誰が為に歯車は廻る   作:アレクシエル

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CHAPTER:3 少女ハ朝ノ夢ヲ見ル
第10話「そうよ、私は意気地なしなの」


1.

 

 

 

 

 

 

 

(───どこにいるの)

 

 

誰もいなくなった世界で、ひとりの少女がそう呟く。

荒廃した街並みは見慣れた風景の面影すら残さず、全ての生命は少女の箱庭へと昇華され、希望も、絶望も存在しない。

けれどただひとつだけ、少女が探し求めているものがどうしても見つからない。

 

(どこにいるの)

 

 

貴女を救うために命をかけたのに。

貴女を救うために願いを棄てたのに。

貴女を救うために全てを失ったのに。

 

世界中を救済の願いで包み込んだ彼女の下には、もう何も残されていない。救いたかったものは、とうにここではない何処かへと消えてしまったのだ。

それでも少女は探す事をやめない。

 

 

(どこにいるの)

 

 

数多の世界の運命を束ね、因果の特異点と化した少女は、願いによって全ての過去の記憶を有した。

そうして初めて、自身にとって"それ"がどれだけ大切な存在だったのかを知る事ができた。

けれど、知ってからでは遅すぎたのだ。

 

 

(どこにいるの、■■■■■■───)

 

 

必ず見つけ出す。貴女を、救うために。

自身に唯一残された本能の為に世界を廻る。そうして少女は、原罪の特異点との邂逅を果たすのだ。

 

 

───少女は、朝の夢を見る。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 

 

目覚まし時計の音が耳元で響き、重い頭が緩やかに覚醒へと向かう。

まどかは愛用の抱き枕を抱え、惚けた顔をしてベッドから這い出て、目覚まし時計を止めた。

 

 

「……また、変な夢」

 

 

誰もいない、何もかもが崩れた街で、何か大切なものを探してひとり彷徨う夢。今朝まどかの見た夢は今までのどれとも異なっていた。けれど、なんとなくわかってしまう。この夢は今までの夢の続きなのだと。

寂しい夢だ、と半開きの眼をこすりながらまどかは思う。

 

「なぎさちゃん……」

 

まどかは、初めて目の当たりにした魔法少女の最期を思い出す。実際に魔女へと堕ちる場面を見たわけではないし、なぎさと対面する事もついに無かったのだが、ルドガーの悔しそうな顔とほむらの諦観にも似た表情を見て、心象を察するに至った。

なぎさは何を願って魔法少女になったのか。どうしてあんなに小さな女の子が、命を落とさなくてはならないのか。

そして、マミの事も気がかりだ。ほむらのいう通り、マミは魔法少女の結末を知り大きく取り乱し、あまつさえほむらに銃口を向けたのだ。

ルドガーの叱責のお陰で事なきを得たものの、今後どうなるかもわからない。

そして、それらの事に対して何もできない自分に、ほとほと嫌気が差してしまう。

カーテンを開き、心地よい朝日を浴びてもまどかの心は翳りが差したまま、晴れない。

 

 

「………ママを起こさなきゃ」

 

 

寝癖のついた桃色の髪を手櫛にかけながら、まどかは寝室をあとにした。

 

 

 

 

3.

 

 

 

 

 

洗面台にて、詢子とまどかは並んで歯を磨き、顔を洗う。やはり今朝も詢子は起きれず、まどかに布団を剥ぎ取られて強制的に起こされたのだ。

それでも、冷水で顔を洗ってきっちりスイッチを切り替えられるあたりは、流石はキャリアウーマンといったところか。

 

「…ねえ、ママ」

「ん、どした?」

「もし…もしもだよ。魔法で願いを何でも叶えてもらえる、って言われたら…ママならどうする?」

 

我ながら変な質問をしたものだ、とまどかは内心で思う。しかし、魔法少女の事など話したところで信じてもらえないこと目に見えている。これがまどかなりの精一杯の相談の仕方だったのだ。

そんな質問に対して詢子は、

 

「そうねー…とりあえず、専務を2人ばかり余所に飛ばしてもらうわ」

「…えっ?」

「あとねぇー…社長ももう無理がきく歳じゃねえんだからそろそろ隠居考えてほしいんだけど、代わりがいないってのがねえ…あのドラ息子は二代目って器じゃねえしなぁ……」

「へ、へぇ〜…」

 

あまりに予想外の、それでいて中々に腹黒い答えを返され、まどかは戸惑いを隠せない。

 

「んー…そう考えると、あたしが社長になるってのもアリかな、うん」

「そ、そうだね…」

 

なんという詢子ニズム。これは駄目だ、とまどかは諦めて髪を梳かす作業に入る。今ではすっかり慣れた真っ赤なリボンを手に取り、髪を2つ結びにまとめ出す。

その様子を見て詢子は、わざとらしく含みがある風にまどかに尋ねてみる。

 

「そういえばさぁ? 最近そのリボンくれた"オトモダチ"とはどうなんだい、まどか?」

「うぇひっ!? どど、どうって!?」

「照れんな照れんな。ていうか、どんな子よ?」

「どんな、って……」

 

詢子に逆に訊かれるが、未だにリボンの贈り主を思い出せずにいたまどかは、返事に困る。

どうにか思い出そうと、首を傾げて自身の記憶を巡ると、薄ぼんやりとした情景がかすかに思い浮かんだ。

 

(渡り廊下…そうだ、学校でもらったんだっけ?)

 

見滝原中学のガラス張りの渡り廊下でまどかは誰かと正対し、赤いリボンを結んでもらう。そうして、"彼女"は瞳を潤わせながら…

 

『───やっぱり、貴女の方が似合うわね』

 

黒髪の少女は、確かにそう言ったのだ。

 

 

「………ほむらちゃん?」

 

無意識のうちに、まどかはその名を呼んでいた。

 

「ほおーう? 噂のほむらちゃんがくれたのかい?」間髪入れずに、隣から、意地の悪そうな声が聞こえる。

「ふぇっ!?」

「確かにまどかったらここ最近ほむらちゃんが、ほむらちゃんがー、って話ばっかりだもんねぇ?

まるでカレシでもできたみたいにさぁ? …うん? この場合はカノジョなのか…?」

「も、もう! ほむらちゃんはそんなんじゃないってばぁ!」

 

まどかは赤面し、詢子にまくし立てて逃げるように洗面所を立ち去った。

その様子を微笑ましく見守りながら詢子はリップをひき、キャリアウーマンの顔へとシフトする。

こうして、鹿目家の一日が始まった。

 

 

 

 

4.

 

 

 

 

 

今朝の食事も余裕があまりない状態で終え、まどかはいつものように学校へと向かう。街路樹が並ぶ通学路は暖かな陽気に溢れ、俯いた気分を明るくさせてくれる。

しばらく歩けば、さやかや仁美と合流して一緒に登校するのが恒例なのだが、今朝は2人を見つける前に黒髪の少女の姿が視界に入った。

まどかは駆け足で近寄り、その少女に声をかける。

 

「おはよう、ほむらちゃん」

「おはよう、まどか」

 

その声を聞いただけで、心が暖かくなる。背中で2つに分かれる癖のある黒髪からは良い香りがし、つい自分の髪と比べてしまう。

 

「…私の顔に何かついてるかしら?」

 

そんなまどかの様子に少し怪訝な顔をして、ほむらは言う。

 

「う、ううん。何でもないの」

「そう…この前の事があったから、てっきり…」

 

既に、百江なぎさの魔女化から5日が経とうとしていた。遺体は心不全という形で処理を受け、マミは魔法少女システムの真実を知ってから戦意を失い休養に入っている。現在も風邪をこじらせた、と言い土日を明けても学校を休んでいる状態だった。

マミの傍には常にキュウべえの姿があったのだが、なぎさの一件以来顔も見たくない、と言ってキュウべえは叩き出されていた。

さやかも何か思うところがあったようで、時折暗い表情をまどか達に見せるようになった。それに対して、ほむらはある一つの懸念を抱いていた。

時を重ねるたびに付きまとう問題…美樹 さやかの契約の是非だ。

 

「…まどか。さやかが最近何か悩んでいるようなのだけれど…心当たりはないかしら?」

 

ほむらはひとつ、嘘をつく。さやかの悩みの種などとうの昔に知っている。しかし、誰からも何も聞かされてないのにそれを話せば、自身の存在が疑われてしまう。

保険をかける、という意味でも誰かから聞き出す必要があるのだ。

 

「もしかしたら、上条くんの事かな……」

「上条くん? たしか、入院中の?」まどかの答えに対しても、わざと知らない風にリアクションをする。

「上条くん、バイオリンがすごく上手で、コンクールとかにも出てたりするんだよ。

だけど、事故に遭っちゃって…今はバイオリンが弾けなくなっちゃったの」

「そうなのね…それで、彼とさやかは友達なのかしら」

「幼馴染だよ。たぶん私よりも前からの付き合いじゃないのかな?」

 

まどかとさやかは小学校以来の友人同士だ。それよりも前となると、かなり長い付き合いになるのだろう。

 

「上条くんの事が心配なのね…」

 

過去の時間軸を振り返る限り、さやかは上条の腕の治癒を願って魔法少女の契約を交わす。だが、結果としてはさやかの想いはいつも報われない。

アンデルセンの童話"人魚姫"のように、さやかの想いは泡となって消えてしまうのだ。

さやかの契約を防ぐには、他の方法での上条の腕の治癒が必要だ、とほむらは考える。そして、その契約の期日までもう間もない。

 

(早ければあさっての夜にでも"箱の魔女"が現れる…前の時間軸だと魔女に襲われたまどかを、契約したさやかが助けに入っていたけれど…今日か、明日がヤマね)

 

上条の腕は、現代の医学では治療することはできない程の損傷を負っているが、本人は未だその告知を受けていないはずだった。

それに、ほむらには癒しの魔法は備わっていない。上条の腕を治すには、他の協力者の存在が必要不可欠となる。

心当たりがあるとすれば、マミだ。マミは"生きたい"という願いによって契約を交わした、とほむらは過去に聞いている。それ故に、命を繋ぎとめる魔法…リボンと、治癒魔法に優れている。同じく癒しの祈りによってさやかが契約を交わした時に得る治癒魔法に比べると劣るものがあるが、それでも可能性がない訳ではなかった。

問題は、マミが首を縦に振ってくれるかどうか、だが。

 

「怪我、治るといいわね」

「そうだね…さやかちゃん、上条くんのバイオリン楽しみにしてるから。よくCD屋さん寄るでしょ? あれ、上条くんへのお見舞いなんだって」

「そうだったのね…」

 

共に少し歩いたあたりで、よくやくさやかと仁美の姿が見えてくる。向こうの方が先に気付いたようで、さやかが手を振ってきた。

 

「まどか、おはよー! …あら? ほむらも一緒じゃん」

「てぃひひ、さっき会ったの」

「まさか…もうお2人はそんな関係にまで…!? いけませんわ、そんな!」

 

と、仁美がやや興奮気味に身体をくねくねさせながら言う。いつもの悪い病気だ。

 

「はいはいストーップ仁美。確かにお似合いだけど、あんたのその癖もどうにかしなさいよね?」

 

さやかがそれをいつもの様に止める。この流れも、いつの間にか恒例となっていた。

 

(ただ…ほむらの場合は冗談には聞こえないんだよねぇ…)

 

ほむらの、まどかに対する接し方は過保護だともさやかは思う。

聞けば、薔薇園の魔女との戦いでまどかを守るために危うく死にかけ、その後得体の知れない力を暴走させて魔女を倒したという。

何より気になったのは、暴走している時でさえまどかの名を呼び続けていた、という話だ。

以前のさやかの冷やかしにもどこか思わせぶりな返答を投げてきた事も相まり、さやかの中でのほむらのイメージは、まどかを本気で溺愛しているように思えてならない。

 

(まあ、到底こいつがまどかに悪さするようには見えないし…マミさんもまだ立ち直ってないもんなぁ…)

 

この数日の間には新たな使い魔、及び魔女はまだ現れていない。マミが戦意を喪失している今は、ルドガーとほむらだけが戦える状態だ。

ほむらは兎も角として、さやかはルドガーにもう何度も助けられている。その強さと性格は、十分信頼に値するものだった。

 

「そういえばほむら、ルドガーさんとはどこで知り合ったのよ?」と、さやかは何となしに尋ねる。

初めて聞く名前に仁美が隣でクエスチョンマークを浮かべるが、さやかは特に説明する気はなかった。どうしても知りたければ後から聞いてくるだろう。

 

「どこ、と言われても…いきなり現れた、としか言えないわ。私の時間停止の効果を受けないなんて只者じゃないと思って、少しつけたぐらいよ」

「いきなり?」

「彼、異世界の人だそうよ。エレンピオスという所らしいわ。帰る所がないから泊めてるだけよ」

「エレンピオスぅ? 聞いた事ないけど…どこよ?」

「さあ、知らないわ。地球ではなさそうだけれど」

「あの…暁美さんは何の話を…?」いよいよ仁美が会話についてこれず、まどかに助け舟を求める。

 

「ええっと……私にもよくわかんないよ」

 

まどかもまどかで、迂闊に魔法少女に関する事を話して仁美まで巻き込みたくなく、曖昧な返事しか返せなかった。

 

「それよりもあなたたち。学校遅れるわよ?」話を適当に切り上げ、ほむらは3人を促すように言った。

 

「えっ、もうそんな時間!? 行こ、まどか!」

「えっ、ま、待ってよさやかちゃん!」

 

わりとせっかちな性格のさやかは、ほむらの言葉を受けて慌てた様子を見せる。

それに続くように、残りの3人もやや駆け足で学校までの道程を進んで行った。

 

 

 

 

5.

 

 

 

 

 

「はぁ…………」

 

午前10時を廻るころ、マミは薄いカーディガンを羽織り、リビングで座布団に腰掛けてワイドショーを見ていた。

と言ってもニュースは終わり、すでにレポーターによる地域のグルメ特集に変わっていてマミの関心を引くような事柄はやっていないのだが、1人暮らしをしているとどうも無音の環境では落ち着かないものだ。

三角形のガラステーブルの上には注いだばかりの紅茶が湯気を立てており、甘い林檎のような香りが漂う。

1人暮らしのささやかな趣味として紅茶に凝り出したマミが淹れた、カモミールティー。紅茶の香りでも嗅いで心を落ち着かせようとするが、なかなかどうしてリラックスできない。

魔法少女の真実を知ってからのところ、マミはずっとこんな風に無機質に過ごしていた。

 

「ダメね、私…また学校さぼっちゃったわ」

 

わかってはいるのだ。自分は魔法少女として、魔女を狩って見滝原を守らなければならない、と。

両親を交通事故で失い、"生きたい"という願いによって得たこの命と、力。だが、今まで何体の魔女を倒してきただろうか。いくつのグリーフシードを使い、生き永らえてきただろうか。

魔法少女は魔女となる。今まで自分は、何人もの魔法少女の魂を浄化に使ってしまったのか?

そう考えると、とても銃を握る事など叶わなかった。

取り乱すことこそなくなったものの、ソウルジェムにはほんのひとかけ分の穢れが蓄積している。

何もせずとも緩やかに穢れていくのだ。たった5日でこれでは、恐らく魔力をほぼ一切使わずとも1か月保つかどうか、といったところか。

それは、魔女を狩らない魔法少女に用はない、という事を示しているようだった。

 

「わかってるのよ、私だって……このままじゃダメだ、って事ぐらい…」

 

それでも、やはり独りは怖いのだ。魔女結界で命を落とせば遺体すら誰にも見つかる事なく、失踪といった形で幕が降りてしまう。

戦う事に疑問を抱かなかった頃はそんな事など振り返りもしなかったのだが、今のマミには孤独感が大きく刺さっていた。

もう、マミには独りきりで戦う勇気など残っていなかった。

紅茶が冷める前に、と口をつける。ハーブティー特有のほんのりとした苦味が舌に残る。

けれど、カモミールの香りはマミの心を癒すには足りなかった。

 

「はぁ………」

 

もう何度ついたかわからないため息をつき、テレビのチャンネルを切り替える。どこもかしこもつまらない番組しかなく、そもそもこんな心持ちでテレビ番組など楽しめる筈もない。

虚しくなってガラステーブルに突っ伏す。ひんやりとした感触が額に触れ、さらに深いため息が出る。

自慢の長いブロンドヘアーも、無造作にテーブルの上に広がる。指のひと鳴らしで魔法をかけて、一瞬で巻き髪を作る事ができるのだが、もはやそれすら憚られるのだ。

肩の力を抜き、身体を弛緩させてだらりとしていると、不意にインターホンが鳴り出す。

 

「誰…? まあ、いいか…」

 

放っておこう。1人暮らしの身なら、迂闊にインターホンに出るべきではない。大抵、新聞や宗教の勧誘など、ろくなものがいないのだ。

そうして無視を決め込んでいると、さらにもう1度インターホンが鳴る。いい加減しつこい、と思いつつ応じる気はなかった。

耳を塞ぎ、鬱陶しいインターホンの音から逃れようとすると、今度は別のものが聞こえてきた。

 

 

『───マミ、いないのか…?』

 

 

 

「えっ!?」と、マミは急に脳内に流れてきた声に驚き、身体をびくん、とさせた。慌ててインターホンをチェックすると、エントランスのカメラにはルドガーの姿が映っていた。

反射的に受話器をとり、声をかける。

 

「る、ルドガーさん!? どうしたの!?」

『ああ、いたか…よかったよ。ほむらから、「マミが学校を休んでる」って聞いて心配になって…返事がなかったから、キュ……テレパシーを飛ばしてもらったんだ』

 

マミがキュゥべえに対して嫌悪感を抱いている事に気づいていたルドガーは、あえてその名を出さないようにした。

 

「そうだったの…気を煩わせてしまったわね」

『いいんだ、何ともないなら』

「その…よかったら、上がってちょうだい。せっかく来てもらったんだもの、お茶ぐらいご馳走するわ」

『そうか…話したい事もあるし、上がらせてもらうよ』

 

インターホンに付けられた、エントランスのオートロックを開けるボタンを押し、ルドガーを招き入れる。

それを見届けたマミは慌ててテーブル周りを片付け、テレビの電源を切り、座布団をもう1枚出し、魔法で巻き髪を作って身なりをチェックしだす。

数分後に部屋のベルが鳴り、ルドガーが到着した事を報せる。どたどた、と軽く足音を立てて早歩きでマミはドアを開けてやった。

 

「おはよう、マミ」

「ルドガーさん…おはよう」

 

ルドガーを部屋に招き入れたマミは、リビングで座布団に座るように促し、キッチンへと向かう。

「待っててちょうだい。紅茶を淹れてあげるわ」

かちゃかちゃ、と音を立てて陶磁器を並べ、熱い湯を沸かす。後ろの棚には密かに集めていた紅茶のコレクションが並んでおり、そこからアールグレイの箱を取り出す。

対してルドガーは、土産の品をテーブルの上に出す。

ほむらから「マミは紅茶を嗜む」と聞かされ、小さいケーキでも買って行くように言われていたのだ。

 

「マミ、よければ皿を2枚もらいたいんだけど…」座布団から立ち上がり、キッチンへと取りに行こうとする。

「ああ、座ってていいのよルドガーさん。お皿なら持っていくわ」

「そうか、悪いな」

 

程なくして、少し大きめなトレイにティーセットと金縁の白い皿を並べてマミが戻る。

慣れた手つきでカップに紅茶を注ぐ姿は、先程までの無気力さとは打って変わって生き生きとしていた。

 

「さあ、召し上がって?」

「いただくよ、ありがとう」

 

ルドガーには紅茶を嗜む習慣はなかった。もっぱら実家でも兄の為にコーヒーを淹れてやる事の方が多く、どちらかというとコーヒーの方に詳しく、カフェイン中毒を患う現在の同居人も絶賛する程度の腕前を持っている。

 

「……! いい香りだな」

 

そのルドガーでさえも、マミの淹れた紅茶の味わいに感嘆の声を漏らす。

 

「ずっと1人だったから、これくらいしか趣味がなくて…」

「ほむらから聞いていたけれど…やっぱり、マミはすごいな」

「暁美さんから…?」

 

おかしい、とマミは感じる。この家にほむらを招き入れた事はまだない。それこそ、ほかの少女たちも同じだ。

まして、紅茶を嗜んでいる事などほむらが知る筈もないのに。

お菓子の魔女の事もそうだ。ほむらは必死に叫んでマミを止めようとした。事実、ほむら達が助けに入らなければマミは喰い殺されていただろう。

ほむらは知っていたのだ。マミだけではお菓子の魔女には勝てない。或いは苦戦する、と。

 

「どうして、暁美さんは私の事を…?」

「…今日来たのは、その事もあるんだ。嫌な話になるかもしれないけど…」

 

ルドガーはポケットの中から、あるモノを取り出し、ガラステーブルの上に置く。

黒い宝石は駒の軸足で自立し、球体には三日月のエンブレムに加え、音符の罫線のようなものが描かれている。

 

「グリーフシード!?」マミの顔が、瞬時に強張る。

「…これを私に見せて、何を言おうというの?」

「これが誰のグリーフシードか、わかるか?」

「あなた、そんな質問をして一体何を…」

「さやかだよ」

「……えっ?」

 

マミはいよいよ、ルドガーの言いたい事が理解できなくなる。さやかのグリーフシードだ、と言われた所であまりに荒唐無稽だ。

 

「何を言っているのルドガーさん? 美樹さんはまだ契約すらしていないじゃない」

「そうだ。まだ"この時間軸のさやか"は契約してない。これは別の時間のさやかのものらしい」

「別の…? どういう事なの?」

「ほむらから預かってきたんだ。ほむらの能力が、時間を操る事だとはもう知ってるんだろ?」

「ええ。この前の様子だと、時間を止める事しかできないみたいだけれど…」

「もう一つだけある。とある日にちに到達した時だけ、時間を1か月前にまで戻す事ができるんだ」

「なんですって!? 時間を戻す!?」

「ああ。だからほむらは、過去にマミ達に会った事があるんだ」

 

言われて、マミの中の疑問のいくつかに辻褄が合い出す。

マミが紅茶を嗜んでいる事も、お菓子の魔女に負ける事も、さやかやまどかが契約してしまう事も。一度経験して、知った事だとしたら全て合点がいく。

 

「…そう、そういう事だったのね。だから暁美さんは、あんなに必死に私を止めようとしたのね」

「ああ」

「それで…このグリーフシードだけど、これがどう関係しているというの?」

「今日話したいのは、その事についてなんだ。このままだと、さやかは恐らく契約してしまう」

「それは…どうしてわかるの? だって美樹さんは、魔法少女の最期を知っているのに」

 

マミはテーブルの上のグリーフシードを見る。

わざわざこんなものを持ち出して話すという事は、ルドガー、あるいはほむらの予想はほぼ間違いないのだろう。

 

「上条恭介…その名前に聞き覚えはないか?」

「…あるわ。たしか美樹さんたちのクラスの、バイオリニストだったわよね。事故で入院しているらしいけれど」

「ああ。医者でも治せない程の怪我らしい。さやかは、その上条恭介を救うために契約するらしいんだ。そして、ほぼ必ず魔女になってしまう。

…何が原因で魔女になってしまうのかまでは、わからないけれど」

「それはつまり…上条くんの怪我が治れば契約はしなくて済むって事なのよね?」

「たぶん…そうだ。マミに頼みたいのは、その事なんだ。上条恭介の腕を治して欲しい。

…勝手な頼みだって事はわかってる。だけど、マミにしか頼めないんだ」

「私に彼を? …そうね、暁美さんなら私がどうして契約したのかも知ってるのよね」

 

アールグレイの注がれたカップをとり、ようやくマミはそれを口にする。

カモミールに比べると苦味も少なくすっきりとした味わいは、5日ぶりにまともに回り出したマミの思考回路にはしっくりときていた。

 

「でも…暁美さんはわかってるのではなくて? 私は、魔法を日常生活にまで持ち込むつもりはない、って。

この力は魔女と戦う為だけに使うと決めているのよ。…せめて、人間らしく過ごす為にね」

「…確かに、ほむらはその事も言っていたよ。だけど、マミ…」

「でもね、ルドガーさん」マミはルドガーの言葉尻を遮るように、さらに続ける。

「私は今まで、魔女と戦う為に生きてきたのよ。契約によって生き永らえたんですもの。この力をその為に役立てなきゃいけないって思ってた。けれど、あの時貴方に叱られて…今こうしてまた貴方の顔を見て、ようやく思い出したの。

私は、魔女と戦ってこの街の人々を守りたかったのよ。…上条くんを助けて、美樹さんを守る事ができるのなら、私はこの力を使いたいわ」

「マミ…!」

「案内してくれるかしら、ルドガーさん。すぐにでも行きましょう」

「ああ! ありがとう、マミ」

「お礼を言われるのはまだ早いわよ?」

 

アールグレイティーを一気に飲み、ひと息ついてマミは立ち上がる。ケーキは帰ってきてからいただこう、と思いカップを下げようとすると、

 

"ぐぅぅ…………"

 

と、腹の虫の鳴く音がともなく聴こえてきた。

 

「………いや、その、これは…」格好つけて立ち上がったマミの顔が、一気に紅潮する。くすり、とルドガーも笑みを浮かべた。

 

「し、仕方ないじゃない! ここ最近ろくに料理もしてなかったから…」

「よければ、俺が作ろうか? これでも昔から料理は得意なんだ。ほむらからも評判いいし」

「そ、そんな! 悪いわよルドガーさん! でも……」

「腹ごしらえする時間くらいはあるよ。さやかはまだ学校なんだから」

「うぅ………」

 

興味はある。この優しい顔をした男の手から、どんな料理が出てくるのか。あのほむらが評価するのだから、きっと美味いのだろう。マミは少しだけ悩んだ末に、

 

「………じゃあ、お願いできるかしら」

「ああ。台所、借りるよ」

 

ルドガーの主夫魂に火が灯る。誰かの為に作る料理ほど、楽しいものはない。マミに続いて紅茶を飲み干し、ルドガーは頭の中で献立の算段を立て始めた。

 

 

 

 

 

6.

 

 

 

 

 

正午を告げるチャイムの音が流れ、昼食の時間が始まる。ほむらは今までは黄色い箱に入ったブロック状の携帯食料しか食さず、それを教室で堂々と食べる姿はやはり異様なものだった。

なので、今まで通りならば屋上あたりに避難して黄色い箱の携帯食料を食べていたのだが、ここ最近は違っていた。

鞄の中から包みを取り出し机の上で広げると、いかにも女の子らしい小さな弁当箱の姿が現れる。

料理の得意な同居人の作った、栄養バランスのとれたお手製弁当だ。蓋を開けると、とても男が作ったようには見えない彩り鮮やかな中身が露わになる。

そこに毎度のごとく女子の何人かが、ほむらの弁当を覗き見てくる。

 

「暁美さんのお弁当って、いつ見てもすごいよねぇ〜」

「1人暮らしなんだよね? 自分で作ってるの?」

「美味しそう…ちょっと交換しない?」

 

あいにくほむらは馬小屋で産まれたと伝えられる偉人のように、同時に何人もの言葉に答えられるスキルは持ち合わせていない。

わかりやすい一言を考え、女子生徒たちに答える。

 

「ちょうどいとこが遊びに来ていて、作ってもらってるのよ」

 

実際、ほむらは自分で料理をする事が得意ではない。このような無難な答えをする他になかった。

そこに、さやかが囲みを割って入ってくる。

 

「おーい、ほむら。一緒に食べようよ!」

「まどかは、いるの?」

「あったり前でしょー? まどかはさやかちゃんの嫁なんだか………ちょ! そんなに睨むなって!」

「そう…あなた、そんなにパイナップルが好きだったのね。5秒で食べられるように芯を抜いてプレゼントするわ」

「ねえ、それ食べ物じゃないよね!? 果物じゃない方のパイナップルだよね!?」

 

蛇に睨まれた蛙のように、さやかは冷や汗をかき出す。魔法少女…もとい爆撃少女の二つ名(命名:さやか)は伊達ではないことは既に証明済みだ。

 

「あーもう、悪かったよぉ! 誰もあんたの嫁を取ったりしないよ!」

「わかればいいのよ、さやか」

「……あれー?」軽い冗談のつもりで言ったのに、2回目は軽く受け流された事に拍子抜けする。

 

(…なるほど。否定する理由はない、ってか。って、それただの嫉妬じゃん!)

 

さやかにとってほむらは、出逢って間もないがルドガーと共に信頼に値する友人となっていた。

しかし同時に、敵に回したら1番怖い相手でもある。もしまどかに関する事でほむらの逆鱗に触れたら、時間停止された後に四方からハチの巣にされるだろう。

 

「ほ、ほらこっち来なって!」

「そうね。今行くわ」

 

さやかは脳裏に浮かんだハチの巣のビジョンをかき消し、ほむらに呼びかける。

開けかけた弁当箱の蓋を閉じ、ほむらも重い腰を上げ、さやかに続いて教室を出て廊下のベンチへと移動した。

ベンチではすでにまどかが包みを開いて待っており、ほむらの姿を見つけては嬉しそうに手を振り、迎える。2人が腰掛けたあとで、それぞれが弁当箱の蓋を開いた。

 

「わぁ…ほむらちゃんの弁当、相変わらずすごいね」

「これ、ルドガーさんが作ってるんだよね?」

「そうよ。宿賃代わりに、と言っていたかしら」

「宿賃?」

「彼、この世界の通貨を持っていなかったのよ。だから、家事をやってもらっているの」

「そ、それってあんたがルドガーさんを養ってるって事!?」

 

さやかは今更ながら驚いた表情を見せる。現実に異世界の人間が来たとして、アニメや漫画のように御都合主義でどうにかなるものではない。宿無し、文無しなのは至極当然のことだ。

ほむらでさえ、言葉が通じている(文字は読めないが)事が奇跡だとすら思っているのだから。

 

「? …確かに、そうなるのかしらね」

「あんた…金持ちだねぇ…」

「お金なんでどうとでもなるわ。"貯金"なら腐る程あるもの」

「さすが魔法少女…ほむら、おそろしい子!」

 

ほむらの指す"貯金"とは、毎回時を繰り返す前に盾に移している、預金残高の事だ。武器以外は盗まない事に決めているし、今回のような不測の事態がある時は、その"貯金"を使って解決している。その額は、社会人の平均収入のおよそ2倍以上にまで達しているが、既に本人すら数えるのを諦めているほどだ。

 

「そうなんだ……ねえ、ほむらちゃん。ルドガーさんとは本当に何もないんだよね…?」

「まどか? どうしたというの」

「う、ううん! 何でもないの。ただ…」

 

隣のまどかが不安そうな顔をして尋ねてくる。箸を運ぶのも遅く、どこか少しだけ落ち着きがない。そこに、さやかが先程のようなふざけた感じで、

 

「おやぁ〜? まどか、もしかして妬いてるの?」

「ち、違うもん!」

「まあ確かにルドガーさんみたいに強くて、カッコ良くて、オマケに家事も万能とくればねぇ。まどかも負けてられな───」

「さやか、まだデザートの時間には早いと思うのだけれど?」

「すいません調子乗りましたぁっ!」

 

パイナップルは嫌だ! と叫んで、からかうのをやめるさやか。その様子を見てほむらはくすり、と僅かに笑みを浮かべる。

 

(こんな風にさやかと話すのも…始めてね。どうにも私はこの娘に嫌われがちだったのに)

 

ようやく弁当へと箸を運び始めるほむら。今日の弁当も、味と彩りと栄養バランスは完璧だ。

素直に食事を楽しめるようになったのも、もうずいぶんと久しく思える。

 

「ところでさやか」いよいよほむらは、今日の本題へと入る。

「今日も上条くんのお見舞いに行くのかしら?」

「へっ? う、うん」

「私もついて行っていいかしら。転校して来てから、挨拶のひとつもしてないもの」

「いいけど。…また、何かある感じなの?」

「そうね……主に、あなたの命に関わるかしら」

「申し訳ないがパイナップルはNGで!!」

 

冗談を言ったつもりはないのだけれど…と、内心で思いながら、ほむらは今日の計画を頭の中で振り返る。

あとは、同居人の方がしっかりとやってくれるかどうか、だ。

 

(今回ばかりは失敗できない…ううん、"今回"じゃない。これで"最後"にするのよ)

 

ようやく掴んだ仲間との絆というものを、絶対に失いたくない。ほむらの決意は、ここに来てより強固なものへとなっていった。

 

 

 

 

7.

 

 

 

 

 

昼時を過ぎたばかりの見滝原総合病院は見舞いに来る人間もまばらで、少なく感じる。

マミは学校を休んでいる身であり、本来この時間に出歩くのは褒められたものではない事を承知している。ひと気がない方が都合が良い。

上条恭介の病室の前までほとんど迷わずに辿り着いた2人は、扉を開ける前に最後の打ち合わせをする。

 

「ルドガーさんは…廊下で待っていた方がいいのかしら」

「そうだな…俺は会ったことないし、その方が警戒されないかも」

「なら、私ひとりね。任せてルドガーさん。上手くやるわ」

「頼もしいな、マミ」

 

ふふっ、と可憐な笑みを浮かべてマミは病室の扉を軽くノックする。数秒置いて、ついに上条の病室へと入っていった。

ベッドの上には、CDプレーヤーに繋がれたイヤホンで耳を塞ぎ、眠っている上条の姿がある。

しかしマミは、すぐに上条の違和感を察した。

 

(…? このイヤホン、音が出てないわね)

 

寝ているのなら都合がいい、とマミは上条を起こさないように近寄り、CDプレーヤーを覗き見てみる。やはり電源は入っておらず、イヤホンはただの耳栓代わりのようだ。

 

(ヘンね…ルドガーさんの話だと、美樹さんは毎回CDをお見舞い品に持って来ているはずだけれど…まさか?)

 

上条は音楽を避けているのだろうか。腕の怪我は、そんなに深刻なのだろうか? とマミは考える。

そっと右腕に手を添え、治癒魔法をかけ始める。同時に、右腕の損傷の度合いも感じ取ることになるが、

 

(…ひどいものね、神経がズタズタじゃない。もしかしたらこの子の腕…お医者さんには治せないんじゃ?)

 

マミの魔法はただの治癒ではない。"繋ぎとめる"という特性を持ったものだ。ひとつひとつ、魔力を込めて千切れた神経を繋ぐイメージをする。

暖かな光がマミの手元から発せられ、昼間だというのにカーテンの下ろされた室内をほんのりと照らす。

上条の瞼がぴくり、と動いた。どうやら、マミの存在に気付いて目を覚ましたようだ。

 

「う……ん、えっ? ど、どちら様ですか?」

「あら、起こしちゃったわね。どうしましょうかしら…」

「え、えっ? 何してるんですか…?」

 

上条はマミの手から発せられる暖かい光を見て、動揺する。まるで手品か魔法でも見ているかのように。

 

「私は3年の巴マミ。あなた、2年の上条恭介くんよね」

「は、はい…」

「腕の怪我、ずいぶんとひどいようだけれど?」

「…今朝、主治医の人に言われました。今の医療でも治せない、って」

「やっぱり……」

 

ここに来て、マミでなければ上条を治せないというルドガーの言葉が確信に変わる。

神経の繋ぎ直しは少しずつだが進んでおり、マミは確かな手応えを感じている。あと少し、時間を稼げれば。

 

「バイオリニストにとって腕は命だものね。あなたの演奏を楽しみにしてる人だっているんじゃなくて?」

「…やめてくださいよ。僕には、それしかないんですから。腕の動かない僕なんて…」

「そんな事言ってはだめよ。どんな時でも、希望は残っているものよ」

「……僕、幼馴染がいるんです」

「えっ…?」

「さやか、って言うんですけど…彼女は、確かに僕の演奏を楽しみにしてくれてるんです。このCDだって、僕の為に選んで持って来てくれるんですけど……」肩を落とし、ひどく暗い顔で上条は語る。

「そのCD、電源が入っていないようだけど…?」

「…さやかの期待が、正直重いんです。彼女がCDを持って来てくれる度に、僕はみじめな気分になる。わかってはいるんです、さやかは悪気があってやってるわけじゃない。

だけど…自分で演奏できもしない曲を聴いてたって、しょうがないじゃないですか!所詮、僕からバイオリンを取ったら何も残らないんですよ…はは…こんな話、貴女にしたところでどうしようも無いのに……」

「上条くん、あなた……」

 

期待が、重圧になる。信じていたものがある日突然失われる。それは、魔法少女としての今までの生き方を失ったマミともよく似ていた。

けれど、先に進む方法は必ずある。今のマミはそう信じていた。

マミは上条の腕に添えていた手を離す。神経系はあらかた繋ぎ直すことはできた。あとは、上条次第だ。

 

「何もないわけがないわ。信じなさい、上条くん。きっと君自身を見てくれる人が傍にいる。

私がそうだったもの。あなただって、きっと前に進めるわ」

「…どうして、そう思えるんですか。前に進む、だなんて無理ですよ…もう、この腕は動かないんですから。

それこそ、奇跡か魔法でもない限り……」

「あるわよ、上条くん」

 

柔らかく微笑み、上条の目を真っ直ぐに見つめる。上条の心を後押しするように、マミはただ一言だけを告げる。

 

「奇跡も…魔法も、あるのよ。だから、自分を信じなさい」

 

 

 

 

 

8.

 

 

 

 

 

放課後を迎えたほむら達3人は共に下校をし、その足でショッピングモールを訪れていた。

毎度のようにフードコートへと足を運び、ドリンクを飲みながら談笑するのだが、今日は仁美の姿はない。

ピアノのレッスンは学校から真っ直ぐ帰らないと間に合わないので、寄り道には着いて来なかったのだ。

 

「ほむら、いっつもコーヒーしか頼まないよねぇ…」

「もともと朝が弱いから、気つけにと思って飲み始めたのよ。気がついたらよく飲むようになっていたわ」

「うわぁ…あんた、その歳でカフェイン中毒なのね」

「でも、ほむらちゃんが朝が弱いなんて意外だなぁ…」

 

さやかはおどけた風に言い、まどかは首をかしげながら言う。

 

「そうでもないわ。これでも魔法少女になる前は酷いものだったもの。

…昔は、心臓の持病があったからよく入院していたわ。学校に来ても勉強なんてまるでついていけないし…体育なんて、準備運動で貧血を起こして倒れるなんてしょっちゅうだったのよ」

「…マジすか、それ。じゃあ魔法少女になって、生まれ変わったって事?」

「そうかもしれないわね」

「今のほむらちゃんからは全く考えられないよね…」

「大したことではないわ、そんなもの。魔法少女になったってろくな事がなかったもの。でも…そうね、あなた達を最後まで守る事ができたなら…それが私の唯一の自慢になるかしらね」

 

過去を振り返りながら語る。何の価値もない、と思っていた自分を支えて、救ってくれた少女を守りたい。その願いは今も叶っていないのだ。

それが叶った時こそ、ようやくほむらは役目を終える事ができるのだ。

 

「少し、白けてしまったわね。そろそろお見舞いに行きましょうか」

「ほんとだ、もうこんな時間。行こっか、まどか、ほむら。少しCD屋に寄って行っても…」

「その事だけど、さやか」

「え? どしたのさほむら」

「まどかから聞いたけど…上条くんへのお見舞い品らしいわね、CD。…たまには、違ったものにしてみたらどうかしら」

「違ったもの? なんたってそんな…」

 

さやかは自分の使ったトレイを持って立ち上がるが、ほむらの言葉に足を止めて訊き返す。

 

「私がそうだったのだけれど…周りの人たちはみんなできるのに自分だけができない、なんて事になると、それこそ辛いものよ。追いつきたくて、でも敵わなくて…あれはみじめなものだったわ。

上条くんだってそうではないのかしら。きっと彼も演奏がしたくて仕方無くて、思い詰めてるかもしれない。だとしたら、CDばかり聴いていても面白くはないはずよ」

「どうして、そう思うわけ…? あんた、恭介の事知ってるの?」

「病人の事は病人が一番わかるのよ。たまには、音楽の事を忘れさせてあげた方がいいわ。音楽がなくたって、彼は彼に変わりないんだから」

「そういうもんなのかな……ほむらがそう言うなら、今日ぐらいは他のものにしようかな」

「果物か何かが無難だと思うわ」

「私も選ぶの手伝うよ、さやかちゃん。パパが野菜育ててるの見てるから、選ぶの得意だよ?」

「まどか……うっし! じゃあ恭介にはフルーツでも持ってくか!」

 

さやかに続き、まどかもトレイを片付ける。ほむらも遅れまいと、紙のコップに入ったホットコーヒーを一気に飲み干し、口元をペーパーで拭って立ち上がった。

 

(……コーヒーは、ルドガーの淹れたものの方が美味しいわね)

 

 

 

 

9.

 

 

 

 

用を済ませたマミとルドガーは、病院前のターミナルからバスに搭乗し、隣合わせに座り揺られていた。

 

「今日はありがとう、マミ。上条の方は…」

「神経はボロボロだったけど、できる限りは繋いだわ。リハビリはどうしても必要になるけど、あとは本人の努力次第よ。

ごめんなさい、力不足で。私の力では完治まではさせられなかったわ」

「いや…その方がかえって良かったかもしれないよ。俺が言うのもなんだけど、そういう過程も大事なんだと思う」

 

バスが止まる度に、見滝原中学の制服を着た子供達が少しずつ乗ってくる。ちょうど下校の時間を迎えた事にマミは気付き、生徒達と視線を合わせないように、窓際に座るルドガーの方へと顔を向ける。

 

「学校、さぼっちゃったから…ばれたら、気まずいでしょ?」

「大丈夫だよ、そのくらい。俺だって昔さぼった事ぐらいあるよ」

「意外ね、マメそうなのに」

「マメか……よく言われるけど、そんなつもりはないんだけど?」

「ふふっ…十分マメよ? 家事もそうだけど、あなたは本当に人のことをよく見てるわ」

 

もし自分に兄がいたとしたら、ルドガーのように優しくて頼りになる人だったらいいのに。マミは内心で思いながら、顔を見上げる。

この人になら命を預けても構わない。マミのルドガーに対する信頼は、すでにそこまで達していた。

 

「……ねえ、ルドガーさん。もし、もしもよ。私が魔女になっちゃったとしたら…その時は、私を殺してくれるかしら…?」

「マミ…」

 

いくらルドガーが支えてくれるとは言っても、不安は消える事はない。魔法少女ならばいつか訪れるだろう、避けられない運命。

ならばせめて、誰かを傷つけてしまう前に運命を閉ざしてしまいたい。そう思ってしまうのは至極当然の事だ。

 

「馬鹿な事を言うな、マミ。お前は俺が守る。魔女になんかさせやしないよ」

「…本気で、言っているの?」

「ああ、本気だ」

「いいの…? あなたを、信じていいの…?」

「信じてくれ、マミ。もう誰も絶望なんかさせない」

「あ…っ、う…うん…!」

 

ずっと独りで戦ってきた。誰に知られる事もなく、ひたすら影で魔女と戦い続けてきた。

両親を失って以来、誰一人としてこんな暖かな言葉を与えてくれはしなかったのだ。

双眸からかすかに涙を零しながら、マミは頷いた。

 

「不思議よね…あなたの言葉を聞いていると、心が軽くなる…こんな気持ち、初めてよ。私はもう独りじゃないのね…? あなたがいてくれれば…私は、もう何も怖くない…!」

 

ようやくマミは独りきりの迷路から抜け出し、自身の在り方を見つける事ができた。

まだ見ぬ災厄へと立ち向かう勇気を、信念を取り戻すことができた。

そして、大切な仲間と共にこの街を護りたい。それが、マミの新しい願いとなったのだ。

 

 

 

 

10.

 

 

 

 

ショッピングモールでの買い物を終えたさやか達一行は、およそ30分かかる道程を歩いて見滝原総合病院へと到着した。

携帯電話の時刻を確認すると既に4時を廻っており、あちこちに見舞いと思われる人影が見られる。

上条の入院している4階へとエレベーターで上がると、さやかがやや不安そうにほむらに訊く。

 

「…ねえ、ほむら。あんたまさか、恭介に気があるとかじゃないよね…?」

「はぁ…何を馬鹿なことを言っているのかしら、あなたは」

 

ほむらは既に、さやかが恭介を想っている事を知っているし、隣のまどかもそれに気付いている。

気付かれていない、と思っているのはさやかだけなのだ。

 

「言わなかったかしら? 私は、男になんて興味ないの。そんなに不安なら、さっさと自分のものにしてしまえばいいのよ」

「なっ!? なにを言ってんのよあんた!?」

「彼、さぞかしモテるでしょうね。盗られても知らないわよ」

「ほむら、あんたねぇ!」

 

ほむらとしても、そういう風になってくれた方が都合がいい。さやかが契約してしまった場合の魔女化の原因は、その殆どが悲恋にあるのだから。

最悪、上条の腕が治らなくてもさやかと上条がくっつきさえすれば…とも考えている。

 

「ほ、ほら2人とももう着くよ? 静かにしないと」

 

そんな2人を見かねてまどかが止めに入る。程なくして上条のいる病室が見えてきて、3人はその入り口で立ち止まった。さやかは果物の入った袋を片手に、扉を軽くノックして開ける。

病室に入ろうとしたその時、ほむらは唐突に告げた。

 

「気が変わったわ。2人きりの方がいいでしょう」

「へっ?」

「ごゆっくり、さやか」

「きゃっ!?」

 

トン、と軽く背中を突き飛ばし、さやかを病室に押し込んでぴしゃり、と扉を閉めてしまった。

 

「ちょ、ほむら! あんた───」

「…さやか? どうしたんだい」その一部始終を見ていた上条は、怪訝な顔をして尋ねてきた。

「あ…恭介、やっほー…うん、何でもない。何でもないよ?」

「そうかい」

 

仕方ない 。ほむらの事だからどうせまた何か企んでるのだろう、と割り切り、さやかは上条のベッドの横の丸椅子に腰を下ろした。

 

「たはは…ごめんね騒いじゃって」

「はは、さやかは相変わらず変わってるね」

「ひどっ!? 相変わらずとはなによう!」

「ごめんごめん。相変わらず元気だね、って事だよ」

「さやかちゃんはいつでも元気いっぱいよー? はいコレ、今日のおみやげ」

 

手に持っていた袋をベッドの横のワゴンに置いてみせる。ほのかに漂ってくる果物の香りに、

今日の土産品がいつもと違う事に恭介は気付いた。

 

「珍しいね、果物だなんて。いつもCDを持ってくるのに」

「たまには、ね? CDばっかりだと恭介も飽きちゃうかな、って思って」

「…さやかは、本当に何でもお見通しだね」

「えっ?」

 

正直のところ、恭介はもう音楽を聴く事に疲れていた。さやかの持ってきたCDの数々も、もう今朝からずっと聴いていない。

 

「ねえ、さやか。もし僕の腕が治らなくて…演奏ができないままだとしたら、どうする?」

「…あんた、もしかしてお医者さんになんか言われたの?」

「答えてよ、さやか」

 

昼間の訪問者の言葉が恭介の脳裏に蘇る。"きっと君自身を見てくれる人が傍にいる。" ならばさやかはどうなのだろうか、と思い、恭介は訊く。

 

「…そりゃあ、あたしは恭介のバイオリンが好きだし…やっぱり、悲しいよ」

「そう…さやかは"僕のバイオリン"が好きなんだね」

 

僕自身ではなく、と。言葉に出す事はせず、代わりにため息をつく。

 

「…今朝、言われたんだよ。僕の腕は現代の医療でも治せない、って」

「そ…そんな!!」

「僕はもうバイオリンなんて二度と弾けないんだ。…もう、音楽なんて聴きたくない。ねえさやか、僕はどうしたらいいのかな…?」

「恭介………」

 

わずかな沈黙が流れる。今度はさやかの脳裏に、ほむらの言葉が思い浮かんだ。

 

『音楽がなくたって、彼は彼に変わりないんだから』

 

(ほむら…あんた、恭介の腕が治らないこと知ってっていうの…? まだ会った事もないくせに)

 

今にしてみれば、昼間のほむらの言動は的確すぎるアドバイスだったのだ、とさやかは思い知らされる。

 

(あたしって…ほんと馬鹿。恭介の事考えているつもりで、本当は何もわかってなかったんだ)

 

今の恭介の姿は、魔法少女の真実を知り呆然と伏すマミの姿とどこか重なって見える。ならば、なにを言うべきかは自ずとわかる。

 

「あたしはさ、恭介。バイオリンがなくてもあんたの事好きだし、そばにいたいよ」

「さやか………」

「バイオリンが弾けなくなっても、恭介は恭介だよ。あたしがついててあげるからさ、一緒に考えてこうよ……って、なんかあたし今すごい恥ずかしいこと言ったような!?」

 

わぁぁ! と頭を抱え、顔を真っ赤にして悶える。

自分でも驚くほどすらすらと流れ出てきた言葉は紛れもなく本心ではあるが、内に秘めておいた想いだ。

自分で言った事に赤面するさやかを見て恭介はくすり、と笑みを浮かべた。

 

「…ありがとう。さやかはいつも、僕の事をわかってくれる。僕の欲しかった言葉をかけてくれる。嬉しいよ、さやか」

「あ、うぅ……それは…」

「巴さんの言うとおりだね。僕自身を見てくれる人がこんなに近くにいたなんて、気付きもしなかった」

「巴…? マミさんが来たの!?」

「知ってるのかい?」

「う、うん…ちょっと、色々あってね」

 

なぜ、マミが恭介の元を訪れる必要があるのか? さやかはその意味を考えてみる。

マミとさやかの接点など、魔法少女に関すること以外に何もない。ましてや恭介など……と、そこでさやかはマミの魔法の特性を思い出す。

その特性は、"繋ぎとめる"こと。リボンと、治癒魔法を得意とすることを。つまり、マミの目的は。

 

「まさか…!? 恭介、腕出して!」

「えっ、どうしたんだい」

「いいから、早く!」

 

さやかは半ば強引に、包帯の巻かれた恭介の右腕をとり、包帯を解き出した。

何をしているのか、といった風に恭介はさやかを見るが、さやかはお構いなしに手のひらに触れる。

 

「恭介、動かしてみて」

「さやか、動かないっていったじゃないか…」

「あたしを信じて。大丈夫だから」

 

恭介は辟易とした表情をしながら、さやかの言うままに右手に力を込める動作をする。神経は断裂し、指先は動くはずなどない。今更何を…と思うが、

 

「え……うそ、だろ…?」

 

恭介の指先は、ほんのかすかだがぴくり、と動いた。当然、さやかもそれを見逃すはずはない。

 

「動く…指が、動くよ…」

「やった……恭介ぇ! 動いたよぉ!」

「さやか、どうなってるんだい!? 何かしたのかい!?」

「奇跡が起きたんだよ恭介! よかった…よかったよぉ…!」

「さやか…わ、わっ!?」

 

誰よりも、恭介本人よりもさやかは喜びを露わにし、恭介に抱きつく。触れた身体の温度に、柔らかさに恭介は顔を赤らめてもがくが、さやかの瞳から涙が零れ落ちているのに気付き、抵抗をやめる。

右手はまだ感覚が鈍くスムーズには動かせないが、今まではぴくりともしなかったのだ。

 

「ありがとうさやか……本当に奇跡だよ」

「そうだよ恭介…奇跡も、魔法もあるんだよ?」

「はは、さやかまで巴さんとおんなじ事言うんだね」

「へへっ…さやかちゃんはいつでも不思議ちゃんなのさー」

 

本当に奇跡か、魔法でもかけられたのではないか。恭介はただこの喜びと温もりを噛み締め、優しく抱き返してやった。

 

 

 

 

11.

 

 

 

 

 

「…ねえ、ほむら」

「何かしら、さやか」

 

 

すっかり夕暮れ時となった見舞いの帰り道を、3人で談笑を交わしながら歩く。長い道程も、話に花が咲けばあっという間に過ぎ行くものだ。

上条の快復を知ったほむらは内心で胸を撫で下ろし、さやかの想いを知るまどかも素直に祝福の言葉をかけた。

そんな中、さやかは改めて確かめるようにほむらに訊く。

 

「色々ありがとうね。あんたが、マミさんをよこしたんでしょ?」

「何のことかしら?」

「とぼけんじゃないわよー? あんた、知りすぎなんだってば。あんたが言わなきゃ、マミさんが恭介のところに来るはずがないもん。

…だからさ、ありがとう」

「そう思うのなら、礼はマミに言うのね。私は礼を言われる憶えなんてないもの」

 

そう、これはほむらにとっては罪滅ぼしに過ぎない。過去に何度もさやかを見殺しにし続けてきた、罪滅ぼし。たった1度救えた程度で、その意識が消える筈もない。

 

「素直じゃないねぇ相変わらず。それとさ、ほむら」

「まだ何かあるのかしら」

「あんただって人の事言えないでしょーが。さっさと自分のモノにしちゃわないと、どっかのオトコに盗られちゃうよー?」

「安心なさい、その前に始末するわ」

「あんた、ナチュラルに物騒な事言うねぇ!? ヤンデレか? これがヤンデレなのか!?」

「変なあだ名をつけないでもらえるかしら」

 

2人のやりとりを、不思議そうな面持ちで見守るまどか。ほむらがさやかの為に何かをした、という事はわかるが何がどう、とまでは知る由もなかった。

ただひとつ、湧いた疑問点だけを確認するように、まどかもほむらに尋ねた。

 

「…この前から思ってたけど、ほむらちゃんってもしかして…女の子が好きなの?」

「ぶへっ!?」

「さやか、あなたが驚くのは少し意味がわからないわよ」

「ご、ごめんごめん。まさかまどかの口からそんな言葉が出るなんて思ってなかったから」

「はぁ……まあ、そうね。間違ってはいないわ、まどか」

 

ほんの少しだけ。決してまどかには気付かれないように。平静を装い、想いの内のほんの一面を明かしてみる。

 

「女の子だから、という訳ではないわ。好きになった人が、たまたま女の子だっただけよ」

「そうなの…? その娘は、誰…?」

「それは言えないわ。でも、私はその人だけを愛して、守ると誓った。その想いだけは永遠に変わらないわ」

「ほむらのいくじなしー」さやかが、にやけ顏で肘で突ついてくる。

「そうよ、私は意気地なしなの。そんなの…昔からわかってるわ」

 

 

 

未だ、望んだ未来は訪れていない。今度こそ、仲間と共に望んだ未来を勝ち取ってみせる。それが叶った時、この想いを打ち明けてみようか。

想い人の顔を見つめながら、ほむらは大きな希望を抱く。

 

 

───絶望を超えたその先に、何が待っているのかも知らずに。

 


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