オーバーロード ~破滅の少女~   作:タッパ・タッパ

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2016/12/23 「などというなどという」→「などという」、「指示」→「支持」、「針の一刺し」→「蜂の一刺し」 訂正しました
「伸びる」→「延びる」、「~行く」→「~いく」、「最も」→「尤も」、「会いまみえた」→「相見えた」、「置いて」→「於いて」、「大軍を要しようと」→「大軍を擁しようと」 訂正しました


第68話 王国軍

 城塞都市エ・ランテルは時ならぬ喧騒で溢れていた。

 

 普段であれば、この街に3つある城壁、その一番外側にある壁の内側に集められた兵士たちには、恐怖と怯懦、そして諦念の空気が漂っているのだが、今回に限ってはいつもと違った。

 その身になじまぬ鎧や武器を手にした者達の顔には困惑や安堵、そして僅かではあるが略奪への期待が見て取れた。

 

 彼らの口から交わされる言葉の数々。

 これから自分たちが向かうのは例年の戦場とは異なる、これから自分たちは帝国領に攻め込むのだという事が異口同音に囁き合われていた。

 

 

 

 エ・ランテルにある三重の壁。

 その一番内側にある壁の更にその奥。この都市において最も守りの固いそこは、行政区及び食料などの貯蔵施設があるエ・ランテル最重要区域である。

 

 そんな場所にある、都市長パナソレイの立派な邸宅。その隣には、よりいっそう巨大な、見る者に所有者の権勢を誇る豪壮たる館がそびえ立っていた。

 それは王族や貴族がこの街に来たときに使用する貴賓館である。

 

 普段は滞在する者もなく、唯一、管理及び掃除する人間のみが廊下を歩くような場所であるのだが、現在、この建物はいつもの静寂に包まれた佇まいとは大きくかけ離れた様を呈しており、今もその一室では言葉を干戈(かんか)と為したやり取りが丁々発止(ちょうちょうはっし)と繰り広げられていた。

 

 

 

「皆様お疲れ様でした」

 

 そう六大貴族の1人、レエブン侯が声を発する。

 

 この部屋にいた者達は誰もが疲労していた。まだ敵と矛を交える前だというのに。

 王国側から帝国領へ攻め込むという、これまでほとんど経験したことがない状況に対して、ほぼ一から準備を整えなくてはならなかったのだから。

 

 

「とりあえず、これで目途(めど)はついたか」

 

 貴族の1人が疲れた様子で声を漏らす。

 その声にレエブン侯が答える。

 

「そうですな。まあ、とりあえず最低限度としては。実際に事が動けば想定外の事態も多数起こりうるでしょうから、それも考慮に入れますと、もっと余裕をみなくてはなりませんが」

 

 聞かされた正論に皆、げんなりとした表情を浮かべた。

 

「そんなに補給を気にする必要があるのか? 占領した帝国の町から分捕ってしまえばいいではないか」

 

 そう。

 今、彼らが散々討議し続けていたのは、どのように帝国に攻め込むかというものではなかった。如何に自軍に滞りなく補給を行うかというものであった。

 

 その貴族の言葉に鼻を鳴らしたのは、意外にも武闘派であるボウロロープ侯であった。

 

「ふん。お前は馬鹿か? それで満足な食料が手に入らなかったらどうするつもりだ? そのつもりでしたが、駄目でした。だから、作戦は失敗しました。運が悪かったです。で、済む話だと思っているのか?」

「これはしたり。王国はおろか他国まで名を轟かせている勇猛なるボウロロープ侯の言葉とも思えませんな。たとえ、食料が足りなくとも、士気溢れる勇猛果敢な兵士たちならば、必ずや勝利するでしょう。それとも、噂に聞く侯のお抱えである精鋭兵団とやらは敵を前にして、空腹だから戦えぬと泣き言をいうような惰弱な者達であるというのが実態なのでしょうか?」

 

 貴族派閥の盟主であるボウロロープ侯に、皮肉の言葉を投げかける王派閥の貴族。

 それに対して、ボウロロープ侯は怒るでもなく、蔑みのせせら笑いで返した。

 

「阿呆か、貴様。食わずに戦える兵などないわ。士気溢れる戦士ならば飲まず食わずでも戦うことは出来るが、それもせいぜいが1週間程度。最低でも数か月、下手をしたら数年かかるやも知れぬ戦争に、自分に都合のいい考えだけで突っ込む馬鹿がいるか!」

 

 さすがに王国貴族の中でも最強の戦力を有していると言われ、自身も若いころはその武勇の誉れをあまねく轟かせたボウロロープ侯は、ただの猪武者という訳ではなく、補給の重要性を理解していた。

 その発言は――相手は貴族派閥といえど――王の脇に控えていたガゼフとしても頷けるものであった。

 

 

 実際、今回の戦争における補給はかなりの難題である。

 

 王国と帝国の間にはアゼルリシア山脈、そしてトブの大森林が広がっている。

 そのため、帝国侵攻にあたって、全ての補給物資はエ・ランテルを起点として運搬せねばならないのだ。

 

 いつもの戦争ならばよかった。

 これまでのように、エ・ランテルを背中にして襲い来る帝国兵を追い払うだけならば、昨年なり、そのまた一年前なりの前例をもとに、軍隊を維持するのに必要な食料を始めとした資材の量を計ることができた。その時に動員する軍勢の多寡により多少増減はすれども、特段問題はない。それでも毎回煩雑な作業に大騒ぎになるのだが。

 

 だが、今回は違う。

  

 今回の戦争は、帝国領の奥深くまで、それこそ帝国の全てを支配下に収めるための戦いである。

 補給は自国領である近郊のエ・ランテルから直接でよかったこれまでとは違い、軍隊が消費する糧食などのすべてを輸送する必要がある。

 

 エ・ランテルに備蓄されている物資を前線まで輸送するのに、一体どれだけの馬匹(ばひつ)が必要になるのか? そして王国が軍を進め、前線が進んでいくとなると、さらに補給路が延びることになるのだが、その場合どのようにして、補給をまかなうのか? その手配や計算だけでも、これまでとは比べものにならぬほど膨大な手間となり、もはや机上での計算を行うだけでも頭が痛くなるほどであった。

 

 帝国北部までをも攻め落とし、そこを王国の支配地域としたのならば、海運も利用できるのだが、エ・ランテルから北の海まではかなりの距離があり、その間にはいくつもの防備を整えた都市が存在する。それらすべてを攻略し、海岸部まで踏破するのはけっして容易な事ではなく、また一朝一夕に出来る事でもない。

 かと言って、海から帝国領を強襲揚陸出来るほどの海軍戦力もない。

 

 一番いいのは、攻め込んだ帝国領内の町で、適宜(てきぎ)徴発することだが、現況、帝国の流通網は寸断されていると聞く。折よく必要な物資を攻略した街が保有しているとは、けっして確約出来るものではない。

 しかも、それをやった場合、帝国民衆のさらなる反発が予想される。

 

 

 王国軍が帝国に侵攻するにあたって、何よりも優先させねばならない事は、まず戦いに勝利する事である。

 

 謎の巨獣の襲撃によって大きな被害を受け、国家としての統制を失い、かつてほどの戦闘力は発揮できぬとはいえ、バハルス帝国の騎士団はまだ残存しているのだ。

 帝国領に踏み込むという事は、彼らと戦闘になるという事である。

 当然であるが、王国側にとって帝国領は異国の地。全く未知の土地とまではいかないが、その地理を詳しくは知りえない。また、民衆も表立って逆らいはしないかもしれないが、自分たちの国に侵入してきた他国の者達を快く思いはしないだろう。心情的に、帝国騎士の方に味方する事は想像するに難くない。

 

 可能な限り、民衆の反発を抑え、彼らの支持を取り付けておきたい。

 少なくとも、帝国騎士に協力することを控えさせたい。

 略奪や重税は我慢すべきであり、厳に慎むべきである。

 ……とりあえず帝国側の反攻の可能性を完全に排除するまでは――というのが本音であった。

 

 

「今回の帝国侵攻……おっと失礼、帝国征伐には国家としての命運がかかっておるからな。失敗は絶対に許されん。可能な限り、前もって対策を講じておくべきだろう」

 

 年かさのウロヴァーナ辺境伯が頷きつつ言う。

 その言葉に、リットン伯が皮肉気にかみついた。

 

「ええ、まったくですな。今回の帝国征伐は王国にとって存亡のかかった重要なものです。そんな重要な作戦の(かなめ)となるのが遅滞無き兵站運用ですな。であるにもかかわらず、このような時にその補給物資を買い占め、自らの私腹を肥やそうなどという卑劣にして愚か極まりない者など言語道断ですな」

 

 そう言って、自らの髭をしごく。

 その言葉に、王派閥の者達は皆一様に苦い顔をし、貴族派閥の者達は忌々しさを隠すことなく顔に浮かべた。

 両者の態度に違いはあれど、彼らの胸に共通するのは(いきどお)りである。

 

 

 その理由はこの場にいる者を見回せば、すぐに分かる。

 今、このエ・ランテルに集まったのは王国の有力貴族として知られる六大貴族、その内五つの派閥の者達だけである。

 

 

 レエブン侯、ボウロロープ侯、べスペア伯、リットン伯、ウロヴァーナ辺境伯。

 

 

 そう。

 今日、この場には、ブルムラシュー侯が来ていないのであった。

 

 

「ブルムラシュー侯は病気の為、今回の作戦には参加できないのでしたか?」

「そう聞いているな。なんでも急な流行り病だとか」

「なるほど、流行り病か。では、ブルムラシュー候と親交のある者たちは感染に気をつけねばならんぞ。おそらく侯がかかった病は『臆病風』だろうからな」

 

 ボウロロープ侯の飛ばした冗談に貴族派閥、王派閥の区別なく、嘲りの笑い声が上がった。

 

 本来、ブルムラシュー侯は王派閥に属しており、ボウロロープ侯の発言は王派閥を当て擦ったものだったのだが、その王派閥の者達にすらブルムラシュー侯を擁護しようとする者はいなかった。

 

 彼らをして、このただでさえ大変な時に、食料をはじめとした物資の買い占めを行ったのは、()の人物である事は知りえていた。

 しかも、そのような事をやった挙句に、自身は体調を崩したなどとのたまい、その買い占めた物資を持ってくるでもなく、戦争には参加しないのだから。

 おかげで王国内において物資は不足気味となり、食料などは高騰する羽目になっている。

 その結果、今後の作戦にまで影響が出かねない有様である。

 

 とくに深刻なのは下級貴族たちである。彼らは家計的にも十分な予算があるとは言い難い。そんな彼らであるが、自分たちより上に位置する上級貴族たちから命ぜられれば、戦争の為の準備を整えなくてはならない。ただでさえ火の車の中、何とか都合をつけ、物資を工面しようとした矢先に、この六大貴族であるブルムラシュー侯による物資買い占めである。

 想定していた予算ははるかにオーバーしてしまったのだが、かと言って金がないからできませんという訳にもいかず、なんとか借金をして、無理矢理間に合わせたのである。そして彼らが金を借りる先というのは、自らの所属する派閥の上位者にあたる貴族であり、つまるところ六大貴族と呼ばれる彼らは予想外の、多額の金を用意立てする羽目になった。

 

 思わず誰かがギリリと噛みしめた歯ぎしりの音が室内に響いた。

 それほど、ここにいる者達のブルムラシュー侯に対する怒りは深い。

 

 

 だが、それはある意味、好機でもあった。

 

 今回の帝国侵攻作戦は、広大な領地を誇っていた帝国が国家としての統率を欠き、混乱している隙をついた、いわば火事場泥棒的な領土の分捕り競争である。

 共に肩を並べて攻め込みつつも、いかに他の貴族たちより先に有益な地域を確保し、その占領の正当性を宣言するか。それによって、戦後の領土配分に大きな影響を与えるであろう。

 それが王国貴族たちの最大の関心ごとである。

 

 そんな限られたパイの奪い合いから、六大貴族の一つであるブルムラシュー侯が脱落したというのは、またとない機会であった。

 金に汚いと噂の()の侯であるならば、危険な戦闘だけは他の者に行わせ、自分たちは抜け目なく、都市占領の際にだけ出張ってくる事も十分考えられたのだから。

 

 だが、その心配は無くなった。

 ブルムラシュー侯の不参加により、彼の取り分が無くなり、その分自分たちの取り分が増えた事は、他の貴族たちからすれば歓迎すべきことである。

 その為、彼らはこうして公の場でブルムラシュー侯の立場を落とす発言を繰り返すことにより、戦後の()帝国領の分配についてブルムラシュー侯が口を挟んでくることがないよう、物資の買い占めの件で責め、彼の立場を貶めているのである。

 

 すでに貴族たちの大半の者、その頭の中は戦後、どう新たな領地を統治、経営するかの皮算用で一杯であった。

 

 

 

 

 ――そう上手くいけばよいのだがな。

 

 欲望に血をたぎらせ、目を輝かせる貴族たちの顔を見回し、レエブン侯は内心でひとりごちた。

 

 

 弱った国を一息に併呑する。

 領地を増やし、利益を手にする。

 

 今回の件、そんなに簡単な話では済むまい。

 

 

 レエブン侯は王都を出る前の、ラナーとの会談を思い返した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「危ういですね」

 

 黄金と称される現国王の第三王女ラナーは一言で切って捨てた。

 

 

「やはり、そう思いますか?」

 

 紅茶の入ったティーカップを口に運びつつ、渋い顔を浮かべるレエブン侯。

 そんな彼を前にして、クライムの目もない事から、これでもかという程砂糖をドボドボと入れた紅茶をすすりながら、ラナーは答える。

 

「どう考えても悪手ですね。帝国の現状が罠か、そうでないかを置いておくにしても、そこに手を突っ込むのは危ない橋をわざわざ渡る以外の何物でもありません」

 

 そうきっぱり言い切った。

 

 

 現在帝国は謎の巨獣による襲撃を受け、皇帝ジルクニフ以下側近のほぼ全てにいたるまでが壊滅した状態だという。

 精強を誇った騎士団は散り散りになり、かつての戦力は存在しない。

 攻め入れば、それなりの苦労と困難に直面するだろうが、それでも王国側の勝利は揺るがないだろう。

 

 だが、ラナーが警戒しているのは帝国の残存戦力ではない。

 

「やはり、此度の帝国の一件。何者かが絡んでいますか」

「そうとしか考えられませんね」

 

 ラナーが真に警戒しているのは、ここ最近になって現れた、強大な力を保有する謎の存在たちである。

 

 カルネ村を救ったアインズ・ウール・ゴウン。

 その関係者であり、エ・ランテルを牛耳ったギラード商会と関連があるベル。

 

 彼らの動向をラナーは特に気にしていた。

 

「帝国の件も、アインズ・ウール・ゴウンが絡んでいると思いますか?」

 

 その問いにはかぶりを振った。

 

「いえ、それはまだ分かりません。なにぶん判断材料が乏しすぎます。アインズ・ウール・ゴウンの関係者なのか? それとも、逆に敵対する存在なのか? はたまた、それとは無関係の第三者なのか? 何とも言えませんね」

 

 ティーカップの底でどろどろとなった、溶け残りの砂糖をスプーンでかき集めて口の中へと放り込み、舌先でそのじゃりじゃりとした甘みを堪能する。

 

「しかし、少なくともデスナイトなる伝説のアンデッドを多数召喚できるという、その魔法詠唱者(マジック・キャスター)に匹敵するような、世の常識の域外にいる存在と考えて間違いはないでしょう。なにせ、あれだけ繁栄を極めていた帝国の首都をたった一日で滅ぼせるほどの存在を使役するのですから」

 

 ラナーの頭の中では、帝都を滅ぼしたという魔獣が野生のものであるという可能性はすでに排除されていた。

 あくまで伝聞ではあるが、その魔獣は3体同時に帝都の中心部に出現し、帝都を徹底的に破壊しつくしたのち、何処ともなく消え去ったという。

 自然発生したとは考えにくいし、野良の魔獣が偶然帝都を見つけ襲いかかったというのもいささか無理がある。何者かがなんらかの意図をもって、帝都に放ったと考えるのが普通だ。

 

 

 スッとラナーがレエブン侯へ手紙を差し出した。

 

「読んでください」

「これは?」

 

 いぶかしげな表情のレエブン侯に、ラナーは答える。

 

「イビルアイからの書状です」

「イビルアイ殿から? 蒼の薔薇は帝都に行っているのでは?」

「ええ、そうです。でも、イビルアイは転移が出来ますから。まあ、移動できるのは彼女自身のみのようですが」

 

 その答えに、レエブン侯はビクンと身を跳ねさせた。

 

 ――転移!

 そんなものが使えるのか!?

 そんな存在がいたとしたら、物流にせよ通信にせよ、様々なものが根本から覆させられることになる。

 まさか、本当に?

 

 

 そう考えたところで彼は、以前ラナーから、イビルアイの正体は『国堕とし』であると聞かされた事を思い出した。

 

 ――そんな伝説上の存在であるのならば、確かに使えてもおかしくはないな。

 

 そう、自らを納得させ、とにかく差し出された紙束を開いてみる。

 

 

 それを読み進めていくうちに、レエブン侯の顔が見る見るうちに青ざめていく。

 目は零れ落ちそうなほど見開かれ、その手紙があたかも親の仇であるかの如くに、ただひたすら凝視した。歯は食いしばられ、その肩がブルブルと震える。

 

「で、殿下……ここに書かれてある内容は……!」

「調べる(すべ)はありませんが、事実でしょうね。彼女が嘘をつく必要もありませんし」

 

 事もなげに語り、手ずから自分のカップに紅茶を注ぐ。

 ごくりと生唾を飲む、レエブン侯。

 

 

 

 そこに書かれていたのは驚くべき情報。

 

 すなわち、今、この王都には不可視の怪物(モンスター)が大量に潜入している、というもの。

 

 

 

「た、退治はしなかったという事でしょうか。以前、王都に潜入したシャドウデーモンはイビルアイ殿が全て始末したという話でしたが……」

「あまりにも数が多いため、全てを秘密裏に、そして迅速に討伐しつくすことは不可能だそうです。1体2体だけ倒すことは、かえって相手を刺激することになりますから、それは控えてもらいました」

 

 レエブン侯は愕然として、その手紙をテーブルの上に置いた。

 こうしている今も、見張られているのではないかという疑念に囚われ、恐る恐る周囲を見回す。

 

 対して、ラナーは泰然自若たる態度で、砂糖を入れまくった紅茶を口に運んでいる。

 別に彼女が胆力に優れているという訳ではない。

 もとより彼女には組織力もない。

 唯一の戦力といえるのは、友人であるラキュース及び彼女の仲間である蒼の薔薇くらいだったのだが、彼女たちは冒険者としての依頼を受け、帝国に行ってしまった。ラナーがその事を知らされたのは、すでに彼女らが王都を発ってからの事である。もし、最初に相談されていれば、転移で戻ってこられるイビルアイのみを帝国に派遣することを提案することも出来たのだが。

 そして、クライムは並みの兵士よりは強いが、それでも戦力と呼べるほどではない。

 すなわち、ラナーとしては、自らの身を守る者も定かではなく、常に侵食してくる危険、脅威と隣り合わせなのは日常である。すでにそんな状況となっている事に対して、現状で打てる手はないのなら、今慌ててもしょうがない。

 

 

 レエブン侯はすっかり冷えた紅茶を一息に飲み干し、カラカラになったのどを潤した。

 

「不可視の魔物が大量に王都に侵入している件……帝国の件と関係があると思いますか?」

「おそらくはそうでしょうね。直接的か、間接的かまではわかりませんが。以前に王都に潜入しようとしたシャドウデーモンはイビルアイによって退治された。そのイビルアイが王都を離れた途端に再度、それも大量に送り込んできたのですから」

「相手の目的は何でしょうか?」

「一番可能性が高いのは、王国が全軍をあげて帝国領に進軍している間に、王都での影響力を強めようというのではないでしょうか?」

「ふむ、なるほど。仮に此度の侵攻作戦が上手くいき、王国が帝国を併呑したとしても、肝心の王都が裏から支配されていたとしたら……」

「皆の目が帝国に向いている間に、王都に残った文民らを篭絡、脅迫して、自分達の言いなりにしてしまう。気がついた時には王国はその者の操り人形と化してしまうでしょうね。せっかく大国となっても、その利益は陰ながら王国を支配した何者かに吸い取られるという結果になります」

 

 レエブン侯は、なるほどと深く頷いた。

 

「……そう考えると、合点がいきますな。実は私の掴んだ情報によると、ここ最近、王国国内における八本指の活動が鈍化しているようです」

「もしや、その怪物(モンスター)を操る存在は、八本指をも取り込んでいるのやも知れませんね」

「八本指の持つ組織力に、隠密タイプの怪物(モンスター)が掴んだ情報が加わるとなると……これは厄介ですね」

「ええ、ここまで事が進んでいるとなると、もはや防ぐことなど出来はしません。戦争に勝利しようが敗北しようが、王国は蝕まれるでしょうね。その何者かに」

 

 ラナーの言葉に沈痛な表情を浮かべるレエブン侯。

「……何とか理由をつけて、今回の出兵を控えさせましょうか?」

 

 レエブン侯の言葉であるが、それにラナーは首を振った。

 

「いえ、すでにお父様が帝国への侵攻を宣言なさってしまいました。今更、この流れを止めることは出来ません。そうでしょう?」

 

 言葉を返されたレエブン侯は諦観のこもった表情で返した。

 国家というのははずみ車のようなものだ。動かすには大変な労力がいるが、一度動きだしたら、止めることは難しい。

 

「事ここに至っては、可能な限り被害を少なく、そして私たちに良い影響が出るように事を運ぶことを考えるよりほかにありませんね。とりあえずは……」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「陛下、よろしいでしょうか?」

 

 いまだ、喧々諤々と今後の作戦計画についての討議が続く中、レエブン侯は国王ランポッサⅢ世に声をかけた。

 「なんだ?」と問いかける老王。

 あれこれと唾を飛ばして論争していた面々はレエブン侯が何を言うのだろうと、皆、耳をそばだてた。

 

 

「此度の帝国征伐なのですが、私はこのエ・ランテルに残ろうかと思います」

 

 静かに放たれたその言葉は水面の波紋のように、その場にいる貴族たちの間に広がっていった。

 誰しもが耳を疑い、突然、レエブン侯は何を言いだしたのかと、彼の事をまじまじと見た。

 

 

 衆目が集まる中、ランポッサⅢ世に理由を聞かれた彼はその内心を隠したまま、理路整然と答えた。

 

「この場で討議されているように、今回の作戦において、補給こそが非常に重要な案件となります。ですので、私がこの街にとどまり、補給物資の確保や輸送の手配を行うべきと考えます」

 

 確かにそれはもっともな話だ。

 レエブン侯の有能さは誰もが知るところである。

 彼ならば、この難題も見事さばいてみせるだろう。

 

 帝国侵攻において、ここに集う貴族たちの最大の関心事は、帝国の残存勢力との戦闘ではなく、いかに早くかつ広大な地域を己が支配下に置けるかという事だ。その為には進軍する自分の勢力の許に、遅滞なく補給物資が届けられることが重要となる。 

 

 だが、それは敬遠したくなる仕事である

 兵站の管理をするという事は、烈火のごとく進軍する者達を遠目で見ながら、自分は後ろで地味な作業するという事になる。

 すなわち、帝国領の占領に関われなくなるという事である。

 いわば貧乏くじに近い。

 重要ではあるとはいえ、誰もがそれをやりたくはなかった。

 

 そんな仕事をやると自発的に言いだしたレエブン侯の発言は、他の者からすれば願ったりかなったりであった。

 

 だが、そうは言っても、皆の頭の中に浮かんできたのは、では何故、レエブン侯はこんな旨みの無い事を自らやると言い出したのかという事であった。

 

 

 皆の懐疑の視線に晒される中、レエブン侯はさらに言葉をつづけた。

 

「現状において海路が使えぬ以上、王国軍の補給の要となるのはここ、エ・ランテルでございます。もし、万が一、このエ・ランテルに攻撃が仕掛けられ、占拠でもされた場合、帝国領に進軍している王国軍が孤立の憂き目に遭う可能性すらございます。その為、私は自軍と共にこの街にとどまり、防御を固めようと思います」

 

 ――ああ、なるほど。それは実に尤もな懸念だ。

 だがしかし、ただでさえ混乱している帝国軍が、進軍する王国軍を迂回して、エ・ランテルを攻めるなどという事があるだろうか? このエ・ランテルは3重の防壁に囲まれた強固な城塞都市だ。それこそ街の守備兵でも事足りるのではないか?

 

 そんな疑念の声に、レエブン侯は答えた。

 

「ええ、帝国軍が迂回反撃してくる可能性は低いでしょうな」

 

 ――ではなぜ?

 

「敵は帝国だけとは限りますまい」

 

 その言葉に、誰もが身を凍らせた。

 彼らは領土拡張の欲望に胸を躍らせるあまり、大事な事を失念していたのだ。

 ここエ・ランテルは近隣3国の国境にほど近い地である。

 

 

 リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国。

 そしてスレイン法国である。

 

 

 最近動きがなかったとはいえ、()の国をけっして忘れてはいけない。

 むしろ、法国が動くとしたら、今が絶好の機会ともいえる。

 王国軍が帝国に攻め込んでいる間に補給路であるエ・ランテルを落とす。

 もしそんな仮定が現実のものとなったら、王国軍は敵地である帝国領内において孤立することになる。補給が途絶えた状態で、何処から襲ってくるかもわからない、地の利と機動力を有した帝国騎士団に襲われる。

 考えるだに最悪の展開である。

 

 エ・ランテルを奪い返そうと取って返すも、エ・ランテルは城塞都市。

 ある程度の戦力さえあれば、20万を超える王国軍すらも跳ね除けるであろう。

 しかも、攻城戦を行っている間中、背後を帝国軍に狙われ続けるのである。

 さらに言うのならば、そうして何とか取り返したとしても、王国としてはもとより自国の都市であった街を取り返しただけに過ぎず、無駄に戦力をすりつぶしただけという最悪の結果に終わってしまう。

 そんな事になったら、責任を王に問うなどという段階を超えて、国力の低下した王国の命運が尽きてしまう事にもなりかねない。

 

 それを避けるためにも、エ・ランテルは絶対に落とすことの出来ない拠点である。

 

「それと、もう一つ懸念していることがございます」

 

 ――なんと! まだあるのか!?

 

「敵は他国だけとは限りますまい。獅子身中の虫という言葉もございますので」

 

 その言葉には、誰もが再び、侮蔑と不快の表情を浮かべた。

 レエブン侯が直接、口にはせずとも、言外に示したことは推察できた。

 

 

 つまり、病に倒れたためと言い、此度の作戦に参加しなかったブルムラシュー侯の動向を警戒しているのだ。

 すなわち、あの者が王国全軍が遠く異国の地にある内に、おかしな考えを起こすのではないかと。

 

 

 レエブン侯は表向き、貴族派閥に属しているとみなされている。利益の為ならば、どちらの派閥とも手を組むと考えられているが、基本的にはそちら寄りの態度を取っている。

 

 あくまで表向きは。

 彼が実際は国の為、王の為に行動している事を知る者は少ない。

 

 それはさておき、ともかくそんなレエブン侯の今回の提案である。

 ブルムラシュー侯は王派閥の人間だ。

 貴族派閥の者達からすれば、王派閥の者に対する警戒、それも裏切りに対する警戒の為、貴族派閥のレエブン侯が睨みを利かせておくというのは悪い事ではない。

 王派閥の者からすれば、貴族派閥のレエブン侯が王派閥の者対する疑念を公然と口にするのは決して心地の良いものではないが、そもそも戦争に参加しようともしないブルムラシュー侯に対する苛立ちもあり、反論も出来なかった。

 

 そしてなにより、どちらの派閥の者としても、帝国の領土を奪取する競争からブルムラシュー侯に次いでレエブン侯まで脱落するというのは歓迎すべきことであった。

 

 

 レエブン侯の提案に目を細め、黙考していたランポッサⅢ世。

 彼はレエブン侯が、利益の為ならば派閥間を辺り歩く蝙蝠などという汚名を被る事になっても、自分の為に働いてくれている事はよく理解している。

 その為、今回の案も何か考えあっての事だろうと、その提案を了承した。

 

 ランポッサⅢ世が見回すが誰一人として反論する者などいない。

 王が決断した後に反対の意見を言うなど自らの立場を危うくする以外の何物でもないとは分かっていたし、貴族たちは、レエブン侯は敢えて地味な裏方に徹することで、領地の奪取より、貴族社会における自らの発言力の増加を狙ったのだと判断したのだ。

 

 

 

――とにかくこれで、一安心だ。

 

 

 自分の提案が他の者達に疑念すら持たれぬまま通ったことに、レエブン侯は内心、上手くいったと胸を撫で下ろした。

 

 レエブン侯が自軍を可能な限り帝国に進軍させず、エ・ランテルに留め置くべきであるということはラナーとの話し合いで決めたことであった。

 

 

 レエブン侯としてはとにかく、ここエ・ランテルこそが最重要の地であると考えていた。

 戦略的にも兵站の拠点であるし、また先に述べた様に、ここが落とされた場合、帝国領に進軍した王国軍が立ち往生する羽目になりかねない。

 

 

 帝国への進軍に関して、レエブン侯はけっして楽観できないと考えていた。

 

 確かに帝国軍は弱体化している。

 往時のような戦力などは保持していない。

 

 だが、決して侮っていい戦力ではない。

 

 

 真正面から戦えば、現在の王国軍は帝国騎士をも圧倒するだろう。

 だが、それは例年の戦争のように合戦として相見(あいまみ)えたときの話だ。

 

 地の利も民衆の支持も向こうにある。

 帝国側の戦術として考えられるのは、馬鹿正直に正面から当たらず、待ち伏せしたうえでの機動力を生かした蜂の一刺しのような一撃離脱であろう。

 

 帝国側としては数に勝る王国軍を殲滅する必要もなく、指揮系統を混乱させ、一突きして混乱させてやればいいのだ。ただでさえ、職業軍人が圧倒的に少なく、ほとんどが徴兵によって集められた王国軍は、一度算を乱したら統制を再び取り戻すことは不可能に近い。烏合の衆と化し、我先に逃げ出すだろう。それだけで王国軍は瓦解する。

 そうなった場合、敵地において敗走する王国軍の運命は想像するに難くない。

 

 

 それを考えると、今の帝国側としては、出来るだけ即座に撃退するのを避け、王国軍を帝国領の奥深くまで引きつけようとするだろう。その理由は、王国側の補給路の引き延ばしを狙ってである。一時的に帝国の領土を占領されようとも、それにより兵站はどんどん伸び、王国軍の密度はどんどん薄くなる。

 その上で機動力を生かし、兵站線への攻撃によって継戦能力を減らし、指揮を混乱させる事により統制を失わせ、各個撃破によって敵を撃退する。

 

 それが予想される帝国側の戦略だ。

 

 

 ましてや、王国の敵は帝国の騎士団だけではない。

 現在、かの地において跳梁跋扈しているビーストマンどももいるのだ。

 

 ビーストマンの前では帝国兵も王国兵も関係ない。

 どちらも人間でしかなく、彼らにとっては食料に過ぎない。

 

 下手に帝国領内で長期の活動をすることになれば、度重なるビーストマンの襲撃を受けることになり、王国兵は疲弊していくことになる。

 その士気は見る見るうちに減少していくことだろう。

 しかも、当然のことながら、先行する王国軍に補給物資を運ぶ輜重隊にも被害が出る事は予想出来る。

 ますます以って進軍は困難となり、帝国の領土を奪う事並びに奪った土地の支配を維持することは困難となるだろう。

 

 そうして王国軍が敗走してきた場合、彼らを受け入れ、かつ追撃してくるかもしれない帝国軍やビーストマン達を撃退するのに、やはりこの城塞都市エ・ランテルが重要となる。

 

 

 そして、そんな目に見える脅威などより、もっとも警戒せねばならないのは、帝都に謎の巨獣をけしかけた存在だ。

 今、下手に帝国に侵入しようものなら、帝都を滅ぼしたという魔獣の牙がこちら、王国軍に向けられる恐れすらある。

 もし仮にそんな事態になったのならば、それは戦いにすらならない事は容易く想像できる。

 王国の兵力は為す術もなくすりつぶされることになるだろう。

 

 

 そんな正体不明かつ強大な力を振るえる謎の存在に対し、いったい何処が安全だろうかと考えたとき、おそらくそれはこのエ・ランテル以外にありえないというのがラナーの考えであった。

 

 

 ここエ・ランテルはギラード商会の支配下にある。そして、そのギラード商会にはカルネ村を救った、デスナイトとかいう桁外れの存在を召喚できるほどの魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズ・ウール・ゴウンの関係者とみられるベルがいるのだ。

 つまり、この地はアインズ・ウール・ゴウンの懐の内といえる。

 

 もし帝国に魔獣を放ったり、王国にシャドウデーモンを忍ばせた者がアインズ・ウール・ゴウン側の者だったとするならば、同じアインズ・ウール・ゴウンに組すると思われるベルなる人物の関与が明確な組織、ギラード商会の存在するエ・ランテルは安全であろう。

 

 逆にそれを行った者がアインズ・ウール・ゴウンに直接は関係のない者だったとしても、アインズ・ウール・ゴウンと関係が深いと目される組織の拠点たるエ・ランテルに攻撃を仕掛けるという事は、()魔法詠唱者(マジック・キャスター)に対する敵対行為という事になる。そのため、よほどの覚悟を決めた決戦でも起こらない限り、やはりエ・ランテルは安全であろうと思われる。

 

 

 すなわち、レエブン侯が自分の軍勢をエ・ランテルに駐留させておくという事は、彼らは魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンの傘により、その安全が確保されるという事である。

 

 

 ――これで自分がここに長期滞在する理由は作ることが出来た。

 

 

 レエブン侯は、これから自分のやるべきことを頭の中に並べあげ、秘かに唾を飲み込んだ。

 

 レエブン侯としては、自分がエ・ランテルにいる間に、どうにかしてギラード商会と接触を図るつもりである。多少強引な手を使ってでも構わない。とにかく一刻でも早く、この地に現れた条理を超えた存在らに対する糸口を捜したい。

 そして現段階において、そんな存在へのつながりがある組織として、唯一、所在がはっきりしているのは、エ・ランテルのギラード商会だけである。

 レエブン侯としては、なんとしても、この組織に渡りをつけ、関係者であるであろうベル、そして謎の存在であるアインズ・ウール・ゴウン本人と繋ぎを取りたかった。

 それこそが王国が生き残る唯一の道と考えた。

 

 一方、協力者であるラナーはというと王都に残っている。

 シャドウデーモンを操っている者達が行動を起こすとしたら、王国が帝国領に軍を進めてからだ。王都が空になった隙に暗躍しだすであろう、その何者かと彼女はいち早く接触をとるつもりである。友好を結ぶか、それとも敵対するかは、エ・ランテルのレエブン侯と連絡を取り合い、どちらにつくのがいいかを決めるつもりである。

 その為に、王都に残してきたレエブン侯の側近たちには可能な限りラナーに協力するよう言い含めてあるし、彼のお抱えの引退した元オリハルコン級冒険者たちにもラナーの指示で動くよう命じてある。

 もし、万が一、その接触がうまくいかなかった場合は、彼らの手引きで王都を離れ、彼女もまたエ・ランテルに避難する手はずとなっている。

 

 

 ――今のうちに何とかせねば。

 後で王には事情を説明しておこう。ラナー殿下の推察も含めてお伝えし、あまり先陣をきって帝国内に踏み込まず、貴族派閥の者たちを先に行かせるように進言しよう。

 それとガゼフ殿にも同席してもらおう。事は緊急を要するかもしれない。いざというとき、私が貴族派閥であると思われていると意思の疎通に齟齬が生まれるやも知れぬ。ガゼフ殿には王国貴族の内情を知ってもらおう。いい加減、いつまでも自分は王の剣だからなどと言って、貴族の勢力争いに我関せずの態度を取られていても困る。

 それにガゼフ殿はアインズ・ウール・ゴウンと接触した数少ない人物。

 直接話を聞いてみたい。

 そうだ。どうせ、エ・ランテルに留まるのならば、()魔法詠唱者(マジック・キャスター)が現れたカルネ村をもう一度調べてみてもいいな。たしか、ここから歩いて一日くらいの距離のはず。馬を使えば、日のある内に往復も出来るだろう。何なら、自分が直接出向いてもいい。

 時間は限られている。

 だが、考えうる限り、出来る限りの事は行い、手を打っておかねばならない。

 王国のために。

 帰りを待つ妻と愛らしい息子の為に。

 

 

 

 そうしたレエブン侯、並びにラナーの判断は正しい。

 彼らの判断や行動――何とかして、アインズやベルと接触を図ること――こそ、彼らが生き残る最良の判断といえる。

 

 だが、惜しむらくは――そんな彼らの判断も、もはや遅きに失したという事なのだが。

 

 

 

 その時、部屋の外から騒ぎが聞こえてきた。何やら、大声で問答する声が室内まで届く。

 いったい何事だと扉の方へ目を向けると、一人の兵士が室内に駆け込んできた。

 

 王並びに貴族の前で取るべき態度ではなく、無礼千万にして、その場において懲罰が下されてもおかしくはない行為であったのだが、その伝令の男のひどく慌てた様子に、いったい何事かと誰もが押し黙った。

 そして、皆の前で汗みずくとなった男は手にした紙片を目の前にかかげ、それを読み上げた。

 

 

「ほ、報告! 王都においてクーデター発生! 首謀者はコッコドールと名乗る男。自らを真のリ・エスティーゼ王国の王の血筋を引く者と称し、王都に於いて反乱を起こしました。オークやトロールなどの亜人を交えた戦力を率い、すでに王城は占拠された模様!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その一報はその場に絶大なる衝撃をもたらした。 

 誰もが凍りつき、身じろぎ一つ出来なかった。

 

 

 そうしたまま、一体どれほどの時が経ったか。

 やがて貴族たちはようやく我を取り戻した。そしてその場は上を下への大騒ぎとなった。

 

 誰もが大驚失色(たいきょうしっしょく)し、文字通り口から泡を吹き、ひっくり返る者まで出る始末。

 

 そして彼らは慌てふためきつつも、行動を開始した。

 ここエ・ランテルに待機している兵力のうち、貴族お抱えである機動力のある騎兵を先頭に、とにかく一刻も早く王都へ戻ろうとしたのだ。

 もはや帝国に攻め入るどころではない。

 彼らの頭の中には、この王国の今後を決める重大な局面において、王都で反乱を起こしたなどという愚か者を誅伐(ちゅうばつ)することしか頭になかった。

 

 

 だが、そんな彼らの激憤に任せた行動であったのだが、それはすぐに頓挫することとなった。

 

 王都に向かおうと軍を率いてエ・ランテルを出立した途端、どこからともなく現れた、謎のアンデッドの群れに襲われたのだ。

 数こそ多くはないが、見た事もないような禍々しい死の騎士や厭らしい黄色い膿にも似た霧をまとわせた骨だけの馬など、桁外れの強さを持つアンデッドたちの集団であった。

 それらに襲撃され、王国軍は反撃すらろくにできぬまま、瞬く間に蹴散らされた。

 そして、今出てきたばかりのエ・ランテルの城門へと、とんぼ返りして逃げ込む羽目になってしまったのだ。

 

 幸いにして、撤退の判断が早かったためと、前衛に位置していたのは機動力のある騎兵であったため、被害も軽微なうちに城壁の内側へ避難することが出来たのだが、エ・ランテルの巨大な門の前には逃げる兵士を追い、押し寄せてきたそのアンデッドらがそのままたむろ(・・・)することとなり、そこから出る事は叶わなくなってしまった。

 

 そして、アンデッドが出現したのは王国軍が出て行き、撃退されて逃げ戻ってきた北西門にとどまらなかった。

 一体どういう訳か、エ・ランテルに3つある城門、その全ての箇所において同様のアンデッドたちが出現したのだ。

 

 

 それにより、エ・ランテル内に留まる王国軍は窮地に立たされた。

 都市内にいる王国軍は20万を超える軍勢である。だが、エ・ランテルは強固な城壁に囲まれた城塞都市であり、その出入り口は3つある巨大な門に限られる。

 つまりはその3カ所を抑えられるという事はエ・ランテルからの出入りを封じられるという事である。

 

 門は巨大ではあるのだが、それでもせいぜい10名程度の兵士が横に並んで通れるほどの幅しかない。

 そこを抑えられてしまえば、如何な大軍を擁しようと、その数を生かすことは出来ない。まず門を抜けられねば展開も布陣も出来ない。

 

 ましてやアンデッドは疲労も睡眠も必要としない。

 数に任せた波状攻撃も効かず、油断した隙をつくことすら出来ないのだ。

 

 

 

 それを受けて、再び王国の貴族たちは貴賓館へと立ち戻り、現状を打破するための方針を討議した。

 

「とにかく、このまま門を抑えられていては街を出ることすら出来ん。従軍させている魔法詠唱者(マジック・キャスター)を使って〈伝言(メッセージ)〉などで外と連絡を取るべきだ。領地から多くの兵を動員しているとはいえ、そこには守備兵を残してある。そいつらをかき集めてエ・ランテルに救援に来させよう。そうだ。冒険者も動かそうではないか。国家間の争いではなく、アンデッドが相手ならば、奴らとて拒抗(きょこう)は出来まい。とにかく、軍勢をエ・ランテル近郊に呼び寄せて、門前のアンデッドどもを引き離すのだ。奴らが援軍につられてそこから動けば、都市内に閉じ込められている全軍を展開できる。そうすれば、あのアンデッドたちも討伐できるやも知れぬ」

 

 そんなボウロロープ侯の言葉を受け、伝令が自軍の魔法詠唱者(マジック・キャスター)並びにエ・ランテルの冒険者ギルドや魔術師ギルドに駆けていく。

 

 それを見送る貴族たちの顔には一様に安堵の色が見て取れた。

 この突然の状況の中、多くの者が対策も考えられずに、ただ呆然自失のままでいるしかなかったからだ。

 

 だが、光明は見えた。

 時間はかかるかもしれないが、各地から援軍がやってくるまで、待っていればいい。そうすれば、アンデッドたちを挟み撃ちに出来る。

 ボウロロープ侯の言葉通り、アンデッドたちが援軍に反応し、迎撃の態勢をとったのならば、その隙に王国軍は都市を出て、布陣できる。20万の軍勢をいちどきに操れるのならば、いかに強くともアンデッドの討伐も可能かもしれないし、仮に撤退することになっても、一度、都市を出てさえすれば、そのまま自分たちの領地に逃げ帰ることが出来る。

 逆にアンデッドたちがあくまで自分たちを狙う気で門前を動かないのならば、新たな援軍に対して無防備な状態をさらすという事である。それならそれで、そのまま少しずつ戦力を減らし続けていけばいい。

 

 そう、自分たちのやることは援軍を待つことだ。

 それまで自分たちはここで籠城していればいいのだ。

 

 

 皆の目にようやく生気が戻った。

 

「ふむ。ところで援軍が来るまで、このまま待たねばならぬな。兵士たちの食料は大丈夫か?」

「何を言っとる。我らは長期の遠征をする為に、この街に集まっていたのだぞ。食糧庫には全軍を数か月は食わせるだけの糧食が保管してあるわ」

「しかし、このエ・ランテルには兵士たちだけではなく、民衆もいるのだぞ。彼らにも食わせてやらねば、暴動が起きかねん」

「そんなもの、兵士たちに蹴散らさせればいいだろう」

「阿呆か。こっちに籠城しているというのに、都市内で、人間同士で諍いを起こしてどうする」

「では、とりあえず食糧庫に保管してある食料の数を確認させましょう。兵士たちだけではなく、民衆にも分け与えたとしたら、どれだけの期間の分があるか。兵士たちだけならば、どれくらい持つか。それが分からぬうちに言い争いをしても始まりますまい」

 

 

 その言葉を受け、一部隊が食糧庫へと赴いた。

 厳重に錠を施された扉を開け、内部へ〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の光を投げかける。

 

 

 そこで彼らは見た。

 食糧庫内に大量に備蓄された糧食。

 そのはるか高く、そして見渡す限りに積み上げられた袋の山に、みっしりと集る黒光りする存在を。

 

 

 そこにいたのは、それこそ大きさも小さいものから1メートルを超えるものまでの、数え切れないほどのジャイアント・コックローチの群であった。

 

 

「うわあぁぁぁー! あ、あああぁぁぁ!!」

 

 それを目撃した彼らは2度絶叫した。

 

 

 1度目は、そのあまりの悍ましさに。

 そして2度目は、その意味を理解して。

 

 

「しょ、食料が……食料がない……!?」

 

 

 

 敵からの攻撃を防ぐ強固な城壁は一転、自分たちをけっして逃すことない檻と化した。

 

 王国軍22万、そしてそこに住まう民衆たちは、食料の備蓄もないエ・ランテルに閉じ込められることとなった。

 

 




 やったね。コッコドール。
 王様だよ。
 凄い。大出世。

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