誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第14話「それは"愛"ではないわ」

1.

 

 

 

 

 

 

血のような水溜りの上でアンバランスな躯体をゆらゆらと漂わせる人魚の魔女は、静かに唸り声を上げながら2人の魔法少女を比べるように眺める。

その仕草からは強い敵意を見出すことはできず、マミは首を傾げた。

 

「………? 攻撃してこないわね」

 

警戒を怠ることはないが、今までの魔女とは少し変わった雰囲気に違和感を覚える。対して杏子は魔女の隙を窺っており、いつでも槍を携えて斬りかかる態勢をとっていた。

 

「何してんだマミ、さっさと銃を構えな!」

「え、ええ……」

 

杏子に押され、2本のマスケット銃を錬成する。銃口を魔女に向け、装甲の薄そうな場所を探して狙いをつけ、まずは牽制にと弾丸を放つ。

しかし人魚の魔女はその大きさとは裏腹に、非常に機敏な動きでサーベルを振り抜いて弾丸を弾き飛ばした。

 

「うそ、速い…!」

 

マミの銃撃に反応したのか、いよいよ人魚の魔女は動きをとり始めた。サーベルを高々と掲げたかと思うと、まるでコンサートの指揮者のような真似をしてサーベルを振り始めたのだ。

その動きに応じて、マミと杏子の周囲に一斉に使い魔が召喚されてゆく。アリーナの外周は使い魔がびっしりと立ち並び、観客席のような場所も人型の使い魔で埋め尽くされてゆく。

その数はもはやマミの一斉射撃でも総ナメにするには厳しい程にまで達した。

 

「冗談じゃないわよ、この数!」

「慌てんなよマミ! 本体を潰しゃあいいだけだろうが!」

「あっ…佐倉さん!?」

 

痺れを切らした杏子は槍を多節型に展開して、蛇のように操りながら人魚の魔女へと飛びかかる。

縛り上げんとして多節槍を振り回すが、人魚の魔女はサーベルを当てて槍を弾いた。続けざまに車輪型の使い魔を背後から呼び出し、杏子に向けて突撃させる。対して杏子は槍をもとの形に戻し、旋回させながら車輪の攻撃をいなしてゆく。

 

「佐倉さん、気をつけて!!」

 

杏子の背後からマミの援護射撃が飛来する。車輪を片っ端から撃墜してゆき、人魚の魔女にも何発か飛んでゆくが、やはりサーベルのひと振りで弾丸は打ち落とされる。

 

「へっ……もらったぁ!!」

 

その隙をついて、杏子はサーベルの隙間を縫って的確に槍を投擲する。使い魔による阻害も間に合わず、吸い込まれるように人魚の魔女の頭部へと飛んでゆくが、

 

『オォォォォォォ………!』

 

ぱしゃり、と人魚の魔女は水に溶けるように姿を消す。目標を失った槍はアリーナの観客席へと突き刺さり、強烈な爆発を起こした。

一瞬、何が起こったか状況の理解に苦しむが、すぐに杏子は背後に気配を感じる。水に溶けた魔女はまさにその位置で、瞬時にもとの形に戻ったのだ。

 

「ヤロウ…水の中を自由に動けるのか!?」

 

すぐに態勢を立て直して槍を構え直し、人魚の魔女の奇襲に備える。だが魔女はやはり攻撃は仕掛けて来ず、杏子とマミに挟まれる位置でゆらめくだけだった。

舐められているような気分になり、次第に杏子の苛立ちも募ってゆく。

 

「テメェ、余裕こいてんじゃねえぞ!!」

「待って佐倉さん! やっぱり何かが変よ!」

「あぁ!? 何がだよ!!」

「どの道、埒があかないわ……ルドガーさんを呼んであるから、それまで待ちましょう」

「ルドガー? …ああ、あの妙な外人か」

 

先刻の事を思い出し、杏子は苛立ちをぶつけるように槍で地面を叩く。魔法少女でもない男がなぜあれだけ強いのか、という面でも興味はあったが、自分自身が軽くいなされた事は決して快くはない。さらに言えば、杏子同様ルドガーも"全く本気を出していなかった"からこそ苛立っているのだ。

そんな男になど頼らずとも即座に魔女を叩き潰したいが、大量の使い魔に囲まれたこの状況は確かに好ましくはない。

 

 

『………………………チガウ……』

 

 

骸骨のような兜の隙間から、かすかにソレは聴こえた。

 

「…おいマミ、今喋ったか?」

「いいえ、でも私にも聴こえたわ……まさか?」

 

2人の注意は人魚の魔女の口元へと集まる。唸り声に混じり、確かな声が聴こえたような気がしたからだ。

アリーナの使い魔たちも、観客席の使い魔たちも皆微動だにせず、寡黙に立つだけだ。この場で言葉を紡げるのは、2人の少女だけのはずなのに。

 

『…………ホムラ……!』

 

今度は確かに聴こえた。しかも、2人の聞き覚えのある名を呼んだのだ。

 

「ホムラ………まさか、暁美さん…?」

 

人魚の魔女は左手を上げ、自らの頭を抱える。呼気は次第に荒くなり、使い魔たちもそれに応じるようにざわめき出す。

 

 

『…ホムラ……ホムラ、ホムラ、ホムラ、ホムラァァァァァ!!』

 

骸骨の兜が歪に裂け、獰猛な牙を見せながら魔女は叫んだ。サーベルを乱暴に振り上げ、八つ当たりをするように周囲を攻撃する。その様は"斬りつける"というよりは"殴りつける"といった風に見えた。

だが、その方向は2人の少女の立つ位置とは大きくずれている。マミと杏子は呆気にとられながらその様子を観察していた。

 

「なんだぁアイツ? 喋ったかと思ったらトチ狂いだしたぞ」

「まるで暁美さんに怨みでもあるみたい………まさか、ね」

「なぁ、暁美ほむらをここに呼べばいいんじゃねえのか?」興を削がれ、杏子は懐から新しい飴玉を出して口に含む。

「暁美さんはまだ戦える状態じゃないわ。昨日の戦いでだいぶ消耗したみたいだもの。それに…こんな状況で連れてきても何が起こるかわからないわよ」

「へっ、確かにな」

 

もはや敵味方問わず、人魚の魔女は観客席の方にまでサーベルを振るって八つ当たりをしていた。斬撃を受け、激しい音を立ててアリーナが崩れてゆく。

やがて探し物が見つからないと悟った人魚の魔女は、再び水溜りに溶けて姿を消す。不意打ちに備えて杏子たちは身構えるが、魔女は姿を現すことはなかった。

アリーナの天井を中心にひびが入ってゆく。主の立ち去った魔女結界は、少しずつ崩落し始めた。

 

「チッ、逃げたか……」

「そのようね…私たちも一旦退いた方がいいわね。どちらにせよ、数では厳しいものがあるわ」

「そーかい」

 

程なくして、アリーナは消滅してもとの路地裏に戻ってくる。杏子はいち早く変身を解き、飴玉を噛み砕いて新たな駄菓子をポケットから取り出してみせた。

 

「このまま追っかけてブチのめしてもいいんだけどなぁ…まあいいや。今日は帰るよ」

「…ねぇ佐倉さん。また昔みたいに、一緒に戦えないの…?」

「へっ、バカ言うなよ。…アンタが一番わかるだろ?」

「………そうね」

 

杏子はあくまで飄々とした態度をとっているが、今の2人の間には決して相入れないところがあった。

街の平和を守るため…そして、魔法少女の成れの果てである魔女を、罪を重ねてしまう前に"終わらせる"為に戦うと決めたマミ。

対して打算的であり、自分が生きてゆく為だけに魔女を狩り、時には使い魔を見逃して卵を孕ませるような真似もする杏子。

しかし、初めからそのような人間性ならばマミは杏子など相手にすらしないだろう。それでも気にかけずにいられないのは、彼女が本来どういう少女だったのかを、誰よりも理解していたからだ。

 

「ま、アタシらは高望みが過ぎたんだよ。奇跡を願えば、その分だけ絶望が撒き散らされる。そうやって差し引きゼロにして世の中のバランスは成り立ってるんだよ。だからアタシは、もう何も望まない。独りで生きていくって決めたんだ」

「佐倉さん……あなたは悪くないのよ。悪いのは……」

「いいんだよマミ。…こんなアタシを今でも気にかけてくれて、これでも感謝してるんだぜ」

「でも……!」

「アタシはそろそろ行くよ。じゃあな」

 

杏子はマミの言葉を待たず、後ろを向いたままひらひらと手だけ振って去っていった。

あとに残されたマミも変身を解き、その物寂しそうな後ろ姿に胸を傷める。

 

「…佐倉さんも、暁美さんも、大切なものを守るために願ったのに。私なんかに比べたら、2人とも………!」

 

届かない手を握り締めて、無力さに打ちひしがれることしかできない。

それでも今できる事をやるしかない。その為なら全力を尽くそう、と誓ったのだ。

 

「杏子……信じてるわ」

 

いつの日かもう一度肩を並べられる事を願って、遠のく背中に呟いた。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

杏子が立ち去ってから数分後、やや遅れた形で路地裏にルドガーが駆けつけて来た。しかしマミの予想通り、その隣にはほむらの姿はない。

走って来たのか、やや額に汗をかきながらルドガーは尋ねてくる。

 

「マミ、無事か!?」

「ええ、無事というか……その、逃げられたのだけど…」

「逃げた…? そんな事があるのか?」

「たまに賢い奴がいるのよ。…それについて暁美さんに話があるのだけど、今は家かしら?」

 

敵のいなくなった今、ここにいる意味はない。マミは路地の外へ足を向けて歩き出し、ルドガーもそれに続いてゆく。

 

「ああ、まだ戦える状態じゃないからな。それに…ソウルジェムの事もあるし」

「ええ…一体、彼女はどうなってしまったのかしら」

 

変質してしまったほむらのソウルジェムは、マミも目にしていた。希望に依り輝くでもなく、絶望に依り燻るでもないソレは、未だ見た事のないものだった。

黒い翼の正体もわからず、ソウルジェムはもはや濁っているのかすら判別もつかない。何より、魔女の攻撃で精神が摩耗しているのだ。そんな状態で戦地に赴かせる事などとてもできはしない。

 

「迷惑でなければ、今からでも暁美さんに会いたいのだけど……平気かしら?」

「会うくらいなら問題ないと思うけど。さっきも少し出歩いたし。それに…まだ伝えてない事もあるからな」

「そう……家まで案内してくれるかしら?」

「わかった。こっちだ」

 

マミの前に出て道案内を引き受ける。駅の反対側に路地を抜けたしばらく先は、ルドガーが買い出しでよく訪れる道に続いていた。

金の巻き髪をした少女と、白髪に黒のメッシュの青年といった取り合わせは、否が応でも周囲の視線が集まる。駅から離れて住宅街へと入ってゆくにつれてそれは顕著になり、通りがかりの子供にすら指を差される始末だ。

以前、エルを初めとする年下の仲間たちとも冒険をした事のあるルドガーからしたら慣れたものだが、マミにとっては中々にくすぐったい心持ちだった。

 

「私たち、どういう風に見えてるのかしらね?」

「どうって…やっぱり、兄妹とかかな?」

「兄妹……ふふっ、悪くないわね。兄さん(・・・)?」

「ははは……」

 

まさか自分が「兄」などと呼ばれる日が来るなど思っていなかったルドガーは、照れくさそうに頭を掻く仕草をとる。

さらにしばらく歩いた先に、ようやくほむらの部屋のあるアパートが見えてきた。

少し古い階段を上がって部屋の前まで向かい、合鍵を使って戸を開ける。

 

「ただいま、ほむら」と一声かけて慣れた風に部屋に上がると、家主が既に居間で待機していた。

 

「あなたがうちに来るなんて珍しいわね、マミ」

「ええ、わざわざ呼び出すのも何だし…テレパシーで話せるほど簡単な問題じゃないもの」

「聞かせてもらうわ。どうぞ、上がって」

 

ほむらに促され、マミも靴を脱いで部屋に上がる。想像とは裏腹にとても簡素でごく一般的、あるいはそれ以下の間取りにマミは意外さを感じた。

居間の真ん中にあるちゃぶ台のそばに腰を降ろすと、ごろごろ、と喉を鳴らしながら黒猫がやってくる。初めて見る来訪者に興味を示し、近づいて来たのだ。

無警戒な仕草をとる可愛らしい猫を前に、ついマミは額を撫でてしまう。

 

「あら…? 暁美さん、猫を飼ってたのね」

「エイミー、よ。世話をしてるのはルドガーだけど」

「ふぅん……でもなんだか、お似合いね。なんか暁美さん、猫っぽいし」

「……それはどういう意味で言ってるのかしら」ほむらもマミの向かいに座り、やや不愉快そうな声色で訊く。

「うーん…なんとなくよ?」

「はぁ………あなたは相変わらずね。かえって安心したわ。それで、私に用があるというのは?」

「そうそう、それなんだけど……」

 

さりげなく麦茶を人数分用意しながら、ルドガーもようやく会話に加わる。エイミーのそばにはいつの間にか皿に注がれたミルクが置かれていた。

こほん、とひとつ咳払いをしてマミはいよいよ本題を切り出す。

 

「さっき使い魔と戦ってたらいきなり魔女が現れたんだけど……なんか、普通とは違ったのよ」

「それは、どういう意味かしら?」

「喋ったのよ。片言っぽかったけど、"ホムラ"って何度も言ってたわ」

「…なんですって? 魔女が喋るだなんて、あり得ないわ」

「だからこうして話をしに来てるのよ…もしかしたら、あなたなら何か知ってるんじゃないかって。まして、あなたの名前を呼んでいたんだもの」

「……心当たりがありすぎてわからないわね」

 

冗談めいた答えを返しながらも、ほむらは腕を組んで考えてみる。今までの時間軸での経験上、喋る個体などには出くわしたことはなかった。

可能性があるとすれば、"時歪の因子化"の影響だ。薔薇園の魔女を初め、みな過去に存在した個体とはかけ離れた性質、凶悪さを持ち合わせていた。マミの出会った魔女も時歪の因子化をしている可能性も十分に有り得るのだ。

 

「その魔女は、どんな姿をしていたのかしら」と、確認をとる意味で尋ねる。

「えっと……珍しく人型だったわよ。甲冑に兜も被って…足は人魚みたいだったわね。武器は大きな剣で……」

「……なんですって!? マミ、それは確かなの!?」

「えっ? ええ、間違いないわよ」

「そんな……だって、あの娘はまだ(・・)………」

 

ほむらの表情が一気に強張る。マミの語った魔女の姿は、確かに過去に遭ったことのある姿を連想させるものだ。

そして、この時間軸にはまだ存在していないはずのものだったからだ。

 

「…知ってるのね、暁美さん」

「ええ…そいつの事は、誰よりも知ってるわ。けど…いるはずがない。その魔女のもととなった娘はまだ契約すらしていないもの」

「どういう事なの?」

「………その魔女は"人魚の魔女"。美樹さやかが契約した成れの果ての姿よ。」

「えっ……美樹さんの!?」

「詳しく調べてみる必要があるわね。私の名前を呼んでいたというのも気になるし…とりあえず、またその魔女を見つけたら呼んでちょうだい」

「それは構わないけれど…身体は、もう平気なのかしら?」

「この程度で寝込んでたら"ワルプルギスの夜"を迎えられないわ」

「ワルプルギス…?」

「……そういえば、まだ話してなかったわね」

 

いきなり湧いて出てきたキーワードにマミが不思議そうな反応を示す。ベテランの魔法少女ともなれば、伝説級に語り継がれているその名を当然知っている。その名前がどうしてこの場で出るのか、と。

 

「今から2週間後、この見滝原にワルプルギスの夜が来るの。私の目的はそいつを倒す事よ」

「うそ…! あの化け物がこの街に来るというの!?」

「ええ。だからあなたにも手伝ってもらいたいし……明日にでも佐倉杏子に協力を申し出るつもりよ」

「佐倉さんに? 彼女が縦に首を振るとは思えないけれど」

「それは大丈夫よ。彼女にはしっかり対価を用意しておく。それで協力してくれると思うわ」

「対価、ですって? グリーフシードか何かを献上しようとでもいうの?」

「まあ、そんなところかしらね…でも、戦力としては申し分ないはずよ。ルドガーもいるし、あなたも生きている……杏子も味方になってくれれば、今までで一番最高の状態でワルプルギスを迎えられるわ」

「そう………でもこれで、あなたがどうして同じ時間を繰り返しているのか、納得がいったわ」

 

ふぅ、とため息をつきながら麦茶を飲み、得た情報を整理する。人魚の魔女に、佐倉杏子、ワルプルギスの夜。一度に問題が山積みになっていたが、ひとつだけどうしてもほむらに確かめなければならない事が思い当たる。

 

「あなたの目的はワルプルギスを倒す事と、鹿目さんを守ることだったわね。そして…ワルプルギスを倒せなかった時は、時間を戻してやり直している、という事かしら」

「…ええ、その通りよ」

「じゃあ、その度に私たちの記憶もなくなるのよね…当然、鹿目さんの記憶も。今度ももし負けたら、そうするつもりなのかしら?」

「………否定はしないわ」

 

ほむらとしても、可能ならばもう時間遡行はしたくはなかった。さやかに指摘されたせいもあるが、"クルスニクの鍵"の力によって時間遡行の能力が制限されている以上、次の時間遡行を行うには鍵の破壊…すなわち、ルドガーを殺めなくてはならないからだ。

だが、未だワルプルギスの夜を倒せるという確信に至る事もできない故に、言葉を濁す事しかできない。

 

「鹿目さんを守りきるまでは、諦めないつもりね」と、若干冷ややかな声でマミは言う。

「次もあなたの事を好きになってくれる保証なんて何処にもないのよ。鹿目さんの言葉、忘れたわけじゃないでしょ? "今の私だけを見て"って」

「仕方がないのよ……まどかを守るには、それしかないの。その為なら私は何度でもやり直すわ」

「鹿目さんを、愛しているから?」

「………………ええ」

 

核心をついたマミの言葉に、ほむらはか細い声で答える事しかできない。以前さやかにも似たような事を聞かれたのだが、マミの言葉は重みが違った。さやかは純粋にほむらを心配して言っていたのだが、マミはそうではない。

注がれた麦茶をまた一口飲み、真っ直ぐにほむらの目を見て、突き放すようにマミは言った。

 

「違うわね、それは"愛"ではないわ」

「えっ…?」

「あなたは鹿目さんを愛してるんじゃない。"鹿目まどか"という存在に依存しているだけよ。今のあなたには、鹿目さんの言葉に応える資格はないわね」

「マミ! そんな言い方は──────」

「わかってるわ、ルドガーさん。何も責めようなんて思ってない」

 

いきなり厳しい言葉を投げかけたマミに対してルドガーが言葉を刺すが、返しの一言で見事に黙らされてしまう。

 

「鹿目さんを守ることを願って魔法少女になったらしいけれど……もう一度よく考えるのね。あなたは鹿目さんを守りたいの? それとも、 "鹿目さんを守ってあげた自分"になりたいの? 同じに聞こえるかもしれないけど、全く違うことよ」

「それ、は……でも私は………」

「…今すぐてなくてもいいわ。他でもない、あなた達2人の問題なんだから。ワルプルギスに関しては私も協力は惜しまないわ。私はそろそろ帰るわね。お茶ありがとう、ルドガーさん」

「マミ………」

「あ、お見送りは結構よ。暁美さんについててあげて?」

 

マミの言葉を受け、ほむらはついにうな垂れてしまう。最後に軽く振り返って会釈をし、マミは部屋をあとにした。

残されたなかで、ルドガーはほむらを気遣いながら声を掛ける。

 

「ほむら、気にするな。君がまどかを大切に思ってることはわかってるから」

「………違うのよ、ルドガー」

「違う…? 何がだ?」

 

瞼を軽く擦りながら、ほむらはゆっくりと首を上げる。乱れた前髪の隙間から、涙に濡れる瞳が見え隠れした。

 

「私の願いは、ただまどかを守ることじゃないの……『まどかとの出逢いをやり直したい、守られるんじゃなくて、守れる自分になりたい』 それが私の願いなのよ……」

「ほむら、それって……!」

「全部、見透かされてしまったわね……そうね、私はまどかに依存してる。まどかの存在なしには生きていけない。つくづく、あの人には敵わないわね…」

 

ほむらの感情は、普通とはかけ離れた成り立ちをしている。ただ1人を救う為に何度も何度も、数えるのを諦めるほど孤独に時間を繰り返し続け、そうしているうちに"守りたい"という想いは執着へと。

左手のなかに今も収められている黒い宝石のように、歪んだ形の愛情へと変質してしまったものだ。

そんなものが本当に"愛"と呼べるのだろうか。胸を張って"愛してる"と言えたものだろうか。答えは、否だ。

 

「…だとしても、俺たちのやる事には変わりはないだろ? それに、マミの言う通り君だけの問題じゃないんだから」

「ええ…まどかだけは、絶対に守ってみせるわ」

 

たとえ、他の何を犠牲にしてでも。マミの言葉に心を揺さぶられようと、その決意だけは変わる事はなかった。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

その日の夜───まどかは寝間着に着替えたものの、眠れないまま自室のベッドの上に横たわり、ぼうっとしながら天井を見つめていた。

昼間の出来事を振り返ってみる。あの赤い魔法少女について、ほむらは「大丈夫、任せて」といった風に言っていたが、それでもまどかの不安は拭いきれない。

 

「ほむらちゃん………私……」

 

不安の材料は他にもある。箱の魔女の幻覚に囚われて暴走しかけたほむらに対して、自分の想いの全てをぶつけたことだ。

結局"憶えていない"のひとことで片付けられてしまったのだが、やはり簡単には"仕方ない"と割り切れない。

階下からはシャワールームを使っている音がする。まもなく日付を跨ごうとしている時刻だが、休日にも関わらず出勤になり、ようやく仕事を終えた詢子が帰宅してシャワーを浴びているのだ。そして、風呂上がりに軽く晩酌をとるのが詢子の日課だ。

どうせ寝付けないのだ、とまどかはベッドから降り、室内用の上着を羽織ってキッチンへと向かった。

 

 

階下に降りるとちょうどよく詢子がシャワーから上がったところで、バスローブ姿で自らアイスペールを持って晩酌の用意をしていた。テーブルの上には夕食で出たポテトサラダの作り置きが出されている。ほんのりと冷気を帯びているあたり、冷蔵庫から出したばかりなのだろう。

まどかもそれに付き合うように冷蔵庫からソフトドリンクの容器を取り出し、自分用のグラスを持ってリビングのテーブルへと掛ける。

 

「眠れないのかい?」と、詢子は柔らかく声をかける。

「うん……ちょっと、ね」

「そうかい…ほら、氷」

「ありがと」

 

詢子が水割りを作り終わると、まどかのグラスに氷を注いでやる。そこに自分でジュースを注ぎ、乾杯を交わした。

こうして詢子の晩酌に付き合うのは初めてではなく、まどかの方もそれなりに慣れた様子だ。

 

「最近眠れないことが多いみたいだけど、何か悩みでもできたのかい?」

「うん……ちょっと、色々あって…」

「ははーん、好きな子でもできたか?」

「す、好きな………!? えっと、その……」

「あらら、図星か」

「……………うん」

 

こうなってしまっては、事実を隠すことはできない。まどかは桜色に頬を染めながら、観念したようにこくり、と頷いてみせた。

だが、その相手だけは絶対に口を割るわけにはいかない。娘が同性相手に惚れている、などと話せばきっとタダでは済まされない。

一時の気の迷いだと一蹴されるか、最悪引き裂かれるかもしれないからだ。

 

「………その子がね、すごく大変なの。みんなの事を助けてあげたくて必死で、なのに自分ばっかりが傷ついてるの。私、心配で……」

「うん…よくあることだ」

「えっ……?」

「悔しいけどね、必ずしもみんながハッピーエンドを手に入れられるってわけじゃない。誰かの幸せを願った分だけ、その皺寄せが回ってくる。人間ってのはそういう風にできてるのさ」

 

その言葉は、ある意味では的を得ていた。まどかの言う想い人は、ただ1人を救うためだけに祈りを捧げ、終わる事のない苦しみに囚われているのだから。

そしてその願いは、未だに叶えられていない。皮肉にも今この瞬間に、どこかに彼女が存在していることがそれを証明しているのだ。

 

「まどかは、どうしたいのさ」

「……助けてあげたいよ。でも、私は何もできなくて…いつも迷惑ばかりかけちゃってる。その子はいつも許してくれるけど…いつも私のせいで傷ついてばかりで……!」

「あんた……本気でその子のこと好きなんだね」

「うん……私ね、知らなかった。誰かを好きになるって、こんなに苦しい事だったんだね…?」

「んー…恋愛ってのは色々あるけど……あんたみたいに苦しい思いをしてる子もいるのも事実だ」

「私、どうしたらいいのかな……」

 

いつの間にか目尻を赤くして、わずかに涙ぐんでいた。そっと袖口で目元を擦り、その涙を拭い取る。

詢子はその仕草を見ながら水割りのグラスをあおり、

 

「そいつばっかりは、他人が口出ししても解決できないねぇ。ただ、何かしてやることはできるさ。……あんたに、その覚悟があるのならね」

「覚悟…?」

「ああ、その子と一緒に傷ついてやる覚悟さ。誰かを救ってやりたいと思うなら、生半可な覚悟じゃあ話にならない。それこそ逆に相手を傷つけるだけだ。自分の全てを懸けてでもその子を守ってあげたい。それくらいの覚悟がないのなら、初めから関わるべきじゃないのさ。

まどか…あんたはいい娘に育った。嘘もつかないし、悪いこともしない。いつだって思いやりがある、あたしの自慢の娘だよ。そのあんたが惚れた相手なんだ、それだけの価値があるに違いないさ」

「………そうなのかな」

 

相手が、女の子だとしても? 喉まで出かかった言葉を、ジュースと一緒に飲み込んで誤魔化す。

 

「………私は、あの子に笑顔でいて欲しいよ。守られるだけじゃなくて、守ってあげたい。守れるようになりたい」

 

 

白い姿をした悪魔は言った。自分には、世界を変える程の力があると。だけどそんなものは要らない。まどかが欲しいのは、大切な人を守れる力だった。だが、その方法では想い人の笑顔を守る事はできないのだ。

まどかとて、薄々は感づき始めていた。まるで見て来た事のように魔女の事、魔法少女たちの事を語る彼女に。夢の中で出逢ったような既視感。

そして彼女の操る魔法…時間操作。きっと彼女は、自分の為に未来からやって来たのではないか、と。

もしも白い悪魔に願ったとしたら、彼女はどうなるのか。胸に残る不安はまさにそれだ。いつの日か、自分の前からいなくなってしまうのではないかという不安。

だからこそあの夜、あのような言葉が口から出たのだ。「私だけを見て、ずっと傍にいて」と。

 

「私…頑張るよ」

「おう、その意気だ。あんたがそれだけ惚れ込んだ相手の顔を見てみたい気もするけどねぇ。まぁ、孫を期待できないのはちと残念だけどね」

「えっ? ま、ママ今なんて……?」

「気にすんな気にすんな、あたしはあんたの事応援してっからね」

 

けらけらと笑いながら、詢子はまた水割りをあおる。カラになったグラスに再び酒を注ぎ、2杯目を作り出した。

こうして、2人の夜は更けてゆく。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

迎えた翌日の午前。日曜日ともあれば見滝原駅の一角にあるゲームセンター内も私服の学生と思しき姿で混雑している。その中でひとり、ダンスゲームの上で異彩を放つ赤髪の少女がいた。

杏子は片手に駄菓子を咥えながらも、テンポよくステップを踏み続けており、その動きだけでもかなりやり込んでいるのがわかる。

やがて演奏が終わりひと息つくと、真正面に位置するディスプレイには"PERFECT"の文字が映し出され、画面内を花火が舞っていた。

 

「ふぅ………まさかアンタの方からおいでなさるとはねぇ、暁美ほむらさんよぉ?」

 

振り返るまでもなく、背後にいる気配に向かって杏子は言葉を投げかけた。

その後ろには、杏子ほどではないが動き易さを重視した服を纏った少女の姿があった。

 

「佐倉杏子……あなたに頼みがあってきたわ」

「へぇ……なんのつもりだか知らないけどアンタ、自分の立場わかってて言ってんのかよ」

「ええ。けれど、あなただってキュゥべえの口車に乗せられるほど馬鹿ではないと思うのだけど?」

「はっ、確かにキュゥべえはアンタが魔女みてえだ、とは言ってたけどよ。魔女かどうかを見抜けないほどアタシの勘は鈍くねえ。今日この目で見てはっきりしたよ。で、まずはそっちの用件から聞こうか」

 

杏子はダンスゲームの筐体から降り、アーケードゲームに寄りかかるほむらに歩み寄る。その視線は全身を刺すように観察し、ほむらに敵意がない事を推し量ると、片手に持っていた駄菓子を差し出した。

 

「食うかい?」

「いただくわ」

 

駄菓子など久しく食べていなかったため、逆に斬新に思える。加えて、心なしか黄色い箱の携帯食糧が懐かしくなった。

 

「頼みというのは他でもないわ。2週間後、この街にワルプルギスの夜がやってくる」

「……どうしてそれがわかる?」

「私は近い未来が分かるのよ。ワルプルギスを倒すにはあなたの力も必要なの」

「マミがいるじゃねえか。少し腑抜けたようだけど、それでも強いだろ」

「足りないわ、ワルプルギスは遥かに強力なのよ。…ワルプルギスさえ倒せれば私はこの街から出て行く。ワルプルギスのグリーフシードも要らないわ。マミと分け合えばいい」

 

杏子から貰った駄菓子をすぐに食べ終えると、ほむらは懐から箱のグリーフシードを取り出してみせ、杏子に差し出した。

 

「手付金のつもりかよ…ま、もらっとくぜ。ワルプルギスねぇ……確かに手強そうだが、魔法少女が3人もいればなんとかなるだろうよ。けれどわかんねぇなあ…アンタの目的は何だ?」

「言ったはずよ。ワルプルギスの夜を……」

「そうじゃねえ。アンタの目的は他にある、違うか? ワルプルギスが来れば確かに見滝原は壊滅するだろうね。だけどマミはともかくとして、アタシには別に関係ない話だ。アンタも、街から出て行くなんて言うくらいだ。見滝原に執着があるようにも思えない。

ならなぜ、ワルプルギスに拘る必要がある?」

「それは………」

「"鹿目まどか"か?」

「……っ!」

「そう睨むなよ。いくらアタシが使い魔を野放しにする極悪非道な魔法少女でも、自分から一般人を傷つけるほど堕ちちゃいねえよ。昨日のアレはアンタをおびき出す為にやったことだ。ま、目の前でドロンされちまったからな。狙っても無駄だってことはわかった。

何でも、鹿目まどかはすげぇ素質を持ってるらしいけどアンタが邪魔して契約できないらしいな?」

「…まどかは巻き込みたくないの。魔法少女になったって、ろくな事はないもの」

「それに関してはアタシも同感だ。あんなひ弱そうなガキに務まるほど魔法少女は甘くない。それに、これ以上魔法少女が増えたら食い扶持がなくなっちまう」

「あなたなら、そう言うと思ってたわ」

「へっ、よく言うぜ」

 

不敵な笑みを浮かべながら、杏子はほむらの隣を横切ってゆく。

周囲の喧騒の中でも杏子の声はよく通り、はっきりと聞き取れる。或いは、よく聞き慣れた声だからだろうか。

 

「アンタ、アタシと同じ匂いがするねぇ…気に入ったよ。アンタとはまあまあ気が合いそうだ」

「了承してくれた、という事でいいのかしら」

「まあな。妙な魔女もいるし、そのうちまた会うだろうさ。わかってるだろうけど、アタシは魔女以外は相手にしねぇからな?」

 

杏子は振り返らないままひらひらと手を振り、その場を去って行った。騒々しい空間に残されたほむらも立ち去ろうとするが、杏子とひとまずの共闘を約束できたにも関わらず、その顔には不安が残っている。

 

「………まどかに聞かれたら、なんて言われるかしらね」

 

街を去る、という事は前々から考えていたことだ。時間停止の能力は時を遡る分岐点にたどり着き、砂時計が落ち切ってしまうと使うことができない。

盾の中には無数の重火器が収納してあるが、大術と引き換えに基礎能力が低い事には変わりなく、固有魔法によるアドバンテージを失ってしまえばまともな戦闘すら見込めないのだ。

そもそも、ワルプルギスの夜を倒してまどかを守り切れれば自分の役目は終わりなのだ、と考えていたのだから。

 

「きっとあの娘は赦してはくれないでしょうね…」

 

未だ熱が残るように感じる唇に、指を触れてみる。

あんなにも熱い感情を、感触を、言葉を与えてくれたことなど今まで一度もなかった。この想いは自分だけのものではなかったのだ、と思うと涙も溢れそうになる。

けれど、それを享受することは他ならぬ自分自身が赦さなかった。未だ誰にも話せずにいる、過去の過ち。救済の願いを踏みにじった罪悪感が、それを赦さないのだ。

マミの言った言葉が、今一度胸に突き刺さる。まどかを愛しているのではなく、まどかに依存しているのだ、と。

まどかさえ生きていてくれれば、他の事などどうでも良い。それこそ自分自身の安否さえもだ。たとえ傍にいられなくとも、まどかを絶望の未来から救う事ができるならば、と今まで思っていた。

しかし裏を返せば、まどかと本当の意味で向き合うことを避けていることにもなる。所詮、自分の想いは届かない、と決めつけていたが故に。

だが今求められているのは、まさにそれだったのだ。罪悪感に苛まれ、まどかと向き合うことができていない今のほむらには、確かにまどかの想いに応えることなどできはしない。そんなものは愛とは呼べないのかもしれない。

だからこそ、"憶えていない"などと見え透いた嘘をついてしまったのだ。

 

「………わからないよ、まどか。私はどうしたらいいの……?」

 

いっそ誰かが自分を罰してくれるならば、楽になれるだろう。だが、それをしてくれる人間はこの時間軸にはいない。掴み取った絆を壊す勇気もありはしない。

このまま永遠に自分自身を責め続けるしかないのだ。

自分で自身を赦すことができない限り、ほむらはこの迷宮から抜け出すことはできない。それこそが、ほむらに課せられた罪なのだ。

 

「……………?」

 

不意に、胸ポケットに仕舞い込んでいた携帯電話が振動を始める。取り出して着信を確かめてみると、ディスプレイにはまどかの名前が表示されていた。

騒がしいゲームセンター内では受話音を聞き取ることが難しい。ほむらは足早に外へと出て、邪魔にならないよう歩道の隅に寄ってから通話に応じた。

 

「はい、暁美です」

『あっ…ほむらちゃん? 今もしかして、昨日の娘と会ってたの…?」

「もう済んだわ。今から帰るところだけど……何かしら」

 

今まで、休日にまどかから電話がかかってくるという事態はなかったと言っていいだろう。それどころか、電話でお喋りをする相手もいなかった程なのだ。

それ故にまどかがなぜ電話などかけてきたのか、その意図が読めない。

 

 

『えっとね…ほむらちゃんに逢いたくてお家まで来たんだけど、ルドガーさんが出てきて『独りで出かけた』って言うから…』

「私に、逢いに…?」

『うん。今どこにいるのかな? そっちに向かうよ』

「………駅よ」

『わかった、待っててね。すぐに行くから』

 

ぷつり、と通話が切れるとほむらは雑踏の中にも関わらず、歯痒さに頭を抱えてガードレールに寄りかかってしまう。

 

「ほんとに、"今のあなた"は何時でも私の欲しい言葉をくれるのね……」

 

工場で黒翼を暴走させた時も、ショッピングモールで使い魔に襲われた帰りも、病院の屋上でマミに撃たれそうになった時も。そして今この瞬間も、まるで見守ってくれているかのように優しい想いを、温もりを与えてくれる。

 

「…………好きよ、まどか…」

 

 

この気持ちが愛じゃないとしても、それだけは絶対に変わらない。たとえ誰に理解されなくても、ただ1人だけを想うこの気持ちに変わりはない。

この想いは自分だけのもの。彼女の為だけのもの。

自分に言い聞かせるように、ほむらは今一度想いを強く固めた。

 

 


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