オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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 今回、シリアスパートとぐだぐだパートがあります。
 ぐだぐだパートは生暖かい目で見てください。


2017/1/12 「尤も」→「最も」、「平服」→「平伏」、「言った」→「いった」、「話声」→「話し声」、「群」→「群れ」 訂正しました



第71話 前夜

「くそっ、くそっ! 何なのよ!」

 

 コッコドールは苛立ちと共に、腰を打ち付けた。

 その度に、彼の前で力なく横たわる者の手足がぶらぶらと揺れる。

 

 

 ここは王都リ・エスティーゼにある王城ロ・レンテ、その中にあるヴァランシア宮殿のそのまた奥にある一室である。豪奢な天幕付きベッドに、落ち着いた色の垂れ布。壁に掛けられた絵画から、据え付けられた丸テーブル、そして暖炉の上の花瓶一つに至るまで、室内にある調度品は全て一級品が備えられている。

 そこは王の寝室である。

 

 今、コッコドールはそのベッドの上で、閨事(ねやごと)の真っ最中であった。

 とはいえ、通常の閨事(ねやごと)とは少々趣きが異なる。

 彼が今、組み敷き肌を重ねている相手は女ではなく、若い男性であった。

 

 手足の腱を切られ、その傷を覆った包帯にいまだ赤い血がにじむ、そんな男の怪我を気にかける様子もなく、コッコドールはただ己の感情のままに、その動きを早めた。 

 

 

 彼がそこまで苛立っている原因。

 それは彼の現在の状況にある。

 

 彼、コッコドールは今や押しも押されぬ、この国の王である。

 

 王。 

 一国において、最も丁重たる態度で扱われるべきであり、下々の者を従える立場にある。その言葉には誰もが平伏し、その意に背くものは処断される運命にある。

 王政の国に君臨する王とは、まさにそんな絶対的権力者であるはずだ。

 だが、現在の彼の扱いはそんな想像とはかけ離れたものであった。

 

 

 何も権限がないのである。

 

 

 およそすべての事はあのベルなる人物、及びその側近たちが決めてしまう。彼に判断の自由は与えられていない。

 彼は王城の玉座の間にはいても、実際になにをするでもなく、ただ、その玉座に腰かけ、形式的にあげられた案を承認するだけであった。

 

 彼としても、そんな自分の現状に不満を抱かぬはずもない。

 ――ないのだが、かと言って、逆らう事など出来ようはずもない。

 

 

 コッコドールはあの少女に逆らった者の末路を思い返し、その身を震わせた。

 

 

 自分たちの目の前で、幾度もその顔面をむしり取られてはポーションで強制的に回復させられ、また顔面をむしり取られてを繰り返されたゼロ。

 トロールやオークに貪り食われた兵士たち。

 あの、レイナースとかいう厭らしい膿を垂れ流す肉塊は、かつて帝国四騎士と呼ばれ、実力も美貌も兼ね備えていた女騎士本人らしい。しかし、あの少女によって、誰もが遠巻きにしたまま目をそらさざるを得ない、醜悪極まりない姿へと変えられたのだという。

 

 そして、この国の第一王子であるバルブロ、および真っ先に逆らったアダマンタイト級冒険者『朱の雫』にいたっては、王城前の広場において、生きたまま杭にその身を貫かれ、今でもそこに晒されたまま、苦悶の声をあげ続けている。

 

 

 そう、今でも生きている。

 

 彼らは手足を切断され、効果の低いポーションで止血をさせられた後、先の尖った柱で身体を串刺しにされ、多くの人の目につくよう広場の高くに晒された。

 本来であれば、長くても半日程度で絶命するのだろうが、すぐ楽にはならぬよう、1日数回、その体にポーションがかけられ、体力を回復させられている。その為彼らは、あれから何週間もたった今でも、地獄の苦しみに(さいな)まれ続けているのだ。

 市民の中には、その目も覆わんばかりのあまりの惨状に、そのような非道で恐ろしい事は止めるよう嘆願してきた者もいたが、それを請願した者は、次の日には彼らの隣で広場を見下ろすことになった。

 きっと、彼らが死という安息に包まれるのは、あの少女がこの見せ物に飽きたときなのだろう。

 

 

 そんな生きている人間を玩具としか思わぬような、あの少女に逆らう訳にはいかない。

 コッコドールが王に選ばれたのは、ベルに選ばれたからだが、けっして彼自身のその働きぶりを目にかけてなどという理由ではない事は、よく分かっている。

 

 誰でもよかったのだ

 王の役など。

 

 もし彼が、あの少女の意にそぐわぬ働きをしたのならば、すぐにでも彼はバルブロの隣に肩を並べることになるだろう。

 

 

 

「ハアッ、ハアッ」

 

 彼はその恐怖から逃れるように腰を動かし、そしてビクンビクンと痙攣すると男の中に精を放った。

 

 しばし、力なく(くずお)れるように抱いた男に身を重ねていたが、不意にその身を離すと、たった今まで肌を重ねていたクライムの身体を蹴り飛ばした。

 その鍛えられた、しかし今は両手両足の腱を切断され、人形のように動かぬ身体がベッドの上から固い床へと転がり落ちる。

 

 コッコドールはベッドの脇で全裸のまま跪いている元貴族――フィリップだったか――の掲げている銀の盆の上から酒瓶を掴むと、震える手で零れることも厭わず勢いよく酒杯に注ぎ、それをがぶがぶと飲み干す。

 口の端から溢れた酒が喉を伝い滴り落ちるが、そんな事は気にも留めない。

 

 彼は飲み干した杯を苛立たし気にフィリップに投げつけた。

 飛んできた酒杯が額に当たり、情けない悲鳴をあげながら血を流してひっくり返るフィリップには目もくれず、床に転げ落ちたクライムを力任せにベッドに引き上げると、再びその屹立したものを彼の身体に突き立てた。

 

 

 そして、悍ましき想像を追い払い、思うままにならぬ現実から逃避するかのように、コッコドールは肉欲と淫蕩の渦の中へと逃げ込んでいった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「お待たせいたしましたー。焼き鳥盛り合わせになります」

 

 何種類もの焼き鳥が並べられた大皿が彼らのいるテーブルに運ばれてくる。

 どれを食べようかと目移りしているうちに、さっと伸びた手が各種3本ずつ載っているはずのその3本を奪い取った。

 

「あ、エドストレーム。なに独り占めしてるんだよ」

 

 自分の取り皿の上にカワ串を3本確保し、エドストレームは悪びれもせず言った。

 

「なに、男が食べ物くらいの細かい事でぐじゃぐじゃと騒いでるのよ」

「お前、さっきも鶏もも肉から皮だけとって食って、残りをこっちに回しただろうが」

「何言ってんのよ。カワはコラーゲンなのよ。美容にいいんだから、私が食べて当然。サキュロント、アンタはネギでも食べてなさい」

 

 そう言って、エドストレームはサキュロントの前の取り皿にネギ串を勝手に載せる。彼の皿の上にはそれ以外にも、料理を食べつくした後の余ったレモンやパセリが載せられていた。

 「勝手に載せるな!」と抗議するサキュロントを横目に、マルムヴィストは砂肝を手にとり、かぶりついた。

 ペシュリアンは手にしたグラスを満たすカクテルから伸びたストローを、フルヘルムの隙間から中に差し込み、ちゅーと飲んでいる。

 

 

 

 今日、王都でも割と評判のこの店にかつての六腕の内、ゼロを除いた5人が集まっていた。

 

 ゼロだけは誘われなかった。

 ベルとの戦い、いやリンチといってもいいほどの扱いを受けたゼロはあれ以来、沈み込んでおり、酒に誘えるような状態でもない。

 そして彼らとしても、立場的に自分たちと同じ扱いになったからといって、かつてとんでもなく高圧的であった元上司と一緒に飲みたいわけでもない。わざわざ慰めてやる義理もなく、今更仲良くしたいわけでもなく、それにハゲであるため、ゼロは誘わなかったのだ。

 まさに人望のない上司の末路である。

 まあ、以前一緒に酒を飲んだ時、唐揚げにレモンをかけられただけで怒って暴れ、じゃあ、自分はどうやって食べるのかと思いきや、味が分からなくなるだろというくらい大量のマヨネーズをかけて食べたような奴だから仕方がない。

 

 

 マルムヴィストが手をあげ、給仕の娘を呼んだ。

 

「おーい。こっちにビール」

「はーい。ビールですね。他にご注文はありませんか?」

「……俺はスクリュードライバーを」

「あ、私、カルーアミルク」

「あー、俺もビールでいいや。……デイバーノックは何にする?」

「……いらん……」

「えーとでは、ビール2つにスクリュードライバーとカルーアミルクですね。少々お待ちくださいませ」

 

 長い髪を三つ編みにしたその女性は、注文を繰り返すと厨房裏へと消えていった。そちらで注文を読み上げる声と、それを復唱する若い女の声が彼らの耳に届く。

 ほどなくして、頼んだアルコールが運ばれてきた。

 

「プハー、うめえな」

「うん、甘くておいしいわー」

「焼き鳥にカルーアミルクかよ。舌、おかしいんじゃないか?」

「やかましいわよ。甘いものは何にだって合うの。常識よ」

「いや、それはねーよ」

 

 サキュロントの当然すぎる突っ込みに、言い返したエドストレームであったが、それにはさすがに傍からマルムヴィストも反論した。

 

 

「なあ、デイバーノック、お前もそう思うだろ?」

 

 酒と肴、そして昔話で盛り上がる皆の中、先ほどから独り無言のままであった同僚の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、デイバーノック。

 そんな彼を気にかけ、マルムヴィストは声をかけたのだが……。

 

「……そんなもの、どうでもいい」

 

 だが、彼はそんなマルムヴィストの気遣いにのろうともせず、不快の感情を隠さぬ口調でつぶやいた。

 皆の目が、デイバーノックに向けられる。

 

「……なんで、こんなくだらん集まりに金を払わねばならん」

「なんだよ、金の心配しているのか?」

「心配しなくても、ここの払いは割り勘って事にしたでしょ」

「割り勘負けするのが嫌なら、お前も何か注文したらどうだ?」

 

 口々に投げかけられたその言葉に、デイバーノックはその両拳をドンと机を叩きつけた。

 

「ふざけるなよ! 俺は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)なんだぞ! 飲み食いなんて出来ねーよ!! 割り勘負け以前に、俺だけ圧倒的に損してるじゃねーか!?」

 

 彼は怒りのままにバンバンとテーブルを叩きながら、言葉をつづける。

 

「そもそも、なんで酒場で集まってんだよ! 今日集まったのは、新しく俺たちの上に立つことになったボスについて話すって事だったろ? なら、どっかの会議室でもいいだろうが!」

 

 治安の悪くなった王都で夜、酒を飲みに外を出歩く者などほとんどおらず、この店も貸し切り状態ではあるのだが、さすがに堂々とアンデッドである事を公言するのは拙いと、激昂する彼を宥めるように、マルムヴィストがポンポンと肩を叩く。

 

「落ち着けよ。神妙な面して、顔突き合わせて話すよりは酒で口を湿らせながらの方が、こっちとしてもスムーズに話が出来るってヤツさ」

「なら、元から新しいボスの配下になってたお前らにだけ酒を奢れば済む話だろ! なんで、サキュロントまで飲み食いしてるんだよ!」

「いや、俺たちだけ飲み食いしてるのに、目の前で見てるだけって可哀想じゃん」

「一切飲み食いしないのに、金だけ払わされる俺は可哀想じゃないのか!」

「まあまあ、辛い立場なのはお前だけじゃないんだぜ」

 

 マルムヴィストは顎で、先ほどからストローで酒だけを飲んでる鎧男の事を示した。

 

「ペシュリアンの奴はああやって酒しか飲めないんだぜ」

「いや、ペシュリアンはただ兜かぶってるからだろ! その兜外せばいいだけだろうが!?」

 

 デイバーノックが叫ぶ。

 そこへ給仕の娘がやって来た。

 

「お待たせいたしました。カルボナーラになります」

「ん? 誰か頼んだ?」

 

 ぐるり見回す中、籠手に包まれた手が上がった。

 

「俺だ」

 

 皆が驚いて見つめる中、ペシュリアンはカクテルを飲んでいたストローを引き抜くと、ピンと指先で叩いて、筒中の水滴を落とす。

 そして――。

 

 

 ――フルヘルムの隙間から突き出たストローの口をパスタの先端に持って行き、そのままズルズルと啜った。

 

 

「スパゲティーをストローで食うなよ!!」

「ぷぷー。今時、スパゲティーって言うなんてダサいわー。超ウケるー」

 

 デイバーノックの突っ込みに、エドストレームがふき出した。

 

「いい? スパゲティーじゃなくてパスタ。これ、常識よ。おっさんとか言われて女にもてないわよ」

「もてなくてもいいわ!」

「そう言ってると、いざ、メス死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と出会った時に話題に困るわよ」

「困んねーよ! なんだよ、メス死者の大魔法使い(エルダーリッチ)って! 存在するのかよ!?」

 

 言われて、マルムヴィストも首をひねる。

 

「そういや、女の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とかいるのか?」

「生前が女なら、アンデッドになっても女なんじゃないか? 知らないけど」

 

 そう言いつつ、ネギに口の端でかじりつき、串から外して頬張るサキュロント。なんだかんだ言って、食べ物を粗末にするのはいけないからと、皿に載せられた分は残すことなくちゃんと食べている律儀な男である。

 サキュロントの皿に野菜を放った張本人であるエドストレームはというと、テーブルに備え付けてあった食後のコーヒー用のシロップをつくね(・・・)にかけて口に運んでいた。

 

「どんな食い方だよ!」

「女の子は甘いものが好きなのよ」

「女の子って年か」

 

 突っ込んだサキュロントをじろりと睨みつける。

 

「あん? 何か言った?」

「い、いや、……何も……」

 

 尻すぼみになった言葉を誤魔化すように、ビールをすするサキュロント。

 そんな彼にハンと鼻を鳴らすエドストレーム。

 

「まったく、女心が分かってない野郎どもは困るわね。本当に私の周りって、碌な男がいないわ。はあ、こんなんじゃ結婚もまだまだ先ね」

(……まだ結婚する気なんか、あったのか……)

(……いや、今の時点で相手すら見つかってないんだから、触れてやるなよ)

 

 ひそひそ声で話すサキュロントとマルムヴィストの会話に、エドストレームは声を張り上げた。

 

「私は結婚できないんじゃなくて、私の眼鏡にかなう相手がいないのよ!」

「それ結婚できない奴の常套句じゃねえか」

「そういう事言ってる奴は、いい年過ぎても結婚できないまま、同じ事言ってるぞ」

 

 2人掛かりの突っ込みに、エドストレームは背もたれに腕を組んで体重を預け、ドンと足を組んだ。

 

「男が情けないからいけないのよ」

「ふうん。じゃあ、どんな奴ならいいんだ?」

 

 すでにうんざりした感ながらも、一応、義理として聞いてみる。

 

「そうね。まず、最低限、顔はしっかりしてないとだめね。それで身体も、ぶよぶよは駄目。ちゃんと鍛えていること。逞しくて、頼りがいがあって、それでいて優しい人じゃないと。もちろん将来性も大事ね。それと、親と同居とかも論外だわ。それから……」

「そう言えば、猿の酒亭ってまだある?」

「あ、そこ、お前らがエ・ランテルに行った後、しばらくしてから潰れたぞ」

「マジで? あそこ、割と美味かったのにな」

「いや、昔はそうだったんだけどな。ここ最近、経営が苦しくなってから、どんどん味落ちてしまってなあ」

「ああ、経費削減で材料の質を落としていったのか。それやると、客も離れるわな」

「しかも、最後にはエスカルゴとか言って、ヒルを出すなんて事をしたからな」

「そりゃ、潰れるわ」

「それ食った時のゼロの顔ったら、なかったぜ」

「うはは。よりにもよってゼロに喰わせたのかよ」

「……って、あんたら、聞きなさいよ!」

 

 癇癪を爆発させるエドストレームに男2人は嫌そうな顔を向けた。

 

「んなもん、聞いてどうするんだよ」

「家で妄想育ててろよ。いるか、そんな男」

「いないのが間違ってるのよ!」

「いや、間違ってるのは100%お前だよ」

 

 やいのやいの言い合う3人。

 だが、そこでスパゲティー――もとい、パスタを食べていたペシュリアンが、ストローを咥えたままつぶやいた。

 

「ふうむ。……いや、いない事もないな」

 

 その言葉にサキュロントとマルムヴィスト、そしてエドストレームもまた驚愕の表情を浮かべた。

 

「本当にそんな奴がいるのか?」

「ど、どこにいるの?」

 

 息せき切って聞くエドストレームに、まあ落ち着けと言い、ペシュリアンは先ほどまでパスタを食べるのに使っていた兜の隙間から伸びるストローを、再び傍らのグラスに差し込み、そのまま酒を飲む。その光景を前にすると、何やら、その全身鎧(フルプレート)の中身は、奇妙な口吻のある怪物(モンスター)ではないかという妄想が皆の頭の中をよぎった。

 

「鍛えている。逞しく、かつ優しい。将来性がある。親と同居じゃない。これらを兼ね備える相手がいいんだな?」

「そ、そうよ」

 

 エドストレームはごくりと喉を鳴らし、ペシュリアンの言葉を待つ。

 彼は厳かに言った。

 

「カルネ村に行った時に会ったんだがな。そこにいたカイジャリって奴が……」

「知ってるわよ! それ、ゴブリンでしょ!?」

 

 皆まで言わせず、叫ぶエドストレーム。

 

「嫌か?」

「嫌じゃない人間なんかいないでしょうが!」

「他にはジュゲムとかゴコウとか……」

「全部ゴブリンじゃないの!!」

「それ以外だと、ゼンベルとシャースーリューあたり……」

「今度は蜥蜴人(リザードマン)じゃない!」

「じゃあ、無理だな」

「ゴブリンと蜥蜴人(リザードマン)しかいないの!?」

 

 

 叫ぶエドストレームと裏腹に、サキュロントは呆気にとられたような声を出した。

 

「いや、ちょっと待てよ。なんだ、そのなんとかいう村って? ゴブリンと蜥蜴人(リザードマン)が一緒に暮らしてるのか?」

 

 その問いに、再びストローでパスタを食べることに専念し始めたペシュリアンの代わりに、マルムヴィストが話を継いで答える。

 

「ああ。人間とゴブリン、蜥蜴人(リザードマン)、それにアンデッドが暮らしてる村だ」

「はあ? アンデッド!?」

 

 サキュロントはあんぐり口を開けた。

 

「なんだよ、その村……。本当にあるのか?」

「あるんだよ。エ・ランテルの近くに。そこは、ボス達の肝いりの村でな」

「!? ……ああ、なるほどな」

 

 そう言われてサキュロントは彼らの新しいボス。あのゼロを完膚なきまでに打ちのめした恐るべき少女を思い返し、一つ大きく身震いした。

 

「そこにはいろんな種族が集まって暮らしてるんだけどな。でも、その中でも一番恐ろしいのはネムって小さい女の子だ」

「ネム? その子がどう恐ろしいんだ?」

「その娘自体はただの10歳くらいのガキなんだけどな。そいつが従えてるアンデッドがとんでもないんだよ。なんでも集眼の屍(アイボール・コープス)とかいう種族らしいが、難度165くらいの戦闘能力があるらしい」

「はあっ!! 難度165!?」

 

 横で話を聞いていたデイバーノックは思わず声をあげた。サキュロントは絶句したまま、息をのんだ。

 

 

 難度165。

 冒険者たちが使う強さ基準だが、難度165といえば伝説クラスの怪物(モンスター)やドラゴンなどに匹敵するはずだ。

 

「そんなのがなんで、そんな辺鄙な村で、そんなガキに従えられてるんだ?」

 

 震える声で問い詰める。

 

「それがな。……ボスたちから、そのガキへのプレゼントらしい」

「プレゼントって……」

 

 難度165などという桁外れの怪物(モンスター)を、ただの村娘にくれてやるなど、理解の範疇を大きく超えている。

 

「ああ、そのタマニゴー――……そいつの名前だ――が戦うところを見たことがあるが恐ろしいぞ。その村をトブの大森林を抜けてきたハルピュイアの群れが襲ったところに出くわしたんだがな。その子が「なぎはらえー」とか言った途端、そいつの目がギラリと光ったかと思うと、色とりどりの雷のような光線が上空を駆け巡って、空一面にいた何十匹ものハルピュイアが全て一瞬で炎に包まれたり、凍りついたり、石になったりして、ぼとぼとと落ちたからな」

「……無茶苦茶だな」

 

 デイバーノックが呻る。

 

「一応言っておくが、ボスたちはたぶんそれ以上に強いぜ。実際、俺たち3人でボスと戦ったことがあるが、そもそも攻撃が一切効かなかったからな」

「は? なんだ、それは? なんらかの属性攻撃無効とかか?」

「そんな甘いものじゃないな。とにかく俺たちも詳しい事は分からないが、打撃、刺突、斬撃、全て効かなかった」

「……意味が分からんな。まさか不死身とかか?」

 

 冗談めかした言葉だったが、マルムヴィストは笑い飛ばすことなく、肩をすくめるにとどまった。

 

「さあな? 案外そうかもしれないぜ。それと、ボスだけじゃなくて一緒にいるメイドたちもとんでもなく強いから、下手な態度はとらない事だ」

「一緒にいるメイド? あのソリュシャンってメイドか?」

 

 サキュロントはいつもベルの後ろをついて回る、見目麗しい金髪のメイドの姿を思い返し、その顔をにやつかせた。

 それを見て、その本性を知っている3人は顔をひきつらせた。

 

「いや、見た目は綺麗だが、とんでもないぞ。あのソリュシャンってのの他にも何人も戦闘メイドとやらがいるみたいで、どいつも恐ろしい強さを持ってる」

「そう言えば、お前らがエ・ランテルに行った時に戦って、そして傘下に入るきっかけを作ったのも、その戦闘メイドとやらの1人なんだったか」

 

 以前に聞いた話を思い返し、デイバーノックがつぶやく。

 

「ああ、たまたま通りかかった貴族の館で戦いになったんだがな。手を抜いていたときでさえ、俺たち3人がかりでやっと。それでその後、本気を出されたら、手も足も出なかったからな」

 

 エドストレームとペシュリアンがこくりと頷く。

 

 

「そいつはどんな奴なんだ?」

 

 給仕の娘が新たに持ってきた酒を一口すすり、マルムヴィストは一息ついて、その疑問に答えた。

 

「ユリって名前のメイドでな。首無し騎士(デュラハン)らしくて、強い衝撃を受けると首が取れるんだが、それをすごい嫌がってたな。で、例に漏れずそいつも凄い美人だったな。すこしトウが立ってたみたいだけど」

 

 

 がきんっ!

 

 不意に響いた音に、おや? と彼ら視線を向けると、どうやらカウンターの向こうの厨房で料理を切り分けていた包丁が折れたようだ。

 

「あー、マイコちゃん。大丈夫かい?」

 

 心配げにかけられた店長の声に、マイコと呼ばれた髪をうなじ辺りでくくった女性は微笑みを浮かべて、返事をした。

 

「ええ、大丈夫ですよ。ちょっと包丁が折れてしまったみたいで。たまたまヒビでも入っていたところで、固い石でも切ってしまったんですかね?」

 

 そう言って、ほほほと笑う声が聞こえてくる。

 どうやら何事もなさそうだと、彼らは席に座り直し、そしてエドストレームに話の続きを促した。

 

「あーと、で? そのユリって女性について他には」

「なんだか、格闘家みたいな感じだったわね。とにかく一瞬で距離を縮めて殴りかかってきたり、首を掴んで膝蹴りの乱打をしてきたりと、もうとんでもなかったわ。まあ、見た目は少しおばさん臭いんだけど」

 

 

 べきりっ!

 

「あ、マイコちゃん、どうしたんだい? 床板がへし折れているけど」

「いえ、ちょっと、ここのところの床板が腐っていたみたいですね。踏みぬいてしまいました。すみません」

「いやあ、怪我がなくて何よりだけどね」

 

 厨房から聞こえてくるそんな話し声に、再び話に戻る。今度はペシュリアンが話しだした。

 

「こちらの攻撃、剣とかの斬撃でも籠手をした手で横から弾き、軌道を変えたりと凄まじい腕だった。俺の『空間斬』すらも弾いたからな。正直な話、同じ格闘家でもゼロなど足元にも及ばないだろう。かなり年季が入ったものの熟練の技。年の功だな。きっと苦労して、若作りしているのだろう」

 

 

 ドゴンッ!

 

 後ろで響いた激しい音に、彼らは三度視線を巡らせる。

 彼らの視線の先で、分厚い樫の木で出来たカウンターテーブルが、マイコの立つその前からへし折れていた。

 

「な、何があったんだ? マイコちゃん!?」

 

 驚く店長の声に、マイコはぶるぶると肩を震わせながら、口元を無理して吊り上げた。

 

「ふふふふふ……。いえ、……きっと、今日壊れることが、このテーブルの運命だったんですよ……ふふ、ふふふふふ……」

 

 何やら聞いているだけで呪われそうな笑い声に、怖気に取りつかれた店長はその恰幅のいい身体を震わせて、少し裏で休むよう伝えた。それに対して、彼女は何度か固辞したものの、やがて店長の勧めに応じて、バックヤードへと消えていった。

 

 

 話の腰を折られ、沈黙する彼らのテーブルに、立派な髭をたくわえた店長が愛想笑いを浮かべながら、お詫びの言葉と共にビールを運んでくる。

 それに彼らは手を伸ばした。

 飲食不要というか出来ないデイバーノックと甘党のエドストレームを除く、マルムヴィストにサキュロント、そして……。

 

 ガッと黒い籠手に包まれた手がビールの入ったジョッキを掴む。

 ペシュリアンはそれを自分の前に持ってくると――ストローを突き立てた。

 

 

 そうして、そのままゴッゴッと飲み――。

 

「ゴハァッ!」

 

 盛大にむせた。

 

 

 ゴホッゴホッと身体を折り曲げ、激しくせき込む。

 口に含んだビールが咳と共に吐き出されるのだが、それは当然閉じられた面頬の中に溜まって、兜のスリットからダラダラと零れ落ちるということになり、なんともはやひどい有様である。

 

 それを見ていた他の4人は4人とも「うわぁ……」と言葉を漏らした。

 

「……今日はお開きにするか?」

「それがいいかも。明日、もう一度、仕切り直しましょうか?」

「そうだな。それがいい。そうしよう。」

「話をするのはいいが、今度は酒場でなくていいだろう」

 

 そう口々に言いあう4人。

 別段、こうして語り合うのは今日でなければいけないという事もない。

 明日も変わらぬ日常が待っている。

 

 そうして彼らは明日の夕刻、また会おうと約束を交わし、店を後にした。

 

 

 明日、何が起きるかも知らぬまま。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「失礼いたします」

 

 王都において接収した、ベルの一時的な逗留場所として使用されている貴族の館。その一室に入ったソリュシャンが見たものは、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を前にして、ゲラゲラと笑っているベルの姿であった。

 

 

 「どうしたのですか?」と声をかけると、少女は笑いながら、鏡面を指さす。

 回り込むようにして鏡に映し出された映像を覗き込むと、そこに映っていたのは彼女たちがよく見知った建物。金属製の返しがついた塀がぐるりと張り巡らされた上、壁面にある通常より高い位置に取り付けられた窓には金属製の格子がはめ込まれ、警戒の度合いが通常の邸宅とは異なっていると一目で知れるような屋敷。

 エ・ランテルにおいて、彼女らが拠点としていたギラード商会の店舗兼住居である。

 

 

 だが今、鏡に映し出された画面の中では、夜の闇を掻き消し、追い払うほどに大量の松明が煌々と輝いていた。

 その光の群は押し寄せる洪水のように商会の建物に殺到し、手にした武器――ちゃんとした剣や矛などなく、ただのハンマーや鉈、中にはその辺で拾ったらしい棒っ切れ――を振り回し、手当たり次第に、周囲のものを破壊していく。

 

 やがて、打ち壊された扉の奥から、一人の男が引きずり出されてきた。

 顔や体に痣を作り、血を流しているナマズ髭の中年男。

 ギラード商会の会長、ギラードその人である。

 

 

 怒りに震える民衆たちは、怯えるギラードを取り囲み、必死で命乞いする彼を手にした武器で滅多打ちにし始めた。

 

 血しぶきが飛び交い、群衆はさらに熱狂の渦に包まれる。

 

 

 その様子を眺め、ベルは腹を抱えて笑っていた。

 

 残念ながら〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉では音を聞くことは出来ないのだが、それでも現地の混沌とした現状は伝わってくる。

 それを見て、ベルは実に楽しそうであった。

 

 

 

 今回の作戦、王都でのクーデターに際し、ベルはエ・ランテルにおいてギラード商会の配下となっていた者や、八本指から転向してきた者たちの中でも有能そうな者には、新たに別の地へ手を伸ばすことを告げ、そちらへ行く希望者を募った。

 そして、それに希望した者達は王都に連れてきたのだが、逆に希望しなかった者たちは、それ以上特に何も教えずにエ・ランテルに残してきたのだ。

 

 アンデッドの群れによって封鎖されたエ・ランテルに。

 

 

 今のエ・ランテルはまさに地獄のような有様である。

 

 誰もが、いつこの現況が打開されるのか、はっきりとした希望すらも持てずにいた。

 一番の懸念は食料である。

 エ・ランテルは交易都市であり、自らの都市内で食料の生産は出来ない。近隣の農村及び他の都市からの買い付けによって成り立っていた。もちろん、その流通が滞ることも十分に考えられたため、三重の壁の最奥にある最も厳重に守られたその場所に、都市の人間が半年から1年は暮らしていける食料を常に備蓄していた。さらに、ここが帝国との戦争の拠点となる関係から、有事の際には王国軍が消費する食料も用意することになる。

 だが今回、その都市に暮らす市民全員、および王国軍が消費する分として備蓄していた食料、そのほとんどすべてがなくなってしまったのである。

 

 

 当然のことながら、都市長パナソレイは市民の動揺を抑えるため、その事は秘密にせよと緘口令を敷いた。だが、人の口には戸は立てられず、その話は噂となって駐留する王国軍、並びにエ・ランテル市民の間にさざ波のように広がっていった。

 

 

 凶悪なアンデッドに囲まれ外に出られぬ状態で、なおかつ何時食料が尽きるやも知れぬという不安と隣り合わせの生活。

 不安は不信へと変わり、自分のすぐそばにいる者が、自分が持っている食料を奪うのではないかという猜疑心が人々のうちに蔓延していた。

 

 

 そんな中、一つの略奪事件があった。

 とある一軒の家が何者かに襲撃を受け、一家全員殺害された上、金品を奪われたのだ。

 当然、街の衛士たちはすぐさま調査を行い、その結果、貧民屈をうろつくごろつき集団が犯人とされたのだが、それに関して街の者達の間で一つの噂が広まった。

 

 あの事件の真犯人は、本当は街に駐留する貴族であり、その真相を誤魔化すためにあのごろつき集団に濡れ衣をかぶせ、下手人に仕立て上げたのだ、と。

 

 

 それは根も葉もない噂でしかなかったのだが、都市がアンデッドに包囲されるという未曽有の事態にありながら、都市に駐留する軍がなんら解決に動こうとはせず手をこまねいたままでいることに、民衆の間には不満がくすぶっていた。

 

 なぜ、彼らは街を出てあのアンデッドたちを退治しないのか?

 いったい、いつまでこうしていればいいのか?

 食料は本当に持つのか?

 普段偉そうにしている貴族たちは、なぜ何もしないのか?

 

 すでに民衆の不満は爆発寸前であった。

 そんなときに、この事件が起こり、広まった流言をきっかけにして、遂にそのタガが外れることとなった。

 

 

 そして、噂を立てられた貴族が市中に出た際、渦中の人物が市街に来ているという情報が人々の間を瞬く間に駆け巡り、その貴族の許へと大勢の民衆が押し寄せたのである。

 

 辺り一帯は怒号と罵声で埋め尽くされ、騒然とした空気となった。

 

 幸いにして、民衆は抗議の為に集まっただけであり危害を加える意思などなく、多少の揉み合いはあったものの、その貴族は混乱の中から脱出することが出来た。

 結果、大した怪我もせずに済んだのであったが、その話に貴族たちは憤った。

 

 平民たちが支配者たる貴族に逆らったのだ。

 

 彼らは即座に、その時集まった者達全員に厳罰を下すよう、都市長のパナソレイに要請したのであるが、今回の件はちょっとした騒乱とでもいうべきものであり、反乱や暴動などという程のものでもなかった。また実際騒ぎにはなったものの、互いに大した負傷者も出なかったのである。

 特定の人間が犯人だと断定することは難しく、またあまりに多くの人間が関わっているため、下手をすれば、さらなる混乱を招きかねないという懸念があった。

 その為、首謀者とでもいうべき人物の特定は遅々として進まず、それに対して貴族たちが怒りを募らせていくという形となってしまった。

 

 

 そして、更に事態は悪化する。

 平民が貴族を襲うという事態を前に、腹に据えかねた一人の貴族が自分の指揮権が及ぶ直属の配下の者達を使って、事件があった付近の住民たちを片っ端から捕まえ、正規の手続きを経ることなく懲罰をくわえたのだ。

 

 女子供も容赦ないその光景を前に、ついに民衆の怒りに火がついた。

 彼らは手に手に武器をとって、その場に押し寄せた。貴族たちもあわてて応戦したものの多勢に無勢。怒りのままに大波のように押し寄せる民衆は、無辜の民に打擲(ちょうちゃく)を行っていた貴族や兵士たちを殴殺してしまったのである。

 

 そして、その話を聞いた貴族たちは、自分たちに歯向かう愚かな民衆を処分しようと王の裁可無く軍を動かした。

 

 

 事は、エ・ランテル住民VSやって来た王国軍という構図となった。

 本来ならば、徴兵されただけでまともな訓練も受けておらず、碌な装備も持っていないとはいえ、兵士と一般人ならば勝敗の行方は火を見るより明らかである。

 だが、今の彼らはアンデッドに都市を囲まれ、脱出することも出来ずに、互いに一つ所に閉じ込められている身である。

 自分が望んだことでもないのに、無理矢理従軍させられてこの街に連れてこられ、アンデッドの恐怖におののき、満足な食料すらも与えられぬ日々。

 そして、そんな閉じられた環境において、すぐそばで貴族としての権威を振り回す輩。

 

 王国軍の大半は専業の兵士ではなく、徴兵された一般人である。

 そして王国貴族は――全員ではないが――民衆を虐げ、下に見る者が多い。

 心情的には彼らは貴族よりも、住民たちに近かった。

 

 怒りに任せ押し寄せてきた住民を、こちらも怒りに任せ制圧しろと叫ぶ貴族たち。

 躊躇する彼らに対し、容赦なく鞭の雨が襲った。

 

 そして、ついに怒りが爆発した。

 兵士たちの手にした矛槍は、まともな武器も持たないが固い決意の光をその目に灯した民衆ではなく、馬上でふんぞり返り、偉そうに命令する貴族たちに向けられた。

 馬に騎乗する貴族たちを、矛で引っ掛け、引きずり下ろし、積年の恨みをはらしたのである。

 

 事ここに至ってエ・ランテル、いや王国の秩序は崩壊した。

 王国軍の兵士と民衆が一斉に自分たちを虐げ、支配していた貴族たちに襲い掛かったのだ。

 

 

 その事を知った王が、慌てて軽挙に走った貴族を罰し、そして自身の言葉として謝罪を述べるもすでに遅かった。

 民の怒りは燎原の火のようにエ・ランテルを包み込んだ。

 

 

 もはや誰にも事態を鎮静させることは出来ず、遂にエ・ランテルの行政部は最奥にある第3の壁を封鎖することを決断した。

 

 

 それは、街を守る衛士や兵士に指示する者の不在、すなわち治安維持の停止。そしてわずかながらも倉庫に残っていた食料の配給の完全なる停止を意味する。

 

 エ・ランテルは無法地帯となり、わずかでも食料や財を貯めこんでいそうな者の住処を、民衆が集団ヒステリーのままに襲い掛かり、略奪と暴行が溢れかえる都市となっていた。

 

 

 

 当然、それで狙われることになったのは、それまで羽振りの良かったギラード商会及びそれに関わりのある者達である。

 今、ベルが〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉で見ている中で、ほんの少し前まで彼女の手先となって動いてきた者達が、民衆の前に引きずり出されて暴行を受け、その住居には燃え盛る松明が投げ込まれ、天を焦がすような火が赤々と立ち上っていた。

 

 

 ベルはその様子を見て、実に楽しそうに笑っていた。

 彼女としては、エ・ランテルはすでに手中に収めた攻略済みのマップであり、もうやることもなくなった街である。積み上げた積木が壊され、砂浜に作った城が押し寄せた波に洗われるように、見知った人が殺され、建物が破壊され、全てが崩壊していく様子を舌なめずりしながら眺めていた。

 

 

 そんな主のはしゃいだ様子を、ほほえましく見守っていたソリュシャンであったが、この場にやって来た理由を思い出し、ベルに声をかけた。

 

「ベル様。お楽しみのところ申し訳ありません。少々よろしいでしょうか?」

「ん? なにー?」

 

 ぐるりと首だけで振り向くベル。

 

「この王都で進んでいる『蒼の薔薇』たちが行っている反乱計画についてなのですが」

「どうしたの? 何か進展とかあった?」

「あ、いえ。特に新たな情報はないのですが……。あの者らが行動を起こすのは明日との事。今夜のうちに手を打ってしまわないと……」

「ん? 手を打つ? いや、いいよ。そのままで」

「えっ?」

 

 一瞬ソリュシャンは言葉を詰まらせた。

 

「し、しかし、その計画が実行されては、せっかく支配したこの王都が大混乱に陥るのでは? 今現在入手した情報によりますと、向こうの戦力はかなりのものになる様子。八本指や亜人たちだけでは、些少(さしょう)では済まない程の被害が出ると思われます」

「いいんじゃない、被害が出ても? せっかく向こうが企画してくれたイベントだよ。どうせなら盛り上げてやろうじゃないか。派手に殺したり殺されたりしようよ」

「ですが、あの者らの被害規模によっては、ナザリックによる王都並びに王国支配の計画に支障が出る恐れがございます。ナザリックとしての利益を考えるならば……」

「なあに、そんなの構わないさ。一方的に殲滅しても面白くないでしょ。それより、このイベントを楽しもうよ。あ、そうだ。せっかく向こうから来るんだから、こっちもあっちが楽しめるように少しは準備しておこうか。そうだな、じゃあとりあえず……」

 

 

 邪悪な笑みを浮かべて計画を練る主、それを前にして――ソリュシャンの心にざわりとしたものが生まれた。

 

 

 ――本当にいいのだろうか?

 

 今回の反乱計画について、詳細は知れないが大まかな部分は王都に潜伏しているプレアデスの長女ユリから、逐一情報が送られてきている。その情報をもとにすれば、向こうが行動を起こす前に制圧してしまう事も可能だ。

 だが、ベルはそんな事をする気はないようだ。

 

 

 至高なる御方の御息女であるベル。

 彼女は今回の、愚かにも自分たちに歯向かおうという蜂起計画を逆に楽しんでいる様子である。

 それは喜ばしい事だ。

 

 だが――。

 

 ――だが、楽しみより、先ずナザリックの利益を考えるべきではないか?

 この反乱をそのまま放置していた場合、先ほどソリュシャン自身が言った通り、ナザリックが支配している八本指や亜人たちに相応の被害が生じ、その結果として王国領全土の支配に支障が出るのは十分に予想出来る。

 それは、この地におけるナザリックの支配計画にほころびが生じることを意味する。

 

 

 ソリュシャンとしても、愚かな人間が苦しむ様子を見るのは楽しい。

 苦痛に歪む顔を眺めるのは最高の愉悦である。弱者の悲鳴は至上の音色。虫籠の中の事とは気づかぬまま、あがき、苦しみ、そしてすべての努力が無駄だったと知り、打ちのめされる様を想像しただけで、ゾクゾクとしたものが背筋を走る。

 

 しかし、それはあくまでナザリックの害にならぬ範囲での事だ。

 最優先すべきはナザリックの利益である。

 

 

 だが、今ベルは構わないと言った。

 ナザリックの利益よりも楽しみを優先させた。

 

 

 ――ベル様、あなたは……。

 

 

 ソリュシャンは苦悩する。

 

 ――自分は一体どうすべきなのだろう?

 このまま、何もせず見守るべきか?

 ベルに意見を翻すよう諫言すべきか?

 至高の御方たるアインズに進言すべきか?

 それとも……。

 

 

 幾多の思考が頭の中をぐるぐるとめぐる。これまではそのような事に頭を悩ませる必要はなかった。自分はナザリックの為、至高の御方の為に最善を尽くしてきた。そして、ベルは忠誠を誓うに足る御方に相違なく、彼女は何の疑う余地もなくそう信じていた。

 

 

 しかし――。

 

 ――しかし、自分は……。

 

 

 心のうちに生じた小さな染みのような疑念は、いつまでもソリュシャンの胸中に取りついたままであった。

 

 

 




【作者注】

 文中で、「ネギでも食べてなさい」とありますが、当作品としては決してネギを侮辱する意図はありません。ネギは栄養価も高い野菜です。店によってはそんなもの頼むなよ、と言わんばかりに、生焼けのままだったり、中身がスカスカのものを出されたりしますが、ネギ焼きは大変おいしい食べ物です。
 また、パセリも飾りつけ程度の扱いを受け、食べずに残されることが多いですが、この野菜もまた栄養価が高く、六腕での飲み会の際にはサキュロントが毎回皿一杯に集められたパセリを食べるほどです。



 集眼の屍(アイボール・コープス)の難度ですが、はっきりとしたレベルは分からなかったため、上級アンデッド創造で作られていることから、とりあえずレベルは60くらい。そして、戦闘能力は若干落ちるという事でしたので、5レベル落として戦闘能力だけで言うならレベル55相当。そして難度はレベル×3という事で、難度165という事にしました。


 そして、ネムのペットである集眼の屍(アイボール・コープス)のタマニゴーという名前。
 なんという素晴らしい名前なのでしょうか。
 きっとこの名の名付け親は、美の結晶にして、絶大なる支配者にふさわしく、深い配慮に優れ、凄く優しく、端倪すべからざるという言葉がふさわしい御方に違いありません。


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