「……熱が出てるな。微熱だけど」
「や、やっぱりですか……」
ぴぴぴと鳴った体温計を見てみれば、そこには平時より一度ほど高くなった体温が表示されている。ベッドに寝ている宮藤がぐぅと唸り声を上げて額に手を当て、その汗をぬぐった。
あの宮藤酒乱事件の翌日。熱っぽく顔を紅潮させる彼女の様子がおかしいので調べてみたところ、案の定といったところであろうか。こいつは体調を崩していたようで、今は俺のベッドに身体を横たえて気だるげにしている。
「風邪かな? 熱以外にどこか悪いところはあるか?」
「ううーん……ちょっとだけ頭が重い? ですかね。でも、わたしとしては身体が熱っぽいだけなんですけど」
「風邪っていうよりは熱が出ただけ……? っていうか……」
「ていうか?」
「……二日酔い、かな」
ああー。と、宮藤が手をポンと叩いて理解を示す。
昨日散々酔っ払った後で俺の服に『粗相』をしてくれた宮藤は、その後風呂に入るや否や眠りこけてしまったのだ。特に問題もなかったようなのでそのまま寝かせておいたが、やはり10代の少女にアルコールはまずかったということなのだろうか。今朝になってそのぶり返しが来てしまったようだ。
……ちなみに『粗相』は昨晩の内に俺の手で処理されている。全部が全部俺の服に掛かったということで、むしろ掃除は楽だったと言えるが。……あの服気に入ってたのに、もう着れないかな。
「? どうしたんですか?」
そんな考えをしていたから苦い表情を浮かべてしまったのか、宮藤が少し心配げにこちらを見てくる。
なおこいつは昨晩の記憶がかなり飛んでいた。特に『催した』ことについてはほとんど覚えていないようだったので、今朝の内に誤って酒を飲んでしまったことを教えてある。
……流石に『君は俺の服にゲロったんだよ』なんてのを、年若い少女にそのまま伝えるのは心苦しかったので、そのあたりはぼかしておいたが。
とにかくそんな俺の判断を聞いて何を思ったのか、宮藤はふらつく身体もそのままにベッドから起き上がろうとする。
「二日酔いってことは病気じゃないですよね? じゃあわたし、今日の朝ごはんを作って……」
「はいストップ」
え? と見上げてくる宮藤の頭を手で押さえて俺はゆっくりと首を振った。
不思議そうな顔をしているところ悪いが、だからと言ってそう易易と働かせるわけにはいかない。
そもそも宮藤は二日酔いかもしれないというだけで、実際には風邪の初期症状として熱が出ている可能性だって否定できていないのだ。
未成年の身体で酒なんて飲んでしまったのだから当然悪影響もあるだろうし、たとえば免疫力が落ちた所為で風邪を引いている……という可能性だってある。
そんな状態で無理に動いて本格的に体調を崩してしまったら目も当てられない。
「もし本当に風邪だったらどうするんだ。体調が戻るまでそこで寝てなさい」
「で、でも……」
「家事ぐらい俺が代わってやるから。ほら、寝た寝た」
「……うー」
俺の言葉にさらに言い返そうとしてくる宮藤の肩を持って、そのままベッドに押し倒す。
無理やり寝かしつけられた宮藤は顔だけを上げると、こちらに向けて納得のいってなさそうな視線で見つめてきている。
前々から思っていたがこいつの働きたがりというか世話の焼きたがりは中々大したものだが、どうにも融通が効かないところがあるように思える。
向こうの世界の人はどうやってこいつを制御していたのだろう。
「身体が出来ていない内に酒なんて、どんな悪影響が出るかわからないんだからな」
「えー。でも、扶桑だとわたしぐらいの年で飲んでる子はたくさんいましたよ?」
「昭和と今では飲酒に関する考え方が違うんだよ」
まったく……と、思わず溜息をついてしまう。
確かに宮藤の言うとおり、昭和のそれも初期のころは未成年が酒を飲んでも大して問題にはならなかったかもしれない。が、この平成の世においてはそうも言ってられないのだ。未成年が飲酒をすれば事件になり、その酒を提供した側――つまり俺のことであるが――まで罰せられる始末だ。
もちろん昔は大らかな時代だったのだろうし、俺個人としてもそれは好ましいことなのだが、宮藤にはもう少し現代に合わせて考えてもらわないといけない。……悪いのは、間違って酒を飲ませてしまった俺だけど。
「と・に・か・く。今日は家事禁止だ! ほら、俺のベッドで悪いけど」
むう、と唸る宮藤に一際強く視線をやると、諦めたようにその身体をベッドに預けた。
なお普段の宮藤は俺が使うベッドの横に布団を敷いて寝かせてある……が、看病の都合上高いところにいてくれた方がやりやすいという理由で、今朝方まで俺が眠りこけていたベッドで眠るよう指示したのである。
とはいえ。
「別にそこまで熱があるわけでもないし、ずっと寝てろとは言わないから。退屈ならテレビでも見てたらどうだ?」
「いいんですか?」
「俺も昔は風邪引いた時に暇してたしなあ」
そう、俺だって風邪の時の退屈さは辛いものだった。
小学生の時に風邪なんか引こうものなら薄い味付けのうどんを食わされて、本もゲームも許されずに暗い部屋の中で眠るだけ。もちろん身体を治すために必要なことと分かっていても、遊び盛りの子供時分には耐え難い苦痛であったのを覚えている。
それを考えれば、少々身体の調子が悪い程度の宮藤がテレビを見ることぐらい問題ないだろう……と思う。
「じゃあえっと……わたし、朝のお料理番組が見たいです!」
「宮藤がよく見てる奴な。りょーかい」
「えへへ……色んなお料理のことを知っておけば、三森さんにも作ってあげられますから!」
「……おおぅ」
花が咲いたような笑顔で、まっすぐとそんなことを言われて思わず顔が熱くなった。
赤くなった頬を見られないように顔を逸らしつつ、ふと昨晩のことが思い出される。涙をこぼす宮藤を慰めて、抱きしめて、その震える身体を強く押さえて、髪を撫でて……。
あ゛ー。
かつての自分の所業に思わず胸の動悸が激しくなっていくのを感じて、俺は胸に手を当てた。ばくばくと強く響き出した心臓は今の心境をそのまま表しているようで落ち着かない。
「あの、三森さん?」
「……っ。え、あ、ごめん。なんだ?」
「いえその、お薬とかは飲まなくていいんですか? わたし」
急に掛けられた言葉にびくつき、そんな俺に戸惑ったような声を出す宮藤。
高まった鼓動を抑えながらその内容を聞いてみれば、そう、薬。
宮藤の言うように俺も体調が悪いのであれば薬の一つでも飲むべきではないかと思い、今朝方に救急箱を引っ張りだしてはみた。
確かに二日酔いの症状は頭痛や吐き気だったりと、ほとんど風邪のそれと似通ったようなものであるために風邪薬などが有効に思えるかもしれない。しかし。
「それについては今朝調べてみたんだけどな。それが二日酔いに風邪薬はよくないみたいだ」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ。総合感冒薬、要するに普通の風邪薬だな。これには二日酔いに効く成分以外にも色々混ぜ物がしてあるらしくて、弱った身体で飲むべきじゃないそうだ」
酒を飲んだ後というのは肝臓が弱ってしまうそうだが、その状態で薬を飲んでしまうと副作用が出てしまったり、胃腸が荒れてしまったりと問題があるらしくて。
「要するに、あんまりよろしくないってことだな」
「へぇー……そうなんですねぇ」
なるほどーと宮藤が感心したように頷いたところで、そろそろ朝飯の準備を始めよう。
台所に立つのは久しぶりだが、体調の悪い宮藤の為にもしっかりしたものを作ってやらないとな。
さて二日酔いに効果のある料理を調べてみると色々と出てきたわけだが、しじみなんかは当然家に置いてないし、特に覿面だと言われる蜂蜜やグレープフルーツなんかも我が家には常備されていない。
では何がいいだろうか……と調べてみて、今この家にあるもので俺なりに作ってみたのがこの鍋の中に入ってある。
出来上がったそれを鍋つかみで持ち上げて上手く出来ていればいいんだけど、と内心で呟く。
「おーい宮藤ー。出来たぞー」
「ふぇっ、あ、ははは、はいっ!」
「……何でそんなに焦ってんの?」
部屋を開ければ、なぜかベッドにうつ伏せになるように寝ていた宮藤が俺の言葉に飛び上がるようにしてこちらを向いた。その表情は先ほどより更に赤くなっているようにも見えて、思わず心配になってしまう。
せっかく付けてやったテレビも見ていなかったようだし、もしかして体調が悪化したのか?
「い、いや、何でもないです何でも!」
「……まあ、元気ならそれでいいけど」
なぜだか冷や汗を掻いているようにも見える宮藤だが、勢いよく両手をぶんぶんと振るその姿はむしろ先ほどより回復しているようですらある。
うーん……と思いながらも引き下がると、視界の端で宮藤が露骨にほっとしたような溜息をついた。いや、なんなんだよ。
「で、だ。身体によさそうなものを作ってみたんだけど」
そろそろ手に持った土鍋が重くなってきたので、机の中央にどすんと乗せる。
宮藤が興味深そうに見つめる中その鍋の蓋を開けてやる。すると真っ白い湯気が立って、それが晴れると中で炊かれたものが見えてきた。
あっと嬉しそうな声が上がる。
「雑炊……ですか?」
「正解。ありきたりなもので悪いけどね」
そう、宮藤の言った通りである。
体調を崩した時に雑炊……というのは何の変哲もないかもしれないが、中々どうしてこれが理に叶ったもので。
今回俺が作ったのは卵雑炊に梅干しを入れたものだが。
「玉子には必須アミノ酸が豊富に含まれていて肝機能を高める効果がある。そして梅干しにはピクリン酸とクエン酸が含まれていて、合わせて二日酔いによく効くんだ」
「えっと……あみ……くえ……?」
「……要するに、身体にいいってことだよ」
な、なるほどーと分かったのか分かってないのか呆けたような表情で頷く宮藤。
必須アミノ酸と言えば高校の家庭科で習ったものだが、昭和初期の頃にはまだ見つかってなかったんだっけ? リジンロイシンイソロイシンなんて言って覚えたもんだけど。……ま、いいか。
そんなことはさておいて、宮藤には栄養を取って元気になってもらわなければ困るのだ。箸では食べにくかろうと思って用意したスプーンを渡そうとするも、何故か戸惑ったようにしてそれを受け取らない宮藤。「え、なんで?」と尋ねるときょとんとした表情で、
「いやえっと、食べさせて……くれないんですか?」
え? あれ? と本当に不思議そうな表情で尋ねてくる宮藤。
いやいやと内心でツッコミを入れながらも、なるだけ冷静な顔をして俺は首を振った。
「……なんでだよ。自分で食えるだろ?」
「――昨日はあんなに優しかったのに」
思わず咳き込んだ。
頬を膨らませて不満そうに呟かれた言葉に、反射的に昨晩の出来事がリフレインする。
「いや、あれはその……宮藤がしんどそうだったから……」
「どら焼き、食べさせてくれて嬉しかったのになー」
「うぐぅ」
なんで昨日の俺はあんなことしたんだよ! とついつい心の中で自分を罵りながら、手に持ったスプーンに目をやる。
そしてもう一度宮藤に視線を移せば、そこにはわくわくとした表情で餌を待っている犬がいた。
本当に、もう。
「……わかったよ。今日だけだからな」
「はいっ……ふふふっ、いっただきーます!」
「……やっぱり元気やんけ」
「ごちそうさまでした! とっても美味しかったです!」
「それはよかったです……」
ようやく宮藤が雑炊を平らげたころには、俺の精神力もガリガリと削られていた。返した言葉に力がなく、宮藤も悪いことをした自覚が少しばかりはあるのか「あ、あはは……」と笑って誤魔化すように頬を掻いている。
どうにも昨日の晩の出来事以来俺に対する宮藤の気遣いというか、遠慮がなくなってきているように思える。いや元からぐいぐいと押しの強いところはあったが更に遠慮がなくなったと言うべきか。
それは俺としても構わないというか、むしろ壁がなくなったようで望ましいことでもあるのだがこうも「ガンガンいこうぜ!」だと俺のヒットポイントが削られるばかりだ。もう少し穏やかな作戦で来てください。
……とは思うものの。
「やっぱり三森さんってお料理もお上手なんですね! すごいです!」
なんて言って宮藤が満面の笑みを浮かべているのを見てしまうと「これはこれでいいかな」なんて内心で納得してしまうのだから、俺も随分こいつに気を許してしまっているようだ。
……それはそれで、悪い気分じゃないけど。
「ま、飯も食ったんだし後はゆっくりしてような。宮藤だって早く元気になりたいだろ?」
いや元気かそうではないかというとむしろ元気一杯にしか見えないのだが、それはそれとして頬の紅潮は取れないままである。
本人曰く大した不調でもないとのことだとしても、外野から見る分には風邪っぴきにしか見えないのだ。
そんな俺の言葉を聞いた宮藤もそれには同意するようで、小さくその首を頷かせた。
「……元気になったら遊びにでも連れて行ってやるからさ」
なんて言ってみると、感激したように大きな声で返事が返ってきた。
安静にしてろ。
パタンと音を立てて閉じた本を机に置き、凝り固まった背筋をぴんと伸ばす。
しばらく同じ体勢で読んでいたからか伸ばした関節がパキポキと音を鳴っていて、ふと時計を見れば短針が昼も過ぎようかという時間を指していた。
宮藤はというとしばらくはテレビを見ていたり俺と話をしていたのだが、いつのまにかその身体を横に倒しては静かな寝息を立てていて、時折ふにゃふにゃとした寝言を発している。
そんな風にして彼女が眠っているから……という訳でもないのだが、俺はかねてから読みあぐねていた本に目を通していたのだ。内容はというと、いつだかにも口に出した。
「神隠し、なあ」
目をつぶり、今しがた目を通したばかりの内容を思い返す。
科学が世界を支配し、オカルトめいた幻想が駆逐されようとしているこの現代の社会にだって怪奇現象や都市伝説の類の噂には事欠かない。かつては娯楽の一種として見ていたそれらを今では真面目に調べ、内容を吟味しているというのだから事はわからないものだ。
都市伝説、またはフォークロアとも呼ばれるそれらは何も近年になって生まれた概念ではない。場合によってはその起源を古くからの伝承、あるいは神話や民話などに持つものもあり民俗学によって説明されようとしていることもある。
その中でも今、俺が調べているのは人間の突発的な失踪事件……日本で言うところの『神隠し』現象である。
いつだったか言ったように今回の宮藤に起きた現象はこの怪奇現象に極めて酷似しているように思えてならない。
であればこの神隠しについて調べることによって何かしらの解決策……とまでは言わないまでも、事態究明に対するヒントぐらいにではなるのではという淡い期待、推測の下に俺はこうして知恵を捻っているわけだ。
神隠しは民間信仰の最たるものと言ってよいがこの起源は縄文時代を更に遡るとも言われていて、そして現代に至るまで伝承されているという特異な怪異現象だ。
この神隠しに遭った人間は忽然とその姿を消してしまうという。もしあちらの世界を基準に考えるなら、神隠しに遭った宮藤がその身をこちらの世界にまで隠されてしまった……と捉えることも出来るだろう。
しかし、そうであれば彼女が戦っていたというネウロイは神だとでも言うのだろうか。
「……いやいや、それはともかくとして」
少し軌道のズレた思考を戻すように頭を緩く振る。何も俺は現象の解明がしたいわけでも、ネウロイとやらの生態を究明したいわけでもない。
目指すべきはただ一つ。宮藤を元の世界に戻すことだ。
……それを考えると胸のどこにズキンと痛みが走った。
そんな自分の感情に振り回されそうになって、俺は目の前の湯のみに入った茶を思い切り飲み干す。ぬるくなったその中身が喉を通って行き、思考が少しずつクリアになっていく。
――ともかく今回の宮藤に起きた現象が実際に神隠しであるかどうかは別として、この状況に対する解決へのアプローチ法としてこれを用いてみることにしよう。
神隠しと一言で言ってもその内容は一括りにはできない。古くは吾妻鏡に記された平繁成は生後間もなく神隠しに遭ってしまったという。柳田翁の遠野物語には神隠しに遭ったという人達の話が数多く記されているし、A県の天狗岳やG県の天狗山には山に入った者が天狗に隠されるという伝承が伝わり、C県には今でも『足を踏み入れると二度と出てこられなくなる』として禁足地にされる森が実在している。
では神隠しに遭った人間はどうなってしまうのかというと、これは意外と言うべきか元の世界に帰還しているケースも数多く存在していた。平繁成は失踪から四年後には発見されたという。遠野物語には神隠しに遭い、一時的に自宅に戻ることが出来た人や自身の無事を家族知人に知らせることが出来た人の話が描かれている。
――これらの話に多く共通しているのは、山で消えた人はその山から。林で消えた人はその林から。沢辺で消えた人はその沢辺からもう一度現世に戻ることが多い……という点である。
神隠しとは現世から神域――いわゆる異界への迷い込みとされている。
……これは俺の仮定であるが、この神域から現世に、つまり元の世界に戻るには『自分の行動を巻き戻す』必要があるのではないかと考えている。
何故かといえば、山に誘い込まれた者は山を降りて。トンネルから異世界に訪れた者はそのトンネルを戻ることによって、現世に帰還した。
ふう、と息を吐く。
つまり簡単に言うなら『来た時と逆のことをすれば元に戻れるんじゃねーの?』ということだ。
うん。わかりやすい。
それでは『魔力を失ってこちらに来た』宮藤は。
「……そうは言ってもなー」
自分で呟いた言葉に苦笑しながらぐーすかと眠る宮藤に目を向ければ、アホ面をかました彼女がむにゃむにゃと寝言を言いながら寝返りを打っている。
俺の結論を前提に考えるのであれば彼女にやってもらわなければならないことは一つだが、簡単にどうこうなる問題ではないし、果たしてその結果上手く向こうの世界に帰れるとも限らない。
どうしたものかな。
……なんてことを考えていると俺の視線に気づいたのか、はたまた単に眠りから覚めたのか当の宮藤がその寝ぼけ眼をぽやぽやと開いた。焦点の合っていない目で周りを見回し、やがて自分を見守っている俺の存在に気づいたようだ。
「……あ、れ。わたし……寝ちゃってました?」
「ああ、よく寝てたよ。……よだれ、垂れてるぞ」
「えっ……あっ! わわっ」
ごしごしと慌てたように口元を拭っている宮藤を見て笑いそうになるが、よくよく見ると俺のベッドにも宮藤のよだれが垂れている。あの、そこで今晩俺が寝るんですけど。
……ま、それはそれとしても一眠りした宮藤は今朝からすると幾分体調も戻ったようだ。
体温計を渡してやりながら、
「やっぱりただの二日酔いだったのかもな」
なんて言ってやると「だから言ったじゃないですか―」なんて少しだけ不満げに声が返ってきた。
まあ風邪でなかったのなら、それはそれでよかったというものだ。
するとほんの少しだけ不満そうにしていた宮藤だったが、やがて何かに気づいたようにパッと顔を明るくさせた。何事か……と思って見ていると、元気よく立ち上がった宮藤が窓から見える外の風景を指差す。
「外行きましょうよ、外! ほらわたしも元気でしたし!」
「いやまだ大人しくしてろよ」
「えー! だってさっきは連れて行ってくれるって言ったじゃないですかっ!」
がーんとショックを受けたように表情を歪める宮藤を見ていると何だか笑いが込み上げて、そんな俺に彼女が頬を膨らませる。
俺は腹を抱えながらも先ほど考えていた内容を宮藤に告げようとして、
「えっと、どうしたんですか?」
「……いや、なんでもないよ」
何事かを言う前に開いた口を閉じた。
そもそもこれは仮定の上に立った仮説であって、大した根拠がある話ではない。もし信じて、そして失敗したなら……その時に宮藤は酷く落ち込むかもしれない。
きょとんとした表情でこちらを見つめる彼女は何も分かっていないように俺を見ていて。
「わかったわかった、それじゃあ明日な。明日改めて宮藤の調子がよかったら……そうだな。たまには街の方に買い物でも行こうか?」
「え、本当ですか!」
わーい! なんて言って手を挙げて喜んでいる宮藤が「それなら今日は家にいましょう!」などと都合のいいことをほざいているので、その脳天に軽くチョップしてやる。いったーい! なんて叫んでいるが自業自得だ。
……本当に、なんでこんな奴がこんな目に遭ってしまっているのか。
「……そろそろいい時間だし飯にするか。ずっと寝てたけど宮藤も食べられるか?」
「はい、大丈夫ですっ」
キラキラして何かを期待しているような目に、俺の背筋が冷える。
「……わくわくしてるとこ悪いけど、もうあれはやらないからな? だって元気なんだよな?」
うっ、と図星のように胸を抑えた宮藤は、やはり今朝方の惨劇を繰り返したかったようで……いやホントに遠慮がなくなってきたね君。
はあ……と大げさに溜息をつくと今度は宮藤がくすくすと笑っていて、まったくもって。
大体あんなのは普通男じゃなくて女がやるものだろ。いや、彼女とかいたことないから分からないけど……あ、泣きそう。
なんて言っていた次の日のことである。
朝になって俺は身体に走る倦怠感で目覚めた。額を触れば熱っぽくて、窓に映った自分の顔は赤く紅潮していて……まるで。
「……みやふじに移された」
「三森さんも風邪ですかっ?」
ふと呟いた言葉が聞こえたのか、キッチンに立っていた宮藤がこちらに顔を向けてきた。
その表情は俺のことを心配しているようだが、なぜか頬が少しばかり緩んでいるようにも見える。
「ああ、宮藤も起きてたのか……ていうか何でちょっと嬉しそうなんだよ」
「いえいえ! でもあれですね! 風邪ってことは……看病しなきゃいけませんよね!」
「……いや、別に普通にしてくれるだけでいいから」
「遠慮なさらずに! 『昨日の三森さんと同じように』してあげますから!」
「……けっこうですぅ」