誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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第11話「聞かせてちょうだい、あなたの想いを」

1.

 

 

 

 

 

ショッピングモール内のファーストフード店にてテーブルに対面で座る、見滝原中学の制服を着た2つの人影がある。

片方は快活さが目に見えるような青髪の少女、もう片方は長く綺麗な黒髪をした少女で、とくに人目を惹きつける容姿をしている。

いつもなら一緒にいるはずの桃色の髪の少女は、今日は姿がない。

 

「珍しいわね、まさかあなたから呼び出されるなんて思ってもなかったわ」

「まどかじゃなくて悪かったね、ほむら。どうしてもあんたに聞きたいことがあってさ」

「それなら学校でも良かったんじゃ?」

 

ハンバーガーのセットを注文したさやかとは対極的に、ほむらの目前には相変わらずコーヒーしか置かれていない。

ブラックコーヒーを好んで飲む女子とは如何に、と神妙な顔をしてさやかは答える。

 

「まどかには聞かれたくないからねぇ…あんたも、そうでしょ?」

「内容によるわ。早く話したらどうかしら」

「わかってるって…話ってのは、恭介の腕のことだよ」

「上条くんの? それがどうかしたのかしら」

 

言いながら、ほむらはわずかに不安を覚える。ルドガーからの報告では、上条の腕は完治とまではいかないものの、断裂していた神経はマミの魔法によって繋げる事に成功し、リハビリさえ重ねればまた元のように動かせるようになるだろう、とのことだった。

それが、何かあったのか。

 

「あたしさ、帰ったあとよーく考えたんだ。ほむらが恭介の腕を治して、それで何の得があんのかなー、って。それでひとつだけ思ったの。…あんた、あたしがキュゥべえと契約すると思ったんでしょ」

「………!」

「ほれみろ、図星」

 

ほむらの眉間がぴくり、と動くのをさやかは見逃さなかった。ハンバーガーにかぶりつき、したり顔をしてみせる。

 

「正直なところ、悩んでたのは本当。…恭介さ、もう治らないって言われたらしいんだ。あんたがいなかったら、本当に契約してたかもしれなかった」

「魔法少女になれば待っているのは死だけよ。百江なぎさの事、忘れたわけではないでしょう?」

「それはあんたも同じでしょーが。つうか今のセリフ、マミさんに言っちゃダメよ?

んでさ、よく考えたらほむらってあたしらみんなの事にやたら詳しいじゃん。それで思ったのよ。あんた…知ってた(・・・・)んでしょ。あたしやまどかの事…それだけじゃない。マミさんの事も、魔女の事も。…あんたさ、未来予知とかもできるんじゃないの?」

 

まさかさやかがその答えに行き着くとは、ほむらは思っていなかった。しかし、今回は特に隠すような事はせず、むしろ積極的に動きすぎたきらいがある。

キュゥべえすらもほむらの時間魔法の片鱗に感づき、マミに告げ口していたようなのだ。ほむらはコーヒーをまた一口飲み、ため息をつきながら、

 

「未来予知ではないわ。私の魔法は、時間遡行よ」

「そこう? そこうって何よ」

「………わかりやすく言うわ」

 

さやかの頭の出来を考慮していなかったほむらは、苦虫を噛んだように言い直す。

実のところ、"遡行"などという単語は普通は滅多に目にする事などない事をほむらはすっかり失念していたのだが。

 

「どうせキュゥべえも勘付いているでしょうしね…隠す意味もないわ。私はこの1か月を何度も繰り返しているのよ。それが私の魔法の正体」

「繰り返す…? 何の為によ。それに1か月って…」

「今からあと2週間と少しあと、ワルプルギスの夜が来る」

「…ん、ワルプル…?」

「超弩級の魔女よ。この街はワルプルギスによって滅茶苦茶にされる。私はその未来を変える為に戦ってきた」

「…あんたでも勝てないの? 繰り返してるって事は、負けっぱなしってことでしょ?」

 

ポテトをとっていたさやかの手が止まる。ほむらの言葉に、どこか重みを感じたからだ。

 

「そういう勘は鋭いのね…ヤツに勝てる事ができたのは、まどかだけよ」

「まどかが!? なら、どうして…」

「そして、まどかは魔女になってしまうの」

「あ………!」

「さやか、あなたもよ。上条恭介の腕を治す事を願って魔法少女になり、魔法少女の真実を知って絶望して、魔女になるの。…私は、あなたたちがそうやって命を落とすところを、何度も見てきた」

「そっか…だからあんたは、あたしらが契約するのを止めたかったんだね」

「ええ」

 

ここまで掘り下げた話をさやかにした事は、過去にほとんどない。あったとしても、それは既にさやかが契約してしまった場合だけだった。

契約してしまう前に話せて良かった、と安堵しながらほむらはコーヒーを口に運ぶ。

 

「…そのワルプルギスってやつ、どうやって勝つのよ。まどかしか勝てなかったんでしょ?」

「今回は運がいいわ。マミも生きているし、ルドガーもいる。…私一人ではとても敵わなかったけれど、今度こそ勝てる気がする」

「負けたらどうなんのよ、ほむら」

「同じ事よ。また繰り返すだけ」

「まどかが悲しむんじゃないの? そんなの」

「全てはあの娘の為よ。仕方のないことなの」

「それでいいの? だってあんた、まどかの事…」

 

好きなんでしょ、とさやかは問い掛ける。

 

「ほむら、繰り返すってことはさ…あんたはもう二度と、"このあたし"や"このまどか"に逢えなくなるって事でしょ?」

「承知の上よ。そんなの、何度も体験したわ。繰り返せば繰り返すほど、私とあなたたちとの時間はずれていく。いちいち気にしていては先へ進めないわ」

「…それは、進むって言わないよほむら。それに、"仕方ない"なんて言葉で片付けないでよ。あたし、わかるからさ…誰かを好きになる気持ち。あんただってもう知ってるんでしょ? あたしは恭介の事が、好き」

「知っているわよ。でなければ、命を対価にしてまで彼の腕を治したい、なんて思う筈がないもの。…それに、私の場合はただの独りよがりだもの。まして女同士なんて…受け入れてくれようがくれまいが、まどかに迷惑をかけるだけよ」

「今時そんなの気にするやついないって! あの仁美だってああ見えて頭の中は百合畑なんだよ? あんたテレビとか見ないでしょ。今どんだけおネェが増えてるのか知ってる?」

「…おネェって、何かしら」

「そこからか………」

 

さやかはがくん、と肩を落としてふぅ、とため息をつく。以前家を訪れた時も感じたが、テレビのチャンネルが少し埃かぶっていたのだ。ほむらの性格からもメディアとは無縁なのだろう、と思ってはいた。

 

「まあとにかく! あたしだってあんたの独りよがりなら、わざわざこんな事言ったりしないよ。…マミさんがパニクって銃を向けた時、まどかはあんたの事真っ先に庇ったでしょ? ホラー映画でマジ泣きするようなあの娘が、足震わせながらあんたの事守る、だなんてさぁ。そりゃあそうだよね。あんただって好きな人を守るために命懸けなんだもん」

「何が言いたいの、さやか」

「まだわからないの? まどかも、ほむらと同じって事よ。

あんたの事が好きで、守りたいって思ってるってコト」

「そんな事…!」

「またそうやって卑屈になって。あんたの悪い癖よね、ソレ。…あたしは、あんた達のこと応援するよ。まどかだけじゃない、あんたにも幸せになって欲しいよ」

 

本当に、このさやかは何を考えているのだろうか。上条を救って未来を変える事に成功しただけで、こんなにも変わるものなのか。ほむらは改めて思う。

 

「…どうして、そう思うのさやか」

「あんた、鈍いよねぇ……」

 

新たにつまみ上げたポテトでほむらを差し、呆れた様子でさやかは駄目押しの一言を告げる。

 

「大事な親友、だからだよ」

 

この意気地なしの親友の背中を押してやりたい。そんな気持ちを込めてさやかは言った。

 

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

「わざわざすいません、ルドガーさん」

 

学校からの帰り道、いつもならばほむらとさやかと共に歩いている筈のまどかは、両者の不在により意外な者と帰路を共にしていた。

異世界よりの訪問者、ルドガーである。

ルドガーの風貌は白髪に黒いメッシュの、青いシャツを着た好青年といった感じで、小さく可愛らしいまどかと並んで歩くと周囲の視線が嫌でも集まる。

 

「でも、ほむらちゃんもちょっと過保護っていうか…別に1人でも帰れるのに…」

「それだけまどかの事が心配なんだよ。それに、近々また魔女が現れるらしいからな。警戒してるんだよ」

「そうなんですか…そうしたら、またほむらちゃんは戦いに行くんですよね」

 

まどかの脳裏には未だに残っている。薔薇園の魔女に滅多打ちにされ、骨を砕かれて血だらけになったほむらの姿が。

 

「私も、力になれたら……でも、ダメなんですよね。世界が滅んじゃったら、ほむらちゃんを助けたって意味がなくなっちゃう」

「あまり思い詰めるな、まどか。君もほむらも俺が守るよ。約束だからな」

「約束?」

「ああ。一緒にまどかを守るって約束だ」

「そ、そんな……」

 

言われて、まどかの顔が茹で蛸のように真っ赤になる。ルドガーもそうだが、ほむらがそんな約束をしていたという事実を知り、どれだけ自分が想われているのかという事を再確認させられたからだ。

 

『私はその人だけを愛して、守ると誓った』

 

それに、ほむらは曖昧な言い回しをしたつもりのようだが、まどかはその真意に勘付いていた。

 

(ほむらちゃんはこんなにも私の事を大切にしてくれる。それって…ほむらちゃんの好きな人って……)

「まどか? どうした、顔が赤いぞ」

「ふぇっ!?」

「熱でも出たか? 家まであとどのくらい───」

「こ、ここで大丈夫ですっ! ほら、あれ私の家ですから!」

 

まどかは赤面を誤魔化すように、およそ200メートル先に見える自宅を指差す。ルドガーは少し心配そうな顔をしたが、ぱっと駆け出したまどかの背中を追う事はせず、

 

「気をつけてなー!」と、大きな声をかけた。

 

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

 

早足でルドガーから逃げるように帰宅したまどかは、靴を脱ごうともせず肩で息をして、胸に手をあてていた。心臓の鼓動が高まったまま、落ち着く気配がないのだ。

ほむらの言葉の真意に気付いてしまったからだろうか。それとも、夢で唇を交わした事を思い出してしまったからだろうか。

すっかり茹で上がった今のまどかの頭では、その判断すらつかない。

 

「はぁ、はぁ……ほむらちゃんの好きな人って………やっぱり私なのかな…!?」

『理解に苦しむね』

「うひゃあぁぁぁっ!? きゅ、キュゥべえ!?」

『大きな声を出さない方がいいと思うけどね。僕の姿は君の家族には見えないんだから。もっとも、君の父親なら今は家庭菜園に夢中になっているけどね』

「そ、そうなの……?」

 

キュゥべえの突然の出現に、まどかは二重の驚きを隠せない。取り敢えず、と自分に言い聞かせるように靴を脱いで家に上がる。

その間にもキュゥべえは嫌がらせの如く、背後からまどかに雄弁を振るう。

 

『まったく…君たち人間は、時に理解しかねるよ。非生産的だとは思わないのかい? 同性同士では子孫など残せないし、無意味でしかない。最近では各地でもそういった無意味な嗜好を持った人間が増えているようだし…そんな事だからエントロピーが増え続ける一方なん───』

「キュゥべえ! 用がないなら帰ってくれないかな!?」

『おっと、僕とした事がすっかり失念していたよ。本題に入ろうか───魔女の気配が、探知されたよ』

「さっきルドガーさんから聞いたよ…そろそろ、現れるんじゃないか、って」

 

家庭菜園を横切りながら父・知久に挨拶をし、まどかは自室へと戻る。ブレザーをハンガーにかけ、着替えをタンスから抜き出していく。

キュゥべえはドアの前で待たされながらも、念話を飛ばしてきていた。

 

「私に、契約して戦えって言うんでしょ? でも、私が魔女になったら世界が…」

『そのつもりなら百江なぎさの時にも声をかけたんだけどね? 君に関しては、もうわざわざ急かすような真似はしないよ。そう、百江なぎさといえば。今度の魔女は計測するに、百江なぎさを精神的に追い詰めた使い魔と同じパターンなんだ。恐らく本体なんだろうね。もしかしたら、また暁美ほむらの謎の力を観測できるかもしれないんだよ』

「…どういう事?」

『百江なぎさは確かに幼かったけれど、戦い方を知らない訳じゃない。その彼女がああもあっさりと破滅したんだ。それに、暁美ほむらが魔女である可能性はまだ否定できていない。もしほむらも精神的に追い詰められれば、またあの力を使うかもしれない』

「そんな……ほむらちゃんが危ないよそんなの」

『もうひとつあるんだ、君に声をかけた理由がね。今回の魔女は、日が暮れ始めた現在あたりから広範囲に魔女の口づけを蒔いているようなんだ。効果は弱いものの、心に陰が差していれば何人かは口づけを受けてしまうだろうね。ちなみに、ここに来る間に志筑仁美も魔女の口づけを受けているのを目撃したよ』

「仁美ちゃんが……!?」

 

よく見知った名前を出され、背筋が凍るような感覚を覚える。あの仁美がどうして、という考えに至る前に、"止めなければ"という思考が表に出た。

 

「どこにいるの、キュゥべえ!」

『案内はしてあげられるけど、君が行ったところで何かできるのかな? 契約しているのならともかく』

「う……で、でも放ってなんか置けないよ!」

 

手にとっていた着替えをベッドの上に放り、部屋から飛び出す。キュゥべえはまどかの先に立って駆け出し、まどかはそれに追従するように玄関へと向かう。

 

「パパ、ちょっと出かけて来る!」

「どこに行くんだい?」

「友達のところ!」

 

知久の返事を待たず、家を飛び出した。キュゥべえに案内されるままに通学路を逆走していく。日が陰り始めた空は風が強く吹き、街路樹を大きく揺らす。

 

「キュゥべえ、ルドガーさんにテレパシー送れないかな!?」

『どうやら、まだ近くにいるようだね。呼んでおこうか』

「お願い!」

『わかったよ。ルドガー、聞こえるかい……』

 

念話を飛ばしながらも、キュゥべえの足取りは乱れない。通学路の途中にある噴水広場から分岐する道に入り、見慣れない通りに出た。

さらに先に進むと、下を覗けば幹線道路が一望できる陸橋があり、まもなく街灯が灯ろうとしている。

陸橋を越えると小さな工業地に差し掛かり、その一角にふらふらとおぼつかない足並みの人影が伺えた。

 

『あれだね。恐らく魔女の口づけを受けた人間だよ』

「あそこで何が起きてるの…?」

『それはわからないね。ルドガーの到着を待った方が…』

「仁美ちゃんが中にいるんでしょ!? 待てないよ!」

『あっ、ちょっと! …はぁ、気弱な娘だと思ったら時に意外な行動力を発揮するね、まどかは』

 

キュゥべえの制止も聞かず、まどかは薄暗い工場内へと入って行った。内部には既に十何人もの人が集められており、みな首元に刻印が成されている。

中央には工場の人間らしき者が数人と座り込み、うわ言を呟いている。周囲の人間もどこか遠くを見るような目でふらふらとしており、その中にはやはり、まどかのよく知る顔もあった。

 

「仁美ちゃん…ここで何してるの」

「あら、まどかさん。ごきげんよう。これから皆さんで素晴らしい処へ向かうのですわ」

「素晴らしいところ…?」

「嫌な事も辛い事も忘れて、苦しみから解放されるんですのよ」

「それって…!」

 

仁美はゆっくりと人影の中心を指差す。真ん中には銀のバケツが置かれ、何かの液体で満たされている。

それに向かって、やや離れたところにいる1人の女性がもうひとつバケツを持って歩いて来る。まどかが咄嗟に中央のバケツの近くにまで寄ると、どこかで嗅いだような匂いがした。

漂白剤の、独特の強い塩素臭のようだった。

 

「混ぜようっていうの…? まさか、これって!」まどかは、まだ幼い頃に受けた母の教えを思い出す。

 

 

『───いいかい、まどか? こういう塩素系の漂白剤はな、他の洗剤と混ぜるととんでもなくヤバいことになるんだ。あたしら全員猛毒のガスであの世行きだ。絶対に間違えるなよ?』

 

 

自ずと、ここに集まった人達が何をしようとしているのか理解に至る。塩素ガスによる、集団自殺だ。

周りを見るといつの間にか入ってきた入り口も閉じられており、窓も一つ残らず閉じている。密閉されつつあるのだ。

もしこんな閉鎖的空間で塩素ガスなど発生すれば、みなタダでは済まされない。

 

「だ…ダメ! それはダメだよ!!」

 

咄嗟にバケツをひったくろうとするが、仁美がまどかの手をしっかりと掴み、抑え込む。

 

「邪魔をしてはいけませんわ。これは神聖な儀式ですのよ」

「だ、だってあれ危ないんだよ!? ここにいるみんな、死んじゃうかもしれないんだよ!?」

「そう、私たちはこれから素晴らしい世界へと旅立ちますの。それがどんなに素敵なことか、分かりませんか? 生きてる身体なんて邪魔なだけですわ。まどかさん、あなたもすぐにわかりますわ」

 

うっとりとした表情で語る仁美の姿に、周囲の人達がこぞって拍手を送る。その光景は、唯一まともな神経を保っているまどかにとっては、おぞましいものだ。

 

「イヤ……そんなの、わかりたくない!!」

「あっ、まどかさん!?」

 

まどかは仁美の制止を強引に振りほどき、バケツをひったくる。そのまま窓ガラスの面する場所に走り、

 

「こんなもの…えいっ!」

 

バケツを窓ガラスに向けて思いきり放り投げる。ガラスは割れ、洗剤は外へとぶちまけられた。

 

「はぁ…はぁ、これで……え?」

 

すぐにまどかは異変に気付く。先程まで無気力だった人々はヘイトを募らせ、恨めしそうな目でこぞってまどかを睨む。

邪魔をしやがって。何をするんだ。赦さない。そういった細々とした声が、不気味に工場内に響く。

 

「ひ…っ!」

 

まどかは憎しみを向けられる事に慣れていない。それでなくとも、一度にこれだけの憎しみを向けられれば震え上がってしまうのも当然の事だ。

餓鬼のような足取りでまどかへと歩み寄って来る。恐れをなしてまどかは逃げ出し始めた。

だが、狭い工場内では逃げられる場所など限られている。次第に追い詰められ、まどかはじわじわと包囲されていった。

 

「ど…どうしよう、どうしたら……」

 

逃げ場はもうほとんどない。最後の希望を抱いて、まどかは後方にある扉へと駆け寄り、ノブを捻る。しかし無情にも閂は降ろされており、鋼鉄の扉は訪問者を拒んだ。

ついに、群がる人々の手があと数十センチまで迫る。いよいよ絶望を抱いたまどかは、無我夢中で助けを求めて叫んだ。

 

「助けて…! 助けて! 助けて!! 助けて!! ほむら、ちゃん……!!」

 

この窮地でまどかが無意識に叫んだのは、ルドガーでもなく、マミでもなく…絶対に守る、と約束してくれた少女の名だった。

そしてその少女は絶対に、交わした約束を忘れたりなどしない。

 

「耳を塞ぎなさい、まどか」

 

突如として目の前に、ほむらの姿が現れる。一瞬驚くが、憎しみの込められた罵声がぴたりと止んでいる事に気付いた。時間が止まっているのだ。よく見れば、ほむらはまどかの服の袂に触れている。

 

「ほむら…ちゃん…? 来てくれたの…?」

「ええ。言ったでしょう? 必ず守る、って。さあ、早く耳を塞いで」

「あ…う、うん!」

 

言われるままに、まどかは両の手で耳を塞ぐ。そのままほむらが視界を塞ぐようにまどかを抱え込む。

 

「ひゃっ…!?」

 

間髪置かずに、キィィィィン! と何かが炸裂する音が手のひらの隙間から聞こえてきた。

少し間を置いてほむらがまどかから離れると、まどかを追い回していた連中はみな地面に伏しており、その中央には両手をはたいてひと息つくルドガーの姿があった。

 

「あ……ルドガー、さん…ほむら…ちゃん…?」

「まどか、怪我はない?」

「う…うん。私は何ともないよ。仁美ちゃんは…?」

「悪い、とりあえず気絶させた」

 

みんな命に別状はないよ、とルドガーはまどかの不安を取り除くように教える。

 

「行きましょう、まどか。ここはもうすぐ魔女の結界に覆われる」

「え、えっ? 魔女がここにいるの…?」

「あなたが開けようとしたドアの先よ。…私たちが行くから、あなたは逃げなさい」

「ま、待って! 私、キュゥべえから聞いたんだよ! 今度の魔女は、なぎさちゃんをやったやつだ…って」

「百江なぎさを…!?」

 

おかしい、とほむらは思う。ここの魔女は過去に、魔法少女になりたてのさやかに倒される程度の力しか持っていないはず。個体としては弱い部類に入る筈なのだ。

 

「…やはりこの時間軸の魔女はみんな強力になっているようね」

 

薄々と勘付いていたことだ。薔薇園の魔女の規格外の強さ。お菓子の魔女の、脱皮して増殖する特性。

それならば今度の"箱の魔女"も恐らく、何らかのイレギュラーな能力を備えているとみて間違いない。

或いはそれこそが、なぎさを魔女へと追いやった能力なのだろうか。

 

「だとしたら尚更放ってはおけないわ。すぐにでも倒さないと…」

「待ってほむらちゃん! 行かないで! ほむらちゃんが傷つくのはもうイヤだよ!!」

 

まどかは今にも泣きそうな顔をして、縋りついてほむらに懇願する。待ってくれるはずなどない、とわかっている筈なのに。

そして、ほむらの答えも既に決まっている。

 

「…あなたを守るためよ。私は、ここで逃げるわけにはいかないの」

「ほむらちゃん………」

「ほむら!! 来るぞ!!」

 

ルドガーの叫び声にはっ、として2人は振り向く。閂の降りたドアの先から、瘴気が漏れ出ているのだ。

たちまち、工場内はその瘴気で満たされる。一瞬だけ暗転し、数秒おいて緩やかに光が差すと、もうそこは全く別の空間へと化していた。

ほむらはその様子を、信じられない、といった表情で見届ける。

 

「そんな…まどかを逃がす間もなく、一瞬で…!?」

「…気をつけろほむら。この結界、なぎさを殺したヤツと同じだ…!」

 

乳白色の空に浮かぶ透明な回廊。上を見れば映画のフィルムのようなものが螺旋を描き、下を見れば底無しの虚空がどこまでも広がる。まさしく、かつてルドガーがなぎさと共に戦った結界と同様であった。

異なる点は、今ここにはまどかを含め工場内の人間が全員取り込まれているということだ。

 

 

『キャハハハハハハ!!』

 

 

甲高い、不気味な笑い声を上げながら空から何かが舞い降りる。ブラウン管のテレビに羽根をつけたような不恰好な姿の何かは、不出来なマネキンを取り巻きとして何十体も引き連れてきた。

 

「あいつがなぎさを……!」

「落ち着きなさい、ルドガー」

「わかってる、けど…!」

『───アハ、アハハハハハハ!!』

 

箱の魔女は大量の使い魔をばら撒き、再び空高く飛び上がって行く。逃げる気か、とルドガーは叫ぶがこのまま被害者たちを置いて追うことはできない。

 

「速攻で片付ける! はぁっ!!」

 

懐中時計をかざし骸殻を纏う。お菓子の魔女との戦いで発露した、顔以外のほぼ全てを覆う黒鎧だ。

やや乱雑に槍を振るうその姿からは、やはり焦りがみて取れる。

 

「ゼロディバイドォォ!!」

 

槍の先端に黒いエネルギーを宿し、振り回しながらそのエネルギーを弾丸として放つ。冷静さを欠きつつあるも、その狙いは正確だ。ほむらも驚くほど的確に、黒弾は使い魔の急所を次々と貫いてゆく。

すかさずほむらも加勢に入り、魔力を込めた自動小銃を連射して使い魔を撃滅していく。

僅かながら数は減りつつあるが、隙あらば被害者たちに取り憑こうとする使い魔から目を離すことができない。

 

「これじゃあジリ貧だ! キリがないぞ!」

「わかってるわ! せめてもう1人、味方がいれば……」

 

ルドガーは使う得物の特性上、ここまでの広範囲殲滅は得意ではない。槍を規格外の使い方をする事で均衡を測っているに過ぎない。

対してほむらは、本来ならば一度に大量の武器を連射するような制圧戦法は得意な方だ。だが、被害者たちを考慮するのならば爆薬やより強力な重火器を用いる事は憚られる。

じわじわと、取り囲むように使い魔が距離を詰めて来る。強力な爆薬か厚い弾幕でなければ、もはや突破は難しい。

 

「くっ…こんな時に、マミがいれば───」

 

ルドガーが力なくぼやいたその瞬間、突如として機関銃を幾重にも重ねて放ったような爆撃音が響いた。

「えっ…?」使い魔は、その爆撃音によっておよそ3割ほど間引かれたようだ。訳もわからず、ルドガーは音のした方を振り向く。

 

「ふふっ…呼んだかしら?」

 

そこには、誇りを取り戻した巻き髪の少女の微笑みがあった。

 

「マミ! 来てくれたのか!?」

「キュゥべえに呼ばれたのよ。あんな声、聞くだけでシャクだけど、あなたたちがピンチとなれば行かないわけにはいかないわ」

「助かるよ! ありがとう、マミ!」

「話は後よルドガーさん。まずはこいつらを片付けるわ」

 

マミは再びマスケット銃を2挺持ちで構え、魔力を込める。

 

「行くわよ…無限の(パロットラ・)魔弾(インフィニータ)ッ!!」

 

掛け声と同時にマミの周囲から、放射状に大量のマスケット銃が召喚される。それらは一斉に火を吹き、使い魔に取り囲まれた空間に風穴を空けていく。広範囲殲滅を得意とする、マミの代名詞だ。

続くようにルドガーも、尖端に光のエネルギーが溜め込まれた槍を高々と構える。

 

「閃剣、斬雨ッ!!」

 

かつての仲間であり、一国の王である男の技を真似て空に放たれた閃光は、弾けて放射状に雨のように降り注ぐ。巻き込まれた人々がいるゾーンを避けて、使い魔を大雑把に撃ち抜いていった。

 

「……みんな、すごい…」

 

まどかはその様子を、唖然として見守る。あの3人の前では、如何に自分がちっぽけな存在なのかを、改めて思い知らされたかのように。

 

「あなたたち、随分と仲が良くなったみたいね」ほむらは、2人のコンビネーションの抜群さに皮肉を投げかける。

「お陰様でね。仲間がいるって、こんなにも頼もしいのね?」

「それはお互い様、かしらね…」

 

ほむらの攻撃は相変わらず派手さがない。しかし、1発1発を的確に当てていく姿は、やはりいつ見ても安定している。さながら、熟練の技のようにも思える。

 

「マミ、一緒に!」

「ええ、1曲奏でましょうかしら!」

 

ルドガーはアローサルオーブの波長をマミに合わせ、擬似的なリンクを作ることを試みる。

何度か戦いを共にした2人の絆は、十分に繋がりを作り出した。使い魔の最後の群れに対峙し、2人は息を合わせる。

 

「四章移ろいて───」

「至高を生ず!」

 

槍の尖端に黒弾を纏わせ、振り回して陣を描く。マミはその陣に合わせるように、一段と強い魔力を込めた2連式マスケット銃を放つ。

1、2、3、4、とテンポよく放たれた魔弾は使い魔の群れの中で水玉のように弾けていく。

黒弾で描いた陣を収束させ、中央にエネルギーを溜め込み、そこに合わせてマミは最終射撃に用いる大口径の銃を錬成した。エネルギーはその銃口へとさらに収束し、

 

「「歌劇───ティーロ・スフォルツァンド!!」」

 

巨大な波動を伴った魔弾を解き放った。その攻撃はマミ1人で行う最終射撃の威力を軽く上回り、壮絶な破壊音と共に使い魔の群れを跡形もなく吹き飛ばした。

 

「ふぅ……片付いたな。これでヤツを追える」

「ええ、先へ進みましょう」

 

ルドガーはステージの端に現れた螺旋を描く階段を指して言う。マミもその足取りに続くように歩き出した。

 

「待って、マミ」そこに、何かを思ったほむらが声を投げかけた。

「この先へは私とルドガーで行くわ。…あなたは、残ってくれないかしら」

「…一応聞くけど、どうしてかしら?」

「ルドガーから前に聞いのだけど…百江なぎさを追い詰めた使い魔は、精神攻撃をしてきたらしいわね。恐らく、普通の魔法少女が行けばまた同じ目に遭う」

「あなたは、それに耐えられると?」

「ええ。これでも、死にたくなるような目には何度も遭っているの。今更、魔女の精神攻撃になんてやられたりしないわ。それに…誰かがここに残らないと、まどか達を守れないわ。大軍を相手にするのはあなたの方が上手だもの」

 

ほむらの言葉は一見、無機質な風に聞こえる。しかし、言葉を選んでちゃんとマミと向き合っていることを、ルドガーは察していた。

 

「マミ、君を信頼してるからこそまどか達を任せられるんだ。俺からも頼むよ」

「ルドガーさんも………わかったわ。暁美さん、後ろは任せなさい」

「ありがとう、マミ」

「ふふっ…あなたにお礼を言われるなんてね?」

 

ほむらはルドガーと並び、螺旋階段へと向かって歩き出す。盾から新しい小銃の弾を取り出して装填し直し、階段の手前でもう一度後ろを一瞥する。

 

「行って来るわ」

「待って、ほむらちゃん!」

「まどか…? どうしたの」

 

意を決した様子で、まどかがほむらの元へ小走りで駆けつける。その瞳には、どこか強い意志が込められているようにも思えた。

 

「…絶対帰ってきてね。私、ほむらちゃんに伝えたいことがあるんだ」

「何かしら、それならここで…」

「ここじゃダメだよ? ほむらちゃんだけに伝えたいことなの。ほむらちゃんじゃなきゃダメなの」

「まどか……?」

「っ…、気をつけてねほむらちゃん…」

 

最後の方は声が震えていた。力になれないことが悔しくて、大事な人を戦地に向かわせてしまう事が辛くて、瞳を潤せていた。

そんなまどかの想いを感じ取り、ほむらは精一杯の言葉をかけた。

 

「必ず、帰って来るわ。そうしたら聞かせてちょうだい、あなたの想いを」

 

想い人に見送られながら、ほむらは戦地へと赴く。

大切なひとを、守るために。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

使い魔を撃墜しながら螺旋階段を登り続けていくと、いよいよ魔女の拠点が見えてくる。広大な広場に、空にはさらに多くの映画のフィルム。

 

『アハハハハハハ!!』

 

使い魔を侍らせる箱の魔女は既に黒色に染まり、高らかに不気味な笑い声を上げて来訪者を迎える。

 

「見つけた…もう逃がすものか!」

 

ルドガーは槍を2対の剣の形に変え、魔女に向かって突撃する。ほむらはそれを援護するように、小銃を撃ち込んでゆく。しかし箱の魔女は、ルドガーの接近を感じ取ると羽ばたいて距離を取り始めた。

 

「くっ……このぉ!! 蒼破刃ッ!!」

 

風のエネルギーを込めた衝撃波を飛ばし、牽制する。しかし咄嗟に使い魔が盾となり、箱の魔女に刃は届かなかった。

 

「下がりなさい!」

 

後ろではほむらが携行式対戦車ミサイル・M47ドラゴンを構えている。ルドガーはすぐさま身を翻し、射線上から退いた。

ドン、とやや強めの反動音を鳴らしてミサイルは箱の魔女目掛けて飛んでゆく。同時にマシンガンをばら撒き、使い魔を散らそうと試みる。

ミサイルは、魔女の手前の使い魔に着弾した。魔力の込められた弾頭は通常のおよそ倍もの爆風を上げ、周囲も巻き込む。魔女本体にも、幾分かのダメージが通ったように見えた。

 

『キャハ──────ハハハハハハ!!』

 

しかし魔女は怯んだ様子をまるで見せない。チカチカ、とテレビの画面に相当する部位を点滅させたかと思えば───そこから一筋の高熱線を照射し始めた。

 

「な……ちっ!」

 

ルドガーはその場で側転して光線を躱し、ほむらは盾を中心に小型の防御障壁をつくって光線を受け流す。その威力は、直撃すれば肉を焦がすほどのものだった。

 

「これじゃあ近づけない! ほむら、時間を───」

「ええ、今……っ!?」

 

突如としてバチン! という音と共に結界中が暗転する。舞台の照明を乱暴に落としたようなその様に2人は狼狽える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、ルドガーはこの先に何が起ころうとしているのかがわかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほむら…空を見るな、ヤツの攻撃が来る!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

注意を喚起し、魔女の攻撃に備える。ルドガーも、同じ手を何度も喰らうほど迂闊ではない、と決して気を緩めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すぐにでも投擲できるように槍を構える。ほむらも、未知の攻撃に対しての警戒心を最大限にまで高める。

映画のフィルムは目まぐるしく廻り始める。これより始まるのは、幸せに満ちた甘美な夢───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるいは、終わる事のない悪夢か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『キャハ───アハハハハハハハハハハハハ!!!』

 

魔女の狂ったような笑い声と共にフラッシュが焚かれたような閃光が迸り、2人は突然の魔女の行動に目を眩ませる。

世界が反転する。方向感覚が狂わされ、どこを向いているのかすらわからない。

 

「ぐっ……あぁぁぁぁぁ!!」

「きゃあぁぁぁっ!!」

 

叫び声が結界中に響き渡る。頭の中が掻き乱され、ノイズに塗れる。覗かれる。掘り起こされる。改竄される。

全身から力が抜けていき、武器を持つ事すらままならず膝から崩れ落ちた。

 

「ま………ど…か………っ…」

 

意識が刈り取られる刹那、ほむらは絞り出すようにその名を呼び、力尽きる。

そうして2人は、甘い夢の世界へと堕ちていった。

 

 


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