きちんと計画を立てる大切さがよくわかります
――そして、私は観測する。
アリーナの空間をコピーした結界内で、紫の悪魔と黒の暗殺者が死闘を繰り広げる。
戦闘が始まってすでに1時間。強制終了があるアリーナはもちろん、モラトリアム七日目に行われる決戦でもここまで長引くことはないだろう。
それほどに彼らの実力は拮抗しているのだ。
そんな状況でも、悪魔の顔から笑みが崩れることはない。
「ようやく10種類ですか……
ここまでくると相手も宝具を出し渋ってきますねぇ」
全身傷だらけで、血で汚れていない部分を探す方が難しいほど満身創痍のキャスターの独り言。
それに対して脳内に容赦ない言葉が響く。
『なら、そのまま殺せばいい。
わざわざ決戦まで生かしておく理由はないわ』
『そうしたいのは山々ですが、ワタクシも結構限界が来てまして、ぶっちゃけもう倒れて寝たいぐらいです』
『心配しなくてもあともう少しで時間切れだ』
『……と、いうことは、魔力が尽き掛けてるわけですか?』
『そういうことだ』
本来この憑依術式は並のウィザードの魔力では憑依を維持することすら不可能で、おそらく現時点で生き残っているウィザードでも数分も維持できないほど魔力消費が激しい。
逆に言えば、それほどまでにサラの魔力は規格外であると言えるのだが……
サラ自身この
それを、本来の一割未満の魔力生成と急造の肉体でここまで戦闘を行えたのは奇跡だった。
『まあ、これぐらい戦闘が長引いてもどうにかなる概算があったから踏み切ったわけだが』
『ワタクシのテクスチャで誤魔化すのもそろそろ限界ですかねぇ。もう内側はノイズだらけですよ。
テクスチャ戻してもいいです?』
『テクスチャ戻したら私の声と見た目になるってことわかって言ってるのか?
私の姿でその変態じみた行動をしようものなら内部からぶっ殺すわよ』
『きひひひ、怖い怖い。一応ワタクシ悪魔ですので肉体の持ち主になりすますのは得意なんですが、今は自重しましょうか。
皮肉にも、ノイズだらけになったおかげで概念礼装の痛みが麻痺してきてるのでもう少しは頑張れるでしょうし』
なにはともあれ、全18種ある宝具の内10種は封じることができた。なかでも条件が満たされると防御手段がないと言ってもいい妄想毒身と空想電脳を封じることができたのは大きい。
『それから、できれば妄想心音も対抗手段が用意できている今のうちに潰しておきたいな』
『ええ、わかってますよ。その準備を行ったのは何を隠そうワタクシ自身ですからねぇ』
ところで、とキャスターは相手がまだこちらの様子を伺うだけで仕掛けてこないことを確認しつつ脳内での会話を続ける。
『この術式、あのライダーのマスターに託したほうが確実だったのでは?
あれもサイバーゴーストなのでしょう? この術式に必要な魔力は十分引き出せると思うんですが?』
『あいつは……いや、何でもない。
この戦闘はやつあたりも兼ねてるんだ。
そのついでに面倒な役回りを担当しただけよ』
『……アナログなパスを繋いだ影響であのマスターに関する何かが
それはそれとして、本当にそれだけですかぁ?』
『…………ちっ』
キャスターの問いに舌打ちが返ってくる。念話で舌打ちなど聞こえないはずだから、わざわざ声に出したのだろう。そのことが面白くてたまらないと言わんばかりにキャスターの表情が不気味に歪む。
『あいつは自分のことがわかってないようだが、心はもう壊れる寸前だ。それはあいつに協力し始めて早々に理解した。
記憶喪失の状態でこんな敵しかいない戦場にいるんだからな。
安心して背中を預けられるのがライダー一人だけなんて、むしろ発狂せずにいられるのが奇跡に近い。
敵にも手を差し伸べようとしたのは無意識に信頼できる関係を増やそうとしたからだろう。
『…………』
その『安心できる相手』というものにサラも含まれていたのでは、と言いかけた道化師はそっと心の中に仕舞い込んだ。
『そしてダメ押しのように協力者の……ラニ=Ⅷの死はマズかった。
しかも殺したのがあのユリウス・ベルキスク・ハーウェイだ。恨むには御誂え向きな見た目と性格だから、あいつはもう止まらない。
仇を打つなんて大義名分が付与された憎悪は間違いなくあいつ自身を蝕み、そして仇を討つと同時に燃え尽きる。
もしそれがわかったとしても、一度憎悪を燃やし始めた人間はそんな簡単には感情を抑えられない。
なら代わりに、決戦での戦闘が拍子抜けするレベルまで相手を弱体化させて、憎悪に身を焼かれる期間を少しでも短くさせるしかないんだ。
……ほんと、昔の自分を見てるようで頭が痛いよ。
でもだからこそ、今この状況であいつを救えるのは似た境遇を辿った私しかいない。
それに私はもう死に体だから、その役回りにもってこいなのよ』
諦めたようにサラは胸の内に秘めていた言葉をすべて吐き出す。
その思いを道化師はいつものように茶化すことはなく、黙って聞き手に徹していた。
「……しっかりと理由があるじゃないですかぁ、にひひ」
そして、今までのようにあざ笑うのとはまた別の笑みを浮かべたかと思えばまたいつもの表情に戻り、身の丈ほどある巨大なはさみを握り直す。
「では、参りましょうかぁぁぁっ!!」
笑みは崩さず、狂気を隠す気のない声を発し、そして疲れを感じさせない俊敏な動きでアサシンに迫る。
魔力残量とキャスターの持つ概念礼装のせいでむやみに宝具を使えないアサシンは対抗手段が投擲剣しかない。その投擲剣でさえストックがなくなりつつあり、本来の使い方をして闇雲に消費することができない状況だ。
それでも、アサシンが逃げ腰になることはない。むしろ懐に潜り込む勢いで接近する。
もはや何度目になるかわからない激しいインファイトによって、さらに両者の身体に傷が増えていく。
ユリウスが消費アイテムで、キャスターは自分自身でコードキャストを使って治癒しているが、それでも蓄積されたダメージが完全に癒えるわけではない。
このままでは、いつかは決着がつくとしても決戦日に深刻なダメージが残っている可能性が高い。
そう判断したユリウスはお互いの身を削る接近戦から一時撤退したアサシンと目配せしたのち、決着をつけるべく枯渇気味の魔力を絞り上げていく。
「陽炎に惑え――」
集めた魔力は右目へと収束していき、新たな御業をその身をもって再現する。
「
開かれた右目は琥珀色に輝き、対象を視界に収め、次の瞬間――。
「なんと!?」
『姿が消えた、だとっ!?』
動揺を隠せず周囲を見渡すキャスター。見た目はアリーナの一画であるが、ここは結界の中だ。通路があるように見えても結界より外にでることはできない。
だというのに、アサシンの姿が忽然と消えてしまった。
『気配遮断スキルですかねぇ?』
『あれは暗殺用に使うスキルだから、こうして戦闘が始まってしまえばランクは下がるはずだ。
今この状況で姿が見えないほど適応されるとは思えないわ』
『ならば霊体化……はもっとありえませんねぇ。
キャスターであるワタクシが、自分の陣地内で霊体化したサーヴァントを見失うわけありませんし』
『となれば……』
「っ、そぉれ!」
何かを察知したキャスターが振り向きざまに懐から取り出した懐中時計型の爆弾を投げる。
生身の人間であればただでは済まない爆風が何もない空間を叩いた。客観的に見ればそうなのだが、キャスターの中では僅かながら手ごたえを感じたらしく、ある種の確信をもって告げる。
『姿が見えませんが、間違いなく実体化した状態でどこかに潜んでいるようですね。
透明化の宝具でしょうか?』
『私が調べた中にそんな効果の「ザバーニーヤ」は見当たらなかった。
……ここにきて正体のわからなかった3つのうちの1つが使われたと考えるべきか。
参ったわね』
ひとまず即死系の業でないことは確かだが、見えないというのはそれだけで非常に強力だ。他の宝具と併用されると回避が難しくなる。
『キャスター、お前の宝具は発動時に爆弾を空間に設置するものだろう?
それで炙り出せないかしら?』
『やりたいのは山々なんですが、もうそんな大規模な宝具打てるほど魔力が残ってませんよ』
『なら今ある爆弾使って煙幕を張れ。
姿が見えなくても煙の揺らぎで位置がわかるわ』
「おお、それはいい考えですねェェェェっ!!」
言うが早く身体のいたるところに忍ばせていた懐中時計型の爆弾を周囲にばら撒き、その全てを爆発させる。
爆発力より煙幕としての機能を付与でもしたのか、巻き上がった煙は逃げ場のない結界内に瞬く間に充満していく。
無駄とわかっていながらも、立ち込む煙を煩わしそうに腕で払うユリウス。それにより空気の流れが変わって不自然に周囲の煙が揺らめく。
「……煙幕でこちらの動きを察知するつもりか。考えたな」
だが、とユリウスは続けながら腕を軽くあげる。この空間のどこかに潜む暗殺者へ向けて。
「アサシンの宝具の前では無力だ」
「苦悶よ溢せ――」
ユリウスの魔力がさらに消費され、彼の顔が一瞬だけ曇るも、相手に悟られまいとすぐにいつもの無表情へと戻す。
「――
「っ!」
そして展開される暗殺者の御業。
サラが懸念していた、姿を隠した状態で繰り出される一撃必殺の業にキャスターは駆け出す。
「んー、この肌にピリピリくる感じ。たぶんこれ、あの心臓握りつぶすやつでしょうか……ねぇっ!」
突如声を詰まらせながらキャスターは骨がないかのようなグニャリとした動きで伏せる。そのわずかに上を何かが通り過ぎ、漂っていた煙が風圧によって揺らめいた。
『どうします? さすがに見えてない状態で礼装振るうのは危険だと思うんですが、準備した対抗手段がちゃんと機能することを信じて捨て身でやってみます?』
一度でも振られれば死が確定する毒手を、視覚以外の感覚を総動員してのらりくらりと避け続けるキャスターの提案に、サラは難色を示すのみ。
『今の状態だと闇雲に振っても当てられないのは目に見えている。たしかにわざと触れられた瞬間に振るえればそれが確実だ。
だが調べた限り、妄想心音は触れた相手の心臓の複製をつくり、それを握りつぶす宝具。
つまり、触れてから一度距離をとって心臓を作られる、なんて方法を取られたら成す術がないわ』
『だからそのリスクを軽減するための対抗手段を講じたわけでしょう?』
『あれはそこまで万能なものじゃないのはお前もわかっているだろう。
それならいっそ、煙の揺らぎから予測して振った方がまだ……』
ため息が聞こえてきそうな声色で脳内でぼやいていた言葉が急に詰まる。
『どうしました?』
『キャスター、お前この煙が
『……そういえば、これだけ周りを見ているのにすでに通り過ぎて煙が揺らいでいる場所は見ましたが、揺らぎ始める瞬間は見てませんね。
いやー不思議不思議!』
『もしかして、姿を消してるんじゃなく私たちの方がアサシンを捉えられてないだけじゃないか?』
『と、いいますと?』
『私たちが意識を向けていないところを動くことのできる宝具、もしくは自分がいる場所を相手が意識を向けないようにさせる宝具、ということだ』
『……それはまた面白い発想で』
茶化しながらも道化師でその可能性があり得るかどうかを黙考する。明確な否定をしないということは、その可能性を否定しきれないという事なのだろう。
『だが不幸中の幸いだ。姿を消しているんじゃなくただの目くらましなら私の魔術の分野で対抗できる。
今の私のリソースには私の工房が混じってるから、コードキャストを作成することは可能だしな。
ということでキャスター、時間を稼ぎなさい』
『ひょっ!? 今から対策用の術式をつくるおつもりで!?
というか、それ身体を構築するリソース少しもってかれて身体が脆くなると思うんですが?
魔力がもう底を尽きかけて防壁を張る余裕もないこの状況でそれをやるつもりですか?』
『リソースはともかく魔力なら絞り出せる。
私の残り少ない寿命を燃やせば、ね』
もちろん、普通のウィザードではそんな芸当できるわけがない。たとえ規格外の魔力生成能力を持つサラであっても、不足した魔力を寿命を削ることで補うなんてことは不可能だ。
そんなことをしようとすれば、地上で眠る肉体の脳が焼け切れてしまう。
なのに可能であるということは……
『……いえ、貴女がそう言うのであればワタクシがとやかくいうのは野暮というもの』
何か言いたげなキャスターだが、今回ばかりはその軽い口を開くのを自重する。
「サーヴァントはサーヴァントらしく、マスターの指示に従うとしましょうかぁぁっ!!」
奇声と共にキャスターの身体から魔力がバチバチと音を立てて漏れ出る。それはさながら回路がショートを起こしているかのようだ。
つまり、それだけ無茶な魔力の生成と消費を行っているということ。
だがキャスターはためらわない。
肉体のリソースが不足している状況であるため宝具の使用は控える必要があるが、マスターの指示を命がけで遂行するサーヴァントとして、それ以外に使えるものはすべて使っていく。
「……ちっ、面倒な」
両手に巨大なハサミと概念礼装を携えて跳ねる狂った悪魔を見て、ユリウスは警戒を強めた。
これまで数えきれないほどの死を見てきたゆえに、死にかけの人間の往生際の悪さはよく知っている。
「アサシン、妄想心音は一度収めて持久戦に持ち込め。
放っておけばじきに自滅する」
「承知した」
マスターであってもアサシンを視覚で捉えることはできないが、すぐ近くで彼女の声が聞こえたのち魔力の消費スピードが比較的緩やかになる。
それでも宝具を一つ使用中であることには変わりなく、気を張っていなければその場に倒れ込んでいることだろう。
「……まあいい、あいつからは『いいもの』をもらっている。これぐらいの遊びになら最期まで付き合ってやるさ」
静かに息を整えたユリウスの目の前で、キャスターは結界内を縦横無尽に駆け巡る。しかしただ闇雲に動いているわけではない。
ゆらめく煙から相手の動きを予測し、見えないはずのアサシンを少しずつ追い詰めている。
時折風を切る音と共に数回に一回は肉に刃物が突き刺さる水っぽい音を発しているというのに、狂人の奇声が止む様子はない。
『いつつ……そろそろ5分は立つかと思いますが、進捗はいかがです?』
『ああ、準備は済んだ。
あとはメイガス紛いの私じゃなく、お前が手を加えれば完成よ?』
『ひょっ!?』
『出来ないとは言わせないぞ? なんたってお前の正体はファウストに作られ、その助手を務めていたホムンクルスなんだからな。
ここまでお膳立てして主人の願いを叶えられないなんて悪魔失格よね?』
なんとも陳腐な煽り。脳内の会話でなければ、おそらくサラも自分の言葉に思わず吹き出してしまっていたことだろう。
だが自分の身体を操っている悪魔にはこれで十分。そう彼女は確信していた。
「きひっ、きひひひひひひひひひひひっ!! ええ、いいでしょう!
大見えを切っておいて最後はワタクシに丸投げなんて愚かな選択をした愉快なマスターに免じ、悪魔としてのプライドで全身全霊を込めてその願いを叶えましょう!」
両手に握っていた得物を収め、素手になった両手を左右に薙ぐ。それにつられて展開された無数のキーボードはウィザードがコードキャストを作成する際に使うコンソールだ。
それをピアノでも弾くかのように高速でタイプしていくキャスター。
その光景に一瞬戸惑うユリウスたちだが、キャスターがウィザードとしての力も使えることを思い出し即座に追撃にかかる。
「ヒヒヒヒッ!! では、第二部『復活と逆襲』のフィナーレと参りましょうかぁ!」
景気よくエンターキーに該当するキーを叩いた直後、キャスターの左目が淡く光を帯びる。
「なら早々に幕を引かせてやろう!」
正面からではなく、側面に回り込んで投擲剣を4本放つ。宝具の影響でアサシン同様不可視となったその凶器がキャスターのこめかみに吸い込まれるように迫る。
見えているならまだしも、見えないものをこの状況で避けることは――
「あらよっと」
「なん……っ!?」
ぐにゃっと、背中を反ることで難なく避けた。それだけではない。首は投擲剣の飛んできた方向へ向けられ、その目の焦点は明らかにアサシンの姿を捉えている。
ハッタリではない。なぜなら、両者の目が合ったと思った瞬間、紫の悪魔の表情が気持ち悪いほど満面の笑みを浮かべたからだ。
「みぃぃぃぃぃぃぃつぅぅぅぅぅぅぅけまぁぁぁぁぁぁしたよぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「っ! っ!!」
どこからそんな声が出てくるのか、B級ホラーのような雄叫びを挙げて四つん這いでアサシンに迫る。
あまりのおぞましさにアサシンは思考を一瞬停止差せてしまったのが運の尽きか。
回避よりも迎撃を選択してしまったことで、それを掻い潜ってきたキャスターが懐に潜り込んだ。
苦虫を噛み潰したように眉をひそめるアサシンと、口が裂けたのかと見間違うほどの笑みを浮かべたキャスター。
両者の距離はもう鼻が尽きそうなほど超至近距離。
数秒前の自分の判断を呪ったアサシンは回避は間に合わないと瞬時に理解し、ほとんどやけくそではあるが投擲剣を振り下ろす。
「………………」
その光景を見たキャスターは、瞬きほどの刹那の間だが無表情になって何か思考を巡らせた。
お互い回避は不可能な距離。両者ともこのままいけば差し違えるのは間違いないだろう。
「……仕方ありませんねぇ」
そのときのキャスターの表情は、この聖杯戦争が始まって初めてのものだった。
いったい彼の頭の中でどんな考えがよぎったのか。それを知るものはキャスター以外にこの場の誰も知る由も無い。
そうこうしているうちにアサシンの一撃が眼前へと迫る。それを、再び軟体動物のような動きでキャスターは側面へと回避する。
そして背後へ回り、その手に握るハサミをアサシンへ向けて振り下ろす。
回避は間に合わない。確実な勝利を得るためのこの行動は、一騎打ちの場面であれば完璧であっただろう。
が、キャスターは失念していた。
「っ、ぐっ!?」
この場には敵が二人いたということを。
「スタン系の、コードキャスト……ですか!」
紫を基調とした極彩色の装飾に身を包んだ、装飾華美な奇人の動きが鈍る。
もしマスターとサーヴァントが別々であれば、ここでキャスターの援護をしつつ回復させることも可能であっただろう。
しかし今のキャスターはマスターでありサーヴァント。自身がスタンしてしまえば援護も回復も行うことができない。
ここにきて融合したことによる致命的な弱点が露見し、キャスターに少しづつ傾いていた盤面が一瞬でにひっくり返されてしまった。
なんとかコードを紡ごうと左手の指先を動かすキャスターだが、目の前の暗殺者がそれを許さない。左手を踏みつけ、右手に握られた悪趣味なハサミを蹴り飛ばす。
「苦悶を溢せ――」
そして身体をひねり、相手に背中を見せるアサシン。相手に隙を見せるにも等しい愚行であるが、この瞬間に限りその行動は相手を屠るための準備へと意味が変化する。
「
彼女の細くしなやかで女性らしい背中から現れる、異様に長く禍々しい左腕。数多の英霊を葬り去ってきた必殺の毒手が、偽物の悪魔の身体へとまっすぐに伸びる。
回避は不可能。唯一の対抗策であるはずの概念礼装も、動けないこの状況では取り出すことすらできない。
まさに絶体絶命。
成すすべなく、伸びてくる左腕はキャスターの身体に静かに触れた。
間もなくしてその左手に握られた肉の塊。
ドクッ……ドクッ……と規則的な動きをするそれは、呪術によって複製されたキャスターの……いやサラ・コルナ・ライプニッツの心臓だ。
それが、容赦なく握りつぶされる。
「――――」
キャスターの肉体が小さく痙攣する。
「愚かな。差し違える覚悟でくればおそらく一矢報いれたものを。
最後の最後で死ぬのが怖くなったか。そのせいで結局死ぬことになるとは、なんとも無様だな」
小柄な男はため息をこぼす。
妄想心音の威力は今に至るまでに嫌というほど目の当たりにしている。
この宝具を防ぐ手立ては存在しない。あの左手に握りつぶされた仮初の心臓は呪いとなり、本物の心臓を破壊する。
「――きひっ!」
「なっ!?」
だというのに、その悪魔はなおも笑い続ける。
崩れた体勢からバネのように上体を起こすと、取り出した杖を振り下ろす。
反応したアサシンは背中から生えた左腕を引っ込めようとしたが、長い腕がここにきて仇となった。タッチの差でセトの雷がその左腕を捉え、激しい雷撃が再びアサシンの身体を貫いた。
「――――――――」
先ほども言った通り、『セトの雷』と名付けられたその概念礼装の効果は行動の制限。
限定的であればあるほどその効力を増し、一度効果を起動させればその行動を数日間一切封じる強力なものだ。
そして、その効果の起動条件は設定した行動中の対象者にセトの雷で触れる事。つまり効果を発揮した瞬間の相手はまだ行動中である。
ゆえに、概念礼装の効果は容赦なく適応される。
瞬時にその行動をやめれば一瞬の痛みで治まるが、不意を突かれればそれは難しい。
ならば、こうなるのは必然と言えるだろう。
「――あ゛っ、がぁぁぁぁぁ……っ!!」
断末魔と聞き間違えるほどの苦悶の叫びが結界内に響き渡る。
とっさに宝具を解除できなかったことで、その激痛は今までとは非にならないことだろう。
まるで体内をかき回されるような激痛は宝具を解除しても余韻が続くほどだ。
「な、なぜ!? なぜまだ生きている!?
お前は戦闘続行のようなスキルは持ち合わせていないはずだ!」
いっそ死んだ方が楽かもしれないという考えがよぎるほど悶え苦しむ女の暗殺者は、その痛みから逃れようと目の前の道化師に向かって吠える。
確かに心臓は握りつぶした。模倣と言えどその威力は絶大。それはラニのバーサーカーであるヴラド三世を例に挙げれば明らかだ。
だというのに、彼女の目の前に立つ道化師が倒れる様子はない。
それどころか、弾き飛ばされたハサミを回収して肉薄してくる始末。
「ふざ、けるなぁぁぁぁぁぁぁ!!」
あり得ない光景を目の当たりにして、アサシンのなかで渦巻いたのは怒りだった。
翁の御業を受けたというのに相も変わらず動いているキャスターに対する怒り。その原因がわからないという己の未熟さに対する怒り。そしてなにより、もしかすると翁の御業で倒せない敵がいる、と考えてしまう自身の信仰心の低さに対する怒り。
あらゆる怒りが渦巻き、雄叫びとなって彼女の口からあふれ出す。
ユリウスがアサシンに向けて何か叫んでいるが、もはやアサシンにその声は聞こえない。
「激痛に
バチバチと音を立て、アサシンは紫電をまとう。その攻撃は敵を葬ることもできる代わりに同時に己の身も焼く諸刃の剣なのだとしても、暗殺者は構わずその御業を体現する。
「――
「令呪をもって命ずる、今すぐ攻撃をやめて俺のもとに戻れ」
その直前、舌打ちをした黒衣の男がその手に刻まれた力を行使した。
限定的かつ具体的であればあるほど令呪はその強制力が増す。ゆえに、今回のユリウスの命令に対魔力を持たないアサシンは抗う術はなく従うしかない。
強制的に霊体化させられ10メートルほど後方にいたユリウスのもとまで戻されたアサシンは、行き場の失った怒りを誰にぶつけていいか分からずユリウスを睨む。
「ユリウス、どういうつもりだ!」
「よく見ろ。あいつはやせ我慢をしているだけで呪いが効いていないわけじゃない」
「なんだと?」
言ってる意味が分からないと言いたげに眉をひそめるアサシンに、無表情を貫く男は顎を使い、前方にいる敵を見るようにアサシンに促す。
見れば、そこには相も変わらず笑みを浮かべるキャスターが佇んでいる。だがよく見れば手足は小刻みに震えており、立っているのがやっとのようだった。
「放っておいても死ぬだろうが、その前に参考までにどうして即死していないのか聞いてみたいな、キャスター」
「きひっ、ワタクシこう見えて呪術にも精通していまして、呪いに関してはそれなりの知識があるんですよねぇ。
呪いというのは防いだり解くのは腕が必要ですが、対象者を変えたり効果を空回りさせたりすることは比較的難しくないんですねぇこれが。魔除けの類はこの考えで作られているわけですし。
つまり、呪いに対しては基本的に真っ向から防ぐようなことはせず、受け流すのが定石となります」
「だとしても、サーヴァントの宝具ともなればそう簡単にはいかないだろう。
もし変わり身になる心臓を作ったところで、その変わり身ごと本物を破壊する」
「でしょうねぇ。この呪いはサタンに由来するもののようですし、一つや二つ程度の変わり身じゃ気休めにもなりません。
それこそ、銃弾を紙きれで受け止めようとするレベルの愚行でしょう」
ですが、と狂人は続ける。
「紙一枚では無理でも、分厚い辞書を用意すれば銃弾だって受け止めることができますでしょう?
心臓を壊す呪いであれ、千でも万でも億でも兆でも、それこそ無限にも等しい変わり身で呪いを分散させれば、たとえサーヴァントを殺せる業であっても耐え切れる可能性はないわけではないわけですよ、これが!
まあこの理論はワタクシのマスターの理論なのですが。大雑把なはずなのに理論とそこに至る手順はきちんと作ってあるんですから本当に面白い。
いやぁ本当にワタクシのマスターには痺れますねェ!」
嬉々として語るキャスターの言葉に信じられないと歯噛みするアサシン。
対してその隣に立つユリウスは確信を得たように相手に背中を見せた。
「ユリウス……?」
その行動に首をかしげるアサシンに対して、男の答えは淡白だった。
「決着はついた。この結界が壊れるのも時間の問題だろう。
これ以上は時間と魔力の無駄だ」
「きひっ、トドメは刺さなくていいんですか?
この結界の核はこの肉体ですよ?」
「言っただろう。時間と魔力の無駄だと。
アサシンの宝具を不完全とはいえ防いだのは見事だが、無限の身代わりを作るなどいくら規格外の魔力を生成できるお前であれ魔力切れは免れない。
……もしかすると魔力が万全なら完璧に防ぎきっていたかもしれないが、現実はこの通りだ。
そして、
まるでその言葉を証明するように、アリーナの風景を映した空間に亀裂が入る。一度入った亀裂は新たな亀裂を生み、瞬く間に空間全体を埋め尽くした。
そして次の瞬間、夢でも覚めるようにアリーナの風景は消滅し、夕日を受けて赤く色づいた校舎裏に戻っていた。
結界の消滅とともに気力も尽きてしまったのか、その場に倒れこむキャスター。
そしてテクスチャを誤魔化す余裕もなくなったのは、悪魔の姿は元の女性の姿へと戻ってしまう。
アサシンはトドメを刺すべきかと指示を仰ぐべくユリウスへ視線を向けるが、当の本人はノイズに侵され始めた女性には目もくれず本校舎へ向けて歩き始めた。トドメを刺すまでもない、ということだろう。
その意図を汲んだアサシンは静かに空間に溶けるように姿を消す。
アサシンが霊体化したのを背中越しに感じたユリウスは視線だけを自分の身体に向けて眉をひそめる。
傷はほとんどないが、魔力を使いすぎた。
張り合う必要もなかったため言わなかったが、彼も彼でこの月の世界に来る先にかなり規格外な処置を行なっている。
それを考慮しても、明日までに完治するか怪しい。アサシンの宝具に関しては言わずもがな。
思わぬ伏兵に邪魔をされ、そして思惑通りになってしまったことに舌打ちをする黒衣の男。
そして、そんな男の前に立ちふさがった人影が一人。
「……お前は――」
オリジナルのザバーニーヤも結構出てきました(考えたけど出さずに終わりそうなザバーニーヤもありますが)
個人的にお気に入りは『妄想感電』と今回初お披露目の『夢想朧影』です
元ネタはテラフォーマーのアドルフ(電気ウナギ)とドラえもんのモーテン星ですね
……Fakeが新刊出る前に5回戦終わりそうでよかった