日付は変わりモラトリアム六日目。決戦前最後の日が訪れた。
なぜか身体に力が入らず、身体を動かすどころかまぶたを開けることすら時間がかかる。
やっとのことで目を開けると、まず入ってきたのは見覚えのある細い手。
そこからさらに視界を巡らせると、見覚えのある黒髪の女性が今まで見たことないような表情で赤面していた。
「ライ、ダー……?」
「お、おはようございます、主どの。
あの、もしよろしければ手を放していただけると……」
彼女の歯切れの悪い言葉を頭の中で咀嚼し少しずつ理解する。
ぼんやりとした視界が自分が今何をしているのかを捉えた瞬間一気に意識が覚醒した。
「っ!? なん……っ、じゃなくて、ご、ごめん!!」
慌てて飛びのいてライダーから距離を取る。いつもは主人を待つ忠犬のように凛とした態度で正座しているライダーが今日は気まずそうに顔を背けて耳まで真っ赤にしている状況。さきほどまで視界一杯に広がっていた手は間違いなくライダーのもの。極めつけに俺が昨日眠る直前に行った行動を思い出せばどんな状況だったのかなど想像するのは難しくない。
言葉にしようとするだけで顔が熱くなる。
そしてこの状況を微笑ましそうに笑みを浮かべる傍観者が一人。
「ふふふふ……お前、思ったより大胆なんだな」
「ちが……っ! いや違わないけど、俺はただ魔力……そう魔力! だってライダー体調悪そうだったし!!」
何を先に説明すればいいのかわからず支離滅裂な弁解となる。
しかしそこはさすが『対話』を起源とするウィザード。見事に言葉の意味を理解してくれたのか頷いてくれた。
「なるほどなるほど……
ところで、口づけをする場所によって深層心理がわかるって俗説は知ってるかしら?」
「な、ん……っ!?」
……そして、理解したうえでキラーパスを返してきた。
自分が今どんな顔をしているのかわからないが、銀髪を揺らして愉快そうにからからと笑う彼女の様子からして、さぞ弄りやすい表情をしているのだろう。
いつもはこの辺りで諫めてくれるライダーも今回は心ここにあらずと言った様子のせいで助け船はない。
それこそ悪魔につかれたかのように笑い続けたサラは、数分間たっぷりと堪能してようやくまともにとりあってくれるようになった。
「まあでも、お前の行動はちゃんと実を結んでるから安心しろ。
私もすぐには気づけなかったが、霊基変質の際にライダー自身が保有していた魔力もかなり消費してしまったらしい。それでも現界時の肉体の維持やエネミーとの戦闘ぐらいなら十分だったんだろうが、逆に言えばそれが限界。サーヴァントとの戦闘となればすぐに魔力切れを起こしてただろうな。
そういうことは早く言ってほしいよ、まったく。
まあでも、お前が余分に魔力を供給したおかげで晴れてライダーは完全回復というわけだ。
代わりにお前が魔力不足気味のようだが……魔力供給しておくかしら?」
「遠慮しとく」
「だろうな。
私もこんなところで首切り落とされたくないわ」
意味深に自身の唇に触れているが、どう見てもこちらをからかっている表情だ。
その証拠に両手を軽く上げてライダーのほうを横目で確認している。
「って、こんなことしてる場合じゃない!
ユリウスが別館から戻ってきちゃったら今度こそアサシンの宝具を封じる作戦は失敗なんだし」
「ああ、そうだな。
私もようやく決心が着いたわ」
「――――」
声を出すことすらできなかった。気づいたときにはライダーの足元に幾何学的な模様の陣が展開しており、瞬く間に巨大な球体が彼女を閉じ込め中に浮かぶ。
「
前に進めば後ろから、左に進めば右から、上に飛べば下から、どこへ向かっても必ず球体の中心地点に戻ってくるように空間のねじ曲がっている結界だ。
この結界内には重力も地面もないから、飛行手段を持ち合わせていないとそもそも動くことすら無理だろうがな。
単に空間を区切るだけの結界と違って起動に時間がかかるが、あらかじめ万全の準備しておけば瞬時に展開できるし、閉じ込められたら最後光さえも脱出は不可能。
所詮はメイガスの魔術を再現した劣化版だし、結界破壊に特化した宝具や対城宝具クラスの威力で力押しされれば突破される可能性も十分にあり得るが、牛若丸や源義経の宝具にそういった類がないのは確認済みだ。
本当は牢獄として以外の効果もあったんだが、それについては無駄になったわね」
淡々と語る銀髪の麗人。
殺気も敵意も全くなく、纏っている雰囲気に変化があるようには見えない。だからこそ、目の前で起こった光景が本当に彼女によって引き起こされたと信じられず、どう対応していいのかわからず立ちすくむ。
その致命的な隙を目の前の女性は見逃さなかった。
重力を感じさせないゆらりとした動きで間合いをつめてくると右手に握りしめていた何かを横に薙ぐ。
「っ……! 黒鍵!?」
「お前のアイテムは私も取り出せる。
前にそう言ったわよね?」
気づけなかったわけではない。しかし回避するのがわずかに遅れてしまった。
鋭利な刃が掠った左腕には痛みと共に赤い線が引かれ、そこから生暖かい液体がじんわりとにじみ出る。
「昨日はとっさに回避動作を取れてたのに、今回は立ちすくむのみ。どっちも不意打ちなのにこの反応の違いは……殺気か?
なるほど、死に対する反射的な行動がお前の防御の要だったのね」
何かを確かめるようにぶつぶつと呟いたのち、再び視線がこちらに向けられる。
「恨んでくれて構わない。だから今は少し眠ってろ。
ライダーも時間が経てば解放されるようになってるわ」
「サラ、いったい何を――」
最後まで言うことはできなかった。
今度はちゃんと反応して防御したというのに、彼女の技術が俺の遥か上だったせいで掻い潜られた。
腹部に衝撃が走った直後、痛みを感じる前に意識が刈り取られる。
最後に見た光景は、サラのどこか悲しそうな微笑みだった。
「心配しなくていい。
次目覚めたときには、いい方向に物事が進んでるはずよ――」
――そして、私は観測する。
一種の安全地帯として機能しているマイルームで佇む一人の女性。
その足元にはこのマイルームの所有者である少年が倒れこみ、背後には少年のサーヴァントを捕えた結界が展開している。
そしてこの惨状を引き起こした張本人は足元の少年を気にする様子もなく自分の身体を試すようにストレッチを行っていく。
「……これぐらい調子が戻ればある程度は渡り合えるか」
それを終えると教室全体を見回し、そして黒板の方へと歩き始めた。
「もう必要ないからな」
そう呟きながら立てかけてあった鏡を手にとると、端末を操作してコードを入力していく。
全てを入力し終えると、鏡は礼装としての効力を失いただの鏡となり、同時に拡張されていたマイルームも元の広さに固定された。
拡張された空間に設置されていた彼女の工房がどうなったのかは誰にもわからないが、言葉の通りもう必要ないのだろう。
「……よし、これぐらいのリソースがあれば問題ない。
さて、ライダー、見えてるし聞こえてるだろう? この結界は中から音や光が出ることはないが、その逆は可能だからな。
あいつは死んじゃいないが、目の前でマスターが叩きのめされるのは気分がいいものじゃないだろう。別に恨んでくれて構わない。
だがマスターのことを想うのなら、今からいう事だけは覚えておきなさい」
冷酷に、しかしどこか相手を慈しむように語り掛ける女性は、一度間をおいてから言葉を紡ぐ。
「――――――――」
その言葉に対し結界の中にいるサーヴァントがどのような反応を示したのか、結界の外にいる者には知るすべがない。
ただ一方的に伝えるべきことを伝え終わると、今度こそこの場を去る。
外に出るとサラの表情は一変して疲労の色が濃くなった。
「予想はしてたが、やっぱりキツイな」
思わずと言った様子で愚痴を漏らすが、彼女は立ち止まろうとはしない。
その銀髪の隙間から覗く蒼の瞳は端末に記された文字や図形を追い、最後の確認を行っていく。入念に準備された計画に不備はない。
一度だけ名残惜しそうに後ろの扉を見るが、その青い目はすぐに伏せられた。
「さて、最初で最後の『未来を見据えた行動』といこうか」
その顔に浮かぶのは晴れやかな、しかし死を覚悟した微笑。その背中を止める者はなく、彼女は一人死地へと歩み始める。
向かうのは校舎を出て校庭を抜けた先にある別館。
ユリウスがどのタイミングでどのあたりに現れるのかわからないままだったが、別館の入り口に近づくと奥から話し声が漏れていた。
声は二人分。場所は別館と校門の間の花壇あたりだ。耳を澄まして声の下へと近づくと会話の内容がだんだんと鮮明になっていく。
あと少しで内容が聞き取れる、と思った刹那――
「――お前は異教の魔術師か?」
目の前に、黒いローブをまとった死神が現れた。
その問いをサラが直接受けたことはないが、モニター越しに一度だけ聞いたことがある。
鼻先が触れるかと思う距離で問われた質問に答える猶予はない。
というより、相手はもう答えを聞くまでもなく右手をこちらへ伸ばしていた。
「血肉を穿て――」
右手から繰り出される業として該当するのは現状ひとつだけ判明している。
「――
「っ!」
回避できたのは奇跡に近かった。
とっさにかがんだ直後、手のひらを突き破って生えてきた歪な白い槍がサラのわずか数センチ上を通り過ぎていく。
しかしそれだけで終わらないのは彼女もわかっている。
この業は自身の右腕から骨を突き出し武器とする宝具。しかし骨が生えてくるのは掌からだけに収まらない。
脚部の強化を施しアサシンの背後に向けて飛び込むと、さっきまでいた場所に無数の骨が突き刺さる。
間一髪回避に成功したのはいいが、声の主たちの目の前に飛び出す形になってしまった。
二人のうちの一人、黒衣に身を包んだ死人のような顔色の男が怪訝そうに眉をひそめる。
「誰かと思えば、イレギュラーな脱落者か。
あの男のために捨て身の特攻か?」
「まあそんなところだな。それとは別に私用もあったんだが……
でもその前に、こんなところでハーウェイの二人がこそこそ何やってるのか聞きたいわね?」
校門と別館の間に広がる空間で、別館の影に隠れるように立っている二つの人影。一人はサラが追っていたユリウス。そしてもう一人は隣に太陽の騎士を侍らせたレオだった。
片やハーウェイ家直属の殺し屋。片やハーウェイ家の次期当主。
二人がこんなところで偶然一緒にいるとは考えにくい。
とはいえ、どんな状況でも冷静沈着で達観した振る舞いをするレオがこんなところでこそこそ作戦会議をするとも考えられないが……
「これはこれは、貴方が天軒さんの言ってたハンフリー氏の娘さんですね」
「レオ、この者と会話する必要はありません。ここで俺が――」
「待ってください、兄さん。丁度今日は彼女のことについて聞こうと思っていたんです」
アサシンには待機の指示を出しつつ自身は拳を握りながら前に出るユリウスだが、それをレオの細い腕が制止させる。
対するサラは構えを解かず警戒はしたままでひとまず会話には耳を傾ける。
「私のこと、だと?」
「ええ、そうです。
その前に、まず僕たちがこんなところで何をしていたか、でしたね。
実は兄さんから天軒さんと戦った感想なんかをいろいろ聞いていたんです。
貴方は三回戦以降天軒さんのサポートをしていると伺っていますので、もしかするとモニター越しに聞いていたかもしれませんが、僕は自分でも驚くほど彼に非常に興味を持っています。
是非ともまた会話したいと思っていたのですが、あれ以降まったく出会えないものですから、対戦相手側の兄さんから見た天軒さんの感想などを聞いていたんです。
ですが、これは聖杯戦争。どこで誰が話を聞いているかもわかりません。
普段なら盗み聞きされても気にしないんですが、僕自身の勝手で天軒さんの情報が漏れるというのは気が引けました」
「だから、NPCも寄り付かない場所でこそこそやっていた、と。言ってることは一見正しいが、根本的におかしいだろう。
あいつの情報が漏れるのが嫌ならそもそも本人に直接連絡でもして会えばいい。
あのお人好しは何の警戒もせずのこのこ現れるわよ」
「ああ、なるほど。その考えはありませんでした。
ありがとうございます。では今度会うときには連絡先を交換しないとですね」
若干棘のある言い方だが、それが逆にレオのお気に召したらしく上機嫌で手を叩いた。
少年の言葉は裏を返せば隣に立つ兄の敗北を前提で話しているが、本人もそれをわかって言っているのだろう。
そしてもし天軒が負けることがあっても、所詮はその程度だった、とあっさり興味を失う。目の前の少年はそういう人間だ。
「では、そちらの質問には答えたので今度はこちらの質問に答えてください。
僕の知る限りハンフリー氏にご息女はいません。あなたと彼はどんな関係なんですか?」
拒否権など最初からない、と言わんばかりの一方的な問いに思わずサラも舌打ちする。
別段彼女も隠しているわけではないのだが、レオの性格ととことん合わないのだろう。
「……私は養子だ。親に捨てられる予定だったのをハンフリーに引き取ってもらった。正規の手続きはしてないから、お前らも把握できなかったんだろう。
これで満足かしら?」
「なるほど、それなら納得です。彼は信仰が必要とされなくなった世となってなお、神の教えというものにならって周囲の人を助ける善良な方でした。
そういう彼だからこそ、身寄りのない子を引き取ることにも躊躇なかったのでしょう」
「…………」
疑問が解けて晴れやかな表情のレオ。それとは対照的にサラは俯き黙り込む。
いつの間にか構えを解いていたが、それはこちらから攻撃しないという意思を表すためか、それとも
再び顔を上げたサラからは表情が消えていた。
「最後ににこちらから質問、ハンフリーを殺したのは
まるで口だけ別の映像を合成しているのではないかと思うほどの無表情で尋ねる内容は、彼女の養父であるハンフリーの死について。
彼女は肩から脇腹あたりまで不自然に裂かれた自身の上着をなぞる。その隙間からはチューブトップらしき白い布と女性らしい白い肌、そしてその肌に浮かんだ赤い刻印が覗いている。
「この服はハンフリーが最期に着ていたものだ。肩から脇腹までを長物で一閃したような切り口だったから間違いなく他殺。
だがハンフリーを殺せる人間なんてそう簡単にはいない。
可能性があるとしたら遠坂凛のようなレジスタンスの中でも手練れの人間か、西欧財閥の暗殺部隊ぐらいだろうが……レジスタンスにハンフリーを殺すメリットはない。
そもそも私とハンフリーが住んでいた街は西欧財閥が統治する領域中でもかなり内側にある。そんなところにレジスタンスが紛れ込むような失態を西欧財閥がするとは考えにくい。
となれば、可能性は一つしかない。
もう一度聞く。
ハンフリーを殺したのはハーウェイの指示か?」
それは質問であり最後の警告。
しかしレオやユリウスほどの実力であればサラを退けることは難しくないだろう。
なにより二体一のうえ、二人にはサーヴァントがいるのに対して彼女の隣にサーヴァントはいないのだ。正面からぶつかればどうなるかは目に見えている。
だというのにレオは肩をすくめて兄の方を見た。
「その問いには、おそらく兄さんのほうが詳しいかと。兄さん、ここは彼女に敬意を表して正直に答えてください」
レオの言葉に眉をひそめはしても反論しないのは立場をわきまえているからか。ため息をこぼしながらもゆっくりを語り始めた。
「少なくとも俺は関与していない。だが、あの神父が死ぬ少し前に部隊全体へ報告があった。『ハンフリー・ライプニッツを中心とし新たなコミュニティが生まれつつあるから注意しろ』とな。実際、西欧財閥に若干ながら不満のあった住民が彼をリーダーとして祀り上げようとしていたと聞いている。
死亡の報告があったのはそのすぐあとだ」
「……ああ、そういうことか。お人好しなハンフリーがボランティアで悪魔払いを続けた結果自然と生まれたコミュニティが、お前らの目には新たなレジスタンスの誕生に見えたのか。
ああわかってる。まずは首謀者を殺したんだろう。
そしてそいつを殺す際に、さっきお前が言った情報が浮かんできた。だから同じことが起こらないようにハンフリーにまで手をかけた。
そういうことよね?」
怒りに声が震えるサラは、今にも殴り掛かりそうだ。しかしギリギリのところで堪え、顔を覆ってぶつぶつと呟き始める
「馬鹿か私は。あいつの憎悪を抑えるためにここに来てるのに、私が憎悪に飲まれたら話にならないだろう……
ホント、自分でも悲しくなるほど過去に囚われてるわね」
何度も何度も自分に言い聞かせ、呼吸を整えるのに少し時間がかかった。
その間ハーウェイの二人が何もしなかったのは、おそらくレオの指示だ。
彼にそんなつもりはないにしても、つくづく反りが合わないと実感する。
「だが、これぐらいの憎悪なら覚悟を決めるためにちょうどよかったかもな」
体勢を低くし、静かに戦闘態勢に入る。
「……もうお互いに質問はないようですね。なら、僕がここにいる理由はもうありません。
邪魔になる前に去ることにしましょう。ガウェイン」
「御意」
肩をすくめて小さな王は騎士を連れて本館へと戻っていく。サラの目にはもう自分の姿が映っていないことを理解したのだろう。
逆にユリウスの方はサラと同じように上体を少し前に倒していつでも動けるように構える。アサシンは後ろに待機させたまま。ペナルティの件もあるが、サラ程度ならサーヴァントを使うまでもないという意思の表れか。
レオも本館に戻り、この場にいるのはサラとユリウス、そしてアサシンのみ。
永遠に続くかと錯覚してしまう沈黙は、間もなく破られる。
ちょっと中途半端な切り方になってしまいますが、
2万文字に届きそうだったので減らしつつ2話に分けました
改めて見ると、レオの天軒のことが気になってるってセリフ。ちょっと別の意味に聞こえそう……