オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2017/4/6 「人々と」→「人々を」 訂正しました
2017/4/13 「持って」→「以って」、「収集」→「収拾」、「2度。3度。」→「二度。三度。」、「会いまみえた」→「相見えた」、「応用も効く」→「応用も利く」、「元も子もなくない」→「元も子もない」 訂正しました
2018/5/13 「ンフィーリア」→「ンフィーレア」 訂正しました


第十章 ナザリック編
第83話 2人の懊悩――そして


 ナザリック第9階層にあるアインズの自室。

 

 今その部屋でアインズは1人思い悩んでいた。

 その顔には隠し切れぬほどの苦悩が見て取れる――骸骨の表情を見分けられる者はほとんどいないのだが。

 

 

 彼はぎりりと歯を噛みしめた。

 もし仮に同席する者がいたのならば、そのナザリックの支配者があらわにした、湧き上がる激情に息をのんだであろう。

 

 興奮が一定値を超え、もはや今日だけで何度目になるか分からない強制的な精神沈静が起こる。

 彼は力を抜き、背もたれに深く身を預けた。

 だが、その胸の奥には、じくじくとしたものが澱となって淀んだままであった。

 

 

 ここまでアインズが懊悩している原因。

 それは、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉に映るものが原因である。 

 虚ろな眼窩の奥底にある、暗い地獄の燠火のような光。その先にある鏡面に映る映像。それは今、カルネ村の情景を映していた。

 

 

 

 村長であるエンリ、彼女はややぎくしゃくとした口調で何かを話す。

 それをフォローするンフィーレア。

 ゴブリンたちは頷き、蜥蜴人(リザードマン)たちは意見を述べる。話にいまいちついていけないオーガたちは、結論が出るのを待ち、口をつぐんでいるようだ。

 ある程度意見が出たところで、手を叩くロバーデイク。異形の亜人たちを前にしても、気後れすることもなく、落ち着いた様子で口を開いた。

 そして一つ頷き、纏めるように話すリイジー。彼女の目がエンリに注がれる。

 皆の視線が集まった彼女は、その圧力にやや狼狽(うろた)えつつも、(ひる)むことなく胸を張って、何かを言った。

 その言葉らしきものに皆、首肯する。どうやら話はまとまったようだ。

 

 三々五々に散らばる彼ら。

 誰もが今の話し合いで決まったこと、そして今日やるべき仕事へと戻っていった。

 

 鏡はその内の1人、ゴブリンのカイジャリを追う。

 彼は1人、カルネ村近くの小高い丘へと足を向けた。

 

 

 まるで海原のように風になびく草原。

 そこには一際目立つ2つの存在、護衛であるデスナイトのリュース、並びに集眼の屍(アイボール・コープス)のタマニゴーがいた。

 

 そして、それらに守られるようにして、まばゆいばかりの太陽の光に照らされた柳緑(りゅうりょく)花萌葱(はなもえぎ)の草の上に腰かけている人物が2人。

 

 あどけなさの残る顔つきの1人はエンリの妹、ネムである。

 残るもう1人は、肩口で切りそろえた金髪をヘアバンドで留めた、少女という年を脱しかけた女性。

 かつてミスリル級に匹敵すると言われたワーカーチーム、『フォーサイト』のメンバーの1人、アルシェ・イーブ・リイル・フルトであった。

 

 

 2人は無邪気に笑っていた。

 そこへやって来たカイジャリが声をかける。

 それを聞いたネムは、彼女よりどう見ても年上に思えるアルシェの手を引き、ゴブリンやアンデッドたちと共に村へと戻っていった。

 

 

 〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉では音は聞こえないため、会話は想像するしかないのだが、その一連の様子を眺めていたアインズは、がっくりと肩を落とし、頭を抱えた。

 そのまま机に突っ伏す。

 

 

「……なんで? なんで、こんなことになってしまったんだろう……?」

 

 アインズは自問する。

 

 

 王国における一連の作戦が一区切りつき、エ・ランテルに冒険者モモンとして帰還したアインズ。彼はその後、街の衛士たちと共にあちこちの見回りをすることになった。

 街を囲んでいたアンデッドから解放され、食糧難が改善に向かっていたとはいえ、街の治安は悪化したままであり、人々を落ち着かせるため、力ある者がそれを明確に顕示してみせる必要があったのだ。

 

 その最中で見つけた、かつての知り合いの姿。

 

 彼女が、今回の王国支配計画のあおりを受ける羽目(はめ)になっていたとは予想だにしていなかった。

 

 しかし、落ち着いて考えてみればそれは想像できたはずであった。

 アルシェは妹たちと共にエ・ランテルに移り住んだと報告は受けていたのだ。

 エ・ランテルに住んでいるのならば、エ・ランテル封鎖の影響を受けてしかるべきであり、その結果は言わずもがなである。

 

 だが、アインズはその可能性に思い至らなかった。

 

 彼の思考では、帝国での一連の出来事と、王国での計画は深く噛みあってはいなかった。関連はしているとは分かっていても、あくまで別々のものであるという、そんな考えであった。

 

 

「いや、違う。俺は……俺は考えたくなかったんだ……。俺がこの世界で振るう力、振るえる力……それに伴う結果、影響の広さを……」

 

 

 自分がした、ほんの少しの行動。

 ほんの些細な判断。

 それは深謀遠慮とまではいかなくとも、さんざん悩みまくって決断したものもあれば、ただの軽挙妄動といえるべきものもある。

 

 

 しかし、そうした彼の決断を、ナザリックの者達は全力を以って叶えようとする。

 

 彼らはアインズの意に添おうとする。

 この世のすべてを見通す英知の持ち主。智謀の王たるアインズの判断に誤りなどあるはずもないと信じて。

 彼の思惑を類推して。

 

 その結果、もたらされたもの――エ・ランテルの現況を、治安改善の為、見回りに協力する英雄モモンとして、アインズは目の当たりにすることになった。

 

 

 そこにあったのは、吐き気をもよおすようなこの世の地獄。

 互いに疑心暗鬼に陥り、友人知人、はたまた見知らぬ者の区別なく奪い合い、殺し合い、そして喰らいあった果ての光景。

 過酷としか言えないような状況にあった者たち。際限ない絶望から解放され、人としての理性を取り戻したものの、その理性によって自分たちがやってきたことを突きつけられ、虚脱状態に陥っている彼ら、彼女らはまったく見知らぬ誰かではない。

 アインズは冒険者モモンとして、しばらくの間、この街を拠点として活動していた。

 彼らはかつてアインズが、共に過ごし、声を交わした知己の者たちであったのだ。

 

 

 

 アンデッドとして人間性を失っていたのは幸いであったといえるだろう。

 もし人のまま――現代人鈴木悟の精神のままであったのならば、そこに広がっていた光景に、精神が崩壊していたやも知れない。

 

 だが、精神が崩壊こそしなかったものの、いまだ強く残る人間としての良心に、彼は絶え間なく責め苛まれることとなった。

 人ではないアンデッドとなった彼は、眠りによって心休めることも、アルコールの心地よい酩酊に身を任せることも、それこそ薬物におぼれることすらも出来なかった。

 

 

 そうして、現実を直視することを余儀なくされ、心の奥底が少しずつ爛れ、うじゃけていく日々を過ごす中、アインズはアルシェと再会した。

 彼女は今回の騒乱により、帝都で助けたはずの妹2人を失い、薬による安らかな偽りの幸福に浸りきり、そしてそのまま命を落としていた。

 

 

 アインズは彼女を助けようとした。

 特に利害を考えての事ではない。

 わずかなりとも救いを求めて。贖罪の為であった。

 

 そんな衝動的な行為であったが、彼の願いは容易く叶えられる。

 死んだ人間を生き返らせたいなど、リアルの現実では口にするだけで呆れられるようなものであり、魔法というものがあるこの世界からみても、そうそう簡単に行えるものではない。

 

 しかし、ナザリックの力があれば、その程度、造作もない事でしかないのだ。

 

 運び込まれた彼女の遺体。

 呼び出されたペストーニャは、すぐに彼女を生き返らせた。

 

 

 しかし、彼女は再び、すぐに命を落とすこととなった。

 

 

 甦った当初は混乱するばかりであったが、アインズ――モモンの姿であったが――からエ・ランテルで命を失っていた事を聞かされた彼女は、すぐに生前の記憶を取り戻した。

 そして、彼女の大切な妹たちがどうなったかを思い出し、ショックのあまりに再び死亡してしまったのである。

 

 

 そこでアインズは、記憶を操作することにした。

 本当はアルシェの妹たちを生き返らせることが出来ればよかったのだが、アインズがアルシェを見つけたときには、彼女の手にあったのは服の切れ端のみ。蘇生に必要な体の一部はなく、またどこで死亡したのかすら分からなかったため、蘇生させることが叶わなかったのだ。

 そこで、〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を使い、妹が存在したという記憶そのものを消そうとしたのだ。

 

 ザリュースの記憶もそれで消した。

 その結果、彼は現在、カルネ村で幸せに暮らしている。

 アルシェに対しても、同じように出来るという自信があった。

 

 

 だが、そうはいかなかった。

 

 

 ザリュースの場合は、ここ数か月の記憶をそっくりそのまま消してしまうだけだったから、すんなりといった。

 しかし、アルシェの場合、トラウマの原因である妹たちの記憶を消すのは困難であった。

 なにせ彼女らの存在は、現在のアルシェという人間の根幹に深くかかわっている。

 日や月などという単位ではなく、彼女らの記憶は年単位に及んでいた。およそアルシェの生きた記憶の三分の一。物心ついてからだと、ほぼその全てにクーデリカとウレイリカの思い出が残っていた。実家の資金繰りの為に帝国の魔法学院を辞めて、過酷な環境に身を置くワーカーとなり、必死の思いで金を稼いでいた日々の心の支えは愛する妹たちであり、彼女たちの存在こそがアルシェの行動、その判断の多くを占めていたといえる。

 

 

 ウレイリカとクーデリカ。

 その2人はアルシェの中で、あまりにも大きすぎた。

 

 

 それに気がついたのは、すでに記憶の操作を始めてからであった。

 

 およそ何年にもわたる彼女らの思い出。

 それを消し、なんら不整合さを感じさせないようにするのは並大抵の事ではなかった。

 いや、不可能に近かった。

 

 魔法で記憶をいじり、いくつか直近の思い出を消してみはしたものの、それでは別の記憶と整合性が合わなくなる。その為、それに連なる別の記憶をいじり、それを変えると、また別の所を書き換える必要があり……と際限なく繰り返した結果、もはや取り返しがつかない状況になってしまっていた。

 ウレイリカ、クーデリカが生まれたとき付近からの、全ての記憶を消さねば、収拾がつかなくなってしまったのだ。

 

 結果、今のアルシェは、肉体は現在のまま10代後半であるが、精神は10歳未満のものでしかない。

 

 

 手に手を引かれ歩きながら、ネムにあれこれと話しかけられ、無邪気に笑うアルシェ。

 鏡越しに見る、共に旅をしてきた間、わずかなりとも見ることは無かった表情。

 

 それを見て、アインズは苦悩する。

 彼は苛立ちのままに声をあげた。

 

「ふざけるなっ! ふざけるなよ!! なんだよ、これ!?」

 

 怒りのままの両手を振り上げ、そしてテーブルへと叩きつけた。

 二度。

 三度。

 

 一人で調べたいことがあるからと人払いをし、呼ばない限りは入ってくるなときつく言い渡していたために、破砕音を聞いても、室内に踏み入ってこようという者はいない。

 

 

 やがて精神の鎮静により、落ち着きを取り戻したアインズ。

 しかし、その時には、目の前のテーブルはすっかり砕け散っていた。

  

 かつてゲームであったユグドラシル時代ならば、その行為は破壊可能オブジェクトへの攻撃とみなされ、ダメージは0と表示されるだけであっただろう。

 しかし、ゲーム内のオブジェクトではなく、現実に目の前にあるものとして設置された机に、苛立ちからくる力を叩きつけた結果、頑丈なはずの大理石のテーブルは跡形もなく、粉砕されていた。

 

 

 それがアインズに冷たく告げているようだった。

 お前がいるところ、そこは現実であるのだと。

 

 

 

「ちくしょう……なんで、なんでこんなことになるんだよ……」

 

 口から言葉が零れ落ちる。

 

 

 

 アインズは嬉しかったのだ。

 

 

 リアルにおいて親しい友もなく、大切な家族もなかった彼にとってユグドラシル、そこで友人たちと作ったギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は彼の生き甲斐であった。すべてと言っても過言ではない。

 そんな心血注いで作り上げたギルドも、ゲームの終了と共に全て消え去ってしまう。

 彼は寂しさから、共にギルドを作り上げた皆、かつての友人たちにメールを送った。

 

 『ゲームの終了日に皆で集まりませんか?』、と。

 

 しかし、そのメールを受けてログインした者は、アインズを除いた40人中、わずかに4人だけだった。

 

 だが、その内の1人、ギリギリでやって来たベルモットは最後の瞬間まで残ってくれた。

 そして、2人でこの異常事態に巻き込まれたのだ。

 

 

 彼は困ると同時に喜んだ。

 

 12:00を過ぎた時点でゲームは終わる。

 これまで自分がユグドラシルに費やしてきた全てが消える。

 かつての仲間たちとの絆、思い出の証も全てが無へと帰す。

 

 そう思っていた。

 

 しかし、その時が消えてもゲームは終わらなかった。

 彼はベルモット――ベルと一緒に、かつての友人たちによって作り上げられたナザリックと共に、この地へとやってきたのだ。

 

 

 鈴木悟はリアルに未練はない。

 終わると思っていたゲームがまた続けられる。

 たった1人だが、かつての友人ベルと共に、新たな世界で冒険が出来る。

 そう思って、秘かに心弾むものを感じていた。

 

 

 

 正直、彼――鈴木悟は心躍っていた。

 今の自分は、かつて心血注いで作り上げたゲームのキャラクター――モモンガの能力そのままである。

 

 当初は警戒していたものの、この世界の者達の能力ははるかに低いという事が知れた。

 すなわち100レベルキャラである自分は圧倒的なる強者として存在できる。

 もちろん、この世界には、能力を隠し潜伏している者やワールドエネミーのような存在もいるかもしれない。油断は出来ない。

 しかし、当面はナザリックは攻め落とされることもなく、安泰であると安堵した。

 

 

 そして、彼は戦士に扮して、この世界の冒険に出かけた。

 

 楽しかった。

 まったく見知らぬ地での冒険。

 しかも、あくまで戦士としての活動は演技でしかない。

 いざとなったら、魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての能力を使う事も出来る。ナザリックの力を使う事も出来る。

 そんな切り札を秘めた、余裕を持った冒険。

 それはまさに現実でありながら、ゲームのような気楽さを持ったものであった。

 そこで裏の仕事はベルに任せ、彼は名声を一身に得る完全無欠な英雄として活動し、楽しんでいた。

 

 なんでも出来ると思っていた。

 本来は魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのに、その能力的な強さだけで魔法を使わぬままでも戦士として活躍する事が可能だったほどだ。

 さらに自分の行使できる魔法は、この世界においては圧倒的なまでのオーバーテクノロジーであり、それらを使えば、どんなことでも出来る。それこそ必要だと思ったら〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉で戦士としての能力を上昇させることも出来るのだ。

 ナザリックの宝物庫から拝借する気はないが、自分個人がアイテムボックスに放り込んでいる個人資産だけでも、使いきれぬほどの金を持っている。

 また、本当のちょっとしたアイテム、それこそ捨てるほどあるポーションさえも、この地では桁外れの価値があるものらしい。

 まさに全て思うがままであった。

 

 

 

 だが――。

 

 だが、そんな彼につきつけられた現実。

 ベルはかつてのベルモットではない。彼自身が行った悪戯によって、もとの友人とは別個の存在へと捻じ曲げられてしまっていたのだ。

 そして、悪の組織として作られたナザリック。それが引き起こした結果。

 

 王城ロ・レンテにおいて、ラキュースから言われた言葉が頭から離れなかった。

 

 

『あなたは……あなたは人の命をなんだと思ってるの! あなたは凄い力を持っているかもしれない。とんでもない魔法を使えるかもしれない! でも、生き返らせてしまえばいい。記憶を消してしまえばいい。それで済むと思っているの! 生きとし生けるものすべてにとって、大切なもの踏みにじって、人の人生を思うがままにもてあそんで! それが……それが楽しいとでもいうのっ!?』

 

 

 

 自分は力を持っている。

 自分はこの地の者には操れないような魔法が使える。

 自分は死した者でも生き返らせられる。

 自分は記憶すらも自由に操れる。

 

 この力があれば、何でもできるはず――。

 

 

 それを証明するために、ザリュースを蘇らせた。

 ちゃんと記憶も消し、彼はクルシュと共にカルネ村で幸せに暮らしている。

 

 これは全て自分の力だ。

 自分がやろうと思えば、誰にだって幸せを分けてやれる。

 

 だから、同じようにアルシェも幸せにしてやろうと考えた。

 だが、その結果――。

 

 

 キャッキャとネムに抱きつきじゃれ合う、その姿。

 何の悩みもなく、幸福そうな姿であるが、そこにかつての怜悧な知性溢れた面影を見て取ることは出来ない。

 

 人は記憶があるからこそ、人であるといえる。

 では、その記憶を入れ替えた存在は、同じ人といえるのであろうか?

 

 

 カルネ村に連れてきた後のアルシェの様子を〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で観察していたアインズは知っていた。

 精神が退行し、すっかり変わり果てた様子のアルシェの姿に、ロバーデイクは誰にも見られぬところで秘かに涙していることを。

 あの時、幼い双子のこともあるため便利な街中で暮らすのがいいかもなどと考えず、少しばかり強引にでも彼女らもカルネ村に連れてくばよかったと、後悔と悲嘆にくれていることを。

 

 

「間違い……間違いだったというのか? ……何処からが間違いだったんだ?」

 

 アインズは苦悩する。

 ふらつく足取りで部屋の中をぐるぐると回る。

 そのたびに彼の足に、彼自身が砕いた、ゲームではなく現実の証であるテーブルの破片が当たる。

 

 

「……ベルさん。……ベルさんに話そう」

 

 アインズは決断した。

 ベルと対話することを。

 自分が知っている事、思っている事を(つまび)らかに話そうと。

 

 

 彼はそれを避けていた。

 逃げていた。

 特に帝都において、イビルアイと対話した際、かつての自分の悪戯が原因でベルの精神に変化が訪れているという事実に気がついてから。

 

 話さなければいけないとは思いつつ、その内、ベル自らが気付いてくれないかという甘い希望の下に、事を先延ばししていた。

 腹痛に苦しむ者が、医者にかからずとも自然に治ってくれないかと願うような、愚かな願望。

 だが、その結果、引き起こされたのが王国での一件。

 そこで起こった惨劇は、アインズの想像をはるかに超えるものであった。

 

 事ここに至って、現実と向き合わないままでいる訳にはいかない。

 アインズは腹を決めた。

 

 

「ベルさん。……もうこんなことは終わりにしましょう」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あー……」

 

 実におっさんくさい声をあげて、ベルは自室のソファーに寝っ転がっていた。

 パリパリと食べかすが散るのを気にもせずに、ジャガイモをスライスして揚げ、塩をふったもの――いわゆるポテトチップ――を口にほうばる。

 

 そんな傍らでは長期にわたる王国での潜伏任務を終えたユリが、あちこちで手に入れた物が無造作かつ乱雑に置かれた混沌とでも言うべきベルの私室を片づけている。

 

 

 普通の者なら、いつまでやっても終わりも見えなさそうな部屋の片づけという仕事にうんざりするところであるが、ナザリックの者にとってそれは逆にやりがいのある仕事ということである。

 とくにユリは、これまでずっとナザリックを離れていた。

 そのため、彼女はより一層熱心に、室内の清掃並びに整理整頓というベルから考えると実に面白みのない仕事に、熱心に取り組んでいた。

 

 

 だが、さすがにそんなユリといえど、ただ何をするでもなく、ソファーに寝っ転がって、間食をしつつ惰眠をむさぼるベルの事は気になったようだ。

 

「ベル様。退屈なのでしたら、何かなさっては?」

 

 至高の御方の御息女であるベルが、見るからにあらゆる気力を無くして、ぐだぐだしている様子を見るに見かねて、ユリはそう声をかける。

 けっして、そうやって寝っ転がって変なうめき声をあげていられるのは目障りだ、などという不敬な思いによるものではない。

 

 

「んー……」

 

 

 ユリの言葉にも、ベルはただソファーの上で寝返りを打つだけであった。

 

 

 実際、ベルはやる気をなくしていた。

 

 これからなにをやればいいのか?

 やるべきことはある。

 それもたくさん。

 しかし、何も手につける気になれなかった。

 

 

 転移したこの地において、ベルやアインズはナザリックの者達を使い、秘かに情報を集めた。この世界にいるかもしれない強者、自分たちの安全を脅かしかねない存在に気づかれることの無いよう、慎重に慎重を重ねて。

 それと並行して、少しずつ各所において影響力を拡大していった。

 そうして、とりあえず分かる範囲では敵する者はいないと知り、機は熟したとばかりに行動を起こすことにしたのだ。

 結果、帝国はナザリックの暗躍も知られぬままに崩壊へと導くことが出来た。

 王国については、こちらが表に出ずとも済む、傀儡政権を打ち立てることに成功した。

 

 だが、これで終わりという事ではない。

 あくまでナザリックが転移した地付近にあった国家、その内2つに関わっただけでしかない。まだまだ、これからである。

 この後は法国。そして周辺諸国。ゆくゆくは大陸中央部にあるという亜人たちの支配する地へと勢力を拡大していく。世界征服の戦いは続いていくのだ。

 

 

 

 しかし、ベルはすでにそこまでで満足を感じていた。

 

 初めて訪れた地、カルネ村で出会ったこの世界の戦士、ガゼフ・ストロノーフ。

 その後、長き時を隔てて、再び相見えた彼を、ベルはその手で倒した。

 

 もはや、やりきった感が彼女を包んでいた。

 

 

 実際、何をしても、もう面白くなかった。

 戯れに人を殺してみても、ただ作業感しかなかった。

 どれだけ拷問や虐殺をしても、楽しくなかった。

 

 ベルはもうこの世界に、すっかり飽きてしまっていたのである。

 興味の糸はぷっつりと切れてしまったのだ。

 

 

 

 そうして、やる事がなくなったベルはソファーに寝っ転がったまま、これまでの事を思い返していた。

 

 ユグドラシル最終日、ログインして終わりの時を待っていたら、突然、ゲームの世界が現実のものとなり、NPCたちが動きだした事。

 カルネ村に行き、村を助けた時の事。

 エ・ランテルでズーラーノーンの仕業に見せかけて、『モモン』を英雄に仕立て上げた時の事。

 蜥蜴人(リザードマン)の救援に行き、破滅の魔樹――たしかザイトルなんちゃらとかいう名前だったか――を倒した時の事。

 ダミーダンジョンに遺跡調査のふりをしたズーラーノーンの手先が復讐にやって来た時の事。

 旅行もかねて帝都に行ったら、おかしなことに巻き込まれた挙句に、帝国を滅ぼした事。

 帝国に進軍しようとした王国軍をエ・ランテルに閉じ込めている間に、王都を占拠し、蜂起した者達を鎮圧。そして、エ・ランテルにおいて、ガゼフ・ストロノーフを殺害した事。

 

 

 ――いろいろやってきたなぁ……。

 

 これまでの思い出が脳裏をぐるぐるとめぐる。

 そうして、しばし回想に浸る。

 

 そうしたうえで現在の自分を取り巻く状況を省みた。

 

 すると胸のうちに、拭いきれない一つの違和感が浮かんでくるのだ。

 それはここ最近のアインズの態度である。

 

 

 どうにもここしばらく、アインズの様子がおかしい。

 思い返してみると、なんだか顔を合わせたときなど、不意に表情を曇らせたり、奥歯にものが挟まったような、そんな物言いをしたりする。

 そもそも、最近あまり顔を合わせようともしない感じがする。どこかよそよそしさを感じさせる態度、はっきり言えばベルの事を避けている気がする。

 

 

 ――はて? 一体どうしたんだろう?

 

 首をひねるベル。

 記憶をたどっていくと、アインズの態度がおかしくなったのは帝都に潜入してしばらく(のち)、帝国殲滅作戦を開始したころからだったろうか?

 

 帝国で起こったこと。

 そこでアインズがベルに対する態度を変える、なんらかのきっかけとなるもの。

 

 真っ先に思い浮かぶのは、『傾城傾国』を手に入れたことだ。

 まさかこの地にあるなどと思いもしていなかったワールドアイテムの入手。

 それにベルは浮かれはしゃいだ。

 そして興奮状態のまま、気分が大きくなったベルは、これまで抑えていた願望、圧倒的なるナザリックの持ちえる力を使い、この地の情勢に介入するという計画を実行したのだ。

 

 

 ――まさかとは思うけど、秘かに手に入れた『傾城傾国』。その存在を、実はアインズさんが知っているなどという事はないだろうか?

 

 今、ベルが『傾城傾国』並びに『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を持っている事を知っているのは、ソリュシャンだけ。彼女には口止めしているが、もしベル以上の権限のある存在、すなわちアインズが彼女に何か言っていたとしたら……。

 

 ――いや、それはないか。それより可能性があるのは、あの時、護衛として何者かが隠れ潜んで尾行していた。もしくは、なんらかの手段で監視していた可能性だ。リアルタイムでは報告はいっていなくとも、後からその事を知ったとすれば、あの時の態度に矛盾はない。

 もしや、入手したことを知っておきながら、敢えてそれを口には出さないでおき、いつこちらから言いだすのか待っているとか。

 ……あり得るかもしれない。なにせ、アインズさんにはワールドアイテムは効かないんだから。慌てて拙速な行動に移す必要もない。

 

 

 アインズは常に、その胴の奥にワールドアイテムをしまい、持ち歩いている。

 すなわちベルが保有するワールドアイテム『傾城傾国』や『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を使用したとしても、その影響を彼が受けることはない。

 守護者統括であるアルベドもまた、ワールドアイテム『真なる虚無(ギンヌンガガプ)』を保有している事から、他のワールドアイテムの効果を無効化できる。

 そして、アルベドはユグドラシル最後の瞬間に設定を書き換えた事により、アインズに対して絶対的にして狂信的ともいえる忠誠、いや執着を持っているのだ。

 

 

 それを考えると、ベルは口元が引きつるのが分かった。

 

 頭に浮かんでくるのは、先日の王都における蜂起鎮圧の時の事。

 あの時、ベルはアインズに話を持ち掛け、アルベドを鎮圧の任に駆り出した。

 それは、彼女はこれまでナザリック外の者に目撃されたことがないため、仮にどこかで監視している者がいても、その時点では今回の件でナザリックが糸を引いていると気がつかれずに済むという考えもあったのは事実である。だが、一番の目的は、常にナザリック内にいるアルベドを1人で外へと連れ出す事であった。

 

 アルベドはベルに対して面従腹背といった感じがあるのは、さすがにベルでも気がついていた。その為、彼女をナザリックから引き離し、その隙にアルベドの部屋を秘かに調べたり、出撃したアルベドを隠密が得意な者に監視させるなどしていたのである。その結果判明したのは、彼女の狂気にも似たアインズへの妄執。そしてベルへの明確なまでの敵意。

 

 とてもではないが、アルベドと敵対などしたくはない。

 

 ベルは大きく一度、身震いをした。

 

 

 ――とにかく、一度、アインズさんと話してみたほうがいいかな?

 

 ベルとても、別段、アインズと喧嘩したいわけでもない。

 もちろんそうするより他にないというのであれば話は別だが、アインズはベルと同様、この世界におけるたった2人の『人間』である。

 出来るならば手を取り合い、協力して、良い関係を構築していきたいというのが本音だ。

 

 なんなら『傾城傾国』を新たに見つけたという事にして報告し、それをナザリックに明け渡してしまうか? その代わりにワールドアイテムを見つけてきた功績として、何か別のものを一つ貸与させてもらうという形をとってもいい。ワールドアイテムの発見、入手というのはそれくらいの報奨を受け取ってしかるべきほどの事である。

 そうすれば、何の軋轢もなく、ベルがワールドアイテムを保持できる状態になる。

 

 

 ――あー……いっそ、そうするかな?

 

 正直、弱気としか言えないような考えだ。思考の放棄、考え無しと言ってもいい。

 これまでのベルであれば、即座に却下するような案だ。

 だが、すでに燃え尽きた状態であり、やる気などすっかり失せていたベルは、すんなりとそんな考えに思い至った。

 なげやりに、もうそうしてしまおうかという思いが胸の奥に湧き起こってくる。

 

 

 そもそもな話。

 ベルは現在ワールドアイテムを2つ持っているのだ。

 そのうち1つなら、渡してしまっても別に問題はない。

 

 出来ればそれは、『傾城傾国』ではなく、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』の方で何とかなればいいのだが。

 正味の話、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』は使用者の存在が抹消される代わりに、対象者の存在も抹消されるという、一見凄まじい性能を持つ気はするものの、実際には使用回数が1回こっきりの相打ち用のものでしかない。持っていても仕方のない、ワールドアイテム保有者にはワールドアイテムの効果が及ばないという特性を利用する以外には役に立たない、使えない(・・・・)アイテムである。一応、他の弱者に使わせるなどあれこれ手を廻せば、それなりに使えるかもしれないが、とにかくこれを保有していても利用価値は低い。

 一度に操れるのは一体だけでも、複数回使用できて、応用も利く『傾城傾国』の方がはるかに使い勝手がいい。

 

 しかし、もし『傾城傾国』を持っていることがアインズにはっきりと知られていたとするのならば、『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』だけではすまず、両方供出しなければいけないことになりかねない。『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』を渡した後で『傾城傾国』を渡さざるを得なくなり、せっかくのワールドアイテムを両方失う、元も子もない事態になりかねない。

 

 

 ――仕方がない。ここはおとなしく『傾城傾国』の方を渡して、様子を見ようか。

 なんだかんだ言って『聖者殺しの槍(ロンギヌス)』は二十に数えられるほどの壊れ性能だ。

 使い方次第では、なんとかなるだろう。

 

 

 本気でその事を話してしまおうかなと考え、ベルは一つ頷くと、そこらを掃除しているユリにアインズの居場所を尋ねた。

 そして返ってきたのは、アインズは今、自室にこもっているという答え。

 

「なんだか、最近、独りで部屋にいること多いよね」

 

 うすしお味のポテチを齧りつつ、何気なくそう口にしたのだが、それに対してユリは掃除の手を休めることなく答えた。

 

「色々と考えるべきことも多いのでしょう。本当にいるかどうかは分かりませんが、世界のどこかに隠れ潜んでいるやも知れない強者の捜索は、いまだ続いておりますし。とくにこの地には100年に一度、プレイヤーが現れるそうですから」

 

 

 

 パリン!

 

 

 ひときわ大きな音が室内に響き渡った。

 驚いてそちらに目をやると、至高の御方の娘にして目を見張るような美少女が、ポテチのかけらを口にくわえた状態で凍り付いている。

 

「ユリ……今、なんて……?」

「は?」

「いや……今、プレイヤーについて言っていたよね!?」

「は、はい、申しましたが……」

 

 何でもない世間話のような言葉に食いつかれ、戸惑いの色を隠せないユリ。

 彼女は突然の主の変遷にしどろもどろになりつつ答えた。

 

「え、ええっと。かつて1500人からなる集団でこのナザリックを襲った不敬者らと同様の存在、プレイヤーなる者達が100年に一度、この地にやってくるのだと聞きましたが……」

「そ、その話はどこから……」

「以前、私たちの部屋で集まって紅茶をたしなんでいた際、ルプスレギナがそう口にしておりました」

 

 その答えにベルは愕然とした。

 

「ルプスレギナが!?」

 

 

 ――何でルプスレギナがそんな事を知っているんだ?

 

 

「はい。なんでも、冒険者チーム『漆黒』としてアインズ様と共に、帝国でのビーストマン退治におもむいていた際、『蒼の薔薇』から聞いたのだとか……」

 

 

 その口元からポテトチップの欠片を落とし、呆然としたまま、身じろぎ一つしないベル。

 そんな彼女の様子に、ユリは狼狽(うろた)えるばかりであった。

 

「べ、ベル様。一体何か、お気に障るような事でも……」

「……いや、何でもないさ」

 

 そう言って、ベルはソファーに座り直し、にっこりと微笑んだ。

 動揺を抑えるように、ことさら大きな動作でタバコを手にとり、火をつける。

 

「それより、ユリ。君が聞いたっていうルプスレギナのその話を聞かせてくれないかな? ほら、君たちの間で広がっている話と、ボク達の知っている真実とがかけ離れていたら、思わぬところですれ違いや齟齬が生まれてしまうだろう?」

 

 その言葉になるほどと頷いたユリは、自分の知る限りの、ルプスレギナから聞かされたプレイヤーに関する情報をベルに話して聞かせた。

 

 

 少女はそれを聞きながら、紫煙をくゆらせ続ける。

 鼻をつく香り。肺の中をタールで湿らせながら、ベルはただ口元に微笑みを張りつけ、じっと聞いていた。

 

 

 ――なるほど、アインズさん。

 掴んだ情報を秘匿しておき、出し抜こうとするとは……やるじゃないですか……。

 

 


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