今年もゆっくりとですが更新していきます
「あの、できれば由良さんにもご退出してもらえるでしょうか?」
桜を見送ったのもつかの間、申し訳なさそうにだがラニにそう言われてしまう。
何かまずいことでもしてしまっただろうか?
不満そうにしているのが顔に出ていたらしく、慌てた様子でラニは補足をつける。……こんな部分でも一回戦の頃の彼女と比べると違う部分が感じられた。
「今から取り掛かる作業の内容を知るものは出来る限り減らしておきたいのです。
……彼女の援護なしで校舎を歩くのが不安なのでしたら、バーサーカーを護衛につけますが――」
「ご心配なく。私一人で主どのの護衛は十分ですので」
かなり食い気味でライダーがラニの提案を却下した。ラニにそんなつもりはなかっただろうが、言外にライダーでは力不足と思われたのが癇に障ったらしく、その横顔はかなり不機嫌そうだ。
「では参りましょう、主どの」
「え、あっ、ちょっと!?」
そしていきなりライダーに腕を掴まれたかと思うとそのまま保健室の外へと連れ出されてしまった。
中にいても何ができるわけでもないのだが、こうやってのけ者にされるのは、それはそれで納得がいかない気もする。
時間を潰すにしてもどれぐらいの時間待てばいいのかも分からないし、どこで時間を潰すにしてもそこまで選択肢もない。図書室で本を読むか、購買部の舞のところで雑談をするぐらいだろうか。
「――ミ……ラ、その……はさすがに――」
すでに作業を開始したらしく、中からラニの声が漏れている。
ただ、どうやら何か問題が発生したらしい。普段の彼女からは想像がつかない慌てた様子が伝わってくる。
「……中であの二人何やってるんだろう?」
「気になりますし覗いてみましょう。こっそり戸を開くのは得意ですのでお任せを!」
などと言いながら嬉々とした様子で戸の前にくっつくライダー。彼女の言ってる意味を理解した頃にはすでに音を立てないようにゆっくりと戸を引こうとしているところだった。
「先程は少々大人気なく張り合ってしまいましたが私も気になるのは事実ですので。
なに、ようはバレなければいいのです。というよりもしバレてもあの二人なら問題ないかと!」
背中しか見えていないが、背中越しにも彼女がうずうずしているのが十分にわかった。
たしかに危害を加えられるようなことはないだろうが、もしバレるとサラの小言が飛んできそうな気も……
「まあ、そのときはそのときか」
結局は好奇心に負け、保健室の戸を少しだけ引いて覗き込んだ。
すると、まずは戸によって遮られていた音がクリアに聞こえてきた。
「私としては最初はこれぐらいの設定でもいいと思うんだが……
そんなに問題かしら?」
「さ、さすがにそれは大雑把すぎます。下手をしたらコードが暴走してしまう可能性も……
あの、コードキャストを作る際はいつもこのような設定を?」
「そうだが、私のやり方ってそんなにおかしいか?
動きさえすればあとは現地でエラーを修正していく方が効率もいいでしょう?」
「……………………」
「どうかしたか?」
「い、いえ、なんでもありません。では細かい調整は私が行いますので、大まかな設計をお願いできますか?」
「たしかに、細かいところはお前がやったほうがいいな。特に異論はない。
そうと決まればさっさとやってしまいましょう」
会話はそこで終わり、あとはタイピングの音だけが保健室に響いていた。
1分にも満たない短い会話だというのに得られた情報は多かった、というより多すぎた。もっと言えば余計なことを知りすぎた。彼女たちの様子を見届け、そっと戸を閉める。隣では覗き見を提案した本人が何とも言えない表情でこちらを見ている。
「……あの、主どの」
「俺たちは何も見なかったし聞かなかった」
「いえ、ですが左目……」
「俺たちは何も見なかったし聞かなかった」
「し、承知しました」
強引にだがライダーがこれ以上のことを口に出すのは食い止めることができた。好奇心猫を殺すとはまさにこのことか。
たしかに守り刀の復元の際はかなり雑な強化の仕方していたな、などと思い当たる節があるがそれも気にしないことにした。気にし始めると今後の戦闘にことに支障が出そうだ。そしてそれに気付いたところでもはやこの左目はどうしようもない。ただただ不具合が起きないよう祈るばかりだ。
これ以上覗いていて聞きたくないことを聞くことがないように、そして出来る限りさっきの出来事を忘れようと心に決めて足早にその場を離れ、地下の食堂に向かった。
地下に降りると、いつものように奥にある購買から手を振る少女の姿があった。
「久しぶりだねーって、何かあった?」
出会いがしらに心配されるほどひどい顔をしていたのだろうか。
いやそれはない。俺たちは何も聞いてないのだから。うん、そうにちがいない。
「……あー、これはあんまり突っ込んじゃいけないやつ? ならいいや。
先日の黒い化け物の騒ぎでただでさえ客足が遠のいている購買部にようやくお得意さんが来たからね。ここはいろいろと御贔屓願いたいなーなんて」
「そこは割引する、とか言うところじゃないのかな?」
「できる状況だと思う?」
「ごもっとも」
ただこちらも募金感覚でアイテムを買えるほど資金が充実しているわけではない。ただ4回戦の決戦前日から購買部にきていなかったため、足りなくなった消費アイテムだけ補充して少しでも売り上げに貢献はしておく。
「はいまいど。いやー、ここ最近全然会わなかったから少し心配してたんだよ。負けたって噂は聞かなかったから別の校舎に移動された可能性もあったけどね」
「そういえば、保健室で会って以来だったね」
「え、なんのこと?」
「……は?」
記憶をさかのぼって最後に舞に合った時を思い出してみたが、保健室で出会ったことに対して舞は首をかしげた。
とぼけている様子はない。本当に何も覚えていないようだった。NPCでも何かを忘れることはあるのだろうか?
もしくは、購買委員が購買部から離れたのは本当にまずいことで、意図的に記憶を削除したのだろうか?
まあ、それならなんで出歩いたのか問いただしたいところなのだが……
「まあいっか。特に用がないから暇つぶしに付き合ってもらってもいいかな?
どれぐらいか知らないけどとりあえず丸一日ぐらい校舎にいることになったから」
「丸一日って……私も暇してたから別にいいけど、その代わりもう少し売り上げに貢献うれしいなー、なんて?」
「う……わかったよ。エーテルをもう少しだけ追加で」
「まいどー!」
――そして、私は観測する。
天軒がいなくなり、桜もいない保健室にはラニ=Ⅷが一人。そして端末越しに必要最低限の会話だけを交わすサラの二人きりとなった。
作業を始めてすぐはサラの大雑把さが明るみになり、少々揉めはしたがそれもすぐに解決。ようやく作業に熱が入り出したところで、タイミングを見計らったようにラニが口を開いた。
「……ミスサラ、そちらの進捗はいかがでしょうか?」
『まだ始まったばかりだが、特に問題はない。私の方は設計図通り進めていくだけだからという理由もありそうだがな。
お前の調整次第だが、これなら想定していたよりも早く終わるかもしれないわね』
「わかりました。ではこちらも少し処理速度を上げましょう」
『そんな上げると言って本当に処理速度が上がるんだからお前は本当に規格外だな。優勝候補は化け物ぞろいだが、お前は特に尖りすぎてる。
うまくハマればお前が一番化けそうね』
「……えっと」
ため息交じりに呟くサラではあるが、憑依によって多種多様なコードキャストを使い分ける汎用性に加えて、ユリウスほどでないにしろ並みのマスターでは一方的に蹂躙してしまうレベルの体術の実力者である彼女も十分に化け物であることには変わりない。
それは実力のあるウィザードの記録を熟知しているラニもわかっており、サラの言葉にどう返せばいいのかわからず視線が泳いでいた。
『ところで――』
和んだ雰囲気に不意に話題を変えるサラ。その声色の変化にラニが気づく前に、ナイフのように鋭く容赦のない質問が投げかけられる。
『この礼装、現時点で何割程度完成する予定なんだ?』
「……………………」
たった一言の質問で緩んでいた空気が一気に張り詰めた。
「なんの、ことでしょう?」
『とぼけるのはまだ下手だな。その対応がほとんど答えになってるぞ。渡された設計図を見れば私でも一応礼装の完成形は予想がつく。この通りに設計すればお前が望むものができるだろう。
だが、重要なものが足りてないんじゃないかしら?』
その問いに対してラニは沈黙を貫く。さらなる追求がくるかと思われたが、保健室に桜が戻ってきたことで自然とこの話題は中断された。
「い、一応言峰神父から許可を取ってきました。現在治療の必要なマスターもSE.RA.PH内にいませんし、誰かがここに来ることもないと思われますので、今日一日限り保健室はラニさんとサラさんの貸し切りとなります。
それで、私はこのまま業務を続けても大丈夫なんでしょうか?」
「はい、あなたがこのことを積極的に話すようには見えませんので構いません」
もはやどちらの立場が上なのかよくわからない状況にサラが苦笑いを浮かべているが、端末越しにそれが伝わることはなかった。
桜が保健委員としての作業を始めると、二人の作業も再開される。二人の間に会話らしい会話は一切なかったが、どちらかといえばそれは切り出すタイミングを見計らっているようにも見える。
そのまま無言の作業が続くかと思われたが、不意にラニがコードとは別の文字を打ち込み始めた。そしてその操作が終わると、端末の向こう側で小さく通知音が鳴る。
『……はぁ。わかった、お前がそうしたいのなら勝手にすればいい。
あいつにとってはお前は特別な存在かもしれないけど、私にとってはただの倒すべき障害でしかないもの』
少し間をおいて聞こえてきたのはサラのため息。いっそ舌打ちまで聞こえてきそうな呆れた様子で何かを承諾したようだが、それを知るのは二人のみ。
それ以降はただ黙々と作業が行われ、作業が終わるその時まで彼女たちの間に会話が生まれることはなかった。
舞との暇つぶしの話題が切れ始めたところでサラから作業が終わったという連絡を受け、保健室に向かう。中では作業を始めた時と同じ場所で微動だにしていないラニと、彼女にお茶を入れている桜が出迎えてくれる。
さすがに丸一日の作業となればハードなものだったようで、ラニの表情にも疲れが見えた。
「由良さん、ごきげんよう」
「ラニもサラも、それから桜もお疲れ様。それで、礼装の方は完成した?」
「……ええ、問題ありません。ミスサラをお貸しいただきありがとうございました」
『おい私は物か。
……いや、礼装だからカテゴリ的には物だっわね』
「それすごい反応に困るから自虐ネタにしないでね?」
『私がそういう陽気なタイプに見えるのか?』
「たまに対応に困る発言するから言ってるんじゃないか」
端末の向こうから不満そうに唸るサラの声が聞こえてくるが相手はしないでおこう。主に右手の回収を片手間のお使い感覚で頼んできたことを言ったのだが、これは普通に気づいてないやつだ。
「それじゃあラニ、俺はただ頑張れっていう事しかできないけど、またこうして話ができることを願ってるよ」
「次に会うのは敵同士かもしれませんが……」
「それは、考えていなかったな……
でもなんとなくだけど、敵同士であっても俺はこうして会話をしていると思う。お人好しっていわれそうだけどね」
「はい。ですが、それでこそあなたらしい」
苦笑いでそう答えるとラニも同じく小さく笑って返す。
「由良さん、あの……」
少し間をおいて、先ほどより改まった様子でラニが名前を呼ぶ。
「……いえ、なんでもありません。今回は本当にありがとうございました。このお礼はまた改めてさせていただければと思います。
それでは、ごきげんよう」
微笑み、丁寧に頭を下げてからその場を去るラニ。もう一度桜にお礼を言ってから保健室を出てマイル―ムへと向かう。
マイル―ムではサラが自身の工房で身体を投げ出して天井を仰いでいた。端末越しには比較的いつも通りに振舞っていた彼女も実際はかなり疲弊していたようだ。
「えっと、大丈夫?」
「……ああ、帰ったんだな。心配するな。ここは仮にもSE.RA.PHが作ったマイルームの中だから、単純な疲労であっても治るのが早い。一日寝ればどうにかなるだろう。
まあでも、さすがに丸一日礼装の作成に費やすのは精神的に堪えたわ」
一日中同じ体勢を維持して凝り固まった身体をほぐそうとしているのか機材に囲まれた工房から立ち上がりストレッチを始めた。……と思ったのだが、準備体操程度の動きかと思ったら次第に動きが大きくなり、いつのまにか三回戦で戦った際に見せた体術レベルに発展していた。
腕や脚の先がブレて見えなくなるほどの速度で虚空に放たれた一撃は空気を切り裂き、その衝撃が音となってこちらまで届く。
心なしか殺気がこもっているのはただの勘違いだと願いたい。ライダーはその動きを感心して見学するだけで止める様子はない。
サラのストレッチ……で良いのだろうか? を見ていると背筋に冷たいものを感じたため、彼女の気が済むまで俺は部屋の隅の方で小さくなって待機することとなった。
程なくして気がすんだのか、サラは大きく息を吐いて動きを止める。
「久々に動いたけどやっぱり鈍ってるな」
「それで鈍ってるとか冗談だよね?」
「技のキレも落ちてるが、それ以上に技から技への繋ぎ方が目も当てられない有様だ。このままだと防がれた場合の反撃を受ける可能性が高すぎる。三回戦の時点ではお前を一方的にボコれる自身があったんだがな。
また鍛え直しね」
ため息をつきながら工房の椅子に腰を下ろすサラ。しれっと物騒なことを言っているがあながちハッタリじゃないこともわかるから表情が引きつってしまう。
「今更だけど、服装的にサラってシスターなんだよね?
言峰神父もそうだけど聖堂教会ってそんな武闘派が多いの?」
「……ああそうか、たしかに黒鍵を使ってるし父は聖堂教会の人間だったしで、普通に考えればそういう答えに行きつくのが道理か。
だが、聖堂教会が武闘派っていうのは間違いないが、私はそこには所属していないしシスターでもない。服については……まあ色々あるが神父だったハンフリーにいつも修道服を着させてもらっていたのもあって着なれているから、っていうのが一番の理由だな。
一応神について説かれたこともあるにはあるんだが、西欧財閥に支配されつつある今のご時世では宗教はあまり必要とされていないし、私もいまいちピンとこなかったな……
一部に需要はあったみたいだけど」
……なぜか一瞬、会ったこともないハンフリーの悲しそうな表情が目に浮かんだ。
「えっと、じゃあその左肩からぱっくり割れた神父服はサラが改造したの?」
「……ああ、これか。まあ古着の再利用だ。スカートの方も修道服の上半身部分を切って使っているしな。
物持ちはいい方なのよ」
気のせいかもしれないが、一瞬だけサラの表情が曇ったように見えた。ファッションというには少し乱雑すぎる裂かれ方をしているカソックの切り口を指でなぞりながら彼女は答えたが、その銀髪の隙間から除く澄んだ青色の瞳が何かを隠しているのは明白だった。
だが、彼女が答えたくないのであればこれ以上こちらから追及するものでもない。
くわえてサラがあくびをかみ殺したことでこの会話も自然と終わりを迎えた。
「サラどのもお疲れのようですし、主どのも今日は一日の活動時間を優に超えてますゆえ、一度睡眠をとったほうがよろしいかと」
「そうしてくれるとありがたい。さすがに私ももう限界だ。もしかしたら明日お前が起きたときにはまだ寝ているかもな。目印代わりに今私がいる空間とお前がいる空間を一時的に遮断しておく。まあお前側から見ればマイル―ムが拡張前に戻るだけだが。
お前が起きたときにこのマイルームが狭いままなら私はまだ寝てると判断しなさい」
「わかった。さっきも言ったけど、今日はお疲れ様。ゆっくり休んで」
返答の代わりにサラが端末を操作すると、見慣れてきた広いマイルームの景色が以前の一教室分に縮小された。サラの言ったとおり実際には壁の向こう側に空間が広がっているのだろうが、触れてみたところですり抜けないということはそういう設定なのだろう。
「それじゃあ、俺たちも寝ようか」
「はい。本日もお疲れ様でした、主どの」
そして再び夜が明け、インターバル期間もすでに3日目になろいうとしていた。
「おはようございます、主どの」
「うん、おはようライダー」
このやりとりも今では日常となってきた。相変わらず俺よりも先に起きて待っているという状況には必然的に寝顔を見られているわけなので少し恥ずかしいものがあるのだが、言ったところでライダーは止めないだろう。むしろ『主どのの寝顔に恥じるところなどありません』というような的外れの返答がきそうだ。……自分で考えただけで恥ずかしくなってきた。
身体を起こし、教室を見渡してみると広さは一教室分のみでサラの姿はない。寝る前に言っていた通りまだ休んでいるのだろう。
そういえば、半ば無理やりサラに寝具を取られてしまってから新しい寝具を買おう買おうと言っていたにもかかわらず、ずっと買うことができずライダーと同じ布団で寝ているわけだが、ここ最近それに慣れて始めている自分がいる。
記憶がないとはいえ思春期真っ只中であろう俺にはかなり心臓に悪い状況のはずなのに、人の適応能力には驚かされる。できればこんなところで発揮されなくても良かったのだが……
添い寝が日常化しすぎたせいで、今更別の布団で寝ようと提案しただけでまたライダーを不安にさせそうだ。となれば、そろそろ観念するのも手か……
「主どの、どうかされましたか?」
「っ!」
少し考え込み過ぎてたらしい。不安そうに眉をひそめたライダーがこちらを覗き込んできた。
「い、いやちょっと、最近朝の挨拶以外でライダーとちゃんと話す機会なかったような気がしてね」
ライダーとの添い寝の是非について考えていた、なんてこと話せるわけもなく、とっさに別の話題を振る。実際ライダーとは三回戦以降、朝の挨拶と戦術の指示ぐらいしか会話を交わしていない。
基本的にサラからいろいろと指示が飛んでくるから、特に意識していないと彼女との会話が多くなりがちだからかもしれない。
その程度の軽いものと思っていたのだが、ライダーの表情は曇ってしまう。
「……申し訳ありません」
そして第一声目がどういうわけか謝罪だった。
「別に俺は怒ってるわけじゃないよ?」
「いえ、会話の数が減ってしまったのは私に問題がありますので……
今はまだサラどのが休んでいるようなので正直に申し上げますと、まだ私はあの方が信用できないでいます。
日頃のサポートはもちろん、四回戦を切り抜けられたのはサラどのがいたからこそで、その後の左目の件も感謝しても仕切れないほどのものです。それは重々承知なのですが、時折見せる何かを隠している様子がどうも頭から離れないのです」
どうやらライダーもサラが隠し事をしていることは感じていたらしい。会話の数が減っていたのは、無意識にサラを警戒していたから、ということか。
「それでも俺はライダーを責めるつもりはないよ。ライダーが警戒してくれたおかげで切り抜けられた場面も多いし、警戒心の強さは人それぞれだ。
俺はどうも殺気を向けられていない相手に対して注意するって感覚がよくわからないんだ。だから、ライダーが代わりにやってくれているのはバランスがとれていいんじゃないかな?」
そもそも、一回戦の時点でライダーのことは信頼しているのだ。三回戦のあと、いつもと違う行動をとっていた時は疑問が生まれはしたが、これでもライダーがどういう人物かはある程度理解しているつもりだ。だから、彼女が警戒するべきだと判断したのであればこちらからは特にそれを修正するように言うつもりはない。
「……承知しました。では、今後とも主どのの身の回りの安全はこのライダーめにお任せください。どんなことが起ころうとも、必ず守ってみせますので!」
「頼りにしているよ、ライダー」
「はいっ!」
それからしばらく待ってみたがサラが起きる様子はない。こちらから接触する方法はないのは仕方ないが、ただマイル―ムでじっとしているというのも落ち着かず、何をするでもなくマイル―ムから校舎へと移動した。
当てもなく校舎を散策していると見覚えのある金髪の少年が図書室に入っていくのが見えた。
「あれは、レオ?」
気になって追いかけてみると、少年は隣に白い騎士を仕えさせ、おもむろに本を取り出すとぱらぱらとめくり戻す、という動作を繰り返していた。
いち早くこちらに気づいた騎士が少年の前に立ちふさがるが、少年は逆に騎士を下がらせて敵意のない笑みを浮かべて前に出る。
「これはこれは、お久しぶりです由良さん。何か探しものですか?」
「いや、レオがここに入っていくのが見えたからなんとなく追いかけてきただけだよ。
レオの方は探し物?」
「僕も特に理由はありません。ここにはあらゆる情報が保管されているので、こうして時間があるときに何か興味の惹かれるものがないか探しているんです。
いつもは時間だけが過ぎていくんですが、今日は運がいい」
言いながら微笑む先にいるのは……俺のみ。レオはこちらを品定めするような眼差しでこちらを眺めている。
「やはり、あなたは不思議な人だ。以前から不思議な雰囲気はありましたが、『あのころ』から特にそれが増した。まるで別人……いえ、別の雰囲気をまとい始めたと言うべきでしょうか? 一体何があったのでしょう?」
その言葉自体はとても純粋で、年相応の好奇心のようなものを感じる。だがその瞳の奥は全く読めない。いっそ寒気がするほどだ。
レオがさらに一歩踏み出そうとしたところで、それを白い騎士が腕を前に出して制した。
「レオ、お戯れはそこまでにしたほうがよろしいかと。あまり近づきすぎると彼の後ろにいる狂犬に手を噛まれかねません」
「心配しなくとも、主どのに危害を加えるつもりがないものには何もしない。何よりここは戦闘禁止の校舎の中。あのユリウスという暗殺者ならいざ知らず、私はそのような愚かな真似をするつもりはない。
何より、主どのに迷惑がかかりますので」
「などと言いながら腰の得物をいつでも抜けるようにしているのはなぜです?」
「無論、こちらにその気がなくともそちらが攻撃してくる可能性は十分にありえるからな。なんならその首、何手で落とすことができるのか試してみるか、ガウェインどの?」
「っ……!」
ガウェインは目を細め、微かに体勢を低くする。側から見ればどう見ても一触即発の雰囲気だ。
しかし、この数週間ライダーと一緒にいたことで大体わかってきた。
「ライダー」
「っと、もちろん主どのの迷惑になるようなことはしませんとも。ですがいつでも申しつけください。言われればすぐにでも落としに向かいますので」
「前から言ってるけど首を貰っても俺困るだけだからね?」
「そうですか……
主どのは謙虚なかたですね」
先ほどまでの空気はなんだったのか、と思ってしまうほどすんなりとライダーは身を引いた。あまりにあっさりしていたせいでガウェインとレオも面食らっている。
「……ごめんレオ。ライダーに悪気はないんだ。さっきのは強そうだからいつか手合わせしてみたい、ぐらいのニュアンスで捉えてくれると助かるんだけど……」
「ふふふ、わかりました。やはりあなた達は面白い。ぜひどこかで手合わせしてみたいものです。
そういうことですので、それまではくれぐれも剣は抜かないようにしてくださいね、ガウェイン」
「……承知しました」
未だ眉間にシワが寄ったままではあるが、ひとまずガウェインは承諾して一歩後ろへ下がった。
その光景に心底ホッとして胸を撫で下ろしたが、このまま2人の近くにいればまたライダーが何かしでかすかもしれない。
特に図書室に留まる理由もないため、これ以上無駄な争いが起きないそう早々に図書室を後にした。
『ところで主どの、本当に首はいらないのですか?』
「逆になんでライダーはそこまで首に固執してるのかわからないんだけど!?」
『それはもちろん、強者の首はそれを討ち取ったという勲章になりますので!
私の手柄は主どのの手柄も同然。であるならば敵の首を主どのに献上するのは当然といえましょう。当時は兄上にいくつもの首を献上したものです。
若干顔を引きつらせていたような気もしますが、あまりの多さに驚いていたのでしょう』
いわゆるハンティング・トロフィーのようなものなのだろうか? ただなんとなく、ライダーの時代でも彼女の振る舞いは浮いていたのだとわかってしまう。おそらく彼女の兄である頼朝も苦労していたことだろう。
今後のライダーの言動が無用な争いを生まないようにどうするべきか考えていると、突然爆発音とともに校舎が揺れた。あまりの衝撃に先日の黒い巨人を連想してしまうほどだ。
『どうやら一階で何かがあったようです。様子を見てきますので主どのはここにいてください』
「いや、俺も行く。なんだか胸騒ぎがするんだ。無茶はしないって約束するから」
『……承知しました』
ライダーの了承を得て、飛び降りるように踊り場、そして一階へと向かった。真っ先に目に入ったのは、下駄箱をなぎ倒すように吹き飛んでいるひしゃげた用務室の扉だった。
「さっきの衝撃の正体はこれ……じゃないな。さっきの爆発で吹き飛んだのか?」
「っ、主どの下がってください!」
ライダーの叫び声が聞こえたのと同時に身体が後ろに引っ張られた。いきなりことで一瞬何が起こったのかわからず受け身もとれないまま後方へと転がる。その最中に視界の端に映る、腰に携えた刀をいつでも抜刀できる体勢のライダーの背中と、その奥に漂う濃密な黒い影である程度の状況は把握した。だが――
「――ライダー、ストップ!!」
「な、何故ですか!?」
ライダーは見ていないからわからないかもしれないが、俺は以前にあれによく似たものを体験している。
程なくして黒い影は無数のコウモリに形作られ、そしてさらに金髪でやや痩せこけた長身の男性へと変化していく。そこでようやくライダーもその正体に気付いて刀から手を離した。
「やっぱり、ラニのバーサーカー……で、いいんだよね?」
しかし、すぐに違う理由でその場に再び緊張が走った。目の前にいるのはたしかにラニのバーサーカーなのだが、その瞳は不気味に輝き、歯は鋭く発達し、まるで本に出てくる吸血鬼のような姿に変貌していた。そして身体の実に7割がノイズに侵されており、そう遠くない未来を予感させていた。
「お、おぉ……神よ。これはあなた様のお導きか……」
バーサーカーはうわごとのように何か呟いているようだが、残念ながらその内容までは聞き取れない。そして、ゆっくりとした動きでこちらに歩み寄ってくる。
「っ、止まれバーサーカー! いかにお前が主どのの協力者のサーヴァントと言えど、それ以上近づけばその首切り落とすぞ!」
いつもなら容赦なく切り捨てるライダーだが、先ほど俺が制止したことを考慮してか刀を抜く前に警告を飛ばす。
しかしバーサーカーの動きは止まらない。というよりすでに何も聞こえていないという方が正しいか……
そして、あと一歩前に進めばライダーが抜刀する、という手前で彼は懐から何かと取り出した。
「我がマスターから、汝に……こ、れを……――」
すべてを告げる前に、バーサーカーは消滅した。手から零れ落ちた用途不明のアイテムだけを残して……
いきなりのことで何が起こったのか理解が追いつかなかったが、間をおいて少しずつ目の前で起こった光景が何を意味するのか分かってきたところで、容赦なくその答えが突き付けられた。
扉の壊れた用務室から現れる、黒い装束に身を包んだ男性。まるで死を体現したかのようなその男はこちらに気づくとその光のない瞳を向け、そして眉をひそめた。
「なるほど、そういうことか。あのホムンクルスめ、余計なことを」
「ユリウス……」
遠坂からハーウェイ家の殺し屋と呼ばれていた彼は、ラニの4回戦の対戦相手だった。そして今日がその決戦の日であり、決戦場へと繋がる用務室からユリウスが出てきたということは、つまり……
「ラニが、負けた……?」
「モラトリアムの時点でアサシンの攻撃を受け、あのサーヴァントはすでに瀕死だった。むしろ今日まで生き残っていたのが奇跡だろう。
最後の令呪をお前のためなんぞに使わなければ一矢報えたかもしれないが……とんだ犬死だな」
「っ!」
気付けば右手に黒鍵を握りしめ、そして両足に力を込めてmove_speed();を起動し、ユリウスの懐へと潜り込んでいた。
「無駄だ」
「ごふっ!?」
しかし、対するユリウスは何でもないようにこちらの動きに合わせて拳を振る。その一撃に対応することができず、中庭の教会へと続く廊下の方へ吹き飛ばされた。
「主どのっ!」
瞬時に反応してくれたライダーのおかげで地面に叩きつけられることこそ避けられたが、ユリウスの攻撃に全く反応できなかったのは深刻だ。別段早すぎたというわけではなく、うまく意識の外から攻撃された感じだった。この一瞬のやりとりで、彼との力の差が痛いほど見せつけられた。
「天軒由良、そんな実力でなぜ貴様は未だ生き残っている。なぜレオはお前のようなやつに興味を惹かれている? 俺にはまったくわからない。
だがそんなことはどうでもいい。ラニ=Ⅷから何かを受け取ったのであれば、それを使われる前にここで始末するまで」
散漫としていた殺意が刃物のように研ぎ澄まされこちらへ向けられる。そして動き出そうとしたそのとき、階段の方からユリウスに急接近する人影が現れた。直後に人同士がぶつかったとは思えない重い音が響き、人影は俺の目の前に着地した。見覚えのある銀髪をなびかせる人影は眉をひそめて舌打ちする。
「ちっ、不意打ちなら腕一本ぐらいやれると思ったんだが吹き飛ばすことすらできないとはな。
やっぱり腕が鈍ってるわね」
「サラ、どうしてここに……っ!?」
「……あ? どうしても何も、ユリウス相手に何の策もなく突っ込むバカを止めるために決まってるだろうが! まったく、嫌な予感がしてモニターで確認するのも惜しんで降りてきたらこれか!
後で後悔させてやるから覚悟してなさい!」
「っ!」
サラに気圧されて硬直していると、彼女はその姿を見て呆れたようなホッとしたような様子でため息をついてから再びユリウスと対峙した。
「こうして面と向かって話すのは初めてか、ユリウス・ベルキスク・ハーウェイ?
正直これ以上お前と戦闘するのはお互いメリットじゃないと思うんだが……
手を引く気はないかしら?」
「手を引く? そっちは不意打ちで殺すつもりだったのにか?」
「お前にとっても悪い話ではないはずだが? それだけ殺気を放ってるわりには瞬時に攻撃に移る様子はない。
連戦となればさすがにお前でも厳しいんじゃないかしら?」
「………………」
サラの言葉にユリウスは黙り込む。忘れかけていたがユリウスは決戦直後で、しかも相手はあのラニ=Ⅷだったのだ。モラトリアム中にバーサーカーが瀕死だったのだとしてもそう簡単に勝てる相手ではない。
一触即発の張り詰めた空気が、少しずつだが緩んでいく様子がわかる。
「……勝手にしろ」
ほどなくして吐き捨てるようにそう告げると、ユリウスは再度こちらを一瞥してからこの場を去っていった。
ひとまず脅威は去った。しかしラニがユリウスに敗れたこと。そしてそのラニの死を無駄死にと評したユリウス相手に何もできなかったこと。その二つに対する感情が押し寄せてきて己の無力さに奥歯を噛みしめることしかできなかった。
新年早々ラニペアの退場です。お疲れ様でした。
次回からようやく五回戦ですが、リアルの方が忙しくなるのでかなり時間がかかりそうです。
去年同様のんびりとお待ちいただけると幸いです。
……二部でヒナコが出る前には五回戦を終わらせたい。