全然更新してなかった。twitterではしっかり生きてるんで消えたってことはないです。
あと一つ。
岩成さんなんであんな喋り方なん?
ー山城國、京ー
六角氏を南近江より追い出し、京への障害を排除した織田軍はその勢いのまま京へ入った。
天下布武を掲げ、岐阜を立ってから一月足らずでの上洛は異様の速度であった。大和の松永久秀は戦わずに降伏し、逃げるように自国の大和へ撤兵した。
三好勢も六角氏の観音寺城がたった一日で落とされたと聞いて、慌てて摂津へと引き上げた。三好、松永を京から駆逐した織田軍は悠々と京へ入った。
だが、長い間戦乱の渦に巻き込まれていた京の民は木曾義仲のように織田が略奪や乱暴を働くのではないかと皆、戦々恐々としていた。
だがその不安は信奈の発布した政策によって払拭された。
「私が京に入ったからには兵の乱暴狼藉は許さないわ! 民に乱暴する者は打ち首! 町に火を着ける者も打ち首! 銭や米を民から取り立てるのも厳禁よ!」
これほど、民を案じる戦国武将がこの京にいたのだろうか。織田の兵は各々派手に歌舞いた成りをしていたが乱暴を働けばすぐさま種子島を撃ってくると身に染みていたのだ。
戦乱の渦に巻き込まれていた京の民は瞬く間に信奈を歓迎した。
その光景には長門や緋村家の面々も驚きを隠せなかった。
(実際に織田信長も民には慕われていたんだ。そこには驚きはしない)
信長は有名な所だと『楽市楽座』や『関所の撤廃』などと、政治能力も高い大名として知られている。その革新的とも言われる手法に後の豊臣秀吉、徳川家康など後世に名を残す英傑たちが惹かれ集まっていった。
だがその反面、信長は仏教勢力、一揆衆といった反対勢力との衝突も多かった。
(つまり信長は悪しき風習の破壊者、革命者であるが故に天下の土台を作ることしかできなかったというところか)
『織田が搗き、羽柴が捏ねし天下餅、座りしままに食ふは徳川』三英傑による天下統一までを江戸時代の浮世絵師、歌川芳虎が徳川家康を酷評する為に描いた錦絵であるが、信長は確かに天下統一という夢物語の道標を作った人物であろう。そしてその覇業を継いだ豊臣秀吉、徳川家康が天下統一、そして二百年以上続いた泰平を成したのだった。
長門は、先頭に立ち歓迎する民に応える信奈を見つめる。
(この織田信奈も同じ運命を辿るというなら夢半ばで天下の舞台から降りねばならない時が来るんだろうか)
天正十年六月二日、丁度此処、京の本能寺で天下統一を目前に家臣である明智光秀の謀反によってその烈火の如き人生に自ら幕を下ろすことになる織田信長。
(だが、明智光秀、今の十兵衛殿が謀反を起こすとは到底思えない)
一般的には本能寺の変は明智光秀によるものだと言われているが、秀吉黒幕説など、その真相は見つからなかった信長の首とともに今も闇に葬られたままでいる。
(だが、此処ではその秀吉は既に亡く、歴史的にそのポジションにいるのが良晴だ)
おそらく良晴もそこは考えているだろう。と長門は自分の前を行く親友を見ていた。良晴が信奈を見つめるその目線には羨望だけではないように感じた。
(良晴は恐らく信奈様に惚れているんだろう。まあ認めやしないだろうが)
そう思うと長門は自然と笑みがこぼれた。
(良晴、お前はそのままでいろ。そのままの馬鹿で、何かを諦めるという事を認められない餓鬼のままで…………手を汚すのはこの長門の仕事だ)
「長門様? どうかなさいました?」
「うん?」
だいぶ長い間考え事をしていたのだろう。既に民衆のパレードを抜けていた。ぼーっとしていた長門を不思議に思った高次が声をかけた。
「…………いや、大丈夫だ。少し考え事をしていた」
「そう、ですか」
そう言う主人の背中を高次は不安そうな顔をして見つめる。
(長門様は私では考えも及ばない事を考えているに違いない。なら、私はどんな事があろうとお側で支えるだけ)
むんっ! と気合を入れる高次。それが家臣としての務めであると言うかのように。
*
京に入った信奈の行動は早かった。上洛を果たしたが畿内では三好家が権勢を振るっていた。信奈は柴田勝家を大将とした三好攻めの軍二万を派遣した。
大将を柴田勝家、与力として森可成、蜂屋頼隆、西美濃三人衆、緋村隆成が名を連ねていた。
勝家はまず三好の防衛拠点である勝竜寺城を攻めた。勝竜寺城では三好三人衆の一人岩成友通の二千が守っていた。
「敵は観音寺城が一夜にして落とされた事で士気は高くない。一息に攻め落とす!」
勝家は脳筋だが武力と機を見極め戦の潮目を逃さない戦術感、一軍を率いて戦う武将としての能力は織田軍内でも一二を争う武将である。
勝家の方針について反対はない。むしろシーンと静寂が訪れていた。彼らは了承のつもりで意見をしなかったがそれが勝家には反対に感じたのだろう。
勝家は「えっ? えっ?」とオロオロし始めた。
「な、なんだよー。誰か何とか言ってくれよー」
オロオロした勝家に他の面々も「えっ?」と逆に面を食らっていた。
そこに末席で「御無礼ながら…………」と長門が挙手をする。
「な、長門⁉︎ 何か策があるのか?」
「あるにはありますが、勝家殿がおっしゃられた通り力攻めでもよろしいのですよ」
「へ?」
勝家は素っ頓狂な声を出して驚いた。勝家は最近、信奈が良晴に構い過ぎる事に「姫様がサルに寝取られる!」と焦る気持ちがあった。だからこの戦で大手柄を上げて信奈に褒められようと言う実に勝家らしい事を考えていた。
それ故に失敗は許されなかったのだ。今回の陣営には美濃で最強を誇った緋村勢に加え自分を手玉に取った長門が陣営に参加していた。こう言う時に長門の頭を使おうと考えていただけに、勝竜寺城簡単に落とす策があると思っていた勝家は驚かずにはいられなかった。
「え…………なんか策とか無いのか? 相手が勝手に城を棄ててくれるような策とか」
「そんなものがあれば今頃我ら緋村は美濃の覇者になっていますよ。先程ご自分で仰られていたではないですか」
「え?」
「“観音寺城が簡単に落とされ敵の士気は高くない”と」
「あっ!」
実際に勝竜寺城始め、三好三人衆の各支城は観音寺城の落城に士気は下がっていた。
「辛うじて士気が高いのはこの勝竜寺城くらいでしょう。この城一つに時をかければかけるほど畿内の制圧にも時間がかかります」
「な、なるほど」
「ですが、やはりこちらの被害は抑えるにいいに越した事はないでしょう。岩成を城から釣り出すと言うのはどうでしょう」
長門は地図上の勝竜寺城、桂川に敷いた本陣の二つにそれぞれ石を置いた。
「まずは小畑川を下りましょう。無視されたと思った岩成は必ず追ってくるでしょう。それに敵は川を背に進軍していると見れば奇襲を仕掛けてくるでしょう」
「そこを反転して押し返し、一気に城を落とすのか?」
勝家がそう聞くと長門はコクリとうなずく。そして作戦を綿密に打ち合わせする。
「よし! 出陣だ」
*
京南方、勝竜寺城。
三好にとって最前線の防衛拠点を任された岩成友通は小畑川に陣取った織田本陣を眺めていた。
「三好は絶体絶命です。ですが兄上から任されたこの城は抜かせません、岩成です」
岩成の闘志に当てられた将兵らの士気も旺盛であった。これでは数に任せた力攻めも犠牲を覚悟しなければならない。
その時織田軍が動き出した。
何故かこの勝竜寺城を素通りしようという動きを見せてた。
「まさか…………我らを無視して摂津へ向かうつもりか!」
岩成も誰もがこの防衛拠点である勝竜寺城を狙うと思っていただろう。それがまさかの素通りするとはその分遠回りになるし背後からの攻撃のリスクもある。
敵は何故そんな愚策を取ったのか、岩成は分からなかった。
しかしここですんなり通すわけにはいかない。
「出陣! 敵の陣形は間延びした長蛇の陣! ひと叩きして城に戻ります! 岩成です」
岩成は城内に守備兵七百を置くと残りを率いて勝竜寺城を出陣した。
ひと叩きふた叩きできればいい、敵が勝竜寺城で少しでも足を止めることが出来れば軍備を整え、三好も戦える。
この先に織田軍が! もう先鋒部隊が織田軍の背後を捉えているだろう。
しかし伝令が運んできた知らせは岩成の想定していない知らせだった。
「で、伝令‼︎ 織田軍、突如反転し我らを迎撃‼︎ 先鋒隊はほぼ壊滅しました‼︎」
岩成は驚愕した。まさか自分は誘い込まれていたのかと。
「勝竜寺城に撤退します‼︎ 岩成です!」
「で、伝令‼︎」
撤退を支持しようとした降りまた別の伝令兵が馬を走らせてきた。
「勝竜寺城…………緋村隆成率いる別働隊により陥落しました‼︎」
「そんな…………私は織田の掌で踊らされたのか…………」
長門は兄隆成に五千の別働隊を頼んでいたのだ。隆成率いる別働隊は桂川から出陣する際に本隊とは別の道を通り、岩成が出陣したと同時に城攻めを開始したのだ。
七百の守備兵は最初こそ抵抗したものの、隆成の怒涛の攻めに戦意を失い押し切られ勝竜寺城は落城したのだった。
「くっ! 摂津まで撤退だ…………」
岩成は動ける兵を引き連れ本国である摂津まで撤退したのだった。
マジで岩成さんのシリアス口調がわからん…………どうしても「岩成です」をつけるとギャク臭くなるので中途半端になってしまった。
もう合戦時は使わない方がいいのかな。