オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2017/1/5 「過ごしてして」→「過ごして」、「成す術」→「為す術」、「影ながら」→「陰ながら」、「~来た」→「~きた」、「~言う」→「~いう」、「保障」→「保証」、「~行った」→「~いった」、「一部の隙も」→「一分の隙も」、「大失態を犯して」→「大失態を演じて」、「光臨」→「降臨」、「辞め」→「止め」 訂正しました


第70話ー2 王都にて②

 黒い影がすっかり日の落ちた王都を駆ける。

 暗色の布に全身を包まれ、その体型は分からないが、少なくとも小柄な人物である事は見て取れた。

 

 いや、その姿を見る者などいない。

 そいつは、月明りに照らし出される建物の影から影へと渡り歩き、誰の目にも止まることなく夜の街を走り抜ける。

 普段とは異なり、王都の街路には吊るされる角灯も、家々の窓から漏れ出る明かりもなく、沈鬱なる暗闇に沈んでいる。そこに住まう人々も、今はひっそりと息を潜めるように過ごしており、夜の街を歩き回ろうという者は、粗暴な空気を漂わせた人物か、もしくは醜悪な姿形、そしてその容姿に見合ったねじくれた精神を持つ亜人たちくらいしかいない。

 

 

 そんな人目もほとんどない通りを泳ぐようにして駆けるその影は、やがて一本の路地で歩みを止めた。 

 家と家との間に出来た暗闇に身を隠し、しばし周囲を注意深く見回す。

 

 そして尾行がない事を確かめると、不意に高く飛び上がり、建物の壁に各階ごとに作られたわずかなでっぱり(・・・・)へとしがみついた。その状態で建物から建物へ飛ぶようにして、さらに移動を続ける。そうして数十軒分は移動した後、再び地上に降りると、そこにあった勝手口をわずかに開け、その隙間に音もなく滑り込んだ。

 そして明かりもない廊下を迷うことなく進み、やがて行き着いたのはまた別の扉。それを特定の間隔で数度叩く。

 すぐに向こうからもあらかじめ決めておいた符丁通りの返信があった。

 向こうから(かんぬき)が外される音が聞こえ、開けられた扉の奥へと足を進めた。

 

 

 〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉のランタンに照らし出される室内は、特に調度品もなく簡素な作りであった。粗末な木の机に数脚の椅子。部屋の片隅には数人分の荷物を入れる背負い袋が転がされている。

 そして、今、そこには数人の人影があった。

 その姿を認め、外からやって来た影はその身に纏っていた布きれ――隠密行動を気付かれにくくさせるマジックアイテム――を剥ぎ取った。瑞々しい生命力を持つ少女の姿があらわになる。

 

「お疲れ様、ティナ」

 

 部屋で待っていたラキュースは、秘かに王都内を探っていた仲間にねぎらいの言葉をかけた。

 

 

「外の様子はどうだった?」

 

 ガガーランの問いかけに、彼女にしては珍しくその顔に渋面を浮かべた。

 

「酷い。とにかく、ものすごい酷い。めっさ酷い」

 

 そして彼女の口から語られる内容。

 それはたった今、彼女が見てきたオークやトロール達による胸糞の悪くなるような食事風景を始めとした、軍が出払っている間に王城を占拠し、新たに王都を支配した八本指の者達による統治の現状。

 強盗、殺人、強姦は当たり前。新たな支配者たちは傍若無人のふるまいを行い、そしてそれを咎める者はない。非道を訴えようものなら、逆に処刑される有様。それも一思いに斬首されるならまだましな方、醜悪な亜人どもの腹の中に消えたり、ひどい時には広場において残忍な拷問の見せ物として幾日もかけて嬲られることすらあった。

 王都の民衆は恥辱と恐怖に身を震わせ、怨嗟の声は異口同音に湧き出はすれども、為政者の圧倒的なる暴力の前に為す術すらなかった。

 それを彼女はありのままに語った。

 

 

 仲間の口から語られるその内容に、ラキュースの口からギリリと歯ぎしりが漏れる。

 善なる性根をもち、更に自分の夢や目標を叶えるだけの実力を持ち、それを達成してきた彼女としては、こうしてこの世の地獄たる惨禍がすぐそばで繰り広げられているのに、今はまだ行動に移せないという現状に焦燥と苛立ちを感じていた。

 

 そんな彼女の肩に、「落ち着け」とガガーランがその分厚い手のひらを乗せる。

 そういうガガーランとて怒りを覚えていないという訳ではない。むしろ彼女こそが、心のうちで燃え上がる憤怒を必死で抑えていた。

 

 

 

 そうしてティナの報告を受けていると、部屋に2つある扉の内、ティナが入ってきたものとは別のもう1つ、そちらが何度か規則的に叩かれる音が響いた。

 全員の目がそちらに向けられる。念のため、手の届くところに置いていた自らの武器を掴んだ。

 そして陽動であることも考え、他の出入り口にもそれとなく目をやりながらも、ティナが音のした扉の方へと歩み寄る。

 扉の前には立たず、少し離れた壁に背をつけたままティナは手を伸ばし、先ほど彼女が入ってきた時と同様、特定の符丁でドアを叩いた。

 

 それに対し、再度、向こうからドアが叩かれる。

 今度は先ほどとは少し違った調子で。

 

 

 それを聞いたティナがラキュースに視線を送ると、彼女は緊張した面持ちで頷いた。

 

 ティナが内側から(かんぬき)を外すと扉が開き、扉の向こうから彼女の片割れ――ティアが姿を見せた。

 そのティアの後ろには、フード付きローブを着た数人の人影が続く。

 

 全員が部屋に入り、それに続く者、並びに尾けてきた者がいない事を確かめたティナは扉を閉め、再度、固い(かんぬき)をかけた。

 

 

 ティアはそのまま彼女らのリーダーの許へと進み、二言三言(ふたことみこと)話すと振り返って彼女の脇に立った。

 対して、彼女の後ろに続いてきた謎の人物たちは室内に入った後、そこに立ち尽くしたままだ。

 

 

 そうして、しばし視線を絡み合わせた後、彼らの先頭に立っていた人物がフードを跳ね除けた。

 

 そこから現れたのは若い男性。

 一見女性と見紛うかというほどの端整な顔立ちであり、その射干玉(ぬばたま)のような黒い髪は長く伸ばされ、ローブの下へと消えている。

 

 彼はラキュースの事をしっかと見据え挨拶をした。

 

 

「初めまして、アダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュース。私はスレイン法国における六色聖典の一、漆黒聖典を束ねる隊長になります」

「こちらこそ直接会うのは初めてね。私がラキュース・アルベイン・デイル・アインドラよ」

 

 そう言って、彼女はその緑の瞳を目の前の男へと向けた。

 

「で? 隊長って、あなたのお名前は?」

「申し訳ないが本名を名乗る訳にはいかないので、『隊長』でお願いしたい。気にくわないというのなら、お好きなように読んでいただいても、結構です」

「じゃあ、アレックスで」

 

 口を挟んできたティアの言葉に、彼は思わず顔をしかめた。

 今の彼は自らの素顔を隠す仮面をつけているのだが、その歩き方と声によって、熟練のシノビであるティアは、彼の正体はかつてエ・ランテルで出会ったアレックスなる少年だと見抜いていた。

 

「もうしわけないが、それは止めてほしい」

「まあ、一時的な同盟なんだし、名前はいいでしょう。じゃあ、『隊長』と呼ばせてもらうわね」

 

 ラキュースはそう言って、話を進めることにした。

 彼女のすぐそばで「ショタの匂いがする……」「童貞の匂いがする……」という言葉が聞こえるが、それは無視しておく。

 

 

「では『隊長』さん。協力してくれるという事で間違いはないわね?」

 

 そう念を押す。

 隊長は首を縦に振った。

 

「ええ、ここは共に手を組み、協力しましょう。我々としても、この人間の領域における亜人の跳梁、絶対に見過ごすことは出来ません」

 

 

 

 

 この付近一帯はかつての六大神の活躍により、人間たちが平和に暮らすことの出来る大陸においてもごくわずかな例外的な地である。

 勃興した国家が人間同士の愚かな争いにかまけている間にも、六大神の遺志を継ぐスレイン法国が周辺諸国内において怪物(モンスター)の増加を抑えたり、また外から襲い来るビーストマンらの亜人たちを食い止めるなどして、なんとか人間の生存権を守っていた。

 

 

 だが、その均衡は何の前触れもなく、崩されることとなった。

 

 

 突然起こった、帝国へのビーストマンの侵攻。

 これまでバハルス帝国はビーストマンの侵攻を受けたことは無かった。彼らの領地と接している竜王国が防波堤となっており、そこをスレイン法国が支援してきたため、そこで残忍なる亜人たちの侵攻は食い止められていた。

 それなのに突如、大量のビーストマンの群れが竜王国を飛び越え、帝国を襲ったのだ。

 

 それに対し、帝国は一時混乱したものの、何とか自力で反抗作戦を整え、領地のビーストマンの駆逐に動いた。

 

 法国としてもその対応には安堵した。

 なにぶん、スレイン法国は人類の守護者として動いてはいるが、それはあくまで影でのこと。国家を超えて人間同士が手を結ぶほど、世の中は成熟していない。他国の人間であるスレイン法国の者が帝国内で表だって自由に動くことは出来ないし、その活動に対する帝国からの援助も期待できなかった。

 それにスレイン法国としては、普段の任務だけでも手いっぱいであり、この突然のイレギュラーに対処できるだけの余裕がなかったというのも事実である。

 その為、帝国が一国のみでビーストマン退治に動くことは歓迎すべきことであった。

 そして、それはおそらく成功するかに思われた。

 

 だが突如、帝都を襲った謎の魔獣の襲撃により、皇帝ジルクニフは死去し、逸脱者であるフールーダ・パラダインさえもが失われてしまった。

 これによりバハルス帝国は崩壊。ビーストマン駆逐計画は結局行われぬまま、今も奴らは帝国の領地にそのまま蔓延(はびこ)り続ける始末だ。

 

 

 その事に法国首脳部は頭を悩ませた。いっそ、法国が帝国領を併呑してしまおうかという案すら出た程であった。

 そんな時、続けて起こったのが、今回のリ・エスティーゼ王国の王都襲撃である。

 

 これがただの人間同士の争いであるのならばまだよかった。

 だが、王都を占拠した者達は、亜人を多数味方につけていたのである。それも人を食らうトロールやオーク達をである。

 

 

 バハルス帝国が亜人の脅威にさらされる中、隣国リ・エスティーゼ王国までもが亜人たちに支配されたとなれば、もはや取り返しがつかない。

 

 事態を重く見た法国上層部は亜人、及び亜人を使役する者の手から王都を奪還することを最優先目標と決めた。

 その為、虎の子である六色聖典を複数投入することを決断したのだ。

 

 そして今回の一連の作戦における総責任者とされた漆黒聖典の隊長が実働部隊と共に王都までやって来たところ、現地で諜報を行っていた風花の者から、帝国におもむいていた『蒼の薔薇』がすでに王都に戻ってきており、新政権に対し反抗作戦を練っているとの情報を得た。

 そこで、下手に別行動をして互いの作戦を邪魔し合うよりはと、彼女たちに共同戦線を張ることを持ち掛けたのだ。

 そうして、幾度か配下の者を遣わせ接触を図り、ようやく今回顔を合わせる運びとなったのである。

 

 

 

「では、おおむねの計画は事前に聞いていた通りで」

「ええ、そうね」

 

 今回、彼らが行う作戦の概要はシンプルだ。

 市中で冒険者たちが新政権に対して反旗を翻し、王都を混乱させる。

 新政権側の戦力たる亜人たちがその対応に当たっている間に、『蒼の薔薇』並びに六色聖典の者が手隙となった王城に潜入。

 そして、コッコドールを始めとした新政権の主要人物を排除し、可能ならば王族、特にラナーを救出するというものだ。

 

 とにかくこの作戦の要は、如何に派手な騒ぎを起こし、どれだけ新政権側の戦力を王城の外におびき出す事が出来るかにかかっている。

 

「それに関しては、こちらの方でも陰ながら増援を出すつもりですよ」

 

 彼はそう約束した。

 その言葉にラキュースは安堵した。もともとは法国の力を借りずにやるつもりだったのだが、それをやった場合、市街で新政権側の戦力を食い止める役の冒険者たちにかなりの、いや甚大な被害が出る事が予想されていたからだ。それが少しでも軽くなるなら願ってもない事だ。

 

「それで確認したいのですが、あなた方『蒼の薔薇』としては今回の作戦において、どこまでを達成すべき目標と考えていますか?」

 

 隊長の問いにラキュースは答えた。

 

「そうね。私たちの目標としては現在王を名乗っているコッコドールとかいう男を成敗すること、それと囚われているはずのラナーを救出することかしら? 首謀者であるコッコドールとやらを倒して、王族であるラナーが号令をかければ、そこでかたがつくはずだわ」

 

 もし救出が出来たのならば、彼女の口から王都の民衆に号令を下してもらう。王族の命があれば、そして首謀者たるコッコドールはすでに討ち取られたと聞けば、必ずや民衆たちも立ち上がるだろう。そうなれば、新政権側の戦力とて多勢に無勢。到底抑え込めるものではない。後は混乱の渦の中、怒れる民衆に紛れる形で、冒険者や六色聖典の者が王都にいるオークやトロール達を狩っていけばいい。

 

「なるほど。いまだ王族の権威はある。その第三王女ラナーを救いだして、彼女の命として御触れを発せれば、王国の国民すべても立ち上がるかもしれませんね……。一つ聞いても?」

「何かしら?」

「王女のラナーを救いだすのはいいのですが、彼女はまだ存命なのですか?」

 

 その問いにラキュースはわずかに身じろぎした。

 

「……ラナーが生きているかどうか。その情報はないわ」

「では、この計画も……」

「ないけど!」

 

 ラキュースは強く言葉を重ねる。

 

「はっきりとした確証はないけれども、ラナーは王族として重要人物よ。そして、実際に王国を継ぐ可能性のあるバルブロ殿下やザナック殿下よりは政治的地位は高くない。つまり、見せしめとして殺される可能性は低いという事よ。少しでも考えがある相手ならば、そんな彼女を殺してしまうはずはないわ。どこかに幽閉しているはずよ」

 

 いささか感情的なものが混じっているようだが、その判断におかしなところはない。

 ラナーは如何様(いかよう)にも利用できる便利な駒だ。

 新たに王位を簒奪した者からすれば、男であるバルブロやザナックより使い道がある。王の血を引く彼女の口から王権の移譲を発言させたり、もしくは未婚の彼女と婚姻関係を結んでもいい。そうする事で、自分達の支配の正当性を内外に示すことが出来る。

 

 まともな判断能力がある相手なら、そんな彼女を殺害するなどという愚か極まりない行為をするはずもない。

 

 そう判断した隊長は、確固たる情報がない中ではあるが、首を縦に振った。

 仮に殺されていたとしても、王国の貴族であるラキュースが号令をかけることで代役になるだろうという目論みもあった。

 

 ラキュースの顔に安堵の色がともる。

 彼女とて、はっきりとした確定情報のない中で、相手を説得できるか不安だったのだ。

 

 とにかく法国の目的は王都を支配する亜人の殲滅にある。その為ならば、王都の人間を犠牲にすることも厭わないだろう。ラナーがこの状況をひっくり返すのに有用であるならば助けるが、ラナー一人を助けるために余計な犠牲を払いそうなら、容赦なく切り捨てるであろう。

 『蒼の薔薇』としても、法国側のそんな内心は分かってはいる。だが、彼らの力なしでは、もともと自分たちだけでこの一連の作戦を行うつもりだったとはいえ、民衆や冒険者に多くの被害が出てしまう為、何とかして彼らに協力してほしかった。

 そして今、向こうは動かしようのない証拠がない状況ながら、協力を約束してくれた。

 ラキュースは、彼らの気持ちに答えねばならないなと、決意を新たにした。

 

 

 

「もう一つ伺ってもいいですか?」

 

 隊長の問いに、ラキュースは声をかけた。

 

「なにかしら?」

 

 彼は一つ息を吐いてから、彼女に問いかけた。

 

「皆さんは、どうやって王都にやって来たんですか? あなた方は2週間ほど前までは帝都にいたはず。それが今、こうして王都に潜伏しています。通常、帝国首都から王国の首都まで馬を使っても20日程度。そして現在、エ・ランテル経由のルートは突如現れたアンデッドにより封鎖されています。北部の海運もビーストマンの襲撃による被害の為に、船を出すのも困難なはず。考えられるのはアゼルリシア山脈を一直線に踏破するか、もしくは少し迂回して山のふもと、トブの大森林内を抜けるかですが、そちらにしても一月、二月ではどう考えても、越えられるものではありません。一体どうやって、帝都から王都まで移動したのでしょうか?」

 

 その問いに、彼女はウッと言葉を詰まらせた。

 思わず視線が泳いでしまう

 そして、その視線がほんの一瞬、飛ばされたその先。

 これまで部屋の片隅において、乱雑に置かれた荷物の上に腰かけている人物。その者はフード付きローブを深くかぶったまま、一言も言葉を発することすらしない。

 

 

「失礼ですが、そちらの方は?」

 

 彼の問いに『蒼の薔薇』の面々は身じろぎし、彼に対してやや険のこもった視線を向けた。

 

「協力者よ」

 

 そうにべもなく言い捨てる。

 

「そうですか。フードを取り、顔を見せてはいただけませんか?」

「その必要はないでしょう。彼は信用できる。それで十分でしょ」

 

 ――彼。……つまり男か。

 

 隊長はさらに問い詰める。

 

「しかし、この作戦は我々法国としても、かなりの戦力をつぎ込んだ作戦です。そんな危ない橋を共に渡るものの素性は知っておきたいところです」

「だから、その人の素性は私たちが保証するわ。けっして怪しい者ではない」

「ですが、言葉だけで……」

 

 

 口論が続き、険悪な雰囲気になりかけたその場を治めたのは、当のローブの人物であった。

 

「ふむ。彼の言う通りだな。これから肩を並べて共に戦うのだ。姿も見せぬ相手には、不審を感じても仕方があるまい」

 

 しゅるしゅるという擦過音の混じった声。

 そして彼がフードを取ろうとあげた手を見て、法国の人間たちは目を剥いた。

 その手は黒い鱗でおおわれ、その指先には鋭い爪が伸びていたのだ。

 

 

 独特の発声、そしてその手から想像されるもの。

 それは――。

 

 バッとフードを後ろに跳ね除け現れたその頭部。

 それは大型の爬虫類を思わせるもの。

 

 

 彼は蜥蜴人(リザードマン)であった。

 

 

「俺はザリュース・シャシャという。元は〈緑爪(グリーン・クロー)〉族にいたが、今は部族を持たぬ身だ。よろしく」

 

 

 予想だにしなかったその姿に、法国の者達はハッと息をのみ、あわてて武器を構える。

 『蒼の薔薇』の面々もまた、武器を手に取った。

 

「落ち着いて、さっきも言ったけど、彼は信用できる人よ」

「……あなたは自分が何を言っているのか分かっているのですか? 我々の目的は亜人、そして亜人を支配する者たちの手から人間の領域を解放することです。その為の戦いに亜人を加えろと?」

「亜人といっても、人間を襲うオークやトロール、ビーストマンたちと彼のような蜥蜴人(リザードマン)は違うわ」

「ああ、そいつらは人間を襲って食べるらしいな。我々蜥蜴人(リザードマン)の主食は魚だ。まあ、牛や豚は食べられんでもないが、少なくとも人間は食べたくはないな」

 

 ザリュースの言葉にも、警戒の様子を解かない法国の面々。今にもその鋭い牙をむきだして、飛びかかってくるのではないかと疑っている様子だ。

 

 そんな中、隊長は向かい合う彼女らの一挙手一投足をも見逃さぬよう注意を払いつつ、口を開いた。

 

「先ほどの質問に戻りますが、皆さんはどうやって帝国から王国へ移動してきたのですか?」

「彼に助けられてよ。アゼルリシア山脈を越えてきたの」

「その地に住まう蜥蜴人(リザードマン)たちの秘密のルートでも使ったという事ですか?」

「いえ、違うわ。私たちは山の麓で偶然彼に出会ったの。そして……フロスト・ドラゴンの背に乗せてもらったのよ」

 

 その答えには、さすがの彼も虚をつかれた。

 

「は? フロスト・ドラゴン?」

 

 そのアワをくった様子に、ガガーランが愉快そうに説明する。

 

「ああ、ありゃ、俺たちもびっくりしたからな。なんせ、決死の思いで山越えしようと、トブの大森林を抜けたら、いきなりフロスト・ドラゴンに出くわしてよ。こんな時に最悪の巡り合わせだと死を覚悟して戦いを挑もうとしたのに、よく見たらドラゴンの足元でこいつが肉を焼いていて、それで一緒に飯食ってたんだからな」

「それで彼に頼んで、フロスト・ドラゴンの背に乗せてもらう事で、一気にアゼルリシア山脈を越えることが出来たの」

 

 呆気にとられる様な内容だが、その言葉を聞いた隊長は、なるほどと得心した。

 

「つまり、その彼……蜥蜴人(リザードマン)はフロスト・ドラゴンをテイムしていたという事ですか」

「テイムとは心外だな」

 

 ザリュースはムッとした顔で――蜥蜴人(リザードマン)の表情はいまいちわからないが、口調から察せられた――反駁した。

 

「共に飯を食い、共に鍛え、共に時間を過ごす。そうする事によって、たとえ種族が異なろうとも、そこに深い絆が生まれる。俺とあいつはそうして、心を通わせたのだ。あいつがこの『蒼の薔薇』のメスらを運んだのは俺の命令あっての事ではなく、あいつ自身の意思によるものだ。そこに主従の関係などない」

 

 妙に力のこもった言葉に、隊長は「そ、そうなんですか……」としか言いようがなかった。

 

「……で、では、今回の作戦において、そのフロスト・ドラゴンの力を借りることは出来るのですか?」

「出来はするでしょうけど、相手は戦場で隊形を組んでいるわけではないから、直接攻撃してもらうことは出来ないわね。王都上空を目立つように飛んでもらって、あとはせいぜい王城の一角、誰もいない辺りにブレスを打ち込んでもらうくらいかしら」

「まあ、示威的な行動をしてもらうだけでも、向こうの士気はだいぶ落ちるでしょうね」

 

 とりあえず戦力になるのならと、彼は亜人であるザリュースの事を、信用はしないまでも、敵ではないものとして扱うことにした。

 王都近辺で出会ったのならともかく、アゼルリシア山脈の麓で、偶然『蒼の薔薇』と遭遇したのだという。その話から、さすがに新政権側もそこまで手を伸ばしてはいないだろうと考えたためである。また、王都で新政権側の味方をしているのはオークやトロールであり、蜥蜴人(リザードマン)は見かけたことがないというのもそう考える理由の一助となった。

 

 それにドラゴンが味方となるという事は実に心強い事であった。

 ドラゴンというのはこの上ないほど目立つ存在だ。

 現れただけでも大騒ぎになることは間違いない。その姿を見ただけで誰もが驚き、狼狽え、平静のままではいられまい。

 今回の計画においても、最初の陽動の際、十分な効果を発揮するだろう。

 

 ただ不安材料としては、あまりに影響が大きすぎて、逆に新政権側が怯えきって全員王城にこもってしまう事だが、その時は王城そのものにブレスを打ち込んでもらえばいい。囚われているラナーの身を案じるラキュースはそれに反対するかもしれないが、その時は彼が率いている六色聖典の者達によって王城を魔法攻撃するなり、召喚した怪物(モンスター)によって攻撃させてもいい。

 また、亜人たちを王都から追い出した後なら、被害を気にせずブレス攻撃で逃げる亜人を殲滅出来るだろう。

 

 

「しかし、冒険者に反乱を起こさせるという事ですが、そちらの戦力は十分なのですか? 新政権側が操る亜人たちはかなりの数がいますし、八本指とかいう犯罪組織の人間も多数いると聞きます。下手な戦力では鎮圧に出てきた彼らを引きつけておくことは出来ませんよ」

 

 それに対して、ラキュースは自信ありげに笑った。

 傍らのティナに目をやると、彼女は腰の袋からけっして派手ではない、それどころかとても地味で光をろくに反射すらしない金属のネックレスを数個取り出した。

 

「これは?」

 

 問う隊長の方へ、「着けてみて」と1つ差し出す。

 言われるがままにそれを首に下げる隊長。

 

 すると彼の目に、ネックレスを差し出したティナがほのかに光を発しているのが見て取れた。

 彼女の首には今、彼がしているのとまったく同じものが下げられている。

 そして、ラキュースもネックレスを手にとり、首にかけると、彼女もまた同様に光に包まれた。

 

「これは識別のマジックアイテムのようね。これをかけている者同士は互いに光を発しているように見えるわ。どうやら新政権側の者達は皆、これを身に着けているみたいね」

「なるほど。どうりで亜人たちが、自分たちの味方である人間と敵の人間を見分けているのか不思議でしたが、これのせいですか」

「ええ、そうよ。これをある程度の数確保しているわ。さすがに蜂起に加わる冒険者全員分はないけど、何パーティーかにこれを装備させて、亜人を攻撃させるつもり。そうすれば、あいつらは味方のはずの人間から攻撃された事にパニックを起こすでしょうね」

「混乱した亜人たちは見境なく人間を攻撃する。それこそ新政権側の人間達をも。決して数が多いとは言えない冒険者でも、十分に囮役が務まるという訳ですか」

「そういう事よ。後は私たちがいかに早く王城に侵入し、カタをつけるかにかかっているわ」

 

 その話を聞き、彼は頷いた。

 

「勝算が見えてきましたね」

「ええ、まだ運次第なところもかなりあるけどね。……本当は『漆黒』のモモンさんたちも来てくれればよかったんだけど……」

 

 ラキュースは帝都で会った、同じアダマンタイト級冒険者『漆黒』の2人と1体の姿を思い浮かべた。

 『蒼の薔薇』が王国の異変を聞き、王都へ向かおうとした際、彼らも誘ったのだが、彼らは帝国の治安を守る者も必要だと言って、それを断ったのだ。

 彼らがいてくれれば戦力として頼もしかったろうに、とラキュースは残念がったが、それを聞いた隊長は何も言わなかった。

 

 

 

「それじゃ、お願いするわね」

「ええ、こちらこそよろしくお願いします」

 

 彼ら2人は固く握手を交わし、ここに『蒼の薔薇』率いる王都の冒険者と法国の共同戦線が成立した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「上手くいったな」

 

 法国の人間たちが出ていった扉に目をやり、安堵の息を吐くガガーラン。

 ラキュースもまた、大きく息を吐いて、額にかかったその美しい金髪をかき上げた。

 

「ええ。最初、接触してきたときはびっくりしたけど、あの人たちと手を組むことで、かなり有利になったわね」

「うん。正直、私たちだけじゃかなり無理ゲだった」

「コッコドールを殺したり、王女様を助けるくらいは出来たかもしれないけど、その代わり、王都の被害がとんでもない事に」

 

 ティアとティナの言葉に、ラキュースは思わず顔をしかめる。

 彼女たちの言う事は全くの事実だったからである。

 

 正直当初の予定では、王城に潜入しコッコドールを倒し、ラナーを救出した後、彼女を連れて王都を脱出する予定だった。王都で騒ぎを起こした後脱出してきた冒険者たちと共に、ラナーの姉である第一王女が嫁いだぺスペア侯の治めるエ・ペスペル辺りに身を寄せようかと考えていたのだ。ただ、それをやった場合、王都の民衆を見捨てて逃げることになってしまうため、その事実に彼女は苦悩し、自らの良心の呵責に苛まれることとなっていた。

 

 だが、法国の人間と協力関係を結ぶことが出来たおかげで、ラナーという民衆の精神的支柱を取り戻せば、そのまま簒奪者たちをこの王都から追い払う事が出来るかもしれない目途が立ったのだ。

 

 まだ計画段階であり、実際に動くのはこれからなのであるが、それでも彼女はその両肩に重くのしかかっていた荷が下りた気分であった。

 

 

 そうしていると、再び部屋の扉がノックされた。

 その音に慌てて、気を引き締め直す。

 ティアが扉の許へ歩み寄り、内側からまた決められた符丁で叩く。それに対して、向こうも一定のテンポで叩き返してきた。

 

 それで扉の向こうにいる人間が誰なのか気づいたティアは、ザリュースに手で合図をする。それを見たザリュースは、再びフードを深くかぶり直した。

 

 

 ティアが扉を開けると、現れたのは布きれを幾重にも体に巻き付けた腰の曲がった人物。

 その人物は部屋の中へと進み、ティアが扉を閉めると、その曲がっていた背をグンと伸ばした。そして、その身に纏っていた大量の布を一枚一枚外していくと、そこに現れたのはバスケットを手にした美しい女性であった。

 

「食べ物を届けに来ましたよ」

 

 彼女はそう言って微笑んだ。

 

「ありがとうマイコさん」

 

 ラキュースは礼を言い、その手のバスケットを受け取る。

 ガガーランが寄ってきて、その中を覗き込み、口笛を吹いた。そこにはパンやワイン、それに肉、チーズが入っている。

 

「ひゅう、助かるぜ。とにかく、ずっとここに閉じこもっていなくちゃならないから、楽しみは飯しかないからな」

 

 その言葉に彼女は笑みを返す。

 

「ええ、私にできることはこれくらいですから」

「本当にありがとう。でも、大丈夫だった?」

「ええ、大丈夫ですよ。こう見えて、私は少しですが体を鍛えていますし」

 

 改めて礼を言うラキュースに、その腕を曲げて見せる。

 

 

 彼女の名はマイコ。

 しばらく前から王都で料理人として働いている女性で、『蒼の薔薇』の面々とも知り合いであった。

 『蒼の薔薇』はようやっとこの街に戻っては来たものの、有名人である彼女らは今の王都で堂々と歩くわけにはいかなかった。その容姿は広く知れ渡っており、あまりに目立ちすぎる。ティアとティナの変装にしてもそれには限度がある。

 その為、顔見知りであるマイコに頼み、諸々の用事をこなしてもらったり、秘かに冒険者たちへ繋ぎをとるなどをしてもらっていたのである。

 もちろん、その行為は危険極まりない。ばれれば彼女の命も危ういだろう。それに、その行為自体が明るみに出なくとも、今の王都は女性が自由に出歩ける街ではない。戯れに殺されたり、また死よりもむごい事になる可能性すらある。

 それでも彼女はそんな危険をおして、先のように老婆に扮して王都を歩き、『蒼の薔薇』からの頼みをこなしていた。

 

 そんな彼女に、ラキュースとしては感謝しかない。

 この王都には彼女のような清く勇敢な心の持ち主がいる。そんな人たちを守るためにも、この作戦は絶対に成功させなくてはならないと固く心に誓った。

 

 

 その時、彼女に〈伝言(メッセージ)〉が届いた。

 イビルアイからだ。

 

《おい。今、転移で隠れ家に戻ってもいいか?》

《あ、いや、今はちょっと……》

 

 ラキュースはマイコに目を向ける。

 その視線を察した彼女は、再び布を体に巻きつけると、また来ますと言い残し、部屋を出ていった。

 悪い事をしたなと思いつつ、イビルアイに返事をする。

 

《ええ、もういいわよ》

 

 

 すると一瞬。彼女の眼前の虚空が歪んだかと思うと、そこに人影が現れた。

 現れたのは小柄な姿。仮面でその顔を隠しているが、誰か言うまでもなく、『蒼の薔薇』の仲間、イビルアイである。

 

 彼女は人間ではなく吸血鬼(ヴァンパイア)だ。それも、ただの吸血鬼(ヴァンパイア)ではなく、伝説にも謳われるほどの邪悪なる存在、『国堕とし』である。

 万が一にもその正体がばれ、そんな彼女が仲間にいることが知れれば、法国との協力など締結できるはずもない。そのため、彼女には一時的に席を外してもらっていたのだ。

 

 

 「どうだった?」と聞く彼女に、上手く手を結ぶことが出来たと伝えた。

 

 そして今度は逆に、彼女に対し「どうだった?」と聞いた。

 その問いに対して、イビルアイは首を振った。

 

「分からん。モモンは出かけていたらしく、会えなかった」

 

 彼女は転移の魔法を使い、帝都におもむき、そこにいるはずの『漆黒』に会いに行ってきたのだ。

 だが、間の悪い事に『漆黒』は数日前から、ビーストマン退治に出発しており、会うことは出来なかった。

 

「今回の一連の件……どうなのかしら?」

「分からんな。そもそも、皇帝の語った『漆黒』が帝都でのアンデッド出現と本当に関係があるかも不明だしな。今、エ・ランテルで王国軍がアンデッドの軍勢に取り囲まれているのと関係があるか……うーむ。何とも言えん」

「うーん……エ・ランテルって、そのベルって少女がギラード商会とかを使って暗躍していたところなのよね。その子は魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンと関係がある可能性が高い……。そして、モモンさんもその魔法詠唱者(マジック・キャスター)と繋がりがあるかもしれない……。やっぱり、そのアインズ・ウール・ゴウンに敵対する勢力の仕業なのかしら?」

「そうかもしれんな。エ・ランテルを取り囲んでいるのは多数のデスナイトを含むアンデッドらしい。アインズ・ウール・ゴウンはデスナイトを複数召喚できるというが、自分の関係者がすでに足場を構築した街を、そんな目に遭わせるかというと首をひねらざるをえんな。やはり、敵対する別勢力と考えるのが妥当か」

「でも、エ・ランテルの方にはそんなアンデッドを多数送り込んでいるのに、王都にはそんなのはいないのよね」

 

 ティアとティナに目をやるが、彼女たちも「王都内では見なかった」と答えた。

 

「分からんことばかりだが、やはり八本指が亜人を使役するというのはこれまでからすると、いささか考えづらい。それに、その味方識別のネックレス。その出どころもだ。やはり、今回の件、なにか黒幕がいるのは確かなようだな」

「そうね。気を引き締めなてかからないといけないわ。でも、やらないという選択肢もない。皆、必ず、この作戦を成功させるわよ」

 

 ラキュースの決意の言葉に、皆しっかと頷いた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 バタン。

 

 後ろで扉が閉じる音に、彼は緊張を解き、大きく息を吐いた。

 

「あ、隊長。お疲れ様ー」

 

 王都における六色聖典の隠れ家には、現在十名ほどの人間が残っていた。他の者達は作戦の準備であちこち駆けまわっているのだろう。

 そんな中、呑気にソファーに寝っ転がりながら、『蒼の薔薇』との会合を終えて帰ってきた彼に声をかけてきた、同じ漆黒聖典の第9席次クレマンティーヌに目をやる。

 

「何か異常は?」

 

 その問いに、彼女はクッキーを齧りながら答える。

 

「うんにゃ、何にもー」

 

 こぼれたクッキーのかけらがポロポロと床に落ちていくのだが、彼は努めて気にしないようにした。

 すでに漆黒聖典は彼と、目の前のクレマンティーヌ、そして法国において最奥の聖域を守る『絶死絶命』しかいない。今回の作戦において、当然のことながら『絶死絶命』は動員されていないため、彼本人を除けば、クレマンティーヌが最強の戦力という事になる。その為、こうしてダラダラと過ごしていても注意する者などいようはずもない。

 たとえ、腹に据えかねていたとしても。

 

 

 そんな彼に一人の人物が近づいてきた。

 

「お疲れ様です。……ええと……」

「ああ、隊長でいいとも。私の名前はあくまで偽名だからね。ニグン殿」

 

 言われた男はさっと頭を下げた。

 

「いえ、私の方こそニグンで結構です。私は陽光聖典に所属しており、漆黒聖典とは管轄が違いますが、あなたの方が上位でありますし、今回の作戦においては、あなたの指揮下に入りますので」

 

 一分の隙もなく、敬礼をしたニグンは直立不動の姿勢で隊長の前に立つ。

 そんなニグンに、クレマンティーヌがケラケラと笑いながら声をかけてきた。

 

「うん、真面目だねー。今度は頑張ってね。まーた、殺してこいとか命令されたら面倒だし」

 

 その言葉に、ニグンは思わず、ギリリと歯を鳴らした。

 かつてニグンはガゼフ暗殺におもむいたものの、カルネ村の戦いにおいて魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンとの戦いに敗れ、生きたまま王国に捕縛されるという大失態を演じてしまった。そんな彼の暗殺任務を請け負ったのが、今、彼の後ろでソファーにだらしなく横になっているクレマンティーヌである。

 

「クレマンティーヌ。お前は少し黙りなさい」

 

 隊長の命令に、彼女は「えー」と声をあげた。

 そんな彼女に、彼は苛立ちのこもった瞳を向けた。

 

「お前がエ・ランテルでやった行為。……本来ならば、漆黒聖典といえど異端審問にかけられてもおかしくはない行為だと理解しているのか? なんなら、今すぐにでもそちらを体験してくるか!?」

 

 その怒号に、言われたクレマンティーヌだけではなく、その場にいたニグンを始めとした六色聖典の面々もまた一様に凍り付いた。

 

 

 帝国での邪教組織運営という任についていた彼女であったが、その組織が儀式という名の遊びをしている最中、死の神が本当に降臨するという非常事態が起こり、当の邪教組織は壊滅、そして彼女はほうほうの体で法国に逃げ戻ってきたのだ。

 

 そして彼女の報告を受けて、明らかになんらかの脅威がこの地に迫っていると判断した法国上層部は、あらためてここ最近の情報をすべて洗い出していた。

 その中で、アインズ・ウール・ゴウンと直接会ったニグンも死体を回収して、蘇生された。

 

 だが、そうした調査によって不審な点が見つかり問題となったのは、当の彼女クレマンティーヌの足取りであった。

 王国にニグン暗殺におもむき、それを成功させてから、法国に戻ってくるまでの報告された道程に不自然なものがある事に気がついたのだ。

 そこで彼女を呼び出し、魔法まで使って、情報を洗いざらい調べ上げたところ、彼女がエ・ランテルにおけるアンデッド騒ぎに深く関わっていたという事が判明した。

 

 本来ならば、漆黒聖典といえど、到底許されるはずもないほどの罪科であり、軽くて斬首という程であったのだが、すでに漆黒聖典は完全に壊滅している状態であり、その戦闘能力を無駄にする訳にもいかず、処分は当分延期という沙汰となったのである。

 

 

 隊長に怒られたクレマンティーヌは、横になっていたソファーから身を起こした。

 

 ――やれやれ。んー。でも、隊長って、なんだか最近、ずいぶんと苛ついてるね。なにかあったのかねえ?

 

 そんなことを考えながら、とりあえずクレマンティーヌは喋るのを止め、黙ってクッキーを齧る事にした。

 

 

 

 確かに最近の彼、漆黒聖典の隊長は普段とは違い、いささか情緒が不安定気味であった。

 そこまで彼を苛つかせている原因。それはクレマンティーヌの報告に端を発する。

 

 エ・ランテルの件において、クレマンティーヌを尋問したのだが、どういう訳だか彼女の記憶には曖昧なところがあった。

 そこで法国は儀式魔法まで使い、とぎれとぎれとなった彼女の記憶を可能な限り覗き、復元したところ、実はエ・ランテルでの件において、正体は不明だが、恐ろしい悪魔を引き連れた少女と女性の2人組から、アンデッドを大量発生させるアイテムを渡されていたという事実が明らかになった。

 その少女は美しい銀髪を腰まで垂らした10歳くらいの少女であり、共にいた女性は金髪を縦ロールにした、見目麗しいメイドだという。

 

 彼はそんな組み合わせの2人にエ・ランテルで会ったことがある。

 すなわちベルと、そのお付きのメイド――たしか、ソリュシャンと言っていたか――である。

 

 ニグンの報告と、それを裏付けるカルネ村に行った法国の間者からの情報、そして自身がエ・ランテルに行った時のティアの発言。その他、あちこちから法国が総力を使って収集した情報、それらを総合的に考えると、彼女がアインズ・ウール・ゴウンの関係者であり、エ・ランテルに地獄を招くきっかけを作った人物である事は推測出来た。

 

 

 彼は自らの左手人差し指にはめた指輪に目を向ける。

 嘘を見抜く指輪。

 かつて、彼はこの指輪をはめた状態でベルの言葉を聞いた。彼女はアインズ・ウール・ゴウンなど知らないとはっきり言っていた。

 しかし、この指輪は反応しなかった。

 

 

 ――いったいどういう事だろう?

 彼女が嘘を言った時も、この指輪は反応したはずだ。効かないという訳ではないはず。

 なにか、このマジックアイテムの効果を一時的に無効化出来るアイテムを保有しているのだろうか?

 ……やはり、これを使ってみるか……。

 

 彼は一つの宝玉(タリスマン)をポケットから取り出した。

 それは六大神の残した遺産の一つ。

 その効果は、はるか高位に至るまでのマジックアイテムの効果を一時的に無効化するというもの。

 今回の作戦の成否を重く見た法国上層部によって、彼への貸与が決定し、彼の判断での使用が許可されていた。

 これを使えば、彼女がどのようなマジックアイテムを保有し、この指輪の能力を妨害しようとも、それを無効化し、真実を(つまび)らかにすることが出来る。

 

 

 ――ベルさん……あなたは、一体何者なんですか?

 

 

 後の調査により、あの時ベルと共にいたお付きの男は、六腕の1人マルムヴィストであったことがはっきりしていた。

 そして……。

 先ほどの会合で『蒼の薔薇』には言わなかったが、風花の報告により、今回、王城を占領した八本指の中に、そのマルムヴィストがいるらしい。

 すなわち、王城に攻め入った場合、あの少女と顔を合わせる可能性も……。

 

 幸いにして、法国が最重要目標と見ている『漆黒』のモモンは現在、帝国にいる。

 モモンと今回の件は不明だが、不確定要素が一つ除けたのはまたとない僥倖(ぎょうこう)だ。

 現在の法国上層部の見解として、モモンやアインズ・ウール・ゴウン、そしてベルらには『ぷれいやー』か『えぬぴいしい』ではないかという疑惑がかけられている。

 

 

 ――もし……もしあなたが本当にそのような事をした、邪悪な意思を持つ『ぷれいやー』、もしくは『えぬぴいしい』だったとしたら……。

 

 

 彼は手に握った槍を固く握りしめた。

 その手にあるのは、スレイン法国においてごく限られた者しか触れることが許されない、六大神の遺産の中でも最重要たる秘宝。

 

 発動者の命と引き換えに、その標的となった者に、その生命力の強弱関係なく、あらゆる者に等しく死を与える槍『ロンギヌス』。

 

 

 ――ベルさん。もしあなたがそうなら……ボクがあなたを殺します!

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

《アインズさん。気がつきましたか!?》

《ええ、ベルさん。分かっています》

 

 今、ナザリック地下大墳墓の執務室は緊迫した空気に包まれていた。

 あいにくアインズには喉はないが、ベルはごくりと生唾を飲む。

 

 

 

 彼らが息をのんだ原因、それはシズが王都からの報告書を持って、この執務室にやって来たことにある。

 

 

 

 アインズとベルはそれに気がついた瞬間、秘かに〈伝言(メッセージ)〉を送りあった。

 

 

 互いに視線を交わし合い、そしてちらりと横目で覗き見る。

 その彼らの視線の先にいるプレアデスの1人、シズ。

 

 本来であれば、アウラ以下であるものの、さすがにマーレよりはあるその胸。

 今、それがぱよんぱよんと揺れていた。

 

 

《……あれ、シャルティアのパッドですよね?》

《……たぶん……》

 

 2人の間に何とも言えないものが漂う。

 

《ベルさん、突っ込んでくださいよ》

《やですよ、気にしてたらどうするんですか》

 

 再度、室内を歩くシズを盗み見るが、ポーカーフェイスのその顔はネタで突っ込まれるのを期待しているのか、それとも本気で満足しているのか、まったく分からない。

 

《でも、私が言うより、一応同性のベルさんが言った方がいいでしょ》

《かえって、俺が言う方が拙いですよ。この身体は、シズよりないんですから。アインズさんの方がいいですよ》

《どう言えと?》

《生の胸の方が好みだぞとか》

《部下にセクハラかましてどうするんですか!?》

《いきなりアルベドの胸を揉んだのに、何をいまさら》

《ぐお! そ、それとこれとは話が別でしょう》

 

 そうして、見て見ぬふりをするのがいいのか、それとも言ってやった方がいいのか2人が悩んでいると、

「失礼しまぁす」

 という声と共にエントマがやって来た。

 

 ――そうだ。同性であり、同僚であるエントマの口から言わせれば……。

 

 そう考え、振り向いた2人は――その姿を見て凍りついた。

 

 

 

 新たに部屋に入ってきたエントマ。

 

 その胸もぱよんぱよんと揺れていたからである。

 

 




 暴君少女を倒すべく、ついに人々が立ち上がります。

 がんばれ、『蒼の薔薇』!
 がんばれ、法国!
 人類の未来は君たちにかかっている!!

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