Fate/Aristotle   作:駄蛇

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無感情の兵士

 早朝、といっても時間が曖昧なこの空間では個々のマスターが起きたタイミングが早朝となるのだが、タイミングを見計らったように端末に言峰神父から連絡が入った。

 要件はランルーくん討伐戦時の勝利報酬である、相手サーヴァントの情報を得る権利をここで使用するかどうかということだった。

 文末に教会で待つ、と記されていたため言われた通り向かうと、奥で静かに佇む神父の姿があった。

 相変わらず、並みのマスターであれば容易に蹴散らしそうな雰囲気を醸し出す神父に若干警戒しながらも建物内に足を踏み入れる。

「ようこそ、未熟ながらも多くの強者を退け突き進むマスターよ。この度はこちらの要望に従ってくれて感謝する」

 まがいなりにも運営管理を司るNPCか。このあたりの前置きの言葉は手慣れた様子に見れる。

 ……まあ、言葉を発するだけで威圧感が増すのはどうかと思うが。

「さて、前置きはこれくらいでいいだろう。

 君の端末に送った通り、今回呼んだのは他でもない。違反者討伐の報酬をここで使うかどうかの確認だ。

 本当であれば昨日の時点で確認する予定だったが、早々にマイルームに篭ってしまってはこちらからはどうすることもできなかったのでね」

「それ、遠回しに俺のこと責めてます?」

「とんでもない。自陣に籠るのも立派な戦術だ」

 言いながら言峰神父は肩をすくめる。そして改めて無言でこちらに視線を送ってきた。

 回答を急かしているようだ。

「ここで消費する予定だけど、2人とも問題ないよね?」

『私は主どのの意見に異論はありません』

『私も同感だ。出し惜しみして勝てる相手でないのは確かだしな。

 今使えるものは使っておいた方がいいでしょうね』

「……ということです」

 こちらの答えが固まったのを確認すると、歴戦の戦士という表現が正しそうな神父は小さく微笑んだ。

「結構。ではルールに従いマスター・天軒由良に敵サーヴァントの真名を――」

『待った』

 端末を目の前に展開して操作し始めた言峰神父を端末越しにサラが制する。

『開示してほしい情報は真名ではなく宝具のデータだ。

 そういうデータも閲覧できるんでしょう?』

「無論可能だ。その場合はこれまでの戦闘データを中心に提示することになるが、よろしいのかね? 一般的に真名がわかれば宝具も自ずとわかるものだが」

 言いながらも眉をひそめる言峰神父。そして何も聞かされていなかった俺も端末の向こうにいる彼女の言葉に首を傾げた。

『真名はおそらくハサン・サッバーハだ。ザバーニーヤという宝具を使う時点でそれはほぼ確定している。だがあいつらはただでさえ宝具を連想するための伝承がないうえ、代々その名を襲名しているから同じ真名でも宝具は千差万別だからな。

 だから、少しでも実践的な戦闘データをもらった方がいいのよ』

「ふむ、そういうことなら私からこれ以上言うことはない。

 ……たった今、マスター天軒由良の端末にこれまでの4回戦分の戦闘データを転送した。あとは君たちの好きにするといい」

 以上だ、と無言の圧力で半ば追い出すように教会から退却させられた。

 端末を確認すると、いくつかの録画映像と素人目にはよくわからないデータがフォルダ別に格納されていた。

「サラ、これを使って何をするつもりなの?」

『簡単に言えば対アサシン用の迎撃礼装を作成する。元々はラニ=Ⅷが作成を進めていたものだがな。

 間に合わないと判断して私に託したのよ』

「そっか……また、ラニに助けられるわけだね」

『これから私の方も忙しくなるから、何を考えているか問い詰める気はないが、これ以上落ち込むようなら一度本気でその性根を叩き直すぞ。

 相手はハーウェイ家の邪魔となる者を葬り去る部隊の筆頭だ。敵を殺す、ただその一点のスキルだけで言えば間違いなくこの聖杯戦争に参加しているマスターの中でも群を抜いている。

 まあ、次期当主のレオナルド・ビスタリオ・ハーウェイが参加しているところを見ると、あいつの役目は次期当主様が聖杯を得るためのお膳立てでしょうけど』

「お膳立てって、優勝者以外生きて帰れないこの聖杯戦争でそんなことをしたら……」

『死ぬな、間違いなく。だがそれも承知の上だろう。レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイが聖杯を手にすれば邪魔者なんて出てこなくなるだろうし、そうならば邪魔者を葬る部隊だって必要なくなる。むしろ寝首を掻かれる可能性をいつまでもそばに置いておくとも考えにくいしな。

 違法術式(ルールブレイク)をしこたま持ち込んでいると聞いたが、どこまで無茶をすればそんなことができるのやら。まだ地上の肉体が生きているかどうかすら怪しいな。

 ……同情したかしら?』

 端末の向こう側にいる声の主は少し茶化し気味にそんなことを聞いてくる。

 最初から死が確定している戦い。生きるために勝ち抜く俺と、死ぬために勝ち抜くユリウス。真逆なようでどこか似ているような気もするが……

「全然同情できる気がしないんだ。昨日と一緒で、ただユリウスを倒すって感情だけが渦巻いている感じ」

『……そうか、聞いておいてよかった』

 なんとなくだが、端末の向こう側で彼女が表情を歪めたように感じたが、それ以上彼女が何か苦言を呈するようなことはなかった。

 

 

 アリーナへ向かう途中、見知った姿と廊下で鉢合わせた。

「こんにちは」

「ああ、こんにちはレオ」

 見た目にそぐわない大人びた笑みを浮かべ、強者の気品を漂わせるその少年と軽く挨拶を交わす。その後ろに佇むサーヴァントのガウェインはいつものようにただレオのやることを黙って見守るだけだ。

 いつもならこのまますれ違うのだが、今日はそうならない。何か……用だろうか?

「今のうちに、別れの挨拶をしておこうと。

 貴方の次の相手が兄だと聞いたもので」

「兄……ああそうか、レオもユリウスも同じハーウェイの性だったね。兄弟とは思わなかったけど」

「ええ、兄弟とはいっても腹違いではありますが。

 もっとも、その事実と兄が聖杯戦争に参加している事とは、何の関係もありません。彼は単純に、ハーウェイ家次期当主の護衛としてここにいるのです」

 先程サラが言っていたが、やはりユリウスはレオを勝たせるために死が確定したこの聖杯戦争に参加しているのか。

 わかってはいたが、血縁者がここまで冷酷に口にすると感じ方も随分と変わるものだ。

「……それで、お別れってどういうこと?」

「貴方では兄には勝てない。

 ですから、お別れの言葉を」

「っ、ずいぶんはっきり言うね」

 おかげで背後で霊体化するライダーが殺気を放ち始めたので手を挙げて制することになった。

 それを攻撃の合図と捉えられたのか、ガウェインまで戦闘態勢に入りかけて一触即発の空気となる。

「確かに力の差はあるだろうけど、もう少し言葉を選んでほしかったかな。こんなところで戦闘してペナルティなんてシャレにならないし」

「それについては申し訳ありません。それにしても、随分とマスター思いのサーヴァントなんですね」

「俺としてもうれしい限りだよ。だからこそ、俺も負けるわけにはいかない」

「意思だけではどうにもならない現実があります。貴方と兄の戦力差は明白です」

「戦力差が明白なのは1回戦が始まったときからずっとだ。だけどこうして俺はまだ生き残ってる」

「それは……そうですね。彼とて絶対ではありません。

 まったく、貴方の言う通りです」

 お互い引かない泥沼の言い争いになるかと思ったが、思ったよりあっさりとレオの方が折れて頷いた。

 わずかに、天ならぬ人の身を憐れむように。

 その肯定はこちらに向けられたものではなく、兄であるユリウスに向けられたもの。とさえ思えた。

 やはりこの少年はどこか別次元で物事を考えているように感じる。

「天の意志が下されるのなら、兄さんにもそれは抗いようのないこと。

 その時はその時です。僕は、今回の勝利者は兄さんだと思っていますが……もし兄さんが敗北するのなら、その時は不運だと思いましょう。ただ純粋に、彼には運が無かったと」

 さきほどと変わらぬ笑みだが、背筋に寒気を感じるほどレオの考えは冷たい。

 レオは、肉親であるユリウスの勝利を願っているのではないだろうか……?

 そこまで考えてハッとした。

「そっか、優勝するつもりならいつかはユリウスを殺す日がくる。ユリウスもそれがわかってて参加してるなら、レオもわかって参加してて当然か」

「はい、ですのでこの一時彼の生を願ったところで意味がありません。ただ、一つだけ救いがあるのなら、それは無意味な死ではない、という事。

 兄は、僕が世界を統治する為の礎となります。それは、人々にとって、ゆるぎない成果でしょう」

 これがレオの考え方。世界に君臨することを約束された王者の思想。

 理解できるものではないが、納得はいった。

「こうして何度か言葉を交わしていますが、なぜだか貴方に対して興味が尽きませんね。対戦相手として向かい合った時、貴方はどんな顔をするのか……

 今度兄さんに聞いてみましょうか。

 いずれにしても、これが最後ではない、という貴方の言葉を僕も信じてみたくなりました。

 機会があれば、いずれ。僕はこれで失礼します」

 現れたときと同じ威厳に満ちた足音が遠ざかる。

 その小さいが大きく見える背中が消えるのを確認してから大きくついたため息が端末の向こうから聞こえてきた。

『私でもあれは予想以上だった。あいつは自分の周りの人間の死に特別な価値を置かないらしい。

 すべて自分に都合がいいように回っていると信じて疑わない傲慢さ、そしてそれを裏付ける圧倒的な力。

 国を統べる王になるにはああいう達観した心が必要なのかしらね』

 私には理解できない、という代わりにサラはもう一度ため息をついた。

 確かに、レオはこの聖杯戦争で出会った誰とも違う別次元の存在感を放っている。俺にあの考えが理解できる日が来るのか怪しいところだ。

『そう、なのでしょうか……』

 だからこそ、身近な人のその人の言葉に息をのんだ。

「ライダー……?」

『あ、いえ、申し訳ありません。私はあの少年の思想がよくわかったもので。

 もともと私の生きた時代は政権争いで血縁同士の争いなども珍しくなかったからでしょうか……?

 私は兄上にそういうことを命じられませんでしたので血縁者を討ち取るようなことはありませんでしたが。あ、でも兄上の政権を盤石なものにするために討たれる側になったことはありますね』

 懐かしそうに語る彼女に、レオの時とは違う寒気を覚えた。

 ライダーが気づいているのかわからないが、その言い方だと、彼女は主に命じられれば親しい人でも殺めるということになる。

 いや、そもそも彼女にとって、敵と味方という区別はどう判断しているのだろうか……

「まあ、いいか」

『主どの?』

「なんでもないよ、アリーナに行こう」

 どちらにしても俺はライダーを信じるだけだ。

 彼女のことをまだまだ理解できていないことはどうにかするべきだが、変に警戒する必要はないだろう。

 

 

 トリガーを入手するためにアリーナへ訪れる。

 今までの深海や海の中を連想させる空間と違い、今回は樹木が生い茂っていた。パッと見た印象としてはマングローブのそれに近い。1回戦の深海から勝ち上がる毎に徐々に上へと上がっている印象があったが、ここにきてそれが顕著に表れた。今回を含めて、残り3回の戦いで優勝者が決まる。この風景は聖杯戦争もここまで進んできたということを表しているのだろうか。

 一度呼吸を整えてから、風景に向けていた意識をアリーナ全体に張り巡らす。どうやら今このアリーナには自分たち以外の気配はないようだ。これはトリガー入手までスムーズに進むというメリットととらえるべきか、それともアサシンとの戦闘を重ねることができないというデメリットとしてとらえるべきか……

 どちらにしても動かなくては始まらない。

「とりあえずトリガーを取りに奥に行こうか」

『それはいいが、もしアサシンと戦闘しそうになったときは全力で逃げろ』

 進もうとしたところで釘を刺すようにサラの言葉が飛んでくる。

「でも、今必要なのは戦闘データだよね? アサシンとの戦闘を重ねた方がいいと思うんだけど」

『何のためにあの神父から戦闘データをもらったと思ってる。あいつの宝具はすべて暗殺に準ずるものだ。特に『妄想心音』や『観想影像』のような即死系の業に対しては対処を間違えるだけでアウト。安全に戦闘データが取れるならそれに越したことはない。

 今回ばかりは慎重に行きなさい』

「もしもの時は私が責任をもって主どのをお守りしますゆえ、安心してください」

『……お前話聞いてたか?』

 若干間をおいてからのため息交じりの質問。気のせいかもしれないが、端末の向こうにいるサラの表情が引きつったように感じた。

『確かにライダーの技量なら一度見た攻撃に対処できるかもしれないが、18種類あるはずの宝具もすべてわかっているわけではない。初見殺しの宝具がそのままお前や天軒由良の死に繋がる可能性だってあるんだぞ。

 決戦までに対処できなければギャンブルせざるを得ないが、まだ時間はある。もし戦うにしても逃げに徹しろ。それはそのまま天軒由良を助ける事にもつながる。

 いいわね?』

「う……し、承知しました。主どののためというのなら……」

『わかればいい』

 言い出したらなかなか意見を変えてくれないライダーをあっさり引き下がらせた。

 4回戦のときより気迫が増しているように感じる。というより、3回戦の時のようにピリピリしているような……

「では、参りましょう主どの!」

「あ、うん、わかった。じゃあ行こうか」

 ライダーが抜刀して先行したことで聞くタイミングを逃してしまった。

 ただ今のところ最優先はトリガーの入手だ。気になるようならあとでマイルームで尋ねればいい。そう結論を付けてライダーの背中を追いかける。

 一回戦と比べればエネミーも手強くなっているはずだろうが、それ以上にこちらの成長速度が早かったらしく、苦戦らしい苦戦は一度もなかった。最初はすべてEランクだったライダーのステータスも本人曰くもう万全といってもいい、というところまで来たらしい。

 むしろ拍子抜けと言えてしまうほどあっさりとトリガーの目の前まで来たところで本能的に足が固まった。まるで背筋を氷柱で撫でられたような、冷たく鋭い感覚。

 それが、すぐそこまで迫っていた。

「なん……っ!?」

 アリーナに入ってくると直感的にマスター同士はその存在を知覚し合うようになっている。だから、ここまで奥に進んでいる状態ならここまで急接近されるはるか前に気づけるはずなのだ。

『ちっ、おおかたアクセス地点を弄ってあったってところだろう。天軒由良、急いでトリガーを取りに行け!

 間に合うようなら離脱しなさい』

「わ、わかった。ライダーは後方を警戒しつつついてきて。相手はアサシンだから、気配遮断からの奇襲には十分注意で!」

「承知!」

 切羽詰まった声に押される形でトリガーが収められたデータボックスに向かって走り出す。

 サラはああ言ってはいるが、おそらく彼女自身ここから離脱するよりもユリウスたちと戦闘に入る方が早いことはわかっているだろう。

 飛び込むようにデータボックスにアクセスしてトリガーをアイテムストレージに詰め込む。それを待っていたかのように、曲がり角の奥から黒い波が押し寄せていた。

 波の正体は……

「黒い髪……アサシンの狂想閃影(ザバーニーヤ)か!」

 いわく、髪を自在に伸縮させて操る業。強度もそれなりにあるのか、束ねられるとライダーの剣戟に耐える場面も多い。今までは逃げ道を確保しながら髪の密集率が低いところを狙いすましたように切り裂き牽制していたが、今回は袋小路になっているため回避しながらは難しい。

「ならやることはひとつ。ライダー、そのまま押し切るんだ!

 gin_str(16);>key」

「おまかせを!」

 迫りくる黒い波へ一切の躊躇なく肉薄するライダー。迷いのない彼女の一振りは見事に両断した。制御下から解放された黒髪が舞い散り、その中をさらにライダーが突き進む。

 曲がり角まであと数メートルまで迫ったところでこのままでは決定打にはならないと判断したらしく、黒髪が曲がり角の奥へと引っ込んでいく。そして間髪入れずに禍々しい腕が曲がり角から伸びてきた。

「っ!?」

 間一髪その死の左腕を回避するライダーだが体勢が悪くさらなる追撃を捌き切る余裕はない。そして、そのチャンスを逃すほど相手も間抜けではない。

「hack(64);>key!」

 だからこそ、それを援護するのがマスターの役目だ。黒鍵を振るい放たれた斬撃が禍々しい左腕をわずかな時間だが怯ませたことで死の脅威が遠のく。そしてその微かな時間で素早く体勢を立て直したライダーが俺のもとまで後退してきた。

 

『――アリーナ内での戦闘は禁止されています』

 

 遅れながらもアリーナ内に響き渡る無機質な警告音。四回戦の際には一切聞いていなかったため懐かしさすら感じるそのアナウンスと共に、曲がり角から現れた二つの人影。

 かたや全身黒い装束に身を包んだ殺意の塊。かたや黒いローブで全身をつつみ、背中から禍々しい左腕をゆらゆらと漂わせている死の権化。

 これまで幾度となくぶつかり合っていたが、お互い敵として全力で戦うのは今回が初めてだ。

 もはや撤退という選択を取る余裕はない。両者との間には一切の会話もなく、ただ目の前の敵を討つために距離を詰める。

「血肉を穿て――」

 あと数歩でライダーの間合いになるというところで先んじてアサシンが動く。

「――狂想躯体(ザバーニーヤ)!」

 禍々しい左腕はローブの内に収まり、代わりに右腕から歪な槍のようなものが突出する。

「っ!」

 それをすんでのところでいなし、返す刃でその首に刀を振るう。しかしアサシンの右肩から新たな槍が生えてその一撃を阻んだ。

「っ、骨を己の武器として操る業か。貴様、いったいどれほどその身体に手を加えている!?」

「無論、18名の歴代ハサン・サッバーハ様が生み出した業に対応した部位すべてだ」

 攻撃を防がれたライダーは相手の間合いの外に飛び退くが、アサシンが距離を詰めることで再び骨と刃が交錯する。

 筋力を上昇させた状態のライダーの一振りに耐えるのではこちらからのサポートでこれ以上どうにかすることはできない。俊敏のステータスがどちらも高いので、妨害系のコードキャストは逆にライダーの動きを阻害してしまう恐れがある。

 あらゆるパターンを考えるがこれ以上は何もしないのが最善だと判断し、もしものために耐久を向上させるコードキャストを施すだけに抑えて、こちらはこちらで迫り来る死の脅威に集中する。

「――――!」

 ノーモーションからの、されどまともに受ければ無事では済まないほど研ぎ澄まされたユリウスの拳。以前受けた時は辛うじて防げたが、今回はおそらくそうはいかない。的確に対処しなければ黒鍵で防いだとしても刃が砕ける可能性がある。

 最新の注意を払って刃の腹の角度を調節してユリウスの拳を受け流す。それによりユリウスは自ら拳に乗せた勢いによって身体が流れ……

「甘い」

「がっ!?」

 短く呟いたユリウスの言葉の意味がわかる前に、彼の拳が俺の側頭部を打ち抜いていた。

「受け流されるのがわかっているのなら最初から一撃目は捨てて二撃目を本命にするに決まっているだろう。

 技術があるのは認めてやるが、読み合いができない貴様は俺になす術なく殺されるだけだ」

 その言葉の意味を理解するより早く、続けざまに全体重を乗せた拳が放たれる。苦し紛れに黒鍵の腹で受け止めようとするも、ユリウスの拳は魔力で編まれた刃を難なく砕いた。

 破片が飛び交う中俺の身体に深々とめり込む拳。直感的に受けてはいけない一撃を受けてしまったと気付いた時にはすでに吹き飛ばされて地面を転がっていた。

『おい天軒由良無事か!?』

「あ……がっ…………あ?」

 痛みにうずくまり空気を吸おうと喘ぐ中、わずかな違和感に眉をひそめる。

 サラの鞭のように鋭い一撃と違い、より重く響く一撃。のはずなのだが、思ったより身体へのダメージはない。ダメージが少ないことはいいのだが、想定してたものより軽いダメージなのは少し気持ち悪い。

 この違和感はユリウスの方も感じたらしく、殴った右手とこちらを交互に見ながら眉間にしわを寄せていた。

「たしかに打ち抜いた。手応えからして受け流したようでもない。内臓と骨に致命的なダメージを残すように力を加えた。

 だがお前の様子からしてそこまで深刻なダメージは入っていないように見える。実際、殴ったときの感覚も骨を砕くようなものでも、内臓にダメージを与えるようなものでもなかった。していうならスライムでも殴ってるような……いや、そんな単純なものではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような……

 貴様……その身体いったいどうなっている?」

 そんなこと俺の方が知りたい。

 体質なのか、はたまたこの右腕の影響なのか、どうやら俺の身体はまだまだ謎だらけらしい。

 自分のことなのに自分が一番分かっていないというこの状況に表現できない苛立ちを感じるが、今はそれどころではない。

 ダメージが少ないという結果だけ受け止めてすぐさま立ち上がり、ライダーの方を見る。

 彼女は時折こちらを心配そうに伺いながらも基本的にアサシンの対応に専念してくれている。そのことが彼女から信頼されている証拠だと感じて自然と笑みがこぼれる。

 予想外のことが起こったが、おかげで流れが断ち切れて息を整える時間ができた。

「相手は単純なルーティンで動くエネミーじゃない。もっとよく考えて行動しないと……

 この変な体質がいつまでも俺に味方するのかもわからないんだ」

 吹き飛ばされた際に黒鍵を手放してしまったため、新しい黒鍵をアイテムストレージから取り出しながら自分に言い聞かせる。

 今の攻防で力の差は嫌という程わかった。これ以上は戦わずにライダーのサポートに徹したほうが勝率は高いと思うのだが、目の前の黒衣の死神はそれを許してくれないだろう。

「……ライダーの方は均衡は保っているようだし、たぶん強制終了までならコードキャストの効果も持つはず。今はこのまま凌ぐしかないか」

 改めて向かい合うと、ユリウスの右手には見慣れた十字架を模した剣が握られていた。

 さきほど殴られた時に俺が手放した黒鍵を拾ったのか。

 斬り合いでもするつもりだろうか……?

「いや違うこれは――!?」

 反射的に首を振ったその数センチ横を黒鍵が通り抜けていく。完璧には避けきれずに頬を浅く裂かれたが問題はない。

「今度は読めたか」

 黒鍵を投げた張本人は少し感心したように呟きながらも再び攻撃を仕掛けてくる。

 一撃の致命傷ではなく牽制しつつダメージを与える拳であるため黒鍵で防げはするが、代わりに手数が多く隙がない。後ろに下がってユリウスの拳の間合いから逃れようとするが、ぴったりと張り付かれてそれもできない。

 そのまま防戦一方でどんどん劣勢に追い込まれていく。

 ダメージが少ないことを前提で一矢報いる? いや正体がわからない特性に頼った攻撃は極力避けたい。

 対処法が浮かばず歯噛みしている俺を見てなす術がないと判断したのかユリウスの動きが目に見えて変わった。そして一撃一撃の威力が増していく。

 片手でさばくには重すぎる一撃にとっさに両手の黒鍵で防いだ瞬間、無表情な男の表情がかすかに揺らいだ。それは勝利を確信した笑みか、それともこちらを見下し落胆した表情なのかはわからなかった。

 突き出したユリウスの左手の拳が突然開かれ、防御のために突き出していた二本の黒鍵の刃を掴む。その光景にギョッとしたのもつかの間、まるで飴細工のようにあっさりと黒鍵の刃が砕け散った。

 コードキャストでも使ったのかもしれないが、それを考察する余裕を相手がくれるわけもない。ユリウスの右腕はすでに拳を握りしめて振りかぶられていた。

 あと1秒も満たない間にその拳は俺に向かって放たれる。しかし両手に握る黒鍵は刃を失った。刃を再構成する時間も、アイテムストレージから新しい黒鍵を取り出す暇もない。

 とっさに両腕を交差して防御の姿勢を作れたのは本当に偶然だった。直後にユリウスの拳が振るわれる。

 左腕の前腕を前にしてその拳を受け止めた直後、鈍い音が響くとともに再び地面を転がった。

 

『――強制終了します』

 

 直後ににアリーナ内にアナウンスが流れ、抵抗できない強制力によって戦闘開始前の場所に戻されていた。

「あ、ぐ……っ!?」

「主どの!」

 殴られた左腕に微かにノイズが走り、それに伴う激痛によって全身から嫌な汗を流す。

 そんな情けない俺の姿を庇うようにライダーが前に出る。しかしいつものようにこちらに駆け寄ってくる様子はなく、抜刀したまま警戒を解かずにユリウスとアサシンを見据えていた。

 アリーナ内で戦闘が強制終了されると、その日が終わるまで再戦はSE.RA.PHによって阻まれるようになっている。つまり追撃の心配はない。だとというのに、曲がり角のすぐそばまで戻されたユリウスの放つ殺気は俺とライダーをその場に縫い留めていた。

「……いくぞアサシン」

 最後にそう言い残し、黒い影は曲がり角の向こう側に消えていく。それを完全に見送るまで俺たちは警戒を解くことができなかった。

 生きているということに安堵する傍ら、一抹の不安が脳裏をよぎる。

 考えていなかったわけではない。ライダーのステータスが万全になったということは、逆にいえばもう頭打ちということでもある。

 今回のアサシンとの戦闘でコードキャストの補助だけでは押しきれないこともわかった。となれば、あとは各々の切り札――宝具が決め手になると言ってもいい。

 一回戦のシンジとの戦い以降使用しなかった宝具(切り札)。牛若丸の生前の覚悟を否定することに繋がる宝具(呪い)

 はたして、ユリウスとアサシン相手にも使わずに勝つことができるのだろうか……?




前に天軒の謎は全部出したと言ったな? あれは嘘だ()
すでに考えてあった決着術式の設定を固める過程でつじつま合わせで天軒の特性を増やしました

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