オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 今回、色々とワールドアイテムを始めとした捏造設定があります。

2017/4/13 「アルベドはが」→「アルベドは」、「カイネ」→「カイレ」、「というは」→「というのは」 訂正しました
2017/4/13 「訪れとしたら」→「訪れたとしたら」、「ガゼフストロノーフを吊り上げる」→「ガゼフ・ストロノーフを釣り上げる」、「もの」→「者」、「いって」→「言って」 訂正しました
2017/4/13 「すべからく」→「ことごとくにして」、「敬服しているように見えるが」→「敬服しているような素振りだが」



第84話 先んずれば人を制す

 カリカリとペン先が紙の上を動く音が響く。

 規則正しいその音が急にピタリと停止すると、紙をめくる音。

 書き終えた書類を手にとり、それを傍らに積まれた紙の山の上へと置く。そして、逆側に積まれた紙の山から一番上のものを目の前に置くと再びペンを走らせる。

 

 そうして、アルベドは自分の所に持ち込まれた書類を次々と処理していった。

 ペンを動かす手がほとんど休む暇もない。

 彼女の認識能力、そして知力をもってすれば書類を取り、目の前に置くわずかな刹那にて、そこに書かれた全てを読み終え、そしてどうすべきかの判断を下すことが出来る。後はどう対応すべきかをそこに書くだけだ。

 見る見るうちに傍らに積まれた未決済の書類の山が減っていき、逆に処理済みの書類を入れる箱がいっぱいになっていく。

 

 

 やがて――彼女の手がピタリと止まった。

 判断が困難な案件があったためではない。

 そこに積まれていた書類をすべて片付けてしまったためだ。

 

 一仕事終えたというのに、アルベドは一息つくどころか、その整った眉根を寄せた。

 彼女は今、ナザリックの様々な案件を処理していたところだ。まだまだ、彼女が決裁せねばならぬ案件はあるはず。普段であれば彼女が手を止める(いとま)もなく、配下の者達が次から次へと新たな書類を持ってくるはずなのである。

 それが何故、滞ったのか?

 

 

 アルベドの柳眉(りゅうび)が逆立てられる。

 

 彼女としても、このような仕事は一分一秒でも早く終えて、愛するアインズの許へ飛んでいきたいというのに。

 こうして無駄な時間を過ごすという事は、アインズの姿を眺め、アインズと声を交わし、アインズと共に過ごすはずの時間をただ無為に浪費しているという事だ。

 いったい何が、自分とアインズとの仲を邪魔しているというのか。

 

 

 彼女は抑えきれない苛立ちに、叱責の声を張り上げようとした。

 

 だが、その桃色の唇は開かれた瞬間のまま止まる。

 

 配下の者を呼ぼうと机から顔をあげた彼女の視線の先、この部屋の出入り口の所にいたのは、彼女の仕事を手伝うためにあてがわれた青銅色の肌を持つ悪魔ではなく、そこにいるはずのない、美しい銀髪を腰まで垂らした少女。アルベドが内心、最も不快さを感じる相手、ベルであった。

 

 

「やあ、ご苦労さま」

 

 言いながら、つかつかと部屋に入ってくるベル。

 

「これはベル様。このようなところにどのような御用でしょうか?」

「いやあ、陣中見舞いってやつだよ。お仕事大変そうだからね」

 

 ――分かってるんなら、わざわざ来るなよ、ゴミめ!

 

 心の奥で毒づきつつも、アルベドはそんな内心の苛立ちをおくびにも出さず、穏やかに微笑みかけた。

 

「ええ、大変ですが、これもナザリックの為ですもの。至高の御方のお役に立てると思えば、軽いものですわ」

「ふうん」

 

 彼女が座る机の傍らに歩み寄り、決済が終わった書類をつまみあげ、ベルはぺらぺらとめくってそれに目をやる。

 

 アルベドの眉がまた顰められた。

 今度は怒りの為ではなく、湧き上がる疑念から。

 

 

 ――本当に、いったい何をしに来たのかしら?

 

 

 これまでベルがアルベドに直接会いに来るなどという事はまずなかった。必要上、共に仕事をする機会はあったものの、彼女の知る限り、常に誰かを傍に置いていたはず。それが今は、たった一人である。供回りの者を誰一人付けずに歩き回るなど、異例も異例のことだ。

 

 ベルがやって来た真意を掴めず、どう相手をしていいものやらと計りかねているアルベド。

 そんな彼女に対して、少女は何でもないように声をかけた。

 

「アルベドがそうやって働いてくれているおかげで皆、助かっているよ。君がいれば、ナザリックは安泰だね」

「いえいえ、非才なるこの身ですが、わずかなりともお役に立てているのならば、そう思ってくださるのであれば、身に余る光栄ですわ」

「謙遜しなくてもいいよ。君はナザリックにとって役に立っているさ。アインズさんもそう言ってたしね」

 

 その言葉にアルベドの心臓が一つ高鳴る。

 

 アインズが言っていたという。

 自分がナザリックの役に立っていると。

 

 その頬が緩むのを抑えきれない。

 

 

 だが、次の瞬間、そんな彼女の表情が凍り付いた。

 

「うん。ナザリックの為に働く君は、ボクにとってもものすごく便利な駒さ」

 

 

 瞬間――。

 

 

 ギンと殺気が撒き散らされる。

 瞬時にして抑え込みはしたものの、それはけっして隠しきれるものではない。

 

 至高の41人の娘であるベルに対し、そんな気配を放つ。

 それは反乱の予兆ありと判断され、処断されてもおかしくはないほどの行為であった。

 

 

 ――こいつ……まさか、私を挑発して追い込むつもり!?

 

 

 その美しい(かんばせ)には笑みを形作りつつも、かろうじて音が漏れぬほどに歯ぎしりをするアルベド。

 対して、ベルは何事もなかったかのよう。

 

「ん? どうかした?」

「……いえ、別に……」

「そう、それは良かった。てっきりアインズさんにとって特別な、重要人物であるボクに対して、ただ下に使われるだけの、替えのきく歯車でしかないナザリックの(しもべ)風情(ふぜい)が舐めた態度をとったのかと思ってさ」

 

 

 限界だった。

 

 瞬間――目の前の机が粉砕され、空を切って突きだされたアルベドの手が、ベルのほっそりとした喉をがっしりと掴む。

 撒き散らされた書類がはらはらと舞い落ちた。

 

「……いい気になるなよ、ガキが。お前など、アインズ様の触れた紙屑一つにも劣る存在だというのに」

 

 喉笛を締め付ける剛力。

 そして、ドラゴンすらも怯ませるであろう、狂気にも似た殺気を湛えた瞳。

 だが、それに晒されていながら、ベルはというとへらへら笑っていた。

 

「おお、怖い。うわー、アルベドに殺されそう。アインズさんに言いつけちゃおうかな」

「な、なに?」

 

 愛する者の名を出され、アルベドはわずかに怯んでしまう。

 

「今すぐ、指輪を使ってアインズさんの所に転移しようかな? そして、アインズさんに告げ口しちゃおうかな? アルベドがボクを殺そうとしたって」

「そ、そんな事を言ったところで、アインズ様が信じるはずが……」

「そうかな? ボクの言う事と、君の言う事、アインズさんはどっちを信じるかな?」

「なっ……!?」

 

 思わず、アルベドは絶句した。

 

 彼女としても、自分はアインズにとって、けっして欠かすことの出来ぬ存在だと、大切な存在であると認識されている事は分かっている。

 もし、自分に何か危険が訪れたとしたら、危急存亡の事態が生じたとしたら、アインズは何を捨てても助けに来てくれるであろう。どんな敵であろうと、ことごとく打ち倒し、彼女を助けてくれる。

 それについては決して疑いなどない。

 

 しかし、比較対象がベルとなると、話は違ってくる。

 

 

 至高の41人の娘であるベル。

 彼女は、アインズにとって別格の存在であるようだ。

 

 

 それこそ、ナザリックの(しもべ)たちよりも。

 

 

 

 もし、ベルとアルベドどちらを取るかとなった時、アルベドはアインズが必ず自分をとってくれるとは確信できなかった。

 

 いや、彼女は理解していた。

 仮にそうした選択を迫られた場合、アインズは自分よりベルを取るであろうという事を。

 

 

 ベルを中空に吊り上げている彼女の手がわななく。

 そんな彼女に対して、ベルはさらに言葉をつづける。

 

「仮に、アインズさんに告げ口する前に秘かにボクを殺してしまっても無駄だよ。ボクは死んでも生き返れる。エクレアにやったみたいな蘇生の儀式なしでもね。ボクの口をふさぐことは不可能さ。それに仮にボクがいなくなったとしてもね。アインズさんにとって、君はナザリックの(しもべ)の1人でしかない。任せている仕事の重要性から言っても欠かすことの出来ない存在かもしれないけど、他の者と同様、なんら変わりはなく、順位などつけられることもなく、皆等しくアインズさんにとって大切な存在でしかない」

 

 

 そして、ベルは決定的な一言を口にする。

 

 

「そう、君はいつまで経っても、どれだけ尽くしても、アインズさんにとって、たくさんいるナザリックの(しもべ)の1人でしかない。アインズさんの特別にはなれない」

 

 

 

 突きつけられたその言葉に、アルベドは大きく震えた。

 否定したかった。そんなものは嘘だと。自分こそが愛するアインズの隣に立つのにふさわしいと。自分こそが、アインズにとって唯一無二の存在であると。

 

 だが――。

 

 だが、彼女の怜悧な頭脳は理解していた。

 今、ベルが言いはなった言葉。

 『アインズさんにとって、たくさんいるナザリックの僕の1人でしかない』

 それがまぎれもない真実であると。

 

 

 アルベドの膝が崩れ落ちる。

 冷たい大理石の床に手をつく彼女。その身体は(おこり)のようにがたがたと震えていた。

 そんなアルベドに対し、ベルは優しく声をかける。

 

「まあ、落ち着いてアルベド。僕はね。君を応援したいんだ」

 

 駆けられた言葉に驚き、アルベドはその憔悴しきった顔をあげる。

 

「君はボクを敵視していただろう? でもね、それは違うよ。別にボクは君と争いたいわけじゃない。むしろ、ボク達の利害は一致しているのさ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 間断の無い、雨粒が屋根を叩く音が室内に響く。

 外に目を向ければ、空は今が夜かと見紛うばかりに暗澹とした雲が立ち込め、スレイン法国の首都である聖都を覆い尽くしている。

 そこから降りしきる土砂降りの雨。それは容赦なく彼らの頭上を覆う屋根を襲っていた。

 

 堅牢な作りをしているこの建物においても、これほどの音なのだ。いったい市井の住居では、どれほどのものか。それこそ耳を聾するほどの轟音が鳴り響いているのだろうか。もしくは雨の勢いに負け倒壊した建物などもあるのだろうか。

 

 

 しかし、そんなものなど大したことは無い。

 今、この場に集まっている、スレイン法国における最高執行機関の面々が、日々悩まされている頭痛に比べれば。

 

 

 

 やつれた頬ながらその目を爛々と光らせた最高神官長は、居並ぶ者達の顔を一人ずつ見回し言った。

 

「では、現在のリ・エスティーゼ王国を影から支配する何者かに対抗するための初手として、エ・ランテルにいる冒険者『漆黒』モモン討伐に、漆黒聖典の番外『絶死絶命』を投入するということで異論はないな」

 

 その鋭い眼光にねめつけられ、これまでの討議でいささかの疑念を呈していた者達もまた、首を縦に振った。

 

 それほどまでに、彼らは追い詰められていたのだ。

 

 

 

 先ず、事の始まりは王国の国境付近において、極秘の任務にあたっていた者達と連絡が取れなくなったことだ。

 

 周辺の村落を帝国騎士に扮して襲っていた者達。彼らは王国戦士長ガゼフ・ストロノーフを釣り上げる生餌に過ぎなかった。

 その本命は秘かに後詰させていた切り札の一つ。白き衣に身を包んだ、スレイン法国でも屈指の精鋭ぞろいである陽光聖典。そして彼らを束ねるのは、将来を嘱望されていた若きエリート、ニグン・グリッド・ルーインである。

 

 彼らが不意に連絡を絶ったかと思うと、何とガゼフに返り討ちに遭い、陽光聖典の隊員の多くを失っただけに済まず、隊長であるニグンが捕まったというではないか。

 これは大変な失態だと、大慌てで漆黒聖典を動かし、虜囚の身となっていたニグンを暗殺させた。

 それは何とか成功し、彼の口をふさいだものの、スレイン法国は貴重な戦力である、六色聖典の中でも戦闘に秀でた陽光聖典の多くを一度に失うという事態に陥ってしまった。

 

 

 だが、彼らの不幸はそれだけに止まらなかった。

 

 破滅の竜王復活に備え、トブの大森林におもむいていた漆黒聖典の部隊が、謎のダークエルフ、そして謎の騎士と争いになり、部隊を率いていた隊長を除き、壊滅してしまったのだ。

 

 

 この事に法国上層部は、蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 

 およそ全世界基準としてみた場合にも最強クラスの者達を集めた漆黒聖典がほぼ全滅したうえ、同行していたカイレまでもが亡くなり、さらには彼女が身に着けていた六大神の遺産『ケイ・セケ・コゥク』までもが失われたのだ。

 

 その後、少なくない犠牲を払って〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉を使用し、突然、エ・ランテルに現れた冒険者モモンが『ケイ・セケ・コゥク』を保有しているということが分かった。

 そこで他国でアンダーカバーを作っていた、先の戦いに巻き込まれずに済んだ漆黒聖典の2人を使い、帝国貴族を隠れ蓑にワーカーを集めさせ、モモン抹殺を図ったのだが、そちらも失敗し、貴重な戦力がさらに失われる結果となった。

 

 

 彼らが次なる策を考えている間にも、近隣の国家であるバハルス帝国では、領内に突然現れたビーストマンの群れによる襲撃、その対応に苦慮していた。そうして彼らが何とか反撃を試みようとした矢先、今度は謎の巨獣が突如、帝都を襲い、皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス、並びに逸脱者フールーダ・パラダインまでもが死亡してしまった。

 そして更に王国もまた、そんな帝国の弱みにつけ込もうとして進軍しようとした挙句、何処(いずこ)ともなく現れた強力なアンデッドの集団によってエ・ランテルに閉じ込められ、立ち往生する羽目になってしまい、その隙に亜人を率いた犯罪組織『八本指』が王都を占拠してしまうという事態にまで陥った。

 

 そこで法国は王都リ・エスティーゼを支配した『八本指』、彼らを操り裏で糸を引く者こそ、全ての黒幕である可能性が高いとして、残る漆黒聖典の中でも生き残った隊長とクレマンティーヌ、並びに復活させたニグンや残る陽光聖典の者らを始めとした最強の者達をかき集め、送り込んだのだ。

 

 だが、結果は惨憺たる有様であった。

 味方であるドラゴンが打ち倒された時点で敗北を悟ったニグンがいち早く退却を指示したため、直接王城内に突入した者以外は、ほとんど被害も出さずに王都から撤退することが出来たのだが、乾坤一擲の作戦に失敗し、六色聖典の戦力を大きく減ずる羽目になった法国には、もはや打てる手は限られていた。

 

 

 ――かくなる上は、スレイン法国秘中の秘、漆黒聖典番外『絶死絶命』を動かす以外に手はない。

 

 

 彼らはついに決断した。

 彼女の存在が公のものとなれば、それは竜王国とも諍いを起こしかねない。外交上の摩擦程度ならまだいい方。下手をすれば戦端が開かれかねないほどのものであったが、そんな危険な賭けに出ねばならぬほど、六色聖典のかなりの戦力を失い、それでいて相手の素性もいまだ分からぬままという状況に、彼らは焦燥感を募らせていた。

 

 

 

 そんな彼らの視線の集まる先、壁に寄りかかって立つ少女、当の『絶死絶命』は緊張感すら見せる様子もない。

 

「ふうん。モモン、それに王国を裏から支配している謎の存在ねぇ……。まあ、いいわ。せっかく許可が出たんだもの、派手に遊べそうね。どんな奴かしら? 強い奴ならいいけど。私より強い奴なら、結婚してやってもいいんだけど」

 

 そうつぶやく彼女に、彼らは口元をひきつらせた。スレイン法国において要職につき、幾度も死線を潜り抜けてきた者達でさえも、冷や汗が流れるのを感じた。

 彼らのそんな様子など、気にかけた様子もなく、少女は笑った。

 

 

 

 だが――。

 

 

「それは、随分と舐めた口を叩くでありんすね」

 

 不意に、その場に響いた少女の言葉。

 この場にいる年若い者――少なくとも容姿は――は、目の前の番外しかいない。その為、彼女が言葉を発したのかと思ったが、その彼女も突然の声に驚愕していた。

 

 

「『結婚してやって』? 下等な混ざりものの分際で、至高なる御方に対して、よくもそこまでふざけた言葉を吐けたもんだな、この屑が!」

 

 怒気を隠さぬその言葉。怒りのあまり、普段の廓言葉も忘れたそれに同意するように続いたのは、人外の者が無理に人間の言葉を真似しているかのような耳に障る音。

 

「マッタク、不敬ニモホドガアル」

 

 続くのは、少年少女の声であった。

 

「ホント、ホント。少しは身の程を(わきま)えろっての」

「う、うん」

 

 嘲弄する姉の声に、オドオドしているように見えて、実際は心の奥底に深い怒りを湛えた弟の声。

 

「まあ、人間というものはことごとくにして愚かなものではありますが、あなたはまた格別ですね」

 

 その内容は侮蔑を含んでいたが、思わずいつまでも聞いていたいような、そんな気分にさせる聞いただけで耳に心地よい張りのある声が耳に届いた。

 

 

 

 その場に居合わせた誰もが驚いて振り返る。

 

 

 その時、聖都の上空に雷光が走った。

 轟音と共に、白く照らし出された室内。

 そこにあったのは、中空に揺らめく漆黒。

 そして、その前にたたずむ異形の者達の姿。

 

 

 黒のドレスに身を包んだ少女吸血鬼。

 ライトブルーの巨体、その周りに冷気を漂わせる蟲人。

 ダークエルフの少年少女。

 そして、一見穏やかな成人男性を思わせるものの、その瞳の奥に邪悪を張りつけた悪魔。

 

 

 突如、現れたそれらを前に、スレイン法国における重鎮たち、今はもはや前線に立つことは無いが、かつては生死をかけた実践の場に長く身を投じてきた者達でさえ、言葉もなく息をのんだ。

 見ただけで、悍ましいほどの力を内包する者達だという事はよく分かった。

 心胆まで震えそうになる圧倒的な空気が彼らの肌を打つ。

 これまで恐怖という感情を感じたことすらほとんどなかった漆黒聖典の番外たる彼女ですらも、生命の危険という本能的な恐怖に、冷たいものが背筋を這いあがる感覚を覚えた。

 

 

 そんな竦みそうになる身体を必死で抑える彼らを前に、南方で着用されるという臙脂(えんじ)色のスーツを身につけた悪魔がパンパンと手を叩く。

 

「初めまして皆さん。皆様方はスレイン法国における最上位層の方々であるとお見受けいたします。さて、せっかくお会いできたのですが、自己紹介などは省略させていただき、我々がここへやって来た目的を手短にお話しいたしましょう。私どもが今日ここへ参ったのは、皆さんをまとめて殲滅するためです。はい。実に残念ながら、この聖都に住まう生きとし生けるもの全て、殺害させていただきます。私個人としましては、不遜な神なる存在を信仰する皆様と、少々遊びたかったのですが……。おっと、手短と言ったのに、少々長くなってしまいました。では、さっさと始めましょうか」

 

 流れるように滑らかな言葉で告げられたのは、絶望の宣言。

 全身が文字通り総毛だった彼らの前で、悪魔たちはその武器を構えた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「よし。今日こそ、ベルさんと話そう」

 

 自分以外誰もいないナザリック第8階層の荒野にて、アインズはぎゅっと両の拳を握り込み、気合を入れた。

 

 

 ベルと腹を割って話す。

 今がまさに絶好の機会だった。

 

 現在、守護者たちは皆、法国において要注意人物と(もく)された漆黒聖典番外とやらを倒しに法国の首都へと出向いている。

 

 いかに、その『絶死絶命』とかいう大仰な名前が付けられた存在が強かろうと、守護者5人を同時に相手にしてはひとたまりもあるまい。

 それに万が一、危険を感じた際にはシャルティアの〈転移門(ゲート)〉によって、即座に帰還するよう命じてある。他の者達だけならいささか不安だが、策略家のデミウルゴスもいることだし、引き際を間違える事はないだろう。

 彼女以外に法国に恐れる者などいない事は、王都で捕まえた陽光聖典らからの情報でちゃんと把握していた。

 大切な彼らが危険な目に遭う事はないはずだ。

 

 今、ナザリック内にいる守護者クラスの者は、墳墓を離れている者らの代わりに防衛の任務を取り仕切っているアルベド、第4階層の地底湖に沈めているガルガンチュア、そして本来はこの第8階層の荒野にいるはずのヴィクティムである。

 そのヴィクティムは現在ガルガンチュアと同じ第4階層に移動している。

 

 これから行う実験に、彼――性別はないのだが――が巻き込まれないようにするためだ。

 

 

 

 執務室にいたアインズに、ベルから〈伝言(メッセージ)〉が届いたのは、しばし前の事。

 腹蔵なく話そうとは思っていたものの、突然の〈伝言(メッセージ)〉になんと切り出していいのか戸惑ってしまった。

 そんな彼に、ベルは端的に用件を伝えた。

 

 『ワールドアイテム』の効果の検証をしたい、と。

 

 何故、守護者たちがナザリックを離れているこのタイミングで、とは思ったものの、これはベルと余人を交えず、差し向かいで会える絶好のチャンスだと考え、アインズはそれを了承した。

 そして、今度は様々なワールドアイテムの同時展開、組み合わせを試してみたいという話であったため、彼女に言われるがまま、普段肌身離さず自らの胸に納めている光り輝く球を自室に置き、こうして独りで指定された第8階層の荒野に佇み、ベルが宝物庫からワールドアイテムを持ってくるのを待っているのである。

 

 

 ――ベルがやってきたら、なんと話そう。

 話の切り出し方も重要だ。

 そもそもワールドアイテムの実験をしたいという事だから、先にそちらを終えてからの方がいいだろうか? いや、また決意が鈍るとアレだ。先に話してしまった方がいいな。

 

 

 そんなことを考え、ベルとの会話を脳内でシミュレートしていると、その背後に人の気配がした。

 

 

「やあ、ベルさん。今日はワールドアイテムの実験をするという事でしたが、その前にちょっと話が……!?」

 

 振り返ったアインズ。

 彼は言葉を失った。

 

 そこに立っていたのは、彼の友人である銀髪の少女ではない。美しい黒髪を垂らし、純白のドレスに身を包んだこの世のものとは思えぬ美しい女性。

 アルベドであった。

 

 

「ぬ、……アルベドか。どうしたのだ? こんなところに一人で来るとは?」

 

 予想だにしていなかった来訪に狼狽えるアインズ、対してアルベドは何も答えず歩み寄った。

 

「あ、アルベド?」

「アインズ様」

 

 アルベドはその金色の瞳でアインズを見つめる。その瞳に込められた感情に気圧され、アインズは後ずさった。

 

 

「アインズ様。……私、アルベドはアインズ様を愛しておりますわ」

 

 その言葉に、アインズは奥歯を噛みしめた。

 アルベドがアインズの事を愛しているのは、ユグドラシル最終日にアルベドの設定をそう書き換えたからに他ならない。アルベドがアインズに対して愛情を向ける仕草をするたびに、かつての友人タブラの作品にして娘であるアルベドを汚してしまったという後悔が、胸の奥から湧いてくる。

 

「アルベドよ。お前のその感情は……」

「アインズ様!」

 

 アインズの言葉を遮って、アルベドが言う。

 

「アインズ様、過去の経緯などどうでもよいのです。大切な事はただ一つ。このアルベドはあなた様を愛しているという不変の事実のみにございますわ」

 

 そう強く言い切った。

 いつもと少し違う様子に、さすがのアインズも気がついた。

 そもそも今はベルと共にワールドアイテムの実験をするはずだったのだ。なぜ、アルベドがここにいるのか? ベルはどうしているのか?

 

 疑念が頭を駆け巡る。

 そうして立ち尽くすアインズに、アルベドは一歩近寄る。

 

「アインズ様、愛しておりますわ」

 

 また一歩近寄る。

 アインズはたじろぎ、思わず一歩退いた。

 

「ま、待て、アルベドよ。お前の気持ちはよく分かった。いや、分かっているとも。しかし、今はそれより先に解決しなければならない事があるだろう」

 

 狼狽えつつも、言葉をつづけるアインズ。

 

「このナザリック地下大墳墓はかつての毒の沼地より、この地に転移した。これまでの調査で我々に害を与えるほどの強者は見つかってはいないが、まだ世界のどこかに強者が隠れ潜んでいる可能性もある。ナザリックの完全なる安全、安泰が確認されるまで、そういった感情に身を任せる行為は控え、油断することなく警備に万全を期さねばならぬのだ。まだしばらくは不安な思いをさせる事になるかもしれんが、アルベドよ、分かってくれるな?」

 

 噛んで含めるようにそう説得した。

 だが、普段であれば自分の感情を優先させたことに対する謝罪の言葉を口にするはずのアルベドは(うつむ)いたまま、そのほっそりとした両肩を震わせた。

 

 

 ――まさか、泣かせてしまったのか?

 

 これまでの人生で、女性に泣かれるなどという体験など初めてのアインズは大いに慌てふためいた。

 なんと声をかけていいやらと、脳内はパニックに陥り、幾度か精神の鎮静が起こる。

 

 

 そんな事をしている間に、ゆっくりと下を向いていたアルベドの(かんばせ)があがる。

 

 その瞼には涙などなかった。

 そこにあったのは、狂気にも似た強い激情。

 

 それを目にし、アインズはその身を震わせた。

 

 

「やはり……」

 

 ぎりりと音がするほど歯を噛みしめるアルベド。

 その美しい顔が憤怒に歪む。

 

「やはり、私の愛を受け取ってはくださらないのですね? この私よりも、他の者達を取るというのですね?」

「ま、待て! それは違うぞ。お前も大事だが、ナザリックの皆の事も……」

「この私より、ナザリックの安寧が大事だというのですね! この! この私よりも! ナザリック地下大墳墓が!!」

「ちょ、ちょっと待て、アルベド! 落ち着くのだ!」

「やはり! やはり、このナザリックが! ナザリックさえなければあぁっ!」

 

 

 叫ぶアルベド。

 不意に彼女の脇に漆黒が生まれる。そこから現れたのは翼ある小悪魔。アルベドが自身の特殊技術(スキル)によって生み出したのだ。

 

 ――いったいなぜ、そんな怪物(モンスター)を生み出したのだろうか?

 

 狼狽しつつもアインズが疑問を感じる中、アルベドは自身の腰から生えた漆黒の翼、その後ろに吊るされていたものを身体の正面に回し、手にとった。

 それを見たアインズは驚愕した。

 瞠目した。

 

「な!? あ、アルベド! それはどこから!!」

「ナザリックなど、ない所に2人で行けたならばあぁっ!!」

 

 そして、アルベドはその手のワールドアイテム、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を発動させる。

 

 

 

 不意に浮遊感がアインズを襲う。

 足元が消え去り、その身が重力に曳かれるまま、下へと落ちていく。

 とっさに〈飛行(フライ)〉の魔法を唱えようとしたのだが、どういう訳だか、その魔法は発動しなかった。

 

「ぬああぁぁっ!」

 

 天地さかさまとなったその目に映ったのは、自分がいたナザリック第8階層の荒野ではない。

 乳白色から灰白色の霧に覆われた空。眼下には、かつては荘厳であったのであろう、いくつもの石柱が立ち並ぶ、時の流れに朽ち落ちた廃神殿があった。

 それを目にした瞬間、アインズはこの具現化された異界がなんなのか分かった。

 

「あ、アルベド! こ、これは戦闘不能地域か!?」

 

 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の発動時に選ぶことが出来る幾つもの異界の内、アルベドが選んだのは、その中での戦闘行為を敵味方問わず、一切不能にする場。

 この中では物理攻撃にせよ魔法攻撃にせよ、相手はもちろんそこらの物体に至るまで、一切ダメージを与えることは出来ない。特殊技術(スキル)も、魔法を、そしてアイテムすらも使う事は出来ないのだ。本来であれば、異界内において効果のあるエフェクトの対象者を使用者が指定できるのだが、それすらも出来ない空間。敵対するギルド同士が邪魔をされずに会合を開くなどの目的でもなければ――それもわざわざワールドアイテムを使ってまでも――使用する意味もない異界である。

 

 

 アインズは素早く周囲を見回した。

 『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』には、必ず1つは脱出方法が設定されており、それをこなすことでその所有権を奪う事が出来る。この戦闘不能地域は特定異空間であるため、その脱出方法はランダムで選ばれはしないが、特定の一つの脱出ルートを通れば、ここから抜け出せるのだ。

 

 そして、この戦闘行為が不能という異界からの脱出は非常に簡単である。

 中央にそびえたつ、かつては汚れ一つなく純白であったであろう面影を残す廃神殿から延びる道。その道沿いに作られた石造りのアーチを数個、立つ順番そのままに通っていけばよいだけなのだ。

 

 アインズは落下しつつも、瞬時にその丈の短い萌葱色の草が生い茂る草原の中を延びる石畳の街道を見つけた。記憶の通り、そこには朽ちかけた石造りのアーチがある。

 

 

 だが――。

 

 

「な、なにいっ!?」

 

 驚愕の声をあげる。

 その視線の先、この世界から脱出する唯一のルート。

 その入り口が、どこからともなく湧き上がった刃の山によって、埋め尽くされていく。

 

 

 アインズは愕然とした瞳を、その漆黒の羽を羽ばたかせ、舞い降りるアルベドに向けた。

 

 彼女の手に握られていたのは、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』とともに、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が保有していたワールドアイテムの一つ、『幾億の刃』である。

 

 

 そしてアルベドは自らの支配する小悪魔、その骨ばった黒い手に、たった今使用したばかりの『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』、そして『幾億の刃』を渡す。

 それを受け取った小悪魔は一直線に、今、目の前で『幾億の刃』によって生み出された剣の山に塞がれようとしている脱出口へと飛んでいった。

 小悪魔が巨石によって作られたアーチを潜り抜ける。寸刻おかず、そのアーチを刃の山が埋め尽くした。

 

「あ、アルベド! お前はいったい何を……!?」

「アインズ様、よいではないですか」

 

 舞い散る木の葉のように風に翻弄され、はるか地面へと落下していくアインズ。それに寄り添うように、アルベドはその翼で空を切って飛ぶ。

 

「これで、この世界にいるのは私たち2人だけ。私たちの間を邪魔する何人たりとも、ここにはおりません。ずっと、このまま私たちは一緒ですわ。ナザリックすらもここにはないのです。その身に背負われた重石に煩わされる必要も、もはやないのです」

 

 

 アルベドは胸の前で両の手を組み、陶酔するように言った。

 

「これからずっと、2人きりですわ。ああ、我が愛しの、モモンガ(・・・・)様!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ナザリック第10階層、玉座の間。

 普段であれば、アインズやベル並びに守護者統括であるアルベドを除けば、清掃の任を仰せつかったメイド以外は立ちいる者もない、いや立ちいることの許されない聖域である。

 

 今、そこにデミウルゴスを始めとした法国の最高指導部殲滅の任を終え、戻ってきたばかりの守護者たち、及びナザリックにおいて各拠点を動くことの出来ない者達を除いた、全ての(しもべ)が集められていた。

 誰もが、今日はいったい何故、この場に集められたのかと疑問を口にしていた。

 

 

 

 ざわめきが辺りを支配する中、一人の人物が玉座の間に入ってくる。

 

 それは一見すれば人間の、たおやかさすらも感じさせる小柄な少女。

 ベルであった。

 その身を包むのはいつもの紫のスーツであったが、今日はそれに加えて、首元から深紅のマントを羽織っている。

 

 

 彼女は物怖じする様子もなく、皆が見ている前を通り、一人玉座へ続く階段に足をかける。

 そうして一段一段、(きざはし)を登っていく後姿を眺め、ナザリックの者達は疑念を抱いた。

 

 

 ――何故、ベル様は1人玉座への階段を上がっていくのか?

 アインズ様はどうされたのか?

 それに、守護者各位が遠征におもむいている間、留守を預かっていたはずのアルベドもこの場にいないのは何故なのか?

 

 

 皆の視線が集まる中、階段を登りきり、玉座の前で振り返ったベルは、居並ぶ皆を見下ろした。

 誰もが、ベルが口を開くのを待っている。

 そのまま、しばし沈黙を保った後、ベルは口を開いた。

 

「皆、聞いてほしい」

 

 その言葉は静寂の中、染み渡る様に響いた。

 

「今日は……皆に悲しい知らせがある」

 

 わずかにざわつきが起きた。悲しい知らせとは一体何だろう?

 

「こうして、皆に報告するのはつらいが、知らせない訳にもいかない。落ち着いて聞いてほしい」

 

 誰もが聞き逃すまいと耳を澄ませる。

 

 

 

「……アインズさんが……リアルへとおもむかれた」

 

 

 

 最初は微かなさざ波のように、やがて押し寄せる大波のように、どよめきが広がった。

 その場にいた者は皆、我が耳を疑った。

 

 ――そんな事ある訳がない。

 自分の聞き間違いにちがいない。

 他の方々がナザリックを離れていく中、最後まで残ってくださった、あの心優しき御方が、自分たちを捨てていなくなるはずがない。

 

 だが、それを告げた少女は沈痛な面持ちのままであった。

 

 

 ベルの語った言葉が真実であると理解した、いや、してしまった者達。屈強なものすら立っていることが出来ずに膝をつき、涙を流せるものは涙を流し、誰もが抑えきれない慟哭の声をあげた。

 玉座の間は深い悲しみと嘆きに包まれた。

 

 

 放っておけば、それこそ永遠に続くかと思われるほどの、胸が張り裂けそうなほどの痛哭。

 

 そんな中、ベルは手を叩いた。

 その音は嘆きの声にかき消される。

 

 しかし、その行為に気がついた者がいた。

 デミウルゴスである。

 彼自身も深い衝撃を受けていたのであるが、それでも理性を保ち、他の者達に静かにするよう命じた。

 

 そうして、再び傾聴の態度をとった(しもべ)たちを前に、ベルは再び口を開いた。

 

「これまで、このナザリックの創造主たる至高の41人はリアルへとおもむき、そして戻ってこれなかった。それは我が父であるベルモットも同様。いつか帰還する日を待ちわびながらも、いまだそれは叶わぬまま。しかし、今回、アインズさんは必ず帰ってくることを期し、守護者統括であるアルベドを伴い、出征した」

 

 ――おお、なるほど。その為にこの場にアルベドがいないのか。

 

「彼らはナザリック第8階層から出立した。今後、第8階層への侵入は禁止する。いつの日か、帰還する際、そこを目印とするためだ。現在も第7階層から直接第9階層へ移動できるよう封印の解除が行われているため、誤って侵入する者はいないと思うが留意しておくように」

 

 その言葉に皆、首肯した。

 

「さて、アインズさん並びにアルベド不在の間だが、このボクが留守居を預かるよう命じられた。至高の41人の娘として、非才の身ながら、ナザリックの為に身を粉にして働くつもりだから、よろしく頼む」

 

 頭を下げるベル。

 その場にいた(しもべ)たちは強く頷いた。

 

 いつの日か、アインズ、そしてアルベドが帰ってくるそのときまで、このナザリックを守らなければならない。その為に、至高の41人の1人、ベルモット・ハーフ・アンド・ハーフの娘であるベルの下、自分たちは力を結集せねばならない。

 彼らは固く誓った。

 

 

 とはいえ、その胸にはやはり隠し切れない一抹の虚しさ、寂しさもある。

 

 至高の御方に仕え、お役に立つことこそ、自分たちの存在意義。

 ベルは肉親とは言え、至高の御方本人ではない。頭では分かってはいても、やはり、空虚なものがその胸を吹き抜けていた。

 

 

 

 しかし、その時――。

 

 

「なっ! これは!?」

 

 その場にいた誰もが驚き、顔をあげた。

 

 彼らに浴びせられた、灼熱の太陽にも似た圧倒的なオーラ。

 ナザリック地下大墳墓の主人たる気配。

 アインズがこの地を離れたと聞き、もはや再び感じることは無いと思っていたその気配が、再び彼らに叩きつけられたのだ。

 

 驚愕の視線の先にいる者。

 それは少女ベルである。

 

 今、ベルの身体から、至高の41人と同様の気配が発せられていた。

 

 

 これまで彼女は、その気配を隠していた。それこそ、気をつけねば、同じナザリックに属する者だと気づかぬほどに。

 しかし、今、彼女は自身の隠密の能力を廃し、自らの能力を隠すことなく晒していた。

 守護者らに匹敵する100レベルの力を。

 

 

 その事に彼らは感動した。

 これまでその能力を隠してきた彼女が、自分たちの前にそれを露わにした。

 すなわち、自分たちを信頼に足る者だと認めて。

 すなわち、自分たちの支配者であるということを明確に表して。

 

 

 誰ともなく、天井より吊り下げられたシャンデリアから降り注ぐ七色の光に照らし出される床に膝をついた。

 

 彼らは彼女、ベルこそが、自分たちの主であると明確に認め、忠誠を誓った。

 

 

 彼らは思う。

 

 至高なる御方のまとめ役であらせられ、最後までナザリック残ってくださったアインズもまた、この地をお離れになられた。

 だが、彼女がいれば、このナザリックは潰えはしないと。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――くっくっく。すべて計画通り。

 

 

 ベルは自分の前にかしずく異形の者達を見下ろし、笑みを浮かべていた。

 

 ……まあ、実際は、具体的な計画の大半はアルベドが考えたのであるが。

 

 

 アルベドと敵対するのは愚の骨頂。

 仮に戦いになったとしても、様々なアイテムを使用できる分、ベルは負けはしないだろうが、ワールドアイテムを保有し、防御タイプの戦士であるアルベドを倒すことは困難極まりないのは必定である。

 そして、そうまでして倒しても、まったくと言っても利益がない。その不在はすぐに知れ渡り、マスターソースで彼女の死亡を確認したアインズは即座に生き返らせようとするだろう。

 結果、ナザリックの資金がわずかに目減りするだけ、ベルの保有するアイテムを無駄に浪費するだけにとどまってしまう。

 

 

 だが、そもそもの話。

 ベルとアルベドの願うものは相反するわけではないのだ。

 アルベドは、自分とアインズ、2人だけがいればいい。

 ベルは、アインズとアルベド、2人にいなくなってほしい。

 

 そこには利害の一致があった。

 かつて、アルベドを一人王都に送り込んだ際に秘かにつけていた密偵からの情報。それを聞いたベルはその事に思い至ったのである。

 

 

 そして協調することにしたベルとアルベド。

 アルベドには、ナザリックにおいてデミウルゴスに比肩すると言われるほどの智慧がある。

 ベルの方はというと、彼女は宝物庫へ行き、そこからワールドアイテムを運びだせるのだ。

 

 そうして、練り上げられた計画。

 邪魔が入らぬよう、法国上層部の殲滅という任務を与え、守護者たち、特にデミウルゴスをナザリックから遠ざけているあいだに、ベルがアインズにワールドアイテムの実験をすると言って、その胸のワールドアイテムを外した状態で第8階層に呼び出す。そこへアルベドが現れ、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の閉鎖空間に自らとアインズを閉じ込め、『幾億の刃』で脱出ルートを封鎖する。

 そして2つのワールドアイテムを、空間内に入る前に召喚していた小悪魔によって運び、第8階層の入り口で、ともに『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の中に入っていたベルに渡す。

 それを持ってベルは『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内から脱出し、後は所有者がベルとなった『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』、及び『幾億の刃』を宝物庫にしまい直したのだ。

 

 アインズが『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内から脱出することは不可能であろう。

 選ばれた異界は、戦闘行為によるダメージを全て0にしてしまう空間である。そして、その脱出ルートを『幾億の刃』によって作った剣の壁でふさいだのだ。

 壁を破壊しようにも、ダメージが与えられないため、破壊は出来ない。

 すなわち、脱出ルートを通ることは不可能なのである。

 

 また、かつての実験でワールドアイテムを『保有』している状態ならば、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内にも〈伝言(メッセージ)〉が届くことが分かっていたが、在処(ありか)が分かっているワールドアイテムを他の者が『保有』状態となることも、これまた不可能である。

 『傾城傾国』と『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』はベルのアイテムボックス内にしまわれているし、他の物はナザリックの宝物庫、その奥深くにある。

 そこへ行くにはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが必要となるのだが、今あるものはベルがその手にしている物、ただ一つのみ。残るもう一つの持ち主であるアインズは『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内に閉じ込められたままだ。

 ベル以外の人間はナザリックの宝物庫に入ることは叶わず、当然ながら、そこにあるワールドアイテムを保有することは出来ない。

 つまり、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』内のアインズに連絡を取ることは出来ないのである。

 

 

 ――本当に上手くいった。

 

 アルベドを味方に引き込むことこそ、最も困難であっただろうが、運よく彼女を説得出来た。

 正直、計画は立てたものの、上手くいくかどうか不安がぬぐえず、賭けのようなものでしかなかった。しかし、ベルが思っていた以上にアルベドは知恵が回り、かつ設定書き換えに起因する異常な精神は度を越していたため、結果として上手くいったのだ。

 

 

 ベルは神に――この世界のだか、元の世界のだか、それともスパゲッティ・モンスターだかはしらないが――とにかく何かに己が幸運を感謝した。

 

 もしあれに失敗していたら、それこそ『傾城傾国』でデミウルゴスあたりを味方につけ、他の者達も少しずつ説得し、宝物庫から盗み出したありったけのワールドアイテムを彼らに装備させ、アインズやアルベドらに戦いを挑む以外に道はなかっただろう。

 もしそうなったら、ナザリックの者同士で互いにつぶし合い、最終的にナザリック壊滅という未来が待っていたかもしれない。

 

 

 ――ナザリック壊滅か……。

 それも面白いかもしれないな。 

 

 ふと思いついた言葉に、ベルは居並ぶ者達に気付かれぬほどに鼻を鳴らした。

 

 ベルは己が発する支配者の気配とやらを目の当たりにし、首を垂れ、かしずくナザリックの異形の者達を玉座の前から見下ろす。

 その瞳はとても冷たいものであった。

 

 

 ――それにしても、随分と態度が変わるものだ。

 

 皮肉気に口の端をゆがめる。

 

 ナザリックの者達は味方が発する気配とやらを感知することが出来るようであり、それで敵と味方の判別をしているらしい。そして、彼らが至高の41人と呼ぶギルメンは姿を変えていても間違えようのない気配を発しているのだそうだ。

 だが、この気配であるが、どうやら、かつてのギルメンが発している気配というのは、皆一律に同様のものであり、その気配を発している者はギルメンであると分かるというだけで、ギルメンの内の誰かという、個人の特定は出来ないようだった。

 これはアルベド、そして宝物庫内にいるパンドラの前で試してみた結果、明らかとなった。

 つまり、気配を解放しても、ベルがギルメンの1人であるベルモット本人であると気づかれる恐れはないという事であった。

 そこでベルは、すでにアインズもいなくなったことだし、ナザリック支配を盤石のものとするため、これまで隠していたそれを皆の前で解放してみせたのだ。

 結果は見ての通り。

 

 

 ――たかが『気配』とやらの有無だけでここまで変わるものか。

 やはり、所詮はNPC。

 ただのゲームのキャラだな。

 

 ベルは至高の41人の娘という事で、ナザリックにおいて丁重に扱われてはいた。

 しかし、その扱いはギルメン本人であるアインズとは格段に差があった。

 以前もそれは感じはしており、まあ仕方ないなと思ってはいたものの、今、こうしてギルメンの気配を発し、絶対の忠義を捧げられる身となってみると、そこにかつてとは雲泥の差があることに、あらためて気づかされた。

 

 

 ――一見敬服しているような素振りだが、お前たちはこの気配を発する者に仕えられるというなら、誰でもいいんだろう?

 

 彼女の視線の先では、あまたの怪物(モンスター)たち、守護者らを始めとした100レベルのキャラも多数おり、一対一ならともかく複数で挑まれたのならば、ベルでは太刀打ちなどできないほどの者達もがひしめき合っている。

 そして、その誰もがベルに対し、忠誠の言葉を口にしている。

 その様はある意味、感動的にして――ある意味、実に愚かしかった。

 

 

 ――まあ、いい。

 ただのNPCなんだから、利用できるんなら利用するさ。

 ……いつか、飽きるまではな。

 

 

 ベルは酷薄な笑みをその顔に浮かべ、万雷の如くに轟く、彼女を讃える声をただ聞いていた。

 

 




【捏造設定】

・『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の戦闘不能の異界
 その中では敵味方問わず、全てのダメージが0扱いになります。すべての魔法、特殊技術(スキル)、アイテム等使用できません。
 一見応用が利きそうに見えますが、脱出も簡単で、逃走の妨害もほぼ不可能であり、さらに先に相手に脱出されたら『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』そのものを奪われてしまうため、利用価値はあまりありません。

・『幾億の刃』
 指定した広範囲に剣の壁を出現させます。破壊するにはかなりのダメージを与えねばならず、与えたダメージと同等のダメージが攻撃を加えた者に反射されます。


●言い訳。
 今回の展開ですが、もともとはアインズ様が三吉クン風呂に入るため、盗難防止をつけたモモンガ玉を外しているところへアルベドが現れ、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』を使い、アインズと2人で閉鎖空間に閉じこもる。その際、『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』はその中に持ち込まず、外に置いてきたため、中から脱出することは出来ないという展開を考えていました。
 ですが、書籍11巻で『山河社稷図(さんがしゃしょくず)』の設定が明らかになったことから、その展開が使えなくなってしまったため、設定がなかった『幾億の刃』に捏造設定をつけて併用することで無理矢理脱出不能にしました。
 

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