誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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CHAPTER:5 翼、はためかせて
第16話「だから、どうか泣かないで」


1.

 

 

 

 

 

週明けの月曜日というのは、憂鬱な気分になりがちなものだ。社会人ならば長い仕事が、学生ならば退屈な授業が待ち構えている。

その中に楽しみを見出すことができていないのならば、長い一週間の始まりを迎えるのは少々辛いものがある。今日のように空に雲が広がり、翳りをみせた天気ならばなおのことだ。

例えば、美樹さやかの場合。1時限目から苦手な教科である英語が待っているというだけで、まだホームルーム前だというにも拘らず教室内の自分の机の上でうな垂れていた。

 

「んげー…今日朗読当てられんじゃん。仁美ぃー、たすけてー」

「あらあら、さやかさん。予習してないんですの?」

「あたしゃ純日本人だよ? 英語なんかちんぷんかんぷんよ!」

「仕方ありませんわね、ええと……」

 

見かねた仁美が英語の教科書を片手にさやかの机まで訪れ、丁寧な解説を始める。いったいその内の何割がさやかの頭に染み込むのかは、底が知れたものだ。

 

「さやかさんってば、運動なら得意なのに勉強が苦手なんですのね」

「人を脳筋みたいに言うない! あたしだってか弱き乙女なんだからね!」

「まあまあ、私だって運動はあまり得意ではないですもの。その点は文武両道、才色兼備の暁美さんが羨ましいですわね」

「まあ、ほむらはねぇ…」

 

なまじほむらの事情を知っているさやかは、仁美の言葉に対して茶を濁すが、その仁美のひと言でとある事に気付く。

教室を見渡しても、見慣れた2人の姿が見当たらないのだ。

 

「そういえば、まどかとほむらがまだ来てないじゃん」

「ほんとですわね。………はっ! まさか、2人して同じベッドで一夜を過ごして、揃ってお寝坊さん…!? ああっ! それは禁断の」

「はいはーい! ストップストーップ! ここ教室だかんねー!?」

 

いつもの悪癖を発揮し出した仁美を制止するさやか。名指された2人は知りもしないだろうが、2人のいない時の仁美は結構な割合でこの悪癖を持ち出すのだ。

 

(ある意味間違っちゃあいないんだけどねぇ……)と、内心でぼやくさやか。

先日の2人の逢瀬の後をつけた限りは、どう見てとそうとしか見えないほどいい雰囲気だったからだ。

それに、ここ数日のまどかのほむらに対する執心は、命の恩人に対してのそれにしては少々度が過ぎている部分もあったのだ。

もっとも、それ以上の事はさやかとてまだ知らないのだが。

 

(まあ、恭介一筋のあたしも前に一瞬どきりとさせられたもんねぇ…初心(ウブ)なまどかなんてひとたまりもないか。まして、ほむらはガチでまどかに惚れてるし………結局、まどかの気持ち次第か)

 

時刻は8時29分。間も無く校門が締め切られる頃であり、それを過ぎれば遅刻扱いになってしまう。

転校初日で倒れかけ、数回の欠席があったほむらならまだしも、割と真面目なまどかが遅刻するというのは珍しい話だ。

こんな暖かな陽気の中だ、本当に寝坊でもしているのだろうか。そう考えると英語の事など忘れて自分も眠りに就いてしまいたい欲求に駆られてくる。

しかし、実際はそうもいかない。諦めて仁美の指導のもと、再びテキストと睨めっこを始めると、ばたばたと廊下を駆けてくる足音が連なって聞こえてきた。

その音で何となく察しがついたさやかは、全面ガラス張りの壁越しに廊下を見る。まどかとほむらが慌ただしく走って来ており、片や涼しい顔で、片や息を切らせながら教室のドアを勢いよく開いて飛び込んでくる。

それとほぼ同時に、校内スピーカーからチャイムの音が鳴り響いた。

 

「はぁ……はぁ……間に、合ったね…」

「大丈夫? まどか」

「うん…大丈夫だよ。ほむらちゃんは……?」

「平気よ。身体の造りが違うもの」

 

それはそうだろう、と内心でさやかはツッコミをいれる。まどかは若干額に汗をかいていたが、ほむらの方は汗ひとつかかずにまどかを気遣っている。流石は魔法少女、といったところか。

それよりも気になったのは、駆け足で遅刻ギリギリに滑り込んできたにも拘らず、2人の手が絡み合うようにしっかりと繋がれていたことだ。

友達や親子で繋ぐようなあれではない。指と指が絡んだ、仁美が興奮して喜びそうなあの繋ぎ方だ。

 

「来ましたわ………! やっぱりあのお2人は」

「仁美ぃー? ステイ、ステイよー?」

 

とは言いつつも、さやかもほぼ同じ事を考えていたところだ。仁美と違って言葉にこそ出さないが、

(あいつら………どっからどう見てもデキてるようにしか見えないじゃんか!)と。

マミとの約束もある。軽口を聞くふりをしつつ探りをいれようと、さりげなく近寄ってゆく。

 

「あらあらお2人さん、夫婦揃ってご登校ですかぁ?」

「ふ、夫婦……!? えっと…そのぉ……」

「………んん?」

 

軽口に対し、平常時のまどかなら「もう! そんなんじゃないってば!」といったような返答を返すだろうと思っていたさやかは、少し意表を突かれる。

今度は比べるようにほむらの方を向くと、こちらも少々顔を赤らめているのがわかった。素肌が色白なだけあって、すぐ顔に出るようだ。

さらに、普段はお世辞にも血色が良いとは言えない唇の色が、ほんのりと赤みを帯びて健康色を演じているのに気付く。

 

(そういえば、昨日まどかが口紅買ってあげてたよねぇ……って、早速つけてるんかい!)

 

さやかの中のほむらのイメージに、ヒビが入る音がする。ついにこの着飾る事を全くしない少女も色気づき出したのか! と。

とはいえ、口紅の事まであっさり指摘してしまったら、昨日あとを尾けていた事を気付かれてしまうかもしれない。あくまでさりげなく、なんとなしに気付いた風を装って尋ねかける。

 

「…ん? なんかほむら、いつもとちょっとだけ雰囲気が違うような……」

「そ、そうかしら」

「あ、 わかった! あんた化粧してるでしょ?」

「う……………」

 

指摘してみると、ほむらはさらに顔を赤くしてわずかに俯き、首をこくり、と縦に動かした。

 

(いやいや、あんたらばっちし手ぇ繋いでる時点で十分恥ずかしいから!)

 

などと思いつつも、あまり見せない顔をするほむらのリアクションが面白くも感じる。

その様子はさやかや仁美だけに留まらず、教室中の注目を集めており、問い詰めにこそ来ないがひそひそ、と教室中がざわめき出した。

無理もない。ほむらはこれでもミステリアスかつクールで、多方面に万能な転校生のキャラ付けになっているのだ。

その転校生がまどかと揃って滑り込みで登校し、未だ手を繋いでいるとあれば騒がずにはいられまい。意に介していない、というより気付いていないのは当事者2人だけであった。

 

「…さやかさん、そろそろ和子先生がいらっしゃる頃ですわよ」

「お、そういえばチャイム鳴ったんだった。ほらあんたらも早く座んな?」

 

背後から投げかけられた仁美の声に促され、さやかは席に戻る。間も無く、ガラス張りの壁の向こうに担任の和子の姿が遠目から近づいてくるのがわかった。

2人もやや名残惜しそうに手を離し、それぞれの席に就いてゆく。周囲の女子生徒の視線はその2人に集まっており、休み時間は質問責めに遭う事は避けられないだろう。

それよりもさやかは、とあるもう1つの事実に気付いてしまっていた。

ほむらの隣で照れ臭そうに笑っていたまどかの唇にも、ほむらの口紅と思しき色がかすかに乗っていたのだ。

かすかに、というのがネックだ。ほむらのようにちゃんと塗ってつけたのではなく、ほんの少し付着してしまったような感じなのだ。当然、それが指す意味はひとつしかないだろう。

 

(………なんとまあ、昨日1日でどこまで進展したんだこやつら!)

 

リア充爆発しろ! と心の片隅で思いつつも、マミに対して十二分な報告ができそうだと安堵感も覚える。

同時に、親友の想いも恐らく成就したのであろう事も、自分のことのように嬉しく思うのだった。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

 

退屈な授業も、人によっては捉え方が様々なものだ。

例えば、理解が追いつかずに置いていかれて考える事をやめてしまったり、教科担任の声が念仏のようにリラックスを誘い瞼が重くなったり、またある者は耳に蛸を通り越して、頭痛すらしそうなほど同じ内容を繰り返し耳にしてきた者もいる。

そんな退屈に塗れた授業もようやく半分ほど終え、昼の休み時間がやってくる。

いつもの様に廊下のベンチに陣取り、窓の外から少し薄暗い空を眺めながら昼食を広げる3人。同じ秘密を共有する仲の集まりだ。

もっとも、今日からは新たな秘密事項が加わる事となったのだが。

 

「………で、晴れてあんた達は恋人同士になったってわけね」

「ええ。色々あったけれど…まどかは私を受け入れてくれたわ」

「うぇひひ、クラスのみんなには内緒だよ?」

 

2人の距離感が(物理的にも)さらに縮まった事について指摘をしたところ、両者から昨日の出来事を、特に花畑での出来事を一部聞き出すことができたさやかは、まどかにそんな甲斐性があった事に素直に感心していた。

というのも、現在隣に腰掛けているこの意気地なしの親友はその想いを胸に秘めたままでいるつもりであり、対してまどかの方も想いを自覚してるのかどうか曖昧だったからだ。

そこから大きく前進できたことを、親友として素直に祝福してあげたい、と思うところだ。

 

「ありがとう、さやか」と、先に礼を言われてしまったさやか。

「いいって、そんなの。これはあんた達の問題なんだし。…でもさ、そんなに幸せそうなあんたの顔、初めて見たよ。こりゃああたしも負けてらんないなぁ」

「たしか今日だよね、上条くんの退院の日って」

「うん。夕方には退院するらしいから、学校の帰りにでも行こうと思うんだけど…あんたたちも良かったら、来る?」

「いいの?」

「どうせマミさんも誘うつもりだったし、恭介も美少女たちに囲まれた方が元気出るっしょ?」

「び、美少女って………」さやかの発したワードに苦笑いをしながら、隣のほむらの顔をちら、と見るまどか。

「自分で自分の事を美少女と言うのはどうかと思うのだけど…」と、そのほむらもさやかに対して軽く苦言を呈した。

「なによー、さやかちゃんは可愛くないっての?」

「さあ、どうかしらね」

「ぐぬぬ……そ、そりゃああんたには敵わないけどさぁ」

「………?」

「そこ! キョトンとした顔であたしを見るなぁ! あんた無自覚だったのか!?」

 

ビシィ! と行儀悪く箸でほむらを指す。ほむらの方は本気でさやかの言葉の意味を理解していない様子で、不思議そうな面持ちでまどかを見た。

 

「てぃひひ、さやかちゃんも可愛いよ? でもほむらちゃんが一番だよ」

「そんな…まどかの方が可愛いわ」

「ほ、ほむらちゃんってば………」

「まどか………」

「あー! あっついなぁここー! まだ4月なのになー!」

 

ぱたぱたとわざとらしく手で風を扇ぎながら、弁当をがつかつと食べ進めてゆくさやか。

しかし、隣に並んでいる2人は箸がほとんど進んでおらず、周囲の体感温度の上昇に貢献するばかりだった。

こうして、昼も更けてゆく。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

すっかり日課となった買い出しへと、傘を携行しながら向かうルドガー。空は薄暗く、天気予報によると午後になれば雨が降るだろうとのことだ。

4月も終わりが近づき、季節の変わり目へと向かいつつある。もっとも、かつてのエレンピオスはお世辞にも空が綺麗とも言えず、むしろ今のような中途半端な気候はルドガーにとっては懐かしささえ感じられるのだ。

 

『やあ、今日もあそこへ向かうのかい』

「!」

 

不意に、白い害獣に声をかけられて周囲を見回す。キュゥべえはルドガーの背中を追うように民家の外壁の上に立っていた。

 

『君は毎日のようにあのショッピングモールへと出かけているけれど、そんなに大事なことなのかい?』

「まあ、な。人間は食事を摂らないと生きていけないからな。それに、毎日は行ってないぞ。せいぜい2日おきぐらいだよ。

………それより、何の用だ?」

『きゅっぷい。君もそういう勘は鋭いね』

「お前が何の用もなしに俺のところに現れるわけがないだろう。契約できるわけでもないんだし』

『確かに。思春期の少女を用いた方が時間効率は良いんだけど……不可能ではないよ。でも、男性は少女と違って感情的には不安定になりにくいし、圧倒的に効率が悪すぎるから契約をとらないだけさ』

「………ほんとか? それ」

『きゅっぷい』

 

男でも契約自体は不可能ではない。思いも寄らぬ答えが帰ってきたことに、ルドガーは少し狼狽えてしまう。

 

『まあ、実を言うと君の調査も兼ねてるのさ。君の持つ力…あと少しで解析できそうなんだけれど、もう一押し足りないんだ』

「俺の力を? でも、そんなもの調べたってお前に何の得があるんだ」

『もちろん、君の正体さ。君の正体を知ることができれば、魔女たちに起こっている異変の正体に繋がるかもしれない。

あの魔女たちはね、通常では考えられないくらいの因果律を秘めていたのさ』

「因果律?」

『そうさ。魔法少女の力の強さは、その娘の持つ因果の値によって決まるんだ。鹿目まどかに莫大な魔力の素養が備わっているのは、恐らく暁美ほむらの力の影響だろうね。

彼女が同じ時間を何度も繰り返してきたことは聞かせてもらった。それによってまどかと、まどかの周辺に因果が集約しているのだと僕らは予測しているよ。

例えば美樹さやか。彼女もまどかには遠く及ばないけれど、マミや佐倉杏子にも匹敵する素質を備えているようだよ』

「…だとしても、契約はさせないぞ」

『それは彼女たちの自由さ。僕たちからはもう勧誘しないことにしているよ。僕が話したいのはその先だ。その因果の集約があの魔女たちにも起こっていたとしたら、あの異常な強さは頷けるんだよ。

ただ、その可能性は低い。そうだとするならば、他の時間軸でもそうだったはず。なのに、あのほむらが対策もなく苦戦するとは思えないからね』

「時歪の因子と同じ反応を示したのは、そのせいなのか…?」

『その"時歪の因子"が何を示すのかを知りたいんだけれどね。その魔女に対して有効なのは今のところほむらの謎の力と、君の骸殻の力というわけさ。

ただ、ほむらの場合はただの火力押しだから、本当に効果的かどうかはまだ判断しかねるけどね』

 

ひょい、と軽い歩調で壁から壁へと飛び移りながらルドガーのあとに続くキュゥべえ。その姿はさながらに猫のようでもあった。

もっとも、猫であるならばこんなにも忌々しい、と思ったりはしないのだろうが。

 

「俺からも聞きたいことがあるんだけど」

『なんだい?』

「…魔女って、こんなに沢山現れるものなのか? 今までに5体出たってことは、5人の魔法少女が犠牲になったってことだろ。

この街で、この半月だけでだ。この街だけが異常なのか、それとも…他の街もなのか?」

『いい勘をしているね、君は。そうだね、確かにこの街は、特にそういったマイナスのエネルギーが集まり過ぎているようだ。

それとね、5人といったけれど……君達が昨日遭遇した人魚の魔女。あれは僕たちの知らない存在だ。言ってみればほむらのようなものだね。

"あれ"と契約した憶えはないんだよ。もしかしたら、"あれ"も他の時間軸からやってきたのかもしれないね』

「…やっぱり、そうなのか」

『勘付いていたようだね。それと、気をつけるんだ。今日はこれを伝えに来たんだけど…"あれ"は今までの魔女と比べ物にならない程の力を感じたよ。そして、どうやら水の中を自由に行き来できるようだね』

 

言われて、昨日の蓮池での出来事を思い出す。水面に投影された人魚の魔女と、なぜか魔法少女のような格好をしたさやかの姿。

あれがもし、キュゥべえの言うように他の時間軸、あるいは分史世界から漏れ出た"美樹さやかの成れの果て"だとしたら。

空は次第に暗雲が立ち込めてゆく。空気は更に湿っぽくなり、土の匂いがどこからともなく漂う。

ぽつり、と蚊が刺したような感触が頬を打った。ほんのかすかな雨粒が滴ってきたのだ。

 

───そこで、ルドガーはひとつの事実に気付いた。

 

「…おい、水の中を自由に行き来できるって言ったな?」

『恐らく、それが"あれ"の能力だろうね』

「今日は午後から雨が降る……まさか、あいつは! 昨日手を出して来なかったのはそういう事だったのか!」

 

水の中を自由に動けるのならば、雨粒を伝って動き回る事もできる可能性も考えられる。だとするならば、雨が降り出してしまえば人魚の魔女はこの街の何処にでも瞬時に移動できると言う事になる。

つまり、街全部が雨という名の魔女結界に覆われ、住民全てが人魚の魔女の危険に晒されることとなるのだ。

 

『僕が伝えたかったのは、まさにその事だよ』

「まずい……すぐにほむらに連絡をとってくれ!」

『わかったよ。ほむら、聞こえるかい………ほむら、ほむら? うん? どういう事だい』

「どうした、キュゥべえ!?」

『テレパシーが送れないんだ。マミにもだ。杏子も試してみるけど……』

「なんだって……?」

『……ダメだ。杏子にも送れない。あの人魚の魔女、なかなかのやり手だよ。恐らく雨粒の中には既に魔力が仕込まれていて、それがテレパシーをジャミングしているんだろう。

恐れ入ったよ。まさか、そこまでの知性を残した魔女が存在するなんて』

「ちっ……! なら、直接学校へ行くぞ! もう時間が惜しい!」

 

アローサルオーブを起動させ、いつ何処から敵が現れてもいいように備える。雨粒は少しずつ量を増してゆき、湿気と共に生温かい風が吹き付けた。

傘を指すこともなく、駆け足で学校へと向かってゆく。ここからならば距離にしておよそ15分といったところだろうか。

 

『段々と魔力が増しているのを感じるよ。あの魔女は、いったいどれだけの魔力を隠し持っているっていうんだい』

「わかるのか。俺の時計にはまだ反応はないけど………」

『君の力は魔女そのものには反応するけど、こういった魔力の産物には反応しないようだね? せいぜい気をつけるんだね』

「………時々、お前が敵なのか味方なのかわからなくなるよ」

 

そもそも、このインキュベーターが蒔いた種なのだからこれくらいの協力は当然、むしろ足りないくらいなのだ。

わざとらしく皮肉を言いながら、ルドガーはさらに脚力を高めた。

 

 

 

 

 

4,

 

 

 

 

 

 

退屈な授業は終わった。ホームルームを終えて挨拶が済むと生徒達は鞄を持ち、がたがたと席を立って教室をあとにしてゆく。

ガラスの壁越しに廊下を見ると、ひと足早くホームルームを終えたらしく、既にマミが傘を片手に立って待っていた。

さやかもすぐにマミの元へ向かい、「お疲れ様です!」と声をかけた。

「お疲れ様、美樹さん。これから病院に向かうらしいわね?」

「はい! マミさんにはお世話になりましたから、ぜひ来て欲しくて……」

「ふふっ、それは構わないけれど…あの2人は大人気のようね?」

「そうなんですよー。いや実は今朝こんな事があって……」

 

マミがガラス越しに指差した先には、一部の女子生徒たちに囲まれて質問責めに遭っているまどかとほむらの姿があった。

開け放たれたドアから漏れ出た声を聞くに、いつの間にそんなに親密になったのか、どうやってあの転校生を堕としたのか、と言いたい放題のようだ。

普段はクールなほむらも流石に困り果てた顔をしているが、まどかのいる手前、気弱さを見せないように振舞っていた。

 

「あの様子だと暁美さん、吹っ切れたようね」

「ん? ほむらがどうかしたんですか」

「いえ、この前きつい事を言ってしまったから……ちょっとね」

「きつい事? それって…」

「…暁美さんは鹿目さんに依存している、って話よ。同じ時を繰り返して、鹿目さんを助けるという行動そのものにこだわっている。そう指摘したのよ」

「あー…マミさんもやっぱりそう思ったんですね。あたしも、前にそれっぽい事話したんですよ」

「美樹さんもだったのね。あら、やっと出て来たようよ?」

 

マミと共に教室内を見守っていると、ようやくほむらがまどかの手をとり人垣を分けて出てきた。2人を暖かな視線と共に迎え、教室を離れてゆく。

 

「お疲れ様、暁美さん。…答えが出たようね?」

「ええ……あなたに言われてから、色々と考えたのよ」

「ふふっ、わかるわよ。だってあなた今すごくいい顔してるもの」

「さやかにも同じ事を言われたわ。そんなに顔に出してるつもりはないのだけど……」

「いいじゃない。これも鹿目さんのおかげね」

「うぇひひ、可愛いですよね?」

 

4人で揃って、正面玄関へと向かって階段を降りてゆく。ガラス越しに外をみれば既に雨が少しずつ勢いを増しており、今では傘が必要なほどだ。

盾の中に傘を何本か常備しているほむらはいちいち天気予報など見なかったし、まどかは朝逢った限りでは傘を持っていなかった。

さやかも傘を持って来ていないようで、鞄ひとつ抱えているだけだ。

 

「げっ、雨すごい降ってるじゃん。ほむらぁー、傘余ってない?」

「あるけれど…よく余ってるってわかったわね」

「んー…ほむらの四次元ポケットの中ならあるかなぁって思ったんだ」

「四次元ポケット? 何かしらそれは」

「……oh、四次元ポケットを知らないなんて……」

 

いくらテレビを見ないからって、それはないんじゃないかとさやかは思う。ともあれ、ほむらは鞄で手元を隠しながら盾を出し、そこから傘を2つ取り出した。まどかと、さやかの分だ。

 

「はい、まどか。あとさやかは1000円ね」

「てぃひひ、ありがとほむらちゃん」

「金取んの!? しかもあたしだけ!?」

「冗談よ」

「あんたが冗談言うとガチにしか聞こえないんだけど!?」

「でも、暁美さん」と、マミが2人の間に横槍を入れる。

「普段からそんなに傘を持ち歩いていたのね。まさか盾の中に何本も仕舞ってあるとは思わなかったわ」

「面倒だからよ。でもまさか、今日雨が降るとは思わなかったわ」

「あら、"識っていた"のではなかったのね」

「ええ。第一"今日"雨が降ったことなんて────」

 

言いかけてほむらは思う。確かに、いつもならば"今日"雨が降ったことは一度もない。今から数日後ならば雨が降るには降るのだが、初めて目にする事象にどこか違和感のようなものを抱かずにはいられない。

 

「…なかったわね」

 

まさかと思いつつ盾を畳み、左手を窓にかざしてみる。すると、思いも寄らぬ反応を手の甲の痣に感じ取ることができた。

すっかり土砂降りになった雨の中に、微弱ながら何かしらの魔力を探知したのだ。

 

「………そんな!」

「暁美さん? どうしたの」

「この雨、普通じゃないわ……魔力が込もってる」

「なんですって!? ………本当ね。この雨、いったい…?」

 

これだけの土砂降りの雨に魔力を込めるなど、それこそ魔法少女程度の魔力では無理がある。そもそも、貴重な魔力をそんな事に使う必要もあるとは思えない。よって、誰がやっているのかは自ずと想像がついてしまう。

 

「…恐らく、魔女かしらね」

「だとしても、こんな事してどうする気なのかしら」

「わからないわ。けれど…外には出ない方が良さそうね」

 

ほむらは繋いだ手をぎゅっ、と握り直して離さぬようにまどかを見る。

まどかの瞳には僅かな不安の色が見て取れたが、すぐ隣にほむらがいる安心感の方がまだ優っているようだ。

さやかの方も魔法少女2人の会話を耳に挟みながら、ひとつの想像をしていた。

雨、つまりは水。それが連想させるものはまさしく、昨日目撃したあの"人魚の魔女"だ。

 

「…ねえ、マミさん。この雨もしかして…昨日のあたしのニセモノの仕業とかじゃないですよね」

「人魚の魔女ね………その可能性もあり得るわね」

「さやか…あなた、アレに遭ったの!?」

「遭ったっていうか…池に映ったあたしの姿がヘンで、その後ろになんか魔女っぽいのがいただけなんだけど」

「どうしてもっと早く言わないの!? あなた、狙われているかもしれないのよ!? わざわざあなたに姿を見せたって事は、そういう事でしょう!」

「ご、ごめんって!」

 

心配するあまり、感情が高ぶってしまった。そんなほむらの様子を見た全員が、本気で深刻な問題なのだろうと想像をしてしまう。

そしてそれは、決して間違いや考えすぎなどではなかったのだ。

 

 

 

『見ぃ───つけた』

 

 

 

背後からよく聞き慣れた声がする。しかし全員がすぐに違和感に気付く。声の主は背後などではなく、すぐ隣にいるはずなのに、と。

最初に振り返ったのは、既に神経が立っているほむらだ。続くようにそれぞれが振り返り、そして自身の目を疑う。

平に面した廊下の遥か先には、同じく見滝原の制服を纏った青い髪の少女が立っていたからだ。

口元が半月型に裂け、背筋が凍りつきそうなほど不気味な笑みを浮かべる。その瞳には、狂気が宿っているようにも見えた。

 

「だ、誰よあんた!!」さやかが、吠えるようにソレに問いかけをする。

『見てわかんなぁい? あたしはアンタよ。ねェ、そうでしょ? "て・ん・こ・ぉ・せ・ェ"?』

「………美樹、さやか……ッ!!」

 

行動を起こしたのは、ほむらが先だった。左手の痣を煌めかせて即座に変身し、盾の中から素早く拳銃を抜く。ここが校舎内であるという事もおかまいなしに、2発ほど射撃を放った。

弾丸は的確にソレの眉間と心臓に向かって飛んでゆく。しかし、まるで微動だにせずソレは弾丸を素直に喰らってみせた。

額から血飛沫が散る。普通ならば致命傷、例え魔法少女だとしても、脳漿を貫く弾丸を受けてしまえば自己治癒は決して簡単ではない。

 

『──────ハ』

 

だが、まるで蚊が刺したかの如く弾丸を気にも留めない。音符と譜線のエフェクトと共に額の傷は一瞬で塞がり、血痕が残る以外は何事もなかったかのように再生していた。

 

『舐められたもんだねェ…こんなオモチャが、あたしに効くわけないのにねェ!』

 

左手を翳し、ソレは姿を変える。白と青を基調とした衣装を瞬時に纏い、目にも留まらぬ速さで抜刀してみせた。

その姿はまさしく、ほむらが過去に何度も目にして来た、美樹さやかの魔法少女としての姿そのものだった。

 

『そォ───れっ!!』

 

スクワルタトーレ。放たれた横一閃の斬撃は距離をも無視して、美樹さやかの前に立つ全てを切り裂かんと牙を剥く。

頭で考えるよりも速く身体が反応し、ほむらはとっさに盾を構えて魔力を込め、広範囲のシールドを展開させた。

 

「ぐ……うぅっ!!」

「ほむらちゃん!?」

「だ…い、じょうぶよ…! それより、早く逃げなさい!」

 

ガシャン! と激しい音を立て、まるで車にでも撥ねられたかのような衝撃が盾に降りかかる。筋力強化をかけていなければ、後ろに大きく吹き飛ばされていただろう。

美樹さやかとほむらの間にある全てのガラスはその斬撃による衝撃波で派手に砕け、破片を散らした。

しかし、その程度では美樹さやかの攻撃は止まらない。

 

『ハハハハ───まだまだぁ! スプラッシュスティンガァァァ───!!』

 

千手観音のように剣を展開させ、その全ての刃先を少女達に向ける。美樹さやかは何の躊躇いもなしに無数の刃を射出させた。

 

「暁美さん、危ない! ────レガーレ・ヴァスタアリア!!」

 

ほむらの盾で防ぎ切るのは困難だと判断したマミは、大量のリボンを展開させて放たれた剣を絡め取る。

リボンの強度はしなやかさと反比例して鋼鉄のように硬く、鋭い刃さえも止めてしまった。

 

『ジャマしないでよねマミさァん!! あたしが用があんのはそこの女だけなんだからさァ!!』

 

パチン、と指をひと鳴らしすると、リボンに絡まった剣が異様な熱を持ち始める。危険を感じ取ったほむらはすぐに盾を起動し、時間を止めて対応した。

 

「マミ! 離れて!」

 

マミの衣装の袂に触れて、思い切り引っ張る。剣は今まさにリボンごと膨れ上がり、大爆発をする直前で留まっていた。

 

「───暁美さん!? これは、いったいなんなの!?」

「私にもわからないわよ! とにかく、まどか達を逃がさないと…!」

「けれど、どこに…!?」

「どこだっていい! ここは私が食い止めるわ! アイツの狙いは私みたいだもの…」

「…わかったわ。どうか、気をつけて」

 

外の雨は魔力が込められており、何の危険があるかもわからない。かと言っていたずらに校舎を逃げ回っていれば被害はどんどん広がってゆく。

マミは後方に後ずさるまどか達と、砂時計の起点たるほむらにリボンを結びつけ、時の呪縛から解放してやる。

 

「鹿目さん、美樹さん! とにかく逃げましょう!」

「マミさん!? 一体どうなってるんですか!? あれ、さやかちゃんですよね…!?」

「その話はあとよ! 今はここを離れて───」

 

言いかけた刹那、後方から強烈な爆音が響き渡った。ガラスの破砕音と炎が舞い上がる音。そして、

 

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

絹糸を割くようなほむらの叫び声と、壁に何かが叩きつけられる音がマミの耳に届いた。

 

「暁美さん!?」

 

振り返って見るも、爆塵に視界を遮られて確認する事ができない。しかし唯一確認できたのは、空中に静止しているガラスの破片によって"時間停止はまだ発動している"という事だけだった。

剣を絡め取ったリボンはマミとは独立しており、マミとほむらが接触しても問題ないはずなのに。

 

「時間停止が効かないの…!? まずいなんてもんじゃないわよ!! 2人共ついて来なさい!!」

「はい! ほらまどか!!早く逃げないと!」

「待って! ほむらちゃんは!? ほむらちゃんはどこ!?」

「鹿目さん!! ダメよ!!」

 

爆塵の中に飛び込もうとするまどかをリボンで押さえつけ、リードを引くようにしてマミは駆け出した。魔法少女の出力に敵うはずもなく、まどかはずるずると引っ張られていった。

 

「イヤだ! 離してマミさん!! ほむらちゃんを助けないと!!」

「あなたに何ができるっていうの!! 殺されるわよ!?」

「あ………っ、わ…わたし……」

「……くっ!」

 

しまった、とマミは思った。まどかはほむらに守られるだけでなく、守る存在になりたいと願っていたのだ。

だが今の一言は、まどかのその想いを否定しかねないものだった。急を擁するとはいえ、まどかを傷つけてしまったかもしれない。

リボンに抗う事をやめ、まどかは強引に引っ張られたままさやかに手を取られ、ようやく逃げる事を始める。

だが、その双眸からは止めどなく大粒の雫がこぼれ落ち始めていた。

 

「まどか…ほむらならきっと大丈夫だよ! あんたの事守るって言ってたじゃんか!」

「さやかちゃん…でも……私、結局何もできない…」

「……それは仕方ないわよ。あなた達はあくまで普通の女の子だもの。とにかく! 暁美さんの分まであなた達はしっかり守ってみせるわ!」

 

先程降りて来た階段を逆に駆け上がり、生徒達のいない場所を選んで逃げ回る。静けさの中に3人の走る足音だけが響き、なお一層不気味さを醸し出した。

と、そこでマミはいきなり違和感を感じた。ほむらに巻きつけ、際限なく伸ばし続けたリボンの感触が途切れたのだ。

それと同時に辺りがざわめき出す。リボンが切れたことで、時の束縛から抜け出てしまったのだ。

 

「えっ………!?」

 

時間停止が働いていれば、ほむらはまだ生きていると確信できる。だが、それすらわからなくなりマミはいよいよ焦りを覚えたが、辛うじて2人を逃がすという目的は見失わなかった。

遥か後方からガラスが弾ける音が響いた。さやかの姿をした何かが、校舎を破壊しながら後を追ってきたのだろう。ほむらの足止めが功を奏さなかったのだ。

 

「もう追ってきたの……!?」

 

渡り廊下を抜けると、広い校舎も突き当たりに差し掛かろうとしていた。逃げ場がなくなってゆき、ガラス張りの校舎では隠れることも難しいだろう。

2人も限界まで足を動かしたせいで、呼吸は大きく乱れてふらつき始めている。特にまどかは、心ここにあらずといった感じだ。

生徒達がパニックに陥り、あちこちで悲鳴が聞こえてくる。校内はもう滅茶苦茶になってしまっていた。

ついに最奥までたどり着いてしまい、逃げ場をなくしたマミは2人を庇うように立ち、2挺銃を錬成して構えた。

 

「……いい? 2人とも。私が絶対に守るから、後ろにいなさい」

「は、はい! まどか、ほらこっち!」

「………うん」

 

マミの背中に隠れる形で2人は身を寄せ合い、迫り来る脅威に備える。程なくして異様なテンポの足音が近づき、青の魔法少女の姿をしたソレは姿を見せた。

 

 

『───ハ、やっと見つけた!』

「美樹さん…いいえ、人魚の魔女! 暁美さんをどうしたの!」

『はん、目障りだからさァ…こう、ね? 左手をスパッとねェ…?』

「なんですって!? まさか……!」

 

ほむらのソウルジェムは左手の甲に備わっている。それが狙われたとあれば、かなり危ういと言える。時間停止が解けたのはそのせいなのだろうか、とマミは考える。だとすれば、ほむらの安否は。

 

『さて、邪魔者は始末したし…次はまどか! アンタだよ!』

「鹿目さんに何をする気なの!」

『決まってんでしょォ? 契約ですよ、ケ・ェ・ヤ・ク! さぁまどか、死にたくなかったら祈りなよ!!』

 

剣を放射状に展開し、剣先に煌めきを宿して刃を向ける。その数は先程と比較しておよそ倍。今度はマミのリボンでも絡めきる事はできないだろう。

 

「させないわ!」マミは構えた銃を人魚の魔女に向けて放った。だが、音速の斬撃によって弾丸は綺麗に弾かれ、見当違いの方角に風穴をぶち空けた。

 

『遅いですよマミさァん! てゆうか、ジャマなんですけどぉ!?』

「黙りなさい!! 2人には手出しさせないわ!」

『あっそ。じゃあ纏めて吹き飛んじゃえ! スプラッシュ──────』

 

絶体絶命。先程の爆発を加味しても、あれだけの剣全てが弾ければ渡り廊下は跡形もなく吹き飛ぶだろう。魔法少女であるマミはともかくとして、普通の少女である2人は間違いなく助からない。

万事休すか。リボンの壁を展開させながら剣の射出に対して防御を試みるが、状況は絶望的だった。

 

 

───その時、魔女の立つ渡り廊下の壁が激しい音と共に砕け、そこから紅い槍の一撃が放たれた。

 

「オラァ!! 吹っ飛べクソ野郎!!」

『ガ…ッ、あぁぁぁァぁぁァぁぁ!?』

 

人魚の魔女は紅の槍に吹き飛ばされ、反対側の

壁を破って外へと落とされていった。主が不在となった事で、展開されていた無数の剣も消失する。

一瞬、何が起こったのか状況の判断が追いつかない。ただ一つ分かるのは、今マミの目の前に立っているのは人魚の魔女ではなく、燃えるような紅い髪をした魔法少女───佐倉杏子であるということだけだった。

 

「…ふぅ、なんなんだアイツ。最近の見滝原の魔女は変わりモンが多いって聞いたけどよ…ありゃあまるで魔法少女じゃねえかよ。おいマミ! どうなってやが───」

「杏子!! 来てくれたのね!?」

「───っ、うるせぇ! いきなりデケェ声で叫ぶんじゃねえ!」

「ご、ごめんなさい……でも助かったわ、"佐倉さん"」

「はっ、この分は貸しだからな? しっかしよぉ…ひでぇもんだなこりゃあ」

 

ガラスの面が多い校舎は所々が割られており、生々しい戦闘の跡が残る。

生徒達は変わらず混乱しており、状況の理解がまるで追いついていないだろう。

 

「………あ? マミ、お前の後ろにいんの…鹿目まどかと、さっきの魔女じゃねえか。どういうことだ」

「こっちが本物よ、佐倉さん。美樹さやかさんっていうの」

「へぇ…んじゃあさっきのはそいつに化けたって事でいいのか?」

「──────それはあとで私が説明するわ」

「! その声……」

 

突如現れた声色に全員が注視する。ふらつきながら駆けつけて来たほむらが、ようやく追いついたのだ。

だが、その姿はひどいものだった。服は爆風でボロボロになり、髪は左側が元の長さからおよそ20センチほど落とされている。そして、ほむらが右手に持っていたのは、"左手首がついたままの砂時計の盾"だ。

 

「ひっ………暁美さん!?」

「アンタ、大丈夫かよ!?」

「ええ、なんとかね。傷は魔法で止血してあるわ。腕を付け直す暇が惜しいからそのまま持ってきたのだけど……」

 

左手はちょうど前腕の半分あたりから切り落とされ、衣装はどす黒い血で染まっている。

 

「ほむらちゃん!!」3人が固唾を呑むなか、まどかは床に散らばるガラスの破片を踏み越えてほむらの元へ近づく。

「まどか…あなたは見ない方がいいわ。きついでしょう? ……ごめんなさい」

「わ、私だって……守るっていったのに何にもできなくて……うぇぇぇん……」

「いいのよ、まどか。あなたがいてくれるから、私は戦えるんだもの。…だから、どうか泣かないで」

「ほ…ほむらちゃ……んぐっ…」

 

ほむらは左手のついた盾を床に置き、泣きじゃくるまどかの唇を塞ぐように口づけを交わす。

今朝とは打って変わり、青ざめた唇は冷たく、血の味がした。

片腕で優しくまどかを抱き締める。無事を喜んでいるのは、互いに同じなのだ。

 

「落ち着いたかしら…?」

「………うん」

 

唇を離し、優しく頬を撫でてやる。ボロボロに傷ついているのにも拘らず、まどかに向けるのは痛みや苦しさなと微塵も感じさせない優しい笑顔だ。

だが、今のまどかにはその笑顔が心に重く突き刺さる。

 

「暁美さん、腕を出して。私が治してあげるわ」

「お願いするわ、マミ。ところで杏子、あなた……どうしてここが?」

「人魚の魔女はアンタの名前を呼んでた。こんなおかしな雨も降りゃあ、アンタの所に人魚の魔女が現れるのは当然のことだろ。

途中であの妙な外人にも会ったしな」

「ルドガーに…? ここに来てるの?」

「今アタシが外に叩き出した先にいる筈だけどよ…アンタ、時間を止められるらしいな。アイツがいなかったら余計な足止め食ってたとこだぜ?」

「そうだったのね……」

「まあいい。早いとこ腕を治しな……」

 

と、杏子が言い終わる前にドン! と外から激しい爆発音が聞こえてきた。

人魚の魔女の攻撃による爆発であることは、もはや見なくともわかる。ルドガーと魔女が交戦しているのだ。

 

「……やばそうだな。マミ、こいつらを頼むぜ。アタシはアイツをぶっ飛ばして来る」

「えっ…ちょっと、佐倉さん!?」

 

マミの制止を無視して、杏子は穴の空いたガラスの壁から飛び出してしまった。その先には杏子の言うとおり、ルドガーと人魚の魔女がいるのだろう。

まどかとさやか、それに負傷したほむらを置いて離れる訳にはいかない。マミが守るしかないのだ。杏子の状況判断は的確だと言えるだろう。

雨風が割れた外壁から吹き込み、身体を冷やす。あまりひとつ所に留まるのも良くないだろう。

ほむらの腕の接合は間も無く完了する。少し違和感が残るだろうが、銃をとる事くらいは問題なくできるだろう。

 

「マミさん」と、さやかが重い口を開いた。

「さっきのあの子も魔法少女なんですよね…マミさんの知り合いなんですか?」

「………ええ。佐倉杏子っていうのよ。とても、優しい娘よ」

 

何より、駆けつけてきてくれた。自分達を助ける為なのか、あくまで魔女を狩る為なのかはわからないが、マミにとってはその事実がとても嬉しく思えた。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

 

「現れたな……人魚の魔女!」

 

魔女が吹き飛ばされた先───校庭には既にルドガーが十手を構えて待っていた。魔法少女のような服を纏っている以外はさやかと何ら変わりないその魔女の姿に戸惑いもするが、懐中時計が示す反応は間違いなく"黒"だ。

 

『ヒーローのお出ましってわけェ? あの女から聞いたけど、アンタ強いらしいじゃん、"ルドガー・ウィル・クルスニク"さん?』

「俺を知ってるのか…? それに、あの女って……」

『"ミラ"』

「なっ……!?」

 

魔女の口から予想だにしない名前が出た事で、ルドガーは狼狽えてしまう。その一瞬の隙を突いて魔女は急接近し、刃を振り抜いた。

遅れて反応したルドガーは後ろに飛び下がり、刃を躱して十手で反撃する。刃と鉄の棒が激しい音を立てて交差し、火花を散らす。

 

「くっ……速い!」

 

それに、強い。わずかに剣を交えただけでその実力を垣間見た限り、兄には及ばないが凄腕の使い手のように感じられた。

 

『遅い遅い!! その程度ってわけェ!?』

 

力を込めた一撃を当て、ルドガーとの距離を離す人魚の魔女。それと同時に何本もの剣を背後に展開し、射出の準備を始めた。

 

『死ね! スプラッシュ・スティンガ───!!』

 

掛け声と共に剣はルドガー目掛けて放たれる。ひとつひとつが獲物を見つけた獣のように的確に飛んでゆく。

 

「喰らうか! ファンドル・グランデ!!」

 

それに対してルドガーは目の前に巨大な氷の壁を生み出し、刃を遮ろうと試みた。

 

『その程度で防げると思ってんの!? 弾けろォ!!』

 

氷の壁に剣が全て突き刺さる。魔女の合図で急激に熱を持ち始めた剣は、氷を溶かすよりも速く爆発し、大雨にも拘らず周囲に強烈な爆塵を巻き上げた。

 

『なーんだ。強いって聞いたけど……大した事ないじゃん。さて、戻りますかねェ…ん?』

 

魔女が視線を逸らしたその直後、突風が巻き起こり爆塵を掻き消してしまう。

人魚の魔女が視線を戻して突風の中心点を見ると、黒い鎧を纏い槍を構えたルドガーがそこに立っていた。

 

「悪いな、ここから先は行かせない。それに聞きたい事もあるしな」

 

絶対にここで食い止める。強い意志が込められた瞳で人魚の魔女を見据え、ルドガーは言葉を発した。

 


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