ONE PUNCH MAN ~白銀の女神~   作:上川 遠馬

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第4話

「蚊の異常発生だって、お前も気を付けろよ」

 

 麗らかな朝日が窓から差し込む中、無防備に床へごろんと寝転びながらキッチンに居るサイタマに向かってそう言った。

 なんでも新種の蚊の大量繁殖が世間で問題になってるらしい。今も朝の報道番組で専門家っぽい禿げたおっさん達があれこれ議論しているが、ハッキリ言って何言ってるかさっぱりわからん。

 

『蚊の発生区域の皆さまは窓を閉め、外出を控えるなどの対応を――』

 

「えぇ~Z市も入ってんじゃん。勘弁してくれよ」

 

 萎えたように言ってキッチンから顔を出したサイタマは腹を出して寝っ転がる俺を微妙な顔で一瞥した後、ジョウロを持ってベランダの植木鉢に注いでいく。

 最初の方は俺がだらしない格好をすると色々と嗜めてきたサイタマだが、いくら指摘しても改善しない俺を見て諦めたらしい。最近では何も言ってこない。

 

「……カルピス飲も」

 

 くあ、と欠伸を噛み殺して立ち上がる。視界の端で何やらぶぉんぶぉん高速移動してるサイタマの姿が眼に入ったが、気にせず俺は勝手口に向かった。

 

「カルピス切れてるじゃん……」

 

 冷蔵庫を開くや俺は絶句した。そうカルピスが空なのである。

 刻一刻と迫る喉の渇きと餓えに俺は焦った。今の俺に潤いを持たせる甘露はあの至高の一品、カルピスだけなのである。お茶なんて邪道、水なんて論外なのだ。

 

「ちょっとカルピス買ってくるわ……」

 

「あ、ついでにおつかい行ってきてくれよ、金渡すから」

 

 サイタマが若干、疲労した顔でベランダから出てきた。額に作った赤い腫れを痒そうにぽりぽり掻いている。

 

「何やってんの……?」

 

「……いや、そこで蚊に刺されてな」

 

「うわだっせ」

 

 言いつつサイタマから金を受け取り、俺は虫除けスプレーをさっと身体に振り撒く。これで蚊の対策は万全だろ。

 

「じゃあ行ってくるわ」

 

 最後に野球帽を被り、俺はアパートを後にした。

 

 

 

 * * *

 

 

「ここがZ市……。見事に人の気配がしないな」

 

 ジェノスが街に降り立つや否や洗礼とばかりに出迎えてきた蚊の大群が取り囲み、その針のように鋭い口器を突き立ててきた。

 常人では一瞬にしてミイラにされてしまうだろう何千、何万の一斉による吸血も、しかしジェノスの――身体を改造し、鋼鉄の皮膚を手にしたサイボーグ人間である彼の前では何の意味も成さなかった。

 

「――焼却」

 

 ぼぉ、と一瞬の閃光と共にジェノスの右手から凄まじい威力の火炎放射が放たれた。一瞬で黒い灰や煤になった羽虫の死骸を払いつつジェノスはその鋭い視線を宙に漂わす。

 

「――高エネルギー反応アリ。……あそこか」

 

 一点に視点を定め、ジェノスはその場から大きく跳躍する。

 果たして、そこには予想通り。まるで女王のように大量の蚊を侍従させ、空にふわふわと浮かび上がる女型の怪人を発見した。

 

「ぷはぁ~なによアンタ達。こんだけじゃ全然足んないわよ。もっと吸ってらっしゃい」

 

「――なるほど。蚊の大群に血を吸わせてそれをお前が独り占めしていたのか」

 

 女型の怪人――モスキート娘は突然の闖入者の声に眼を瞬かせ面を食らった表情になるが、ジェノスの姿を眼に止めると、直ぐに肉食獣の如き嗜虐的な笑みに取って変わらせた。

 

「あはっ、食事が来たわ。吸いつくしてあげなさい」

 

「焼却」

 

 主人の命に襲いかかってきた蚊の大群も、恐るべき火力を誇るジェノスの『焼却』の前に一瞬で灰と化す。

 

 捕食対象とばかり思っていた相手からの予想外の反抗を受け、顔を強張らせるモスキート娘にジェノスは冷静に、掲げた右手をゆっくりと向けた。

 

「お前を排除する。――そのまま動くな」

 

「――ッ! やってみなさい!!」

 

 刹那の停滞の後、衝突する二つの影。

 空中で交わり、やがてすれ違って降り立ったジェノスの片腕は、モスキート娘にもがれていた。

 

「――ふふ、次は足かしら?」

 

 勝利を確信し、口端を吊り上げるモスキート娘だったが。数秒の違和感の後、目の前のサイボーグが手にしている物に気が付く。

 

「――あ、あれ? 私の足……」

 

 ぽいと、まるでゴミを扱うかのように放られた自身の両足にモスキート娘は戦慄と共に明確な死を悟った。

 

「今のままじゃ、殺されちゃいそうね……」

 

 呟き、素早く踵を返す。

 これ以上の戦闘は得策ではない。

 そう決断したモスキート娘が取った行動は即ち撤退であった。

 

「――逃がすか」

 

 しかしみすみすとそれを見逃すジェノスではない。

 彼もまた素早く右手を掲げ――、

 

「――ッ!! 高エネルギー反応!? それも、近い!!」

 

 粟立つような恐怖とプレッシャー。先ほどまでの怪人とはまるで比較にならない桁外れのエネルギーを察知し、ジェノスはその身を凍らせた。

 

「――ふんふふんふふー」

 

 果たしてそこから現れたのは一人の子供のような姿だった。ねずみ色のパーカーに紺のジーンズを履いた人影は野球帽を深く被り、表情が伺い知れない。

 

(迷い込んだ、子供? ――いや)

 

 ジェノスは直ぐ様その考えを否定した。ヒーロー協会から警報は発令されている。物見高くとも外に出ようとは思わないハズだ。それにこんなところに、このタイミングで子供が現れるなど、そんな偶然が果たしてあるものだろうか。

 それになにより――、

 ――この、気配。

 まるで心臓を鷲掴みにされたような錯覚。サイボーグの肉体は汗をかかないはずだというのに額から滴る冷や汗をジェノスは認識した。

 あらゆる警報が告げている。目の前の子供のようなものは、決して見た目通りの貧弱な存在ではないと。

 

 ジェノスは懸命に自身を叱咤した。

 久しく感じなかった震え上がるような恐怖を押し込み、その怪物(・・)の前に立ちはだかった。

 

「待て」

 

「――お?」

 

 虚を突かれたように、その怪物は立ち止まる。顔を上げ、帽子からその瞳を垣間見せ――、

 

 ――ゾクリ

 

「くっ……!」

 

 まるで血の池に浸したような赤々しい朱の瞳に睨まれ、ジェノスは半歩押し下がる。

 ――無言の威圧でこれほどとは。

 しかし下がれない。サイボーグとなり、機械と化したジェノスの心にも引けないプライドがあるのだ。

 

「――お前、人間じゃないな」

 

 冷徹な声を喉から絞りだし、ジェノスがそう言うと怪物は気まずそうに横を向いた。不明瞭な声でモゴモゴと呟く。

 

「――あー、いや、俺は……」

 

「――人間ではないのなら、排除させてもらう……!」

 

「へ?」

 

 構え、右手を突き出す。勝負は一瞬、最大力の焼却砲を――!

 

「――焼却!!」

 

 眩い閃光の後、全てを切り裂くような爆音。豪炎が辺りに轟いた。

 




ジェノス「やったか!?」

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