段蔵ちゃんが好みドストライク
今回でひとまず4回戦は終了です
タイトルから分かる通り架空元素・無が出てきますが、独自解釈で進めていきます
詰め込みすぎて文字量が大変なことになったのは申し訳ないです……
夜が明ける。
今日はモラトリアムの最終日。
いつもであれば対戦相手について考察することもあるだろうが、対戦相手の正体がいまだに掴めていない状況では十分な準備をして覚悟を決めるぐらいしかすることがない。
「それじゃあいこうか」
廊下へ出るといつもは言峰神父が佇んでいるのだが、今日はまだ見当たらない。あの神父が役目を放置するとは考えられない。黒鍵の改良に時間がかかっているのだろうか?
「っ、主どの!」
ライダーがすでに抜刀した状態で現界する。その視線を追いかけるとその先にいたものに言葉を失った。
階段がある方とは反対側の廊下の隅で佇む黒い影。通路を塞ぐほどの巨体を持つそれは何をするでもなく、ただただこちらを静観している。
「あれはサーヴァント、なのか……?」
「だとすればバーサーカーの可能性が高いですが、情報が不足しています。ただ、ひとまず敵意を向けられいるということは確かでしょう。主どのは私の後ろへ」
「いやだめだ。警戒は解かないでほしいけどライダーは少し下がってて」
「な、なぜです主どの!」
「どうみてもマスターではなさそうだけど、万が一ってこともある。ただでさえ校舎内の戦闘はペナルティが発生するのに、もしあれがマスターだった場合はさらに厳しいペナルティが発生する。サーヴァントって確証がない間は校舎内でライダーに戦闘を任せるわけにはいかない」
「ですが……っ!」
「――■■■■■■■■!!」
先ほどまでの静寂が嘘のように獣の咆哮が校内に響き渡る。校舎全体が揺れたのではないかと思うほどの雄叫びを上げた巨体はこちらへ向かって動き出した。迫ってくるその姿はまるで壁だ。あまりの圧迫感にとっさにマイル―ムへ飛び込むという選択肢が浮かばず、巨体から逃げるように階段を駆け下りる。
「ひとまず校舎から出よう。あれから逃げるのは校舎の中じゃ無理だ」
「しょ、承知!」
降りるというより飛び降りる形で踊り場に着地する。あともう一度跳べばそのまま児童玄関を抜けて外へ出られる。しかし物事そう上手くはいかない。2階の床……つまり1階の天井が黒い巨人の拳によって崩れ落ち、玄関を塞がれてしまった。ともに落ちてきた巨体にダメージらしきものは見られない。
「無茶苦茶じゃないか!」
おもわず悪態をつくがそれで状況が好転するわけでもない。すぐさま代案を考えなければならないのだが、巨人の方が早かった。
「■■■■■■■■!!」
身体の一部から黒い鎖のようなものが飛び出しそれが足元に絡みつく。
「しまっ――」
「主どの!」
ライダーがその鎖を切り裂くよりも早く引き寄せられ、それにつられて俺の身体が踊り場から1階へと引きずりおろされる。
「――やれやれ、困ったものだな」
抜け出す方法が見つからず絶体絶命というそのとき、気だるそうな声の主が足に絡みついていた鎖を粉々に砕いた。
目に映るのは黒衣を身にまとった長身の男性。その両手にはまるで獣の爪のように三本ずつ握られた十字架を模した剣。
「言峰……神父……?」
「ここ最近イレギュラー続きだったとはいえ、校舎を破壊するような愚か者が出てくるのはさすがに私も予想外だ。マスターが全員無事だからよかったものの、復元にかなりのリソースが必要そうだ」
高さだけでも言峰神父の2倍、横幅も考慮すると6倍はゆうに超える巨人と対峙しているというのに、目の前の男は怯まないどころか今は関係ないだろうことに肩をすくめて憂えていた。
「して天軒由良、ご注文の品はこれでよろしいかね?」
言いながら懐から取り出したのは8本の剣の柄。今彼が携えている黒鍵とぱっと見で見分けはつかないが、直感でそれが俺が預けたもののなのだと悟った。
その間にも巨人は鎖をこちらへ向かって飛ばしてくるが、そのことごとくを言峰神父は片手だけで対処している。その光景には遅れて踊り場から降りてきたライダーもさすがに唖然としている。
しばらくして鎖を砕くだけでは意味がないと判断したらしく、攻撃の合間を縫うように両手の黒鍵を黒い巨人へ投擲する。弾丸かと見間違うほどの速度で放たれた黒鍵はその巨体に深々と突き刺さり、苦悶の唸り声を上げさせる。
「このあまりにも単調な攻撃に野生の咆哮。理性はない獣とみるべきか。
聖杯戦争を妨げることは誰であろうと許可することはできない。早急にご退場願おう」
次の瞬間、巨人の雄叫びとは違う衝撃で校舎全体が震えた。その正体は言峰神父の行ったただの踏み込みだ。
さらに一歩踏み出したかと思えば一息で巨人に接近し、さらなる踏み込みと共に重い一撃が繰り出された。それは体の側面を使った体当たりという、いたってシンプルな攻撃。だというのに、壁と見間違うほどの黒い巨体を悠々と吹き飛ばした。明らかに規格外すぎる。このNPC、下手をすると現時点で残っているどのマスターよりも戦闘能力が高いのではないだろうか。
「ふむ、本気で動くのは久々だが、動きの遅い巨体相手であれば問題ないだろう」
圧倒されてその場に立ち尽くしていると、それを見た言峰神父が肩をすくめた。
「何をしている。
あれがどういうものかは私にもわからないが、この聖杯戦争の運営を妨害する存在ということはわかる。であれば、あれを処するのはわたしの役割だ。
幸い用務室の扉はがれきに埋もれていない。トリガーが揃っているのであればはやくエレベーターに乗りたまえ」
両手を広げ、その男は笑みを浮かべる。その不気味な笑みの中に慈愛を感じるのは、紛いなりにも彼が聖職者であるからか。
「さあ、先へ進むがいい。成長を続けるマスターよ。汝の歩みは、このような無粋な壁に阻まれて良いものではない」
激励、されたのだろうか……?
真意はわからないが、はやく行けという意味だけは汲み取れた。言峰神父はそれ以上言うことはない、と言わんばかりにこちらに背を向け巨人と向かい合う。今回はこめかみではなく左手に痛みを感じると、言峰神父の背中が誰かの姿と重なった。以前と痛みの場所が違うが、これも『誰か』の記憶の影響だろうか?
ぼんやりと霞みがかった姿に懐かしさと、なぜか悲しさを感じ……
「っ!」
頬を冷たいものが伝い慌ててそれをぬぐった。幸い誰にも気づかれていない。これ以上みんなを心配させないために足早に用務室へと向かう。
周囲にがれきが散乱していてそれを乗り越える必要はあったが、用務室そのものは言峰神父が言っていたとおり無事だった。断続的に校舎全体に衝撃が響くなか、トリガーを二つ差し込み、その中へ飛び込んだ。
中はいつものように真ん中を透明な壁に阻まれた個室になっていた。そして、その壁の向こうに
「貴様、どうやってこの場所へ入り込んだ! 主どのに危害を加えるというのであればその首、即座に切り落とされるものと知れ!」
「ライダー待って! あれ、さっきのやつと違う」
身体を濃い闇で包んだ人間……なのだろうか。しかしその身体は先ほどの巨人と違って一般的な人間サイズだ。
くわえて、さっきの巨人にははっきりとした存在感があったのに対し、こちらはどこか存在があやふやで、存在感があったりなかったりと安定していない。ただ、安定しないながらも土台がしっかりしている。
放っておくとそのまま消えてしまいそうなサイバーゴーストとは何かが違っている。
『さっきの巨人とは別に元々ここにいたか、もしくは他のマスターと同じようにトリガーを使って入ったかだな。
それに私たちが昨日追いかけていた反応に酷似している。存在があやふやなせいで完全に一致と言えないがな。
さっきの巨人の反応を確認し忘れていたのが痛いわね』
「まあでも、一番の問題は……」
『目の前にいる存在が対戦相手と設定されているのかどうか、だろう?』
サラも同じことを考えていたらしい。
対戦相手不在の場合に決戦場に行くとどうなるのか、本来は言峰神父に聞くつもりだったのだが聞きそびれてしまった。
今となってはそれを聞いていたとしてもその通りになるかは怪しいが、聞かないよりはマシだったのは確かだろう。
「というか、サラの通信は届くんだね。遠坂が決戦場にはルールブレイクをしない限り観測すらできないって話だったけど」
『正確なことはわからないが、私はあくまでお前の礼装扱いだからな。この通信やその他諸々も礼装の効果の一つとして捉えられているんだろう。
これなら決戦場でも問題なくオペレートできそうよ』
「ありがとう、助かるよ」
サラの支援があるのはこれほど心強いことはない。
しばらくあたりは静寂に包まれ、手持ち無沙汰になったのでその間目の前の黒い人影の動向に注意していると、それは獣のように唸った。表情は見えないがこちらに殺意を放っているのがひしひしと伝わってくる。
「カ…………セ……ェ…………」
最初は断片的にしか理解できないものだったが、どうやら同じ言葉を繰り返しているようだ。少しだけ壁に近づいて耳を澄ませる。
次の瞬間、背筋に悪寒が走った。
「カ……エ、セェェェェェェェェッ!!」
「っ!?」
さきほどまでただそこに佇んでいるだけだった黒い人影は突然こちらへ襲い掛かってきた。壁に阻まれ未遂に終わったが、壁が壊れるのではと思うほどの音を立ててもなお突き進もうとするその姿はまるで野生の獣だ。
イスカンダルの圧を感じるような殺意、ダン卿の研ぎ澄まされて突き刺さるような殺意、アーチャーやユリウス、アサシンが放つ感情を捨て去った凍えるような殺意。そしてサラのように拒絶からくる殺意。ここまでさまざまな殺意を向けられてきたが、ここまで怒りや憎しみといった憎悪を前面に出した殺意を向けられたのは初めてだった。
壁に隔てられていてこちらに干渉できない状況なのに、その本能的な殺意に身体が強張ってしまう。
「主どのっ!」
「だ、大丈夫。それより『かえせ』って……俺何か盗んだ?」
『私が知るわけないだろう。
また何か変なことに首を突っ込んだんじゃないかしら?』
「さすがに俺も何かを盗むようなことはしないからね!? というか、俺のこと常にモニタリングしてるなら何も変なことしてないって知ってるよね?」
『まあそれもそうか……』
どこか納得していないような雰囲気なのは勘違いだと信じたい。
その間にもこちらへ殺気を放ちながら唸り声をあげる黒い人影。いかに壁があるとはいえ、このまま殺意を向けられながら壁に張り付かれていては気が気じゃない。
その悩みに応えるかのように、エレベーターの動きが徐々に緩やかになっていく。どうやら運命のときはもうすぐらしい。
「ライダー、もし目の前にいるあれと戦闘することになったら、俺のわがまま聞いてもらってもいいかな?」
「主どのが言わんとしていることはわかっています。あれも校舎で見た巨人と同様、マスターなのかサーヴァントなのかわからない存在。ですので、主どのが前に出て戦った方がいいと仰るつもりでしょう?」
肩をすくめるライダーからはどこからか諦めのようなものを感じる。これは嫌われてしまっただろうか。
「無理、かな?」
「……主どのは困ったお方です。私に戦闘を任せてくれれば主どのが危険な目に会うこともないというのに、私と肩を並べて戦いたがるのですから。けれども私を信用できないというわけでもない」
「理由は前にも言ったよ。俺が前に出ることでライダーの負担が少しでも減るならそうしたい。もちろん、足手まといなら素直に援護に徹するよ。
こんなイレギュラーさえなかったから、もっと実力をつけてライダーに許可をもらってから言うつもりだったんだけどね」
本当に、世の中はうまくいかないものだ。
「実は――」
ライダーが何か言おうとしたそのとき、決戦場に着いたことを知らせるチャイムとともに扉が開かれ、決戦場へと転移させられた。
今回の戦場は海底。もちろん呼吸はできるし戦闘に支障がない程度に光が射しているが、全体的には重く暗い印象を受ける。今までの決戦場とは違って魚のようなものが泳いでいるがその距離感はつかめない。虹のように一定距離を維持し続ける幻影のようなものだろう。
ぐるりと辺りを見回し今回戦う戦場の地形を把握したライダーは、改めて口を開く。
「実は正直に申しますと、私は主どのに意地悪をしておりました」
「というと?」
「すでに主どのの実力は私の想定していた技量を優に超えています。
エネミーはサーヴァントが倒すことを想定して設定されているため、倒せるかどうかはコードキャストなどの火力に依存してきますが、立ち回りだけなら先日のレアエネミー相手にも遅れをとることはないでしょう。
本来ならもう前に出ることを許可してもいいところ、過剰な目標設定にすることで、主どのを否が応にも援護に専念せざるを得ないようにと考えていました。
せっかくサラどのが考えて主どのが納得してくれた条件を悪用してしまい、申し訳ありません!」
今いるのが戦場であるため頭を下げる程度に抑えているが、彼女のことだから本当なら土下座でもしそうな勢いだ。
だが、その謝罪は不要なものだ。
「なんとなくわかってたよ。ライダーが俺を戦わせないためにいろいろ考えてるって」
「なっ、ではなぜ今まで黙っていたのです!?」
「それを含めての鍛錬だと思ったからね。サラは力をつけろって言ってたけどあれはただの建前だよ。最初からライダーが許可を出してくれるかどうかだけがあの提案の狙いだったんじゃないかな」
端末越しにそれを聞いていただろうサラが、俺たちに聞こえるかどうかの小さな声で笑った。
『どこかで気づくとは思っていたが、まさか最初から気付いていたとはな。
少しあからさま過ぎたかしら?』
「まあ確証を得られたのは少しあとだけどね。本当に力をつけるかどうかなら、ライダーの過剰な鍛錬に待ったをかけてもおかしくないだろう?
それなのにただ傍観しているのなら、力をつけることより重要なことがあるって考えるのが妥当だよね。
……まあ、俺がボコボコにやられてるのを楽しんでるだけじゃないかって考えも少なからずあったけど」
『それも少しはあったぞ?』
「ちょっと」
どうやら彼女とは後で少し話し合う必要があるようだ。
「あ、主どのは意地が悪すぎます。というより、もっとご自分の身体を労ってください!」
「今後は善処する。だから、今は目の前の障害をどうにかしよう」
「……承知しました!」
ともあれ、これでライダーとのいざこざは正真正銘解消されたわけだ。非常に晴れやかな気持ちでそれぞれ得物を構える。
目の前の敵は今にもこちらに飛びかかろうと唸り声を上げている。今まで攻撃してこなかったのが不思議なぐらいだが、鐘がなるまで攻撃できないようSE.RA.PHが干渉しているのかもしれない。
敵の正体は不明。そもそも人かどうかすら怪しいが、恐れることはない。俺には最高のサーヴァントが付いている!
時はきた、そう言わんばかりに決戦場に開幕の鐘が鳴り響いた。
「カ、エセェェェェェェェェェッ!」
檻から放たれた獣の如く人影は一目散にこちらへ迫る。だがサーヴァントのような速さはない。これなら避けることは容易だが、問題は攻撃面だ。そもそもこちらの攻撃が通じるのかどうか怪しいうえ、ライダーの攻撃は極力控えさせたい。
「サラ、あれの正体とか解析できる?」
人影との距離を一定に保つように決戦場を疾走しながらサラの手助けを求めるが端末から聞こえてくる彼女の声色は明るくない。
『さっきのエレベーターのときからずっと試してる。だが私ができるスキャンなんて地形把握と移動する物体を数値で把握ぐらいだ。ステータスはまったくわからない。
手は尽くしてみるが今の方法じゃ時間をかけてもわかるとは限らないわよ』
「その言い方、何か別の方法があるようにも聞こえるけど?」
『ふ、少しはわかってきたな。ああそうだ、詳しく調べる方法がないわけではない。
ただし、リスクは覚悟してもらうわよ』
「最初から楽して勝てるとは思ってないよ」
ならいい、と短く返されるとサラから何かデータが転送された。これは、コードキャストか?
『お前が黒鍵にコードキャスト以外のコードを刻んで使用してたのを参考にいろいろと作っていたんだ。
今転送したコードを黒鍵に入力してみなさい』
「俺まだあれをどうやってやるのかわかってないんだけど?」
『私の方で調整はしている。やり方はコードキャストを使うときと一緒だ。
そうすれば転送したデータを丸々黒鍵にコピーしてくれるわ』
「……ほんと、サラと通信が途絶えない仕様で助かったよ」
言われた通り魔力を左手の黒鍵に流すと刃に見たことのないコードが刻まれた。
「……scan?」
『即席コードだから名前は適当だ。その刃で対象に触れれば相手のステータスを読み取ることができる。ただしお前が黒鍵を握ってる間だけしか効果は続かない。
体内に深ければ深いほど読み取れる量も多いから死ぬ気で頑張りなさい』
「ははは、無茶言うねホント!」
つまりあの正体不明の存在に接近して斬りかかれということだ。接近したいがために正体が知りたかったのにこの矛盾は泣いてもいいと思う。
ともあれ、やることは決まった。ならばあとはそれを実現するために行動するまで。
足を止め、いつでも黒鍵を振るえる状態で待つ。人影が容赦なく接近してくるため、それだけで人影との距離は見る見るうちに縮まっていく。
ライダーはいつでも援護に入れる位置で俺の行く末を見守ってくれている。
ギリギリまで引きつける必要があるが、相手の攻撃も避ける必要がある。このギリギリのタイミングを掴むために神経を研ぎ澄まし、数ミリ単位で間合いを図る。
「ア、ア゛ア゛ア゛アアアァァァァァァァ!!」
もはや言葉にもなっていない雄叫びをあげて迫る黒い人影。
だがまだ遠い。
「まだだ……まだ…………」
体を包む闇がそのシルエットを曖昧にしているが、ここまでの経験のおかげで微かに見えるシルエットから全体像を把握することはできる。
そしてついにそのシルエットが間合いに入り込む。
「――ふっ」
居合いではなく刺突。迫り来る相手の勢いすらも利用してより確実に相手の深くへと黒鍵を伸ばす。
寸分違わぬ突きは相手の胴体を正確に貫いた。はずが……
「手応えが……!?」
黒鍵は確実に人影の胴体に深く刺さっている。だというのに、まるで空を突いたかのようにまったく手応えがなかった。
目の前にいるのは幻影か何か? いや違う先程は壁にぶつかり音まで立てていたのだ。そこに『いる』のは確かだ。
ならなぜ……
「主どの伏せてください!」
「っ!」
思考を一度放棄して身体を横に転がす。それでも避けきれず、人影が伸ばした手が一瞬頬を触れた。
「はぁっ!!」
入れ替わるようにライダーの渾身の一振りが人影の腕を薙ぐ。しかしそれも空を切り、さらに人影の身体がライダーをすり抜けていった。
「いったい何が……」
『いいから距離を取れ。またくるぞ!』
「っ!」
黒い人影は勢いのついた身体を四つん這いになって地を削りながら減速し、そのまま四肢を使ってこちらへ身体を翻す。
再度襲い掛かってくるそれから逃げるように体勢を立て直し、ライダーの力を借りて一気に距離をとった。
「たしかにあやつの腕を切り捨てたはずなのに虚像を切ったかの如く全く手応えがありませんでした。いったいどのようなカラクリが……」
『私にもわからない。だが少しだがデータが送られてきている。一応あれでも天軒由良の黒鍵は切っ先が触れる程度はできているらしいな。
……ああくそっ、データが送られてきたはいいが予想通り見たことない数値ばっかりだ。
悪いけど解析には時間がかかるわ』
「それまでの時間は私たちで稼ぎますのでお気にならさらず。
それにしても、ただの幻ではないようですね。黒鍵の先があやつに触れた直後に虚像になったのでしょうか」
たしかにその仮定が妥当だろう。しかし一部間違いを訂正する必要がある。
「いや、そうじゃないよライダー」
「主どの?」
なぜ、という眼差しでこちらを見るライダーに俺の右頬を見せるとライダーは息をのんだ。
さきほど避けきれずあの人影の腕がかすった右頬。そこには鋭利な刃物を使ったかのように薄く赤い線が走っていた。
「ライダーの身体をすり抜けたんだし、たしかに虚像なんだと思う。
でも俺たちが攻撃したり触れようとした部分だけだ。
でないと俺の頬に傷をつけたり、地面を削りながら減速なんてできないはずだ」
「硬いものであれば私でも一振りで切り伏せることも可能ですが、虚像を切り伏せるとなるとそれはもはや剣聖の域。もし主どのの言うことが本当ではさすがに私でも……
あの程度の動き避けるのは容易いですが、攻撃ができないのなら負けることはなくても勝つことも不可能です」
あのライダーがここまで言うのであれば力ずくでどうにかするのは無理か。
「サラ、送られたデータから何かわかった?」
『まだ整理中だ。だがさすがに情報が少なすぎる。
可能ならもう少しあいつをスキャンしてほしいわね』
「まあ、それが現実的だよね」
サラの無茶ぶりに表情を引きつらせる。そんな会話中でも関係なく襲ってくる人影を避け、両手に持つ黒鍵で反撃する。しかしその攻撃は身を翻した人影に避けられた。
「避けるってことはダメージが通る瞬間があるのか? それとも反射行動?
何にしても攻撃するしかないか。ライダー、俺が可能な限り攻撃するから援護をお願い!」
「承知!」
攻撃が通らないのであれば、コードキャスト同様にscanの文字が刃に刻めない右手の黒鍵は持つだけ無駄だろう。そう判断して左手にだけ黒鍵を握りしめ、そして狙いを分散させるためにライダーと別々の方向へ走り出す。
相手の注意がこちらに向いているとわかればライダーがすかさずその頭部を正確に弓で射る。しかしその矢も先ほどと同じようにそこに何もないかのように貫通し、人影もそれを避ける仕草はない。
……というより、ライダーに興味を示していない?
こちらを向いている相手に接近するのは避けたかったが、確認のために黒い人影に肉薄して黒鍵を振るう。ライダーの時と同じく相手は避けるそぶりを見せないため攻撃はなんなく通るがこちらも手応えはない。それでも黒鍵が一瞬でも触れたのならサラへスキャンデータが転送されるはずだ。
「ガア゛ア゛アァァァァァァァッ!!」
その瞬間、激昂した人影が再び両手を獣のように乱雑に振り下ろす。ぎりぎりで後退した俺と入れ替わるように背後からライダーが接近し、人影の胴体を細切れに切り裂いていく。
「こいつ、私のことは無視して主どのだけを見ている!?」
ここまでされても一切ライダーの方を向く素振りすら見せない。その光景はかなり異様だ。
『天軒由良しか眼中にないってことか。ほんとお前は変なことに巻き込まれるな。
あれもしかして性別は女かしら?』
「さりげなくまた俺のことたらし扱いしてるよね!? 会ったこともないそもそも人かどうかすら怪しいやつに絡まれる筋合いはないよ!
というか早く解析済ませて!」
『今やってる。ただこの情報整理は同じ柄を乱雑に印刷したジグソーパズルを組み立ててるような状況なんだ。しかも整理し終わったとしてもそこで終わりじゃなく、ようやくステータスを調べる準備が整っただけ。まあ調べること自体はそこまで難しくはないがな。
気が滅入りそうだから少しぐらい軽口だって叩きたいのよ』
「だからって俺に矛先向けないでくれるかな!? ああもうあとで絶対やり返してやる!!」
サラもかなり難航しているようだが、こちらも似たような状況だ。攻撃はエネミー以上に単調だから回避やその隙を突いて攻撃するは容易いが、手ごたえがないのはつらい。
意識していればいいのだが反射的に動いた場合は動きがつんのめってしまう。
そんな状況だが、ただ苦戦していたわけではない。どうやらこの人影は頭部を攻撃すると一定時間大人しくなるらしい。それを発見するや否やライダーは黒い人影の頭部を切り刻み続けてくれる。
煩わしそうに両手を振るうときは最悪の事態を想定してライダーにも引いてもらっているが、相手の攻撃の頻度はかなり減少した。ここまで一度も攻撃を受けずにこれたのはライダーの援護があってのことだろう。
そして、ようやく吉報が届いた。
『ステータス情報の整理が終わったぞ!』
「じゃああとは調べるだけ……」
『それも今終わった。必要な情報だけを伝えるぞ。
そいつはおそらくマスター
「ペナルティがあるかもって考えながら戦う必要がないならそれに越したことはないよ。でも、敗退したマスターってことはサイバーゴーストになって化けて出たってこと?」
『いいやそれはない。ウィザードが死んだ場合に発生するサイバーゴーストは魔術回路の残滓がネットワーク上に焼き付くことで生まれる。だがムーンセルによる完全な消去は残滓を遺すことすら許さないからな。どういう手品を使ったのかは他のステータスを見れば……』
そこでサラの言葉が止まる。通信が切れた様子はない。言葉に詰まっているという表現が正しいか。
『待て、このステータスは……本当にそうなのか……?』
「サラ、どうしたんだ? 今はどんな情報でも欲しい。いったい何がわかたんだ!?」
『属性が架空元素なんて……本当なのか……っ!?』
「架空元素?」
『ちっ』
聞きなれない言葉に戦闘中というのも忘れて首をかしげる。がちょっと待ってほしい、聞き逃しかけたが今舌打ちをしなかっただろうか?
だが追及をする前にサラが矢継ぎ早に説明を始めてしまう。
『五大元素が何を示すかわかるか? わからなくても察しろ。今は時間がない。魔術師に流れる魔力にはこの五大元素に対応した属性が宿っていて、その属性に応じた魔術が扱いやすいという特性がある。ウィザードのコードキャストにはそこまで重要ではないがな。
そしてその五大元素とは別に、2つの架空元素というものがあるんだ。
一つが虚。そしてもう一つが無。こいつが持っているのは無の属性の方だ。
魔術的にありえないが、物質化する特性を持つ。……らしいけど私もこうして見るのは初めてよ』
襲い掛かる黒い人影の腕を避け、その背後に迫ったライダーが人影の頭部を細切れにしていく。
その隙に再び距離をとり、サラとの会話を再開する。
「随分と曖昧だね」
『仕方ないだろう。
メイガスがいなくなったっていうのもあるが、もともと架空元素持ちは生まれた時点で魔術協会に研究対象としてホルマリン漬けにされてもおかしくないほど貴重な属性なんだ。
分類としては知っているがそれ以上は私にもさっぱりよ』
だが、とサラは説明を続ける。
『それでもおおよその想像はつく。
こいつの場合は、ムーンセル上の数値の使役、と言ったところね』
サラは何かがわかったようだが、数値の使役と言われてもこちらは全然ピンと来ない。それを感じ取ったのか、より詳しく説明が加わった。
『天軒由良もわかってると思うが、ムーンセルでもバグは発生する。処理の不具合なんかもそうだが、今私が言っているバグは数値の変動だ。
本来は物体が移動したりコードキャストを使用したり、環境の変化がある場合にのみ数値の変動があるんだが、ここまで広大なフィールドや大量の人間やサーヴァントを処理していれば、何もない場所に数値の変動が起こることもある。
まあでも、それ自体は気にするほどでもない本当に小さな誤差よ』
「じゃあ、万が一にもあんな人型の『何か』が生まれるような誤差なんて……まさか」
『そのまさかだ。あのまっくろくろすけはそんな誤差の集合体。
ムーンセルがバグとして弾き出す微かな数値を集合させて統括した結果、『そこに人がいる』から『数値に変動がある』のではなく、『数値に変動がある』から『そこに人がいる』と逆説的に存在を証明された、いわば触れられるホログラムだ。
おそらく、死ぬ瞬間に自分の意識をそのホログラムに移したんでしょうね』
「じゃああれは人みたいな何かじゃなく、正真正銘の人……」
『いや違う』
食い気味に俺の言葉を否定する。
『あれはたまたま人の形に形成されているだけのデータの塊だ。理論上は他の姿にもなれるがあえて人の姿を保っているだけだ。
もしかすると、最初の方は意識もあったかもしれない。だがな、誤差というのは生まれてはすぐに修正される刹那の数値なんだ。その誤差の集合体なんて、言ってしまえば常に全身が分解と構築を繰り返している状態だ。そんな状態で意識を保てるわけがない。
今そこにいるのは自我すら失い、生きているのかどうかも怪しいまがい物の命よ』
その言葉は状況の説明というより、俺に『あれは倒してもお前が悪いわけじゃない』と言い聞かせているような意図が見えた。
『しかし問題はあいつをどう倒すのかだ。逆説的に存在を証明されているせいで数値の変動をどうにかしないと半永久的に生存し続けるからな。
方法があるとすれば、ムーンセルを利用することかしら』
「ムーンセルを、利用?」
『ようはムーンセルにこの異常事態を知らせればいい。今あのまっくろくろすけはムーンセルの目を騙してここにいるんだろうが、ムーンセルが本気でスキャンをすれば逃れる事はできない。
さらに場所をこの決戦場と絞らせれば完璧ね』
なるほど、デバッグのようにバグをムーンセルに報告するのか。たしかにあれがバグの集合体なら、ムーンセルが気付けば瞬く間に削除されるはずだ。
「でも、そんなのどうやって……」
『ルールブレイクを行う』
「はい!?」
『それが一番手っ取り早いんだ。そうすれば異常を感知したムーンセルはすぐにでも異常が発生した区域のスキャンを始める。
多少のペナルティは発生するだろうけど、あれを撃退するために我慢してもらうわよ』
「それは、覚悟するけど。ルールブレイクなんてそう簡単にできるものじゃないだろう?
ユリウスは複数持ち込んでいたらしいけど、逆に言えば予め作っていないと間に合わないぐらい手間がかかるんじゃ……」
『心配するな。今はお前の礼装だが私だってウィザードだ。あまり胸を張れるものじゃないが、ルールブレイクも一つぐらいなら心当たりがある。
ムーンセルにわざとバレるように調整するのは初めてだが、どうにかなるでしょう』
「なら任せるよ。俺はライダーと一緒に死なないように粘るから!」
『ルールブレイクを用意してるって言ってる相手に迷わず自分の命運を託すか。
本当にお前は変わったやつね』
何か言っているが気にするほどではないだろう。左手に黒鍵を握り人影の頭部を狙って時間を稼ぐ。
「ア゛、ア゛ア゛……イ゛……ゥ……ガ、エセェェェェッ!」
どれだけ正確に頭部を狙っても動きを止められるのはほんの数秒。ライダーなら悠々と後退できる隙でも、俺には毎回肝を冷やして回避することになる。
「牽制は私が行いますので主どのは回避に専念してください」
「その方がよさそうだね……ライダー頼んだ!」
「承知しました」
これ以上は足手まといだと判断し、距離を置きコードキャストでライダーの補助に徹することに。
相変わらず人影はこちらだけを執拗に襲ってくるが、回避に専念すれば避けられないこともない。
「ェ……ジ……ウゥゥゥゥッ!!」
「っ!」
これまで以上の雄叫びと共に人影の姿が不自然に歪む。その光景に先ほどのサラの言葉が脳裏をよぎる。
あれはたまたま人の形をしているだけのデータの塊だ、と。
つまり、何かの拍子に人以外の形に変形してもおかしくないということ。それを実際に目の当たりにしてようやく理解した。
まるでアイアンメイデンを裏返したように、人影の内側から外へ向かって全方位に飛び出す鋭利な漆黒の槍。ライダーはその身体能力と所持スキルで避けているが俺はそうもいかない。
辛うじて致命傷となる部分は守ったが、それでも左肩、右脇腹に右ひざは貫通。他の部分も貫通とはいかないまでも肉を抉られる。そして――
「う……ぁ……」
「あ、るじどの……?」
――熱い。全身が燃えているか錯覚してしまうほどに。しかし身体の芯は凍えるように熱を失っていく。それに心なしか視界が暗くなった気がする。思考が働かず状況が掴めないが、かなり危険な状況なのは直感でわかる。
「き、さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛っ!!」
聞きなれた声の聞きなれない咆哮。悲痛にすら感じるその雄叫びは朦朧とした意識の中でもはっきりと聞こえるほどだ。ライダーは攻撃が通じないと知っていてもその身体を徹底的に切り刻む。だがどれだけの憎悪を刃に乗せても黒い人影を完全に両断することは叶わない。
――ああ、頼むからもうやめてくれライダー。俺はそんな姿を見たくはない。
どうにかして槍から抜け出そうともがいてみるが、槍が飛び出す前まではまったく手ごたえのなかったのが嘘のように、漆黒の槍はびくともしない。辛うじて動く右腕を彷徨わせ、己の身体を貫く槍に手をかける。すでに力も入らないが、意外にもその槍は飴細工のように砕けていく。
槍がすべて砕け散ったことで身体を支えるものがなくなりその場に倒れこむ。だがこのままでいるわけにはいかない。霞みがかった意識が少し晴れてくると、聴覚も一緒に戻ってきたのか激しい剣戟が鳴り響いている。まだライダーが戦っているのだ。俺がここで倒れるわけにはいかない。
右足は完全に使い物にならないが、左足だけでも立ち上がる程度ならならなんとかなる。
『おい無茶をするな。あと少しでルールブレイクが実行できる。
お前はもう止まってなさい!』
サラの制止の声も今は煩わしい。距離感覚のつかめない視界では今もなおライダーが激しい攻防を繰り広げている。ならば俺が止まるわけにはいかない。左肩を貫かれたせいで動くのは右腕だけ。身体を動かすどころか呼吸をするだけで激痛が走る身体に鞭を打ち、右腕で黒鍵を握りしめる。
「ほんと、こんなことなら投擲の仕方教えてもらってればよかったよ……」
ランルーくん討伐戦のときのようにコードキャストで肉体強化をすることもできない。それでもやるしかない。
黒鍵を振り上げ、今出せる全力で黒鍵を投擲する。慣れてないながらも黒鍵は黒い人影に吸い込まれるような軌跡を描き……
「グ、ガアァッ!?」
相手の胸部に深々と突き刺さった。
……あれ、そういえばなぜ――
『準備が出来たぞ!』
端的に告げられたその直後、身体に膨大なデータが流れ込む。これは魔力、か?
令呪と同等かそれ以上の……身体が変質してもおかしくないレベルの魔力が流し込まれ、過剰な空気を送り込まれた風船のように内側から張り裂けるかと危機を感じた直後、決戦場に警告音が鳴り響いた。
『――決戦場に不正なデータの使用を確認。スキャンを開始。
決戦場にて規定違反のコードキャストの使用、および不正なオブジェクトの存在を確認。ただちに対処します』
同じ内容を繰り返すのは、しばらくぶりに耳にした無機質なアナウンス。
遠坂とラニの決戦場に乱入した際も似たようなアナウンスが流れた気がするが、どうやらサラはあのルールブレイクと同等のものを引き起こしたらしい。
直後、ライダーと人影の隔てるようにあの赤い壁が現れた。勝者と敗者を分ける無慈悲な壁は、一切の容赦なく黒い人影をデリートし始める。
「――■■■■■■■■!!」
どう表現していいのかわからない断末魔を上げながら身体を失っていくその姿は、たとえすでに人としての生を終えたものなのだとしても目を背けたくなるほど痛々しい。
「主どの!!」
人影の消滅を確認し終えると、ライダーが弾丸のように迫り俺の両肩を持って揺する。
「おお、お怪我は!? 身体に穴が……ない?」
ライダーの言葉で初めて気がついたが、あれほど瀕死の状態だったというのに最初からそれがなかったかのように傷が塞がっていた。体調も問題ない。
だが未だに視界に違和感がある。妙に距離感が掴めないのだ。
「……主どの、少し失礼します」
そう言ってライダーは俺の目の前に手をかざす。そしてさらにその手を近づけ……
「っ、ライダーなんで
「やはり、そうなのですね」
何かを悟ったライダーの声色が暗くなる。そして一言一言確認しながら、ゆっくりと口を開いた。
「今の主どのは、さきほど受けた傷がすべて治癒されています。それこそ、最初からなかったかのように。ですが、左目はその機能を失っているようです」
本当に言っていいのだろうか、そのような葛藤をにじませてライダーは今の俺の状態を説明してくれた。左目が機能を失ったというのは、つまり視力を失ったという意味だろう。少し遠回しな言い方をしたのは、極力俺を動揺させないように言葉を選んだからか。
「ああ、だから視界に違和感があったのか」
そんなライダーの気遣いに反して、その当事者である俺は思ったより冷静に状況に納得していた。たしかに片目が潰れてしまったことには驚いているし、なにより戦闘面で隻眼というのは厳しいものがある。
だが俺が戦闘を行うのはライダーの負担を軽減するためだ。最初からライダーの代わりになれるとは思っていないし、彼女との圧倒的な実力差は今までの鍛錬でさんざん感じている。ならば、片目を失った程度で今までの戦況が大きく変わるとは思えないのだ。
……我ながら寒気がするほどの冷静な状況判断だと思う。だがそれがライダーから知らされたことに対して感じたすべてだ。
「それより、サラが使ったルールブレイクの正体が知りたいんだけど?
ルールブレイク使ったってことはムーンセルからペナルティが発生してもおかしくないだろうし、その点も知りたい」
『それよりって……まあいい。説明はするがその前にそこから戻ってこい。私の方でもいろいろとわかったことがある。
長い話になるからマイルームで話し合いましょう』
振り返ると、今までと同じようにここに来るのに利用したエレベーターが決戦場のど真ん中で扉を開けた状態で待機していた。
すでにこの場で敵らしいものは存在しない。ならたしかにサラの言う通り早くこの場を去るべきだろう。
最後にもう一度、あの黒い人影が消滅した場所を眺める。あの影がどんな人間だったのか俺にはまったくわからない。しかしあそこまで何かに執着する姿には畏怖の念を抱いた。もしくは憧れか。
自分は死にたくないという一心でここまで勝ち進んできた。もちろん今もその思いは強く抱いていて、前に進む原動力になっている。だがもし今まで体験したことのない絶望的な『死』が訪れた時、俺はあそこまで生に執着して抗うことができるのか、と……
エレベーターで校舎に帰還すると、校舎は俺たちが決戦場へ向かう前の惨状がそのままの状態で放置されていた。
「どうやら君の方にも何かひと悶着あったようだな。それでも無事戻ってこれたようでなによりだ」
辺りに転がっている瓦礫に身体をあずけているカソック姿の男性はすでに満身創痍。それでもその不敵な笑みは崩さない。
「あの黒い巨人ならすでに消滅している。この通り校舎はかなり破壊してしまったがな。身体を動かすのが久々すぎて少し加減を間違えたようだ」
「おかしいな。この惨状は言峰神父が暴れたからって言う風に聞こえるんだけど」
「あれだけの巨体だ。それぐらいしなければ殺すことはできんよ」
校舎を破壊した理由ではなく、校舎を破壊した方法について疑問を感じているのだが……これは聞かぬが仏だろうか。
「すぐにでも校舎の修復に入るため、今日はこのまままっすぐマイルームに向かってもらおう。心配せずともマイルームへ続く2-Bの前は崩落していない。他の場所も君たちが起床したときには跡形もなく修復しておくつもりだ。校舎の探索はそのあとでも問題あるまい?」
このありさまの校舎を探索するほど今すぐしなければならない用事もない。
言峰神父に言われた通りマイルームに戻ってくると鬼気迫る様子で端末を操作しているサラが出迎えてくれる。
「……いつにも増して眉間にしわが寄ってるね」
「なんだ、さっきの無茶ぶりの仕返しか? いったい誰のせいでこんなことしてると思ってるんだ。
……いや、その話は後回しだ。まずはお前の方を片づけたい。
その椅子に座りなさい」
有無を言わせない指示に言われた通り椅子に腰を下ろす。それを確認したサラは端末の操作を止めずに話し始めた。
「まずはあのまっくろくろすけの件だが、ひとまず校舎内に反応はない。
ひとまずは撃退できたと見ていいでしょうね」
死んだ、と言わないのはまた死ぬ直前に別のバグの集合体に意識を移している可能性も考慮してだろう。そう何度もルールブレイクを起こせるわけではないし、今後は会わないことを祈る。
「そもそも、あのルールブレイクっていったいどういうコードだったんだ?」
「あれはムーンセルに不正に接続して過剰に魔力を吸収し続けるものだ。わざとバレるように魔力を吸い出したのが災いして、想定していた量以上の魔力を吸収することになったがな。天軒由良を出力元にしたからお前にもその一部が流れ込んだでしょう?」
たしかにあのとき肉体のキャパシティを超えそうなほどの魔力が注ぎ込まれた感覚があった。あれで一部だというのなら、本来はどれほどの魔力を吸収したのだろうか……
あくまで耐えられれば、という条件が付くものの、あれほどの魔力があればたいていのことができそうなほどの魔力だった。気になるのは、あれほどの量ではないにせよ魔力を過剰に吸い出すルールブレイクを使ってサラは何をするつもりだったのかだが、これを訪ねるのは野暮というものか。
特に口を挟まずサラの説明に耳を傾ける。
「まあムーンセルもバカではないから、すでに対策しているだろうな。もう二度と同じように魔力を吸い出すことはできないだろう。むしろ好都合かもしれないがな。
で、このあたりはお前もなんとなく察しがついているだろう。私がお前に伝えたいのはこれらを踏まえてわかったことだ。主にお前の傷が癒えたことについて、な」
「…………」
サラの言葉に意図せず身体が強張る。ライダーも心なしか前のめりになって真剣にな面持ちだ。
「お前の傷が癒えたのは、おそらく私の使ったルールブレイク、そしてお前の右腕によるものだ」
「俺の、右腕?」
たしか俺の右腕は俺自身の物ではなく誰かの腕を移植されているのでは、とサラは考えているようだが……
より詳しい説明をしてもらうためにそのまま黙って先を促すと、これまで端末をせわしく操作したというのにその手を止めた。
顔を上げたサラはまっすぐこちらを見つめる。鋭い目つきがさらに鋭くなり、ゆっくりと口を開いた。
「その右腕の出どころ、おそらくムーンセルに深く関係しているぞ。
お前、本当に地上からここに来た人間かしら?」
天軒、またも傷だらけ
サラの言葉の意味は次回明らかになりますが、何週間か空く可能性があります
今回のタイトル遊びですが、今回の敵が架空元素持ちということで、4回戦開始からここまでの全7話のタイトルに五大元素+架空元素の一文字を入れていました。(今回が架『空』元素って名前が入っているのはノーカンということで……)
次回ですが、5回戦が始まる前に再び幕間を入れる予定です。
放置してる展開があるのでその回収です