんなら無理もないのかねぇ…なぁんか、アンタと話してたら毒気抜けちまったよ」

 

いつしか、マイナスに傾いていた杏子の心は自然ともとの振り幅へと戻っていた。

鋭い八重歯を見せながら呆れたようにおどけてみせるその姿に、ルドガーは一抹の安堵を得た。

そしてマミから預かった言づてを、言葉を選びながら杏子にそれとなく伝えてみる。

 

「そういえば杏子、マミから伝言があるんだけど………」

「あ? なんだ?」

「その……"一緒に住まないか"って」

「はぁ!? 何言ってんだアイツ!」杏子は目元を少し引き攣らせながら大きな声を上げた。

「何でも、人魚の魔女はいつ現れるかわからないし……互いに近くにいた方が安全だろうって。あと、食費や家賃は一切要らないとか……」

「…あー、そういやアイツ金だけは持ってやがるからなぁ。なんだいなんだい、理屈っぽく言ってるけど結局寂しいのかよ?」

「俺も、実はそうだと思う」

「やっぱりな! へっ、仕方ねえなぁ……とりあえず戻っかね」

 

杏子はさっさっ、とショートパンツの埃を払って立ち上がると、降りてきた階段を逆に登り始めた。

踊り場に射す西陽に杏子の紅い髪が反射して輝き、ゆらゆらと動く度に透きとおり、金の糸が交じったように見える。

その輝きの中に、ルドガーはどこか懐かしさを憶えていた。

 

(ミラ…………)

 

生まれてから一度も切ったことがないという、翡翠色の髪をしたその後ろ姿を、杏子の背中に重ねていたのだ。

箱の魔女の幻影の中で交わした約束。"一生憶えていなさい"という、呪いにも似た誓いの"証"を思い出し、ルドガーは自身の唇を確かめるように指で触れていた。

 

(…あの感触は幻なんかじゃない。それに、"またね"って言ってたな……いつか、本当に何処かでまた逢えるのか?)

 

 

もし再び出逢えるのならば、それはこの世界での"役割"を終えた時だろうか。

未だ来ぬ未来と、約束された来るべき災厄を前にしてルドガーの心はざわついていた。

 


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