「これは……骨が折れているみたいですね。私でも完治させられるかどうか……」
俺の左腕の状態を診てくれる桜が戸惑いながらそう言葉を漏らす。
治療関係の権限を多く所有する桜がそこまで言うということはかなり深刻な状態なのだろう。
「というか、アバター状態でも骨の概念とかあるんだね」
「はい、一応ありますよ。姿かたちの変更がテクスチャを操作するだけで可能であったりするのでイメージがつきづらいかもしれませんが、この身体も地上の肉体と同様に骨や筋肉、内蔵なども備わっています。
心音であったり骨の鳴る音だったりでそれを実感できると思うんですが、そういう機会はありませんでしたか?」
「…………いや、ないと思う」
記憶をめぐり桜の言った現象に該当することがあったか探ってみるが、結局首を振って否定する。一回戦の初めの方、たしか布団もなにもなく机と椅子で居眠りのように寝たことがあったが、あの時骨が鳴らなかった記憶がある。あのときは偶然鳴らなかっただけだろうか?
「そう、ですか。普段気にするようなものでもないですし、気づかなかっただけでしょうか……? では、二回戦でアーチャーさんの矢を受けた際に出血をしていたと思いますので、あれを思い出してもらえれば天軒さんの今の身体が血肉のある肉体であることを実感していただけると思います。
ただし地上と違うのは、それがウィザードの技術によって魂を物質化した結果によるものということですね。軽度の損傷であれば地上と同じ傷として現れますが、今回の骨折のような重度の物になると肉体の維持そのものに影響が出てしまいます。何度か左腕にノイズが走っていると思いますが、それが肉体の限界の予兆ですね。そうなってしまうと普通の治癒では完治は格段に難しくなってしまいます。保健委員の私が持つ権限でもそれをどこまで癒せるかわかりませんが……」
戸棚から治療に使うのであろう備品を取り出しながら桜は俺の疑問に丁寧に答えてくれる。
その後ろ姿を眺めていると隣でライダーが申し訳なさそうにこちらをのぞき込んできた。桜の『完治は難しい』という言葉に心配になっただろう。自分の責任でもないのにそこまで心配してくれる従者へ大丈夫という言葉の代わりに彼女の頭を軽く撫でる。
いつの間にか戻ってきていた桜がその光景を微笑ましそうに眺めているのに気付いて向き直るとようやく処置が始まった。
「処置は地上の肉体に行うものと大きく違いはありません。ギブスを巻いて固定して自然治癒を待つ。
違いがあるとすれば、電脳世界ではその処置をデータ化して、見た目を変えずに治療を行うことができるという点ぐらいでしょうか」
などとマメ知識を披露している間に処置が終わってしまった。その手際の良さには端末の向こうで黙り込んでいたサラが小さく感嘆の声を上げるほどだ。
「あとは私の使える権限を総動員して骨折を治癒可能なダメージにまで軽減するだけですが、先に軽度のダメージの治癒をさせてもらいますね」
言うが早く桜はテキパキと端末を操作して大小さまざま傷を塞いでいく。四回戦の決戦で致命傷を受けた際、謎のコードキャストで完治したことがあったが、それを連想してしまうほどの治癒力だ。これが間桐桜という保健委員のNPCに与えられた権限の力なのだろう。
桜のやりたいように、と思い特に抵抗もせずいるとここで彼女の凝り性がでたのか、左腕を除けばむしろアリーナに入る前より健康体になった気がする。
その出来に満足したのか、控えめにガッツポーズをとるその表情はかなり得意げだ。
「では、左腕の治療に移りますね。左腕を診せ、て……え?」
片手で優しく俺の左腕を手に取り何かを施そうとした桜の手が止まる。段々と深刻そうに眉をひそめ始めた桜は端末を操作し、そして信じられないと言わんばかりに目を見開いて口を押さえた。
「ど、どういうわけかわかりませんが、天軒さんの左腕が完治しています。こんなことって……っ!」
「……怪我が治ることになにか問題があるのですか? 私はてっきり桜どのの処置が素晴らしかったのかと思いましたが」
原因を見つけようと端末を忙しく操作する桜。しかしライダーはその行動に対して怪訝そうに眉をひそめて首をかしげた。
「そ、そうですね。怪我が治ったことはいいことです。ただ……」
「原因がわからないから、どんなことがおこるかわからない、だよね?」
「はい、そうなんです。最悪の場合、なんの前触れもなく取り返しのつかない現象が起こる可能性もあります。
天軒さんが良ければ、詳しく診察してもいいでしょうか?」
「むしろ俺の方が桜に頼みたいくらいだよ。
俺自身、自分の身体の謎がわからずにモヤモヤしてたところだから」
とは言ってみたものの、ここまで何度か桜に精密検査をしてもらったことがあるのに桜が何も言わなかったことを考えると、あまりいい結果は期待できないことは薄々気づいていた。
「…………すいません、これ以上は私にもどうすればいいのか」
「い、いや、桜が悪いんじゃないから気にしないで、ね?」
結局、以前よりも時間をかけて隅々まで調べてもらったにもかかわらず目ぼしい成果は得られなかった。
桜のせいではないのに申し訳なさそうにうつむいている姿にこちらも胸が痛くなる。
その後も考えうる限りのことは試してみるが依然としてこの体質が解明する糸口は掴めない。
『……間桐桜、お前触診ってできるか?』
不意に端末の向こうからサラがそんな突拍子のないことを言い出した。さすがにその場にいた全員が彼女の意図をくみ取れず困惑する。
「触診、ですか? 権限を使って知識をインストールすればできないことはないですが、先ほど行った精密検査より精度がいいとは……」
『精度が下がるのは承知の上だ。
「ひ、皮膚ごしですか? 意図を掴みかねてますが、とりあえずやってみますね」
戸惑いながらも言われた通りに知識をインストールする律儀な保健委員を眺めること数分、準備を整えて再び俺の左腕に触れる。
擦られ、揉まれ、軽く叩かれ、されるがままとなった左腕を他人事のようにライダーと一緒に傍観する。
「ち、ちょっと待ってくださいね!
えっと、ここは本来こうなるはずだから、この場合は……」
どうやらじっと見つめる俺たちが退屈していると勘違いしたらしい。はたから見ると手際よくできているように見えるのだが、桜自身はそうでもないのだろうか?
「時間は気にしなくてもいいから落ち着いてやってくれればいんだけど、どこか気になる部分あった?」
「えっと、私の勘違いかもしれないんですが、骨の位置がはっきりしないといいますか……どういうことなんでしょう?」
「いや俺に聞かれても」
ですよね、とお互い苦笑いで会話が途切れる。
『骨の位置がはっきりしないんだな?』
そこに真剣な声色でサラの追及が飛んできた。
「え、あ、はい。やっぱり知識インストールしただけでは限界があるんでしょうか?」
『いや、その感覚がたしかあのであれば私の仮説が正しいということになる。ダメ押しで確認をしたいんだが……
ライダー、天軒由良に本気で峰打ちしてくれないかしら?』
「ちょっと!?」
いきなり何を言い出すのだろうかこの女性は!?
ライダーの本気の峰打ちなんて殺傷能力がありすぎる。下手したらユリウスに折られたときよりもひどいことになりかねない。ライダーもさすがにその指示には首を振るだけだ。
『まあわかってはいたが』
「わかってるなら言わないでよ。というか、なんでそんなこと言い出したのさ?」
『さっきアリーナでユリウス・ベルキスク・ハーウェイの攻撃受けた時、一発目はほとんどなんともなかっただろう? あいつの拳は内蔵にダメージを与えるような危険な力の入れ方をしているらしいが、その一撃を受けても無事だったっということは、お前の体内に何かしらの細工が施されていると考えるべきだ。
だが間桐桜が調べてもそれらしき細工はない。かと思えば、皮膚ごしに調べると違和感がある。あいつも一発目はお前を殴ったときに違和感があるって言ってたな。
なのに二発目では普通に骨折した。一発目と二発目で違いがあるとすれば、ダメージを受けていたという点ぐらいだ。となれば、現状立てられる仮説は一つ。
お前は無傷の場合のみ体内にダメージを受けない、ということだ。
まあ本当にダメージが基準なのか、それとも別の要素が絡んでいるのか、そもそもどういう原理なのか、全くもって見当もつかないから確信を得るためには条件を変えて試してみるしかないのよね』
「その試しの一回目がライダーの峰打ち、と。理由はわかったけど無茶苦茶過ぎない?」
『それでも原理がわかればかなり有利な体質だろう?
もし折れてもすぐそこに治療できるNPCもいることだし、騙されたと思ってやってみないかしら?』
「そんな軽い気持ちで骨折られるとか勘弁してほしい。というかまたすぐに治るとは限らないんだけど?」
『大丈夫、そのときはそのときだ。私もいろいろと手は考えてある。
もしものときの決戦までのお膳立ては任せなさい』
「全っ然大丈夫じゃないよね!?」
とはいえ他の検証方法を提示できないので感情論でしか拒否できないのだが、今回ばかりは許容できない。
自分が自己犠牲的な行動をしていることは自覚しているが、それは力不足の結果ボロボロになることが多いだけで、嬉々としてボロボロになりたいわけではない。だから、サラが提案しているような自傷行為に近いことまでしようとは思っていない。
その一線だけは超えてはならないと本能で感じ取って全力で首を振る。
しろ、したくないの平行線の口論は10分近く続くこととなったが、最終的にはサラの方が折れてくれたことで保留に持ち込むことができた。
『強情なやつだな』
「サラが大雑把すぎるだけだと思うけど!?」
『わかったわかった。ひとまず保健室でやれることは終わったからマイルームに帰ってこい。
……もうライダーに峰打ちしろとかは言わないわよ』
身構える姿をモニターで確認したのか、大きなため息が聞こえてくる。
一応言質は取ったのでもし何かしてきた場合は抗議するとして、確かに保健室に長居しすぎた。
「少し前にもいろいろとお世話になったのに、今回もありがとう」
「いえ、私は健康管理AIですので、今回のような要件であればいつでも大歓迎です。
それに、マスターのサポートをするのが私たちNPCの役割なので気にしないでください。言ってくれれば協力できることもあると思うので、気軽に来てくださいね」
「……本当に?」
「さ、さすがに保健室占拠するのはやめてくださいね?」
そういう意味で聞いたのではないのだが、以前の長時間占拠が若干トラウマになっているのか引きつった表情で身構えてしまった。
『…………………………………』
「サラ?」
端末から声は聞こえてこないのだが、心なしかサラが何か言いたげに俺を見ている気がして思わず名前を呼ぶ。
『たらし』
「なんでさ」
やっぱり何もされなくてもマイル―ムに戻ったら一言言うべきかもしれない。
再度桜にお礼を言ってからマイル―ムに戻ってくると、気だるげに自分の工房で休んでいたサラがこちらに気づいて近づいてきた。
一瞬何かされるのかと警戒したが、特に何をするでもなく視線を下から上へと品定めするように動かしていく。特に左腕を重点的に見ている気がするが、いったい何をしているのかわからず一度解いた警戒を再び高める。
「な、なに?」
「いや、本当に完治してるんだなと思ってな。今度は義手型の礼装を作らないといけないかと思ってひやひやしてたところだ。ラニみたいな高度な演算力と錬金術の技術があるならまだしも、魂の扱い以外は素人に毛が生えた程度しかない私には短時間で一から礼装を作るなんて無理だからな。
ちょっとホッとしたわ」
言いながら物珍しそうに左腕を掴み、ぺしぺしと叩いてくる。
……こんなにまじまじと見られながら触れられるとは思っていなかったから、どう反応していいのかわからず視線が泳ぐ。
「あとは……」
「ちょ、サラ!?」
「動くな。
心配しなくてもすぐに終わるわ」
突然サラがこちらに倒れ掛かってきて、流れるように彼女は俺の左胸に耳を当てる。いきなりのことに慌てふためく俺にぴしゃりと一言告げるとさらに耳を押し付けてきた。
状況に頭が落ち浮かない!
彷徨う視線が隣にいるライダーを捉えるが、何とも表現しづらい表情でじっとこちらを見るのみ。若干その表情が殺気を放っているようで嫌でも心臓が跳ね上がるように錯覚する。
いったいいつまでこの状態が続くのかと天を仰いだが、意外な形で状況は一変した。
「なるほど、ということは――」
「っ、主どの!」
ライダーの声が聞こえたときにはもう遅かった。サラの身体が離れたかと思うと流れるように左手の手首を捻られた。痛いと感じるよりも先に本能的に危機を察知したのはいいが、サラから逃れようと後ろに退いたことで逆に手首と肘が極まる形となり、そこに狙いすましたようなサラの鋭い膝蹴りを受けてしまった。
体勢が悪くて力をうまく逃すことが出来なかった結果、俺の身体は肘を支点に振り回され、痛みを感じるころには勢い余って部屋の端に固めていた机の山に突っ込んでいた。
「あ、やり過ぎた」
机の山が崩れて激しい音をたてる中、すべての元凶である銀髪の女性は悪びれた様子もなく呟くのみ。
「保留に! するって! 言わなかったっけ!?」
「ライダーにやってもらうのは保留にするとは言ったな。
私自身が試さないとは言ってないが」
「ここでそんな屁理屈聞きたくなかった!」
「手荒にしたのは謝る。……だからライダーも切っ先をこっちに向けるのはやめろ。わかった、誓うから。今後私は天軒由良に危害を加えない。
なんならギアス使って魔術的にも縛りましょうか?」
抜刀して無言で迫るライダーに対して両手を上げて降参のポーズをとりつつ後ずさりするサラ。
ギアスというのはメイガスが用いていた決して破れない契約書である
メイガスからウィザードに移り変わる中で個々の魔術回路が重要になったらしいし、もちろん俺にも魔術刻印はない。サラはどうか知らないが、それぐらいの意志の強さで誓うという意味で捉える方が適切か。
「次は警告もなくその首を刎ねることを覚えておいてください。
それで、なぜ主どのに危害を? 返答次第ではこの時点で両足ぐらいは覚悟してもらう必要はありますが」
「さっき保健室で確認してもらったことを改めて私が確認したかったんだ。
天軒由良、左腕は折れてるか?」
「……折れていない」
言われて初めて気づいたが、本気で蹴られたので痛みはあるが、逆に言えばそれだけだ。あれだけの衝撃を人体で最も脆い関節部分に受けたというのに折れた様子はない。
困惑する俺をよそに、聞いた本人はその答えを待ってましたを言わんばかりに不敵な笑みを浮かべる。
「これでおおよそのことはわかった。蹴ったときの感覚は先の二人が言っていた通り違和感の塊だな。ユリウス・ベルキスク・ハーウェイはスライムを殴っているようだって言ってたが……
私の感覚としてはお前の身体が正常な状態を維持するように力が働いているという方が正しいわね」
「正常な状態?」
「蹴る前に左腕を捻っただろう? 実はあの時点で手首が折れるぐらいの力は加えていたんだが、どういうわけか一定の角度まで捻ると全く動かないんだ。まるでシステム的にそれ以上は動かないように設定されてるみたいな。
ただ、これもお前の体質を説明するには正しくはないわ」
言いながらサラは自分の左胸に手を添え、続いて俺のほうを指さす。
「手首捻る前にお前の心音を確かめた。だが、注意深く確認してみたにもかかわらず、全くと言っていいほど聞こえなかった。
表情からして、かなり鼓動速くなってたでしょう?」
「……ノーコメントで」
くすくすと笑うその姿にムッとするが、わりと事実なので言い返せない。俺の返答が予想通りだったのか、してやったりという表情がさらに腹立たしい。
「サラどの、主どのをからかうのはそれぐらいに。先の暴挙をまだ許しているわけではないので、そのつもりで」
「わかった、鼓動の速さは置いておこう。心音が聞こえないのは間桐桜の触診でおおよそ予想はしてたが、体内の観測ができないからと考えるのが妥当だろう。
できればどこまで痛めつけると内臓や骨に影響がでるのか試してみたいんだが……わかってるわかってる。
それはまた天軒由良がダメージ受けた時に治療も兼ねて確認させてもらうわ」
ライダーが鯉口を切るのを見て再び両手を上げるサラ。
「今日のサラ、なんか口を滑らしやすいね」
「わかってはいるんだが、気づいた時にはもう口からこぼれてるんだ。それを口を滑らすって表現するんだろうが……
はぁ、ちょっと同調させるの急ぎすぎたかしら……?」
「サラ?」
「いや、こっちの話だ。気にしなくていい。
それで、だ。問題は出血だ。血液はもちろん体内にあるものだから、お前の体質なら本来観測できない……つまり出血はしないはずだが、私が知る限りでも出血している場面は多く目撃している。一回戦から一緒にいるライダーならもっと多く見てるだろうな。顔色だって血液の色と量に影響されるはずなのに変化が観測できているわけだし
体内が観測できるようになったから出血するのか、それとも出血することがトリガーとなって体内が観測できるようになるのか、まるで卵が先か鶏が先か理論だな。
……まあ皮膚そのものは他の人間と変わらないようだし、顔色の件も含めるとおそらくお前の場合は後者でしょうね」
机の山から這い出た俺の手を引きつつ、その手を撫でて感触を確かめてくる。
「つまり、出血することがトリガーとなって俺の耐久力は並になるってこと?」
「今のところはそう定義していて問題ないだろう。出血だけがトリガーとは限らないし、出血してない状態で体内へのダメージがどこまで無効化されてるのかは今のことろわからないがな。
これまで通り極力攻撃を避けた方がいいと思うわよ」
たしかにそれだとこれまでの現象にすべてつじつまが合う。
思い返せば、ユリウスから受けた一発目と二発目の間に彼が投げた黒鍵のせいで頬から出血していたはずだ。
刃物に対しては今まで通り警戒するとしても、打撃攻撃にたいしては少しカウンターを入れることも考えても大丈夫だろうか……?
「変なこと考えてないだろうな?」
「な、なんのこと、かな?」
銀髪の隙間から覗く冷たい眼差しに思わず顔を背けてしまい、ライダーからもグサグサと視線が刺さる。
……とはいえ、右腕は誰か他人のもので、出血しなければ体内にダメージはなしと考えていい体質。ますます俺が人間じゃないことに現実味が出てきたことに乾いた声で笑ってしまう。
思わぬところで気分が落ち込んでしまったところにパンッという乾いた音が響いた。
「それじゃあ、ようやく本題にはいれるな」
「――――え?」
ということで天軒の能力が一つ追加されました
打撃に関してはほぼ無敵になりましたね(やりすぎたとは思ってますが後悔はしてません)
次回、この物語の大きな転換回になります。