1.
十数分が経過したころ、ようやく人混みのなかに遠目から桃色の髪をした少女の姿を捉えることができた。
人混みを縫うように歩きほむらの方へと近づいてくるその姿は見慣れた制服ではなく、白を基調とした私服に、イメージに合いそうな桃色のカーディガンを羽織ったものだ。
「ごめんねほむらちゃん、待たせちゃったね」
「いいえ、そんなことはないわ…途中、大丈夫だったかしら?」
「ううん、ルドガーさんがそこまで送ってくれたから平気だよ」
「…そう」
こんなにも自分は自信をなくしかけていたというのに、ルドガーは変わらず約束を守ってくれていたのだ。改めて頭が上がらない、とほむらは感じる。
「よかったら、少し歩かない?」と、わずかに背の高いほむらを上目遣いで見ながらまどかは訊く。
「構わないけれど……どうして?」
「そ、その……せっかくだし、ほむらちゃんと……デートしたいなぁ、って……イヤかなぁ…?」
「デート…!? い、イヤなわけないわ」
「! てぃひひひ、じゃあ行こっか」
予想だにしなかった言葉を受け、ほむらは思わず上ずった声で返事をしてしまう。まどかは軽く慌てているほむらの手を引いて、再び雑踏へと繰り出した。
柔らかな手のひらの感触が触れただけで、心音が早まっていくのを感じる。きっと顔も赤くなっているのだろうと思い、少し俯き気味にして歩く。
反対にまどかは、まるで日なたのような明るい笑顔をしてほむらを引っ張ってゆく。同じ想いを共有しているという事が、それだけの自信をまどかに与えているのだ。
手を引かれながら横断歩道を渡り、最初に目についた駅ビルのデパートの中へと入ってゆく。
1階は化粧品やバッグ、靴、おしゃれな服を取り扱うテナントが並ぶコスメティックコーナーであり、今までそのような物とはほとんど無縁だったほむらは、場違いなのではないか、といった自念に駆られ出す。
まどかの方は恐らく友人たちや母親と何度か訪れたのだろうか、比較的慣れた様子でデパート内を散策している。
「ほむらちゃん、こういう所には来るの?」
「いいえ、来た事ないわ。その…友達とかいなかったし、魔女と戦ってばかりだったから……」
「そっか。じゃあ私が初めてなんだね?」
「………えっ!? は、初めて…そ、そうね。そうなるわね…」
ややくすぐったそうな顔をしてまどかは言う。それとは対照的に、ほむらの顔はさらに緊張で強張っていた。
(初めて……まどかが私の"初めて"………!)
深い意味などないに違いないのだが、そういう風に一瞬でも聞こえてしまったのだから仕方が無い。
だが、ある意味では間違いではなかった。ほむらの唇を奪ったのは確かにまどかが初めてであり、忘れたなどと嘘ぶいたものの未だに感触が残っているのだから。
心臓の鼓動が、隣にまで聞こえてしまうのではないかとばかりに速さを増す。魔法少女になって病を克服していなければ、きっと心臓がいくつあっても足りなかっただろう。
まどかはそのままほむらを牽引し、化粧品売り場へと入っていった。年齢的にはいわゆるお子様である2人に対しては店員も声をわざわざかけてこないが、まどかの目的はウィンドウショッピングだけに留まらない。
こういった規模の大きな化粧品売り場には、必ずといっていいほど試供品が置いてあるものだ。ここも例外ではなく、特に旬の色のリップや一押しの新商品などのそばにサンプルがいくつか置かれていた。
「お化粧とかもしたことなさそうだよね、ほむらちゃん」
「え、ええ…必要なかったから」
「何もしなくても綺麗なんだもん、ずるいなぁ」
「そ、そういう意味で言ったのではないのだけど…」
まどかはその中から、少々大人びた淡い色を中心としたサンプルを選んで手に取ると、ほむらの顔を見てにっこりと満面の笑みを浮かべた。
その妙に不自然な笑みに、ほむらはついたじろく。
「一応聞くけど、それ…どうするつもりなのかしら…?」
「うぇひひひ、任せて? いつもママのメイクしてるとこ見てるから、自信あるんだ」
「じ、自分で使うのね? ええ、そうよね」
「ほむらちゃんってば、何にもしなくても綺麗だからお化粧したらどうなるのかなって」
「ま、まどか!?」
ほむらの様子などお構いなしにサンプルの蓋を開けて、口紅を指にとる。そのまま少し血色の悪いほむらの唇に紅を乗せてゆく。まどかの指が触れる度に、
手つきが少したどたどしいが色合いの加減はわかっているようで、乗せ終わると見栄えの良い唇に仕上がっていた。当然の如く、ほむらの顔も茹で蛸のように真っ赤になっていたが。
満足そうな顔をしながら、まどかはほむらに鏡を勧める。
「わぁ……ほむらちゃん、綺麗……ほら、鏡見て?」
「えっ、ええ……こんな風になるのね…。でも…似合ってるのかしら、私なんかに……」
「もちろんだよ。ちょっと待っててねほむらちゃん」
「えっ? まどか!?」
何を思ったのか、サンプルで使用した色と同じリップを選び取り、ほむらを置いてレジの方へ行ってしまう。
数分置いて帰ってくると、やたら小綺麗にラッピングされた紙袋を持って戻ってきた。そのまま再びほむらの手をとり、化粧品売り場から出たあたりでその小さな紙袋を差し出してきた。
「よかったらこれ…受け取ってほしいな」
「わざわざ買ってきたの…?」
「うん。いつも守ってもらってばっかりだから、せめてものお礼っていうか…その…」
「ありがとう………嬉しいわ」
互いに顔を紅潮させながら、プレゼントを受け渡す。その姿はさながらに初々しさに溢れるようだ。紙袋を渡し終えると、2人はどちらともなく手を繋ぎ、デパート内の探索へと戻って行った。
2.
服屋や靴屋にも顔を出し、エスカレーターを上がっては文具屋や本屋など様々なコーナーを物色して廻る。ほむらの趣味や好みをさりげなく探ろうとまどかも何度となく問いかけをし、それをくすぐったそうに答えてゆく。そんな2人だけの時間が過ぎてゆく。
そうしているうちに小腹が空いたと感じたあたりで、まどかの方から提案を持ちかけてきた。
「上の階に食べ物屋さんがあるんだけど、行ってみない?」
「ええ…ちょうど、何か食べたかったところだったの」
「うぇひひひ、おんなじ事考えてたんだね。ほら、行こ?」
ほむらの手を引きながらエスカレーターをもう一段上がり、降りてすぐのところにあるフードコーナーへと入ってゆく。
中は休日の、それも昼時とあってひと気が多いが、なんとか空席を見つけて向かい合わせの形で席をとった。
周りを見渡せば、男女のペアで座っている組や家族連れで訪れている組も見られる。いったい自分たちはどういう風に見られているのだろうか、と考える。
(………少なくとも、想い合っている仲には見えないでしょうね。やっぱり"友達"かしら…そうに決まってるわね)
想いが通じ合っているのならば、きっと今の何倍も楽しかったろう。だが、それを閉ざしているのは他ならぬ自分だ。
過ぎた事を考えても辛いだけだ。気を紛らわそうと、まどかに何を食べるのかを問いかけた。
「何がいいかしら…?」
「えっとね…ここのクレープ屋さんがすごくおいしいんだよ。前にさやかちゃん達と一緒に食べたんだ」
「そう、それならクレープにしましょうか」
昔は甘い物などあまり食べなかったほむらだが、黄色い箱の携帯食糧を主食に摂るようになってから、幾分か甘さに耐性がついたような気がする。
あれは栄養価は確保できるものの甘いのが難点でもあったのだが、幾度となく摂り続けていれば慣れるというものだ。
揃ってクレープ屋の前に立ち、メニューを眺める。その間も2人の手はしっかりと絡んだまま離れない。
メニュー表にはバナナやメロン、ラズベリーやリンゴ…変わったところでは南瓜を使った温製クレープなど、様々な果物を折り合わせた豊富な種類の写真が並び、店内の奥から漂う甘い香りも手伝ってそのどれもが輝きを見せている。
「ほら、いっぱい種類があるでしょ?」
「ええ。これだけ沢山あると迷うわね……どれが美味しいのかしら?」
「前にこのメロンのを食べたけど、すごく美味しかったよ? 他にも色々あるけど……」
「これにするわ。まどかは?」
「あはは…もうちょっとゆっくり考えてもいいんだよ?」
まどかが美味しいと言うのなら間違いないだろう、と盲信にも似た心持ちでほむらは注文を即決した。
まどかは苦笑いを浮かべながらも、あえてほむらの頼んだものとは趣の違うものを指差す。
「じゃあ、私はこれにするね」とまどかが差したのは南瓜を使用した温製クレープだ。
「あとでひと口あげるよ、ほむらちゃん」
「いいの? でも………」
「うぇひひひ、遠慮しないで? あっ、すいませーん……」
どうも今日のまどかは押しが強い気がする。先刻出逢ってからこのかた、手を握られながらまどかのペースであちらこちらと連れ回されてやや戸惑い気味だ。
当然ながら、嫌だなどという気持ちは微塵もない。こうしてまどかと一緒にいて、新しい世界がどんどん見えてくる。ほむらにとってもそれは嬉しい事なのだ。
まるで初めて出逢った頃のようだ、と感じる。魔法少女になる以前も、まどかに手を引かれてばかりいたものだ。だが、自分はあまりにも変わってしまった。
(もう、笑い方なんて忘れてしまったわね……こんなんじゃあ一緒にいても楽しくないでしよう、まどか…)
自己嫌悪。こんなにも優しくしてくれるまどかに対して、自分は何も返せない。そんな自分が嫌になってしまう。
程なく、注文したクレープを受け取り席へと戻る。いたたまれなくなったほむらは、まどかにそれとなく尋ねてみる。
「まどか、私なんかと一緒で……楽しい?」
「……どうしてそんな事言うの?」
「だって…私、戦うことしかできなくて…こんなつまらない女とデ…デート…だなんて……」
「ほむらちゃん…いくら私でも怒るよ?」
手にしていたクレープをひと囓りして、もぐもぐと口を動かす。まるで小動物のようなその仕草にほむらはときめいてしまうが、唐突にまどかはそのクレープをほむらの方へ差し向けだした。
「まどか? どうしたの」
「ほむらちゃん、あーんして?」
「え、えっ!? いきなり何を言うのあなたは!? こ、こんな…女同士で……」
「それはほむらちゃんには言われたくないなぁ。ほら、あーん」
「うぅ…………あ、あーん……」
こうなってはまどかは意地でも譲らないだろう。意外なところで頑固さを発揮するまどかの性格はわかっていたはずなのに…と諦めてほむらはまどかの言葉に従う。
差し出されたクレープを、顔を赤くしながらひと囓りする。南瓜と生クリームの味が口内に広がるが、頭の方が茹で上がってしまってよくわからない。
それが済むとまどかはちょうどほむらが囓った部分をじぃ、と見つめる。一瞬の躊躇いのあと、一気にそこにかぶりついた。
「おいしいね、ほむらちゃん」
「う………うん」
照れ隠しをするように、ほむらは自分のクレープをむしゃむしゃと食べ始める。
美味しい。確かに美味しいはずなのだが、もはや味なんてわかるはずもなかった。
先程とは反対に、まどかはクレープを黙々と食べてゆくほむらをじっと見つめる。唾をごくり、と嚥下して、意を決して口を開いた。
「ほむらちゃん……私にも、食べさせて欲しいなって」
「まどか? 食べさせて…って」
「うん。………あ、あーん……」
「!!」
可愛らしく口を開いて、ほむらのクレープをねだるまどか。茹で上がったほむらの頭は、ここにきて沸点を超えかかっていた。
(可愛い………まどかが、私のクレープを……?)
恐る恐る、手にしているクレープを口元に差し出してみる。まだ口をつけてない部分があるにも関わらず、まどかは狙ったように歯型のついた部分にかぶりついた。
照れ臭そうにしながらメロンのクレープを頬張る。その顔を見て、ほむらの心臓はこれ以上ないくらいに早鐘を打ち続けた。
(まどかと……間接キス……まどかと…まどかと……)
「うぇひひひひ、おいしいよ」
「! そ、そう……よかったわ」
きっと自分の顔は真っ赤になっているだろう。緊張感に手元を震わせ、身体を火照らせながら、それを誤魔化すように残りのクレープをがつがつと食べ進めた。
3.
時は少し遡る。
杏子がゲームセンターを後にしたころ、その様子を人混みに紛れながら影から視ているものがいた。少し大人びた私服を身に纏い、気休め程度の変装として巻き髪ではなく髪を下ろしたマミである。
「ふぅ……どうやら、首尾よく終わったみたいね」
杏子とは過去に付き合いがあったこともあり、このゲームセンターによく顔を出すことは知っていた。2人の間に一悶着あればすぐに止めに入るつもりで休日を推して監視しに来たのだ。
そして何事もなく交渉を終えた様子を見届けると、ほむらに気付かれないようにゲームセンターを出ていった。
自宅へと戻る前に駅前のどこかで適当に食事を摂ってからにしよう、と飲食店の並ぶ方へ足を向ける。こうしてごく普通の休日らしく街中を歩くのは久しぶりだ。
数分歩いて通りを外れかけたあたりで意外な人物と顔を合わせることとなった。
「あれ、マミさんですか? …髪下ろしてると、なんか色っぽいですね」と声をかけてきたのは、軽快な服装をしたさやかだ。
「あら、美樹さん。こんな所で会うなんて奇遇ね」
「えっへへへ…恭介が明日、一時退院するからプレゼントでもあげようと思って買い物に来たんです。ホント、マミさんにはお世話になりっぱなしで…恭介のこと、ありがとうございます」
「いいのよ美樹さん、私はただ手伝いをしただけよ。あとは上条くんの頑張り次第だもの」
「恭介のやつも、奇跡的に腕の神経が回復したってわかると急にリハビリに熱が入って…また演奏が聴けるのも、近いかもしれませんね」
「そう…役に立てて、良かったわ」
談笑を交わしながらも、マミの脳裏にはひとつの記憶が浮かんでいた。
突然現れ、消えていった人魚の魔女。ほむらの話では、人魚の魔女の正体はさやかが契約し、魔女へと堕ちた姿だという。
だが、目の前にいるさやかの指には魔法少女の証である指輪も、爪に浮かぶ筈の紋様も見られない。
ほむらの言うとおり、今目の前にいるさやかは契約などしていないようだ。そもそも、魔女になってしまえば人型など保っていられない筈なのだが。
「………ん? マミさん、あれって…」さやかが急に、マミの背中越しに遥か後方を指差して言った。それにつられ、マミも後ろを振り向く。
人差し指の直線上の大分離れた場所には、もうすっかり見慣れた白髪の青年の姿と、その傍に桃色の髪の少女の姿があった。
「鹿目さんと…ルドガーさん? 珍しい組み合わせね」
「まさか、デート!? まどかめ、ほむらというものがありながら浮気!?」
「それはないわよ。鹿目さんは暁美さん一筋だもの。どちらかというと……兄妹ね」
「ですよねぇ……」
と言っても、ちょうど昨日ルドガーに似たような問いかけをして今の自分の発言と同様の回答を得たばかりなのだが。
さしずめ、ルドガーは少女たちの良き相談役……みんなの兄のような存在なのだろう、とマミは思う。
さやかと共に2人の姿を遠目から観察していると、まどかは途中で分かれて先程のゲームセンターの方角へと向かってしまう。その後ろ姿を見届けたルドガーは踵を返して帰路に就こうとしていた。
気になったさやかは、ルドガーにどうにか連絡をとれないかマミに訊く。
「マミさん、ルドガーさんの電話番号とか知ってます?」
「いいえ、彼は携帯電話を持ってないのよ。どうして?」
「…気になりません?」
「………気になるわね。いいわ、テレパシーを飛ばしましょう」
「さっすがマミさん!」
その為には忌々しい害獣にコンタクトをとり、基地局を設けなければならないのだが、今のマミからしたら好奇心の方がキュゥべえへの嫌悪感を少しだけ上回っていた。
『というわけでキュゥべえ、よろしく頼むわよ』と、どこかで観察しているのであろうキュゥべえへと念話を飛ばす。
『君たちは僕を電話器か何かだと勘違いしていないかい?』
『私たちを騙した責任、とってないでしょう?』
『騙したつもりはないんだけど……はぁ、まあいいよ。ほら、繋いだよ』
『どうも。…こほん、ルドガーさん? 聞こえるかしら?』
『えっ……マミか!? どうした?』
突然頭の中に響き出したマミの声に、ルドガーは驚きを隠せない。
『魔女でも現れたのか!?』
『いいえ。私たち今、駅にいるのだけど…遠目からあなたたちの姿が見えたから、ね。鹿目さんと一緒だったようだけど?』
『ああ…ほむらに逢いたいって言って家に来たんだけど、今ほむらは駅に来てるから、ここまでまどかを送ってたんだよ』
『あらあら…お2人はデートでもするのかしら。とにかく、私たちもそっちに行くわ。そこを動かないでいてね?』
『わかった、待ってるよ』
念話を切ると、マミはさやかに目配せしてルドガーのいる方角へと歩き出す。信号待ちを含めてものの2分ほどで3人は合流を果たした。
「おはよう、ルドガーさん」
「ああ、おはよう2人とも。…なんか雰囲気が違って見えるな、マミ」
「美樹さんにも同じことを言われたわよ、ありがとう」
「さてさて、行きますよルドガーさん?」
さやかは何故かうきうきとしてルドガーを促してくる。何を企んでいるのか、それとなく尋ね返すと、
「決まってるじゃないですか。2人を見守るんですよ」
「えっ!? い、いいのかそんなことして……」
「2人ともヘタレだから、見てないと逆に不安ですよ。ほら、いましたよ!」
えっへん、と胸を張りながらデパートの方へと歩いてゆく2人の少女たちを指差す。好奇心旺盛な年頃なのはこの際置いておくとして、このまま放っておくとロクな事をしない予感がする。やむなく、ルドガーは2人に同行すること決めた。
見失わないように尾けて、3人もデパートの中に入ってゆく。化粧品売り場のなかで何やら揉めている様子の2人を物陰からそっと眺めると、ただならぬ桃色のムードをさやかが感じ取った。相変わらず、声を聞かれない為にもキュゥべえが念話の中継役として使われている。
『ちょ………まどかったら、大胆な!』
『どうかしたの、美樹さん?』
『まどかがほむらに口紅塗ってあげてるんですよ! ああもうなんかエロいなぁ、あの2人!』
『美樹さん……年頃の女の子が"エロい"なんて口にしちゃあダメよ? …でもまあ、確かにアレは
『………………』
異様なほどの仲の良さを見せる2人に、さやかとマミもはしゃぎ出す。その念話に挟まれたルドガーは、どこに口出ししていいのか本気で頭を悩ませていた。
ひとつだけはっきりとわかるのは、これがもしバレたら時間停止&ハチの巣の刑が待っているという事だけだ。
プレゼント交換を済ませた2人はさらに奥へと歩いてゆき、服屋、アクセサリー屋、文具屋…と次々と場所を変えてゆく。そのひとつひとつで、2人の絆の深さをまざまざと見せつけられては悶絶するさやか達を、それとなく窘めながらルドガーも付いてゆく。
2人のストッパーという意味では、ルドガーの存在はこの場には必要だったのだ。
そうして昼を過ぎたあたりで、まどかとほむらはフードコーナーへと入ってゆき、増えた手荷物と共に席の一角に腰を降ろした。
いつも帰り道に寄るショッピングモールとは異なり店はやや狭いが、さやか達も遠目からギリギリ観察できる位置の離れた席をとる。サングラスを途中で調達したマミが代表となってドリンクを買い、席へと戻ってきた。
「はい、ルドガーさんはスプライトと…美樹さんはコーラね」
「ありがとうございます、マミさん!」
「しっ…聞こえるわよ。ところで、向こうはどんな様子かしら…?」
マミも加わり、改めてほむら達の観察に入る。ルドガーはもはや諦観の境地で、さやか達のはしゃぎ様が度を越さないように見張ることに徹していた。
まどか達はというと、どうやら2人揃ってクレープを購入したようで、口元に生クリームをつけながら美味しそうに食べているところだった。
「向かい合ってクレープとか…もうアレ普通のデートじゃん! どっから見てもラブラブですよ!」
「美樹さん、見て見て! 鹿目さんが"あーん"をおねだりしてるわよ!」
「なんですとぉ!? 鹿目まどか…おそろしい子! 仁美に見せてやりたいわ…」
「ああっ…暁美さんもなんだかしおらしくて、可愛らしいわねぇ…」
「………………」
これがいわゆるガールズトークというやつなのだろうか、とルドガーは苦い顔をする。とてもついていけたものではない。
ともあれ、まどかとほむらがああして仲良く過ごしているのは喜ぶべきところだった。
箱の魔女との戦いで自信をなくしかけたほむらを支えられるのは、やはりまどかを除いてはいないのだろう。
しかし気になったのは、まどかが心なしか普段よりも積極的に動いていることだ。
(無理してるのか……? ほむらを元気付けようとして。それとも……)
自分の想いがちゃんと伝わっているのか、不安なのだろうか。確かにほむらは「憶えていない」と誤魔化してみせたが、伝わっていないのならばほむらはああも悩んだりしないはずだ。
むしろ、知ってしまったから。自分の想いは決して一方通行などではないのだとわかってしまったから悩んでいるように見えたのだ。
果たしてこの自分が本当にまどかに相応しい人間なのか、と。
「ああっ! まどかがほむらの口元の生クリームを指で拭って……」
「舐めたわ! 舐めたわよ美樹さん!」
「2人とも少し落ち着いてくれ……」
この年頃の少女たちからしたら、他人の恋愛事情が面白くて仕方ないのだろう。ルドガーはあまり触れないで、あくまで見守る程度に収めたかったのだが、この2人はどうやらそれに収まりそうになかった。
願わくば、くれぐれもバレないことを祈るだけだ。
4.
軽食を終えた2人はフードコーナーを立ち、どちらともなく歩き始める。既にデパート内はあらかた探索が済んでしまい、次に何処へ行くか決めかねていたのだ。
「おいしかったね、ほむらちゃん」と、まどかは顔を紅くして照れながら訊く。
「ええ………おいしかったわ」と答えたものの、食べさせ合いっこを半ば強要された上に口元の生クリームを食べられたとあっては、味などわかるはずもなかった。
2人は揃って赤面しているが、違いといえばまどかは笑顔でいて、ほむらはやや俯き気味という事ぐらいだ。
だが、元々ほむらは内向的な人間であり、魔法少女になってからもそれは基本的に変わっていない。
変わったといえば、人見知りしやすい弱い性格であったのが、基本誰も当てにしないという閉じた性格へとなったことぐらいだ。
その点もルドガーと出会い、それにより他の少女たちとかろうじて友好的な関係を築くことができ、幾分かは改善されているのだが根底の部分まではなかなか変えられないものだ。
「まどか……次は、何処に行くのかしら」
「んー…そだね、まだ少し早いけど…ほむらちゃんに見せたい場所があるんだ」
「見せたい、場所? それはどこにあるの」
「てぃひひひ、それはお楽しみだよ。ほら、行こ?」
手を引かれながら2人はデパートの外へと向かう。エスカレーターを下り、もと来たルートを逆に辿って表に出ると、日射しが少し暖かさを増していた。改めて時計を見ると、デパートに入ってから既に2時間が経とうとしていた。
時間を操る魔法を使うにも関わらず、時間の感覚がなくなっていたようにも感じる。
楽しい時間は過ぎるのが速く感じるとよく言うが、これがそうなのだろう、とほむらは思う。
(確かに、私の繰り返して来た時間に比べれば…一瞬のようなものね)
自嘲気味な感情に囚われながらも、まどかには悟られないように俯いて表情を隠す。
だが、そんなほむらの僅かな挙動を察してか、まどかは気遣うように声をかけてくる。
「もしかして……楽しくなかった…?」
「えっ…? そ、そんなことはないわ。どうしてそんな…」
「ほむらちゃん、さっきから俯いてばかりだから…もし、無理させちゃったんなら……」
「無理なんかしてないわ。でも…ごめんなさい。まだ少し調子が戻ってないみたいね」
「やっぱり、今日はもうやめとく…?」
「…ううん、行きましょう。私に見せたかったのでしょう? 楽しみだわ」
まどかに気を遣わせるようでは駄目だ。ほむらはマイナス方向に向いていた思考を頭を振って無理矢理引き戻し、笑顔をつくって見せた。
しかし意識して笑顔を出そうとするも、どうにも堅くなってしまう。最後に"楽しい"と感じて笑えたのは、もういつだったのかすらわからないのだ。
わずかに沈黙の時が流れる。まどかの、手を握る力が少し強まる。いつの間にか繋いだ手は、互いの指が絡み合うようか形をとっていた。
作り笑いをした事も悟られてしまったのだろうか、まどかの表情にも微かな不安の色が見て取れた。
「行こっか」
沈黙を破り、まどかはただひと言だけを告げた。
5.
駅から少しずつ遠ざかり、住宅街からも離れた場所へと向かう。暖かい春風が吹くなか、景色は人工物ひしめく街並みから木々の並ぶ自然さに満ちた道へと移り変わってゆく。
やや拓けた場所に出て丘を上がってゆくと、頂上に近づくにつれて花畑のような空間が見えてくる。
「ここは………」
その場所は、ほむらにとっては初めて訪れる場所ではなかった。過去の時間軸で度々訪れ、そして箱の魔女の幻影の中で立ち寄った場所でもある。
ただし1人で訪れた事は一度もなく、必ず傍らに誰かがいたのだが。
「てぃひひひ、綺麗でしょ?」と言いながら歩を進め、花畑の中央に置かれたベンチへと向かう。ベンチに乗った白い花弁を軽く手で払ってから、2人は腰掛けた。
そこからはビルの立ち並ぶ見滝原の街並みを一望できる、市内随一の絶景スポットだ。
夜になればネオンが散りばめられて、より綺麗な景色を観れるのだが、それにはまだ日が高すぎるのが惜しいところだ。
春風と共に花の香りが漂ってくる。心地良い陽気と合わさって、淀んだ心が癒されていくようにも思えた。もっとも、隣に想い人がいなければそうはいかなかっただろうが。
「素敵な場所ね。ここを見せたかったの?」
「うん。もしかしたら、知ってたかもしれないけど………」
「…そうね。来たのは初めてではないわ。でも、"あなた"と来たのは初めてよ」
嘘は言っていない。この時間軸のまどかとここを訪れたのは確かに初めてなのだから、と言い訳をするように自分に言い聞かせる。
「…やっぱり、そう言うと思ってたよ」
「まどか……?」
「今日はね、ほむらちゃんにどうしても訊きたい事があったんだ。だからここまで連れて来たの」
まどかの声色に重みが増す。悩みながらも、ひとつの決意を込めた言葉だ。
互いに指を絡ませたまま、まどかはその手を自身の胸元に包むように抱く。
「私ね…ずっと誰かの役に立ちたいって思ってたんだ。ほら、私ってどんくさいし頭も良くないし…ほむらちゃんみたいに戦える勇気もない、弱虫だし…
だけどね…こんな私を誰かが必要としてくれるなら、私はそれに全力で応えようって思ってたんだ」
「そんなことないわ…あなたは私を何度も助けてくれたじゃない。あなたがいてくれただけで、どれだけ私が救われたか…」
「うん…でもね、それだけじゃあダメなんだ。私はいつもほむらちゃんに守られてばっかりで…大好きな人が傷つくのを、見てることしかできない。そんなのはイヤなの…私も、ほむらちゃんを守りたいの。ほむらちゃんが笑顔でいられるように、守ってあげたいの…!」
「まどかが、私を………?」
その願いは、かつての自分の願いとよく似ていた。守られるのではく、守る存在になりたい、と。自分の弱さを呪い、悪魔に魂を売ったかつての自分の姿と、かすかにだぶついて見えた。
違うのは、勇気があるかどうかだ。まどかは自身のことを"勇気がない"と言っていたが、そうではない事をほむらは痛いほどに理解していたのだ。
「まどか……あなたは弱虫なんかじゃないわ。あなたにはね、大事なものを守る為なら自分の命だって懸けてしまえるほどの勇気があるの。………私は、そんな"まどか"を守りたかった。そんな選択なんてしなくていいように、あなたを守る事だけを考えて戦ってきたのよ」
「ほむらちゃん……でも、私は……!」
「………少し、昔の話をしましょうか。いつだったか、"あなたがいなければ、今の私はなかった"と言ったわね」
「うん。あの時はよくわからなかったけど………」
「………私の願いはね、まどかとの出逢いをやり直すこと。まどかに守られるんじゃなくて、守れるようになりたい、そう願ったのよ」
言いながらも、不安に心が押しつぶされそうになる。こんな自分勝手な願いを打ち明けていいのか、と。
しかしまどかは、そのかすかな不安を手の震えから感じ取り、言ってみせる。
「大丈夫だよ。どんなほむらちゃんも、私は受け入れられる。…この想いは、何があっても変わらないよ」
陽だまりのような笑顔でまどかは言う。その優しい声に後押しされ、ほむらは少しずつ言葉を紡いでゆく。
「……初めてあなたに出逢った時は、あなたは既に魔法少女で、私はただの弱い女でしかなかった。勉強もできなくて、運動もできなくて…自分から誰かに話しかける勇気もなかった。そんな私を、まどかはずっと支えてくれた。『魔女に襲われそうになった私を守れたのが、一番の自慢だ』って言ってくれたわ」
「…それが、昔の"私"なんだね?」
「ええ。でも…死んでしまったの。今から2週間後に訪れる"ワルプルギスの夜"…彼女はあいつに戦いを挑んで、命を落とした。その時思ったのよ。
『私はなんて無力なんだろう…大事な人を守る事もできない』って。だから私は契約した。時を遡って、まどかを守る為に。
…でも、守れなかったの。何度時を繰り返しても、未来を変える事はできなかった。あなたが目の前で死んでしまうのを今まで何度見てきたか……
時を繰り返す度に私達の心は離れていったわ。想いは届かなくなって、ついには友達でさえいられなくなった。…私を、信じてくれなくなったの」
握りしめたほむらの手は冷たくなっていた。今にも張り裂けそうなほどの感情…いつもの低い声色とは異なる、涙交じりの感情の込められたほむらの声は、まどかの胸を締めつけるように心に響く。
「ごめんね、まどか。私本当は憶えてるの。あの夜の、あなたの言葉を」
「…うん、気づいてたよ」
「ほんとの事言うとね…すごく嬉しかった。この気持ちは私だけのものじゃなかったんだ、って。今もね、まだ"ここ"に感触が残ってるんだよ? 何回も繰り返してきたけれど、私を好きになってくれたのは、ここにいるあなただけ。
でも…それと同時に、怖くなっちゃったの。私はあなたに愛される資格なんてないから。
私はね、まどか…あなたの願いを踏みにじったのよ」
「どういう、意味…?」
「ここに来る前の時間軸のあなたはね…"過去から未来において、全ての魔女を消し去りたい" そう願ったのよ。だけど全ての時空に干渉するということは、とても人の身では叶わない。
その願いを叶えてしまったら、あなたは人として存在できなくなってしまう。誰の目にも見えなくなって、全時空から"鹿目まどか"という存在が消えてしまう…二度と、あなたに逢えなくなってしまうの。
私はそれが耐えられなかった。あなたがいない世界に取り残されるくらいなら、死んだ方がマシだったのよ……!」
「それって、もしかして……」
まどかの脳裏には、ほむらの言葉によって喚起された光景が浮かんでいた。いつか夢で見た、廃墟と化した見滝原での黒髪の少女との邂逅。
愛の言葉を囁き、熱のこもった感情をぶつけられ……その先の光景をまどかは識っていた。識っていて、今まで思い出せなかったのだ。
「だから私は、まどかの目の前で……自分のソウルジェムを破壊したのよ……」
「えっ…それじゃ、死んじゃうんでしょ…? なんで…」
「……ふふ、ただ単に死のうとしたわけじゃないの。もしかしたら、まどかなら願いを棄てて私を助けてくれるんじゃないか、って心のどこかで期待してた。ううん…わかっててやったの。
結果は知っての通りよ。私はまどかの願いを使って生き永らえて、今ここにあなたが存在している。………私を助けたまどかは、反動で魔女になってしまったわ。
もちろん悲しかった。また救えなかったんだ、って思ったわ。でもね、同時に"またまどかに逢えるんだ"って、ほっとした。悲しいはずなのに、心の中に少しだけ嬉しさがあったのよ。
ね、私はこういう女なの……最低で、救い様のない女なの。あなたに愛される資格なんて、あるはずがないのよ……!」
繋がれた手を半ば強引に引き離す。泣きじゃくりながら罪を告白するほむらの姿は、まどかが今まで見たことのない程に弱々しいものだった。
ほむらも覚悟の上で言ったのだ。きっと知られれば軽蔑される。自分のような浅ましい人間が、まどかのような純粋な人間に相応しいはずがない、と。それでも、ここまで心の内を曝け出してくれたまどかに対して、隠しているままではいられなかったのだ。
嫌われるだろう、という恐怖よりも、本当の自分を識ってほしいという気持ちの方が強まっていたのだ。
だが、まどかの答えは決まっていた。たとえほむらが何を言おうと、それがまどかに対する明確な拒絶でない限りは、まどかの想いは変わらない。
「そんなことないよ、ほむらちゃん」
そっとほむらの頬に両手を添える。白く柔らかな肌を伝う涙を指で拭ってみせ、そのまま2人の距離は近づいてゆく。
「まどか…!? んっ……」
うっすらと淡い紅の乗った唇を慈しむように、優しく唇を重ね合わせた。
熱を確かめ合うように。頬に添えられた両手は、決して離れぬようにと自然とほむらを抱きしめる形に変わる。
「っは……やめ、て…まどか…! これ以上優しくしないで! でないと私、あなたから離れられなくなる……!」
「離れる必要なんかないよ…だって、そんなの寂しいよ。言ったよね? ずっとそばにいて、って」
「……いいの? こんな私で本当にいいの…? 」
「ほむらちゃんじゃなきゃダメなの。……私ね、こんなに誰かを好きになったの初めてなんだよ?」
「…う、うぅぅぅ……まどかぁ……うあぁぁぁん……」
凍てついた心が溶かされてゆく。優しさに、暖かさに、初めて与えられた深い愛情にほむらは耐えきれず、ついに大粒の涙を零す。
胸元に縋りつくように泣き、その暖かさに溺れてしまう。きっともう離れることなど叶わないだろう。
失いたくない。もう繰り返したくない。共に生きていたい。そういった抑圧された感情が一気に心の底から溢れてくる。
「まどか……あなたが好き! 大好き! 愛してるの…!」
「私もだよ。……愛してるよ、ほむらちゃん」
「あ…あっ、ありがとう……まどかぁ…………ぐすっ……」
まるで世界が時を止めてしまったかのように。2人のいる場所だけが切り取られたかのように、永遠に感じる。花のように廻る時の中で、望んでいた暖かさを手に入れる事ができたのだ。
何が待ち受けているとしても、離さない。今ここにいるまどかだけは絶対に離さない。砂時計を廻したとしても、2度とこの温もりを手に入れる事はできないのだ。
たとえ、ずっと一緒には居られないとしても。
6.
デパートを抜けてから、まどか達を後ろから追随する形で街路樹の立ち並ぶ通りに入る。周りには蓮池と木々しかなく、建物内とは異なり隠れる場所が圧倒的に少ないため、距離もかなり置いている。
「あっちの方に行くと…自然公園の方に出るわね」
「デートの締めに花畑…まどかのやつ、いいセンスしてますねぇ」
「美樹さん、あなたも見習った方がいいわよ? 上条くんと一緒に行ってきたら?」
「たはは……まあ、まずはそうゆう関係になってからですかねぇ……ほらアイツ、ああ見えてヘタレですから」
「んー…なんとなく、わかる気がするわね。でも美樹さん、あなたもあまり人の事言えないんじゃないかしら?」
「ぐっ! 痛いとこ突いてきますねぇ…」
さやかとマミはなおも2人を遠目から生温かい目で観察しており、仲良さげに手を繋ぐ様子を見て色々と言いたい放題なのだが、ルドガーはもはや敢えて口を出さない。
それよりも気になったのは、まどか達が向かっている場所だ。その花畑は、ルドガーがこの世界に飛ばされて最初に目にした所だったからだ。
思えばそれから早くも半月。魔法少女や魔女と、あまりに特殊な出来事に巻き込まれながらもようやくこの世界に慣れてきたところだ。
未だに時歪の因子と魔女との関連性は不明のままであるが、骸殻を使って戦う事ができる以上はこの世界でやれるだけのことをする。しかし、拭いきれない懸念はあった。
もう半月もせずに現れるという、ワルプルギスの夜。幾度となくほむらを苦しめ続けてきた最悪の魔女。もし、そのワルプルギスさえもが時歪の因子化したらどうなってしまうのか。
(それこそ"最悪"になりそうだな………けど、今までを振り返ってもまず避けられないだろうな)
「ルドガーさん? どしたの、なんか難しい顔して」
「えっ、ああ…ちょっとな」
会話に全く交じってこないルドガーを、さやかが少し気にかけて声をかける。
その明るい表情にすっかり毒気を抜かれ、肩の力を下ろした。
「なぁ、あっちまで行くと隠れる場所もないんじゃないか?」と、いい加減あとを尾けるのがいたたまれなくなり、マミに提案を持ちかける。
「それもそうね……花畑に入っちゃうと、丸見えだわ。この辺にしときましょうかしら?」
「ですね。まあもうあの2人なら心配ないか! さっきから見せつけてくれてばっかりだし、明日学校で聞かせてもらうかなぁ」
「じゃあ、明日は報告を美樹さんにお願いしようかしら。ほら、私学年違うし」
「任せてください!」
尾行をやめ、街路樹の通りの脇にある蓮池の前で立ち止まる。折角のいい天気だ、ただ帰るのは勿体無いような気がする。
さやか達も同様の事を思ったようで、春の陽気を浴びながら腕を伸ばして「ん〜〜!」と深呼吸をしていた。
清らかな蓮池の水面に3人の姿が映り込む。マミは欠伸をし、ルドガーは見慣れない植物を不思議そうに眺める。そこでルドガーはある違和感に気付いた。
さやかは隣で腕を伸ばしているのだが、水面に映るさやかの姿は、ただ立ち尽くしているだけなのだ。
その姿も大きく異なる。白と青を基調とした彩りに、肩を出しマントを羽織った格好をし、音楽記号のフォルティッシモ"ff"を象ったようなデザインの髪飾りをつけている。
それは衣服と呼ぶよりは、衣装と呼ぶ方がしっくりくる。マミや杏子の服装を思わせる
ソレは、まるで魔法少女の衣装のようなのだ。
「何だアレは……?」
目を凝らしてよく観察すると、水面のさやかとハッキリと目が合う。不自然なほどに鋭い眼差しを向け、口元を半月型に歪ませた。
ポケットに仕舞ってある懐中時計が金切り音を立てる。もうすっかり慣れたその反応が指し示すものは、ただひとつだけだった。
「気をつけろ! 時歪の因子だ!!」
「「えっ!?」」
ルドガーの大声に、2人揃って驚きを示す。懐中時計の音はなおも大きく鳴り続け、耳鳴りのように響く。ここまで大きな反応を示した事は数える程しかない。
2人も続いてルドガーの視線の先を見ると、水面のさやかの背後に巨大な影が映り込む。骸骨のような兜に、甲冑を纏いマントを翻す人魚のような亡霊の姿だ。
「あれが人魚の魔女か!?」
「ええ! でも、結界も張らずになぜ……」
「ひっ……な、何アレ!? あたしが映ってるの…!?」
「落ち着いて、美樹さん。……暁美さんの話、疑っていたわけではないけれど、これは……」
マミは一度遭遇しているが、さやかは初めて見る魔女だ。ましてや、水面に映る自分の姿と、人魚の亡霊の姿が重なっているのだ。驚くなと言われても無理な話だ。
ルドガーは即座に2丁銃を構え、水面に映るさやかに向かって数発の弾丸を放った。隣にいるマミは変身もせずに即席でマスケット銃を造り、弾丸を撃ち込む。しかし当然ながら、ダメージなど見込めるはずもない。
ただの虚像のようにも見えるが、時計の反応からして魔女であることは間違いない。しかし人魚の魔女は、こちらを攻撃しようという素ぶりは見せなかった。代わりに、ゆっくりと口元を動かして何かを呟いてみせる。声こそしないが、何を言っているのかは見て取れた。
「み…つ…け…た……? どういう意味だ?」
それを最後に、水面のさやかの背後にいる人魚の魔女が巨大なマントを翻し、自身の姿を覆う。はらり、とマントが落ちると共に、魔女の姿は水面から消え去り、もとのさやかの姿が何事もなかったかのように映し出された。
「また逃げたようね………何が狙いなのかしら?」
「わからないな。………ただ、今ので少し思い当たるものはあった」
「というと、何かしら?」
「並行世界………かな」
「! …そういうことね」
ルドガーが思い当たったのは、ヴィクトルの事だ。分史世界の住人であるヴィクトル…10年後のルドガーは、正史世界のルドガーを殺して成り代わり、エルと共に人生をやり直そうとしていた。
正史世界には同じものは2つと存在できない。鉢合わせれば自動的に正史世界から押し出され、帰る世界がなければそのまま消滅してしまう運命にある。だからこそ、ヴィクトルはルドガーを分史世界におびき寄せ、殺す必要があったのだ。
しかしさやかに対して、「並行世界の君は魔女になっているんだ」とはとても言えたものではない。
マミの方はルドガーのひと言で何か勘付いたものがあるようで、敢えてそれ以上を聞き出そうとはしない。
「さやか、家まで送って行く。今日はもう帰った方がいい」
「えっ…? やっぱり、さっきの魔女ってあたしと関係があるんですか…?」
「今はまだ断言はできないけど…念のためだよ。なるべく独りにならないようにしてくれ。
何かあればすぐ駆けつけるから、キュゥべえを使ってでも連絡してほしい」
「わ、わかりました……」
幸せそうな日常は長くは続かないものだ。全てが終わるまでは、決して気を抜く事はできない。
ルドガーは改めてそう思い知らされるも、今ここにいる皆を守り抜くという強い意識を抱く。
だが、戦えるのだろうか。今度の相手はルドガーの予想では過去最悪に近い敵であり、傷つけるのを躊躇われてしまう恐れもある。
まずは正体を確かめなければならない。あのさやかは何者なのか。どうして、ほむらの名を呼び激昂していたのか。
問題は、次から次へと重なってゆくばかりだ。