Fate/Aristotle   作:駄蛇

39 / 61
マチアソビのFGOイベをご覧になってた方はお疲れさまでした
情報過多で私も混乱していますが、ひとまず桜ヴァティーは一人迎えることができました
桜ヴァティーはストーリー限ですが恒常ですし剣豪でも新しいサーヴァントは出るでしょうから、みなさんご利用は計画的に(ここに無計画なものが一人)


空耳に誘われて

 朝日が昇り、カーテン越しに射す太陽の光によって起床する。

 今日でモラトリアム5日目。相手のいない決戦の日まで今日を含めるとあと二日だ。

「おはよう、ライダー」

「おはようございます、主どの。今日も一日頑張って参りましょう」

 相変わらず正座で起きるまで待機しているライダーを挨拶を交わし、同じくいつものように工房で端末を操作してるサラに視線を向ける。

「今日もひとまずアリーナでレアエネミーの探索だな。まあ逆に言えばそれが終わったら今日するべきことは終わるわけだが。

 何か予定でもあるかしら?」

「ちょっと図書室に寄ってみようと思ってる。ここ数日は足を運んでなかったけど、あそこならラニに会えるかもしれないし。それに、ありすもよく図書室利用していたからね」

「聞けば聞くほどたらしって評価が的を射てるんじゃないかと思うんだが、まあいいか」

「俺の方がよくないよ!」

 たしかに関わりのあるほとんどが女性だが、こればかりは俺の意思は関係ないし不可抗力だ。それにラニは俺が勝手に安否確認をしたいだけだが、ありすは地上の俺のことを知っているかもしれない人物なのだ。彼女との会話は有力な情報になると考えていい。独特の言い回しで内容を把握しづらいところもあるが、サラなら彼女たちの言いたいことを理解できる可能性もある。だから決して無駄ではないのだと主張したい。

「ああ、そうだな。

 そういう事にしておくわ」

 ……かなり適当にあしらわれた。そしてこの扱いに若干慣れてきてしまった自分が悲しい。

 気持ちを切り替えて図書室の戸を開く。三回戦の時点ではまだちらほらとマスターらしき姿が見受けられたが、今はもうNPC以外は確認できない。

 ここまで残っているマスターは本来なら16人。ランルーくん討伐の際に復活できなかったマスターなどの分を減らすと多くて12、3人といったところか。舞の会話からしてまだ校舎は複数で運用しているとすると、この校舎には俺を含めて三組ほどしかいないかもしれない。

 中をくまなく探してみるが、ラニやありすの姿はない。今はまだ来ていないようだ……

 彼女たちがいないなら特に用はないのだが、不意に近づいた本棚にあるとある本に目が止まった。

 背表紙は真っ白で何も書かれていない。なのに……なぜか妙に心引かれる。

 本を手に取り、開く。

 そこには、こんなことが書かれていた。

 

 ――発端は前世紀に遡る。

 ある時、ある場所で人類は巨大な構造物を発見した。それは遥か過去から存在していた人類外のテクノロジーによる古代遺物(アーティファクト)

 後に、それは聖杯と呼ばれるようになる。

 だが、当時の人類にはその正体、構造、技術体系を解析することはできなかった。

 そして、現在でも、未来においてすら解決する事は不可能だと言われている。それほど、聖杯を構成する技術は人類のものとは異質だった――

 

「これは……」

 内容にももちろん驚いているが、久々の……2回戦ぶりの不思議な感覚。

 俺はこの本のことを――

「おや、あなたもその本を発見されたのですね」

 ――いつの間にか、目の前にレオとそのサーヴァントが立っていた。

「それは、ある一定のレベルに達したマスターに開示される聖杯に関する情報を記したものです。

 まあ、僕のことはお気になさらずに続きをお読みください」

 いつもの優雅な様子で先を促すレオ。

 ……彼のことは気になるが、この本について、なにより『この感覚』の正体が気になった。

 再度本に視線を落とし読み進めていく。

 

 ――しかしやがて人類は、その遺物が”何をしているのか”だけは知るに至る。そして聖杯は、地球を見ていたのだ。そして遥か過去から地球のすべてを記録し続けた。

 全ての生命、全ての生態、歴史、思想――そして魂まで。

 やがて人類は、聖杯とは全地球の記録にして設計図。地上の全てを遺した神の遺物であると悟った――

 

 すべてを読み終え、予想は確信に変わった。

 ()()()()()()()()()()()()()()|!

 レオの言うことが本当なら、過去にこの本を読んでいるという可能性は限りなく低い。さらにこの本を読んで感じた『この感覚』。

 初めてこれを感じたのは一回戦が始まった直後の屋上。初対面の気がする彼女の名前を知っていた。続くラニのときもそうだった。

 あの時はよくわからなかったが、今ならわかる。これは、昨日の夢で見たサーヴァントたちのマスターの記憶だ。俺は『誰か』の記憶が混ざっていたから彼らを知っていたのだ。

「驚いておられるようですね」

 その驚くほど落ち着いた声にハッと意識が現実に戻ってくる。

 見れば本を読み終えた俺に微笑みながら語りかけるレオの姿がそこにはあった。

「ですが、それは聖杯に関する知識のほんのさわりに過ぎませんよ。

 ハーウェイは聖杯の構成素材などもう少し詳しい情報を持っています」

 あくまで友好的に、しかし情報アドバンテージで優っているという態度は隠さない。

 その言葉はおそらく見当違いのものだろうが丁度いい。最後の確認をさせてもらおう。

「レオ、聖杯の素材について確認がしたい」

「はい、いいですよ。聖杯の材質自体は……」

 説明をし始めたレオには失礼だが、手を突き出してその説明に待ったをかける。

「先に俺の知識が正しいかどうかを確認したい。聖杯とは月そのもので、その月を構成する素材は巨大なフォトニック純結晶。そのことにアトラス院が最初に気づき、それが広まっていった。フォトニック結晶はナノ単位の操作で光そのものを閉じ込められる鉱物で、その処理速度や記憶容量は他の追随を許さないほど。

 現在ハーウェイでは一センチ、アトラス院でも三センチ角の筐体を作るのが限界。

 ……で、あってるよね?」

 暗記した単語を暗唱するように矢継ぎ早に聖杯に関する情報を列挙する。その光景にあのレオが初めて余裕の表情を崩し、珍しいものを見るように目を丸くする。

「お見事です、由良さん。たしかに、あなたの言う通り我々はフォトニック純結晶の研究は行っていますがその成果は芳しくありません。

 ですが、その情報はここでは一度も話したことはないはず……」

「………………え?」

「ああ、なるほど。彼女から聞いたのですね」

 困惑するこちらをよそにレオは一人納得していた。その視線を追って振り返ると、そこには褐色にくすんだ銀髪の少女が佇んでいる。

「では僕はここで。久々にあなたと話ができて楽しかったです」

「我が主よ。彼はあなたの国の機密事項を知っているご様子。咎めなくてよろしいのですか?」

「問題ありませんよ。元々ここまで勝ち進んでいた彼には話そうと思っていたしたので。彼にはその権利がありますから。

 さすがにすべて知っていたのは驚きましたが、それは彼が彼自身の持ち得る手段を利用して得たということ。ならばそれがどんな手段であれ、報酬として情報を獲得するのは当然でしょう」

「………御意」

 守るべき情報は全力で守るが、それが破られるのなら相手を称賛する。どんなに情報を取られようとも絶対に負けないという自身からくるものなのだろう。

 その心構えにレオのサーヴァントは何か思うところがあうようだが、それ以上、言葉を発する事はなかった。

 図書室を去っていくレオを、俺は見送る余裕すらなかった。

『ここで話したことはない』というレオの何気ない一言が、俺の中にあった仮定を根本から覆してしまったのだから。

 てっきり俺は名も知らない『誰か』の記憶とリアルタイムで繋がっていると思っていた。だからここで初めて知り合った遠坂やラニの名前を知っているのだと、そう結論づけた。しかしそれではここで一度も話していないレオの話を『誰か』が予め聞いていたという矛盾が発生する。

 地上でどちらかが聞いていた? いやそんな都合のいい考えはよそう。これは偶然なんて安易な答えで片付けていい問題じゃない。

 俺は、いったいいつの時代の誰の記憶と混ざっている……!?

「あの……大丈夫ですか?」

 こちらを覗き込むアメジストの瞳と視線が合う。いつもは人形のように無機質な彼女の表情が、今はこちらを心配してくれているらしく眉をひそめている。

「なにか考え事をしているようでしたが、顔色がよろしくありません。一度保健室でバイタルチェックをされてみては?」

「ありがとう、そこまで深刻なものじゃないから大丈夫だよ。それより、ラニの方は情報収集?」

「いえ、情報は昨日由良さんから提供してもらったおかげで十分というほど集まっています。これ以上は図書室で調べても意味はないでしょう。

 今日図書室に来たのは、ただ知識を得るという目的のためです」

 つまりラニの個人的な趣味ということか。なににしても今のところは順調そうで安心した。

「あ、そうだ。よく図書室を利用しているラニに聞きたいんだけど、ここ最近ありすを見たことあるかな? ゴスロリを着た白い女の子なんだけど」

「いえ、二回戦まではときどき目にしましたが、三回戦以降は見かけていません」

 そういってラニは首を横に振る。

「マスターではないようでしたし、負けて消滅することはないでしょうから、別の校舎にいるのではないでしょうか?」

「頻繁に図書室を利用しているラニが見ていないならその説が強そうだね。四回戦まで待つか」

「何かあの子供に用でもあったのですか?」

「あると言えばあるけど、強いて言うならラニと同じく趣味かな」

「……………………」

「ストップ訂正させてあの子たちが地上の俺のことを知ってる可能性があるから遊び相手になるついでに何か聞き出せないかなって思ってるだけだから決して邪な感情なんてないから!!

 だからそんな目でこっち見ないで!?」

 あんなラニの表情初めて見た……

 普段感情を見せないから余計にダメージを受けた気分だ。

『その言い訳の仕方だとむしろ逆効果だと思うんだが……

 やっぱりそっちの趣味があるのかしら?』

「言ってて自分でも思ったから傷口に塩塗るようなことしないでくれるかな!?」

 自爆したのもあるが、ただラニの様子を確認しようとしただけなのに異様に疲れてしまった。

 ラニと別れて廊下に出たのはいいが、このままアリーナに行く気にはなれない。

 一応レアエネミーを探すためにアリーナに潜る必要はあるが、少し気分転換で校舎を見て回ろう。

 

 

 敷地内を散歩してみると、思っていた以上に自分が狭い範囲でしか活動してなかったのだと思い知らされた。

 中庭の教会は一回戦のときに立ち寄ったことがあるが、体育館はランルーくん討伐戦があるまで立ち寄ることはなかったし、案外身近にある校庭だって予選のときに登下校で歩いたぐらいだ。一回戦のときに聞き込みをしたことがあるにもかかわらず、こんな気まぐれの散歩をしなければプール施設があることすら気づかなかった。それに校門前にある本校舎と同規模の別館は、どうやら実験室などの特別教室棟だったようだ。

 今更だが、ランルーくん討伐戦のときにこの辺りを探索していれば、もっと別の対処法が見つかったかもしれない。

「まあ考えたところで意味はないんだけど。

 それにしても、こんなひと気が少なそうな場所にもNPCは配置されてるんだね」

『配置というよりは好き勝手歩き回ってるだけだろう。安定した情報を提供してくれるNPCは基本的に本校舎の中にいるよう行動範囲を制限されているが、ただの賑やかしは好き勝手に行動できるらしいからな。

 逆に言えば、陰でこそこそしてても誰かに目撃される可能性があるから注意は必要ね』

「……俺がそういうことするタイプに見える?」

『考える頭はないだろうな』

 ……実際そんな発想今の今まで思いつかなかったが、わざわざ棘のある言い方で言うのはどうかと思う。

 そうこうしているうちに気づけば校門前まで足を運んでおり、気分転換で始めた散歩は敷地内をほぼ制覇していた。そろそろアリーナに向かおうかと考えていたところに、キリキリとしたこめかみの痛みがよみがえり思わず苦い表情になった。

 その直後に背後で響くギギギッという異音。それはまるで、金属製の人形の関節を動かすときのような、硬いもの同士をこすり合わせる音だ。どう考えても学校の環境音ではない。

 振り返って確認してみるが、そこにいるのは賑やかしのNPCが数人いる程度。音源らしきものは見当たらない。だが、確かに異音は聞こえてくるし、段々とその音源が遠のいている気がする。

『どうかされましたか?』

 ライダーの言動からして聞こえているのは俺だけだ。こめかみの痛みから考えるに、これは昨日と同じ『誰か』の記憶が流れ込んでくる前触れだろう。

「またちょっと幻聴がね。何か俺に関する手がかりになるかもしれないし、ちょっと寄り道させてもらってもいいかな?」

『反対する理由はありませんので構いませんが、くれぐれもご注意を』

 ライダーの忠告を胸に、遠のいていく音の後を追う。音が小さくなっているのはてっきり遠のいているからだと思っていたが、どうやら音そのものが小さくなりつつあるらしい。

「この感じ、どこかに誘導している?」

 校門から別館を抜け、校庭を突っ切って児童玄関へ。遅すぎず早すぎず先行する音源はすでにほとんど聞こえなくなっており、校舎の中へ入るころにはNPCたちの喧噪に飲み込まれるように消えていった。どれだけ耳を澄ませてもさきほどの異音は聞こえない。

 しかしこめかみの痛みはまだ続いている。ならばまだこの状況は続くと考えていい。微かな音にも注意を払いつつ下駄箱の脇を進んでいると、音が充満した空間で不自然なほど響く甲高い音に思わず足が止まった。その音も音源が遠のくように少しずつ小さくなっていく。この音の向きは、教会へ続く廊下の奥か。さきほどの消え入りそうな音と違って、自己主張が激しいため離れすぎなければ追うのはそこまで苦労ではなかった。

 だというのに、呆気なさすぎるほどピタリとその音は止んでしまった。いや、これは意図して止まったと考えた方がいいかもしれない。最後に音が響いた場所まで進んでみるとそこはちょうど部屋の目の前だった。

「……保健室?」

 ここが音の正体が連れてきたかった場所だろうか? こめかみの痛みは継続中だから、念のため次の音が聞こえてこないか辺りを見回してみるが、これ以上は聞こえてくる様子はない。

「入れってことかな」

『特にトラップが仕掛けられている形成もない。

 そのまま入って大丈夫そうよ』

 サラの安全確認を信じて、いざ保健室の戸を開ける。そこにはいつも通り白衣を纏った桜と……

「や、やっほー」

 購買委員の天梃舞がくつろいでいた。彼女はイタズラしていたのがバレた子供のように、小さくなりながら気まずそうに視線をそらす。

「なんでここにいるの?」

「いや、ね……それは、その……」

「いくら俺以外ほとんど購買部に来ないからって、サボりはさすがにダメじゃないかな」

「……あ、ああっ、そうだね!

 いやでもさぁ、さすがに誰もこないし会話できない苦痛が続けば退屈だってするって。

 それで、君は今から購買部に行く感じ?」

 思ったより怒られなかったことに驚いたのかホッとしたように蛇舌になる舞。

 こちらとしてはまた自由に行動してるなー、程度だったのだが、そんなにサボってるのがバレたのはマズいことなのだろうか。

 ……だったらサボるなよと言いたいがまあ彼女なら好き勝手やっててもあまり不思議ではないと思う。

「いや、まだアリーナに行ってないしアイテムも残ってるからまだいいかな。

 いつも通り探索が終わったら寄るよ」

「そっかそっか!

 じゃあ私はこれで。また後でねー」

 逃げるように舞が去って行くのを見送ると、しばらくの間保健室に変な静寂が流れた。

「舞、何しに来てたの?」

「いえ、私も何が起こったのか……

 ただ来て帰っただけでしたので」

 桜も困ったように苦笑いを返すだけ。ホントに何しに来たのだあの自由人は……

「ところで、天軒さんはどういったご用件でこちらに?」

「あ、えっと、頭痛がするからバイタルチェックをしてもらおうと思って」

 どうもこうも音に導かれてきただけで俺自身は特に用事はなかったのだが、さすがに何もせずに帰るのも失礼だろうと思い適当に要件をでっち上げた。

 そんないきなりの要求にもかかわらず桜は二つ返事で対応してくれる。

「頭部の痛みということは、記憶や感情の処理に関する不具合でしょうか。うーん、ぱっと見では異常はないですね。念のため、精密検査もしてみましょうか?」

「……うん、お願い」

 保健室に入る前にはあったこめかみの痛みはいつのまにか消えていたが、体調管理を担当している桜なら何かわかると思い詳しく診てもらう。しかし、結果は変わらず異常なしということだった。

「何かあればまたいらしてくださいね」

 要件が済めば親身に対応してくれた桜もNPCらしく淡々とした対応に戻ってしまう。こちらもこれ以上ここに留まる理由もないため素直に保健室を退出した。

「――え?」

 戸をくぐり、部屋の外に出る。ただそれだけの動作だったはずなのに、目の前はアリーナのような無機質な空間が広がっていた。

 ユリウスに再び襲われた? いやそれはない。校舎から不正にアリーナへ続く個所は凛が指定し言峰神父が対処したはず。ユリウスはルールブレイクを使えない状態なのだから新たにアリーナへの通路を作れるとは考えられない。なによりあの不正にアリーナに転移される場合は独特な引っ張られる感覚があるはずだ。

 なら目の前に広がるこれは何だ?

 そこまで考えたところで、もっと深刻なことに気づいた。そのことに背筋が凍る感覚を覚えた。

「ライ、ダー……? サラ……?」

 彼女たちの気配がないのだ。霊体化しているわけでも、通信を一時的に切断されているわけでもない。

 彼女たちとの繋がりが完全に途絶えている……!

 動悸が激しくなり、鼓動も段々と早くなっている気がする。この場で誰かに襲われたら……いや、そもそも俺以外に誰か存在しているのか? もしかして、俺だけがここにいるのではないのか? さまざまな推測を立てるが答えは見えてこない。

 わからない。どうしていきなり空間が変わったのか、どうしてライダーやサラとはぐれてしまったのか、どうして自分以外に人の気配がないのか、今自分の置かれているこの状況について何一つわからない。故に怖い。ああ怖い、何もわからないから、仲間がいないから、孤独だから。記憶がない自分には、ここまでのたった数週間では本当の孤独とは何なのかを全然理解できていなかった。本当の孤独とは、寂しいとは、ただ途方もない不安と漠然とした『死』の恐怖が混ざり合ったものなのだ。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……っ! いやだまだ死にたくない!!

「あ……あ、あああああ゛あ゛あ゛――」

「――たったこれだけでここまで取り乱すとはな」

 わざとらしくため息をつく大人びた声。聞き覚えのあるその声の主は、いつの間にか俺の目の前で腕を組み仁王立ちをしていた。小柄な少年の姿をしているが、その瞳には長い人生を経て疲れ切ったとでも言わんばかりに絶望の影がある。その瞳がこちらを見下ろしているという状況になって初めて自分が今膝をついているのだと気づいた。

「まあ無理もないだろう。お前の場合は元々不安定な性格なのに名無しの森でアイデンティティが消える感覚まで体験しているんだからな。自分という個を観測してくれてかつ比較することができる誰かがいない空間では早々に自己消滅してもおかしくないだろう」

 荒い呼吸を整え、目の前にいるサーヴァントの情報を詮索する。

「たしか、視聴覚室にいたサーヴァント」

「そうだ。その程度は思い出す余裕はあったか。サーヴァントでは何かと不自由だろうからキャスターとでも呼んでくれ。」

 こんな得体も知れない空間にいるというのに、肩をすくめる小柄なサーヴァント――キャスターに動揺は見られない。ということは、俺と同じようにここに迷い込んだというわけではなさそうだ。

「まさか、この空間はキャスターが……」

「少しは関与している……と、まあ待てそう身構えるな。俺に戦闘意思はないし今のお前相手でも俺では3秒も持たん」

 両手を挙げて降参の意志を示す。態度は変わらないがその表情が若干引きつっているのは本当に戦闘がしたくないのか、はたまたブラフか。

「それにしても案外あっさりと解決したな。予想ではもっと……物語二、三話分は拗れると予想していたんだが。

『あの女』が想定していた以上に、サラという女はイレギュラーらしい。それはそれで俺は面白いがな」

 念のためにいつでも黒鍵を抜けるようにしておくがこちらからは攻撃しないという意志を見せると、心底安心したようにキャスターは一人語り始めた。

「なんの話をしているんだ?」

「お前の話に決まっているだろう。まだ混乱しているのか? なら仕方がない、最初から説明してやる。

 ここ最近、もっと詳しく言えば遠坂凛とラニ=Ⅷを決戦場に侵入してから、お前の周りのやつらが妙に風当たりが強いと感じなかったか?」

 キャスターの指摘には少なからず心当たりがあった。特にライダーに対しては昨日ようやく解決したところだ。

「まさか、あれもあなたが?」

「関係している。しかしそれはあくまで副産物によるものだ」

 先の経験からか今度は先んじて釘を刺す。

「視聴覚室から決戦場へ送り込んだあの魔術は、簡単に言えば対象者の願いを叶える手助けをするものだ」

「それ、まるで聖杯じゃないか」

「まあ、それに似たようなものだ。普通に使った場合は叶いそうで叶わず、加えて自分の大切なものまで失う、という致命的な欠陥があるがな。貴様の場合は周囲のやつらとの仲、といったところか。

 俺のマスターが令呪を使ったのは、その致命的な欠陥を緩和するのが目的だった。

 本来なら、遠坂凛とラニ=Ⅷどちらのサーヴァントも生存した状態では決戦場を抜けられず、救出はあえなく失敗。さらにその無茶をしたことが自身のサーヴァントや周りのやつらにバレて関係は最悪、という結末だったわけだ。

 とても聖杯戦争を勝ち抜ける状況ではないのはたしかだろう?」

 それが本当なら決戦場へ送り込んでくれたこのサーヴァントにはもちろんのこと、令呪を使ってくれたマスターにも感謝してしなければならない。

「だけど、キャスターはさっき俺とライダーの仲がまだ拗れているはずだって言ってたはずだ」

「令呪を使って緩和してもそれが限界だったはず、という意味だ。俺の見立てでは、現時点で他の連中とは和解できてもまだサーヴァントとの仲は改善の兆しすらみえず、五回戦に入るあたりでようやく改善し始めると思っていたんだがな」

 キャスター曰く、サラが強引に干渉したことで予定より早く関係の改善につながったらしい。それが彼女の起源によるものか、単純に他人の干渉が原因なのかは彼にもわからないらしいが。

「まあ何にしても、この副産物は一度乗り越えれば水泡のごとく最初からなかったかのように消えてなくなる。

 今後は再び貴様らの破天荒な出来事で楽しませてくれ」

「それ全然うれしくないんだけど」

「はっ、そんなことわかってて言ってるに決まってるだろう!」

 なるほど、このサーヴァントはそういう性格らしい。ならばこれ以上深く追求しても体力の無駄遣いだ。

「ライダーたちの不自然な対応については理解できたけど、どうして俺をこんな空間に呼び出したんだ?」

「それはもちろん、貴様のサーヴァントに切られるのはごめんだからな! こんな話あの小娘の前でしてみろ。最初の結論の時点であのブレーキの壊れた忠犬なら問答無用で抜刀していたことだろう。

 どうせもうすぐ消える身だとしても今この瞬間消えるなんて馬鹿な真似をする気はない」

「ちょっと待って、もうすぐ消えるってもしかして相手が強いのか? ならせめてキャスターのマスターに合わせてくれ。どんな思惑があったにせよ、令呪を使ってくれたからこそ今の俺がいるんだ。そのお礼が言いたい」

「やめておけ、お前では会えん」

 一方的に会話を打ち切られ、次の瞬間には身体が後方へと引っ張られた。

 暗い場所からいきなり明かる場所へと移動したときのようなまぶしさが治まると、気づけばいつもの廊下だった。のだが……

「主どの、突然立ち止まって目がうつろになっておりました。もしや今度こそ敵襲ですか!?」

「っ!?」

 鼻先がつくほどまで接近している黒髪少女の顔に思わず息をのんだ。いきなりのことで思わず払いのけてしまうが、改めて見ると彼女は悲痛に表情を歪めていた。

「ご、ごめんライダー。いきなりでびっくりして……」

「いえ、主どのが無事なのであれば問題ありません」

『問題ないわけないだろう。お前数分意識が飛んでいたんだぞ。

 いったい今度は何に巻き込まれていたんかしら?』

 意識が飛んでいた、ということはあの空間はそういう類の効果を持つキャスターの魔術だったのだろうか? 

 何にせよ、答えを知るキャスターはこの場にいないのだから考えるだけ時間の無駄だ。一応桜にバイタルのチェックはしてもらうとして、自分でみたところ不自然な部分はない。

「遠坂とラニを助けた時に手助けしてくれたサーヴァントがちょっと強引に話しかけてきたんだ。

 意識が飛んでたのはその影響だと思う。口は悪いけど悪人ってわけではないし、何もされてないよ」

「本当なのですね? 主どのは自分の身体に関しては無頓着すぎます」

 それはお互い様では、などとという言葉はそのまま飲み込んでしまう。心配をかけてしまったのは事実だ。ここは素直にライダーに謝罪しなければ。

「ライダーもサラも、心配かけちゃってごめん。

 一応桜に異常がないか確認してもらうけど、本当に大丈夫だから」

 あのキャスターは和解できたと言っていたがとんでもない。改善はしているがまだまだ俺の行動はライダーの不安の種になっているのだ。

 上辺だけ繕っても失った信用はすぐには戻らない。一刻も早くライダーが安心できるよう力をつけなければ。




天軒やっぱりアイデンティティクライシスってるねこれ
四回戦も残るは2話です

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。